ポストモダンと年譜
text : 大辻隆弘
90年代前半に隆盛を極めたニューウェーブ短歌は、ポストモダニズムの落とし子であった。作者と短歌を切り離し、言語そのものが開示する無意識の世界に身を寄せる。そのような手法が、短歌の新たな可能性を開くのではないか。そんな期待と危惧が入り混じっていた時代だった。
先ごろ出された『岡井隆全歌集3』は、ちょうどそのころの彼の歌業をあつめたものだ。たとえば『宮殿』(91)のあとがきには、当時、岡井の「ポストモダン宣言」と捉えられた次の言葉が載っている。
作者は、読者の前に姿をあらわしてはならない。この鉄則に打たれて、眠りから覚めた。
編年体の歌集方針を捨て、春夏秋冬の部立てを採用する。連作の小題をすべて無機質な数字する。そんな過激な編集方針が採用されたこの歌集は、ニューウェーブ色の強い作品とあいまって当惑を呼んだものだった。
岡井は『全歌集V』の「自筆年譜」のなかで、この時代の私的事情を赤裸々に告白している。現在の配偶者との出合いや、転職、家族との別
れ、離婚調停といった込み入った私的事情が淡々とした筆致で書かれていて驚かされた。彼はここで次のように言っている。
90年末に家族と別居して東京へ出たこと。歌会始選者になったことに象徴されるような、思想上の変化。生の底に、ニヒリズムやアナーキズムの衝動が動いてやまないこと。(略)技法上の手品的な試行の出どころは、作者の生活にもあったのだと思った。
このような発言を見ると、当時一見唐突に見えた「無名の楯」発言の意図がはっきり解ってくる。彼が「無名」を宣言したのは、当時、隠蔽せざるをえない私的事情が背後になったからなのだ。
作品と作者を峻別した岡井の「ポストモダン宣言」の背後に、隠蔽すべき私的な事情があったこと。種あかしを聞くと、なあんだ、ということになりかねない。が、私はそこに作者と作品というもの間にある込み入った不可分の関係を見てしまうのだ。
歌人は時に、激烈な手法的な変換を遂げることがある。一見、言語の戯れに身を任せている思われるその変化の背後には、私的な必然性がある。その私的な必然性は、その時点では、作者自身にも気づかれていない。が、作者の生の全体を見つめたとき、その必然性は必ず可視なものになる。岡井の年譜はそのことを改めて私たちに告げ知らしめてくれるのである。
現在、批評の世界では「評伝」が大ブームだという。それは、作者とテクストを切り離すポストモダン批評では決して見えてこない、人間の生と文学との関係をもう一度見つめなおしてみようという機運に促されているのであろう。ポストモダン批評の精緻な方法論を体験した私たちにとって、その動向は批評の退嬰にも見える。が、こと短歌に限った場合、そのような視点がもたらすものは、決して少なくはない。
歌と、歌人の生。それを捉えるのに私たちはどのような方法論を持てばよいのか。それを改めて考えさせられる岡井の年譜である。
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