昼の間、半ば死んだようにぐてーとなっていたので、自分は今、部屋に転がって寝ている、と考えてくれると有り難いのだが。
隊員たちと顔を合わせないように、見回りの代わりに霊力を帝劇中に張り巡らせて戸締まりの点検もした。
少々力を使ったが、これはさすがにやむを得まい。
自分が一人で戦っているということを知られてしまっては、大神の計画は灰燼に帰すのだ。
嫌われたまま、帝劇を去るという計画が。
特に、こちらを追いかけてくる視線は無い。
こちらを補足している術なども感じない。
よし。
目指すは日比谷公園。
帝劇からさほど遠くなく、体力を使わずに済む一方、夜間はほとんど人がいなくなる。
宿無しの者たちが何人か寝泊まりしているだろうが、一時的に退去してもらうしかない。
江戸の頃と違って、今この帝都に、人の全くいない場所というものはないのだ。
魔物と人間が遭遇するのも、魔物が人間を襲うのも当たり前なのかも知れない。
一瞬頭に浮かんだ考えを、首を横に振って無理矢理消し去った。
今は、戦いに集中しなければ。
悩んでいるうちに、日比谷公園に着いた。
いくらか灯りがあるが、木々も多く、一歩中に入れば外からはほとんど見えない。
六破星降魔陣の時には、ミロクが花組を抑えている間に、叉丹か誰かが悠々とここに楔を打ち込んだ。
これでは、仮に花組が動けても阻止できたかどうか・・・。
しかし、今はそれが幸いである。
あたりを探ってみると、やはりいくらかは人の気配がある。
「済みません。しばらくこの場を使わせていただきます」
ちょっとした広場に出て、その場に直立し、呼吸を整える。
「狼虎滅却・・・・、峻嶺己叫・・・・!」
大きく息を吸い込み、そして、「声」を放った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・!!」
耳を振るわせる音ではない。
しかし、高き山の頂より縄張りを示す狼の咆吼のごときその声は、生けるもの全ての頭の中に直接響き渡った。
むろん、効果範囲は公園内部のみである。
周囲にあった気配は、慌てて公園の外に逃げていった。
手荒だが、仕方がない。
事情を説明してどいてもらうわけにもいかないのだから。
そして、この場にいたら、もっと困ることになる。
大神は、それでも申し訳なさそうに、逃げていった気配へ向けて頭を下げる。
ともかく、これでお膳立ては整った。
ゆっくりと二刀を抜き、そして、帝都中へ向けて霊力の網を張り巡らせる。
待つことしばし。
かかった!
意識にかかった大きな妖気に対して、強烈に引きをかける。
海軍士官学校時代に、体験的に漁の訓練があったが、もう少ししっかり修めておくべきだったと少し後悔した。
これがなかなか、骨が折れる。
小型のものも二体かかった感覚があったが、これは振り払った。
今日の狙いはこの一体。
かかった魔物は、大神の引きに最初抗しようとしていたが、大神の霊力を察知したのか、やがて自分からこちらへと近づいてきた。
念のため、引っかけた意識は外さずに置く。
感じた妖気を考えると、倒して倒せない相手では無さそうだ。
接近してくる魔物に対して、大神が臨戦的な構えに入ったとき、
大神はもう一体、遠くから大きな妖気が近づいてくるのを感じた。
二体目・・・!しかも、こちらの網の外からだと・・・!?
その二体目は、大神に引き寄せられたわけでもないのに、まっすぐこちらへ向かってきている。
あまりにも不自然だ。
だが、事実であった。
二体目が到着する前に、一体目を瞬殺・・・。できるか・・・!?
頭の中で作戦を立て直そうとしたとき、さらに大神の予想を裏切ることが起こった。
一体目の魔物が、こちらの引きに再び抵抗し始めたのである。
まさか・・・、この二体は連携しているのか・・・。
言葉も無しに、である。
このままでは、二体の大型の魔物を同時に相手にすることになる。
どうすれば・・・・!
考える時間は、もはや無かった。
「ギイィ」
「グエェ」
その二体は、大神に対して確かに笑ったように見えた。
しかし、なんと退廃的で、唾棄すべき笑顔だろうか。
どす黒い紫色の。醜悪な形の外骨格と翼を持った、普通の人間より少し大きい魔物だった。
小型の魔物の中に同系列のモノがいたので、おそらくは直接攻撃を得意とする魔物だろう。
それでも、体液は強い腐食性のはずだ。
空中に浮かんでいる魔物の唾液が地面に落ちて白煙を上げている。
そして、そう、その大きさで魔物達は宙に浮いていた。
上をとられるというのは、戦闘において圧倒的不利を意味する。
しかも、この高度では刀が届かない。
まずは、地面にたたき落とすまで・・・!
