虚ろなる貴方無き世界
追憶其の七
第六章 勝算無き挑戦


第五章 遙かなる地底


「全軍戦闘態勢!巨大降魔が来るぞ!!」
『!!!!!』

 休憩中の全軍が、一瞬で跳ね起きた。
 叩き起こされた真之介も、あやめから水を一杯もらってすぐに自分を取り戻した。

「巨大降魔が……、動いた……!?」

 北村少将の声を知らない者も多く、また放送を通した声でもあったので、ほとんどの者は司令部からの通知と信じて疑わなかった。
 何より、その声に込められた緊張感と切迫感が紛れもなく本当だったからでもある。

 一方で第二艦橋は騒然となっていた。
 ここにいる面々の多くは北村少将と面識があるので、放送を通した声であっても何人かはすぐに彼であることに気づいた。

「どういうことだ?彼は今回輸送任務のはず……」
「輸送中に何かを発見したのではないのか?」
「ならば、他の者が発見しているはずだ。彼は少将なのだぞ」
「そもそもミカサ内の放送ではなかったか……?」
「全員静まれ!彼の立場は後回しだ!!」

 畑中総司令は一喝して場を静めてから、春日方術士団長に視線を向ける。
 サブである第二艦橋には未だ妖力計のメーターが設置されておらずこれから設置する予定だったので、一番頼りになる情報源は彼だった。

「……間違いない……。高速でこちらに接近してきている」

 春日はなんとか感情を押し殺したような声を絞り出した。
 この空洞内を走ってきているにしては速すぎる。
 そもそも先ほどまでまったく感知出来なかったものが、もうすぐそこまで来ている。
 しかもこの妖力の、尋常ならざる強さは……!!
 封印を守っていた、同期で方術士団副団長の宮本が消息を絶ったのも、これでは当然だ……。

 畑中総司令にしても大誤算であった。
 出てきてもらいたいとは思いつつも、絶対に動かないものと考えていた上で立てていた作戦が全て破綻させられてしまった。
 だが、広場に出てきてくれるものならば、全軍で相手をすることが出来るともいえる。
 考えようによっては、千載一遇の勝機でもあると考えるべきだった。

「全員指揮につけ!判断は各人に任せる!
 ただし、巨大降魔の打倒を最優先事項とする!」

 北村少将は問題行動を起こしているようだが、それは現時点では益にこそなれ害ではない。
 今は放って置いても良かろうと判断した。
 将官らは次々にミカサを出て、指揮部隊につく。

「対魔カノン砲の準備急げ!」
「重傷者は退避させろ!巻き添えを食うぞ!」
「深部方向へ隊列揃え!」

 現場には北村の切迫した指示から緊迫感が伝わっており、臨戦態勢が着々と整えられていた。
 ただその中で、海軍から来た何人かがお互いに顔を見合わせてミカサへと移動していったが、多数の人間が動いている中で気に留める者はいなかった。
 かろうじて戦闘態勢が整えられるかと思ったとき、まるでホラ貝の中にでもいるかのような、低く圧倒的な音が全員の耳を打った。
 次いで叩きつけられる突風が整えられたばかりの隊列を大きくかき乱す。

「風……、だと……!!?」

 こんなところに吹く風が、自然の物であるはずが……

『!!!!!』

 それは、既に来ていた。
 巻き上がった砂埃を避けるために目を細めたほんの僅かの間に、もう、すぐ目の前に現れていた。
 突風が止み、宙に浮かんでいた「それ」がゆっくりと地に降り立つ。

 地響き。

 ゆっくりと降りたのではなかった。
 厳密に言えば、それがいる位置は目の前よりはやや遠かった。
 そんな錯覚を起こさせたのは、それがあまりにも常軌を逸した巨躯の持ち主だったからだった。
 青でも紺でも紫でもない、それらの一般的な色にあらざる禍々しさを持った身体は、大きささえ縮めれば普通の大型降魔とそう差は無いように見える。

 だが、
 一本一本が並の剣よりもはるかに巨大な鈎爪、
 人体など軽く突き破りそうな牙、
 金属鎧のような重厚さを感じさせる外骨格、
 身体に比してさえ大きい筋肉で造られた四肢、
 喩える物がないほど雄大な翼、

「巨大……降魔……」

 静まり返った中、誰かがつぶやいた。
 もしかしたら自分だったのかも知れない。

 大型降魔でさえ、こいつの横ではごく普通の存在に見えてしまう。
 そう、それと同時に、付き従うように多数の大型降魔も姿を現していた。

 大型降魔、それらを率いる巨大降魔。
 それこそが、自分たちが今から戦おうとしている存在だった。

 ギエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッッッッッッッ!!

