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◆ 社名の歴史 ◆
「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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◆ 週刊時評 ◆
川本千栄・広坂早苗・松村由利子の三人がお送りする週刊時評(毎週月曜日更新)

「週刊時評」が一冊へ『対峙と対話 週刊短歌時評06-08』大辻隆弘・吉川宏志共著



お知らせ:9/21は連休のため「週刊時評」を休載させていただきます。
9/28より通常通り掲載させていただきます。
高齢歌人の「私性」について
text 川本千栄

 九月七日付けの松村由利子(歌人の敬称は略す)の週刊時評〈「われ」の変容の背景〉で取り上げられていた「短歌現代」9月号の「老いという短歌のフロンティア」(小高賢)を読んだ。「歌壇」9月号の特集も「高齢社会、シニア歌人の開く新しい歌の世界」であり、少し前だが、角川「短歌」6月号の特集も「今日における人生と境涯の歌い方」というものであった。高齢者の歌に今注目が集まっているのは間違いない。少子高齢化社会と言われる社会状況の中で、近年短歌の世界においても、歌人の平均年齢の上昇や若者の短歌人口の減少など、「老い」は切実な問題となっているという事ができるだろう。
 「短歌現代」の特集「来(きた)るべき短歌(うた)」でも、短歌の未来に対してかなり暗い見通 しを展開している論が多かった。その中で小高は老いの歌の可能性に焦点を当てて、少し明るい展望を持っている。
 小高は、老いて身体の自由が利かなくなることによって、〈しっかりとガードされた「私性」が、ほぐれ、外側に流出する。あるいはせざるを得ない感じがする〉と述べ、それを説明するために岡部桂一郎と清水房雄の近作を挙げている。何首か例を挙げた後、〈岡部における「私性」の朧化、清水における「私性」の軽さ。いずれも、短歌の新しい方向を示しているし、既成の作品構造にゆさぶりをかけている〉とまとめている。
 私自身は、歌人の高齢化に関しては、定型意識の弛緩や作歌数の減少など、これまで否定的な方向で考えることが多かった。そのため、小高の説は斬新で面 白く、読み応えがあった。老いの歌の可能性を探る上で、なるほどその方向があったか、という驚きを感じた。赤瀬川原平の『老人力』にも匹敵する、逆転の発想である。
 ただ、高齢化による身体の不如意と「私性」のあり方の変化は、そう簡単に相関関係があるとは言い切れないと思う。むしろ長い年月を暮らしてきて、心のあり方が変わったとか、意識して作風を変えたということもあるだろう。「歌壇」の特集では大辻隆弘や外塚喬が盛んに「自在」と言う言葉を使っていたが、高齢歌人たちは、長年蓄積してきた様々な技法や文体を、歌に応じて使い分けながら自由自在に詠んでいるというのである。これは「私性」の朧化ではなく、取捨選択の結果 だという解釈だろう。
 また、年を取って却って「私性」が明確になるという論もある。例えば、「歌壇」の特集において宮原望子が「高齢者層には、意外にユーモラスな歌が多い。(…)加齢によって身動きがぎこちなくなったり、物忘れがふえて日常生活にへまが多くなったり、それを歌うとおのずから笑える歌になるというのが第一の理由かと思うが、更に考えられるのは、(…)そういう己れを鼓舞したいという心だろう。日々に衰えてくる自分を曝け出すのは、みじめでみっともないことのようでさにあらず、それができるのは、一段高い所にもう一人、冷静な客観のできる自分がいるということである」と書いている。現象の認識は小高と同じだが、結論は正反対である。高齢化により身体の自由が利かなくなった自分を詠んでユーモアのある歌を作るが、それができるのは客観的な自分がしっかりしているからだ、というのである。
 小林幸子も清水房雄の「このままに醒めざる明日の朝あらば安らならむと独り笑ひせり」の歌を引いて〈夜の眠りについて覚めぬ まま逝けたらと思うのはおおかたの高齢者の願いであろう。だが歌集巻末に置かれたこの一首の「独り笑ひせり」という結句にはしたたかな自己凝視がある。反転して、死を思うより一日一日の生を生き切るという意思表示になっているのではあるまいか〉と述べている。これも「私性の朧化」とは反対の考え方だと言えよう。
 ただし、どちらか一方の考え方のみが当てはまるわけではなく、高齢歌人の私性の問題にはこれら両面 があると取った方がいいのだろう。その上で、これからもたくさん作られるであろう高齢歌人の歌を読んで、「私性」のあり方などを見ていきたいと思う。
 このように、高齢歌人の「私性」の変容は、小高によって提唱されたばかりであるし、まだ今後さまざまな角度から検証していかなければならない論だろう。前回の松村由利子の週刊時評では、若者の「私性」の問題と同列に並べられていたが、それは少し無理があると思ったのだった。


第43回迢空賞受賞・ 第20回齋藤茂吉短歌文学賞受賞!!
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