虚ろなる貴方無き世界
追憶其の七
第三章 むせび泣く帝都


第二章 戻らない未来



 観測史上、という言葉がある。
 厳密な意味での気象観測と呼ばれる技術が日本に入ってきたのは明冶維新以降であり、それまでは気温に関する厳密な記録は無かったため、その言葉にある重みが真の意味を発揮するにはあと半世紀ほど欲しいところだが、それでも観測史上一番といったら異常な事態であることに代わりはない。
 なによりも、江戸時代を五十年も生きてきたような地域の長老たちまでが口を揃えて言うのだ。

「こんな年は初めてじゃ」

 と。

 帝都中の風が止まって一ヶ月。
 暦の霜月という名前が恋しくなるくらい、暑い。
 広葉樹は少しも紅葉していなかった。
 雨が少しも降らないのによく枯れないものだ、というのは朝寝坊が言う台詞である。
 高い湿度が早朝に霧を作り、露となって植物に水分を絶やさなかった。
 いくつかの野菜はやせ細りしたものの、枯れるほどではなかった。
 ため池は不思議と水量を残し、川幅もあまり変わらない。
 都市はただ、静かにたたずんでいた。

 実感として、湿度が高い割には火事が起こりやすい。
 しかし風がないため延焼しにくく、水は消火に使うことをためらうほど貴重でもない。
 ただひたすら不気味な雰囲気が漂うその中で、陸海軍と対降魔部隊には出現する降魔との戦いが続いていた。

 十一月三日の日が暮れていく。
 珍しく一馬とあやめの実働部隊二人は室内で夕日を眺めていた。

「妙だと思わないか、あやめくん」
「私も妙だと思います、大佐」

 目撃情報は増えているのに、降魔が破壊活動をする件数がこの数日減っているのだ。
 今日はこの夕方まで出動となる活動報告はなかった。
 そんなわけで執務室で茶をすすりながら、大空洞の報告書と明後日の作戦に関する指令書を読んでいる暇がある訳なのだ。

「やはり降魔たちはある戦略性を持って動いているみたいだな。
 活動には傾向と言うほどではないが妙に波がある」
「今は引き潮の最大ですか?」
「私は直に見たことはないが、津波の前の波打ち際は最も引いて最も静かなのだそうだ」

 あやめは、もう降魔について慣れてきたつもりでも、背筋が冷たくなるのを感じた。
 よりにもよって時期が時期だ。
 陸海近衛軍は五日の早朝を目標に突入準備を進めているが、その上を偵察するように中型降魔が飛んでいくことがある。
 それもしっかり高射砲の射程高度より上をだ。
 おそらく、降魔たちは決行日に気づいている。

「米田さんは、巨大降魔にはかなりの知恵があるだろうと言っていた。
 それも、もしかしたら人間以上の」

 攻め方があまりにも丁寧なのだ。
 直接降魔が暴れての被害はあるが、この異常気象のくせに渇水も起きていないため帝都市民への実害は少ない。
 降魔が暴れる地点は都市部という共通点以外は見事にバラバラで、どこで何を企んでいるのかさっぱり読めない。
 おそらく、ここまで一馬たちがかけずり回って倒している降魔たちは陽動に過ぎないのだろうと解っていてもその先が読めない。
 降魔たちを指揮している指揮官はかなり有能だった。
 小田原城を守っていた闇の者黒鳳が再び指揮を執っている可能性も考えられたが、指揮の癖が違う気がする。
 そうすると、やはり考えられるのは巨大降魔自身だ。

「あやめくんはどう思う。巨大降魔と戦った君は」
「あいつには……恐ろしい知恵があります。間違いなく……」

 あやめが思いだしたのは、巨大降魔そのものよりも巨大降魔を作った人物のことだった。
 水地新十郎。
 帝大の助教授だったらしいが、その実は隅田川を守護していた水神だという。
 彼が真之介を闇に引き込もうとしてから真之介はおかしくなっていった。
 せっかく、真之介の人間不信が治りかけていたところだったのに。

 彼は結局真之介に倒されて巨大降魔に飲み込まれた。
 その様は確かにこの目で見た。
 だが、それが故に滅び去ったという確信がなかった。
 飲み込まれたのではなく、取り込まれたようにも、あるいは……取り込んだようにも思えたからだ。
 今は、滅んでいないという確信がある。
 だからこそ真之介を大空洞に連れていくことが不安でたまらない。
 手にした作戦書の端っこに小さく、真之介が同行することが記されていた。