 何かを告げるように、一斉に大型降魔たちが叫びを上げる。
 何か……そう、自分たちの優位を確信する、嘲笑のようにも聞こえた。

「う……あ……」

 さしもの精鋭たちも、恐怖の余り恐慌に陥りそうになったそのとき、

「破邪剣征、桜花斉爛!!!」

 手近のカノン砲台に駆け上がった一馬が、友軍の頭上で霊剣荒鷹を横薙に振り切った。
 とっさの一撃だったが、桜色の一閃が降魔群の端から端までを全て巻き込むことに成功した。
 耳障りな叫びが止み、大型降魔たちはあわてて飛び散る。
 反応の遅れた何体かは、倒れないまでもそれなりの傷を受けてひるんだ。

 戦える。
 こいつらは、神仏ではない。
 れっきとしたこの世界の存在なのだ。

 一馬は全軍にそう思わせ、恐慌に陥ることを回避させた。

「攻撃開始!」

 その意を受けた春日方術士団長の号令とともに、方術士団が巨大降魔への攻撃を開始する。

 総力戦が始まった。

 陸海軍の各隊は、方術士団や陰陽師らの火線が集中している巨大降魔に突っ込んで同士討ちになるのを避け、取り巻きの大型降魔との戦いを展開していった。
 取り巻きと言っても、普段地上で戦うことが多い中型降魔とは比べ物にならない戦闘能力がある。
 最初に突撃を敢行した者等の多くはあえなく打ち倒されてしまった。

「正面からかかるな!動きは中型降魔より鈍いのだ。
 こちらの数を活かして横や後ろに回れ!」

 根岸陸軍中将をはじめとする七月の小田原戦役でも降魔と戦った経験のある指揮官たちが鋭く指示を飛ばす。
 大型降魔は装甲、攻撃力ともに中型降魔の比ではないが、唯一の弱点はその大きさだった。
 翼はあるものの、せいぜい一、二メートル浮遊するのがやっとなので、攻撃が届かないと言うこともなく、素早い回避行動もとれない。

「正面開けい!
 仰角二十三度、カノン砲、五、四、三、二、一、
 発射!!」

 兵たちが回避したところで、金属製錬技術の粋を集めたシルスウス鋼弾が発射される。
 対魔カノン砲の指揮をとる長岡海軍中将は、巨大降魔にこのシルスウス鋼弾を叩き込むことを故門脇大将に誓ってここに乗り込んできたのだが、巨大降魔は方術士団と陰陽師連の攻撃で正確な捕捉が出来ない状態だ。
 元々一発の値段が半端ではない上に、横浜工場が破壊された今となっては再生産の見通しが立っていない代物だ。
 無駄撃ちは許されない。
 後で必ず叩き込んでやると心に誓い、今は先に大型降魔らを狙うことにしたのだった。
 対陣ではなく、対魔物用として迅速に照準を合わせることができるように設計した門脇の技術に狂いはなく、狙い違わず、二体を貫通し三体を巻き込んだ。

「確実に仕留めろ!」

 皮膚と言うよりも外骨格と言うべき大型降魔の肌は硬く、純シルスウス鋼刀でも人間の力で振るったのでは突き通せないことも多い。
 だが傷を負わせてしまえばそこから切り開くことも可能だった。
 しかし、手負いとなってもなお大型降魔は近づく兵を打ち倒す。
 一体倒すまでに、必ずその五倍から、ことによったら二十倍以上の被害が出る。
 それでも、対魔装備がある分だけ以前よりましなのだ。
 小田原では対降魔部隊以外が大型降魔と戦おうとすると、数百人の犠牲者が出たのだから。
 この対魔装備も、再生産できる見通しは立っていない。
 この作戦に後はないのだ。

「人間の知恵と力を思い知れ!」

 畑中総大将から指揮権を与えられた根岸陸軍中将の指揮の下、陸海合同軍は大型降魔の群と一進一退の戦いを繰り広げていった。



 一方、巨大降魔は方術士団と陰陽師らの集中砲火に包まれていた。
 反撃の暇を与えないように、常に気弾や術法が命中している。
 ただ、封印や束縛といった類の術は全く通用しなかった。
 即死、石化といった一撃必殺の呪法を使った陰陽師の中には、術を丸ごと跳ね返されて死んでしまった者もいる。
 そのため今は、霊力を放出して叩きつける型の攻撃が中心になっていた。
 それが出来ぬ者は横で大型降魔と戦っている陸海軍の支援に回ったり、大規模呪法による陣の準備をしている。

