虚ろなる貴方無き世界
追憶其の七
第二章 戻らない未来


第一章 終わらない戦禍



 北村隆彦海軍少将は一人ため息をついた。
 窓は開けてあるが、ひどく蒸し暑い執務室である。
 十月も半ばを過ぎたという実感は全くない。
 秋風という物がないのだ。
 風が止まると共に、あれから雨も降っていない。
 雲は全く無いわけではないが、いずれも遙か高みの蒼空に筆で払ったような巻雲だけで、日の光を遮る役には立たない。
 その空に音までも吸い込まれたかのように、帝都からざわめきが消えている。

 犬も歩けば魔物に当たる、とは帝都日報の一文である。
 魔物に関する情報は極力帝都以外の都市に波及しないように情報規制をしいているが、郵便網が整備されて蒸気電話が開発された時代となってはそれにも限度がある。
 先の戦いでは小田原城跡を中心とする一帯が丸ごと壊滅状態にされたし、今ではこの帝都で魔物を見ることなど珍しくないとあっては、帝都内に限って言うなら箝口令など有って無いようなものだ。
 それでも人々は何とか暮らしていかねばならない。
 理髪店、飲食店、衣料品店などはともかく、食料品だけは確保しなくてはならない。
 八百屋や魚屋などの頑固な江戸っ子商売人たちは、魔物の影を恐れながらも帝都の台所を支えるためにしぶとく営業し続けていた。

 軍や警察としては、彼らを守らなければならない。
 北村は現在、東京湾と港の警備……もう少し配置を正確に言うと、漁をする漁船の警護と、魚市場や倉庫の防御を担当しており、そこから転じて帝都に展開している軍の食糧補給の仕事も担わされていた。
 重要ではあるが、軍という組織から見た場合には閑職と言えるだろう。
 海上ならば中型降魔であっても巡洋艦の主砲を直撃させて倒すことが出来るので、部下たちの士気が比較的下がらずに済んでいることがせめてもの救いであった。
 仕方がないのだ。
 彼は、軍法会議にかけられないだけ感謝しなければならない立場なのだから。

 二将の乱と俗称される今年七月の軍の内乱……すなわち、粕谷満陸軍少将と朱宮景太郎陸軍中将が別個に、しかし同時に起こした乱に、北村は粕谷と手を組んで参加するはずだったのだ。
 その目標は、巨大降魔と降魔たちを使った第三の軍、空軍を作ること。
 人的損失を無くしかつ絶大な戦闘力を誇る世界最強の軍が完成し、大戦に明け暮れる世界を制圧することが出来る……それは夢だったのだ。
 粕谷とは手を組んでいたと言うよりも、夢を共有していたと言った方がよい。
 少なくとも自分はそうだった。

 だが、周到に準備し、降魔を操れる術者も手に入れて、いざ実行に移そうとしたその時、山口海軍大将に先手を打たれ参戦することが出来なかった。
 結局、単独で行動せざるを得なくなった粕谷の軍は山崎真之介一人に敗北を喫し、抱え込んでいた術者にも裏切られて壊滅した。
 さらに粕谷自身も降魔を使役する魂である北条氏綱に取り憑かれて、小田原に大量の降魔を発生させる媒体にされてしまった。

 悔やんでも悔やみきれない。
 自分が計画通りに参加していれば、少なくともここまでの事態は避けられたはずだ。
 その粕谷が山崎真之介に討たれた後、小田原の後始末を自ら買って出て処理しながらも、抜け殻のようになった自分に絶望し続けていた。
 粕谷と行動を共にすることも出来ず、降魔の軍団を作るあてもなくなり、死に場所すらも無くして彷徨っている自分にだ。

 しかし小田原での戦後処理をしているところに、帝都から微かな望みとも言える情報が届いた。
 今度はその山崎真之介少佐が氏綱の魂を抱え込んでいるというのだ。
 膨大な降魔の軍団を擁したあの氏綱の魂を、だ。
 諦めきれぬ想いが再燃した。
 山崎真之介の処遇を決定する会議では米田中将に肩入れして彼の延命に尽力する一方で、どうにかして氏綱の魂をも生かしておくように主張した。
 巨大降魔はもう操れない。
 しかし、氏綱の魂を用いればまだ、降魔の軍団を作ることは不可能ではない。
 話をそこまで持っていくことは出来なかったが、ひとまず山崎真之介も北条氏綱も生かしてある。
 巨大降魔に対抗するには必ず必要とするときが来るだろう。
 それが彼の主張を一蹴させなかった北村の強みであり、同時に恐怖でもあった。

 食糧補給に関する書類と格闘する傍ら、北村は降魔に関する書類を出来るだけ集めるように何人かの部下に命じていた。

「閣下、失礼します」

 その一人である久国大尉が書類を抱えて入ってきた。
 彼には特に気になることを調べてもらっていた。
 巨大降魔の存在が確認されたのは昨年の暮れ。
 だが、あれはそもそもどうやって出現したというのだろう。
 自然現象にしてはあまりにも特異すぎる。

 降魔戦争という名称が確定したこの二年半における一連の事態の中で出現した降魔は、大きく三つに分類することが出来る。
 すなわち、犬か猫ほどの大きさの小型降魔。
 人間とほぼ同じ大きさの中型降魔。
 人間よりも大きく、人型蒸気と同じかやや大きいくらいの大型降魔の三種である。
 実際にはその中でも、鈎爪による直接攻撃を得意とするもの、腐食溶解性の液を吐くもの、爆発性強酸を発射するものや、かまいたちを翼から発生させるもの、電撃や炎を発するものも少数だが確認されている。

