虚ろなる貴方無き世界
追憶其の七
第五章 遙かなる地底


第四章 止まらない時間



 大江戸大空洞への入り口は、都内二十一箇所に点在している。
 逆に言えば、この一本でことが足りる、と言えるほどの経路はない。
 地下一万メートルまで届く道はそうそうあるものではなく、これでも苦労して切り開いたのだ。
 ただその中でも、ミカサ建造のための部品搬入路として使用される大きい道が四本ある。

 対降魔部隊の四人をそれらに一人ずつ……などという戦力の分散はしない。
 必要なのは主要経路の確保だ。
 しかし一本では、何らかの攻撃でそこが潰されてはお終いである。
 かくてその中間、二本のルートを確実に確保するということで、二人ずつに分けられた。
 ここは米田が交渉して、しっかりと米田一馬組と真之介あやめ組になっている。
 米田、一馬は神保町入口。
 真之介、あやめは品川入口だ。
 特に品川は、横浜から送られてきた建材を搬入するために確保されたので一番大きな経路である。

 真之介とあやめの二人が到着すると、集まっていた兵たちの間にほっとした空気が漂った。
 恐れられているとは言っても、戦場では最も頼りになる友軍であることには変わりはない。
 その分、自分は死ににくくなるのだから。

 それにしても、このところの戦いでどうも有名になりすぎたらしい。
 本来対降魔部隊は機密扱いの特殊部隊なのだが、と真之介は考え込んでしまったが、まあこれくらいは些細な問題だった。
 巨大降魔との決着をつければ、対降魔部隊そのものが必要なくなる。
 もう、そういったことを気にしなくてもいい。
 そうしたら……その先をどうしようかと真之介は考えていた。
 先ほど米田に言われたことが頭の中で蘇る。
 考えもしなかったが、望まなかったわけではない。
 自分はこの後どうなるのだろう。

 一応、書類上の扱いは少佐にまで昇進しているので、退役の時にそれなりの金は出る……あるいはふんだくるとして、仮住まいは確保できるだろう。
 就職先は……霊子工学と蒸気機関の扱いについては誰にも負けない自信はある。
 帝国大学にも神崎重工にもつながりがあるので、研究員として雇ってもらえる可能性は高いだろう。
 これで収入は確保できるはず。
 あとは何が要るのだろう。
 家……だろうか。
 家には何が揃っているものなのだろう。
 まったくもって未知の学問領域だった。

 真之介はまだ、つき合いの深かった門脇海軍少将が殉職したことを知らなかった。

「真之介、考えごと?」

 どうやらしばらく考え込んでいたらしく、あやめが声をかけてきた。
 考えていた内容が内容だけに、返答に窮する。

「あ……ああ、これからのことについて、ちょっとな」
「そうだね」

 頷きつつ、あやめは大空洞までの見取り図を広げた。
 そういう意味ではなかったのだが、ひとまずそういうことにしておこう。

 見取り図、と言っても、ここであやめが広げたのは縦方向に割った図面である。
 何しろ大空洞の本体は地下一万メートルの深さにあるため、そこまで降りていく経路も自動昇降機一本というわけにはいかない。
 そんな都合のいい縦穴はないし、そこまでの掘削技術もない。
 かくてどういう手段が採られたのかというと、元から地中に点在する空洞を見つけて、それらの間を細かく昇降機やトンネルで繋いでいくという地道な方法である。

 この見取り図には、各昇降機の所要時間とその間の距離などがまとめて書かれてあった。
 これも本来なら機密文書なのだが、完全に未知な地下に潜らせて恐怖を煽るくらいなら、少々情報を公開して安心させようということで一般兵にも配られている。
 厳密な地図はもう少し階級が上の者にのみ配布されていたが、ひとまず先のことを考えるのはこれで十分であった。

 乗り換えが多くては什器や資材の搬入がその分煩雑になってしまうので、この品川入口は五回の乗り換えだけで済むように作られており、それぞれの昇降機の間の道も鉄路付きで整備されていた。
 しかし、その分問題がある。
 降魔が巣くっているはずの大空洞までの道のりで、それらの昇降機が壊されずに残っているかどうかという、極めて切実な問題だった。
 昇降機一本当たりの深度が深いほど、その分復旧も困難になる。
 ただ不思議なことに、この品川だけではなくほとんどの経路の昇降機が、異常なしという信号を返してきているのだ。
 降魔たちが信号を幻惑させているのでは、と考えはじめるとキリがないので、ひとまずその情報を信じて今回の作戦が立てられている。

 真之介は、見取り図を見ながら考え込んでしまった。

「中将は、途中で足止めさせられるのが危険と言ってたよね」

 同じことを考えていたらしく、地図をなぞりながらあやめが思い出したように言った。

「確かにな。呼び込むだけ呼び込んでおいて迎撃殲滅ということもあり得る」

 もちろん、対策をとっていないわけではない。
 陸軍七千名のうち、七百名までが昇降機の修繕補修や掘削を行うための工兵隊であった。




 同じころ、神保町では米田が各隊の知り合いを回って世間話を装いつつ指示を出していた。
 今回は実働部隊の隊長という扱いで遊撃任務が与えられている米田には、ここの一団への指揮権すら無い。
 もちろん、司令塔を二つも担いだ軍隊が上手く機能するはずもないので、これは当然の処置なのだが、それでも考えられる危機を座して見過ごす理由にはならない。

 一馬も、米田とほぼ同じ考えで動いていた。
 とはいえ、米田ほど顔が広いわけではない。
 知った顔で中核になっている者はいないかと見渡していると、方術士団の春日光介方術士団長の姿を見つけた。
 向こうもこちらの視線に気づいて近づいてくる。
 そういえば面と向かって彼と話したことはなかったが、今は亡き彼の父玲介と話したときに、自分と彼がほぼ同い年だとか言っていたように思う。
 人のことは言えないが、なるほど、思っていたよりも若い。
 方術士団長ならば、丁度話すべきこともある。
 こちらからも近づいていった。

「何かことでもあったのか?真宮寺一馬」

 向こうもそれを知っているのだろう。
 言葉遣いはともかくとして、やや気安さを感じさせる態度だった。

「いや、これからのことだ。米田さんと私の心配事でね」
「そうか、実は私も心配事がある。出来れば確認しておきたい」
「おそらく同じだよ。
 降魔たちは、こちらが大空洞にたどり着く前に、最もこちらの隊が伸びきったところを攻撃してくる。
 それもおそらく、地震と併用してね」
「……」