 それでも方術士団長の春日としては極力長引かせたくはない。
 元々立てていた計画と作戦の全てが何も仕上がらないまま戦闘に突入してしまったのだ。
 一気呵成に方術士団で巨大降魔を取り囲んで山崎真之介を排除することが出来たのは幸いだったが、大規模呪法の準備は一つも出来ていない。
 おそらく巨大降魔はそれを見越して先制攻撃を仕掛けてきたのだろう。

 帝都各所を襲った未曾有の嵐。
 突入作戦に合わせた地震。
 こちらの準備が整う前の先制攻撃。

 恐怖を感じた。
 あまりにも理知的かつ強大すぎる。
 どれほどの力を秘めているのか見当も付かなかった。
 ならば、残りの力を知らないまま倒してしまうのが最良……!

「十八式、封滅の光剣!!」

 これで止めを刺せるものならそうしてしまいたい。
 長大な霊力刀を最上段から叩き下ろす。
 物理的な硬度だけならば、これで切れない物はこの世にはない。

 命中!

 土煙と閃光の中でも、術に慣れた春日にはその存在感は見失いようがない。
 確かな手応えが……

「これは……っ」

 手応えはあった。
 しかしそれは何かを切り裂いた感触ではなく、受け止められた感触だった。
 光剣の先端は、巨大降魔の頭上あたりで止まっている。
 何が起こったのかと、固唾を呑んで見守る一同をあざ笑うように、巨大降魔を取り巻く土煙が内側からさっと払われた。
 全員が、唖然となった。

「無傷……だと……!!?」

 いくらなんでもそんなはずがない。
 度重なる攻撃で、巨大降魔の外骨格にあたるドス黒い紫の甲殻が、多少なりとも飛び散っていたというのに……。

「……なるほど」

 方術士団が巨大降魔に集中していたので陸海軍と一緒に手近の大型降魔を切り伏せていた真之介は、大体事情が飲み込めた。
 巨大降魔は春日の光剣を正面から食らっているのではなく、右腕を頭上に掲げて受け止めているのだが、そこには確かに傷が付いている。
 だがその傷はじわじわと治りつつあった。
 おそらく、かすり傷程度ならば十秒とかからずに完治してしまうのだろう。

「……強く、なっているな」
「そうね」

 五人の兵とともにあやめが切り結んでいた大型降魔を背後から一刀両断してから、真之介はあやめに声をかける。
 巨大降魔と以前に戦ったことがあるのはこの二人だけだ。
 しかし、そのときはあそこまで異様な回復能力など持っていなかった。

 春日が光剣を維持できなくなり解除したところで、巨大降魔はゆったりと一歩踏みだした。
 あえて、見せつけるような、一歩。
 微かにとは言えないくらいはっきりと、地面が揺れる。

 動くのだ。

 恐れとともに多くの者が、そう思わずにはいられなかった。
 巨大降魔の厳密な大きさは、……そう、例えば奈良の大仏に比してみれば半分強といったところだろう。
 しかしそれは塑像ではなくれっきとした活動体であり、戦おうとしている自分たちを見下してあざ笑っているのでは……。
 さきほど一馬の一撃で払われたはずの恐怖を、巨大降魔はわずか一歩で蘇らせてしまった。

 禍つ神に、見えた。

『うあああああああああっっっっ!!』

 狂的な叫びが上がった。
 真っ先に上げたのは地方から召集された陰陽師の一人だったが、その恐怖が次々と伝播していく。
 いかに集められた精鋭たちといえど、いや、特に陰陽師たちは日々超自然のものと向き会っているからこそ、その存在の凄まじさが嫌と言うほど思い知らされたのだ。
 指揮官たちが最も恐れていた事態になった。
 これでは戦闘どころではない。

 巨大降魔は攻撃らしいことはなにもしていない。
 ただ攻撃を受け止め、そして、一歩踏みだしただけだ。
 それだけで、戦線が崩壊した。
 巨大降魔は全てわかってやっている。
 準備不足のところで戦闘に突入させ、気持ちが慌てているその心の隙を狙ったのだ。
 恐怖だけではなく、様々な人の心の機微を解った上での行動だった。

 米田は、いやというほど実感させられた。

 こいつは、強い。

 五十余年の人生を通じて、強敵と呼べる相手は何人もいたが、こいつは、それらの全てを超えた、最凶の存在だ……!

「一馬!山崎!……、あやめくん!行くぞ!」

 最後にあやめを呼ぶときに、魂が痛んだ。
 これを……最後にするのだ……!

