もみじ小戦・第三話
「徘徊する獣」後編


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 時間は過ぎていく。
 たとえ心を止めようとしていても、自分の周りを吹き抜けていく時間まで止められるわけではない。
 今日もまた、一日が終わろうとしている。
 精神状態があまりにひどいので、今日はマリアに舞台は手伝わなくていいと言われ、 一日中ほとんど動かずにこうして寝台の上にいた。

 窓の外でカラスが鳴く声を聞いて、さくらはすこし身じろぎした。
 時計は午後五時半。

「大神さん、お腹空かしてるのかな・・・」

 打ちのめされても、やはり考えずにはいられない。
 想像した大神の顔が坊主頭のそれだったので、さくらはふっと息をもらした。
 いつもなら、微笑みになるところだろう。
 だが、かすかに唇を動かせただけだった。


*    *    *

「またおこし下さい・・・」

 最後の客を送り終えて、大神は簡易椅子に座り込んだ。
 もう少しで倒れ込んだと表現した方が適切なくらいであったが。

「何や、髪の毛が回復してきたっつーのに、大神はん元気ないなあ」
「やっぱり、お食事抜きはきついと思いますよ」

 丸坊主になってから六日。
 大神の顔には生気がなく、今日は一日、目とハサミしか動かしていなかったような気がする。
 一番近くでずっと大神を眺めている椿にしてみれば気が気ではない。
 見かねてお煎餅をあげると、あっという間に食べてしまう。

「お客さんも心配していらっしゃったし、どうにかできませんかね」
「でも、理由が理由だからなあ」

 食堂で飯を食べ終えたカンナが、椿と紅蘭の会話に入ってきた。
 食った食ったと言わんばかりのオーラを漂わせているカンナが来ても、大神はまるで動く様子もない。

「まあ、これもお仕置きの一環やからなあ。あれから大神はん近づこうとせえへんし」

 花組隊員の部屋付近への立ち入り禁止令は、大神の反省の色を考慮して昨日解かれたのだが、大神が隊員の部屋の戸を叩くことはまだ無い。

「でも、このままじゃ大神さん餓死しちゃいませんか?今だって全然動いていないし、さっきだって・・・」

 それを恐れているから、椿はよく大神に煎餅をあげているのだが。
 煎餅を受け取ったときの食べっぷりは、食事と言うより餌と呼んだ方がいいかも知れない。
 椿にしてみれば、実家の高村煎餅店のお煎餅を、もう少し味わって食べて欲しいとも思う。

「大丈夫だろ。隊長は餓死したりなんかしねえよ」
「そうかなあ。うちも半分本気で心配しとるんやけど」
「あれが餓死寸前の人間の放つ気かよ」

 カンナの言葉に、微かに恐怖がこもっているのを感じて、二人は絶句した。
 カンナが恐怖を覚えているとはどういうことなのか。

「隊長のあの様子は、まあ確かに腹が減っていることもあるだろうけど、それよりも疲労の方が大きい感じがするぜ。 本当に死ぬほど飢えていたら、人間、理性的な行動なんかできねえよ。今日だってちゃんと仕事はしてたんだろ。隊長は」
「なんや、カンナはん経験あるみたいやな」
「まあ、あたいも修行中に食料が尽きることは何度もあったし、断食修行もやったさ。 ただ、やっぱり身体にいいもんじゃねえんだ。せっかく身に付いた筋肉が衰えちまう」

 そう言ってカンナは自分の腕をバシンと叩く。
 それらの経験から、食事を基本とするカンナの哲学が出来ていることは間違いない。
 それにしても、いつもながらカンナの体験は常識はずれで驚かされる。

「で、いまの大神はんは、カンナはんにはどう見えるんや」

 今の話は、カンナの言葉の説明にはなっていても、カンナの口調の説明にはなっていない。
 カンナはしばらく躊躇ってから、重く口を開いた。

「どこか・・・、隊長から闘気を感じるんだ。理性を失った者の放つ殺気じゃない。そうだな・・・、鞘に収まったまま研ぎ抜かれている真剣を見ているような気がするんだ」

 その言葉を聞いてから、二人は改めて大神を見つめる。
 二人はカンナほど闘気に鋭敏ではないが、確かに放たれるような空気を感じてしまった。



 その大神だが、少し離れたところで三人が感じている恐怖など、実は本人は全く気づいていなかった。
 大神が考えていたことは、今晩のために余力を残しておこうということだけだった。
 どういうことかと言うと、今日は早朝からあやめは軍との折衝に出かけていて、今晩は夜食にありつけないのである。
 体内の栄養分を少しでも節約するように、身体を半分眠らせているのだ。