 春日は、喜べんな、という顔でため息をついた。

「米田殿もそう考えるか」
「昨夜の攻撃を見せつけられてはね」

 降魔たちが戦略的な部分で明確に統率されていることはもはや疑うべくもない。
 しかも、仕掛けてきた時間も絶妙だった。
 突入前々夜、建て直しは出来ない、後には引けないところに攻撃を叩き込んできた。
 おかげでこちらは盛大な不安を抱えたまま突入することになっている。

 本能によって動く降魔、という考えは、もはや戦術の領域にしか適用できない。
 戦略の領域では、自分たち以上の知将がいることを前提にしなければならなかった。
 そしてその知将は、天変地異を操れる。
 雷を操るのであれば、地震を操ってもおかしくはない。
 ただ、帝都は元より地震が多いため、大空洞までの経路が地震によって落盤を起こすことは考えにくい。
 関東ローム層の脆弱な箇所は、落盤を起こすような状態ならとっくの昔に落ちているからだ。
 だが、降魔と違って空を飛べない人間には大地が揺れているだけで驚異となる。

「各経路とも自然の空洞を利用しているから、脇道や物陰はたくさんあるわけか。
 これでは伏兵を置く場所に困らんだろうな。
 地震で足を取られた所に伏兵に襲われるというのは考えたくないな」
「米田さんや私はもっと危惧していることがあるんだ。
 そんなものが無くても、魔の力を集中させれば媒体無しでも小型降魔くらいは簡単に生成するだろう。
 事実、小田原ではそれで戦線を攪乱されたのだから」

 さすがに中型降魔以上ともなると、あの氏綱を完全に解放させるのでもない限りその場で即出現とまではいかないだろうと思う。
 もっとも、これも希望的観測であることは否定できなかった。

「ふむ……」

 春日も小田原戦の報告は受けている。
 それくらいの手は十分に考えるべきだった。
 そうすると……どうするべきか。

「戦略の基本に戻れば、敵の採りうる手段は……
 各個撃破と、補給の断絶」

 十分に考えられることだ、と春日は一馬に視線を向ける。
 一馬は既に米田と打ち合わせをしているはずなので、それはつまり、陸軍随一の戦略家の意志を確かめる意味でもあった。
 一馬は、春日の反応に満足して頷く。

「分断させるのに便利な場所は、やはり昇降機だと思う。
 いくつかのケーブルが切られていることくらいは既に想定済みだから予備ケーブルは用意してあるけど……」

 そこで一馬はかすかに言い淀んだ。

「それに霊力を込めておけ、と」

 言いにくいところを察して春日は先に答えた。
 方術士団や陰陽師たちは霊力の扱いに長けた者たちである。
 霊力を弾にしたり、あるいは呪符などの何かに込めたりといったことは得意分野だ。
 彼らに頼んでケーブルに霊力を込めてもらえれば、ケーブル切断による分断の可能性はずいぶんと低くなる。
 だが、それはいわゆる雑用である。
 一馬としては、近衛軍の誇りもある彼らに対してそういった作業を頼んで良いものか悩んだのだ。
 春日の返答は、反発ではなく納得のそれだった。

「済まない……」
「誇りにこだわっていて勝てる相手ではなさそうだからな」

 春日はそれも素直に認めた。
 もちろんそれを言い換えると、全力でやれば勝てる相手だという意識は変えていない。

「他の隊には私から連絡しておこう。
 私から告げればさすがに文句は言えまい。
 それよりももうひとつ、補給の断絶にはどう対処する?」
「地上との連絡を絶った上で、地上付近から徐々に殲滅してくると思うんだ。
 だからこちらは、最前線以上に最後尾に戦力を集中させておき、分断された経路を回復させつつ進撃する」

 ここで隊の半ばを狙われたらそれこそ各個撃破されることになるが、霊力のある戦闘人員をそこまでまんべんなく割り振るだけの人的余裕はない。
 難しいところだが……

「まあ賛成できる。
 具体的にはどうするか」
「私と米田さんは最後衛に回るつもりだよ。
 逃げるのかと批判する声もあるけど、遊撃任務だから最終決定権はこちらにある」
「事が起これば、いやでもわかるということか」

 批判されることに耐性がつくほど軍内でのやっかみや批判が多い対降魔部隊でなければ、そうあっさりと決断することは出来なかっただろう。

「品川の山崎少佐と藤枝少尉はどうするつもりだ?」

 しっかりと真之介たちがどこにいるかを把握しているのはさすがと言うべきだが、一馬は少し表情を引き締めた。
 春日の実力と帝都を思う気持ちは信頼しているのだが、それゆえにこそ真之介に対する態度は警戒せざるを得なかったのだ。

「いや、単に、近くに私がいると彼が警戒してしまって本領を発揮できなくなってしまうのではないかと思ってな」

 一馬が何を言わんとしているのか察した春日は、警戒を解くために少しおどけたように肩をすくめてみせる。
 嘘ではないだろう。
 本気で真之介を監視するつもりなら、自ら品川の入り口に行っているはずだ。
 だが同時に、士団長がいないということで真之介の気を緩めつつ、信頼できるだけの監視者をつけているはずなのだ。
 しばらく睨むように視線を向けていたが、考えてみればここでどう言ったところで品川の方は現場に即して動くだろうから、こちらは春日の動きを把握しておけばよいだけだと思うことにした。
 真の敵は別にいるのだから。

「当初案の通り、真之介くんとあやめくんの二人は最前衛で行くことになったようだよ。
 話を聞いた真之介くんがやる気になったからね」

 当初案で真之介が最前衛に配置されたのは、真之介を早々に大空洞へ送り込んで抹殺するつもりだったのではないかと一馬も疑っていた。
 しかし、少なくとも現在はその案は破棄しただろうと米田が判断したので、一馬もそれ以上は追求しなかった。

「最前衛に配置した以上、米田さんはあやめくんに、速攻で大空洞までたどり着くように指示している。
 おそらく大空洞入り口付近で待ち受けているはずの降魔たちの迎撃部隊は真之介君にまかせることになるよ。
 そんなわけで、私たちが後衛で、真之介君たちが最前衛を担当することになるね」

 ここで春日が先に行くとでも言い出せば、この場で止めるぞ、という意味の視線を向けつつ締めくくる。
 それが解らない春日ではないが、ここは特に構えることなく答えておくことにした。

