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関西法理学研究会
2000.02.26.(於 同志社大学光塩館)

文献報告:長尾 亜紀(阪大)

Steven M. Wise, Rattling the Cage: Toward Legal Rights For Animals, (Cambridge, Massachusetts: Perseus Books,2000)



一 
研究関心との関係
二 
問題の所在  【補足
三 
本文献の概略
 1 
目的
 2 
方法 【別表
 3 
概略--全体の要約
四 
本文献の要約
 1 
法的人格と法的権利との関係
 2 
裁判官像
 3 
線引き問題
五 
まとめ--本文献の意義と限界

文献

 

一 研究関心との関係


二 問題の所在 --動物の権利をめぐる議論について

補足:動物と法のかかわりについて

 1 福祉論(功利主義)か権利論か --権利の「普遍性」に対する問題提起

【補足】
これは、動物の利益を擁護する場合、その立場を 福祉論(功利主義)的に構成するのか、権利論的に構成するのか、という前提の問題である。しかし、実際のところ、動物の権利擁護の活動のなかでは、この両者の立場はきれいに分かれるものではなく、混在しているものである、と言われている(フランショーン)。いわゆる権利論の立場のなかでも、福祉論的な立場に近づく見解が少なくないのである。とにかくも、影響の大きな著作(たとえば、古くはテイラー、新しくはシンガー)がいずれも権利の普遍性を疑問視する功利主義の立場からなされていることは、注目に値する。

 2 権利論に立った場合の、当事者適格・訴えの利益との関係 --「事実上の損害」説

【補足】
この点については、英米法に関する限り、現在ではそれほど大きな議論が生じる可能性は高くなくなっている。これには、著名な論文(Christopher D.Stone, Should Trees Have Stantings? : Toward Legal Rights for Natral Objects, in 45 Southern California Law Review, 450〜501 (1972))の果たした役割が大きいと言われている。1970年の判例において、行政訴訟の原告適格について「事実上の損害」説を採用し、一連の環境訴訟において、「事実上の損害は抽象的損害であってはならないが(Sierra Club 判決・1972)、損害が現実的具体的であれば種類、規模、量を問わず、一般的利益の損害で足り(Duke Power判決・1978)、損害の地域的限定性を取り払って全国的規模の一般的利益の損害で足りる(SCRAP判決・1973)としているからです。また、本著も特にこの点については触れていないので、取り扱わない。


 3 形式としての「拡張」理論

  • 「解放」と「線引き」という問題

    【簡単な補足】
    解放とは、動物を人間による支配(搾取)から解放することを意味し、「線引き」によって、解放される動物の範囲を決定する。この線引き問題は解決が非常に困難であると言われている。著名なものには、次の二つ--
    シンガーによる基準、リーガンによる基準--がある。シンガー自身は「動物の権利」という言葉を慎重にさけ、「動物の解放」という言葉を使っているものの、線引き問題からは自由ではない。彼の基準が「苦痛を感じる能力」であることは周知の通りである。これに対しては、「功利主義の怪物」が「<動物には功利主義、人間にはカント主義>という判断基準を作りあげ、常に動物に対し犠牲を強いる可能性が高く、あまりにもバランスが悪い」と批判されるのである(ノージック)。また、リーガンによると「人生の主体となる存在」であるか否かによって、線引きがなされる。具体的には、見たり、聞いたり、快苦を感じるというだけでなく、過去を覚えていて、将来を予測し、現在自分の欲するものを確実にするために意図をもって行動することができる、このような動物が基本的権利を享有しうるのである。このほかにも、「種」そのもので線を引くことも考えられるでしょう(ほ乳類・鳥類が入ることには問題はなく、その他の点では争いがあある)。この文献は、判例のなかでどのように「人格」があるとされてきたのか否か、という極めて実際的な問題を扱っており、直接これらの基準と比較する必要はない。したがって、この著者の線引き問題のみに絞って報告を行った。

     

  • 「相互性の欠如 the absence of recirprocity」の問題

    【用語説明】
    この場合の「相互性の欠如」が意味するのは、次のような批判である。動物が人間の権利を尊重する義務を負わないのに、人間が動物の権利を尊重しなければならない義務があるとするのは不可能である、という。



