だが、シンデレラの魔法がもうじき解ける。
働きずくめの時間こそが魔法の時間というシンデレラも変かもしれないが、真宮寺さくらとはそういう娘であった。
しかしまだ、昼の公演が終わった時間である。
さすがにこの時間から厨房にいては、コックやウエイトレスたちに見つかってしまう。
最近食堂に入った茜という女の子は、三人娘とずいぶん仲がいいので、さくらは少し警戒していた。
由里に情報が流れたら、どんなことになるのか、想像するだに恐ろしい。
しかし、最終日なのだから、何かがしたかった。
幸い、自分の財布の中身にはまだ余裕がある。
いつもは自分の手作りだが、二人して外食というのもあこがれる十八の乙女であった。
大神は今どうしているのだろう。
モギリの仕事を終えて、客を送り出した後、事務室ででも働かされているのだろうか。
由里の前で大神を誘う勇気というか無謀さはさすがにない。
それでも、行ってしまうのだが。
しかし、
「大神さん?伝票整理を終わらせた後、どこに行ったのかしら」
「ポスターの張り替えをやってもらおうと思っていたのに・・・」
事務の仕事は終えてしまったようである。
それにしても、モギリの仕事が終わってからまだ一時間と経っていないのに。
大神の実務能力はどこまで鍛えられているのだろうか。
次に玄関に行ってみた。
椿が本日の売り上げの計算をしている。
「大神さんですか?切符をまとめて事務に行ってから見てませんよ」
これで大神のいそうな場所二つにはいないことになる。
そう。
いつも大神がいる場所は、自分たちよりも帝劇三人娘の方が近いのだということに思い至って、さくらは少し悲しかった。
気を取り直して、
あと、大神がいそうなところは・・・。
鍛錬室。
「よっ・・はっ!チェストォッ!」
カンナが一人でサンドバックを叩いていた。
考えてみれば大神は、昼間みんなにわかる時間には修行をしていない。
更衣室。
だれもいない。
誰かがいれば、大神は奥の扉に張り付いている可能性もあったのだが。
サロン。
「あら、さくらさん。少尉を見かけませんでした?」
すみれがいつもここでお茶を飲んでいるのが、ここをよく通る大神と話をするためでもあるということは、当の大神以外はだいたい知っている。
しかし、今日は会えていないらしい。
「いえ・・・見てません」
自分も探しているんです、とは言わないでおく。
サロンですみれと一緒にお茶を飲んだりしていなくてよかったと、心中胸をなで下ろしていた。
残念そうにため息をつくすみれに背を向けて、サロンの扉を閉めてから・・・。
考えてみれば、目の前が大神の部屋である。
思い切って、大神の部屋の戸を叩いてみた。
「大神さん、さくらですけど」
サロンのすみれに聞こえないように、少々小声であったにしても、大神になら聞こえるはずである。
しかし、返事がない。
あたりを見回してから、こっそりとノブに手をかける。
鍵は開いていた。
自分でも、よくこんな真似ができるとあきれながらも、大神を捜したいという意志の方が勝った。
「大神さん?」
そっと、戸を開けてみるが、いない。
ベッドの上も、もぬけのからであった。
あと探していないのは楽屋付近である。
これでいなければ、こんな時間から出かけているのだろうか・・・。
階段を下りて角を曲がったとき、ふと違和感を覚えた。
ここには、ほとんど使われたことのない宿直室がある。
なにしろ、大神が常任宿直をつとめているので、建築当時の思想とはまったくかけ離れて、ほとんど使用されていなかった。
几帳面なさくらは、この部屋もしっかり掃除しているが、いつもここの戸は閉めているはずである。
それが、かすかに開いていた。
隙間から中を覗いてみても、誰の姿も見かけられない。
しかし、どこか気にかかって、畳部屋になっている中に入ってみた。
「・・・大神さん・・・」
外からは死角になる壁際にもたれながら座り込んで、大神が眠っていた。
よくよく調べると、こっそりと靴もおいてあった。
大神が昼寝している姿を見るのは初めてかもしれない。
前に、疲れ切って倒れている姿を見たことはあったが、そのときは大神は屋根の上で倒れていた。
自分たち花組の前で、大神は極力弱さを見せないできたように思う。