「雑魚はどいてろ!」
「こら、もうちょっと言葉を選びなさいよ!」

 二人とも、以前二人だけで戦ったときに比べれば、さほど恐れを感じなかった。
 というよりも、傍にいる存在を確かめられるだけで恐れというものはあまり気にならなくなる。

 走りながら、そんな二人の表情を確認した一馬は、まだ今のところ真之介は大丈夫だろうと確信する。
 それから、ちらりと春日の方を見た。
 方術士団は、真之介と氏綱の魂について色々算段をしていたはずだが、どうする?と尋ねているのだ。

 今の真之介と巨大降魔がやりあえばどうなるのか、米田にも一馬にも春日にも予想がつかない。
 だが、対降魔部隊の頭数を省いてどうにかなる相手ではないことはもはや明白だった。

 やるしかない。
 戦闘の最中に真之介が押し込めている北条氏綱の魂が覚醒したとしても、あわよくば共倒れになってくれるように願うしかない。
 ある程度は考えを見抜かれていることを承知の上で春日は頷き返した。

「第四陣形へ移行せよ!」

 あらかじめ伝えておいた番号で指示を出す。
 さすがに、封印陣をとれと口に出すのは、真之介と、それに巨大降魔をも刺激する可能性があった。
 あれが人語を解したとしても少しも不思議ではない。

 陣形が大きく変化する中を突っ切って、四人は巨大降魔に肉薄した。

「行くぞ!彩光紅炎……!!」

 手にする光刀無形が真紅の輝きを放ち、炎を纏った真之介の身体がゆらりと浮き上がる。
 いきなり必殺技を叩き込むつもりだ。

「朱凰滅焼!!」

 鳳凰さながらの姿で飛び立つように、巨大降魔の正面から突っ込んだ。
 恐慌に陥っていた周囲から感嘆の声が上がる。
 直立した西洋のドラゴンを彷彿とさせる巨大降魔とあわせると、一幅の雄大な絵画のようにも見える一瞬だった。
 だがこれは、まぎれもなく目の前で繰り広げられている戦いの瞬間なのだ。
 巨大降魔は左手を大きく開いて鳳凰を手中にせんとする。
 その手に込められた絶大な妖力と、炎と化した真之介の霊力が激突した。

「どの程度のものか……!」

 身体が大きく開いた巨大降魔へ向けて、一馬は霊剣荒鷹を抜いた。

「破邪剣征、桜花放神!!」

 だが巨大降魔は無理な体勢から反応してきた。
 ほぼ傷の治った右手が唸りを上げて振るわれると、稲妻を伴った衝撃波が吹き荒れて桜花放神の威力の大部分を相殺する。
 その嵐の下に飛び込むような状況で、あやめと米田は巨大降魔の足下まで来ていた。
 これだけの巨体だ。
 真之介のように魔術で空を飛べるのでもない限り、直接斬りつけるのはせいぜい腰までが限界となる。
 膝まででも、人間の身長よりさらに高いのだ。
 まずは自由に動けなくさせれれば……!

「うおりゃあああっっ!!」
「深仙清翔、正鶴刺突!!」

 派手な破壊音を伴った一振りと、ほとんど音のない一突き。
 右足の脛横の外骨格が神刀滅却によって砕け散り、右膝間接部の外骨格の隙間に神剣白羽鳥が差し込まれた。
 攻撃はちゃんと通用する。
 やはりこれは神仏ではない。

「倒して倒せねえことはねえ!」

 多分に脚色した一言を半ば自分に向かって言い聞かせつつ、傷が回復される前にと、米田は二撃目を振りかぶる。
 まるで大木を切り倒そうとするような無茶な使い方だが、米田は神刀滅却に絶対の自信を持っていた。
 不屈の志を感じさせる、二剣二刀の中でも随一の豪刀だ。
 しかし、振りかぶったその先に巨大降魔の足はなかった。

「きゃああああっっ!!」

 巨大降魔が、神剣白羽鳥が突き刺さったままで右足を蹴り上げたのだ。
 とっさにあやめは剣を手放して衝撃を和らげようとしたが、それより早く神剣白羽鳥ごと宙に舞い上げられた。
 これであやめが大藤流合気術の使い手でなければ、よくて内臓破裂だったろう。
 それにしても、あれほどの巨躯だというのに片足立ちになっても全く平衡感覚は崩れていないし、大きさからは考えられないほどの俊敏さだった。

「まったく、効いていないのか……!」

 少なくともあやめと米田の一撃は、動きに全く影響はないらしい。
 それでも朱凰滅焼や桜花放神に対しては相殺しようとしたのだ。
 最大級の必殺技を正面から命中させればまだわからない。
 考えている余裕はあまり無かった。
 宙に浮いたあやめに向かって、巨大降魔が大きく口を……

「させるかあっっ!!」

 左手であやめに向かって浮遊落下の魔法をかけつつ、右手で朱凰滅焼の残り火を集約して、上空から巨大降魔の顔面に向かって火球を投げつける。
 だが、かわされた!