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三 本文献の概略

1 目的

  • 自由・平等の理念と不可分に結びつく「権利」の擁護から、動物の消極的自由権の擁護を導き出す。それにより、現在、「法的物格」状態にある存在を、「法的人格」へと変化させる。

    【補足--そもそも動物がpropertyとされた理由】
    西洋の法体系のなかで、規範的存在をpersons と property とに二分する際、動物がpropertyとされた理由は二つある。@宗教的理由として、旧約聖書のいくつかの記述によって、動物の人間への劣位が認められる、ということであり、A科学的理由として、人間と比べて、動物の能力は劣位にある、ということ。たとえば、道具の使用、言葉の使用、合理的な思考方法などにおいて、人間よりも劣位にあり、動物はpersonたりえない、という。

    著者は、これらの理由を維持するときはもうすでに過ぎ去っており、いつまでもこの時代遅れの理由にとらわれる必要はない、と考えている。このような「信念」にとらわれれないことが、コモンロー裁判官には期待されている。特に、この理由のAは、近代において動物のいわゆる「虐待」が増加していることの理由として、念頭においておく必要があるでしょう。

2 方法

  • 期待されるコモンロー裁判官の提示。
  • ゆるやかな「自律性」の概念の採用。

3 概略


動物虐待法を持つ英米法においても、同法の実効性は極めて乏しいものである。これはなぜか。著者によると、現状の動物の法的地位が「法的物格」に留まっているからにほかならない。とするならば、動物に消極的自由権を認めるためには、これを「法的人格」に変化させる必要がある。

では、「動物のために法を変化させること」は、実際上はどのようにして起こりうるのだろうか。いままでの判例法の歴史を通じて「法的物格」とされてきたものが、どのようにして「法的人格」を持った存在とされてきたのかを描きだすことによって、その道筋を得ようと試みるのが本著である。

たとえば、コモンロー上、法的人格が認められていなかった存在(奴隷(黒人)、胎児など)の利益が裁判のなかで認められてきた経緯を比較検討することにより、ある視点を得ることができる。それは、客観的な価値観にしたがって裁判を行う、形式的(原理)裁判官が大きな役割を果たしており、彼等は「自律性」の概念を使って、法的権利を擬制することにより、保護を付与してきたのである。

英米法においては、法的擬制によって、法的人格を、自律性のない、意識のない、感覚のない人間に与えるだけではなく、船や信託、法人、宗教的な偶像にまで与えてきたことは、周知の通りである。つまり、コモンロー裁判官たちは、法的物格とされてきた奴隷、胎児について、「自律性」を擬制することにより、個々を法的物格から法的人格へと変化させてきたのであった。

しかし、法的擬制はよい面ばかりを持つものではない。不正義がなされる危険性は、法的擬制が基本的な価値を否定する際にもっとも大きいのである。このことは、コモンロー上の夫婦一体の原則をみれば明らかであろう。とするならば、「すべての人間は自律的である」という法的擬制によって、人間に一律に尊厳の権利の付与する一方で、「人間以外の動物は自律的ではない」として、すべての動物に権利を一律に否定している現状には問題があるだろう。動物たちが持っているかもしれない自律性に目をつぶり、彼等の自律が作り出す尊厳の権利を認めていないからである。このため、自律的な存在が、搾取と虐待から守られることなく、ひどく弱い存在となってしまっているのである。

翻って、現在の裁判実務においては、自律性が、法的人格を認めるときに指標としての役割を果たしており、そもそも「権利」が自律性から導かれるものである、ということをもう一度考えてみよう。裁判官たちが考える自律性を実際的な見地から分析すると、これが必ずしも「あるかないか」というものではなくて、かなり緩やかなものであることが分かるだろう。さらに、この基準を、人間から手話を教えられた一個体のチンパンジーだけによって、そのほかのチンパンジーたちが手話による意思疎通を成功させている例から考えられる、動物たちの持つコミュニケーション能力・認知能力等とを考慮した細かな段階によって刻みをつければ、従来の理論との整合性をはかることもできるだろう。

このような「ゆるやかな自律性の概念」を採用することによって、法的物格から法的人格への漸進をはかることができ、それとともに線引き問題を(ひとまずは)解決することができる。ここでは、権利を比例的に考えるので、自律性の程度によって導き出される権利に応じた実質的な平等が実現されるのである。