 その戦闘能力は概ね大きさに比例した。
 しかし、最下級の小型降魔であっても、対魔装備がなければ一体で一小隊を全滅させたという例もある。
 日露戦争で主戦力であった銃剣類を始めとして、ほとんどの個人装備では妖力に阻まれてしまうために傷を負わせることもできない。
 対抗するために使われる対魔装備は、古い日本刀や破魔矢、あるいはシルスウス鋼がコーティングされた剣などである。
 ただし、そういった装備を整えてさえ、兵が慣れていなければ、小型降魔一匹に五人から十人の戦力を必要とした。
 その他には、大量の火薬による爆風や超重量体の直撃などを食らわせるかだ。
 小田原戦役では、部下を救うために大量の火薬を抱えて降魔と刺し違えた小隊長の話がいくつか残されている。

 中型降魔になると、一般兵ではほとんど手に負えなくなる。
 降魔との戦いを何度も経験した歴戦の兵が揃えば食い止めることくらいは出来るが、倒すとなるとそれ相応の霊力がほぼ不可欠となる。
 砲撃ならば七センチ以上の砲を多数浴びせるか、巡洋艦や戦艦の主砲を直撃させることになる。
 そしてもう一つは、対降魔部隊員が直接切り結ぶかだ。
 広い戦場で必殺技を駆使すれば数体でも同時に相手取ることが出来るが、市街戦ともなると自在に飛び回る翼を持つ分やや手強い相手となる。

 大型降魔では飛行能力はほとんど無くなり、滑空するかせいぜい数メートル浮かび上がるかがいいところだが、その代わりに耐久力、生命力、攻撃力ともに中型降魔よりも数段跳ね上がる。
 シルスウス鋼ではない鉄板など紙のように切り裂き、簡易対魔装備では外骨格に届く前に妖気で弾かれ、仮に傷を負わせても大きな体躯に比してはさして効いていないという有様だ。
 降魔戦争開始当時の話ではあるが、周囲への影響を避けるために霊力による大規模技を使わないのならば、対降魔部隊四人が同時に当たらねばならなかった。
 ともかく、それだけで一騎当千ともいえる存在であった。

 だが、あの巨大降魔はその大型降魔と比してさえ桁の外れた存在だった。
 昨年末に山崎真之介と藤枝あやめがこれに暫定的な封印を施すことが出来たのは、動き始めた直後の未完成体だったからに過ぎない。
 北村は一度密かに巨大降魔封印の場所を見に行ったことがある。
 巨大降魔そのものを直接見たわけではないが、封印された岩戸の大きさとその向こうに感じる存在感は嫌と言うほど感じられた。
 文字通りの桁外れだ。
 あんなものが自然発生で現れるわけがない。

 どうやらあれを作った人物がいて、その人物は既に山崎真之介と藤枝あやめに倒されたらしいということまでは解った。
 問題は、どうやって作ったか、何故作ったか、だ。
 それが解れば倒す手段か、あるいは操る手段も解るのではないか。
 そう考えて、詳細な調査をさせているのである。

「何か解ったか?」
「はっ、閣下のご慧眼恐れ入りました」
「世辞はいい。では、陸軍の記録に改竄の跡があったのだな」

 北村が注目しているのは、巨大降魔出現の当日に起こった事件だった。
 陸軍少将水無月明が、腹心の部下ともども料亭で惨殺されたのである。
 元々対降魔部隊を毛嫌いしていたというこの男が、当のその日に殺されているというのはいかにも臭う。
 魔物の仕業と公式発表されているが、それよりは山崎真之介に暗殺された可能性があると北村は考えていた。

「十二月一日を中心に、当番者の筆跡と微妙に食い違っている日が二週間ありました。
 さらにそれ以前にも、十一月にも数日、水無月少将の所在に矛盾する記述があったところにもやはり筆跡が微妙に違っておりました」
「微妙に、か」

 久国大尉は特にこの技術に長けているという理由で選んだのである。
 その彼が微妙に、と言う表現を使うからにはかなり巧妙に改竄されていたのであろう。
 誰がやったのかということは気になるが、今はそれ以上に何を改竄したのかという方が気にかかる。
 水無月少将は閥の腹心ともども全滅させられているので話を聞こうにもどうすればよいか。
 いや、何も腹心に頼らずとも手はある。

「手分けして当時の清掃員や事務官たちに聞き込みをしてみてくれるか。
 水無月が何らかの形で噛んでいたとすれば、風塵か高音のような術者が出入りしていた可能性が高い。
 もしかしたら目撃されているかもしれん」
「なるほど」

 風塵と高音というのは、先の戦いにあたって北村が粕谷とともに抱え込んでいた術者である。
 特に高音は降魔を操るという脅威的な技術を北村たちの目の前で実演して見せた。
 もし仮に水無月少将が巨大降魔の発生に噛んでいたとしても、彼本人にはそこまでの霊術あるいは魔術を扱えるとは思えない。
 彼が抱え込んでいた……いや、あるいは彼を手玉に取っていたかもしれないそれ相応の術者が出入りしているはずなのだ。

「了解いたしました。
 それからこちらが、方術士団から送られてきました帝都の霊力値測定記録です」

 久国は持ってきた書類を北村の机の上に積み上げた。
 そういう物の調査は将官の仕事ではないが、今の仕事はそれなりに時間はとれるので、北村は自分でも調査を進めるつもりだった。
 ただ、近衛軍独特の表記法を翻訳してもらうあたりは部下にやってもらっている。

「うむ、御苦労だった」

 魔物が急激に増加しはじめた……つまりは降魔戦争の開始は二年半前とされるが、その前兆はなかったのか。
 帝都中が魔物対策に躍起になっている中、北村はその原因を探ろうとしていたのだ。



