もみじ小戦・第六話
「紅い声」第弐編


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「大神はん、どうやら出かけたみたいやな」

 紅蘭は自分の部屋で、すみれと一緒に受信機の示す座標を地図と照らし合わせながら確認していた。
 昨夜の内に大神にしかけておいた発信器の内、一つは外されてしまったが、もう一つはまだ大神にくっついたままだった。
 髪の毛にしかけた方である。
 深川で刹那のアジトを突き止めたときと同じもので、非常に小型だが数日は持つ代物だ。

 二人とも緊張した面もちである。
 大神がどこに出かけているのか。
 真夜中に出かけているというのが、二人の不安を・・・同時に不信をあおっていた。
 突き止めようとしてしかけたのだが、予想に反して、大神が出かけたのは夜が明けてからであった。
 二人交代で仮眠を取りつつずっと受信機を監視していたので、二人とも眠くて良いはずだが、八時前に大神が出かけるのを感知してからはほとんど眠気を感じなくなっていた。

 恐怖のためだ。
 自分たちが突き止めようとしてる事実が、楽観的なものである可能性は、残念ながらほとんどない。
 受信機を使うという方法を考えたのはすみれだが、それは、尾行しても悟られるだろうと言う予想以上に、せめて自分の目で見たくないと言う気持ちの表れだったのだが。
 それは紅蘭にしても同じだったろう。
 二人は、さくらにもカンナにもこのことを言っていない。
 出来るなら、知らせない方がいい。
 ・・・思い過ごしと言うこともあるからだ。
 そう納得させようとしている自分が、不安の警鐘をかき鳴らしている。

「大神はん、一旦停止。座標2041の195」
「了解」

 意図せずに、とても事務的な会話になってしまった。
 これから大神がどう動くのだろうか・・・。

「なあ、すみれはん」
「何ですの、紅蘭」
「もし大神はんが、これから誰かとデートとかやったとわかったら、どうしようか・・・」
「相手の害虫を追い払って、この神崎すみれの元に戻ってきてもらうに決まってますわ」
「前半は賛成やな」

 お互いの顔を見合って、ほんのちょっとだけ笑った。
 不信があっても、やはり大神は大神なのだと、そう言いたかったのかも知れない。
 大神はしばらく動かない。
 待ち合わせをしているらしかった。

「今のうちに何か食べとかへんか」

 夜通しで作業することの多い紅蘭は非常食も用意していた。
 たとえば、今出してきたこれは、ラーメンを特殊な方法で乾燥させたものをお湯で戻すものである。

「いただきますわ」

 普段なら、こんなものを食べろとおっしゃるの、とか言っているところかも知れないが、今回は素直に感謝していた。
 虚勢を張る心の余裕が無くなっている証拠なのだが、本人は気づいていない。
 お湯を入れて三分。
 味はうまくはないがまずくもない。
 しばらくラーメンを黙って食べる。
 実際、本人たちは自覚していないが、腹を空かしていたのだ。

 食べ終わる頃、受信機の数字が変わりだした。
 どうやら大神が再び動き出したようだ。
 重苦しい緊張の中、すみれはのろのろと地図を取り出す。

「大神はん移動。座標2094の300から・・・2099の308」
「・・・・・、違うでしょう・・・・」
「いや、あっとるで。次に2105の308」
「・・・違う、と言っていますのよ」

 そこで紅蘭はようやくすみれの様子に気づいた。
 美しい唇を血がにじむほど噛みしめて、怒りとも悲しみとも判別できない表情で地図の一点を焼き払わんばかりの視線で睨み付けていた。

「何かの間違いでしょう・・・!紅蘭・・・!」

 紅蘭は、すみれに賛成したかった。
 そうに違いない・・・。
 自分は、受信機か発信機を作るときに、どこかで失敗したのだ。
 そうに決まっている。
 こんな事があるはずがない・・・。

 だが、紅蘭の発明品のうち、爆発しなかった物は極めて高い精度を持っている。
 二人とも、それはよくわかっていた。
 そして、その座標に記された数字が何を意味するのか。

 2105の308。
 紅蘭の受信機と対応したその地図には、「未測量」の文字とともに、吉原、と記されていた。

*   *   *   *

 夕方と呼べる時間になっても、まだミロクは発見できなった。

「むう・・・これだけ探してわからないとなると・・・」

 さすがの大河原も少し弱気になりかけている。

「ですが、ミロクの気配は感じます。それが何かに紛れてしまってどこにあるかわからないだけです。確実に、この近くにはいます」
「うむ・・・」

 この吉原には、警察もまともに入れないのだ。
 当然、まともな地図も存在しない。
 そんなわけだから、店を探索させてくれと言っても、出来るわけもない。
 ミロクが確実にいるとわかってしまえば、その一軒だけに殴り込みをかけることの出来るのだが。

