もみじ小戦・第五話
「黒い鳥」後編


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 手強い。

 数日観察してみたが、隙だらけのくせに踏み込めない。
 小型の魔物を忍び込ませて上からのぞき見ていたときとは感覚がまるで違う。
 寝込みを襲おうかとも思ったが、大神は消灯時間になると外の見回りに出かけるし、 帰ってきても、マリアを部屋の前まで行かせるだけで眠りの中から反応してきた。
 いっそ、寝不足にさせてしまおうとも考えたが、そのためにはこちらも寝不足になってしまう。
 いざ交戦するときに、マリアの身体が疲れ果てていたのでは話にならない。

 場がないのならば作るまで。

 それが結論だった。
 楽屋に丁度、あやめや大神までそろったのを見計らって、台本を開始した。


「マリア・・・本気で言っているの?」

 藤枝あやめが、信じられない、という表情と、そうなってしまったか、という表情を混在させながら尋ねてきた。

「ええ、平和になってからの隊長の行動は目に余るものがあります。シャワーの一件もそうですし・・・」

 ここで大神の顔がしゅん、となる。

「ここ最近は、夜中に足音を聞いて見てみたら隊長だった、と言うこともありました」
「マリアさん、それは・・・・・」

 言いかけたさくらを大神は視線で制した。

 約束だ・・・言わないでくれ・・・
 でも・・・それは大神さん・・・
 頼む・・・・・
 ・・・解りました・・・

 二人の無言の会話を横に、マリアは行動の規律についていくつか挙げていき、

「以上から、私は、隊長が隊長にふさわしいか疑わしくなりました」

 ここで大神に目を向ける。

「そもそも、女所帯の中に男一人でここまで何も問題が起こらなかったことが不思議なくらいです」
「おいおいマリア、そう言っちゃそうだけどよ・・・」
「いえ、この間の一件を考えれば、何も起こってはいない、とは言えませんね」

 その冷たい目に、大神はさすがにたじろいた。
 別人とも思えるくらいのただならぬ迫力である。
 そして、言われるとつらい部分でもあった。
 大神一郎二十歳。性別男性。
 この環境で理性を保ち続けているのに、想像を絶する精神管理を要しているのも事実である。

「それでマリアさん、詰まるところ何をおっしゃりたいんですの」
「かつて、新しい隊長をあやめさんに求めたのは私です。 その私と直に勝負して、隊長が隊長であるにふさわしい実力と精神の持ち主であるか、判断させていただきたいのです。 いかがですか・・・、少尉・・・」

 全員の目が大神に集中する。
 アイリスは場の緊張感が怖くて、カンナの陰に隠れてちょこっとうかがっている。
 さくらは、何かをこらえるような目で、
 カンナは、どちらを見るか悩んでいる目で、
 すみれは、憂うような、考えるような目で、
 紅蘭は、疑惑と不安が混ざったような目で、
 あやめは、どうするのと尋ねるようなような目で、
 問いかけていた。
 考えようによっては、これは大神が狙っていた機会でもある。
 この帝劇を去るときのために。

「し、しかしよぉ、勝負っつっても、隊長は刀でマリアは銃が得意武器だぜ。無茶じゃないのか」

 賛成しかねる、という表情をありありと出して、カンナがもっともな反論をする。

「確かに、的当て勝負とも行きませんし、直にやるなら間合いの決定が勝負を分けてしまいますわね」

 すみれも、珍しくカンナに賛成してまで反対意見を述べる。

「いや・・・大神はんは士官学校で剣も射撃も一等やったんやろ。大神はんも銃でやればええんや」

 何か考えでもあるのか、紅蘭は二人とは正反対に、賛成意見を述べた。
 その言い方は、いつもの発明品を披露するときの口調と、同じように聞こえただろう。
 どこか違和感を覚えたのは大神だけだった。

