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◆ 社名の歴史 ◆
「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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◆ 週刊時評 ◆
川本千栄・広坂早苗・松村由利子の三人がお送りする週刊時評(毎週月曜日更新)




結社の意義
text 広坂早苗

 「塔」八月号の特集は、「結社とのつきあい方」と題された座談会である。出席者は「未来」退会後個人誌を発行している高島裕、学生短歌会所属の吉岡太朗と、「塔」所属の山下洋、川本千栄、前田康子の五人で、江戸雪が司会を務めている。印象に残った発言をいくつか挙げてみる。

 (選歌を受けないことに対する不安はないか、という前田の問いに対して)
 高島「(結社等の場において)批評眼とか、自分が作った歌に対する自選能力とか、うぬ ぼれるわけじゃないんですけど、結構そこは訓練受けたなという感じがしてて、自分の中でハードル設定できるようになってるというふうに自分では思ってるんです」「ただ、でも今一人でやってますけども、自分に甘くなることはやっぱり考えられるので、常に自分の歌に対してはなるべく厳しく見るように努力してますね」

 (結社誌という発表の場を持たないことへの考えを尋ねた江戸に対して)
 吉岡「基本的に私の、読者というか、短歌の発表の場というのは歌会がほとんどです。文教(筆者注:吉岡の在籍する京都文教大学)の歌会と京大の歌会、あと「塔」の旧月歌会にもお邪魔させていただいたこともあるし、(中略)いろんな場所で一応歌会してるから、歌会が短歌活動のメインになっていますね」「生で批評を受けると、やっぱりその場の空気が伝わる。本当に自分の歌読んでもらってるなという感覚があります」

 川本「よそ(筆者注:結社の外)から見たらみんな似たような歌に見えるんじゃないですか。一緒に歌を出して一緒の先生に意見を聞いているのだから、だんだん均質化していきますよね」(中略)
 江戸「歌もやし、やっぱり批評やね。批評が均一化してくるでしょう。いいって思うその感覚、共通 感覚が強すぎて、怖くなるときがあります」(中略)
 高島「やっぱりそれで閉じこもってしまうとやっぱりまずい。自家中毒になりますね」

 川本「選は受けたいな、どうしても受けたい。というより、選が無いのなら結社にいる意味は私には無い」
 江戸「ああ、そうですか。私には発表の場であるっていう意識が一番強いですね、結社誌は」(中略)「批評をする/されるという場が結社であり、大事なんだと思います」(中略)
 山下「やっぱり批評するっていうのすごい大きい、それはそう思う。歌会に行って、人の歌の批評してるうちに気がつくことってすごくたくさんある。(中略)人の歌について自分が何か言うっていうのすごく大きい」
 川本「真剣に読まなかったら言えませんもんね」

 様々な歌会で批評し合うことに充足している吉岡を除き、結社を退会した高島も含めた五人は、結社に大きな意義を認めている。高島は、結社で厳しい批評を受けた経験が、現在の個人活動を支えていると言う。川本は、結社の第一の意義は選歌があることだと言い切り、江戸は作品発表の場、批評の場としての結社の意義を重視する。また「塔」所属の四人は、歌を介して長年同じ人間と付き合うことの良さを主張している。これらは皆、結社の存在意義の柱と言えるものだろう。結社誌は、他に発表の場を持たない初心者にとって、かつては唯一の発表の場であったし、選歌や批評を受け、また自らも批評に加わらざるを得ない仕組みによって、教育を受け、鍛えられる場であった。また選者や結社の仲間との関わりは、長い間短歌に対するモチベーションを保つのに、有効に働く場合が多い。結社に入って二十年以上経つ私自身も、実感するところである。無論結社には主催者のカラーがあり、川本や江戸が指摘するような均質化の恐れも十分にあるわけだが、インターネットや総合誌、超結社の歌会などを通 じて、結社外の作品や批評に触れやすい現在の環境においては、個人の意識と努力によって「自家中毒」に陥ることは回避できると思う。
 このように記すと、結社全肯定論のようであるが、実際に総合誌の新人賞応募者を見てみると、吉岡や今年度の短歌研究新人賞受賞者田口綾子のように、学生短歌会のみに所属する作者や、「所属なし」の作者も多い。吉岡が言うように、各地で超結社の歌会が盛況であること、ブログのように手軽に発表でき、読者からの反応も即時に得られる手段があることなどが背景にあると思われる。また高島が結社を去った理由として触れていた、雑誌発行の事務等に関わる人間関係の煩わしさも、影響しているのかもしれない。師弟関係を含む濃密な人間関係より、気が向くときだけ付き合えばよい関係の方を好ましく感じる人が、増えているのかもしれない。
 しかし、ブログや超結社の歌会に、結社が持つような、時間を掛けてひとりの歌人の成長をサポートする機能を求めるのは難しい。川本が先回記していたように、総合誌がその機能を担うという発想もあるが、本来結社が担ってきた仕事なのではないかと思う。
 短歌を続けていくなら、結社に入って鍛えられたほうが良いと私は考える。しかし短歌を志す若い人の目に、結社は必ずしも魅力的な存在に映っていない。それが問題なのだろうと思う。

 澤村斉美の第一歌集『夏鴉』を読んだ。作者は平成十八年の角川短歌賞受賞者で、まだ二十代。結社の中で育ってきた若手歌人である。

逆光の鴉のからだがくつきりと見えた日、君を夏空と呼ぶ
ハプスブルグ凋落の章の読み易く髪の奥までゆふやみがくる
時をわれの味方のごとく思ひゐし日々にて浅く帽子かぶりき

 対象から一歩引いた冷静な観察眼、整った文体、取材の幅広さなど、多面 的な魅力のある青春歌集だと思った。 

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