早かったのね、という言葉を舌先で置き換えて、あやめは何食わぬ顔で司令室に入ってきた大神を迎えた。
「結局、さくらには知られてしまった訳ね」
「はい、俺が言い出しておきながら、このようなことになってしまって申し訳ございません」
花組に秘密にしておこうと言い出したのは自分である。
直接行動するのも自分なのだから、最も気をつけねばいけないはずだった。
「さくらには黙っておくようにと言っておいたのでしょう、なら大丈夫よ。信用してあげなさい。
それに、さくらに知ってもらって、ほっとしているのではなくて?」
「・・・・はい」
やっぱり、あやめにはかないそうもない。
正直、さくらが自分のやっていることを知ってくれて、嬉しいと思ってしまった。
それまでの寂しさが、癒されている自分がいた。
「それから、今日の会合で、大神くん、貴方の処遇についても話が出てね」
「!」
思わず身を乗り出す大神を、あやめは手を挙げて制した。
笑顔である。
「安心しなさい。帝都の、今起こっている騒動が鎮圧されるまでは、 降魔迎撃部隊の必要有りと言うことで、大神くんはしばらく現状維持が決定したわ」
それを聞いて、大神はほっと大きなため息をつきながら身体の力を抜いた。
そこへ、あやめはやや冷ややかに言葉をかけた。
「まだ、みんなに嫌われておくための時間が出来た、と思ってる?」
はっと、大神は顔を上げた。
その通りだったからだ。
「あの様子では、マリアにもずいぶんときついことを言ったようね」
ここ数日のマリアの落ち込みようは普通ではない。
マリアがそれだけの衝撃を受ける要因というとカンナか大神くらいしかいない。
カンナは、何が何だかわからないと言った様子だったので、ならば大神しか考えられなかった。
「大神くん・・・」
あやめの口調は、説教するときのものではなく、どこか問いかけるようなものだった。
「確かに、帝都の治安が元に戻れば、あなたは間違いなく陸海軍のどちらかに引っ張られるわ。それは否定しない・・・」
今日の状況では、どちらが引き抜くかまでは解らないが、どちらもかなりの執着を見せている。
騒乱終了後も大神がここに留まっていられると考えるのは、よほどの楽天家のすることだろう。
「今、あの子たちが、あなたと離れたらどれほどつらいか、どれほど苦しむか、私にもわかる」
そこで、あやめがふっと、ここでないどこかを見たような気がしたが、大神はそのこと指摘しようとは思わなかった。
「あなたのことを嫌いになれば、あなたを憎むようになれば、確かにその辛さを味わうことはなくなるわ。でも・・・」
あやめの視線が、真っ直ぐに大神に向けられる。
「私だったら、好きな人を嫌いになってしまう方が、それよりもずっと、ずっと・・・・、つらいわ」
大神は答えない。
しかし、その問いかけから目をそむけることもしなかった。
大神は、自分のやっている行動が最善でないことは自覚している。
嫌われようとしていることはともかく、彼女たちを舞台に専念させてやりたいというのは、完全に自分のわがままかも知れない。
ただ、大神はこの事件が起こり始めてからずっと、気にかかっていることがある。
それがもし正しかった場合・・・、予想されうる内の最悪のものだった場合、彼女たちをそれに関わらせたくないと言うのも、わがままになってしまうのだろうか。
このことは、あやめにすら言っていない。
憧れであるあやめにも、触れて欲しくはない。
彼女たちを、不幸にしたくはない。
その点では大神の意志は強固なものだ。
だが、幸福と不幸がなんであるか、結論を出せるようになるには彼はまだ若すぎた。
あやめにしても、大神より数歳上なだけである。
これが真実だと語れるほど、彼女は自分を過信してはいなかった。
だから、問いかけたのだ。
あなたは、これでいいのか、と。
だから、答えられなかったのだ。
自分は、これでいいのだ、とは。
しばらく、決闘でもするかのように視線をぶつけ合っていたが、ふっと、あやめの方が目を閉じた。
今のあやめには、大神を説得できる自信はない。