「結構。
 それでは私も君や米田殿と一緒に補給路の確保に回るとしよう。
 我らの術が無くては困ることになるやもしれぬからな」

 話はそれで終わった。
 もうすぐ第一陣の突入時間だ。
 春日は急いで各地の方術士団員たちに、ケーブルの保護命令を伝えた。




「ケーブルの設置完了しました」
「動力の移行完了まであと十分の予定。間に合います」

 最初からいきなり昇降機で大きく降りることになる品川では、技師たちが忙しく動き回っていた。
 まず、通常使っているケーブルは降魔にあっさりと切断される恐れがあるので、シルスウス鋼線を編み込んだケーブルに付け替えた。
 ここまでは米田の指示が出る前から予定されていたのだが、そのために特注で作られていたケーブルは先日横浜工場を襲った嵐のために約半分が使い物にならなくなっていたため、一部を既存品のままにせざるを得なかった。
 そのため品質を不安視する声が上がりかけていたところに春日の指示が飛んできたので、突入隊はとりあえず一安心した。

 また昇降機の動力は、普段は蒸気管からの伝達蒸気だけで動いているところを改造して、直接蒸気機関と併用することにする。
 引っ張ってきた蒸気だけでは、伝達蒸気管のどこを絶たれるかわかったものではないからだ。
 結果として蒸気機関の震動が加わるために昇降機の乗り心地は落ちるが、そんなことに贅沢は言っていられない。
 乗り物酔いという最近報告され始めた生理現象が不安の種といえば種だ。

「設置完了。作戦開始まであと十五分です」
「いよいよか」

 百五十人乗りという大型の昇降機だが、第一陣として乗っているのは真之介とあやめを入れた戦闘員が五十名、昇降機での作業を受け持つ技官が十五名、そして工作機械と蒸気機関である。
 詰めればあと五十人は乗れるが、小型降魔クラスならばいきなり実体化することもあるという大空洞へ行こうというときに、密集していてはどうしようもない。
 技官たちだけではなく、次の昇降機に取り付けるためのケーブルや蒸気機関、燃料まで守らなければならないということで、昇降機内でもある程度動けて戦える範囲の人数で選ばれた。
 それが、この品川だけではなく帝都各地に進行経路を分散させた理由でもある。

「作戦開始六十秒前」

 秒読みの声が大きくなる。
 突入寸前にも何か仕掛けてくるのではないか、という気もしたが、その時はその時で対処するしかない。
 機械的な問題ならば、真之介はその場でもう一人の技官人員にもなれるので、多少楽観的に考えることが出来た。

「真之介」

 機械を眺めつつ技術的なことをあれこれ考えていた真之介は、傍にいたあやめの声で我に返った。
 いつも通りの笑顔、と言いたいところだが、その表情がややこわばっているのが真之介にはわかった。
 当たり前だ。
 敵の全容もわからないこの作戦は、勝ち目があるとも無いとも、何も予想が出来ないのだ。
 巨大降魔は、昨年戦ったときとは比べ物にならないほど強くなっているらしい、ということだけがわかっている。
 それに、前回大空洞に入ったときは調査目的という名目であり、半ばピクニック気分であった。
 今日はそのときとは全く違っている。
 最前線での過酷な戦闘が約束されているのだ。

 ぎゅっ……

 顔はそっぽ向けつつ、真之介の右手がぎこちなくあやめの左手に絡まった。
 見なくてもあやめにはわかる。
 いまごろ頬のあたりを赤くしているんだろう。
 そして、予想通りにうわずった声で呼びかけてきた。

「あやめ。帰ってきたら……今度こそ約束を果たすからな」

 約束。
 作戦前に米田に言われたあのことではない。
 一年前に、巨大降魔が出現する前に交わした約束。
 戦いが終わったら、二人して平和になった街を歩こう、と。
 最近はデートと呼ぶ方が流行らしいが、要するに逢い引きそのものである。
 真之介にとって今の一言は、大空洞に突入するよりも勇気の要った言葉だったかも知れない。
 そう思うと嬉しくて、身体を縛りつけていた緊張の糸が全部ほどけてしまった。
 力尽きるのではなく、かえって力が蘇ってくるようだ。

「うん、きっとよ」
「十秒前」

 頷き合ったところで、最後の秒読みに入る。

「二、一、作戦開始」

 危惧していた開始直前直後の攻撃というものはなく、比較的穏やかに昇降機は動き始めた。





 神保町からの経路は、いきなり昇降機ではなくてそこまでに地下道がある。
 第一陣が工作機械を伴って整然と潜って行くのを見送りつつ、米田も一馬も一安心していた。
 最初に何か仕掛けてこなかったということは、おそらくは自分の領域に引き込んだところで攻撃というこちらの予想通りで来るだろう。
 自分たちの動く第十陣まで、しばらくは待つのみだった。





「やはり、温存しているな、これは」

 立ちはだかった小型降魔二体を一振りで切って捨てた真之介は、横で一体を引き受けていたあやめが無傷なのを確認するためも兼ねて声をかけた。
 第一昇降機から第二昇降機までの良くならされた洞穴で待ち受けていたのはいずれも最下級の小型降魔ばかり。
 先陣ということでえり選られた第一陣の面々は頭数の優位も活かして比較的楽にこれを片づけていた。
 既に技官たちは第二昇降機の作業に取りかかっている。

「中将の仰るように、大空洞にたどり着いてからが勝負ってことね」
「弁当は大空洞に本陣を確保してからか」

 腰にくくりつけた弁当包みが傷んでないことを確認して、真之介はのんびりしすぎとも思えるようなことをつぶやく。
 あやめはそう言う真之介の顔が見られたので、ひとまず大丈夫なのだろうと思うことにする。
 気になっていたのだ。
 大空洞は様々に因縁のある場所である。

 まず、真之介を闇に引き込もうとしたあの水神、水地新十郎と戦った場所である。
 あれ以来、真之介の様子は変わり始めていったのだ。
 それまでの無愛想なのとは違って、考え込むこと、何かに苦しんでいるようなことが……隠そうとしているけど、乙女の目をごまかすことは出来ないくらいにあった。

 そして、多分あの日からだと思う。
 真之介が、人を斬ることを躊躇しなくなったのは。
 前にも対降魔部隊が雑用として対人制圧を命じられたことはあったが、その時の真之介は米田に言われたとおり峰打ちなり魔術なりで殺さずに済ませてしまった。
 だけど今年の七月、二将の乱において真之介は、診療所に攻め込もうとした粕谷少将配下の軍団をためらい無く葬った。