 ここ数日で大神は十体以上の魔物を倒していた。
 しかし倒したのはいずれも小動物くらいの大きさの魔物だけで、何度か目撃例がある人間大の大きさの魔物には遭遇できないでいた。
 その大型の(米田は中型と言っていたが)魔物によって昨晩犠牲者が出たとの報告を今朝米田から聞かされて、大神は今晩作戦を変えてその魔物を目標に討つことにしたのだ。
 大河原からの情報をまとめると、その魔物は二年前の華撃団結成直後にマリア、カンナ、アイリスが三人がかりで倒した魔物とほぼ同格であるようだ。
 今の自分なら、一対一でも倒せると大神は判断した。
 これ以上の犠牲者を出すわけには行かない。
 あとは余力を残すのみ。
 かくて大神はその場に座り続けていた。
 ただ一つ、悩みを抱えて。

「今晩、食事抜きかあ・・・」

 横で見ている三人がこの言葉を聞いたら盛大にずっこけたことだろう。


*    *    *    *

 さてあやめであるが、彼女の目の前には贅を尽くした料理の数々が並んでいた。
 ここは料亭むらさめ。
 軍関係者がお忍びで来ることも多い店だが、今回は半ば公式の会合である。
 米田は政府関係者との会合に出ているので、ここにはいない。
 日露戦争の英雄の名が、軍内部よりも政府に効果のあることを見越してである。
 そして、男所帯の軍には、女の自分が応対した方が効率的であることも計算の内であった。

 なんだか、男を弄ぶ悪女みたいね。

 どこか、自分の中に悪魔めいた自分がいるような気がして、あやめは心の中でこっそり苦笑した。
 しかし、実際の所やっかいな話である。

 先の黒之巣会との戦いで総帥天海を討ち取ったことで、帝国華撃団不要論が軍と政府の両方でにわかに持ち上がってきたのである。
 理由を挙げればきりがないが、その中の最大のものは、やはり金であろう。
 帝国華撃団が使っている金の量は半端なものではない。
 劇場収入が極めて堅調であるにもかかわらず、財界からの援助を含めてもほとんど黒字が出ないのだ。
 霊子甲冑を始めとする、世界最高峰の技術を維持するのはそれだけ大変なのである。
 そのあたりのしわ寄せが、大神の給料袋などに反映されているのだが、それはさておき。

 最大の驚異であった黒之巣会が、人間の支持者による残党活動へと移った今、金のかかる帝撃を廃止すべきだというのは、 傍目にはもっともな理論に映る。
 それにかこつけて、女性中心の華撃団にお株を奪われたと感じる一部の軍将校が話をあおったというのがこの会合の主な顛末であった。

 そしてもう一つ、重要な話題があった。
 元帝国海軍少尉にして、現帝国華撃団花組隊長大神一郎の処遇についてである。
 江田島士官学校始まって以来の成績で卒業したエリート中のエリートを、いつまでも帝国華撃団に渡しておくことを嫌う雰囲気が海軍にはある。
 気の早いことに、将来の元帥候補にと考えている者もいるらしい。
 一方で陸軍も、帝都を舞台にした局地戦において犠牲者皆無で多大な戦功を上げた大神一郎の指揮能力及び直接戦闘能力を、のどから手が出るほど欲していた。
 あれほどの陸戦の強者を陸軍に置かないのは国家への背信行為であるとすら主張する者もいる。

 一人ではどう考えても食べ切れそうもない料理を眺めながら、あやめは話題の渦中の青年の顔を思い浮かべる。
 いまごろ腹を空かせて、情けない顔をしているのではないだろうか。
 大神を欲している者たちが、そんな大神の姿を見たら何と思うだろう。

 帰ったら、夜食を作ってあげなければね。

 帰ったら、と思った自分の考えに、意識をこの場に引き戻された。
 今、この場だ。

 そうそうたる軍関係者が居並ぶこの場を見渡してみる。
 幸いと言うべきか、軍幹部にも帝劇花組のファンがいる。
 純粋なファンから、ほとんど変態じみた者までいるが、今はそれを逆手に取るしかない。
 朝から昼の間、そういった者らへの根回しは済ましている。
 例を挙げると、海軍で一番親帝劇派である山口和豊には、特製ブロマイド6枚セットということで話を付けてあった。
 そうでない者たちの中には、若い女と言うことで軽く見下すような視線を向けたり、あるいは別の意味で不快な視線を向ける者もいる。
 心中、助平じじいども、と毒づきながらも、顔は努めてにこやかに応対する。
 下賤な連中の顔と降魔の醜い姿とどちらがましだろうかなどと考えながら、こんなことをしている自分をあの人が見たら、どんな顔をして笑うだろうか。

「しかし、我ら警察とてこの一週間で魔物を二体しとめている。わざわざ帝国華撃団に高い金をつぎこんで頼る必要はないであろう」

 警察の高官の一人があやめを見下すように言った。
 ふんぞり返っているようにも見えるその姿に、心中でため息をつきながらもあまり言いたくはない内容の反論を返す。

「死者、重軽傷者、合わせて百二十四名を出しておいて、二体ですね」

 あやめがさらりと述べた正確な数字に相手はうっと詰まる。

「それでは、五年前の悲劇を繰り返しているだけではありませんか」

 あやめの声の音色が変わった。
 深い。
 限りなく深い。
 それは、五年前の戦いを経験した陸軍の上官たちに、恐怖と、そして共感を呼び起こさせた。
 あの悲劇を、繰り返してはならない。
 兵を捨て駒と考えている者であっても、一度でもあの最大級の降魔を目にしていれば、そう思わざるを得ないのだ。