 一日や二日で片づくような量ではない。
 翌日、会議に出席するため北村少将は作業を中断して華族会館へ向かった。

 陸海軍が合同で会議を行う場合、その最高峰は帝の出席の下に開かれる御前会議である。
 しかし、太正の御代になってからは諸般の事情により御前会議が開かれることは稀になっていた。
 多くは近衛や侍従の者等が代理で出席と言うことになるのだが、そんな会議をわざわざ宮城で行うのも畏れ多いという理由で、両軍会議の会場は都内のいくつかの場所の回り持ちで開かれていた。
 さらに今この状況においては、帝都東京を守るための戦いであるため総理大臣以下内務大臣なども参加することになる。
 何かと面倒なのだ。
 今回使われる華族会館は収容人員もそれなりで警備もしやすい構造になっていて、しかも陸海軍省や内閣府からそう遠くない建物である。
 そして、以前は毎日のように開かれていた華族たちのダンスパーティは、ここ二年で回数を大きく減らしていた。
 かつての鹿鳴館である。

 少し早く着いたので、会議場にはまだ参加者よりも警備に当たる者の方が多い。
 ただ、実際以上に閑散として見えた。
 理由は、解っている。
 いたたまれなくなって、一度ロビーに出て煙草を吹かす。
 かつては滅多に吸わなかったのだが、落ち着かないときは美味くもない銘柄でいいから適当に吹かすことにしている。
 便利なのだ。
 堂々とため息がつける。

「辛気くせえツラしてんなぁ、北村」

 不意に横から声をかけられた。
 こういう場所でこういうざっくばらんに過ぎる喋り方をするのは、陸海軍通じて一人しかいない。

「米田中将」

 苦笑しつつおざなりな敬礼をすると、米田も同じ顔で同じ態度が返ってきた。
 傍若無人とも感じるこの男の態度が、しかし今となっては懐かしく思えてしまう。

「吹かすならせめてもうちょっといい奴にしやがれ。
 海軍少将の威厳も何もなくなるぞ」
「今の自分にはふさわしいと思っているんですけどね」

 もっとも、威厳の無さについてこの男には言われたくないような気もする。
 もう一度大きく息を吐き出したところで、役に立ってくれた煙草を灰皿に押しつける。
 灰の欠片に少しだけ火が消えずに残った。

「……抜け殻みてえだぜ、おめえさん。
 まるで覇気が感じられねえ。
 前にここで粕谷の奴とやり合ったときに比べて……」
「……」
「……悪い」
「……」

 励まそうとして自分が何を言ってしまったのか、口にしてから気づいた米田は深々と頭を下げた。
 自分も同じなのだろうと米田は思う。
 親友の朱宮の不在にいたたまれなくなって、何とはなしに歩き回っていたのだ。
 だが同じならばこそ、北村にも覇気を失わずにいて欲しかったというのが本心かもしれなかった。

 燠火のようだった灰の欠片が、灰皿の中で燃え尽きた。


 お互いに一礼し合ってから会議場に向かう。
 少し喉が渇いていた北村は珈琲が欲しかったが、会議場にはあいにくとお茶しかない。
 飲み物にはこだわる性分なのだが、両軍の調停官たちの仕事を増やす気にもならなかったのでひとまず茶碗に茶を注ぐ。
 不味いと評判の茶だが、それでも熱ければそれなりに飲める。
 もっともこの気温で熱い茶を大量に飲もうとも思わないので少量で済ませた。

 春日光介方術士団長が到着したのでそろそろ会議が始まりそうだ。
 だが……。
 見渡してみて、改めて寂寥感を覚えずにはいられなかった。
 場所も同じこの会議室で、両軍の幹部が勢揃いして巨大降魔の扱いや降魔の発生の起源等について大激突をやったのが、わずか半年前だ。
 この間に、多くの者が逝ってしまった。
 海軍は直接降魔とやり合っている者は少ないために欠員はないが、陸軍は青森陸軍参謀総長が死亡して畑中大将が代行を務めている他、将官が何人も小田原戦で戦死している。
 そして二将の乱の主役であった二人、米田の親友たる朱宮中将と、北村にとっては最初は敵対して後に盟友となった粕谷少将の不在は、存在感が余りに強かった分なおさらに誰もがその不在を実感させられてしまう。
 近衛軍方術士団も春日玲介方術士団長が戦死して息子の光介が後を継いでいるほか、主だった者の多くが命を落としていた。

「では、諸兄揃ったようなのでこれより会議を始める」

 相変わらず文官の長として両軍の間を取り持つ加藤首相の顔にも、疲労の痕がはっきりと見えた。
 情報規制の他、小田原戦役で焼け出された人々の保護や手当、帝都においても戦線を支えるための予算と食料の確保等々、内閣がやらねばならぬことも余りに多かった。
 このほかに通常の政務もある。
 文字通り命を削って日本を支えている一人であった。
 既に自分がいつ倒れてもおかしくないと実感しているらしく、後継人事も秘かに決めているらしいが、彼が倒れたら帝都戦線は崩壊するだろうというのがここにいる人間の共通認識だろう。

「会議などまどろっこしい真似は止めにしないかね、首相」

 いきなり手も挙げずに発言したのは、北海道から半分の師団を連れて帝都に来た陸軍大将守屋善治郎だった。
 元幕臣の一族の出身で、粕谷少将亡き今、陸軍内でも一二を競う武闘派と言われており、革命の起こった露西亜を攻めてシベリアを占拠せよとの考えを持っており、例外的に陸軍大将でありながら旭川師団に所属していた。
 それを危険視した京極慶吾陸軍中将兼陸軍大臣代行によって帝都に呼び戻されたので、そもそも現状を良く思っていないはずだった。
 大将が中将に命令されていい気分になるはずもないが、形式上は陸軍大臣の命令だった。
 守屋はこの命令を拒絶するだろうと多くの者が思っており、事実京極もこの男が命令に従うとは思っていなかった。
 逆らったらそのまま処断するつもりだったのだ。
 それが何故か、不満を隠さないながらもおとなしく帝都に赴任してきたので周り中が不思議がっている。

