結社の存続について思う
text 川本千栄
『りとむ』5月号で主宰の三枝昂之が、弟の三枝浩樹が結社「沃野」に移ることになった経緯について述べている。「沃野」は窪田空穂の高弟植松壽樹が昭和21年に創刊した歌誌である。壽樹の弟子であり、かつ三枝昂之・浩樹兄弟の父であった三枝清浩の死後、兄弟は高校時代、「沃野」の同人であった。しかし師壽樹が亡くなった後、二人は大学での短歌活動に力点が移り、やがて「沃野」を退会した。その後二人は「かりん」入会、そこから独立して「りとむ」創刊、という経緯を辿る。
(…)壽樹亡き後の「沃野」は集団指導体制となり、やがて富小路禎子が中心となり、現在は山本かね子氏が発行人である。お会いする度に山本氏は「高齢化で困っているのよ」と嘆いていた。歴史のある歌誌の多くが直面
している問題で、ことは「沃野」だけの悩みではない。
現在の責任者として「沃野」の廃刊か思い切った改革かを迫られた山本氏は、ここで浩樹を主宰として迎えるという打開策を考えたのである。思い切った決断ではあるが、無縁の人を招くのとは異なって、地下水脈を生かした復帰要請というプランということになる。(…)
三枝の文章は3月23日付である。さらに、『短歌現代』6月号の「歌人日乗」の欄は山本かね子が書いており、3月27日の日記には次のような記載がある。
定例の編集日。今日「沃野」の編集室は期待に満ちて一人を待っている。三枝浩樹氏、今日から「沃野」の代表責任者として、この編集室に来て下さることになっている。(…)私の要請に応えて復帰して下さったのである。(…)浩樹さんは昔の縁を大切にされて、折々壽樹の歌について書いておられた。それを見て来た私が、壽樹創刊の「沃野」が続くようにと希い、懇請したのであった。(…)この先私に何が起きても、「沃野」は分裂することも解散する恐れもないであろう。(…)
このように、山本はうれしさや安堵感を書き連ねているのである。
これらの記事を読んで私が思い出したのは、以前この「週刊時評」で書いた「『主宰の定年制』に思うこと」の一文である。この二つの話は一見似ているのだが、「古志」の場合は、五十代の主宰が現在二十代の副主宰に句誌を引き継ぐという、結社の若返りに主眼が置かれていたのに比して、今回の「沃野」の場合は、(もちろん八十代から六十代に引き継がれるわけで若返りの側面
も大きいわけだが、)主眼は若返りよりも結社の存続と師の業績を世に残すことにあると感じた。「古志」のように、同じ結社の中に結社を若返らせる年齢の後継者がいればいいのだが、そうはいかない場合、高齢の主宰は廃刊をも視野に入れて結社の行く末を考えなければならない。しかしその結論は主宰一人のものではない。歌誌が廃刊になった場合、会員がどうなるかというのは決して小さい問題ではないのだ。今回、82歳の山本かね子が、62歳の三枝浩樹に結社の存続を任せたことにより、責任を果
たせた喜びを表現しているのもよく分かる。
ある歌人の歌が次代に伝わるのは、歌が良ければ残る、というような単純なものではない。膨大な数の歌の中で、いい歌が人口に膾炙して広がり、伝えられていくためには、その歌の価値を分かっている者が繰り返し伝え続けなければならない。賛否はどうあれ、それが結社の重要な役割の一つなのは事実だ。三枝昂之も同じ文の後の部分で、
(…)「りとむ」にとっては大きなマイナスであることは間違いない。しかし目をもう少しマクロな観点に移すと、伝統ある歌誌の存続という点では歌壇全体にはプラスに作用するだろう。(…)浩樹の「りとむ」におけるもっとも大きな仕事は連載「窪田空穂ノウト」だった。(…)空穂を一冊にすることも歌人としての大切な責務と考えてもらいたい。(…)
と述べている。
山本かね子も三枝昂之も、三枝浩樹が植松壽樹や窪田空穂について書いていた事を挙げて、継続を期待しているのだ。「りとむ」創刊以前に三枝兄弟が所属していた「かりん」も元は空穂の「まひる野」を母体としているので、今回の移籍は、ある結社の歌人が別
の結社に移ったと考えるよりは、窪田空穂につながる結社が共存共栄の形をとったと考える方が短歌史的に見れば正解であろう。確かに「沃野」以外の他の結社にとっても他人事ではないことだろうし、今後一つのモデルケースとなるかもしれない。結社の一つの側面
を強く意識させる出来事であったと思う。
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