恐らく、それをわからせてやれるのは私ではないのだろう・・・。
「本日の結果を聞かせてくれるかしら」
ため息をそのまま声にしただけのように思えたが、一応言葉にはなった。
用意しておいた報告用紙に日付を書き込む。
大神もそれを見てようやく視線を収め、穏和な顔つきに戻る。
戦果を報告する方が遙かに気が楽という自分に、少し嫌気を覚えながらも。
「報告します。本日・・・」
と、いいかけたところで、時計を見て言い直す。
「昨日夜二十三時過ぎ、日比谷公園に身長二メートルの大型の魔物二体と交戦・・・」
二体と言うところで、あやめの表情が少し変わる。
「それらを消滅させた直後、巨大な火の玉の形をした魔物が出現しましたが、真宮寺さくら隊員と共に、これを撃破いたしました」
「巨大な、火の玉・・・?」
いぶかしみながらも、報告書を書く手が止まらないのはさすがである。
それにしても、不明な点が多い。
「大神くん、確か、魔物を引き寄せて戦っているんだったわよね。中型降魔が二体も引き寄せられてきたの?」
大神には未だに信じがたいが、あの魔物は中型でしかないらしい。
また、外骨格と翼を持つ一般的な魔物のことを、降魔というらしい。
それはともかく、
「いいえ、一体を網に仕掛けた直後、二体目は俺の意識の網の外からこちらをめがけてやって来ました。 それにこの二体は、互いに動きを調整して、同時に俺のところに姿を現しました」
今度こそ、明らかにあやめの表情が変わる。
降魔が連携して動いたということ、そして、
「大神くん、あなた、中型降魔二体を同時に一人で相手にしたの・・・」
「はい」
多対一の戦いというものは、半端ではない実力が要求される。
まして、生身での戦いだ。
あやめは十二分にこの青年の能力を評価しているつもりでいたのだが、それが不十分であったことを思い知らされた。
「戦っているときもその二体は、本能で動くというよりは、何かに縛られているようでした。
そして、その二体を倒して気を抜いた直後に襲ってきた火の玉のことを考えると・・・」
「そうね、それは明らかに自然発生した魔物ではないわ」
「やはり・・・。この一件、裏に首謀者がいるはずです」
これが結論です、と言わんばかりの口調で大神は言ったが、実はまだ札を伏せていた。
確証が取れないならば、あやめにも出来れば伝えたくはない。
彼女たちを遠ざけたかった理由。
もし、首謀者が、あいつならば・・・・・・・・。
「大神くんは、首謀者は誰だと思う?」
その心を見透かしたかのように、あやめが問いかけてきた。
内心冷や汗をかきながらも、あらかじめ用意していた「回答」を口にする。
「まず考えられるのは、大川晴明を初めとする黒之巣会支持者たちですが、奴らにこれほどの真似が出来るとは思えません」
黒之巣会総帥天海は生前・・・と言っても江戸時代の話ではなく、今年の九月に倒される前ということだが、
ラジオ放送を乗っ取って、全国に支持者を募っていたことがある。
その際に黒之巣会に共感してしまった若者らが、西洋文明の根絶と古き良き江戸の復興を叫んでの街頭宣伝活動を行ったりしているが、
今のところそれは、少々暴徒化する傾向の強い新興政治団体の域を出ていない。
彼らをまとめているのが、自らを天海の後継者と自称する大川晴明なる人物なのだが、大河原中佐の見たところでは、
下手な占い師などよりは強い霊力を持っているものの、天海の後継者を名乗るには全く力不足の感は否めないらしい。
これで黒之巣会残存組織がまとまっているのが不思議なくらいだとは、報告のときの彼の弁だ。
その点は、あやめも賛成だった。
「あと一人考えられるのは、黒之巣会死天王の一人、黒き叉丹・・・」
「叉丹・・・」
あやめはその名を口の中で確かめているように、ゆっくりとつぶやいた。
叉丹とは過去二回、会っているとも会っていないとも言える。
一度目は八月頃に、通信局を占拠されたときだ。
この時あやめは叉丹の仕掛けた幻影陣に捕らわれ、全く歯が立たなかった。
会話というか、挑発を交わし合ったが、直に姿を見たわけではない。
