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◆ 社名の歴史 ◆
「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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◆ 青磁社通信 Vol.8 Special Edition 岡部桂一郎「一点鐘」特集号 ◆
〜巻頭七首〜
嬰児

岡部 桂一郎
 

あちこちにぽんという音 かそけくて梅の花咲くあの世この世を

しずかにも梅のはなびら微動して白きがひらく月の下びに

音のして動くけはいは影のごときさらぎ二十日梅の花さく

雨つぶの地上に落ちて音の消ゆさびしきものか時間というは

泣き声のやみて笑顔にうつりゆく月出るときの幼子の顔

欲も得もなくてこころのほぐれゆく歯のなき嬰児 哄笑をせり

ゆく春や三角四角の花さいて幼子にいま歯の生えいずる


〜エッセイ〜
夕日は重し夕日は重し
―歌集『一点鐘』に―


片山 貞美
 

 その歌は一九五〇年春、上野山の貸席韻松亭の二階での泥の会の席上の詠草で読んだ。詠草は泥の会作品集として出席者十人ほどの各自十数首、ザラ紙半紙判二つ折見開きガリ版刷りだったが、岡部桂一郎の、
  鳥獸の聲も絶えたる現世に山々そびゆ新しき物質として
ほか並ぶ歌に一読わたしは魂をゆさぶられる思いがした。ずしりとくる重圧を感じた。歌の本質と律動とが合致しているのだと思った。わたしの表現の印象の押し付けに終るような歌ではだめだと思われた。だが、いま、何しろ五十三年前の昔となったからつぶさに説明はしがたい。なお、そこでわたしは岡部に乞うてノートに数十首書いたそれをもらったのだった。その後六年、昭和三十一年刊の岡部の歌集『緑の墓』は校正をわたしがしたが、その歌は脳裏から次々に引出される。
  總立ちになりたるときの群衆に夕日は重し夕日は重し
  まさびしきヨルダン河の遠方にして光のぼれとささやきの聲
  數條のレール光れる曉の薄明のなか紙ひとつとぶ
  つんつんと伸びきわまれる麥の穗に近づく巨大なる醉いどれ夕日
  幻燈に青く雪ふる山見えてわれに言問うかえらざる聲
  獻身のごとくたつ幹をいきいきと晩夏の蟻はくだりゆきたり
  煉瓦色のジャケツきこみし青年が歩道に出でて來にし無よ
 歌を引出しながら、わたしはこれらの歌はその後の岡部の歌の種に違いない、違いなかったとくり返し思った。
 さて、曾てわたしは岡部の歌の特色は絶唱志向に基づくと断じたことがある。対象の絶対化、絶対的感動だ。『緑の墓』二百二十六首、一首ずつ順に番号が付してある。口ずさめばわかる。一首一点屹立し、一首は他と隔絶し、享受に陶酔の充足が味わわれる。岡部は「おいしい歌」と言う、それであるが、その絶対ないし弧絶は現世超越の衝動の生ずることが知られる。岡部のたまたま洩らした言葉に「四国遍路」があり、「西方極楽浄土」があったことを思い出す。同人誌「寒暑」に書いた文には「このごろご詠歌に凝っている」とか「人はなぜ夕日を見つめるか」などという言葉があった。後者は一文の題だが、その冒頭に、晩唐李商隠の詩句が引かれた。
  夕陽限り無く好し 只だ是れ黄昏に近し
 だが岡部はこの夕陽を美的対象とはせず、浄土憧憬の対象としていた。わたしは岡部の引いた右の詩句をたびたび思い出すが、そのとき決まってわたしの思うのは、盛唐杜甫の詩句、
  風は客衣を吹いて日杲杲 樹は離思を攪して花冥冥
 白昼の旅情である。わたしはここに一瓶の酒を欲する。わたしには原始も無ければ彼岸も無い。ここにあるのみなのだが。