……私のために。

 診療所に入院していたあやめの身柄を奪おうという面々だったので、真之介としてはまったく容赦の余地が無い相手だった。
 だが、それでも相手は魔物ではなく、生ある人間だったのだ。
 そう思うと、自分が真之介の支えであるという自信が無くなる。
 もし自分が真之介にとって重荷でしかないのなら、いつまでも一緒にはいられない。
 もし……もしも、真之介と離れることになったら……。
 それを考えるだけで、今自分が立っている世界が全て崩壊していくような失墜感を予感してしまう。

 藤枝の娘、神剣の後継者……そういった肩書きではない、自分のことをそのままに肯定してくれる人がいなくなってしまう。
 かつて藤枝家にいた頃は立場で扱われるのが当たり前だと思っていた。
 十四歳で帝都守護の部隊に参入することになったことにも抵抗はなかった。
 しかし、そこで初めて会った。
 自分を一人の女の子として扱ってくれた、とっても嫌な奴。
 最初はそんな気持ちだった。
 思いっ切り喧嘩までやったけど、振り返ってみれば何もかもが嬉しかった。
 自分は、確かに変わった。

 今はもう、自分の気持ちははっきりしている。
 米田に具体的に話を出されたときに、否定しようがなかったくらいに。
 真之介のことが好き。
 凄いところも、駄目なところも、全部あわせて。

 世界最高級の霊子科学者にして蒸気技術者。
 日本屈指の魔術師。
 裏御三家と無関係にして二剣二刀を使いこなす剣士。

 夜更かしして寝坊するところ。
 洗濯と料理が全く出来ないこと。
 人付き合いが下手なこと。

 駄目なところがあれば、そこに、自分が居られる。
 真之介の腰で揺れる弁当包みが、真之介の意識と共に自分の居場所を支えてくれているような気がした。

 この戦いが無事に終わって、
 真之介の支えでいられて、
 帰ってきたら、
 一緒に銀座を歩いて、
 そして、
 中将の仰るとおり……

「換装完了しました!」

 工兵長の勢いの良い声であやめは我に返った。
 さすがにこの一ヶ月間突入に向けて準備してきただけあって実に作業が早い。
 予定では第三昇降機の作業が終わったところで第二陣が追いついて、その後のケーブルと蒸気機関を持ってくることになっている。
 今のところ、作戦は順調だった。





 三時間が過ぎた。
 ようやく米田たちも地下に潜り、時折出現する小型降魔を切り払いながら進軍していった。
 しかし、米田の表情は険しい。
 先に行った者等からの通信によると、少なくともこの経路では降魔たちの目立った抵抗はないものの、散発的に出現しているらしい。
 妖力をため込んでいきなり降魔を実体化させてくるのではないかと思っていたのだが、こうちょくちょく出現するようではその手段はもう採れないはずだった。
 一度に大量の降魔を出現させるためには、それまでしばらく実体化させるのを押さえている必要があるからだ。
 無尽蔵に見える降魔の出現だが、妖力が足りなければ存在しきれない存在でもある。

 そうなると、大空洞の本体に侵入するところで戦力を集中させているのだろうか。
 今一番先行しているのは経路が整えられた品川から入っている真之介たちのはずなので、そうたやすく負けることはないだろうが、限度がある。

 ここまで予測が外れるとは俺もヤキが回ったか、と思い、米田は白髪を掻いた。
 だが次の瞬間、米田の考えをあざ笑うように、地下深くで膨大な妖力が膨れ上がったのを感じた。

「米田さん!」
「これは……降魔が出現するときとは……」

 違う、と言いかけたところで、全員の足下が跳ね上がった。

「来るぞ!」

 最初の牽制に地震が来るというところまでは米田の予想通りだった。
 しかし、その振動は地震慣れしている帝都出身者をしても戦慄させるものだった。
 振幅と振動周期が長すぎる。
 地表へ到達させるのではなく、明らかに洞窟内の岩盤を限界以上にずらすことで、落盤を起こすことを狙ったものだった。

「しまった……!!」

 地震とともに出現すると思った降魔への対策に動こうとした春日は、文字通り足下をすくわれた。
 帝都でなじみ深い地震ではそう簡単に落盤など起きない強固な洞窟であっても、最初から落盤を起こす意図で人工的かつ歪に起こされた地震を受けてはひとたまりもない。

「天井を支えろ!」

 春日は転ばされながらも仰向けのまま天井に向けて土の術法を叩きつける。
 食らってみれば納得できる。
 たしかにこれは有効な手段だ。
 退路と補給路を断つために、何も戦力を以て制圧する必要はないということだ。
 全て、埋め尽くしてしまえば片づくわけだ!
 せっかく降魔の出願に備えて待機していたというのに、大地が相手では米田も一馬も出る幕がない。
 方術士団や陰陽師たちに頼るしかなかった。




 方術士や陰陽師たちの少ない部隊のいくつかは、落盤によって完全に孤立させられたり、生き埋めになっていた。
 そんな場所には、何故か降魔すら配置されていなかった。
 だが、すぐにその理由は知れることになる。
 降魔を設置する必要すら無いのだ。
 酸素濃度を調べるためのランタンの火は徐々に小さくなっていく。
 そして、絶望にあえぎ、苦痛と無念の中で死んだ者の怨念は、遥か地底へと吸い込まれて行くのだ。





 中層より下では別のことが起こっていた。
 頑丈な岩石層となっているこのあたりは、兵たちを丸ごと埋め尽くそうとするほどの落盤は起こらずに済んだ。
 しかしそれでも、至るところでで壁面が崩壊してその奥から中型降魔を中心とする降魔の軍団がいきなり姿を現したのだ。
 地震で浮き足立った兵たちの隙を突くように……いや、まさにそれが狙いだったのだろう……降魔たちは襲いかかってきた。
 こちらでは米田の予想は当たっていたことになる。
 しかし、長周期の地震によって生じた震動は容易に収まらず、分単位で足下が揺らぎ続けることになった。
 その足下が定まらない上を、中型降魔が翼を利用して空中から襲いかかる。
 その戦略段階の優位が、降魔たちを勢いづかせた。