二度目は九月、六破星降魔陣発動の後、花組に罠をはって待っていたところへ翔鯨丸で駆けつけたときに姿を見ている。
大神たちは、上野公園での大神の初陣の際に剣を交えたと言うが、そのときは本気でなかったに違いない。
天海の居場所を探しているとき、奴は霊子力レーダーに、天海を上回る反応を見せている。
後で調べた結果、霊子力レーダーに異常はなかった。
しばらく考え込んでしまっていたのだろう。
大神が心配そうな表情でうかがっていたのに気がついて、気を取り直す。
「ありがとう、大神くん。これについては大河原中佐とまた協議するわ。今日のところはこれでいいから、もうおやすみなさい」
一度時計を見やってから、殺女は報告用紙をひとまず片づけた。
時針は午前二時に迫ろうとしていた。
大神もいい加減疲れていたので、その言葉に異論をはさむ気はしなかった。
あやめは、どうやら自分の用意した「回答」に目を向けてくれているようだし。
「それでは、あやめさんも早く休んで下さい」
最後は気がゆるんできたのか、あくびを噛み殺しながらの言葉だったようだが、これはとやかく言うまい。
ともかく、大神の足音が去り、一人になった司令室であやめは頭を押さえた。
「叉丹・・・・・・・・・・」
あのとき、あいつは、私の方を見た。
翔鯨丸の映像装置を見通すようにして、はっきりと・・・。
「あなたは・・・・誰・・・・?」
その声を聞く者はいなかった。
その場には、誰も。
しかし、銀髪の美貌にはっきりと刻まれた強固な意志を秘めるその瞳を見れば、決して亡霊とは思われないだろう。
そして同時に、全く別の意味で、男がこの世のものか疑ったことだろう。
その意志・・・、すなわち滅びを感じて。
だが今、男を見ている者はいない。
それは幸いだろう。
誰にとっても。
男は、ふと足を止める。
一カ所。少し離れてもう一カ所。
べっとりと、大地を蝕もうとする緑色の液体がその場にたまっていた。
水たまりと呼ぶのは適当ではない。断じて。
「フッ・・・」
ご苦労なことだ。
今のところ、大神一郎には生きていてもらった方が良い。
まだ、米田に最終手段を使われるわけにはいかないのだ。
準備が整うには、今すこし時がかかる。
まあ、死んだら死んだで、そのときには然るべき対処をすれば良いということでしかないのだが。
さて、
「人の意を受け、為すことも為せぬまま再び倒れたか・・・」
男の瞳に、微かに憐れみのようなものが浮かんだ。
ようなもの、だ。
見下すような視線と共にあっては、そう呼ぶしかない。
「今一度、黄泉がえれ・・・・」
密教の真言のような声が、男の唇から紡ぎ出される。
それとともに、男の指は梵字をいくつも中空に描いていく。
その軌跡は闇色となって形を為していった。
そして、真言がピタリと止まると、その梵字に垂直な平面を為すように、円と、正三角形が二つ・・・六芒星だ。
男の口から紡ぎ出される言葉は一転して、ラテン語を思わせるようなものにかわる。
よく響いた。
その言葉とともに、足下に広がる液体がさざ波立ち、やがて渦巻きながらゆっくりと宙へ浮かび上がる。
やがてそれは、どす黒い球体を為していった。
それが二つ。
だが、そこから少し離れたところで、塊をなす物もできていた。
男の顔にいぶかしむような表情が浮かんだが、次の瞬間、それは納得のそれにかわる。
球体を、獣の毛のような物が取りまいていたからだ。
「まあよい。二体より三体の方が良かろう」
自分に言ったのか、球体に言ったのかはともかく。
男の身体から、三つの球体に向かって妖力が注ぎ込まれた!
その球体たちは、徐々に、朧ながら人型をとっていく。
「さあ、最初の餌だ。食らってくるがいい・・・」
その声とともに、人型のものたちは公園中に散っていき、
・・・・しばらくして、少しばかり姿を鮮明にして戻ってきた。
満足ではないが、この段階としては及第点か。
育てる時間もまだあることなのだし。
「さて、いくぞ」
男の姿が闇に溶けるように消えていく。
三つの人型は、ゆっくりと地に沈んでいった。
あとには、完全な静寂だけが残されていた。