「真之介君のことか」

 あやめは素直に頷いた。
 今の自分が、あっさりと心の中を読まれるような顔をしていることは自覚している。

「あやめくんが大空洞の底へ行くというのに、地上に縛りつけておけるわけがないと米田さんは考えたんだよ」

 それはそうだと思う。
 あいつがおとなしくしているわけがない。
 嬉しい反面、胸の奥がうずいた。

「あやめくん、出撃待機体勢は解けないが少し真之介君のところに行ってきなさい」
「え?」

 いかに出動命令が無いとはいえ、実はかなり無茶苦茶なことを言っている。
 一馬にしてみれば娘のさくらと十も離れていないあやめが、あまりにも多くの物を抱え込んで戦い続ける姿を見続けるのはつらいのである。
 あやめを戦線離脱させることはどうしても出来ない現状ではあるが、せめてもう少し心を軽くしてやりたいと思う。
 何年後かの娘の姿を重ねていたのかも知れない。

「行ってきなさい」
「は、はい。行ってきます!」





「こういう……ことか……っ!」

 誰もいない執務室で、北村海軍少将は思い切り机を叩いた。
 帝都に魔物が現れるようになったのは、厳密に突き詰めると江戸の末期まで遡る。
 ただし、黒船が来たのがきっかけとするには微妙に時期が合わなかったのだ。
 方術士団の記録によれば、その数年前あたりから帝都の地脈の流れや強さが確かに変化している。
 その時に動いたものは……そして今もなお生き残っている計画はたった一つ。
 星龍計画。
 北村はその結論に至らざるを得なかった。

 あんな時代に誰が考えついたものかも今となっては解らないが、激変する国際状況に対抗するために江戸幕府が発動した空中戦艦建造計画のことである。
 この計画は浮遊出力の不足と維新後の明冶政府の資金難という壁に突き当たり一時頓挫したが、その後の富国強兵政策の中で、欧州列強に対抗するためという名目を得て再始動した。
 造る戦艦の名前も星龍からミカサへと変更されたが、計画名はそのままに今に至る。

 そして、巨大降魔の出現の直前にもこの計画はある転機を迎えていた。
 メインエンジンたる霊子核機関の完成……そして稼働実験だ。

「馬鹿な……。それでは、全ての元凶はあの巨大降魔ではなく……」

 信じたくないと首を振ったところで、調べ尽くした末の推論は覆ってはくれない。
 これで全て納得が行くのだ。
 何故大空洞に巨大降魔が出現したのかという問いにすらも。

 どうすればいい。
 自分はどうすればいい?
 生き残ってしまった自分は、どうすればいい……?

 巨大降魔は、これより陸海近衛軍が総力をもって倒しに行く。
 だが、あれを放っておけばそれすらも無為になってしまうのだ。

 結論は、もう出ている。
 自分の手で、終わりにするのだ。
 だが、上手くやらねばならぬ。
 妻と娘が蒸発した粕谷と違って、北村には妻とともに十になる息子と七つになる娘がいる。
 ことが知られれば反逆者の家族としてどれほどの扱いを受けることだろう。
 どうにかして立ち回り、……できれば殉職という形にするか、あるいは……。

 やけにさばさばした気持ちでこれからについて考え始めた。
 侵入するなら大人数が動く明後日の当日だろう。
 それまでに内部書類を手に入れなければならないが、これは少々職権を濫用させてもらうとしよう。

 考えがまとまったところで、北村は密かに支部を出て海軍省へと向かった。





「いやな夜だぜ」

 指揮権も無いのに、降魔との戦闘経験から押しつけられている突入前の事務仕事に追われつつ、米田は吐き捨てるように言った。

「やっぱりあやめちゃんを呼んできた方がいいかしら」
「いや。……まあそれもあるが、そうじゃねえんだ」

 太田斧彦上等兵は清流院琴音少尉とともに情報収集その他に極めて有能なのだが、その性格上疎まれることが多いので、対降魔部隊と同じように陸軍の組織系列から半ば独立した存在となっている。
 そんなわけで階級その他を無視してこんな仕事につき合ってくれているのだが、それでも当代に冠絶するあやめの事務処理能力には及ばない。
 平時なら対降魔部隊に回ってくる仕事の半分以上を彼女が片づけているのだ。
 なお、つけ加えておくと、そう言うときに一番役に立たないのは真之介だったりする。