「もう少し、霊力網を強化してみます。特殊な香か何かでごまかしているだけだと思います」

 大神は霊力網の感知力を全開にしてしらべてみた。
 そうすると、大体半径50から100メートルの範囲に絞り込むことは出来るのだが。

「この近くなんだが・・・」
「あら、男二人なんて不毛なことをされているのね」

 いきなりかけられた声に驚いて振り返ると、いつの間にか背後に遊女が立っていた。
 年齢不詳の美女というか美少女というか・・・。

「この吉原は、男と女の街・・・。ねえ、格好いいお兄さん、いかがかしら・・・?」
「え・・・あ・・・ちょっと・・・」

 腕を引かれて、慌てふためくような表情で、大神は空いている手を落ちつかなさそうに震えさせる。
 大河原の目がそこに集中する。

「だいぶお疲れのようね・・・お兄さん、格好いいからお安くしておくわ、ね?」
「うーん、それじゃあ・・・お願いしようかな・・・」

 だらしない表情が演技なのか地なのかはさておき、大河原は了解した、と言う面もちで頷いた。

「じゃあ君は楽しんできてくれ、小川君」

 と、大神に向かって言っておく。
 ここに潜入するのにあらかじめ決めておいた偽名だ。
 一応の偽装工作である。

「川原さんもね」

 だらしなくゆがんだ顔で、瞳だけは真面目に答えた。

「じゃ、お兄さん・・・小川さん、とおっしゃるのね。こちらへいらっしゃって」

 大神の姿が見えなくなったところで大河原は表情をこわばらせた。
 大神とは、もしもの時モールス信号で情報をやりとりすることにしていた。
 大神は海軍士官学校で通信も叩き込まれているし、大河原も情報部出身として心得ていた。

 内情について聞いてみます。

 かろうじて大神が打てたのはこの文だけだったが、大神の判断は正しいかも知れない。
 並の遊女が自分にも大神にも悟られずに背後をとれるはずがないからだ。
 ただ者ではない・・・同時にそれは危険性もあるのだが。

「・・・気をつけろよ、大神くん・・・」

 大神ならはぐれてしまっても自分を見つけてくれるだろう。
 自分は自分で出来る限りのことをするまでだ。


 遊女に案内されたのは、声をかけられたところから少し歩いたところにあるかなり上等な部類に入る宿だった。
 この宿の中にミロクがいないかとも思ったが、ここは少し気配が遠い。
 さすがに、それははずれだったようだ。

「いらっしゃいませ」

 店の女が玄関で五人もうやうやしく出迎えた。
 背後をとられたあたり、ただ者ではないと思ったのだが、遊女としての格もかなり高いようだった。

 ・・・困ったな。

 顔には出さないが、大神は実際困っていた。
 最高級の遊女と一晩をともにする料金は公務員の年収にも匹敵すると、士官学校時代の同級生から聞いたことがあった。
 どこまで本当か知らないが、そんなお金、持っているわけがない劇場事務員大神一郎である。
 実のところ、一晩分の料金を払った上で、聞き出せるだけの情報を聞こうと思っていたのだが、

 ・・・盛大に甘かったかも知れない。
 必要経費でこんなの申告したら、さくらくんに何をされるかわからないし・・・。

 悩む大神にはお構いなく、店の女たちがかいがいしくコートを脱がせようとするので、

「脱ぐのはあとでいいよ」

 と言っておいて断った。
 もちろん関係を持つ気など無かったが、こう言っておくと・・・、
 それならば、ということで女たちは引き下がる。
 さすがに帽子だけは脱がざるを得なかったが、コートの中の武器を無くすのも悟られるのもまずい。
 帽子がない今、変装は銀縁のめがねだけしかない。
 さすがに内心冷や汗だった。
 ここにいる者たちが、帝劇に来たことがあるとも思えなかったが、万が一と言うことがある。
 帝劇のモギリがこんなところに出入りしていると新聞などに流されては帝劇のイメージダウンは避けられそうにないだろうし。
 なんだか、やけに注目されているような気がして、これはまずいと判断した大神はそそくさと自分を誘った遊女についていった。