 ちなみに陸軍参謀総長に関する人事は紛糾していて、穏健派として知られる畑中敏朗大将が暫定的に代行を務めているという異常事態が続いている。
 そこら中異常だらけで、帝都に長くいる者にとっては異常に関する感覚が麻痺しかかっている。
 それがまた、帝都に着任して間もない守屋大将の癪に障るのだ。

「まどろっこしいかどうかはさておきまして、会議を止めてどうすると?」

 三十七歳の若き陸軍大臣代行は、守屋の遠慮のない意見に対してやんわりと尋ね返した。
 あまり表舞台で目立つのは彼の主義ではないのだが、この男のような輩はしっかと押さえつけておかねばとんでもないことになる。
 首都が滅びるかどうかというときに、対外派兵など正気の沙汰ではない。
 最終的には帝都を滅ぼすつもりでいる京極だが、今のこの状況は彼が意図したものとは違っている。
 出し抜かれたのだ。京極慶吾ともあろう者が。
 この屈辱は晴らさねばならないし、帝都も一度平穏に戻しておかなければならない。
 目的を遂げる前に帝都に滅んでもらっては困るのだ。

「知れたことよ。今すぐ大空洞に乗り込んで巨大降魔を討つ。
 他に何かあるのか?」

 その意図に賛同する声があちこちから上がる。
 最近の異動で帝都に呼び寄せられた陸軍の将官と、未だ降魔を目の当たりにしていない海軍の将官たち……京極にとっては世間知らずにしか見えない面々だった。
 無論、北村少将も山口大将もその中には入っておらず、苦々しい思いでその意見を聞いている。
 陸海軍の対立があまり目立たなくなったのは、このような帝都在任歴の違いによる意識の差が目立ってきているという有り難くない側面のおかげでもあったりするのだ。

「勝算はあるのか、守屋大将」

 米田が言おうとした言葉を先に発したのは春日光介方術士団長だ。

「帝国陸軍を愚弄するか、若僧!」

 守屋大将が声を荒らげて場が険悪になる。
 守屋大将は六十近いので三十代後半の春日とは親子ほどの歳の開きがあった。
 しかし、ほぼ同い年である京極や一馬同様、春日もただの若僧ではない。
 この日本で最も尊きお方の傍にいる近衛軍の筆頭なのだ。
 亡き朱宮中将相手ならばいざしらず、単に強いだけの威圧に動じることはなかった。

「貴君、降魔と戦った経験は?」
「いや、まだだ。待機させられている駐屯地には恐れをなしたか出現せんのでな。
 だが、魔物とならば幾度もある」

 させられている、と言うところで守屋は京極に視線を向けるが、向けられた当の本人は表情を変えずに受け流してしまった。
 仕方なく守屋は春日と視線をぶつけ直すことになる。
 その春日の視線は呆れたように冷ややかだった。

「貴君の旭川師団は露西亜の魔術師団と戦うことを想定されていたか。
 だが、露西亜の魔術師が召還する魔物と降魔を一緒にすることの愚は、一度でも戦ってみれば解って頂けるだろう」

 ドスの利いた声、などと生やさしいものではない。
 言外に、死と引き替えに、という言葉がはっきりとうかがえる。
 さすがの守屋もこれには表情が引いた。

「米田、若造の言ってることは本当か」

 日露といえば米田中将、ということで守屋は確かめるように話を振った。
 事実、米田は日露戦争の現場で魔の力と激突しており、その経験が対降魔部隊設立の契機となっている。
 ただし、守屋はその設立には反対の立場だった。

「今更信じる気になってもらえたんならありがてえですな」

 かくて米田の回答も毒混じりである。
 米田にとって守屋大将は京極とは別の意味で得体の知れない存在だった。
 魔物について理解が無いはずがないのに、対降魔部隊を敵視すること甚だしい。
 何も解っていない愚物ならばまだしも、何を考えているのかわからないのだ。
 それに加えて、日露戦争の現場では用兵術の点で対立したこともある。
 犠牲を犠牲とも思わないその姿勢は米田とは相反するものだった。
 結論として、米田にとっては気に入らないが無下にも出来ないという存在である。

「無策で敵の増強など手をこまねいて見ているわけではない。
 それは安心していただこう、守屋大将」

 絶妙の間で山口海軍大将が合いの手を入れる。
 おかげで守屋大将は、海軍大将の顔を立てるという名目で席に座り直すことができた。

「対小型降魔用の近接武器と防御装備は、あと二週間で予定量が完成するだろうと神崎重工の担当者が豪語しておる。
 対魔装備無しで兵を送り込んでもいたずらに屍の山を築くことにしかならないのだ。
 お分かり戴けるか」
「魔物といえど幽霊ではないでしょう。
 本当にその武器でなければ通用しないのですか?」

 守屋大将に賛同の姿勢を見せていた内瀬海軍中将が首をひねりながらたずねる。
 こちらは呉から戦艦とともに呼び寄せられたため、対魔物の戦闘経験が無い。
 直に戦ったことがなければその疑問も至極当然かも知れない。
 逆に、戦ったことがあれば言わずもがなのことなのだ。

「厳密に言えば、全く通用しないわけではありません」

 これには北村少将が自ら答えた。
 現在の立場からではなく、過去の経験からの発言なので誰も止めない。
 北村自身は小田原戦において、相模湾から戦艦の主砲を叩き込んで中型降魔や大型降魔を何十体も倒している。

「二十センチ級以上の砲弾を直撃させれば中型降魔でも倒すことは出来ます。
 しかし、大空洞の中には戦艦を浮かべる海もなければそこへ至る運河もないのです」

 一つだけ例外がある。
 大空洞の中にも一隻だけ戦艦がある。
 空中戦艦ミカサである。
 だがそれはそもそも動かすことも出来ず、また巨大降魔のいる場所はそこからさらに離れた側洞の奥であるので北村はそれを言わなかった。
 かつてその指揮権を巡って陸海軍協議が盛大にもめたあげく棚上げになったままのその名を口にして、この場をさらに面倒にすることもあるまいとも思った。