「反則だっ!」

 大空洞の本洞まであと昇降機一つというところまで来て、真之介たちは戦っていた。
 完璧なタイミングである。
 この狭い洞穴内で必殺技や大規模魔術をぶっ放すわけにはいかない。
 機械や工兵隊はもちろん、下手をすればあやめまで巻き込みかねない程度の広さしかないのだ。
 巨大な空間のある大空洞本洞まで到達してしまえば思う存分戦えるというのに……!
 真之介としては苛立たしくて仕方がない。
 鎖に縛られたままで戦っているようなものだ。
 さらに加えて長周期震動が三半規管を不快極まりない感覚に陥れている。
 もちろん、そんな状態であっても中型降魔を相手にして苦戦というほどの苦戦を強いられているわけではないのだが、いらだつ心が眉を嫌な形に歪めつつあった。

……嫌な、感触だ。

 場所は違うが、やはり同じくこの大空洞への経路の一つであったことが思い出されてくる。
 まだ、あれから一年にもならない。
 こうして刀を振るって、肉を裂いて、血飛沫が上がって、絶叫が重なって……
 目の前が時々ぼやけてくる。
 近くで悲鳴が上がって、耳の中に残響を遺した。
 オレは今、何と戦っているのだ……?
 中型降魔?
 それとも……人間……?

「こらっ!」

 と言う叫びと共に、目の前に火花が走った。
……様に見えたと思ったら、視界がやけにはっきりと戻った。
 そのあと、右の頬に軽く火傷でもしたような鈍い痛みが焼き付いていることに気づいた。

「目、醒めた?」

 ぼうっとしていた間に自分の前まで迫っていたらしい中型降魔を、代わりに相手にしてくれている小さな背中が振り向いて、少し怒ったような声で尋ねてくる。
 あやめが平手打ちを叩きつけてくれたことをようやく理解した。
 見渡せば、こちらを向いて構えていた方術士団の者たちが一様に安堵している。
 やはり彼らは監視役も兼ねていたらしい。
 もっとも、これくらいは予想できていたので怒る気にもならなかった。
 頬に残る痛みが、頭を冷やしてくれたおかげかも知れない。

「すまん、あやめ」

 これでは守るという約束が逆ではないか。

「真之介、このところ市街戦をやっていなかったでしょ。
 こういうのなら私の方が得意みたいね」

 ぐうの音も出ない。
 確かにこの一ヶ月ほどは封印を施されて監禁状態だったし、その前に小田原で戦ったときには周囲が既に廃墟と化していたし、さらに前の二将の乱のときにはそもそも周りのことなどまったく気にせずに戦っていたように思う。
 突き詰めると、周りに制限のある戦いをここ一年以上やっていなかったわけだ。

「今は、大空洞に入ったときのために力を温存しておいて。
 このくらいなら、何とかなるから」
「何とかって、おい、あやめ……」

 まだ中型が五体に、小型が十体ほど残っている。

「私だって、対降魔部隊の一人なんだからね」

 神剣白羽鳥が軽やかに舞うかのような動きを見せる。
 一振のはずの剣が、無数の鳥のように見えて……

「深仙群翔、雁行千羽!」

 無数に見えた剣から、無数の霊力が群となって放たれた。
 一つ一つが意志を持つかのように、人間を避けて降魔たちにのみ命中していく様は見事ですらあった。
 振り切った刃が最後に納刀された瞬間に高く鍔鳴りを発する。
 物音で鳥たちが一斉に飛び立つが如く、さっと霧散する霊力の雁とともに、残っていた降魔たちもまた一斉に霧散してしまった。

「ね。芝でも何十体と倒したのはまぐれじゃないんだから」

 装兵隊の面々が素直に賞賛の声を上げるのに応えて微笑んで見せた。
 戦場で肩を並べて戦っているときは、対降魔部隊は基本的に歓迎される。
 一時のものであるということは知っていても、やはりそうされるとほっとさせられるのが人間の心理である。

 ただ、真之介の顔は喜べていなかった。
 もちろん、自分の獲物を取られて不機嫌になったわけではない。
 その手が無言のままあやめの背に回される。
 あやめはほうっと息をついてその手にもたれかかった。

「こんな疲れる真似をやりやがって」

 解ってくれるのが、あやめには嬉しい。

「大丈夫。慣れない複雑な技だからちょっと手間取っただけ。
 霊力をそんなに消耗しているわけじゃないから」

 そこで、自分を気遣ってくれる顔を見上げる。

「それに、この後はしっかり休ませてくれるんでしょ」
「ああ、無理矢理にでも休ませる」

 真っ直ぐ期待して見上げてくるあやめの視線がまぶしくて少し顔を背けつつも、真之介は遅れることなくきっぱりと答えた。
 大空洞に入ってからなら、自分の独壇場だ。

 一度真之介は周りを見渡して、この部隊の隊長である押井陸軍大佐を促しつつ、最終昇降機に入った。




 上層ながらなんとか生き埋めを免れた米田たちは、落盤でふさがった経路を回復させるのに手一杯で、しばらく進軍など出来そうになかった。
 ただしこの上層でも、壁の崩壊した先から中型降魔が出現したりして経路を確保している作業員たちに襲いかかるので、それらを食い止めるので一馬と米田はそれなりに忙しくなっていた。
 作業員と言っても通常の土木作業員だけではなく、術士団らが土の術法を使って土砂を強化、整理、固定したりしている。
 通信ケーブルがかろうじて生きていたので、米田は地上の待機部隊のうちの工兵隊に、地上部からのトンネルの復旧作業を要請した。
 指揮権の扱い上、命令ではなく要請となるが、指示は速やかに伝えられて復旧活動が始まった。

 しかし、半ば土砂に埋もれかかっているものが分単位で片づくわけがない。
 見事に突入隊は分断されたことになる。
 これが、つまづきで済むか、最悪となるか。
 下層から大空洞本体にそろそろ到着しているものと思いたい真之介とあやめにかかっていた。

 土砂を取り除く作業の傍ら、春日は真之介につけていた監視役の団員と心話で連絡をとる。

「春日だ。山崎真之介はどうなっている?」
『現在……大空洞本洞で交戦中……山崎は……鬼神の如き戦い……なれど、意識は……明瞭……』





「彩光紅炎、朱凰滅焼!!」

 光刀無形が真紅の光に包まれ、同時に発生した炎とともに真之介は降魔の群に突っ込んだ。
 大空洞本洞に到着したところで案の定、降魔たちが大挙して出迎えてくれていた。
 ここに至るまでの洞窟に比べて場所が広くなったので、身体の大きな大型降魔も配置されているかなり強力な一軍であった。
 しかし、天井高が百メートルはある開けた場所で、真之介も動きに制限が無くなった。
 これまでのうっぷんを晴らすかのように暴れ回る。
 監視役の方術士も、これには絶句させられた。
 小田原での戦況を一人でひっくり返したという噂は、ただの流言ではなかったらしい。
 一体たりともあやめのところまでたどり着けなかった。
 切る、払う、薙ぐ、突く、焼く、飛ばす、消す、
 降魔たちをして戦慄させる戦いぶりであった。
 体液と悲鳴とが交錯する空間を、刃と魔術が駆け抜ける。