 大神は気づいていなかった。
 彼女たちが、暗闇の底から太陽を仰ぎ見るような、届きようもない憧れの目で自分を見ていたことに。

 ともあれ、店のずっと奥の格調高そうな部屋に連れてこられた。
 ここに来るまでに扉もふすまも何重にもあった。

 まずいなあ・・・。

 二重の意味でまずい。
 料金は洒落になりそうにないし、その上、何かあったときに逃げるのがかなり困難だ。
 それを思い知らせるように、遊女の閉めたふすまが微かな音を立てた。

「さ、この部屋では、もうそんな暑そうな物は脱いで下さいませ」

 と言って、遊女はそっとコートの襟に手をかけてきた。

「あ、そ、その・・・ごめん、その前に話をしたいんだけど・・・」

 蠱惑的、と言う言葉を仕草にしたかのような遊女の動きに、さすがに大神は焦った。
 女性に免疫が出来ているように思われる大神だが、実際こう迫られることには慣れていない。

「照れなくてもよろしいのに・・・」

 そういいながら、遊女は焦っている大神のコートを右手だけで鮮やかに脱がす。

「でも、奇遇ですわね」

 左手は大神の頬から顎にかけてつつっとなぞり、

「私もあなたに話があるの・・・・・・・・・!!!」
「!!」

 一瞬、であった。
 殺気を察知するより先に、遊女の左手の爪が頸動脈の上に当てられ、右手は大神の左脇の下、すなわち心臓を貫ける位置にそえられていた。
 その体勢のまま、ゆっくりと身体を寄せられ、胸を押し当てられる。
 姿勢にまったく隙がない。
 コートを脱がされた大神は武器無しで、下手に動いてもこれを返せるかどうかの保証はない。

「なに者か知らないけど・・・あまりこの街で勝手なことをして欲しくないのよ」

 ふうっと笑った唇が迫ってきたので、大神は何とか首から上を動かしてそれを避けた。

「あら?」

 ちょっと驚いたような表情を見せてから、気分を害した様子もなく今度はそっと微笑んだ。

「感覚を周囲に張り巡らせるなんてただ者じゃないけど・・・」

 やはり見抜かれていた。
 おそらくそれを逆にたどって大神を見つけたのだろう。
 ミロク以外にも、まさかここまでの使い手がいるとは思わなかった。

「何を、しにきたの?」

 気がつけば、遊女の左手の爪が鋭く伸びて束ねられている。
 頸動脈どころか、首まで飛ばされかねない雰囲気だ。
 とはいえ、問答無用で殺すつもりはないらしい。
 もちろん、返答次第ではそうするつもりなのだろうが・・・。
 この調子では、嘘はつくだけ無駄のようだ。
 全てを見通すような瞳がそれを雄弁に物語っていた。
 要は、まあ、なるようにしかならない、ということだが。

「人を捜しに来たんです」

 意図せずに、言葉が丁寧になった。
 年上の女性に弱いからかも知れない。

「昔の女でも探しに来たの?」
「あ、いえ、そうじゃないんですけど・・・」

 遊女の声がふっと緩んだので、大神は一か八かの賭けに出た。

「本名かどうかは知らないんですけど、ミロクという女です。御存知ありませんか」
「ミロク・・・、ああ・・・」

 ちょっと考えたようだった。
 だが、次の瞬間、爪が微かに首に触れた。
 まずい。大当たりすぎたかも知れない。

「あの子に、何の用?」

 大当たりも大当たり。
 直撃過ぎて死にそうである。

 首を裂こうとすればそれなりの力がいるはず。
 それを先に察知して逃げるしかない。

「こんな物騒な武器を持ち込んできて、取り戻しに来たとは言わないわよね」

 コートの中の刀のことを言っているのだろうが、視線は大神からはずれることはなかった。

「・・・そうです。捕まえるか、出来なければ倒すために来ました」

 大神は素直に認めることにした。
 遊女の次の動きに、全神経を集中させる。
 だが、

「素直な坊やだね」

 と言うと、すっと身体を離したので、大神は面食らった。
 いつの間にか、「お兄さん」から「坊や」になっている。
 遊女は優雅な動きであっさり大神に背を向けて、戸棚から酒と杯を取り出した。