「で、でも紅蘭。銃なんかでやったら峰打ちもできないでしょう・・・」
「そーだよ、危ないよ」
「ふふん、実はこんなこともあろうかと、着色弾を使った模擬戦セットを開発しておいたんや」
「こんなこともあろうかって、考えていましたの?」

 完全にいつもの口調になった紅蘭に、すみれが突っ込む。

「う・・・まあ・・・その、備えあれば憂い無しや・・・」

 引きつった顔のまま、とりあえずお茶を濁しておく。

 そんな仲間たちをもう一度見渡してから、

「わかった。それでいいよ」

 と、大神があっさりと承諾してしまったので、さすがにみんな驚いた。
 大神一人が、あまり深刻そうではない。

「マリアは、それで異存はないかい」
「ええ、結構です」

 一方でマリアは驚きもせずに淡々としていた。
 こうなってはあやめもため息をつくしかない。
 大神に賭けるしかないだろう。
 このところマリアは様子がおかしかったから、大神と真剣にぶつかればその悩みも晴れてくれるかも知れない、 といい方に考えておくことにした。

「それじゃあ、勝負は、明日午前九時から。夜の部までには終わるでしょう。帝劇全体が舞台ね」


*   *   *   *


「これをこうして・・・よし、ちゃんと水で落ちるわ」
「紅蘭、いくら何でも無茶じゃありませんこと?」

 自分の部屋で着色弾の顔料の点検を始めた紅蘭を、すみれとアイリスが心配になって見に来た。

「そーだよ、そのたま、危なくないの?」
「緩衝剤も仕込んであるからな。元は射的用のおもちゃを改造したものなんや。本来はこれ、逃げる空き巣とかに目印を付けるために開発してん」

 そう言ってから、紅蘭は二人の前で試し撃ちをしてみた。
 弾速は、二人が思っていたよりも速いが、衝撃はさほどでもないようだ。
 これなら目を直撃するのでもない限り、そう危険はないのだろう。
 おそらくは。

「でも、少尉が隊長にふさわしいかなんて、今更させなくてもよろしいでしょう」
「ウチも、それについては疑いとおないんやけどな・・・」

 紅蘭の言葉は歯切れが悪い。
 何か言いにくいことだ、とすみれは察したが、大神のことに関して自分が知らないで他人が知っている、というのは容認できなかった。

「何を知ってますの、紅蘭」

 静かな迫力があった。

「すみれぇ・・・・」

 アイリスが怖がるくらい。
 紅蘭は迷った。
 このことを言うべきか否か・・・。
 あまり、密告というのは好きではない性分なのだ。
 しかし、自分一人で抱えておくのはちょっとつらいと思い始めてきた頃だった。

 しゃああらへん。

「・・・大神はんな、夜中に出かけとることがあるんや」
「・・・!?」
「なにそれ」

 すみれは一瞬表情を堅くこわばらせたが、アイリスはきょとんとしている。

「ウチがたまたま倉庫の奥で作業してて、消灯時間が過ぎてもうたときにな、一階で人影が動いたように見えてん。
 怖くなったんで、大神はんに言いにいったらな、大神はん、夜中の十二時やって言うのに部屋におらんかったんや」

 行っていくうちに、紅蘭の口調はどんどん重くなる。

「お兄ちゃん、アイリスには早くねなさいって言うのに、自分はよふかししているんだ」

 アイリスが状況をよく飲み込めていないつぶやきを漏らしたので、ちょっとだけ紅蘭の口元が緩んだが、
 すみれは、紅蘭の言わんとしていることが読めた。
 読めてしまった。
 いっそ、アイリスがうらやましいと思う。

「その日だけ、たまたま支配人が何か言いつけた、という可能性もありますわ」
「ウチもそれは考えた。でもな、二回あってん」

 我ながら苦しい言い訳だ、と思いつつ言った言葉はあっさりと否定された。
 しばらく、続ける言葉がでてこなかったが、ややあって、

「アイリス、少尉のまねごとをしても仕方ありませんわ。今夜は早く寝ましょう」

 ころっと話題を変えて、すみれはアイリスの手を引っ張った。

「ちょ・・・ちょっと、すみれぇ・・・」

 部屋の扉を閉めるとき、すみれは一瞬紅蘭の方を見てうなずいた。
 紅蘭もうなずき返した。
 扉が閉まって、しばらく外で話し声が聞こえて、それから更にしばらくしてすみれが一人で戻ってきた。

