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◆ 社名の歴史 ◆
「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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◆ 週刊時評 ◆
川本千栄・広坂早苗・松村由利子の三人がお送りする週刊時評(毎週月曜日更新)




原初への旅
text 川本千栄

 小黒世茂の第三歌集『雨たたす村落』を読んだ。前作『猿女』(二〇〇四)に引き続き、熊野がテーマである。熊野と言えば、熊野古道が世界遺産に指定されたことも記憶に新しい。世界遺産という言葉からは去勢されたような身綺麗な観光地が思い浮かぶが、小黒の描く熊野はどうしてそんな甘いものではない。太古の闇、神話世界などの決まり文句も浮いてしまうような、骨太の歌が並ぶのである。同じ作者による『熊野の森だより』という短歌+エッセー集も続けて出た。写 真も豊富で、歌の背景や熊野の地への理解と興味が深まる。

とぶ鳶をアイロンとして山襞を伸ばしひろげむ吉野十津川 『雨たたす村落』
春潮を力かぎりにひきもどす巨き手あれは須佐之男ならむ
鉄錆のにほひまじれる潮風に大岩ざざつと波をぬぎたり

 とにかく景が大きい。『熊野の森だより』で小黒は「…奈良県吉野郡十津川村大字桑畑字果 無(はてなし)は、人馬不通の大山塊にある。九七パーセントが森林である吉野十津川郷には、時代の流れに埋没しなかった人の営みのさまざまが、風土の中でいまも脈々と息づいている。…」と描写 している。その山に囲まれた土地に立ち、山際を滑るように飛んでいく鳶を見ている作者。掲出一首目は、歌集冒頭近くの歌であり、読者を大きな景の中に招じ入れる。また掲出二・三首目は歌集半ばの太平洋を描いた場面 であるが、山のスケールの大きさ同様、海も大きい。潮の動きに須佐之男の手を見るのは、そうとしか表現できない景の大きさということもあるだろうが、この作者が見えない世界を見ることに長けているためでもある。三首目、海の荒波をかぶる大岩の姿を目の前に見るような描写 であるが、「岩が波をぬぐ」という把握から、波も岩も生命体のように見る作者の視線が感じられる。

春の月そろそろ招かむ後南朝遺跡のまへを孕み鹿ゆく
鬼百合の蕊のほとりに頬かぶりしなほすは誰が落人の裔(すゑ)
杖つけば紅葉散るなり 空海さんは高野へ小辺路をいんだろーがい
先達は八咫烏にてこれよりは木の芽脈打つ春の樹海へ
雨粒にまじり蟻んこふる谷はまことにぬくし 縄文の闇

 作者の目は時間を縦横に行き来する。後南朝や落人、空海、八咫烏など、文字で記された歴史の時代の端緒まで遡り、さらには縄文時代の空気感まで感知するにいたる。『熊野の森だより』にも「…雑穀やイモなどで米の不足を満たし、木の実や川魚や鳥や獣で食文化をつむいでいる。そんな奥熊野の暮らしは端的にいえば、近世までが縄文時代だった。…」とある。このように長いスパンで時間を捉え、自らの体感とともに描き出した歌集は昨今の歌壇において貴重である。
 よく「風土」という言葉で短歌における一つのカテゴリーが表されるが、小黒の描く世界は「風土」という語で表現されるものとはやや異なるように思える。「風土」という観念に付随しがちな「郷里意識」や「対東京感」というものが小黒の歌からは感じられないのだ。郷里ということに関して言えば、小黒は熊野の生まれではなく(和歌山市だから遠いわけではないのだが)、「現地に足繁く通 」い、「現地の人の暮らしに飛び込」むことによって歌を得ている。また、古事記の昔や、果 ては縄文時代まで体感して詠う作者に、「東京」という近代的な価値観は無縁だ。「ふるさと対東京」という小さな図式には収まりきらないのである。小黒は熊野を人間の根源的な故郷として捉えようとしているのではないか。

執念を蝮に見たり捕へられ空瓶(びん)に弱るも七ひき子生(な)す
ああ、なんといふありがたき日輪やカマキリは鎌たててさみどり
餅投げよ山祝ひせよと祠より蟇はあらはるリュックおろさな
龍神のお渡りと見ゆ 吹きだまる霧に角ある風伝峠

 歌集には動植物も頻出する。例えば、ビンの中で子を産むマムシや作者と共に太陽を仰ぐカマキリなど。しかしこれらの歌は、作者が虫や獣と同じ目線に降りて歌を作っているというより、鳥獣虫魚と人間、さらに植物が一体となって混沌とした世界に同居しているような印象を与える。神もそんな混沌の一部である。祠より現れる蟇蛙、峠を渡る霧、そんな中に作者は神の姿を見るのである。
 歌集後半では、家族の死や、師である塚本邦雄の死、北海道旅行詠、など熊野にこだわらない様々な歌が見られる。第二歌集『猿女』も熊野をテーマにした歌集であったが、その視覚的にも聴覚的にもある種の美学が感じられる歌から、『雨たたす村落』では自分の身の回りの出来事に素直に身を任せた歌へと歌柄も変化してきたように思う。師の死を越えて、小黒自身の内的必然のある主題に、より素手に近い形で肉迫しつつあるのではないだろうか。
 『雨たたす村落』『熊野の森だより』二冊合わせて読むことでさらに世界が広がる。そこには貴種流離譚から環境問題まで広範囲な論点が歌人の目で掬い取られている。『熊野の森だより』最後の秋道智彌(総合地球環境学研究所副所長)との対談は特に面 白い。そこに出てくる猿醤(さるびしお)、―猿の内臓に塩をして味噌漬けにしたもの―のように小黒の歌は腹にドスンと来る。コンビニのスナック菓子のような歌集が多い中、現歌壇に一つの方向性を示唆しているとも言えるだろう。亡き前登志夫・山中智恵子のように、自然を通 して歌の原初の姿につながろうとする姿勢を、小黒の歌から感じるのである。

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