ヒュンッ!
二刀で幾重にも虚空を切り裂いていく。
「狼虎滅却、空裂爪旋!」
空気が細かい渦をなし、その渦に触れた魔物の身体に爪で引き裂いたような傷を付けていく。
堅い外骨格に阻まれて、本体にはほとんど影響がないが、薄い皮膜で出来た翼は話が別だった。
たちまち高度が維持できなくなって、よたよたと降りてくる。
その高度が、自分の身長の三倍ほどまで低くなったところで、大神は地を蹴って飛び上がった。
左の刀を思いっきりのばして、魔物の一体の足に突き刺すと、それを振り下ろす反動で、身体を魔物より上に持っていった。
「落ちろっ!」
振りかぶった右の刀で、その魔物の左の翼の付け根を切り裂いた。
しかし、その間にもう一体の魔物が爪を振るって大神を背後から襲った。
「ギイイイッッ!」
「くっ!」
空中であるので、避けきれない。
身体を微かにひねって、その攻撃を腰に差したままの鞘を盾にして受け止めた。
しかし、切り傷こそ受けなかったものの、その一撃には生半可ではない力がかかっていた。
70キロ近い大神の身体が大きく跳ね飛ばされる。
さすがに足から着地は出来ず、かろうじて受け身をとったが地面に転がるのは避けられなかった。
「ぐっ・・・」
状況を確認する。
翼を切り裂いた一体は、自分と同じように地面に転がったままだったが、自分を跳ね飛ばした方の魔物はまだ多少の機能は果たせる翼で滑空して、
大神めがけて落下してきた。
圧倒的に不利な体勢。
しかし、もう一体の魔物はまだ倒れている。それならば。
一瞬、横目で確認すると、左手の小太刀を逆手に持ち替えた。
一閃!
投げつけた小太刀は、狙い違わず突進してくる魔物の翼を大きく貫いてその背後の地面に突き刺さる。
飛行能力を突如奪われた魔物は失速して、大神に届く前に地面に激突した。
これで二体とも同じ地面にたたき落とせた。
勝負はこれからだ。
まずは刀を拾わねば、一刀で二体を相手にするのはかなり厳しい。
だが、立ち上がったとき、
「ギィィッ!」
早いっ!?
先に地面に這わせた魔物が、さっきまで倒れていたはずが、すぐ横に迫ってきていた。
はめられた・・・!
訳もなく、そう思った。
しかも刀を持っていない方の側だ。
受け流せない。
完全に不覚であった。
ズバアッ
「くっ・・・・!」
少々厚手の服を選んで着てきたのだが、魔物の爪の前には紙にも等しかった。
見切れきれずに、脇腹から血が溢れてくる。
その間に、さっき地面に転がした方がもう向かってきた。
魔物の耐久力に舌を巻くと同時に、罠にはめられたとの確信を強めた。
先ほどは、大神を油断させるために、わざと長時間転がっていたのだ。
しかし、魔物にそんな知能があるのだろうか。
ここまで片づけてきた魔物は、戦闘技術は恐るべきものだったが、戦術と呼べるような知能を見せたものはいない。
どこかに、この二体を操っている者がいる・・・!?
大神は、ふとそんな気がした。
だが、今はこの場だ。
顔面を狙ってきた一撃を、文字通り「髪」一重の差で辛くもかわす。
せっかく伸びてきた髪の毛が、また変な風に刈られてしまった。
「・・・許さん・・・!」
思いっきり私情で、そう叫んだ。
しかし、これは予想以上に厳しい。
霊子甲冑を着用していない今、魔物の攻撃の直撃を食らえば一撃昇天もあり得る。
魔物の恐るべき膂力は既に体験済みであった。
そして、一刀で二体の魔物の攻撃を受け流すことは不可能に近い。
しかも、二体は明確に大神を挟み撃ちにしようとする場所をねらって動いている。
これでは仮に一体に攻撃を仕掛ければ、必殺技でなくてもその隙に大神は殺される。
防戦一方になった。
ギリギリの所でかわしてはいるが、出血している今の状態で長引けばいずれ終わる。
ここは・・・、
「三十六計逃げるにしかず!」
故事成語などを連想すると、士官学校時代の友人のことを思い出すが、それはさておき。
逃げるのも戦術の一つ。
とにかく状況を変えねばならない。
手近な茂みに飛び込んで、気配を消しながら木々の中を走る。
いくら魔物は夜目が効くといっても、木立まで見渡せるはずはない。
そして、海軍のエリートとはいえ、大神は元々栃木出身である。
木々の中の活動は、小さいころから慣れていた。
少し距離をとったところで、先ほど受けた傷の応急処置をしておく。