「アイリスは、ちゃんと寝てくれたかいな」
「まあ、どちらにしろ、お子さまはもう眠る時間ですわ」

 お互い、少し疲れたように言う。
 交わした言葉に意味はない。
 ただ、沈黙がいやだっただけだ。
 アイリスに聞かせたくない話だったのだが、自分たちも話していて嬉しい話ではない。
 意識せずに、声を小さくして続けた。

「それで、そのあとは確かめましたの?」
「確かめとらん・・・」

 それはまあそうだろう。
 すみれにしても、一人でその事実を抱え込んだとして、追求しきる勇気が出せる自信はない。

「では、あやめさんにも?」
「・・・」

 紅蘭は黙ってうなずいた。
 誰かに相談したら、話が大きくなると思ったのだろう。
 出来れば、自分の中だけでしまっておいて、片づけばいい。
 そう思っていたのだ。

「だからな、マリアはんが話を出してくれたとき思うてん。もし万が一、万が一やで、 大神はんにやましいところがあったら、多分、マリアはんには勝たれへん。
 でも、大神はんがちょっと気が緩んで外出が多くなった程度やったら、大神はんの行動をちょいと戒めるええ薬で済むやろうと思ったんや」

 なるほど、それはそうかも知れない。
 確証も、何もない。
 しかし、信じたいというのは、すみれも同じだった。

「見せてもらいましょう。少尉を・・・・・・・・・・・」


*   *   *   *   *


 一方、作戦司令室にいるマリアを、カンナが見つけていた。
 ここには帝劇全体の構造図がある。
 いざとなれば、帝劇のかなりの部分をここから制御できるのだ。
 図を眺めているマリアの視線が、カンナにはどこかいつもと違うように見えた。

「なあ・・・マリア・・・本気で隊長と戦えるのか・・・」
「状況次第ね」

 その質問を予想していたかのように、即答が返ってきた。

「そりゃああたいも、いっぺんは隊長と本気で戦えたら、と思うけどよ、 それはあたいが武道やってるから思うんで、マリアには合わないと思うぜ」

 自分の心の中にある想いをうまく言葉に出来ないのか、時折考えながら言葉を紡ぐ。
 たとえ最近の素行がどうのこうのとあっても、大神という男はカンナが目指したいと思った二人目の男なのだ。
 普段は笑顔の向こうで見えないその強さ。
 決してひけらかすことはない、優しい強さ。
 それはカンナが目指し続けていた父の強さとは異質の、しかし、限りなく魅力的な強さだった。
 ただ、心のどこかで思っている。
 目指しているのか・・・・惹かれているのか・・・・・。
 その答えは、まだ見つかっていない。

「拳を交えて、初めて解ることもある」

 考えにふけっていたカンナを、その言葉が現実に引き戻した。
 マリアの口からでた言葉だと、顔を上げてから気づいた。

「違う・・・?」
「うーん・・・」

 マリアからそう言われるとは思わなかった。
 そう言われると納得せざるを得ないところがある。
 もっとも、今回は拳でなくて銃だが、西部劇という例もある。

「わかるわ・・・。隊長がふさわしいか否か・・・」

 カンナはその言葉に、またどこか違和感を覚えた。

「あたいは、どっちを応援したらいいんだ・・・」

 その問いに、マリアは答えなかった。


*   *   *   *   *   *


 大神も、自室で帝劇図とにらめっこしていた。
 陣中見舞いにお茶を持ってきたのはさくらである。

「大神さん。勝てますよね」

 マリアには悪いと思ったが、自分だけは大神の外出の理由を知っている。
 大神が隊長にふさわしいかどうかなど、微塵も疑う気がしなかった。
 これは大神としては「失敗したあ」という状態なのだがもう遅い。
 この状態から嫌われようとすると、考えるのもはばかられるような外道な行動をとらないといけないだろう。
 それは、自分の魂の奥底に賭けて出来ない話であった。