「坊や、飲める?」

 さっきまで死をちらつかせていたとは思えないような穏やかな口調で問いかけてきた。

「はい、少しですが」
「照れなくても良いのに、と言ったでしょう」

 仕草で大神に座り込むように伝えて自分も座り込んで、ゆったりと大神に渡した杯に酒を少しだけ注いだ。

「いただきます」

 毒が入っているとは思えなかった。
 そんなことをするくらいならさっき殺しているだろう。
 ためらわず口に含むことにした。
 やや甘めだが、なかなかおいしい。
 米田のように、とは行かないが、それでも一口で飲み干した。

「なかなかの飲みっぷりね」

 クスリと笑って、遊女は自分の杯にもついだ。
 お茶でも飲むように、くいっと杯を空ける。

「毒があると思ったかしら?」
「いいえ」

 大神の答えを聞いて、酒はその場においておく。

「噂に聞く、帝国華撃団の隊員ってところかしら?」

 ゆったりとした口調でいきなりそう切り出されて、大神はさすがに表情が跳ね上がった。
 帝撃の実体・・・隊員が少女たちであることまではさすがに知らないようだが、ほぼドンピシャリである。

「あんまり、嘘は得意じゃないみたいね」
「・・・」

 どうとも答えようが無くて、大神は黙り込んでしまった。

「ねえ、聞かせてくれるかしら」

 声は先ほどまでと同じだが、瞳は笑っていなかった。

「何のために、あの子を倒すの?」

 あの子、というのはミロクのことなのだろう。
 この遊女の年齢はまるで読めないが、ミロクはそれよりも年下らしい。
 もしかしたら、ミロクは思っていたよりも若いのかも知れない。
 質問とは関係無しに、ふっと大神は頭の片隅でそんなことを考えていた。

「帝都のためにです」

 考えたのは一瞬で、言葉はすぐに出た。

「本当に・・・?」

 少し首を傾げて、重ねて問いかけた瞳は、今までで一番冷たかった。
 爪を首筋に当てているときよりも、ずっと。

「あなたが守るものは、そこにある建物なの?」
「そこに生きている人々です」

 こればかりはひるむわけにはいかない。
 背筋に寒気を感じながらも大神は続けた。

「ミロクは、黒之巣会死天王としてこの帝都の人々を苦しめ、多くの破壊をもたらしました。 そしておそらく、今もなおそれを続けようとしています。 帝都と、人々のために・・・、俺はミロクを倒します」

 向けられた冷たい瞳に炎を返すかのように、大神は真っ正面から言い返した。
 だが遊女は、氷の瞳のようにその表情を変えない。

「少し、昔話をしてあげましょう」

 その、変わらぬ表情のまま、脈絡成しに遊女は切り出した。

「今は昔、帝都のとある家庭に、ずいぶんと感受性の強い女の子が生まれました。
 幼くして頭も良く、人の目に見えぬもの等と会話をよくしました」

 大神は最初、遊女の身の上話かと思った。
 だが、聞いていくうちに、違う、と思った。

「彼女には、生まれながらにして霊や物の怪とふれあい、それを操る能力があったのです。
 彼女にはそれは自然で当たり前のことでした。
 でも、周りの人間や、両親までもがその能力故に彼女を恐れ、嫌いました」

 ほとんど動かない表情だが、声に微かにだが哀れみや同情かが聞こえたような気がした。

「数えで六歳。女の子は両親と離されました。でもそんな女の子を親戚の誰も引き取ろうとしませんでした。
 だから女の子は売られました。その年で彼女は娼婦となることが決められたのです」

 大神は恐怖に捕らわれた。
 遊女の瞳が恐ろしかったのではない。
 遊女の話によって思い起こしたことがあったからだ。

 違う話だ・・・・。
 だが・・・わずかの違いを除けば、同じになっていたような・・・。

 遊女は、その恐怖に拍車をかけるように更に続ける。

「容貌がよかったのか、実力があったのか、彼女はやがて色街でも有数の娼婦になっていきました。
 でも彼女は忘れていませんでした。
 自分を蔑み、おとしめた帝都のことを。
 だから彼女は」

 もういい・・・・・・・・・もう、わかった・・・・・・・

「この帝都を破壊するための組織が出来たとき、真っ先にその身を投じました」

 その女の子こそが・・・・・・・・・そう・・・・・・・・

「もう、わかったでしょう」

 ふと気づくと遊女は、あの冷たい瞳を止めて元のおだやかな表情に戻っていた。

「全て、嘘偽り無しに、あなたが守ろうとする帝都で起こった話」

 だがその言葉は、穏やかだというのに大神を打ちのめしていた。
 帝都がそのうちにいくつもの矛盾を抱えていることは百も承知していた。
 それでも、そこに生きる人々のために戦っているつもりでいた。
 だが壊さんとするものが、帝都の抱えた闇故に壊そうとしているのであれば・・・、
 悲しみの連鎖を断ち切ろうとして戦っているのならば・・・、
 それは正義ではないのか・・・・・。