 いつもあやめに頼っている分、彼女がいないときにこの仕事量は堪える。
 だが今はあやめを呼びつけたくはなかった。
 さきほど、一馬から蒸気電話を一本受け取ったのだ。
 所詮は自己満足に過ぎないと解っていても、突入作戦に連れて行かざるを得ない少女には、少しでも安らかな時間を作ってやりたいと思うのである。

「そうじゃないって、どういうことかしら」
「そうだな。
 一言で言やあ、嫌な予感、ってやつだ。
 こう静かで周りがみんなそろって眠っているような夜に限ってな、敵の夜襲ってのは来るもんなんだよ」

 斧彦にはいつもと変わらない夜に思える。
 外が静かなのはこの一ヶ月ずっとだからだ。
 空に音が吸い込まれていくようで、ざわめきはほとんど街に響かない。
 犬も猫もカラスも姿を消して、吼える声はそもそも聞かない。
 その分、低音を伴う砲音は嫌なくらい響くのだが……。

 だが、歴戦の将米田一基の予感が間違っているとも思えない斧彦である。

「月は……まだ出てねえか?」
「今日は二十日の月だから、月の出まではもう少しかかるわ」
「ちっ……」

 いかに帝都東京と言えども街の光の及ばないところは未だに多く、月の光があるか無いかによって、何かを発見する率は大きく左右される。
 まだ新月でなくて良かったと言うべきかも知れない。

 巨大降魔に確かな知性があるとしたら、おそらく今晩何かを仕掛けてくる。
 明晩ではほぼ対抗する準備が整ってしまうからだ。
 今ならまだ、突入作戦用の対魔カノン砲も横浜工場で整備中だ。

 くそっ……来るんじゃねえ……!

 敵の名将は、いつも自分がそう思うときに限って攻め込んでくるのだ。





 芝公園の夜も、帝都のほとんどの場所と同じく静かだった。

「あーあ、退屈だなあ」
「くぉら」

 土居陸軍曹長は、部下の古河上等兵が漏らした欠伸に拳骨を落とした。
 ここには陸軍の分隊が警備に当たっている敷地がある。
 小田原の戦いで強力な無線設備の必要性を思い知らされた軍は、ここに帝都のみならず関東一円に届く巨大な通信塔を作ることにしたのだ。
 とはいうものの、今は直接的な兵器に予算を総投入しなければならない台所事情であるので、着工はもう少し後になるらしい。
 そんなわけで今は管理する敷地だけがあるので、一応最低限度の人員が置かれているのである。
 名目は芝通信塔地守備分隊、と長くてそれなりに格好いいが、仕事内容は公園の警備員である。

 二日後に迫った陸海軍合同による一大作戦の噂は一般兵にまで知れ渡っているというので、まるで関係ない職場にいることが古川上等兵は不満らしい。
 要するにまだ戦場を知らないのだ、と土居曹長はため息をつく。

「気を抜くなバカモン。
 作戦に従事しておらぬからといっても、我々は我々の任務をこなさねばならん。
 公園内で魔物が暴れ出したら即報告の義務もあるのだぞ」
「そんなことを言っても、逢い引きの一組も来なければ酔っ払いの一人もいないんですよ。
 一体何をしているのかわかりゃしないじゃないですか」

 確かにこの時世にわざわざ夜の公園に来る者はいない。
 そして不思議と、魔物は人のいないところではあまり暴れないらしい。
 この公園での警備について二カ月になるが、一二度遠くに見かけただけであった。

 怒るのを諦めて、土居は携帯蒸気灯を大きく振り回した。
 確かに、やっていることはただの警備員である上に異常らしい異常もまるでない。
 戦場に出ないで済むと言うことは幸せなことなのだと、若い古川にどう説明してよいものやら頭を悩ませつつ公園内を進む。
 連日のことだが、呆れるくらい何も出てこない。
 猫の子一匹いないとはまさにこのことか。
 もっとも今年に入ってからは、魔物に喰われてしまったのか野良猫やら野良犬やらはめっきり少なくなっているので、これは今さらの事実だ。

