もみじ小戦・第六話
「紅い声」第壱編


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 自分の部屋でぶっ倒れていた。

 一応、今日は一日中隊長室で休んでいたことになっている。
 昨日の対決時の疲労のため、と言うのが口実だ。
 それは嘘ではない。
 いくら大神でも、さすがに疲労が残っている。

 しかし実のところ今日は、一日中かけずり回っていた。
 夜九時を回ったところで、昨日の疲れと重なってどうにもならなくなり、後の捜索を大河原にまかせ、窓からこっそりと戻ってきたのである。

 元有楽町帝撃通信局検閲官である大河原一美中佐は、華麗な転身を遂げて帝都の探偵となっている、と言うのが表向きだが、 実際には今でも帝撃の情報管理や、裏での隠密行動を得意とする帝撃の縁の下の力持ちである。
 今日の捜索も、大河原の手引き無しでは入り込むことすら不可能だっただろう。

 とはいえ、さすがに体が重い。
 だが、今日だからこそ夜の見回りを怠るわけにも行かない。
 第二の刺客を倒されたミロクが次に何をしかけてくるとも知れないのだ。

 三十分ほど倒れていただろうか。
 夜十時を回った。
 見回りの時間だ。
 ふらつく身体を叱咤して、懐中灯を手に寝台からはい上がる。

 階段の前で、部屋から出てきた紅蘭に会ったが、彼女は何も言わずに大神の横をすり抜けていった。
 人間、本気で怒ると無口になるものかも知れない。

 ひとまずは、それでいい、
 と、いい方に考えることにした。
 疲労のせいもあるが、だから大神は気づかなかった。
 紅蘭がすれ違いざまに、自分の髪とベルトに、小型の発信器を取り付けたことに。

 見回ったところでは、刺客が入り込んでいる様子はない。
 鍵もしっかりかけておいた。
 今日も公演が中止になってしまったために、劇場内に入った人間はほとんどが玄関までだったのは不幸中の幸いというべきか。
 マリアについては、急病で意識がない、と発表されているので、ファンから贈られてくる花束への対応が前売り券の払い戻しと重なって、事務室は戦場と化していたようだ。
 そんなときに手伝わずに寝込んでいたことになっているのだから、また由里とかすみに怒られることだろう。

 だが今は構っていられない。
 一刻も早くミロクを探し出して、捕まえるか倒すかしなければ、これ以上花組のみんなにどんな危険が及ぶことか。
 本当なら、夜通し動いてでも今夜中に片を付けたかったのだが。
 超人のように思われている大神だが、これでもちゃんと限界はある。
 見回りを終えて部屋に戻ると、もはやシャワーを浴びる余力もなかった。

 大神が報告に来ないことに心配になって部屋を訪れたあやめは、床で眠り込んでいた大神を見つけて、 そっと毛布を掛けてやってからそおっと扉を閉めた。

*    *     *     *     *

 不夜城という言葉がある。

 夜がない・・・すなわち、夜に眠らない歓楽街のことを言うことがあるが、この街も御多分に漏れなかった。
 下世話な言い方をすれば、眠りはせずに寝るのだが。

 活気に満ちた街を見渡しながら、大河原はそんなことを考えていた。
 彼の象徴とも言える色眼鏡を外して、いつものしっかりしたコートから小汚い上着に替えている。
 色眼鏡姿と声で有名な彼なので、これで見抜ける人間はまずおるまい。
 更に今回は念入りに、鼻栓を詰めて声まで少し変えてある。

 もっとも、鼻栓はそれ以上に、匂いを遮るためのものだった。
 街全体を覆っているような、けだるい空気に混ざって、甘い匂いがする。
 おそらく、口で吸い込んでも影響は少なからず出るだろう。
 だが、少なくともこの匂いを四六時中感じ続けるよりはましなはずだ。

 ともあれそんな格好で大河原はひょこひょこと動いていた。
 時々、思い出したように道行く人間に声をかける。
 薬の売人と思わせるためだ。
 この街では、ここまで怪しい方がかえって怪しまれない。
 もっとも、無愛想な表情でやっているので声をかけられても応じるものはいない。
 無論、計算尽くだ。
 そうやって客を捜すふりをしながら路地裏を回り、妖力を探る。
 大河原とて、帝撃の関係者として、多少の霊力はある。
 戦闘に使えるほどではなかったので、対降魔部隊に加わることはなかったが、気を探るぐらいのことは出来た。
 この能力が、彼をして副業ながらも帝都で一二を争う探偵にしているのだが。

 この街にミロクが潜伏していることはまず間違いない。


 吉原。
 江戸から帝都となった今でも依然としてあり続ける、人の欲望が結集した、・・・同時に、悲劇の結集した遊郭街である。

 わずか数ヶ月前の六破星降魔陣の影響など無いかのように見えるにぎやかさだが、これでも大きく変わっている。
 男が店を回り、好みの遊女を買う方式ではなく、街頭に立っての客引きが目に付く。
 これでも、客が少なくなっているのだろう。

 遊女と一口に言っても、その年齢は様々である。
 どこかの奥方のような婦人から、若いと言うよりは幼いと言った方が適切な娘までいる。
 彼女らの多くは、夫を亡くして子供を抱えたまま残されたり、親の借金のかわりに売り飛ばされたりといった、やむにやまれぬ事情でここに来ているのだ。

 眺めていて、気分が悪くなってきた。
 矛盾を感じ、救いたいと思っても、どうすることもできない。
 もしこの街が無くなったら、彼女たちの行き場は今度こそ本当になくなるのだ。
 これは、どうにも払いきれない、帝都の暗黒面そのものなのだ。
 世界最古とも言う、何一つ生み出さない産業。
 帝都がどれほど豊かになろうとも、姿を変え、名を変え、きっと存在し続けるのだろう。

 ・・・つくづく、自分が男だと言うことが嫌に思えてくる瞬間である。

 大神くん・・・君の言うとおりだよ・・・。
 あの娘たちを断じて、ここに触れさせてはならん・・・!