 違う・・・、
 だからといって、今ある人々を苦しめて良いはずがない。
 それは、正義じゃない・・・。

 しかし、今苦しんでいる人々を、そのままにしておいて良いはずもない。

 駄目だ・・・・。
 どうしても、覆せない・・・。
 その「女の子」が戦う理由を認めてしまう。

 でも・・・・・、
 俺は、戦わなければ・・・・

「俺は・・・・・戦わなければ・・・・・・」

 何か、それでもあきらめきれない想いが、心の奥底から消えない。

「帝都を、守る・・・・」

 本当に、本当にそれだけなのか・・・・。
 だとしたら、俺は戦えない・・・。
 だけど・・・・・・・・!

「帝都を守るというお題目・・・」

 苦しんでいる大神の頬に両手をそえ、正面から向かい合った。

「それがあなたにとってどれほどのものか、見せてもらうわ」
「えっ・・・?」
「あなたの本当に戦っている理由・・・答え次第では、私はあなたを生かしては返さない」

 スウ・・・

 吸い込まれるような感覚があった。
 どこか、ここではないどこかへ行くような。
 自分以外の何かに合わさっているような・・・

 走っている。
 自分は走っている。
 愛用の二刀ではなく、見覚えのない長刀を手に。
 自分には二人の仲間がいて、共に走っている。
 一人は知っている・・・、米田だ。
 もう一人は知らない顔・・・でも何故かどこかで見たことがあるような気がした。
 その二人に先んじようと・・・いや、一刻も早くたどり着こうとしているだけだ。
 そう・・・自分は助けに来たんだ・・・。

 場面が飛ぶ。
 たどり着いた広大な空間。
 どこか重厚な雰囲気をたたえた大気がその場を支配している。
 その最奥の祭壇から、膨大な霊力が感じられた。
 祭壇に鎖でつながれているのは、巫女姿の少女。

「やはり・・・ここまで来ましたか」

 その前に立って少女に霊力を注ぎ込んでいる・・・いや、少女を通じて別のものに霊力を注ぎ込んでいるのは、黒髪の青年・・・。
 少女がうっすらと顔を上げる。
 あれは・・・・さくらくんか・・・。
 一瞬、亜麻色の髪の別の少女に見えた気がしたが。
 膨大な霊力・・・触れるだけで並の人間なら消えてしまいそうなほどの霊力が彼女をさいなんでいた。
 声をあげることも出来ぬほど憔悴しきっていた。

 今すぐ、助けなければ・・・・・。
 同じ舞台で、場面が飛ぶ。
 さくらの目の前にいて、鎖を断ち切ろうとする自分。

「その人は・・・帝都を守ろうとしたのですよ・・・」

 後ろにいる青年が、床に倒れたまま語る。

「帝都を守ろうとして・・・、滅びの防波堤にならんとして・・・」

 鎖を切ろうとして刀を振り上げた手が止まる。

「その人を解き放てば、防波堤は消える・・・。とどめている破壊の波が、一度に帝都を覆う・・・」

 戯れ言では、無い・・・。
 さくらを取り巻いている力は、間違いなくそれだけの力があった。
 天変地異と呼ぶにふさわしい光景が、頭をよぎった。

 帝都が・・・・、滅びる・・・・・・。

 このままならば、それはとどめておける。

 さくら一人を、生け贄に・・・・・・!?

 帝都の幾多の人々が苦しむ姿が、目の前であえぐさくらの姿が、頭の中で幾重にも、加速しつつ浮かんでくる。

 帝都を・・・・・・、
 さくらを・・・・・・・、
 帝都を・・・・・・・・・・、
 さくらを・・・・・・・・・・・、

「うああああああああああああああああああっっっっっっ・・!!」


 さくらくん・・・・・・・・・!