 そう思ったとき、頭上をバサバサという重い羽音が通り過ぎていった。

「カラスですかね?こんな闇夜に……」

 古川は少し気味が悪そうに言ったが、土居にとっては気味が悪いでは済まなかった。
 カラスも小動物たちと同様、相当に数を減らしているのだ。
 そして何よりも、風に乗るのではなく風に叩きつけるようなあの羽音には、小田原で聞き覚えがあった。

「隊長……?どうしたんすか?」
「気を引き締めろ……」

 自分の声が震えていることを、土居は嫌と言うほど実感させられていた。

「今のは、魔物の羽音だ」
「いっ……!?」

 緩んでいた古川の顔が引き締まる……というよりは一気に蒼くなる。

「通り過ぎていったようだが、油断は出来ん」
「油断は出来んって……どうすればいいんですか?
 隊長は小田原の戦いにも参加されたんでしょ。
 何かいい方法はないんですか?」

 確かに土居は後方隊ながらも小田原での降魔大量発生鎮圧のための作戦に参加している。

「いい方法か……」

 あまり思い出したくないが忘れられるわけもない戦いの光景が思い出される。

「魔物を前にしたら、とにかく逃げろ」
「え?」
「民間人がいる場合は彼らにも逃げるように促せ。
 しかし、逃げられぬ者は置いて行くしかない。
 助けようとすれば犠牲者が増える」

 決して納得しているわけではないその言葉だが、古川には我慢できなかったらしい。

「そんなの情けないじゃないですか!
 帝国軍人の端くれなら、敵に後ろを見せることなく……」
「上官命令だ、復唱せよ」

 自分に酔っているような古川の言葉を無理矢理に遮った。
 多分、自分が怒った顔をしていることは大体想像がつく。

「で……でも、俺は……、あれっ!?」

 抗弁しようとして顔を上げた古川が目を見開いて叫んだ。

「……どうした?」

 古川が見つめているのは自分の背後だった。
 まさか魔物に後ろを取られたか、と慌てて振り返るがそこには何もない。

「古川、一体どうした……?」

 よく見ると彼の視線が向いているのはその先だ。

「隊長……、塔って、まだ、着工……して、ませんよね……」
「何っ!?」

 丁度半月が東の空から上ってきたところで、あたりがほんの少し明るくなっている。
 その儚い月光に照らされているとまではいかないが、わずかに形らしきものが見える。
 丁度、通信塔の建設予定地あたりに、予定しているような建造物が……。

「塔のお化け……?は……ははははは……。そんなことありませんよ、ね……」

 壊された塔が化けて出てきたのならともかく、まだ工事が始まってもいない塔が化けて出るはずもない。
 それが姿を現すとはどういうことなのか……。
 携帯蒸気灯の光量ではこの距離は遠すぎて詳細を知ることは出来ない。

「古川、すぐに逃げろ。この場から」
「ちょ……ちょっと待って下さいよ隊長!まだ相手が何かも解らないのに……」
「ならばこういうことだ。
 芝公園内に未確認の巨大建造物が出現、魔物の仕業である可能性極めて大、だ。
 私はこれから番所へ戻り通信機での報告を試みる。
 貴様は別ルートでの連絡手段とならねばならんのだ」
「い、いやです!だって隊長……」

 宿直用の番所は今いる場所よりもずっと塔の建設予定地に近い。
 魔物の仕業となれば、そちらへ飛び込んで生きて帰ってこれるはずが……

バキイッ!!

 絶望的な思いに駆られた古川の頬が派手な音を立てた。

「帝国軍人の端くれなら感傷に囚われることなく、わが国の人々のために任務を遂行することを第一とするのだ……!」

 土居は鉄拳を叩き込んだ体勢のままで、抑えた声ながら鋭く叫んだ。
 下手に声を荒らげれば魔物に発見される可能性があるからだ。

「いいか、二人一緒にいても見つかればお終いだ。
 これは賭なのだ。
 手を分けた方が当たる可能性は高くなる。
 わかるな……!」
「う……あああ……」

 涙と鼻血で顔を歪めつつ、古川はこくこくとカラクリ人形のように頷くことしか出来なかった。

「よし、行け!」

 公園出口の方角へ向けて背中を蹴っ飛ばされた古川は、何が何だか解らない心境で走り出した。
 火事場の馬鹿力というやつだろうか、無様にも呆れるくらい猛烈な速さで古川は走った。
 その頭上に再び羽音が近づいてきて恐怖に駆られたが、気づかなかったのか興味を持たなかったのか、羽音は今自分が走ってきた方向へと飛んでいった。
 助かったと思った瞬間、頭の中で閃いたものがあった。

 巨大建造物……、魔物の仕業……、
 魔物の……。
 まさか……、まさか……っ!!