連日連夜、帝劇の殺人的激務をこなし、その上帝都を巡回し、魔物を掃討している。
並の人間なら・・・、いや、大神でなければ当の昔に過労で死んでいるところだ。
その上に輪をかけて、今は朝、昼の食事はないに等しい。
その分この一週間、さくらは腕によりをかけて大神の夜食の弁当を作っていたが、やっぱり少し大神は痩せたように思う。
「風邪を引いてしまいますよ、大神さん・・・」
ふすまから毛布を引っぱり出して、そっと肩に掛けてあげる。
大神は、全然目を覚ます気配がない。
呼吸はかなりゆっくりしているから、狸寝入りではない。
完全に熟睡しているのだ。
なんとなくその場から立ち去り難くて、思い切って大神のすぐ横に座り込んだ。
大神の息づかいだけがゆっくりと時を刻んでいる不思議な空間。
花組の誰も知らない、自分しか知らない大神の寝顔が・・・すぐそばに。
「え?」
気がつくと、掛けた毛布のためか、それとも元々体勢が不安定だったのか、寝返りでもうったのか、大神がもたれかかってきていた。
ちょうど、大神の頭がさくらの肩に乗っかかる形になる。
「ちょ・・・、ちょっと、大神さん・・・」
小声で抗議めいた声を上げても、帰ってくるのは寝息だけだった。
考えてみれば、意識があるときに大神がこんな大胆なことをしてくれるはずもない。
その寝息と、自分の息が、溶け合いそうなくらい近い。
一応焦っては見たものの、考えてみれば何ら危険なことはないのだ。
いくら二人っきりとは言っても、大神は眠っているのだし、宿直室の戸は開いているのだから、大声を上げればすぐにわかる。
それを言うなら、いつもの大道具部屋の掃除の方が、誰も来れないようなところまで入っているのだから、ずっと危険だろう。
そこまで考えて、はた、と気づく。
危険って、何?
言わずもがな。
あ・・・あたし・・・・何を考えているの・・・・!!
羞恥で真っ赤になりながら、自分の頭を両手でこづく。
・・・なんてことをやったら、肩が動くのだから、大神の頭が落ちて当然である。
「あ、大神さん・・・!」
ゆっくりとさくらの方に倒れ込むように肩から落ちていく大神の頭を、あわてながらも何とか胸に抱え込んで落下を止めることに成功した。
「はあ・・・・・・・」
一安心して、それから現在の自分の状況を確認する。
倒れ込んできた大神の頭を受け止めて、抱え込んでいる。
・・・・・・・・どこに?
自問自答してみて、ようやく自分が何をしているのか思い至った。
「き・・・・・・・」
きゃああああああ、と叫び声を上げそうになったのを、ぎりぎりのところでこらえる。
今、この状況で大神が目を覚ましたら、どんなにはしたない女だと思われてしまうだろうか。
あばずれ、淫婦、色情狂、等々・・・。
そんな言葉を大神の口から告げられた日には、首をくくってしまいたくなるだろう。
とにかく、この状況をどうにかしないといけない。
そうっと、腕の力を抜きながら、ゆっくりと大神の頭をおろしていく。
ちょうど正座している膝の上・・・、というよりはやや身体に近いところを枕にする形で大神が横になった。
これぐらいなら・・・いい・・わよね・・・。
膝枕と言うには少し位置が近い気がするが、ともかく枕になりながら、もう一度毛布をかけ直して、大神の髪にそっと触れてみる。
なんだか、自分でも信じられないくらい大胆だった。
逆立っている髪なのに、触ってみると意外にさらさらしている。
袴や小袖に突き刺さっているようにも思えたが、よく見るとふわりと曲がっていた。
少しだけ上体をのばして、大神の寝顔をのぞき込んで見る。
顔の右半分くらいが、さくらの足の間にできた谷の上で、よれた赤い袴の波に埋もれているのが、妙になまめかしいというか。
しかし、どこかあどけないようにも見えるのが不思議だった。
大人っぽい大神と、子供っぽい大神。
どちらも、本当なのだろう。
さくらは、どの大神も好きだった。
たくましくて、
優しくて、
真面目で、
愉快で、
物知りで、
するどくて、
鈍感で、
硬派で、
浮気者で、
それから・・・、
最後に、くすりと笑いながら付け加える。
ほんのちょっとだけ、助平で。
そりゃあ、あんまりひどいときは、怒ったりもする。
やきもちを焼いたりもする。
