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◆ 社名の歴史 ◆
「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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◆ 週刊時評 ◆
川本千栄・広坂早苗・松村由利子の三人がお送りする週刊時評(毎週月曜日更新)

ポスト・ニューウェーブとは誰のことか
text 川本千栄

 この週刊時評を何度か書くうちに「ポスト・ニューウェーブ」という言葉に繰り返し引っかかりを覚えた。一体この語を使う評者は、「ある方法論に拠る歌人たち」という位 置付けで使っているのか、それとも「ある世代の歌人たち」という位 置付けで使っているのか、さらに、果たしてこの語は批評用語として有効なのか、ということが大きな疑問として頭をもたげてきたのだ。
 この語を積極的に使っている一人は間違いなく加藤治郎であろう。「短歌ヴァーサス」(11号07年秋)の「ポスト・ニューウェーブ世代、十五人」と題した評論において、加藤は三つの項目に分けて十五人の歌人を「ポスト・ニューウェーブ世代の歌人」と位 置づけている。加藤の定義を引用する。

 ポスト・ニューウェーブ世代とは、一九九四年以降に登場した(歌集刊行を基準として)歌人と考えておく。また、一九九六年以降であれば、インターネット世代ということができよう。… ポスト・ニューウェーブ世代とは、口語性、大衆性、ニューウェーブの技法を継承しながらも、やり尽された後で短歌という詩型の可能性をその外部に求めざるを得なかった歌人たちということができよう。

 加藤による三つの項目とそれに沿った歌人名を挙げると、まずポピュラリティー(大衆性)を獲得した歌人たちとして東直子・枡野浩一・加藤千恵・佐藤真由美・笹公人。次にインターネットという場から登場した歌人として玲はる名・盛田志保子・今橋愛・斉藤斎藤・松木秀。最後にアンチ・ニューウェーブの歌人として吉川宏志・永田紅・島田幸典・魚村晋太郎・矢部雅之。アンチ(と加藤が考える)の存在としての歌人まで含めてしまうことからも、方法論によって定義された語だとは言えない。つまりこの語は、加藤自身が「ポスト・ニューウェーブ世代」と言っているように、世代区分のための語だということになる。
 同じ「短歌ヴァーサス」(11号)で香川ヒサも「ポスト・ニューウェーブの歌を読む」という評論を書いており、そこに挙げられている歌人は、「短歌を通 して何らかの型を求めていると思われる歌」という括りで吉川宏志・大松達知・島田幸典・松村正直・棚木恒寿、「短歌の形式そのものに型を求めている歌」という括りで枡野浩一・笹公人・斉藤斎藤・松木秀・笹井宏之、「女性の短歌」という括りで東直子・佐藤りえ・盛田志保子・ひぐらしひなつ・伊津野重美・兵庫ユカである。さらに同誌で斉藤斎藤の「生きるは人生と違う」では、「ポスト・ニューウェーブのわかものうた」として今橋愛・中田有里・宇都宮敦・永井祐を挙げている。同じ誌上でありながら、三人の評者の挙げる作者群にブレがあることがわかる。
 ちなみにこの「短歌ヴァーサス」(11号)の特集タイトルは「わかものうたの行方」であり、その副題は「ポストニューウェーブの現在」というものだ。「ポスト・ニューウェーブ」イコール「わかものうた」という捉え方である。そこに作品が掲載されている歌人は飯田有子・村上きわみ・斉藤斎藤・笹公人・黒瀬珂瀾・錦見映理子・今橋愛・石川美南・玲はる名・兵庫ユカ・ひぐらしひなつ・佐藤りえ・岡崎裕美子・吉野亜矢・五島諭・永井祐・雪舟えま・増田静・しんくわ・高井志野・我妻俊樹・島なおみ・天道なおの二十三人である。先ほど見た限りでは方法論としては括れず、世代区分の用語としてしか機能しないはずなのだが、ここには「アンチ」などという括りで挙げられていた島田幸典や矢部雅之の名前は見られない。また挙げられた二十三人の世代も、一九六一年生れの村上きわみから八一年生れの五島諭や永井祐まで(生年が公表されているものだけで)二十年もの開きがあり、区分がかなり曖昧だという印象である。一九九四年以降に歌集を出した歌人だ、という反論もあるかも知れないが、それならなぜ「わかものうた」と規定するのか。少なくとも世間的には「わかもの」ではない年齢の者も多数含まれている。
 今年になって、ポスト・ニューウェーブと位置づけられた歌人はますます増えている。「短歌研究」(08年7月号)の座談会「若い歌人の現在」には「私たちはポスト・ニューウェーブ世代」という小題があり(本人たちがそう位 置づけている発言はないが)、その座談会の若い歌人たちとは石川美南・野口あや子・吉岡太朗である。「短歌往来」(08年10月号)の「グローバリゼーションの時代の短歌」(中沢直人)では今橋愛・宇都宮敦・柳澤美晴(※注)・佐原みつるの名が挙っている。「戦後」が六十年以上続いているように「ポスト・ニューウェーブ」も十四年以上続いていることになり、次から次へと「わかもの」の名前が加えられている。
 以上のように、「ポスト・ニューウェーブ」という語は、方法論の区分ではないはずなのにそう使われていたり、世代論としてもどの世代を指すのかが曖昧なまま使われている。つまり、人によってまちまちの歌人群を指す言葉であり、批評用語として有効ではない、というのが私の結論である。

 第54回角川短歌賞が光森裕樹「空の壁紙」に決まった。過去の技法を消化した高い技術力と新鮮でシャープな目の付け所が特徴だ。選考委員は三枝昂之・永田和宏・小島ゆかり・梅内美華子の四人。短歌研究新人賞の選考座談会では、選考委員が若さに固執して作者の年齢を気にしていたが、角川短歌賞の選考座談会ではそうした傾向は無く、逆に歌に虚心に向き合う姿勢が感じられ、読む側としても気持ちよく読むことができた。

吾(わ)がつつむ焔(ほむら)のなかのあをを吸ひ煙草をともす友のまなじり
あかねさすGoogle Earthに一切の夜なき世界を巡りて飽かず

 クールな知性のひらめきとそれを支える安定した作歌力、ややクール過ぎる感じがするのが少し気になるが、間違いなく大きな力を持った新人が現れたという印象を持った。
 「ポスト・ニューウェーブ」という語を好む人たちは、一九七九年生れの光森を果 たしてその語で呼ぶのだろうか。そうした分類をやめて、その作者の歌そのものの魅力で見ていきたいと私は考えている。
[(※注)の、柳澤美晴さんの柳の字は正式には木偏に夘です。]

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