「今、姿を見せているのは最下級の小型降魔。この程度の魔物ならば、帝国華撃団花組はこの一週間で十四体の魔物を倒しておりますわ。 魔物の身体は消滅してしまうので、証拠と言われてもありませんが、それはそちらも同じでしょう。 そして、私たちは、一人の犠牲も出しておりませんわ」

 最後に付け加えた言葉に、微かにどよめきが走る。

「・・・なるほど、帝国華撃団の有効性は納得しよう。しかし、現時点でそこまでの戦果を挙げられるならば、それ以上の追加支援が必要ですかな」

 海軍の幹部が少し渋い顔で尋ねる。
 その戦果に大神一郎が大きく関わっていることを推測したためであろう。
 これでは、海軍に大神を引き戻すのが難しいと考えざるを得ない。

「最下級の、と申し上げました。中型降魔ともなると、生身の人間では霊力を駆使してもそうそう勝てる相手ではありません。そのために、霊子甲冑は必要なのです」

 最後の言葉には、微かに誇らしげな色が込められていたかも知れない。
 霊子甲冑を開発した男のことを思い出したからだ。

「その中型以上の降魔が出現するという保証もなかろう」
「既に、目撃報告が来ております。今、この帝都に存在しているのですよ」

 保証、などという言葉を用いた男に嫌悪感を覚えながらも、あやめは冷徹に言い返した。

「で、では、もしかして・・・大型降魔が・・・・」
「・・・私たちは、それを恐れているのですよ」

 酒の入っていたその場が、誰からともなく凍り付き、しばし、誰も言葉を発することが出来なかった。


*    *    *    *    *

「マリアさん、あなたもここのところ元気がありませんわね」
「え、そ、そうかしら・・・」
「そうですわ」

 楽屋でこっそりため息をついていたのだが、どうもすみれに聞かれたらしい。

「うん、アイリスも思うよ。マリア元気がない」
「そうね・・・、少し疲れているのよ。大したことじゃないわ」

 本人はゆっくりと立ち上がったつもりだったが、傍目にはそそくさと立ち上がったようにしか見えなかった。
 やはり、マリアらしくない。
 楽屋を慌てて出ていこうとするマリアの背中に、すみれはそっと言葉を送る。

「マリアさん、あなた、少しは他人に頼ることを覚えた方がよろしくてよ」

 その言葉にびくりと肩が震えたが、マリアはそのまま逃げるように楽屋を出ていった。

「ねえ、すみれ。マリア一体どうしちゃったのかなあ」
「・・・わかりきったことですわ」
「え?」

 アイリスが尋ね返すもすみれの返答はなかった。
 どうやらアイリスに答えたと言うより、自分に向けた言葉だったらしい。
 ただ、その瞳には哀しみを帯びた優しさが満ちていた。


*    *    *    *    *    *

 夜の帳が降りてから、さくらはのろのろと起き出してきた。

 大神は今日はどうするつもりなのだろう。
 夜遅くまで修行をするつもりなのだろうか。
 食事をほとんどとっていないはずなのに。

 お弁当、食べてくれたっていいじゃないですか・・・。

 食べてくれたって・・・。
 あのときは駄目だったけど、あれから日にちが経っている。
 今度は、食べてくれるかも知れない。

 未練がましいと思いつつも、さくらはもう一度すがろうと思った。

 厨房へ向かうと、さすがに誰もいない。
 一度、泣きながら片づけたお弁当箱をもう一度取り出して、頭の中で色々と献立を考える。
 これでも、大神の好物ぐらいはほとんど把握しているつもりだった。
 落ち込んでいようとも、こういうことをしていると少しは気分が明るくなってくる。
 かなわないかも知れないけど、もしかして大神が笑顔でこれを受け取ってくれたら。
 さくらの頭の中では、舞台さながらにスポットライトに包まれて向かい合う二人の姿が描かれていた。

 二時間か、三時間か。

 時計を見ると、そろそろ消灯時刻である。
 大神はもう見回りを終えてしまったのだろうか。
 しかしここ一週間、いかに飢えていようと大神が自分の職務を放棄していないことは知っている。

 妙だ。

 そのとき、外に大神の姿が見えたような気がした。
 外の方が暗いのだから、見えるはずはないのに。
 また、自分の目が幻影を見せたのだろうか。

 でも・・・・でも・・・・!

 幸い、お弁当は出来上がっていた。
 気がついたら、弁当箱を包んで、窓から帝劇を出ていた。
 あたりを見渡しても、大神の姿はない。
 夜の明かりも煌々としている銀座だから、見つかると思ったのだが。
 それでも、自然に足が動いていた。
 この方向に、大神がいる。
 根拠のない、しかし確信を持って進んでいる自分に、さくらは疑いを持っていなかった。



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