「では歩兵だけでその巨大降魔とやりあう所存か?
 ここまでの話を聞く限りそれはいかにも無謀に思えるのだが」
「その準備に関しては、門脇少将から報告していただけるでしょう」

 そう言って北村が目を向けた門脇海軍少将は、高齢だが空中砲台の開発などで神崎重工の技術顧問を務めていたり、ミカサの開発にも携わったという、技官出身で少将まで来た専門家だ。
 今では兵器開発の機密保持の必要性から、情報部にも明るい。

「うむ、加藤首相。報告させていただいてよろしいかな」

 議長許可なくえんえんと話を熱くした一同をたしなめるように、白髪の海軍少将はやんわりと言いつつ立ち上がった。
 話を振った北村も含めて、皆ばつの悪い顔を見合わせる。
 ようやく話が落ち着いたので加藤はほっとして老将を促した。
 半年前ならばその場で一喝できたという思いが、自分の衰えを実感させつつ。

「どうぞ、門脇少将閣下」

 ふぉふぉふぉと髭を振るわせつつ門脇は、会議場備え付けの映写機に近づいていった。

「歩兵用装備に関しては先に山口閣下が報告して下さった通り、あと二週間で作り上げると神崎重工技術陣は燃えております。
 その内容ですが、まず近接武器では小田原戦で活用しましたシルスウス結晶粉表面加工刀では少数精鋭を送り込む今回の作戦には力不足ということから、シルスウス鋼と玉鋼を混合した新型刀を用意しております」

 魔物への対抗手段としては、大口径砲から大運動量を叩き込む以外に、いわゆる名刀と呼ばれる刀剣類が有効であることはそれなりに知られていた。
 でなくば、古来より鵺や鬼など魔物退治の逸話など日本中に伝わっていない。
 しかしそれらに匹敵するだけの刀を打てる刀匠技術は、明冶維新にともなう廃刀令によって衰退しきっていた。
 頼りとするには兵器としての絶対数があまりにも足りないのだ。

 その状況を打破するために使われているのが対魔属性を持つ合金シルスウス鋼である。
 ただこれも、鉛と鉄の固溶結晶体という面倒な代物のために大量の鋼材を作るにはかなりの時間がかかるという欠点があった。
 真之介はこれを打破するために、シルスウスの結晶を粉体として刀身にコーティングするという方法を考え出した。
 このコーティング刀が一般兵にまで配布され小型降魔とも辛うじて戦えるようになったために、小田原での降魔大量発生に対抗することが出来た。

 だがそれでも小型降魔一体に対して何人もの兵がかからねばならなかった。
 今度の作戦は十万の兵を投入できた平地での戦場とは訳が違う。
 複雑な大空洞の中に攻め込むには人数も限られているのだ。
 送り込む兵にはそれ相応の装備をさせなければならない。
 そこで標準装備の刀も攻撃力を上げたものを作っているのだ。

「また防具ですが、こちらはいくつか案を検討しましたが……」

 そう言って門脇は銀幕に映像を投射する。
 現在陸海軍が所有している人型蒸気の名が、重量及び稼働時間、保有機数とともに映し出される。

「人型蒸気に乗っていくにしては今回の作戦は道中が長すぎるという問題があります。
 かといって別途用意した輸送車に乗せていくというのはあまりに効率が悪すぎます。
 そして、現在我が国が保有する軍用人型蒸気を全て投入しても、ここまでの降魔との対戦成績を見る限りそこまでの戦力にはなりません」

 小田原での戦闘でかなりの数を消耗している上に、ここ最近の戦いで人型蒸気がそれほど役に立っていないことは明白だった。
 元々はブードゥーの魔術から身を守るためにシルスウス鋼で全方位を覆うということが前提の兵器である。
 降魔と格闘戦を行うには出力、運動性能があまりにも不足しているのだ。
 それを解決すべく真之介が設計した霊子甲冑は未だ欧州で実験中であり、量産の目途は立っていない。

「となると、個人装備での防具を充実させるしかありません」

 映像が変わって、戦国時代の鎧のようなものや、西洋の甲冑のようなものなど、いくつかの図案がその総重量や運動性の検討値とともに示される。

「鎧型では重量がありすぎ、長時間の戦闘が見込まれる今回の作戦には不向きであると判断されましたので、標準制服に鋼糸を編み込み急所を鋼板で補強したものを製造しております」
「失礼ながら」

 参謀総長代行を務める畑中陸軍大将が議長許可を得て発言する。

「それでは防御力に不安を残さないかね?」

 これはやはり降魔と戦った経験があるからこそ出てくる言葉である。

「それは否定できませんが、今の帝国陸海軍は戦国の武将ではござらん。
 重さ二十キロを超える全身鎧をいきなり着せられて小型降魔を追いかけられるかというと、考える余地無く没にせざるを得ませんな」
「……なるほど」

 戦国武将たちは日頃そういった鎧を着ることを前提として訓練していたので、それだけの重量の鎧を着て戦場を回ることができたのである。
 むろん帝国軍人たるもの、行軍時であれば三十キロ程度の荷物を背負って動けるくらいには鍛えられているが、その状態で素早い小型降魔や中型降魔と切り結ぶのは容易ではない。
 根性でどうにかなるなどと考えるほどの愚か者はこの場にはいなかったので、これには全員納得である。
 動けなくては兵を送り込む意味がなくなってしまう。
 門脇にしても、銃の発達とともに忘れられてきた防御力と重量との板挟みに、まさか太正の御代にもなって悩まされることになるとは思わなかった。