 
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四 本文献の要約

 1 法的人格と法的権利との関係

 (1)法的権利の意味

  • ホーフェルドシステムを利用しての法的権利の意味の把握
    --法的権利の基本的な四要素が集まったときに、権利のもつ力がもっとも発揮される。

自由
liberty

請求
claim

免責
immunity

権限
power

左記の四要素が集合することによる、法的に有利な立場
‥legal advantage

→ 法的人格
legal personhood

無義務
(no-duty)

義務
duty

無能力
disability

責任
liablity

左記の四要素が集合することによる、法的に不利な立場
‥ legal disadvantage

 

無権利
no-right

 

 

 

 

 

※ ホーフェルド・システムは、法的関係のなかで考える権利である。ここで、法的権利とは、二人の人間と一人の物との間にある関係であり、法的権利は承認された法的ルールによって与えられる、なんらかの理論的に有利な立場だという。
※ 上下の要素は対応関係にあり、たとえば、 自由だけでは、無義務、無権利の状態である。したがって、四要素がそれぞれ一つだけでは必ずしも充分ではなく、四要素が揃ってはじめて(「権利の束」としての法的権利)、権利の力が最も発揮される。
  • 自由から導き出される、権利の核心としての、消極的自由権(身体の保全bodily integrity と身体の自由)


(2)合理的判断を導く価値観

  • 主観的(感情的 feeling)な価値観--「信念」
    → "funeral by funeral" (by Paul Samuelson)
     ‥「どうしようもないもの」(よって、考察すべきは、後者の客観的な価値観)

  • 客観的(思索的 thinking)な価値観--自由、平等
    → 比例的権利 proportionality rights

(3)一つの枠組みとしての法的人格
  →このなかで、権限の濫用を妨げる基本的な免除権が拡大する。 

2 裁判官像
 (1)形式的裁判官、実質的裁判官の対立
    --消極的な権利の確立に中心的な役割を担うコモンロー裁判官について

  • 実質的裁判官
  • 形式的裁判官
    --先例(準則)裁判官、先例(基本原理)裁判官、先例(目的)裁判官

    →これらのなかで望ましいのは、先例(基本原理)裁判官

 

(2)法的人格に関わる問題において、先例(基本原理)裁判官の従う基本的原理
   →自由、平等、自律

(3)その判断を阻むもの
  • 信念と遺伝子
    --ポズナー裁判官の疑問、アッカーマンの指摘

  • 子供じみた思考方法(目的的思考、自閉的思考)
    --より成熟した思考へ

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3 線引き問題 

(1)自律から生まれる尊厳
  --「徹底した自己決定という前提から出発している」英米法と、判例の矛盾

  • 裁判によって「基本権」が拡大したケース
  • 裁判によって自律性を擬制したケース

(2)ゆるやかな自律性の概念の採用
   【
別表】参照
   →権利を比例的に考える見解へ。

(3)比例的権利への考察
  →自律に応じた、権利の範囲の変化(「平等」概念の再構成)

  • 自律に応じた、法的権利の制限 (fewer)
  • 最低限度の自律性を欠く人間の自由権を制限
  • 最低限度の自律性を欠く人間に、複雑な権利の部分的要素を付与


(4)動物のなかでの線引き
   --基準について

  • 人間の目的にのみ利用されている現状(生医学研究、ペット飼育、娯楽)
  • 人間の利用を主な理由として絶滅の危機に瀕している

    →種としての親近性・人間の持つような文化(これは人間とまったく同じ必要はなく、それら独自のものでよい)を持つ種を、もっぱら人間による利用のために大量虐殺しているという事実は、「ジェノサイド」にあたる。

    →法的人格は、必ずしも、著者が挙げているチンパンジー・ボノボこの二つの種だけに限定されるわけではない(著者自身もエピローグで述べている)。



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五 まとめ--本文献の意義と限界

1 意義

  • 線引き問題について
    --「薄い壁の再構築」の提唱(意義でもあり、限界でもある)

  • 権利について
    --(特に新しいわけではないが)核心を「普遍性」ではなく「消極的自由」に求める。
      権利の枠組みとしての「法的人格」を構想。
     客観的価値観に基づく「比例的権利」により、実質的な平等を再構成する。