でも本当は、いろいろな顔を見せてくれる、大神のすべてが好きだった。
面と向かって、口でなんか言えはしない。
でも、今はこうして、その気持ちいっぱいでいたい。
そして出来れば大神には、戦いのことを忘れて、こうして休んでいて欲しい。
早くこの戦いが、大神が一人で背負っている戦いが終わって欲しい。
もうこれ以上、傷つかないで欲しい・・・。
だが、
身体の奥から、熱いものがあふれ出してくる。
「ん・・・っ」
わかっている。
心のどこかで、解ってはいる。
帝都に戦いがあるから、大神はここにいられるのだと。
戦いが終わったとき、大神はもう、ここにはいられない。
帝劇の、あたしたちの大神さんではいられない・・・。
絶望的な思いに駆られながら、大神の頬に触れてみる。
そのぬくもりが、今ここにあることを肯定してくれることが、さくらの慰めであった。
どれくらい、そうしていただろう。
気がつけば、窓からうかがえる外が、夕焼け色に染まって、さらに紫に変わって、夜の帳が降り始めた頃。
大神の呼吸が少し速くなったかと思うと、うっすらとその目が開いた。
「・・・あれ・・・・・さくら・・くん・・・」
横になっていた身体を、少し回転させて、仰向けになりながら、大神はぼうっとした様子でつぶやいた。
「俺、宿直室で少し休んでいたはずじゃあ・・・」
なんどか瞬きをしながら、まだ半ば夢心地のようだ。
「ええ、宿直室ですよ。すっごくよくお休みでしたよ」
自分の胸が小さいおかげで、大神の顔をしっかり見ることが出来て、喜んで良いのか悲しんで良いのか。
「そうか・・・、・・・?」
そこで大神は、自分が枕にしているものが何か、手を曲げて触れてみた。
さわ・・・。
なんだか、柔らかい、あたたかい・・・そこで大神の顔色が盛大に変わった。
「ご・・・・、ごめ・・・!」
「いいです、大神さん」
謝りながらあわてて飛び起きようとした大神の身体をそっと押さえる。
まだ身体に力が入っていないのか、大神の身体はさしたる抵抗も出来ずに元の場所に戻った。
大神は、本当に熟睡しなければならないほど、疲れていたのだ。
「そうか・・・」
なんだか、すごく申し訳なさそうな顔で大神がつぶやく。
「さくらくんが、守っていてくれたのか・・・」
さくらは気づいていなかったが、大神は帝劇の番人として、常にこの帝劇の霊的防御の一端を担い、外的な圧力に触れていた。
その圧力から、一時的にせよさくらが守ってくれていたから、大神は本当に自分の体を休めることが出来たのだ。
「ごめん・・・、こんなことさせて・・・」
「だから・・気になさらないでください・・・」
自分も、嬉しかったから、とは言葉に続けられなかったが、大神は解ってくれただろうか。
「でも、気持ちは嬉しいんだけど・・・、そろそろ出かける前の仕事をしなきゃ・・・」
「あ・・・、お弁当・・・」
今から作っていたのでは、大したものが用意できない。
外食に行こうと思っていたが、今からでは遅いし。
どうしよう、と困り果てているさくらに、大神がこれまた申し訳なさそうに言い出す。
「さくらくん、おにぎり作ってくれないかな・・・」
そういえば、お弁当にごはんをつめていても、おにぎりという形では作ったことがなかった。
「・・・はい。わかりました」
申し出に異論があるはずもなく、さくらはにこりと答えた。
そして、お互い名残惜しい表情を交わしてから、大神はゆっくりと起きあがった。
お互いに、ぬくもりを残して。
一端離れてしまうと、ちょっと恥ずかしくなって、今度は顔を合わせられなくなってしまった。
そっぽを向きながら、どちらからともなく部屋を出て、地下司令室に向かう大神と別れて厨房に向かう。
幸い、ご飯はまだ残っていた。
使った印を、記録帳に書き込んでから、さくらはおにぎりをつくった。
にぎるときに、出来うる限りの想いを込めて。
持っていこうかとも思ったが、何だか、顔をあわせづらい。
その場に置いておくことにした。
今度ははっきりと、大神さんへ、と書き残して。
夜、出かけていく大神を、さくらはテラスの上から見送った。
今夜もちゃんと、無事に帰ってきてください・・・・。
彼女の憧れる街の光が、愛する人を守ってくれるようにと、さくらは祈った。