魔物の爪に毒のような物が仕込まれていても何ら不思議ではない。
とはいえ、解毒剤などあるはずもないので、霊力を波動にして傷口に当てて消毒代わりにし、
念のため持ってきていた包帯を巻いておく。
出血はこれで止まった。
動きに支障があるほどの出血になる前に止められてよかったと思う。
さて、次だ。
後を追いかけてきてくれれば一体ずつ相手に出来たのだが、
魔物達は大神のもう一つの小太刀が突き刺さったところから一定の範囲内をうろうろしているようだ。
その動きを感じて大神は、鎖につながれた犬のような印象を受けた。
魔物は自由に動きたがっている。
しかし、何かがそれを止めているようだった。
もう少し、近くまで戻って隙を見せるのを待つしかないのか・・・。
視認できる範囲のギリギリ外で気配を探るが、二体はほぼ一定の間隔をとり続けている。
同時には斬りつけられない。しかし、一体に斬りかかれば、二体目の攻撃を受ける絶妙の間隔だった。
どうする・・・。
しばし悩んでみる。
気配は完全に消してある。さらにこちらはかすかだが風下だ。臭いで探ることもできないだろう。
それが、油断となった。
ぐーーーー。
大神は、一瞬何の音かわからなかった。
しかし、何のことはない。空きっ腹が音を上げただけである。
小さな音だが、静かな公園内でこの距離なら。
「ギイ」
魔物が二体ともこちらに気づいた。
しまったあ・・・。
盛大に後悔するももう遅い。
二体はまさに鎖から解き放たれた獣となって、大神に肉薄する。
だが、そのとき、二体は極めて近い間隔で直線に並んだ。。
一点を目指そうとして、なおかつ最初にとっていた間隔から偶然そうなったのだが。
一体目を切り伏せても、その後ろの二体目の攻撃を受ける。
大神の攻撃特性を考えればそうなるはずだった。
しかし、大神とて技を一つしか持っていないわけではない。
快刀乱麻は霊子甲冑でも繰り出しやすいからあれを多用しているだけである。
右の小太刀に左の手を添える。その間に青白い火花が走った。
そのまま、小太刀をやや刺し気味に振るう。
「狼虎滅却・・・、絶空光閃・・・!!」
バリバリバリバリッッ!
一体目の胴体に、火花と共に突き刺さった小太刀は鍔もとまで食い込み、先端は魔物の身体を突き通した。
その先端から、細く収練された雷光が駆ける。
計算通り、その雷光は二体目を直撃した。
『ギエエエエエッッ』
二体の魔物の絶叫が公園中に響き渡った。
小太刀に貫かれた一体が、体液を四散させながら消滅し、もう一体は・・・。
「!!」
「ギエエエッ!」
まだ動いていた!
最後の力を振り絞って、大神に噛みつこうとする。
必殺技の直後で虚脱状態の大神は避けきれなかった。
人間の食欲を具現化させたような巨大な口がぱっくりと開く。
このままでは、左肩を食われる・・・!
食われる・・・?
その言葉が、突如として空腹感を呼び起こし、その空腹感がもう一度大神の体を動かした。
「餌になんか、なってたまるかああああああっっっ!」
どこか悲愴めいた叫びと共に、食いかかってきた魔物の口へ、小太刀を突き込んだ。
「ギャアアアッ!」
まともな生物なら脳幹に相当する場所である。
いかな魔物でも、今度こそ消滅した。
「ハア・・・ハア・・・」
さすがに、立っていられない。膝をついて、呼吸を整える。
このまま眠ってしまいたい気分だった。
眠れば少なくとも空腹は感じまい。
そんなことを考えたときだ。
「大神さん!危ないっ!」
何故だとか、どうしてここにとか、一体何がとか、そう言った理屈を全て抜きにして、
その声に後押しされるように身体がバッと動いた。
そのすぐ横を青白い炎がなめていった。
食らわなかったものの、左かがから背中にかけての服が一瞬で燃え尽きる。
炎の着弾点では爆発が起こり、大神はかすかに地面を転がったが、これはすぐに体勢を立て直し、炎の発射された方向に向き直る。
「なんだ・・・?こいつは・・・」
どこから現れたのか、中に青白い火球が浮かんでいた。
周囲が陽炎のように揺らめいている。
先ほどの炎を放ったのはどうやらこいつらしい。かなりの高温だ。
それを感じ取ると、先ほど声が発せられた方向を確認する。
声を聞いた瞬間にさくらだということは解ったが、振り向いてみると、包みのような物を両手に抱えていて、帯剣していないさくらの姿が左後方やや離れたところに確認できた。