「それから、大空洞に持ち込むための砲ですが……」

 銀幕に映る映像が複雑な仕組みの大砲設計図に変わる。

「空中砲台に使用した砲をさらに改良して、口径十センチながら全シルスウス鋼製対魔カノン砲弾とそれに対応した中距離戦闘用対魔カノン砲を現在製造中です。
 素早く動く降魔を捉えるには、対陣地用よりも照準を素早く定めることができ、しかも命中精度が極めて高い砲が必要と判断しました。
 歩兵装備とほぼ同じころまでには、七門が完成の見込みであります。
 ですから方々には、その準備が整うまで待っていただきたく存じ上げます」

 少将として、中将や大将が居並ぶこの場に敬意を払いつつも、その言には技官としての誇りがうかがえる。
 そこで山口大将は議長に発言許可を求めた。

「門脇少将。主砲で対処せねばならん相手に十センチというのはいささか心許ないのではないか?」

 大将から少将に話しかけているのだが、この場にいる最高齢将官ということでその言葉にも敬意がにじみ出ていた。
 そもそも、その理由を山口自身は既に知っている。
 質問は補足説明を促すためのものだった。
 おおそうだった、と頷いて、門脇は映像をグラフと表の集合に変えた。
 右下隅に「資料提供山崎真之介」とあるので米田はピンと来た。
 こいつは前に真之介が神崎重工に設計を渡したというシルスウス鋼製造装置の特性数値だ。

「歩兵用にシルスウス鋼武器が極めて有用なのは既に小田原で実証済みでありますが、これを発展させれば銃弾にシルスウス鋼を使っても有益であるということが言えます。
 ですが銃弾では与える傷も小さく効果も薄いのです。
 どうせ作るならやはり砲弾にすべきでしょう。
 しかしながらシルスウス鋼はその特殊な形態故に、鋳造という手段を用いることが現時点では出来ないのです」

 と言って門脇は映写する映像に加えて、鉄や鉛の融点と一緒にシルスウス鋼の内部結晶域や外部結晶域といった数値を示した。
 なおシルスウス鋼は元々アメリカで発見されたものだが、これは完全に偶然の産物であって大量生産が非常に難しいものであった。
 この技術を確立したのが山崎真之介であり、だから資料提供が真之介になっているのである。
 しかし現在量産できているのは板金と結晶粉体だけであり、普通の金属のように塊を鋳造しようとするとシルスウス鋼の特性の元になる結晶域が単なる鉄と鉛の合金に戻ってしまうのだ。

「現在、シルスウス鋼の特性と強度を保ったまま造ることが出来る砲弾の限界が十センチなのです。
 そのため口径を十センチと致しました。
 工場付近に飛来した中型降魔に対して試射を行いましたところ、このシルスウス鋼弾は三十センチの通常弾以上の威力を示し、一撃で完全粉砕することが出来ました」

 おお……とどよめきが起こった。
 降魔の恐ろしさを知る者の方が驚きが大きい。
 いかな最大級の巨大降魔が相手でも、それだけの装備があれば勝てるのではないかという期待感が広がった。
 しかしここで、根岸靖彦陸軍中将が発言を求めた。

「二週間は、長くないか」

 根岸中将は帝都在任歴が長く、小田原での降魔大量発生時にも参加した経験を持っている。
 大量発生した降魔によって小田原の街が廃墟となるまで、二日とかからなかったのだ。
 彼が急ぎ到着したときには既に対処のしようがなくなっていたのである。
 その記憶が彼にこの発言をさせた。

「帝都各地では今も戦闘が行われている。
 まだ少ないが市民への被害もそろそろ軽視できなくなってきた。
 この上二週間という時間の、必要性は認めるがもう少し短くできないか?」

 視線を向けられた門脇少将はゆっくりと首を横に振った。

「技術者たちも命を削ってこの任務に当たっております。
 これ以上と望めば、完成前に全滅の憂き目を見ましょう」

 技官以外にはなかなか理解されないが、技術開発の現場も文字通りの戦場なのである。
 迫り来る期限と己の技術の限界に耐えかねて自己崩壊してしまった者も既に出ているのだ。
 直接降魔とやりあっているわけではない。
 しかし、直接剣を交えている兵とともに、戦っているという意識と誇りがあった。

「ならば七門とは言わず一門でもよいから、出来たところで大空洞に突撃を仕掛けるべきではないのか。
 私は動きの読めぬその巨大降魔がどう出るのかを危惧している。
 奴は今、帝都の地下で一体何をしているのだ?」

 巨大降魔の動向調査は、対降魔部隊長を務める米田の任務である。
 あまり気が進まない表情で米田は加藤首相に発言許可を求めた。

「今帝都全域を完全な無風状態にしているのが奴の仕業ということははっきりしている。
 これと合わせて、大空洞には既に測定不能なほどの妖力と霊力が満ちていやがる。
 よって、今奴は帝都全域に対して何らかの儀式魔術を仕掛ける準備をしているとオレは考えている」

 儀式魔術。
 既に先月までに帝都は二度それを経験している。
 宮城を中心にして四方から発動した光の柱は、帝都に直接の被害こそ与えなかったものの帝都にいる者全てに恐怖を与えるに十分な効果を持っていた。
 さらにその後に、帝都数十箇所において局部地震を伴った発雷現象が起こり、こちらは家屋人間ともに大きな被害が出た。
 これ以上となると、何が起こるというのか。
 それはすなわち帝都全域の崩壊ではないのか。
 その場にいた誰もが連想せずにはいられなかった。
 不気味にしんと静まり返ってしまった議場を見かねて、春日方術士団長が発言許可を求めた。
 自分に場を立ち直らせるだけの気力が残っていないことを悔しく思いながら、加藤首相は春日を促した。

「根岸中将が危惧されるのもわかるが、方術士団でも後十日に期限を設定して全国の陰陽師や修験者たちに招集をかけている。
 敵の戦力が解らぬ今、集められるだけの戦力を以て当たりたいというのが近衛軍からの願いだ」