〜エッセイ〜
「工人」創刊の頃


倉持 正夫
 

 岡部桂一郎の第四歌集『一点鐘』が青磁社から出版された。
 早速、谷野耿太郎から声がかかって、十二月二十三日、笠原伸夫に私の妻を加えた四人連れ立って、横浜の戸塚、新橋町の岡部宅を訪ねた。岡部を交えて、私たちが顔を揃えるのは、山崎方代が亡くなって、昭和六十年八月に瑞泉寺でとりおこなわれた葬儀以来、十七年ぶりのことになった。谷野耿太郎も八十歳。歩くのに腰に手をあてがい、老いの感じが滲んでいる。笠原伸夫は古希を迎えて、日本大学名誉教授。私も七十三になった。皆、老いに老いた。岡部桂一郎も八十七歳になった。しかし、相変わらず矍鑠としている。
 ??今日は、皆に会えて、最高に幸福だなあ、
 と、岡部がしきりに云う。
 五十四年前の「工人」創刊の時、笠原は十七歳、私が十九歳。ともに青春の入り口にいた。山形義雄、岡部桂一郎、竹花忍、山崎方代らが宗匠打破、アルチザンの精神を標榜して、「一路」を脱退し、同人誌「工人」を創刊したのは昭和二十三年十月。岡部は、この年三十三歳。千葉県の国立習志野病院薬局長として勤務し始めている。
 「工人」創刊号の資金は、竹花忍が横浜学園の校長夫妻、前校長夫妻の肖像画四枚を描き、その代金二万八千円があてがわれた。当時、公務員の初任給は二三〇〇円(戦後値段史年表 朝日文庫)だった。
 その昭和二十三年当時の世相を総称して《焼け跡闇市派時代》と云う。
 飢えの時代であった。何もかも闇買いをしなければ生きていけない時代だった。人々は闇のものをガツガツ貪り食い、カストリを飲み、闇煙草の一本によって、ようやく一日の生き甲斐を味わった。
 そんな時代に「工人」が創刊されたのだ。
 いまから思えば、その当時、岡部桂一郎も竹花忍も、山崎方代も、荒正人の云う《第二の青春》のただなかにあった。生気で漲っていた。……
 私たちは賑々しくそんな「工人」時代の話を交わした。
 ??岡部さんの『一点鐘』の帯、〈重厚にして洒脱、寡黙にして辛辣〉と云う表現はいいね。岡部短歌の本質そのものだ。
 と、谷野が云う。
 もともと岡部桂一郎の短歌は、笠原が「岡部桂一郎の背理」(『叙情の現在』 不識書院)で指摘しているように、親鸞や一遍の和讚とも通じ合う、人間のもっとも深い層からの声をそこはかとなく匂わせているのが特色である。しかも、彼は八十七歳を過ぎるいまも、結社に属せず、独り作歌活動を続けている作家だ。