 とはいえ、この問いに関しては、

「勝てる保証はないよ」

 というのが正直なところだった。

「そんな・・・」
「事実だよ。正面から向かい合ってなら勝機はあるけど、今回は完全に遠距離戦が主体になる。 そして、止まった的に正確に当てられるのと、実戦で当てられるのは別なんだよ」

 射的のようにやる分には、大神はマリアとほぼ同じくらいの実力があるだろう。
 しかし、的が動いていて、かつ自分もかわさねばならないとなると、これは経験値によるところが大きい。
 もちろん大神は、実戦でも鍛えられている。
 その辺の兵士が十人程度束になってかかってきても、銃一つで勝てるだろう。
 それでも、幼い頃はロシアで革命の闘士として、アメリカに渡ってからは用心棒として、帝撃についてからは後衛の副隊長として、 常に銃に触れ続けてきたマリアとの差は歴然としているだろう。
 それを、大神自身が一番自覚していた。
 ただ、その割には大神の声には悲壮感がない。

「大神さん・・・」

 心配したらいいのか怒ったらいいのか解らなくなって、困り顔のまま大神の名前だけを呼んだ。

「うん・・・勝算が無い訳じゃないよ」

 ちょっとかわいそうになって、少し話題を明るくする。
 心の中では、思いっきり無様に負けてみるのもいいかも知れないかな、などと考えていたのだが、 さくらのこんな顔を見せられては、ちょっとそれは出来そうにない。

「帝劇の内部に関しては、俺は誰よりも詳しいからね」

 何のことを言っているのか解って、さくらは少しだけ笑うことが出来た。
 伊達に、雑用でこき使われていない、とばかりに大神はちょっと腕をまくってみせる。

「図を見ただけじゃ、書き込まれていない事実もある。それが俺の強みだよ」

 大神は地図を覚えようとしていたのではなく、何が書き込まれていないかを調べていたのだ。
 自分で修理した場所など、この帝劇にいくらでもある。
 この時代の最高の技術を結集して作られたはずの帝劇だが、何故か、可動するように作られているところが多く、そこに修理の余地がある。
 何故一枚壁でないのか不思議な場所が随所にあるのだ。

 何故だ・・・・?

 目前の戦いとは無関係に、大神はふと疑問に駆られた。
 これはまるで、帝劇をどこかに収納していることを考えているような・・・・・・。

「ん・・・?」

 ふと気づくと、さくらに手を取られていた。
 まっすぐな瞳がすぐ近くにある。

「さくらくん・・・?」
「・・・大神さん・・・大丈夫ですよね・・・」

 信じようとしている。
 そんな言い方だった。

「ちゃんと、私・・・たち、の大神さんでいてくれますよね」

 ぎりぎりで、「たち」という言葉を挟んでいたが、それがさくらの気持ちの正直なところなのかも知れない。

 大神のいない帝劇が考えられない。
 あの日、上野公園で出会うまではそうだったのに。
 今はそのときの帝劇を思い出すことすら出来そうにない。
 覚えている情景は、いつも大神とともにあった。

「・・・ああ、約束するよ」

 そう言ってくれた大神の顔がまた一つ、思い出の写真館に収められた。


*   *   *   *   *   *   *


 カチャ・・・

 一人になった部屋で、マリアの手がエンフィールド改をセットしていた。
 先ほど、消灯間近に紅蘭から届けられた模擬戦用ではない。
 その指先から時折、凍気ではなく、青い炎がゆらめく。

 火喰い鳥が、火に喰われていた。

 首を洗って待っていろ・・・・大神一郎・・・・・!

 マリアの口ではなく、その炎が、笑った。




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