 そう言われては根岸も考え込まざるを得ない。
 敵の戦力がある程度でも解っていて、うち破れる自信があるのならば速度は最も尊ぶべき美徳となる。
 しかしこの場合には飛んで火にいる夏の虫となってしまう可能性が十分にあった。
 下手に攻め込んで全滅を食らおうものなら、戦いはそれまでなのである。
 そして、巨大降魔がどれほどまでの存在であるのか詳細かつ正確に答えられる者はいない。

「それでは、作戦決行は十四日後の十一月五日とすることでよろしいか」

 半ば越権行為と自覚しつつも、話を実行段階に持っていくことで加藤はとにかく場の士気を上げることにした。
 提案したタイミングが功を奏して、特に誰も異論を挟まなかった。

 こうなると将たちの打ち合わせは速かった。
 突入させる兵は陸軍七千、海軍三千、方術士ら二千。
 十万の戦力が投入された小田原戦と比べると遙かに少ないが、これはある程度予定済みであった。
 陸上戦と地下攻めでは根本的に用兵の仕方が異なる。

 大空洞へ至る道は帝都各地にあるのだが、それらは地下道と昇降機を組み合わせた複雑なもので、一挙に兵を送り込むという真似は出来ない。
 地下一万メートルの敵本拠。
 帝国陸海軍の居並ぶ名将たちも、そんなところを攻める作戦は初めてなのであった。

「では、本日の本会議はこれにて閉会とする。
 細部の部隊配置等は担当する諸兄でうまく取りはからっていただきたい」

 どの部隊が突入隊になるか等は、わざわざ両軍協議会で決めるようなことではないので会議はこれで閉会となった。

「……この日本が世界に誇る将達よ」

 退席しようとして腰を上げかけた面々は、加藤首相の珍しい物言いに不思議そうな視線を興味ありげに向けた。
 その視線が集まったのを確認したところで、加藤は深々と頭を下げた。

「この帝都を……日本を、貴官らに託す……!」

 一瞬驚いた面々は、襟を正して一斉に、文官の代表へ敬礼した。



 加藤首相はその後すぐに官邸に戻り、当日の帝都地上での対応について警視庁幹部らとの打ち合わせに入った。
 そう簡単に首都たる東京から避難するわけにはいかない以上、市民を残した上で防災対策も採らねばならない。
 また門脇海軍少将も開発の続きと言うことで神崎重工横浜工場へとって返した。
 残る将達は加藤より受けた檄に後押しされるように、意気高く打ち合わせに取りかかった。

 今回の作戦の総大将に選ばれた畑中陸軍参謀総長代行は、その立場よりも大空洞でのミカサ建造に関わっていたという経歴を買われての人事だった。
 何重もの機密の壁に隔てられているため、大空洞全域を知り尽くしている者は存在しない。
 その中でも最もよく解っている者が指揮官となるのが筋と言うことで、守屋陸軍大将もしぶしぶ納得した。
 ただ、最終的には米田と京極でなければよい、という消極的な理由ではあったようだが。
 どうも彼から受ける視線に危険なものを感じた米田だが、元々血の気の多い男だし、疎まれるのは慣れているので気にしないことにした。

 どのルートを通り、どこに集結させるか、また最終的に巨大降魔のいるはずの第三十四側洞の奥にまで投入する兵はどれほどか、最前線の指揮官は誰かなど、決定事項となった事柄はすぐに両軍省に連絡されて事務手続きが行われていった。
 米田はいつも通り対降魔部隊長として役割が決定された。
 扱いは平隊員と同じ戦闘要員扱いである。

「やはり今回も最前線ですか」
「対降魔部隊というからには、それなりの働きをしろだとよ」

 恭しく声をかけてきた春日方術士団長に対して、米田は少し寂しげに答えた。
 先の会議では確か彼の父が一馬と話していた。
 今現在、一馬はこちらに出席する余裕もなく降魔と戦っており、一方で春日玲介前方術士団長は既に戦死している。
 会議の始まる前に北村海軍少将と話して実感したこの半年の情勢の変化を、改めて思い起こされたのだ。

「ところで、山崎少佐のその後の経過は如何でしょう」

 あたりをはばかるように声を潜めた春日に、米田もその話か、と口元を引き締める。

「一応はおとなしくしているぜ。
 ふてくされていることが多かったが、門脇の御老が技術を請いに来てからは少しは気晴らしになっているらしいな」
「意識を失ったら……ということは?」
「あやめくんも真田先生も無いと言っている。
 俺も見たところ、前とそう変わっているようには見えないんだが……」

 最大の問題となるのが、今真之介が抱え込んでいる古き魂……北条氏綱だった。
 万の死者を出した小田原での降魔大量発生は、その氏綱の魂が暴走した結果なのだ。

「安定しているのは朗報ですが、しかしやはり問題なのは戦闘時、それも降魔と対面したときです」
「確かに、一度は氏綱の魂も滅んだとばかり思っていたからな。
 だがあそこまで平穏を保っていると言うことは、表に出てくるまでこちらは手を出せないんじゃなかったのかい」

 実は最初に春日は真之介もろともという案を出したのだが、今さらここでいさかいを再燃させたくはないので二人ともそのことには触れないでおく。

「次策を狙おうかと思いまして、ご相談申し上げました」
「……まさか……」
「今回の作戦、彼に同行してもらおうと思います」

 小田原で降魔の群を薙ぎ払い、戦況をひっくり返した真之介の戦果は記憶に新しい。
 おそらくは多数の降魔がひしめくであろう大空洞に乗り込むには、絶対に欲しい戦力であった。
 しかし、春日は近衛方術士団の長として帝都のことをまず第一に考え、そのためには少々の犠牲も、非難される手段を採ることも厭わないところがある。
 特に、父を亡くしてからその傾向が一段と強くなったように思う。
 三十路後半にして伝統ある近衛軍の中で実質上の長を務めなければならない責任感がそうさせているのだろうとわかってはいても、米田はあまりいい顔は出来なかった。