佇む場所

岡部桂一郎歌集『一点鐘』
書評 小池 光

   以前短歌新聞社の現代歌人叢書岡部桂一郎歌集『鳴滝』にわたしは「解説」を書いた。人の本に文章を書くのははじめてで、しかも相手が同輩友人でなく岡部桂一郎であって、はなはだ緊張した。
 奥付きをみると『鳴滝』は昭和五十六年二月の刊である。それから二十余年、過ぎた。この間、岡部桂一郎は『戸塚閑吟集』一冊を編んだのみで『一点鐘』は四番目の歌集である。本当に待たれていた歌集が目の前にある。
 岡部桂一郎の短歌は、むずかしい語彙や修辞はどこにもなく、シンプルで寡黙、ときに殺風景ですらある。しかし滋味は無類で、一首一首のかたわらにそれはそれは長く濃密な時間をもって、読む者を佇ませる。寡黙な存在の前で人はかえって多弁になるのか、数首の感想をつたなく述べてこの場の責を繕いたい。
  3に5を足せば桂一郎9になるなあ?そんなむずかしいこと聞かれても
 前後の歌をみても状況が明示されていないのでこれも好きなように読む。子供のころの記憶のひとこま、爺さんか婆さんが、なぜか唐突にこう少年に言い掛けた。当時でさえも脈絡が掴めなかったからいまとなっては尚のこと一切は謎である。
 3に5を足して9になるか、ならないか。それをマトモに思考の最深部において証明しようとすると、難題だろう。「むずかしいこと聞かれても」というのはただのとまどいとは違う。また、違うと読まないと歌はおもしろくならない。少年のときびっくりして答えられなかったように、いまもって答えられない。いよいよに答えられない。人間の知恵のあさはかさを自らわらい、また愛する。技巧として問いの間に狭まる呼びかけ「桂一郎」の間合いが絶妙。「桂一郎、3に5を足せば9になるなあ」では駄目なのである。
  口中に咀嚼はじまる貝柱老いたる唾液出でて働く
 歯(おそらく義歯)と貝柱との格闘である。このとき歯は口中の一部品でなく、まして人間全体の一部品でなく、一切の帰属から分離独立した歯そのもののように感じられる。また貝柱の方も貝の一部でない。世の始まりから、貝柱としてむきだしに存在するそれに、これまたむきだしの歯が噛み付いて咀嚼にかかる、そういう図を思わせる。精神性とか意識とか、そういう形而上的一切が剥奪され、究極の「食う」さまが見据えられていて、すざましく、また厳粛である。
 存在するものは存在するために「食う」と思ってきたが、実はそれは逆で「食う」という運動がまず生じ、その運動に付着するのが存在というものではないか。人はまず歯があって、それを支える口蓋が、頭部が、やがて手足、内臓とつくられているんでなかろうか、などとしばらく考え込む。「老いたる唾液」とわざわざことわっているけれど、むろんここには直接には老身の生理が歌われているのだけれど、たぶんそれは仮体なのだ。徹底して即物的でゆえにリアルな上にもリアルかつ抒情的。しゅわしゅわと湧き出る唾液がそれ自身生き物のようだ。
  高きより朴の枯葉があらわれて肩・背・胸と触れつつ落ちぬ
 ジャコメッティの人体像を連想する。
 落ち葉は散ってくるもので「あらわれて」とははじめて出会った。虚空から突如前触れもなくそれは頭上に出現したのであった。朴のあの大きな葉であればこそである。しかしどんな朴の葉でもかくも劇的にあらわれるものでない。それは「あらわれる」ということばをもって世界を切断してみせた者にだけ、あらわれる。
 この一枚の葉は来歴をもたない印象を強くする。芽が出、若葉となり、成長して衰え、いまここに枯れ葉となって…というふうにおもわれない。はじめから枯れ葉である。時間軸から切れてしまったモノの存在感を岡部桂一郎は一貫して追求する。そしてそれがかえって切れてしまった時間というものを鮮明に喚起しやまない。つよい造形性を感じさせ、いかにも岡部桂一郎の歌である。
 『鳴滝』の「解説」に二十年前のわたしは「戦後の短歌を支えてきた中心的イデーは人間至上主義であった。…岡部桂一郎の世界はそこでは全く異端といえる。表情はむしろ無用の装飾にすぎないからだ」などと書いている。ちょっと恥ずかしい文章だが、でもじぶんの気持ちはいまも変わらないと感ずる。無用の装飾を完膚無くそぎ落とされて、するとなんとしたことか、そこにはえらくゆたかな世界が、どんな装飾よりもゆたかな存在の陰影がかくも生々しく浮かびあがるのである。

『一点鐘』一首評

高田 流子

  大正のマッチのラベルかなしいぞ球に乗る象日の丸をもつ

 明治でも昭和でもない大正という時代には大正浪漫などと言われているからだけではない不思議な魅力が感じられる。まして、大正生まれの岡部桂一郎にとっては疎かにできない気分であろう。
 球乗りをしている象というのも変だがそれが日の丸を持っているのもいかにもお手軽で大正時代という感じがする。
 ああ、そんなマッチのラベルがあったなあ、と思い出す時、作者の心は「かなしいぞ」とつぶやく、この「かなしいぞ」の中には大正という時代を揶揄するような、いとおしむような気配がありまさに「愛しいぞ」であろう。とおい、大正の幼い日の自分もまたかなしい存在だ。
 かなしい、がこんなに生きる歌も稀だ。