「さくらくん!早くここから逃げるんだ!」
霊剣荒鷹があるならいざ知らず、素手では火球と戦えるわけがない。
大神は瞬時にそう判断して叫んだのだが、それはわずかに遅かった。
ボッ
火球から、それと同じくらいの大きさの火の玉が生まれ、さくらめがけて放たれた。
「さくらくん!」
大神はとっさに霊力を振り絞ってさくらへ向けて放つ。
霊子甲冑がある時は絶大な防御効果をもつ霊子防御術だが、生身で、しかも疲れ切った身では完全には発動しなかった。
さくらの身体を取りまいた光は、いつもとは比べ物にならないくらい弱い。
それでも、さくらとてむざむざと食らいはしない。
身体をひねって、何とか直撃はかわしたが、しかし火の玉は直後に地面に着弾して爆発を起こした。
「んっ・・・・!」
その瞬間、吹き飛ばされそうになりながらも、さくらは包みをしっかりと抱えて離さなかった。
自分の思いを詰め込んだ包みを。
二撃目を放とうとする火球へ向かって、大神は飛びかかっていた。
防御が絶対でないなら、攻撃するまでである。
自分のどこにこれだけの力が残っていたのかと、疑問に思わないでもなかったが、深く追求はしなかった。
考えている余裕もなかったし、心の奥底で、多分、理由は解っていたから。
火球の動きは予想外に素早く、大神の最初の刃はかわされたが、それは刀が通じるという可能性をある程度肯定していた。
もちろん大神は、「そう思わせる」という罠の可能性も否定しなかったが。
さくらから出来るだけ遠ざけようとするが、火球はなかなかそれをさせてくれない。
火の玉を何度もさくらの方へ向かって放つので、大神はそれを食い止めるので精一杯だった。
背中にさくらの気配はまだしっかりしている。
しかし、あの爆発でだ。怪我をしている可能性が大きい。事実、さくらはしばらく動いていないようだ。
早く手当してやりたいが、火球は予想以上に手強かった。
幾度も火の玉を受け流しつつ、大神は物体のような火球から、確かに感情らしい物を読みとっていた。
憎しみ。
発する熱波以上に、それを肌で感じていた。
しかし・・・、これはどこかで感じた気もする。
この気配は・・・・。
あまり考える時間はなかった。
火球の攻撃は間断なく、必殺技を仕掛ける隙を与えてくれない。
一進一退だが、決め手に欠ける今の状況が続けば、既に焦燥しきっている大神の体力が先に尽きることは明白だった。
まずい・・・。
まずい・・・・っ!
立て続く攻撃に、全てを防ぎきれなくなってきた。
火球の周囲の高温も、それに追い打ちをかける。
「くっ!」
ついに、耐えきれずに片膝をついてしまった。
この気を逃すものかと、火球はこれまでで最大の火の玉を作り出していく。
まずいっ・・・!!
そう思ったときだ。
大神さん・・・・・・・・・!!
頭の中に響いた声に、はっと顔を向けると、いつの間に動いたのか、火球の右後方にさくらが立っていた。
左手にしっかりと包みを抱えながらも、左手には刀を持っていた。
それは、大神が放ったままだったもう一振りの小太刀だった。
そして、その構えは!
さくらの意を察し、大神は全身の霊力を練り上げる。
そして、やや体勢が傾いているものの、決して、揺らぐことがないその動きから、
「破邪剣征・・・、桜花放神!!」
久しぶりに見た気がする、桜色の一閃。
狙い違わず、弾を発射しようとする直前の火球を捕らえた。
火球が揺らぎ、その動きが一瞬、完全に止まる。
今だ・・・っ!
桜花放神によって陽炎が消し飛ばされ、火球の中心が初めてはっきりと見えた。
あれは・・・、獣の尾か・・・?
ともかく、全身をバネにして、二十メートル近い間を一跳びで詰めた。
「狼虎滅却、凄牙一閃!!」
壮絶な風を伴った小太刀の一突きが、取りまく炎を散々に引き裂きつつ、核となる物体を貫き通し、
次の瞬間、木っ端微塵に砕いた。
証拠となりそうな物体を粉々にしてしまったが、今の大神にはどうでも良かった。
自分の脇を吹き抜けていく炎の残りカスを気楽に眺めながら、地面に胴体着陸して、気絶した。
炎は、悲鳴一つ上げず消えた。
しかし、そこからずっと離れた場所で、叫びを上げた者がいた。
「お、おのれ・・・・・・・大神・・・一郎・・・・・」
その声が持っていた憎しみは、火球が放っていた物と同じだった。