 絶叫と共に莫大な霊力の中に飛び込み、鎖を粉々に砕いていた。




 !!!!!
「ハア・・・・ハア・・・・・ハア・・・・」

 気がつけば、元の部屋だった。

「今のは・・・幻覚・・・・・・?」
「いささか演出過剰だったけど・・・・、これでわかったかしら」

 既に顔を離していた遊女は、のんびりと杯を傾けていた。

「あなたが本当に守ろうとしているのは、帝都じゃない」

 一言一言を突きつけるように、言い放った。
 再び、爪が鋭く伸びて大神の眼前に突きつけられる。

「帝都全てより、一人の人間の方が大切・・・・それがあなたの本当の心」

 突きつけられた爪が、今にも眼球に触れそうになる。
 大神は、避けも引きもせずに真っ直ぐに、爪を、その先にある遊女の顔を見つめる。

「後悔しているかしら?」
「いいえ」

 大神は、きっぱりと答えた。
 あの選択・・・何度考えてもきっと自分は同じ決断を下すだろう。
 わかった。
 よく、わかった。

「もしあそこでさくらくんを捨てていたら、俺はもっと後悔していたはずです」

 きっと、自分も、帝都も滅ぼしてしまうくらいに・・・・。

「今は、はっきりと言えます。俺は・・・帝都のために戦っているんじゃない・・・」
「そう・・・・。覚悟は、いい?」

 突きつけられた爪の先がきらりと光った。
 いいだろう・・・。
 あの選択の結果なら・・・・自分は後悔しない・・・!
 自分の目から脳まで貫くであろうその爪を、大神はしっかりと見据えた。
 次に爪が動いたとき・・・、

シュンッ

 爪が、消えた。

「え・・・・・・?」

 思わぬ展開に、大神はあっけにとられた。
 見ると遊女は着物の袂を口にあてて、くすくす笑っている。

「・・・・どうして・・・?」
「ふふっ・・・、坊やが、自分の恋人を見捨てるような男だったら、本当に脳髄までえぐっているところだったわ」

 遊女の口調は実に楽しそうだった。
 瞳の奥まで、本気で笑っている。

「男に見捨てられて、道具のように使われて、そんな女がこの街にはいっぱい・・・。そんな男たちを、私は何人も葬ってきたわ。
 でも、あなたは合格よ」

 こつんと、爪の伸びていない指先で額をこづかれた。
 どこか、あやめを思い出させる仕草だった。

「さくら、っていうのね。あなたの恋人」

 普段なら、恋人といわれて思いっきりあせるところだが、今は不思議と嫌な気持ちはしなかった。

「世界すべてを敵に回すことになっても、必ず守ってやれる?」

 尋ねている、というよりも、その口調は確認しているようだった。
 無論、是非もない。

「はい・・・・・!」

 その答えに、遊女は今までで一番嬉しそうな顔を見せた。
 そっとコートを手にとって、大神に掛けてくれた。
 それから、戸棚をごそごそと動かすと、壁の一角が開いた。

「行きなさい・・・。たとえあの子が相手でも・・・、あなたが戦う理由が恋人のためなら、私はそれを止められない」

 一瞬、遊女は遠い目をした。
 その表情を隠すかのように、大神に背を向けて続けた。

「あの子は、ここから出て北に向いたすぐの、「もみじ」という店の地下深くにいるわ」

 一瞬、大神は何を言われたのか解らなかった。
 つまり・・・・・・。

「・・・ありがとうございますっ!」

 遊女の背中に深々と礼をした。
 敵陣のまっただ中で受けた優しさに、心から感謝していた。

「・・・行きなさい」

 もう一度、遊女は言った。
 大神は頷くと、壁にあいた穴に続く階段を降りていった。
 外への脱出口の一つなのだろう。
 薄暗い道を、大神は疑い無しに進んでいった。

 その足音が遠くなってから、遊女はそっと壁を元に戻した。
 こんな気持ちのいい夜は久しぶりだった。
 あれは・・・五年、いや、もう六年ぐらい前になるのだろうか。
 同志と共に、対降魔部隊を迎え撃ったとき、必死で恋人を助けようとする青年の瞳に負けて、道を譲ってしまったときだ。

 あの青年は、今どこでどうしているだろうか。
 そして、今のあの坊やは気づいただろうか。
 先ほど見せた光景はただの幻影ではなく、あのとき本当にその青年が迫られた決断だということを。
 あの青年も、帝都より恋人を選んだけど。

 不思議な因縁を感じた。
 あのとき共に対降魔部隊を止めようとして青年に瀕死の重傷を負わされた妖狐の少女たち・・・。
 丁度、堕胎のために死にかけていたあの子と命をつないで、二人とも助けようとしたけど・・・生き残ったのはあの子だけ。
 あの子はきっとそのとき得た力で、あの坊やと戦ってきたのだろう。

「だけど、もう・・・いいでしょう・・・・・・・」

 その頬を、一筋だけ涙が伝った。




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