 帝劇花組の乙女たちがいる光り輝ける舞台が、女の子たちの希望の頂点ならば、
 ここは、絶望の深淵なのだ。

 ミロクはかつて有楽町帝撃通信局の現地中継に姿を現したことがある。
 そう・・・この吉原をすみれが取材しようとしたときに、それをあざ笑うかのように立ちはだかった女の声。
 ミロクとの二度の戦いを経た後で録音盤を聞き返してみれば、間違いなかった。
 何を意図して、帝撃と直結した放送の前に姿を現したのかは定かではない。
 その後で、有楽町帝撃通信局を占拠するための布石としては、あまりに納得が行かない。
 花組の乙女たちに、絶望の片鱗を見せつけて、少しでも味わわせようとしたのだろうか・・・。

 大神は、だからこそ花組のみんなに嫌われてでも、皆をこれに近づけないことを選んだのだろう。
 ミロクが背後にいることに、薄々気づいてから・・・。

 そして、今もミロクがここにいるのはほぼ間違いあるまい。
 黒之巣会総帥代行である大川晴明が、何度かこの吉原に入り込んでいることは既に調べ上げている。
 それも、黒之巣会残党の大規模な活動の前にほぼ確実に。
 遊ぶためにここに来ているというのでは納得が行かなかったのだが、裏にミロクがいるとすれば全て納得が行く。
 何故、あんな二流の占い師が黒之巣会残存組織をまとめていられるのか。
 何故、天海の肉声を取った録音盤などが出てきたのか。
 何故、帝劇内部で大神が襲われたのか。

 全て、背後にミロクがいて初めて可能である真似だった。
 もちろん、黒之巣会死天王の一人が帝都で今なお活動しているなど、絶対にラジオに流すわけにはいかん。
 検閲官に戻って、大河原は心に誓った。
 今帝都に動いているのは、二流三流の活動家のみ。
 そうするのだ。
 誰にも知られないように。

 どこだ・・・・どこにいる・・・ミロク・・・・

*   *   *   *   *   *

 翌朝、早朝の内に米田のところに出向いた大神は、本日の休演決定を確認した。
 マリアの見舞いに行きたかったが、行ける立場ではないことを考えて、止めた。
 看護しているあやめによると、今日の内には意識が戻るかも知れないとのことだった。
 多分、目が覚めたら止めても舞台に立とうとするだろうから、あえて強制的に起こすことはしていないらしい。

 部屋に戻り、平服に着替える。
 服の下には、先日も使った強化繊維の準戦闘服だ。
 変装用の銀縁めがねを再び取りだし、今度はしっかりと帽子をかぶる。
 コートを着込み、愛用の二刀をその内側に隠す。
 動いてみて、マリアとの対決で痛めた左腕がまだ少しひっかかる気がした。
 傷口は包帯で覆われているが、実際、あまり浅かったとは言えない。
 利き腕でなかっただけ良しとすべきなのだろうが・・・。
 色々考えて、予備武器として拳銃を持っていくことにした。
 接近戦に持ち込まずに、出来るなら遠距離で片を付けられるようにと思ったのだ。

 ミロクにしても、魔操機兵を作り直してるほどの余裕はないはずだ。
 でなくば、あれほど暗殺にこだわりはすまい。
 何とかなる・・・、いや、何とかするのだ。

 ちゃんと、五体無事に帰ってくること。

 さくらと交わした約束を頭の中で再確認して、大神はこっそりと帝劇を出た。
 帽子で覆った髪の毛の中に、発信器がくっついたままであることに気づくこともなく。


*   *   *   *   *   *   *

 朝方に数時間仮眠を取った大河原は、再び吉原の探索に赴くための装備を整えた。
 二日とも同じ変装というのは危険なので、今度はいつもと形の違う色眼鏡姿である。
 大河原の主力武器は、盛大な改造を入れた八発拳銃が二丁だ。
 麻酔弾、炸裂弾などの装填も自在に可能という、もはや拳銃と呼べるのかどうかすら怪しい代物である。
 普段は殺傷能力を抑えた模擬弾を使っているが、今回はかなり強力な弾丸も用意した。
 おそらく、根拠地を発見しても、戦いはそれからが本番なのだろうから。


*   *   *   *   *   *   *   *

 ミロクは、朝のけだるい時間がようやく過ぎた頃になって、寝室から起き出してきた。
 どうやら、大神か誰かが近くまで来ているようだが、心配には及ばない。
 いかに気を探ると言っても、ミロクのいる階層まで気配を探るのは絶対に不可能だ。
 この上の階層には、人間の思念が常に渦巻いている。
 人間の壁と言ってもいい。
 だが、もし大神がここまでたどり着いたなら・・・。

 床の間に飾っておいた細剣が、ミロクが一睨みするとすうっと浮き上がって、その手に収まった。
 柄が人間の手のような形状をしている不気味な剣だ。

 もしたどり着けたなら・・・、
 そのときはわらわ自らが切り裂いてやろう。
 屍は辱めた上で、わらわの雷と炎で消し飛ばしてやろう。
 まあ、何もできない首だけは、愛しい小娘どものところに送り返してやろうではないか。

 どこか空虚な高揚感を覚えつつ、ミロクは笑った。
 歪んだその顔の表情を、笑顔ということができるのならば・・・。


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