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◆ 社名の歴史 ◆
「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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◆ 週刊時評 ◆
川本千栄・広坂早苗・松村由利子の三人がお送りする週刊時評(毎週月曜日更新)



歌集批評会に思う
text 川本千栄

 12月5日、「未来」の中島裕介の第一歌集『Starving Stargazer』読書会に参加した。中島は個性的な文体を持つ作者で、以前に一度、この週刊時評でも取り上げたことがある。

ベツレヘムに導かれても東方で妻らは餓える天動説者
Staring at the star of Bethlehem, sheユs a starving stargazer!
   thereat
杳窕の明日 発声練習に「春と修羅」をと君は推したね

 中島の歌の一番の特徴は、歌集前半に見られる、英文の一行詩に日本語の短歌のルビがついているという形式だろう。また、歌集後半は普通 の短歌の形式で、掲出二首目のように英語の詞書が付いているものもある。このように非常に「読み」が難しい作品群であるが、以前から気になっていた歌集であり、他の人がどう読むか聞いてみたかったので出かけて行った。
 会に参加したのは約30名。司会は加藤治郎、発表者は川野里子とフラワーしげるであり、「未来」編集・発行人の岡井隆も参加していた。まず、川野里子が主語の拡散や、(本来は意味を持つ)言葉や宗教を意匠として使っている点を問題として挙げた。また翻訳家でもあるフラワーしげるは、中島の意図する「多声のコンポジション」を海外文学作品における「マカロニック(他言語文体)」と対比させたあと、何首かの英語詩を丁寧に訳し、付された日本語の短歌と比較した。また、形式の問題を取り払った時に、素材としてどうかという点を論じた。
 その後出席者が発言を求められたが、これがなかなか面白かった。結城文が英語短歌の観点から、どこに読者を想定しているのか、英語部分はネイティヴ・スピーカーによる文法チェックを受けたのか、という疑問を提示。私も英語で書く以上、英詩としての出来栄えが気になるという趣旨の発言をした。それに対して黒瀬珂瀾が、これは英語ではなく日本語なのだ、読者として日本語話者しか想定していないと発言。また、江田浩司が、エリオットの『荒地』など引用されているものを踏まえて読むべきだ、マラルメの方法論などの影響を考えるべきだという発言をしたのに対して、黒瀬が、引用された内容に踏み込むのではなく、全てがグーグル的に並置されていると解釈した方がいい、これからの詩歌における引用は全てそうしたものになっていくのではないかと発言し、江田との間に意見が交わされた。
 基本的には指名されて発言していたのだが、度々反論や疑義が提出され、自由に意見が交換された。会場の活発な議論に触発されてか、オブザーバーの岡井隆も、一章を使って歌われている「寡婦」の表すものは何か、と論点を提示してきた。
 これら全ては大いに知的好奇心を刺激してくれた。こうした議論が引き起こされるのは中島の短歌が良くも悪くも多くの論点を含んでいるからだろう。また、自由闊達な雰囲気で議論が行われ、好きな時に発言できる少人数の環境も、会を活発にしていたと思う。
 しかし多くの歌集の批評会は常にこうした雰囲気で行われるわけではない。これまで参加した批評会でも終了後、何となく不完全燃焼感を持つこともあった。どうしてそんな気持になってしまうのか。私が一番に思いつくのは、出席者が発言を求められ指名される時に、結社内外での知名度などによって、司会者側で発言の順番が予め決められているという点だ。指名されていない時には、決まった手順を乱してはいけないように感じてしまい、甚だ発言しにくい。そのため、「ただ聞くだけ」になってしまい、物足りなく感じてしまうのだろう。今回のように盛んな議論になれば、聞くだけでも充分楽しめる。様々な意見を並列するだけでなく、戦わせることによって見えてくる新たな視点があると思うのだ。
 以前よく、同じ結社の仲間と勉強会をした。5〜6人が一冊の歌集を各自で読んで、それぞれがレジュメを作って発表し合い、質問し、討論したものだった。その過程を経て、読んだ歌集が本当に血肉化されたように思えた。私が歌集批評会に求めているのはそれなのかも知れない。
 パネラーが前に座り、出席者がスクール形式で前を向く座り方ではなく、狭い部屋でロの字型や回の字型に座り、パネラーも他の出席者もお互いの顔を見ながら、指名を待たずにどんどんしゃべるような批評会が望ましいと思う。時には論争になってもいい。本当にその歌集に色々と話し合いたい点を感じているなら論争も起こるだろう。人数は30人前後が限界ではないか。それ以上になるとどうしても授業のような、話者が遠いような印象をもってしまうと思うのだ。


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