「……!速い!」

 首から上を動かしたのではない。
 ほとんど瞬時とも言える時間で、巨大降魔は立ち位置を大きく動かしていた。
 まったく目で追いきれない速さだったわけではない。
 しかし元来の存在感があまりにも大きいため、目の前から消えたようにしか見えなかった。
 その巨大降魔の狙いは真之介の方だった。
 振り向いたそのすぐ目の前で、青い高温の炎が吐き出される。

「水壁!!」

 脊髄反射の速さで水の術法を使って目の前に防御壁を張る。
 並の炎ならこれで防げるはずだった。
 しかし霊水ならばともかく、純水に物理的な消火能力があるわけではない。
 大きな熱容量を活かして、物体を発火点以下に冷やすだけなのだ。
 吸収できる熱容量を超えた場合、水は全て水蒸気となる。

「しまった!!」

 水蒸気の体積は水の一千倍、だということくらい真之介は知っている。
 水蒸気爆発だ。

「ガッ!!」

 爆風で派手に吹っ飛ばされ、地面に頭から落ちる寸前でなんとか浮遊し直すことが出来た。
 だが、顔を上げた真之介は、吹っ飛ばされたことで助かっていたことを知った。
 炎が炸裂した所にいた者は一瞬で炭化し、その下の岩盤が融解して溶岩になっていたからだ。
 陰陽師たちが急いで冷却するが、その間にもさらに何人かが溶岩に飲み込まれた。

「……洒落にならねえな……こいつは……」

 一気に跳ね上がった気温のためだけではなく額に汗しつつ、米田はうめいた。
 いくら霊力による防御力があっても、あんなものの直撃を食らえば全身大火傷は確実だろう。
 しかし、大砲の直撃を食らうのも炎で焼き尽くされるのも結果は大差ないと思うことにした。

 このくらいで臆していちゃあ、地獄であいつらに合わす顔がねえ。

 己を奮い立たせると、神速とも言える速さで巨大降魔との間を詰めた。
 右膝の外骨格につけた傷が完治する前に、そして、巨大降魔が気づいてかわす前に、

「くらいやがれええっっ!!」

 超音速の一撃に霊力を乗せて、衝撃波とともに叩き込んだ。
 加えた力の反動で米田が離脱するところへ、

「破邪剣征、百花斉放!!」

 ねらいを一点に絞り込んだ一馬の霊力が同じ場所を直撃した。
 さすがの巨大降魔の身体もわずかに揺らぐ。
 そこへ、

「深仙凄翔、鷹爪裂破!!」
「彩光黄輝、光明線衝!!」

 半寸程度ずらすことで同士討ちを避けたあやめと真之介の攻撃が、さながらハサミのように巨大降魔の右足をぶった切った!

「やったぞ!!」

 全軍から歓声が上がる。
 勝てるぞという意識が全軍に広まる。
 しかし、当の真之介とあやめは逆に不審の念を隠せなかった。
 おかしいのだ。

 こんなにも、弱いわけがない……!

 はっとなって上を見上げると、右膝から下を失ったというのに巨大降魔は平然と立っているではないか。
 米田や一馬も、ことの深刻さに気づいた。

「こいつは……」

 春日方術士団長がつぶやいた次の瞬間、周囲で倒された大型降魔の残骸が脈動しはじめた。
 それらが昇華して煙のようになったかと思うと、一挙に集中し始めた。
 集結したところは、巨大降魔の右膝から先。
 十数秒だった。
 巨大降魔の右足は完全な形を取り戻していた。

「トカゲの尻尾みたいなものですかね」

 爬虫類に似た降魔の概観から、一馬はふとそんなことを考えていた。
 しかし、ここまでの再生能力を持った降魔に会ったのは初めてだ。
 さらには、切り飛ばされた右足の残骸が分裂して、小型、中型、大型降魔となっていくではないか。

「やって……くれやがる……!」

 一馬の喩えで間違いあるまい。
 巨大降魔にとっては単に切り離したようなもので、大した傷ではないのだ。
 そして、切り離されたもののたちの悪さは喩え以上だ。
 茫然となった兵たちに、降魔たちは次々と襲いかかる。