「ふん、氏綱の暴走を懸念していたんじゃねえのかい」
「万一暴走したとしても降魔たちや巨大降魔を相手にすれば、さしもの氏綱の魂といえど疲弊しましょう」

 この提案が、巨大降魔とともに氏綱の魂を滅する機会を窺ってのものであることは明白だった。
 そして、そのためになら真之介を犠牲にすることを躊躇わないであろうことも。
 春日が今真之介に手を出さないのは、北村少将の提案を一時的に飲んでおり、軍と敵対することを避けるためでしかない。
 一旦氏綱の魂が暴走したら、現場の判断ということで状況を一気に詰めるつもりだ。

「氏綱が巨大降魔もろとも敵に回ったらどうするつもりでえ」

 何しろ北条氏綱は降魔成立の原因である降魔実験を行った人物であり、いわば降魔の首領と目されているのだ。
 そもそも氏綱の魂が何故現代で取り沙汰されることになったかというと、先の争乱で降魔を操ろうとした術者が降魔全軍の指揮を執るための媒体として氏綱の魂を召喚したからなのだ。
 氏綱の魂が発現して真之介の身体が乗っ取られ、巨大降魔を指揮下に置いたらどうなるのか。

「その懸念は無いこともないですが、巨大降魔と氏綱が連携するとは考えにくいです。
 山崎真之介の周囲に仕掛けた我々の封印陣は監視者も兼ねていますが、少なくともここまで、両者が連携しようとする気配がまったくありません。
 連携しているのならとっくの昔にしているはずです」
「なるほどな……江戸でも確かに氏綱の魂が巨大降魔と連携する気配は無かった」

 真之介への監視をしれっと白状されては、米田としてもそれを咎める気が失せた。

「まして巨大降魔は放神記書伝にも記述がありません。
 おそらくは氏綱の旗下ではなく、別の呪法で作り上げられた極めて人工的な存在であると推測されます。
 であれば氏綱が指揮下に置ける可能性はかなり低い。
 しかもそれらは最悪の場合の話です。
 首尾良く巨大降魔を倒せればそれでよし。
 氏綱だけが残ったのであれば、後方支援も含めて四千の術者で氏綱を引き剥がして滅するまでです」

 なるほど、全国の術者に招集をかけたのは巨大降魔だけではなく氏綱もろとも消し去る算段だったということらしい。

「そんなことにかまけていて、巨大降魔は倒せるってのか?」
「大空洞の中に奴の逃げ場はありません。
 霊脈のことを考えるとあまり採りたくはありませんが、いざとなれば大空洞の一部もろとも埋めてしまうことも考えておりますし、手段は色々とありますよ」
「怖えことを考えてくれるぜ」

 そこまで言うからにはおそらく爆薬なども既に用意してあるのだろう。
 米田はその具体案に呆れたために、春日がつい漏らしてしまった「手段」という言葉の方にはさほど気を留めなかった。

「地下三万尺、昨年末に山崎少佐と藤枝少尉が巨大降魔と戦ったときでも、帝都地殻表面では地盤沈下の一つも起きなかったでしょう。
 大丈夫ですよ」
「ふむ……」

 米田は真面目に考え込むことにした。
 確かに真之介を解放すれば今度の作戦の成功率は上がる。
 厳密に言えば、米田は真之介無しに巨大降魔と戦っても勝算は薄いとさえ思っている。
 何しろ巨大降魔と直接戦闘して生き残っているのは真之介とあやめの二人だけなのだから。
 そのときにくらべて途方もなく強くなっている相手ではあるが、一度戦ったことがあるか無いかはきっと効いてくるはずだ。
 巨大降魔とやりあう前に真之介を解放できればそれに越したことはない。
 だが、何かひっかかる。
 本当に大丈夫なのか。
 四千人の術者を以てして、あれをちゃんと止めることが出来るだろうか……?

「伝承によれば、降魔実験を行いそして幻の大地大和を沈めたのは百八人の術者だと言います。
 ご心配には及びませんよ」

 米田の考えていることを察して、春日はもう一押しとつけ加えた。
 戦国時代に降魔実験を行ったのが氏綱とされているのだ。
 ならばその数で十分だろうというのは確かに説得力がある。

 巨大降魔を埋めただけで倒せるとは思っていないが、起こるかどうかわからない事態よりも、今は巨大降魔に対抗する現実的な手段が一つでも多く欲しいところだった。
 熟考の末、作戦当日に真之介の封印を解いて作戦に参加させることを約束した。




「前線の中継司令室は、ミカサ第二艦橋か……」

 決定された集合場所などを聞いて、北村はほう、とため息をついた。
 最初の司令部は地上に置かれるが、大空洞の中に突入した後はその中にも司令部を置くということらしい。
 確かに現実的な配置かも知れない。
 巨大降魔のみならず、おそらく地下深くに巣くっているであろう降魔たちを完全に掃討するためには、各側洞の奥まで攻め込まねばならない。
 そんなときに、一応の通信線は引いてあるとは言え地上の司令部まで打診していては対応に遅れが出ることは必至だし、状況如何によってはあっさりと指揮系統が寸断される可能性もある。
 その点ミカサならば大空洞の中心域に設置されていて、突入後最初の集合場所もミカサにほど近い広場になるなど、環境は悪くなかった。
 おそらくそこに色々と天幕を張るよりは、本陣は頑丈なミカサの中にと考えたのだろう。
 それはよい。
 しかし、北村には気になることがあった。

 巨大降魔とミカサ。

 人智を越えた二つの存在が、ともに大空洞にある。

 これは、偶然か……?



第三章 むせび泣く帝都



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