「全滅だ」

 光刀無形を鞘に収めた背後で、残った降魔たちが一斉に力尽き四散した。

『……』

 一体も残っていないことを確認するため辺りを見渡した真之介の目は虚ろというわけではない。
 しかし、どこか正気とは違うように感じさせる。
 喩えるなら、そう、降魔たちと同じように……。

 すたすたと戻ってくる真之介に対して、兵たちの大部分の腰が引けてしまっている。
 降魔は恐ろしい存在である。
 その降魔をいともあっさり片づけてしまう存在は、もちろん、もっと恐ろしいのだった。
 あやめにもその空気は嫌と言うほど感じられた。

 私は大丈夫。
 私は真之介を怖がったりしない。
 最後まで、絶対に。

 ポケットからハンカチを取り出して、最後の数歩分を自分の足で縮めて真之介の頬をぬぐった。

「いい男が台無しじゃない。
 身だしなみにも気をつけてよね」

 にも、というのはつまり、あれだけ降魔たちと切り結んでおきながら傷一つ負っていないのだ。
 しかし、返り血を浴びたりすることにはまるで頓着していないらしい。
 あやめに返り血が飛びそうなときには、何としてでもそれを止めようとするのに。

「いてて……もういい、あやめ」

 少し力を込めると、鬼神からはかけ離れた声を上げる。
 その声に後ろがほっとするのを確認しつつ、

「よくない。ほら、ここも」

 普通の恋人同士のように、今度はそっと丁寧に拭く。
 こうやって触れていたいということもあるし、こうやっていちゃついていれば集まる視線の内容が、全く最近の若い奴らは、という人畜無害な物になるという計算と、両方の想いがあった。
 他人のことなど気にしないように思われている真之介だが、実際はかなり繊細な神経の持ち主なのだ。

 去年の少佐昇進の際に、一層冷たくなった周囲の目に対して強がって見せたものの、二人っきりになったときにはその心の中を見せてくれた。

 私より、ずっと強いはずなのに……。

 その弱さが、しかし、自分のいる場所でもあった。
 孤高ではないからこそ、こうやって自分が世話を焼くことも、外から守ることもできる。
 喜んではいけないと思いつつも、その感覚は嫌ではなかった。

「誰も気にしないだろうに」
「私が気にするの」

 へいへいと面倒くさそうな返事の端っこに、ちゃんと嬉しそうな音色が、あやめにだけわかるくらいに、ある。
 落ち着いたところで隊長である押井大佐が、大空洞の地図を取り出して位置を確認した。
 本来全部が機密となる大空洞の情報だが、ことが突入作戦とあっては地図を出さないわけにはいかない。
 さもなくば全軍が迷子になる笑い話を招くことになる。
 かくて各隊の隊長にはそのルートの詳細な地図が配布されていた。
 遊撃扱いの対降魔部隊二人も、指揮権上は押井大佐の部下扱いで彼の地図に従って行動することになる。
 が、もちろんおとなしくしている部下ではない。

「おい、そこの方術士。上は何と言っていた?」

 先ほど春日方術士団長に心話で報告していた中沢一等方術士はいきなり真之介に声をかけられて表情がぶっ飛んだ。
 まさかばれているとは思わなかったが、こうなっては言い逃れは出来ない。
 開き直って答えるしかなかった。

「大規模な落盤に遭い、団長や米田中将も土砂で足止めを食っているそうだ。
 今のところいつ復旧するか解らぬ」
「やれやれ、分断されたか」

 この状態で先行するのは危険を伴うが、押井大佐はひとまず集合地点まで行ってからの休憩を主張した。
 口には出さないが、軍人として先陣の名誉を得たいと意識があるんだろうとあやめは思う。

「山崎少佐が一戦闘終わらせた直後ですし、一端休憩を取ってはいかがでしょうか」
「この大空洞では留まっているからと言って敵が襲ってこない保証があるわけではない。
 こんな外れよりも集合場所である程度の安全を確保すべきだろう」

 大佐と少尉では随分と差があるが、対降魔部隊員の意見を無視するわけにもいかず押井大佐は律儀に答えることにした。
 それなりに説得力はある。

「それに、山崎少佐は頼もしいことに、大して疲れてもいないようであるしな。
 期待しているぞ」

 あやめの視線から不審の色が消えきらないので、とってつけたようにつけ加えて押井は出発を宣言した。
 あやめが心配しているのは、真之介の疲れではない。
 疲れでは、ない。

「俺なら大丈夫だ、あやめ」

 気にかけてくれるのは嬉しいので、あやめを安心させるためにそっと肩に手を置く。

「うん……」

 ともあれ、一行は歩き始めた。
 この大江戸大空洞の起源は解っていない。
 有史以前からあったという説もあれば、降魔実験の副作用で生じたという説もあり、天海僧正の設置した霊的防御機構の一環であるとの説もある。
 太田道灌以前の江戸の記録はほとんど無いので、それらを確かめる術は今のところ無い。

 ただ、通常の洞窟でないことくらいは明らかだ。
 まず地熱らしい地熱を感じない。
 最近の地質学の論文を総ざらいすると、地球というものは地下深くになればなるほど温度が上昇するらしい。
 複数の大陸からの報告の一致した見解なのでこれはまず間違いないはずなのだが、この大空洞の内部は上層から地下一万メートルまでほぼどこも摂氏十五度程度なのだ。
 また、深く入ればその分気圧も高まるはずだが、これもほぼ一気圧だ。

 そしておそらく最も雄弁にこの大空洞の特殊性を物語っているのは、明かりをつけずともうっすらと発光する岩石たちだろう。
 そうそう火を焚くわけにもいかないこんな地の底深くで大工事をすることが出来たのはこの光源の寄与も大きい。