「枝葉を倒しても無駄と言うことか」

 真之介はあやめとともに一端離脱する。
 足から崩すというのが使えないのなら、巨大降魔の足下は危険な場所でしかない。
 踏みつぶされれば一巻のお終いだ。

「そうすると」
「本体狙い、だな」

 先ほど春日士団長が頭上に叩き込んだ封滅の光剣は当たるに任せず手で受け止めていた。
 上部を狙いに行った朱凰滅焼と桜花放神も防御した。
 他の降魔と同じく頭部が本体だとすれば、本体は無敵でないということになる。
 もしかしたらそれすらも擬態……と言う可能性もあったが、それを考えてしまうともはや打つ手が無くなる。
 そうと信じて行動するしかなかった。

 しかし、巨大降魔も受けてばかりではなかった。
 やや前屈みになったかと思うと、その巨大な翼を大きくはためかせた。
 大きさが大きさだ。
 それだけでも乱気流が発生して、踏ん張りきれなかった者が何十人も宙に舞い上げられた。
 人間でさえそうなのだから、砂や小石は言うに及ばない。
 いきなり出鼻をくじかれたところへ、砂嵐の中をつっきって中型、小型の降魔が飛び込んでくる。
 彼らの飛行能力はこんな中でも失われていなかった。
 障害物に混ざって襲いかかってくるので、真之介も危うく小型降魔に目をやられかけた。

 かわしたところで次は建造資材を覆っていた麻布が飛んできた。
 これでは攻撃に転じるどころではない。
 その当の巨大降魔は、自らが起こした嵐の中でも平然と動いていた。
 何に喩えればよいか解らないその巨大な腕を一振りすると、それだけで十何人も薙ぎ払われた。
 あんなものの直撃を食らっては、シルスウス鋼板を仕込んだ対魔装備などでどうこうできるような問題ではない。
 
「そう……好き勝手にやらせるか!!」

 春日は突風で会話も出来ない中、心話で命令を下した。
 副業で雨乞いなどをやっている陰陽師たちに力を合わさせて、何とか乱気流を収束させる。
 一人や二人では到底対抗できなかったのだ。
 何とか身動きのとれるようになった対降魔部隊がやっと交戦状態に入る。

「いけええいっっ!!」

 身体をひねり気力をさらに込めて高速化させた米田の剣閃による衝撃波を、巨大降魔はわずかに身をよじって肩で受ける。
 やはり意識的に、頭部を守っているようだ。

「巨大降魔へ砲撃だ。奴の頭部を狙え」

 周辺の大型降魔と戦っていた長岡海軍中将もそれに気づいた。
 元々は大型降魔相手ではなく、巨大降魔のために作り上げられた対魔カノン砲だ。
 奴にくれてやらねば、横浜でこれらの武器を守ろうとして戦死した門脇海軍大将に顔向けできない。
 幸い、真之介や一馬の技が炸裂して巨大降魔の注意はそちらに向いている。

「今だ、撃て……!」

 巨大降魔に声を聞きつけられないように、長岡中将は小さな声で鋭く号令を下した。
 三基のカノン砲が一斉に轟音を上げる。
 中型降魔が何体か、動きに気づいて止めようとしたが、そんなものをものともせずに粉砕して、狙い通り巨大降魔に命中した。
 一発はややそれて延髄に当たったが、二発は狙い通り巨大降魔の後頭部に命中した。
 さしもの巨大降魔の巨体も大きく揺らぐ。

「見たか化け物!」

 今度こそ確かな傷だ。
 再生が始まるような様子もない。
 人類は負けぬ。
 長岡中将は口の中でつぶやいて、その直後、背後から迫ってきた大型降魔に背中を引き裂かれて倒れた。
 巨大降魔に一撃を加えた代償として、その隙に周辺の降魔たちが勢いを盛り返してきたのだ。
 戦場は既に、下士官も大将もないほどに入り組んでいた。

 だがそれでも、巨大降魔の本体に大きな傷を負わせられたのだ。
 これが勝機とばかり、真之介は光刀無形に霊力を集中させる。
 一馬もそれに倣った。
 その間の時間は、あやめと米田が稼いだ。
 そう、巨大降魔はシルスウス鋼弾の直撃を受けて動きを鈍くしたものの、なおも動きを止めていないのだ。

「食らええええっ!!彩光紫閃!凄覇天臨!!」
「破邪剣征、桜花放神!!」
「……行ったか……!?」

 春日方術士団長は事の次第を見つめて、次の手に移る瞬間を待っていた。
 巨大降魔の本体さえ倒せば、あとの身体の部分を構成している怨念を、用意しつつある封印陣で浄化、封印するつもりなのだ。
 だが、