『一点鐘』一首評

桜井 健司

  気管支の右と左にわかれゆくほとりの咳か二つ出でたる

 平易な語を用いながらも、日常を超越した存在の奥処へ通路を開いていくのが岡部氏の作品の特徴と言えようか。そこにあるのは、気の遠くなるような人間の孤独感なのかもしれない。また、『一点鐘』には数を詠み込んだ秀歌が散見されるようだ。このことは、この歌人の軌跡、作風を読み解く上での一つの鍵になるかもしれない。さて、掲出歌である。咳は気管支の左右それぞれから交錯し合いつつ出たものと捉えられたのだろうか。気管支のわかれゆくほとりから発せられたという認識が、人間が存在することの寂しさへの問いかけに繋がっているようだ。この作品に、日常を越えようとする世界と、身体感覚との不可思議な融合を感じる。

『一点鐘』一首評

宮原 望子

  これはこれ一億円に化けるかも紅いもみじの葉っぱをあげる

 私にとって岡部桂一郎は魔法の笛吹き人である。「まっくらな丹後の夜の山かげを灯りてぞ来る二輌の電車」にふらふらと乗せられ、「大船を過ぎてレールの右折する刹那の薄われは見たりき」の女っぽいススキに何故か嫉妬したりしながら、「八角の柱時計を横抱きにかかえてゆけば枯野ひろがる」というような所へ連れて行かれる。「不思議なる音して去年の雪が降るきょーん、きゃーん、きゃーん、きょーん」と笛吹きおじさんが歌えば、私も天を仰いで吠えたくなる。
 だからもみじの葉っぱ一枚でも、私は両手を重ねて押し戴く。一億円にも換えはしない。不思議の汽車の乗車券としてずっと大切に取っておく。

『一点鐘』一首評

鈴木 竹志

  立ったまま笑いころげる葱坊主黙って風の通る葱畑

 葱坊主が笑いころげるのは、風のせいかと思ったが、どうやらそうではなさそうだ。葱坊主たちは楽しくて仕方のないことがあって、風のことなど眼中になくて、ひたすら笑いころげている。だから、風は「黙って」通るしかない。本当は、いろいろ話しかけたいのに、今日の葱坊主たちは、羨ましくなるくらい楽しんでいて、風のことなど気に掛けてくれない。
 こんなことが次から次へと浮かんでくる童話の一場面のような歌。擬人法だらけの歌と言ってもよいが、擬人法を用いて、これくらい自在に見たものを動かすことができるのが素晴らしい。私もこれから葱畑に出かけていって、葱坊主たちの笑いころげるさまにお目にかかろう。ついでにふてくされたキャベツの奥様に挨拶もして。

『一点鐘』一首評

大口 玲子

  清浄の容れものとして少年の裸体は立てり月のしたびに

 「容れもの」としての、人間の肉体。否、「肉体」というほどのなまなましさ、存在感を持たぬ、汚れのない、むしろ、透明感のある繊い繊い裸体。少年は、直立不動である。まだ指紋のついていない、細長いグラスのような少年の裸体に、月光が静かに満たされている。動いたら月の光がこぼれてしまいそうな静寂と、かすかな緊張感。「少女」ではなく、「少年」であるからこその清潔なエロスが、みずみずしい。その一方で、この少年には人間臭さがしてこない。作者の目には、ただの静物として映っているようである。月下の、夢のような光景が、不思議な現実感をともなって、ありありと読者に迫ってくる。この一首の主役は「月」であるのかもしれない。月が少年を、「容れもの」たらしめているのである。

『一点鐘』一首評

井上 佳香

  大正のマッチのラベルかなしいぞ球に乗る象日の丸を持つ

 口語でさらりとうたわれた一首。だが、下句の把握が的確であるため、読み手にしっかりとしたイメージを結ばせる。
 大正時代に流通したマッチ箱であろうか。実物を見た記憶が私にはないが、下句によって想像できる。象が球に乗って日の丸旗を(鼻で?)持っている。エキゾチックかつ懐古的で、時代の高揚感も思わせる図柄だ。それが小さなマッチのラベルとして残されてある、という言いようのないあわれさが良い。三句目「ぞ」も効いている。「かなしいぞ」で重くなりすぎずに済んでいるのだ。オモチャのような象の図柄とも合っている。マッチ箱一点のかなしみは、このくらいの軽さがちょうど良い。『一点鐘』の中で私は、掲出歌のようにのびやかなうたいぶりの作品に、特に魅力を感じた。

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