2 限界

  • いわゆる自然法的立場に依拠。
  • 唯一の正しい答え(正義)があり、そこでは「権利」が価値を持つと考えている。しかし、この論証が不足しているため、全体の説得力を幾分低下させている。
  • 法的権利と法的人格の関係が必ずしもはっきりしているとはいえない。
  • 種の概念を少しずつずらすしていく方法を採るのか、個体主義的に考えるのか、明確でない。もちろん、両方を採用しているとも言うことができるけれども、そうすると、理論としての強さが失われてしまう。
  • 「相互性の欠如 the absence of recirprocity」の問題については、「法的関係のなかで考える権利」のなかで検討はされている。しかし、特にこの問題に対処するために扱われているわけではない。



【文献】

■参考文献

  • Charles R.Magel, Keyguide to information sources in Animal Rights, (Mansell,1989), esp. chap.4.
  • Gary L.Francione, Rain Without Thunder : The Ideology of the Animal Rights Movements, (Temple U.P.,1996)
  • Marc Bekoff, Carron A. Meaney ed, Encycylopedia of Animal Rights and Animal Welfare, (Greenwood Press, 1998.)
  • ロバート・ノージック(1974)・嶋津格訳『アナーキー・国家・ユートピア』1994(64-65頁)

 

■その他、主な参照文献

  • Francione L. Dollins ed, Attitudes to Animals : Views in Animal Welfare (Cambridge University Press,1999)
  • Gary L. Francione, Animals, Property, and The Law (Temple U.P.,1995)
  • John D.Gerken, An American Ethic (The Calson Company,1995) esp.,chap.6.
  • Lawrence Finsen & Susan Finsen, The Animal Rights Movements in America: From Compassion to Respect (Twayne Publishers,1994)
  • Lori Gruen & Dale Jamieson eds, Reflecting on Nature: Readings in Environmental Philoophy (Oxford U.P.,1994)
    esp. Lynn White,Jr., The Historical Roots of Our Ecological Crisis, 1967 ( 9-12)
  • Paola Cavalieri and Peter Singer eds., The Great Ape Project (St. Martin's Griffin,1993)
  • Paul A.B. Clarke and Andrew Linzey, Political Theory and Animal Rights (Plito Press,1990) 。
  • Tom Regan,The Struggle for Animal Rights (ISAR,1987)
  • John O.Nelson,Brute Animals and Legal Rights , in vol.62-240 Phillosophy,171-177 (1987)
  • Jeremy Waldron ed., Theories of Rights (Oxford.U.P.,1984)
    esp. H.L.A. Hart, Are There Any Natural Rights? chap.3 (77-90)
       Ronald Dworkin, Rights As Trumps ,chap.7 (153-167)
  • Mary Midgley, Animals and Why They Matter (The University of Georgia Press,1983).
  • Tom Regan,The Case For Animal Rights (California U.P.,1983)
  • Richard D.Ryder, Victims of Sicence: The Use of Animals in Research,(National Anti-Vivisection Soceity,1983)
  • Tom Regan,The Philosphy of Animal Rights (Culture & Animals Foundation)
  • Joel Feinberg, Rights, Justice, and the Bounds of Liberty: Essays in Social Philosophy (Princeton U.P.,1980).
  • John Pasmmore, The Treatment of Animals, in Vol.26-2 Journal of the History of Ideas 195-218(1975)
  • H.J.MaCloskey, Rights, in vol.15-59 The Philosophical Quarterly ,115-127(1965)
  • Henry S.Salt, Animal rights : Considered in Relation to Social Progress,1892 (Society for Animal Rights,1980)
  • ジャック・デリダ『法の力』(法政大学出版会、2000年)
  • ロナルド・ドゥウォーキン、小林公訳『法の帝国』(未来社、1995年)
  • 千葉大学教養部倫理学教室『応用倫理学研究 2』1993年。
  • ロナルド・ドゥウォ−キン(1977)、木下毅ほか訳『権理論』(木鐸社、1986年)。
  • H.L. A. ハート、矢崎光圀監訳『法の概念』(みすず書房、1976年)。
  • 『英米法百選』第三版(有斐閣、1996年)
    文献(1)】【文献(2)】そのほか

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