「何イッ!!?」

 巨大降魔は二つの必殺技をかわせないと見るや、大口を開けてこれを吸い込んだ。

「馬鹿なっ!!」
「オレの技はともかく……、一馬の攻撃まで……」

 真之介は、自分の振るっている力が魔に近いことは自覚している。
 ゆえに、自分の技に関して言うならばあり得ないことではないとは思う。
 だが、一馬の一撃となると話は全く別だ。
 破邪の血統、魔を狩る者、真宮寺家当主の放った攻撃を吸収するなど、春日すらも予想していなかった。

「こいつは……一体……!?」

 霊力や妖力について知識のある者ほど、動揺が激しかった。
 さらにそれに追い打ちをかけるように、

「水……!?」

 巨大降魔が掲げた両手から、膨大な水が放たれた。
 滝のように落ちた水流は次々と兵たちを飲み込んでいき、さらには地下一万メートルにはあり得ない大雨がこの一帯に降り始めた。
 量が多すぎる。
 このままではこの一帯が完全に水没しかねない。
 巨大降魔からある程度距離を取っている春日の膝下まですでに水に覆われていた。

「この方術士団長春日光介をなめるなあっ!!」

 限界速度ギリギリで法印を連ねていく。
 もっと手早く片づけたかったが、あの巨大降魔が呪法で出現させたものを簡易呪法でどうにか出来るとは思えなかった。
 しかし、封印用に準備している陣はまだ使いたくない。
 自分の他に対抗できそうな人物というと、あとは山崎真之介くらいだったが、何故か姿が見えなかった。

 何をしている……?
 空を飛べるはずなのに……。

 不審に思ったが、今はこの水をどうにかしなければ、全軍が溺死してしまう。

「五行水克、霧散陣!」

 抵抗は大きかったが、かろうじて術に成功した。
 降り注ぐ大雨を止めて、辺りを覆い尽くしていた水が地面と大気に吸い尽くされるように消えていく。
 流れに巻き込まれて溺れていた者たちは解放されてその場に倒れ込み、何とか呼吸を取り戻そうとする。
 だが何人かはそのまま動かない者もいた。
 海軍はともかく、陸軍の中には泳げないものもいただろう。
 まさか山崎真之介も泳げなかったのか?
 と思ったところで、藤枝あやめが駆け寄っていく先に見つけた。
 前屈みに倒れ込んで、あえいでいる。
 溺れたのかと思ったが、それにしては様子がおかしい。

「真之介君、どうした?」

 たっぷりと水を吸って重くなった上着を脱ぎ捨てていた一馬と米田も、真之介の異常に気がついた。
 しかし、二人まで駆け寄るわけにはいかない。
 巨大降魔はなおも健在なのだ。
 放っておけば……案の定、さらに追撃を仕掛けてきた。
 ずぶ濡れになった一同をあざ笑うかのように、再び大きく羽ばたいて風を起こした。
 先ほどと違って、濡れた地面からは砂埃は上がらない。
 しかし今の状態での烈風は、下手な冷凍攻撃よりも確実に全身の体温を奪いに来た。

「くそぉ……年寄りには堪えるぜ……」

 さらに、洪水はもっと深刻な事態を引き起こしていた。
 カノン砲を点火させる火薬をほとんど全滅させていたのだ。
 いかに対魔用シルスウス鋼弾砲といえど、その原理は火薬を利用した大砲以外の何物でもない。
 もちろん、濡れては使えないことくらいは周知の事実なので、火薬は防水具に入れて保管してあったのだが、それが想定している事態は大雨の戦場までである。
 こんな大空洞の底でまるごと洪水の濁流に呑み込まれる事態までは考えられていなかった。
 砲術部隊を統括指揮する長岡海軍中将が倒れたこともあって、各砲の小隊長らは独自の判断で、密閉して中身が無事な爆弾から火薬を取り出すよう指示したが、果たして使える物かどうか誰にも解らなかった。
 シルスウス鋼弾の脅威が無くなった中、大型降魔たちが反撃を開始する。
 飛べない彼らは水に飲み込まれたはずなのに、平然と……はしていなかった。
 興奮し、叫び、いきり立ち、さらに醜悪さを増したようにも見える。
 巨大降魔の放った水は、……不思議なことに……魔の力によるものではなかったというのに。

 先ほど一馬の必殺技を吸い込んで見せたことといい、もはや完全無欠のように思える巨大降魔に向かって、それでも米田と一馬は攻撃を仕掛けていった。
 せめて動きを留めておかなければ、もう一発大規模呪法を使われて全滅する可能性が高いからだ。
 だが、所詮はそれもその場しのぎに過ぎないことを、二人は実感し始めていた。
 このままでは勝てない。
 しかし、後ろを向いて逃走しても逃げ切れるわけでもないし、ここで敗北を喫しようものならば今度こそ帝都は壊滅させられるだろう。

 どうする……。
 どうする……!