「真之介、前にも聞いたような気がするけど、この光は何なの?」
「最初は放射性元素だと思っていたんだが、キュリー博士の論文と合わんのでな、オレにもよく解らん」

 あやめは知らなかったが、キュリー博士とは夫婦で放射性元素の研究を成し遂げたフランスの大科学者である。

「この件が終わったら地質学の研究者も入れるようになるだろうさ」
「あ……うん」

 真之介は気にも留めなかったようで、あやめはほっとした。
 一年前にはまだそれなりに安全で、帝大の地質学者たちによる調査隊も派遣されていたのだ。
 あやめと真之介はその護衛としてここに来て、そして、巨大降魔に出会ったのだ。
 降魔戦争もようやく終わりかと思った時期の、思えばそれが真の始まりだった。
 あれから十一ヶ月、もう一度ここに戻ってきたことになる。

 進んでいくと建造資材がまとまって置いてあるのが目についた。
 正体不明のような大空洞でも、そこに活用可能な空間があるということに変わりはない。
 そう、例えば、地上では隠しようもない巨大戦艦の建造ドッグとか。

 不思議と、宿営地に至るまでには小型降魔が数体現れた程度だった。
 到達直後の待ち伏せが半端ではない軍勢であったので身構えていたというのに、一同は拍子抜けしてしまった。

「各個撃破を忠実に実行してくると思ったんだがな」
「半分は成功しているわよ。
 上は落盤で足止めを食っているんでしょう?
 ……生き埋めにされた隊もあるんじゃないかしら」
「それはあるだろうな。
 しかし、どうも何か企まれている気がする」

 視線を感じたわけではないが、真之介は辺りをぐるりと見渡した。
 見覚えがあると思ったら、ミカサの霊子核機関設置の際に何度か通ったところだった。
 脇道を抜ければすぐ近くにミカサを見ることが出来るだろう。
 が、それでは機密も何もあったものではないので、押井大佐の渡された地図にはミカサを直接見ることが出来ないルートが書かれているらしい。
 わざわざミカサを見せて騒がせる必要もないと思い、真之介は黙っておくことにした。
 これほどの地下にこれだけの資材が置かれているというだけで、何か怪しげなものをつくっているという噂の百や二百は立ってしまうだろうが、そこまでの規制は不可能だろう。
 実体ははっきりしない秘密兵器の噂くらいなら、立っても構わないという判断だろうか。
 仮にミカサを目にしても、全長八千メートルもある物体の一部を見てそれが戦艦だとわかる者はいないかもしれない。
 などと、考えているうちに着いてしまった。

「着いてしまったなあ……」

 押井大佐が思わず漏らした一言が、全員の心境を代弁していた。
 もっと降魔たちの抵抗があるものだと思っていたのに。
 ただ、先に到着している隊はなかった。
 集合場所一番乗りである。

「あー、諸君。
 ひとまずここまで御苦労だった。
 本当の戦いはこれからとなるが、まずは軽く休憩をとろうと思う。
 特に山崎少佐、藤枝少尉は良く休んでおくように。
 休憩後は到着する友軍のために、この一帯に散在する資材の移動を行うものとする」

 というわけで各自座り込んで、水筒などを取り出した。
 その間に押井大佐は撤去すべき資材を確認しに歩いていった。

「一人で大丈夫なのか、あのおっさん」

 真之介の言い方は相変わらず遠慮がないが、それでもそれなりに心配しているようだった。
 初対面に近い人間を相手に、珍しいことである。
 そうあくどいわけではなく、妙に小市民らしいからだろうか。

「大丈夫じゃないの?周りに降魔の気配は感じないし」
「もう向こうの手駒が尽きたとも考えにくいんだが……」

 などと話していると、真之介たちと同じルートの第二陣が到着した。
 押井大佐が出かけたままだったので、副隊長の河井中佐が、第二陣の川島大佐と意見交換している。

「こちらも降魔に襲われたのは洞窟の中だけで、ここに入ってからは襲撃を受けなかった」

 ただ川島隊は、ここまでに四分の一が戦死したらしい。
 さらに川島大佐以下、無傷でいる者はいなかった。
 対魔装備をしたり、方術が使えたりしても、普通の人間が降魔を相手にすればそれほどの脅威になるのだ。
 他のルートからもようやく到着し始めた友軍は、そのいずれもが無傷ではなかった。

 かくて、宿営地は野戦病院となった。



「降魔たちの攻勢が止んだのは幸いと言うべきだな」

 今作戦の最高指揮官である畑中大将すらもここに来るまでに無傷ではなく、額に包帯を巻いた姿である。
 将官たちが集まっているのは、宿営地から少し離れたところにあるミカサの下部に設置された第二艦橋である。
 なんとか集結なった将官たちも、数は予定の半分以下であった。
 全滅したと思われる隊も一つや二つではない。
 道を塞がれて来れなくなっているだけだと思いたいところだが、どちらにしても安否を確かめる手段がないことが多い。
 心話の使える方術士や陰陽師がいる隊とは連絡が取れるので、いくつかは生存が確認されたが、中には酸素を絶たれて絶望的な状態に陥った隊もあり、報告を受けた者らの気分を重くしていた。

「医薬品の備蓄は十分にあった。今運び出しを始めさせている」

 いざというときのために、ミカサには大量の水や食料、医薬品が積み込まれていた。
 食料は長い間放って置かれたために傷んでいるものも多く、北村海軍少将らによる補給を待たねばならなかったが、水と医薬品は備蓄分が十分活用できる。
 緊急用ではあるが、今が緊急事態でないはずがない。
 将官たちは先のことより今の実利を取って、最高機密のミカサ内に一部の兵を入らせて搬出に当たらせることにした。
 帝都と日本が滅んでしまっては、機密も何もあったものではないからだ。
 形式にこだわるような面々は、こんなところまで来ていない。

「米田中将や春日士団長は間もなく到着とのことだ」
「では諸君、作戦の第二段階へ移行しよう」

 この宿営地を拠点として、側洞などに潜んでいるであろう降魔たちを掃討する一方で、巨大降魔がいる第三十四側洞に最精鋭部隊を送り込む手はずになっていた。
 ただ、各部隊のここまでの被害が予想を遙かに上回っているので、部隊の再編が随所で必要であった。
 指揮を執る人間の数も不足気味である。
 ただ、今作戦で最も重要なのは巨大降魔を倒すことである。
 通常の大型降魔までなら、莫大な犠牲を伴うにしても倒せないことはないのだ。
 戦力は巨大降魔に対して集中すべきであった。

「巨大降魔をおびき寄せられたらな」

 根岸陸軍中将がぼそりとつぶやいた。
 妖力計の記録を信じる限り、復活してからずっと巨大降魔は第三十四側洞から動いていない。
 しかし、そこは大空洞の最深部であり、側洞の入り口もそう大きくない。
 戦力を集中させるにも限度があった。
 要塞戦とは違う、地下戦ならではの問題である。
 将官たちは大空洞図を囲みながら、頭を抱えていた。





「これが噂に聞く星龍ですか」
「ああ……。
 と言っても、俺も現物をしっかり拝むのは二年ぶりくれえだが」

 春日方術士団長は、ミカサを元の計画名で呼んだ。
 言外に不快感を滲ませている。
 すさまじい存在感だった。
 米田と春日が見上げているここは、底部の入り口になる。
 機密事項であるため春日は正確な数値を知らなかったが、ざっと見て感じたところでは全長数千メートル、あるいはそれ以上と読んだ。
 巨大降魔が出現したのも当然かも知れないと思う。
 龍脈が幾本も通っている大空洞にこれだけの物が存在し、しかもそれを浮上させるだけの動力があっては。
 亡き父はこの詳細を知っていたのだろうか。

「春日よ、気持ちはわからんでもねえが、今は後にしておいてくれや」
「……わかっています」



 一方、ミカサ中枢部に入り込んだ人物がもう一人いる。
 米田や春日らが確保したルートを使って、食料搬入を指揮しているはずの北村海軍少将である。
 搬入搬出のための要員はミカサに入る許可が出ているので、彼は自ら部下と一緒に台車を押して正面から検問を通り抜けた。
 その後で姿を消した彼を、第二艦橋に向かったものとほとんどの者が思っていた。
 しかし、彼が向かったのは警備の者すらいないミカサ上部。
 第一艦橋だった。
 そこに至るまでの鍵も密かに入手していた彼は、誰にも止められることなく階段を上っていった。

「粕谷……。
 我らの夢の代償は、私自身で決着をつけるぞ……」

 そんなことは全く知らずに、米田と春日は将官たちが待ちかねていた第二艦橋に入った。





 ぐー。

「まあ……、真之介君はこれくらい気が抜けていた方がいいかもしれないね」

 あまり整然としているとは言えない宿営地で真之介とあやめを見つけた一馬は、苦笑しながら小声で声をかけた。
 何しろ真之介ときたらこの状況下で寝ているのである。
 しかもあやめの膝枕の上で。

 奥手の真之介が自分から言い出したとも思えないので、勝手に眠り込んだ真之介を心配してあやめが抱え込んだというところだろう。

「済みません大佐。真之介ったらこの通りで……」
「いや、眠れるときに眠っておくというのは正解だよ。
 私たちが随分遅刻してしまったから暇だったんだろう」

 先陣となった真之介たちの到着から既に七時間が経っている。
 これでも復旧工事を急いだのだが、待つには長い時間だったろう。
 あやめくんの膝枕の上でなら悪夢に悩まされることもないだろうと、にやけそうになる顔を押さえつつ一馬は思う。

「私も英気を養っておきたいが……」

 食事は後にしておいた方がいいかも知れない。
 予定よりも随分遅れているので、すぐに第二段階へと移ることになるだろう。
 腹にもたれない程度ということで、握り飯を一個だけ食べ、水分を補給して、あとは梅干しを舐めるだけにしておいた。

「ところであやめくん。
 前にも聞いたような気がするが第三十四側洞には一体何があったのだ?
 巨大降魔はあそこからまったく動かない。
 私には、まるで何かを守っているようにも思えるのだ」
「守っている……?
 そういえば地脈の集結点とともに、大広間になっていましたけど、柱と……、巨大降魔が出現して私と真之介が封じ込めた岩戸のようなものがありました。
 日本橋の真下にあって、陣の中枢とか言っていましたから、今までの魔術を使うのに好都合だったんでしょうけど……」

 いや、あの男は……、巨大降魔を作り上げた水地は、何か言っていなかったか。
 何か……。
 思い出そうとして、はたと思い至ったことがある。

「岩戸の、向こうは……?」
「うむ、何かあるはずだ。
 このところの巨大降魔の攻撃はあまりにも強力すぎる。
 地脈を利用していると言っても、それをここまで変動させるには何らかの力の供給源があるはずだ」





 そのころ、第一陣隊長の押井大佐は、道に迷っていた。
 一通り道を確認して後は戻るだけだったはずなのだが、どうも様子がおかしい。
 何かに呼び寄せられるような気がして、気がついたら宿営地から遠く離れていた。
 大空洞内部に行き先案内板などと便利な物はなさそうであるし……
 と思っていたら、珍しく看板を見つけたので、あわてて駆け寄って見る。

「この先、第三十四側洞」

 どこかで聞いた番号だと思った次の瞬間、血の気が引いた。
 ということは、この先には……。
 軍団でならともかく、一人で行ったところで自殺行為以外の何物でもない。
 ともかく逆の方向にと思ったそのとき、嵐のような音が聞こえてきた。

「……風?」

 であるはずがない。
 ここは一万メートルの地下なのだ。
 次いで、霊力のない押井にもはっきりとわかるほどの威圧感。
 奥の方から、翼のある巨大な影と、付き従うような大群。

「きょ……、きょだい……こ……」

 それが、押井の最期の言葉となった。





「何!?」

 次に異変に気づいたのは、ミカサの第一艦橋に侵入した北村海軍少将だった。
 第二艦橋を切り離して将達を巻き込まないようにするための手順を調べていたところ、ミカサ周囲の妖力を感知するメーターの一つがいきなり振り切れたのだ。
 慌てて場所を確認すると、どうしようもない結論が出た。

 どうするか。
 一瞬悩んだ。
 自分はこの場所に不法侵入しているのである。
 ここで第一艦橋から指示を飛ばせば、その事実を大声で告知することになるのだ。
 取り押さえられては、もう機会は二度と来ないだろう。
 しかし……、自分の判断ミスで友軍を死なせるのはもはや二度と繰り返してはならなかった。

 決心すると、通信席のスイッチをとにかくオンにする。
 ミカサの内部も外部も未だ工事中であるため、どこまで通じているかは解らないが、信じるしかない。
 士官学校で、通信技術を叩き込まれた昔のことがふと思い出された。

 頼む……!

 マイクを手に取り、声を叩きつける。

「全軍戦闘態勢!巨大降魔が来るぞ!!」





第六章 勝算無き挑戦



楽屋に戻る。
もう一つの第十話目次に戻る。
帝劇入り口に戻る。
夢織時代への扉に戻る。