 指揮官たちが焦りを覚える中、春日はまだ自嘲気味にかすかな希望を持っていた。
 彼が見ているのは、先ほどからうずくまったままの真之介だ。

「真之介……、落ち着いて!
 私たちが戦っているのはただの下級降魔よ!」

 何だと?

 必死になって呼びかけているあやめの言葉に、春日は疑問を感じずにはいられなかった。
 確かに降魔を大きく分類すると、爬虫類類似の下級降魔と、人型の上級降魔に分けられれるらしい。
 らしい、というのは、この降魔戦争では上級降魔は一体も確認されておらず、降魔発生に関して記された書物、放神記書伝に記載されている記述のみの存在だからだ。
 一方で、あの巨大降魔を下級と分類するには躊躇させられる材料ばかりだ。
 だが、あやめはあえてあれを下級降魔と呼んだ。
 あれが計り知れない知性を持っていることを、真之介に否定させるために。

 しかし。
 膨大な水。
 大空洞の中。
 溺れた自分。
 それらの断片的な群像が、幾重にも網膜をよぎる。
 声が聞こえるのだ。
 しばらく聞こえなくなっていたはずの、死者の声が。

「が……っ、み……ず……ち……」

 真之介が吐くように漏らしたその単語を聞いて、あやめは顔から血の気が引いた。
 巨大降魔を作り上げ、真之介を闇の救世主と呼んだ男の名だ。
 だが、彼はもう死んだはずだった。
 真之介に敗れ、あの巨大降魔に飲み込まれて。

 飲み込まれて……。

 はっとなって、あやめは巨大降魔を見た。
 全身に寒気が走ったのは、ずぶ濡れだったからではない。

「まさか……」

 そういえばそんなことを言っていたように思う。
 あれに、魂の一部が残されているとしたら……!

「がああああああああああああああああああっ!!!!」

 胸をかきむしりながら絶叫する真之介の目には、泥の中から幾千本と伸びる手が見えていた。
 血塗られた手。
 欠け落ちた手。
 焼けただれた手。
 白骨化した手。
 誰に教えられなくても解る。
 斬り殺した者たち。
 焼き殺した者たち。
 手が叫んでいる。
 おまえはもう、人間ではないと。

 それらは幻だ。
 あやめには見えない。
 だが、真之介に幾重にも怨念のような物が取り憑いているのはわかる。
 それらは普段、真之介の霊力、妖力、魔力によって近づけずにいるだけだったのか……。

「消えなさいっ!」

 浄化の力を神剣白羽鳥に込めて、真之介の周囲を切り払う。
 だが、払っても払っても際限なく真之介にまとわりついてきた。
 おかしい。
 こんなにもたくさん、自然に取り憑くわけが……。
 疑問に思って視線を巡らせると、巨大降魔と目があった。
 少なくとも、あやめにはそう感じた。
 一馬と米田の攻撃を受け流しつつ、巨大降魔がこちらを見つめていた。

 真之介をかばうようにその前に立つ。
 正面に神剣白羽鳥を構えてその視線を受け止めると、今度は二体の大型降魔が逆方向から真之介に迫り、

「真之介!」

 その場で、跪いた。

「なっ!?」

 見ていた誰もが我が目を疑った。
 降魔が、跪いた……?

「……まさか……」

 春日は、驚きよりも恐怖を感じた。
 先ほどまでは、真之介が北条氏綱の魂に支配されたらまだ逆転の望みがあると期待していたのだが、巨大降魔はそれをこそ狙っていたのか……!?
 それでは、氏綱が巨大降魔を抱え込むのではなく、巨大降魔から氏綱を呼んでいるようではないか……!
 止めなければ、と思ったとき、真之介に跪いていた二体の降魔が内側から破裂したように砕け散り、煙のような怨念が真之介に降り注いだ。

「くっ!!」

 魔の力が膨れ上がる。
 春日は結界を張って押さえ込もうとしたが、それすらも間に合わない。

「真之介ぇっ!!」

 駆け寄ろうとしたあやめを拒絶するかのように、黒い炎が真之介から吹き上がる。

「あれは……!!」

 米田と一馬、そして小田原戦において最前線で戦っていた者は見たことがある。
 降魔たちを従え、次々と生み出していった黒き炎。
 巨大降魔を除く降魔たちが歓喜とも悲嘆ともつかぬ嬌声をあげる。

 そして、大空洞のさらに下から、不気味な鳴動が伝わり始めてきた。



第七章 今は亡き盟友

初出 平成十三年七月十一日
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