「……こういうことかっ!!」

 到底この世の物とは思えぬ物がその姿を露わにしていた。
 塔の近くまで接近した土居が目の当たりにしたのは、少なく見積もっても大中小合わせて数百体にはなるであろう膨大な数の降魔であった。
 土台の部分は大型降魔でその上に何十重にも中型降魔が群がっていた。
 さらにその周囲には枝葉か手足のように小型降魔が群がっているそれは、大木のようにも見える生きた塔だった。
 そうこうしている間にも、さらに中小の降魔が飛来してきてその高さを増してきている。
 まさか浅草凌雲閣を凌ぐ高さの建造物を生きて目にするとは思わなかった。
 建造物と呼べるのならば。
 
 土居には魔術的なことは何も解らない。
 だがそんな知識の有無などこうなってはまったく関係がない。
 あれが帝都に害をなすものでなくて何だというのだ。
 一刻も早く報告しなくてはならない。
 しかし無線機の置いてある番所までは小型降魔が忙しく動き回っているところをつっきらねばならない。
 口から液を吐いて地面に何かを描くのに集中しているように見えるが、果たしてあそこを突破できるか。

 身につけている武器は通常装備のサーベルと拳銃。
 どちらも降魔に効かないことは小田原で実証済みだ。
 あと降魔に効きそうな物は……いや、倒すのが目的なのではない。
 ほんのわずかの間でいいから凌いで切り抜ければいいのだ。

 降魔も動物なら、気迫を頼りにたじろかせてやる!

 婦女子に到底好かれぬ強面に産んでくれた亡き両親に、土居は生まれて初めて心から感謝した。

「どけどけい降魔ども!小官はこの芝通信塔地守備分隊長、土居松造陸軍曹長である!」

 足音も高く降魔の描いた模様を踏み消しながら土居は走った。

「ギイッ?」
「邪魔だあっ!」

 線を描いていた小型降魔たちが一斉にこちらを向くが、その肩がびくっと震えるのを土居は確かに見た。

 勝った。

 そう確信した。
 数分後には自分は殺されているだろうが、自分の気迫は確かに降魔を戦慄させたのだ。
 進行方向への直線上にいた小型降魔に対しても避けることなど考えずに、走る勢いのまま蹴っ飛ばした。
 武器ではなく生身の攻撃なら降魔へ攻撃することも不可能ではないと、小田原で小耳に挟んだような気もするが、意図していたわけではない。
 とにかく引くのが嫌だったのだ。
 悲鳴も上げなかったその小型降魔にその蹴りは効いていないようだが、当座の道は確保したのでそのまま走った。
 何とか番所に飛び込むと中は荒らされていて、通信機の外装も傷ついている。
 だが戦場仕様の通信機は流れ弾程度ならば壊れないように作ってあるはずだった。

「動け!動いてくれ!」

 祈るような気持ちでスイッチを入れる。
 独特の鈍い雑音がスピーカーから発せられる。
 よし!動いてくれた!!
 あとは……

『こちら、陸軍通信……』

 聞き終わるのももどかしく、送話器をひっ掴んで叫んだ。

「こちら芝公園!千体の降魔が群をなし……」

 グサアッ!!

「ガッ……!て……あやしげ……な、も……よう……」

 我を取り戻した降魔たちが追いすがってきて自分の身体を貫いたのだと、考えなくても解るので考えなかった。
 身体中から力が抜けていくようだが、なんとか舌と耳に神経を集中する。

「どうした芝公園!?詳細を続けよ!」

 ということは、送信機能も生きていたということだ。
 思わず、口元が笑ってしまう。

「もよう……と、たかい……とう……、しき……う、たいさくを……こ……」

 そこで通信機に小型降魔の酸が浴びせられて煙が上がった。
 それと同時に土居も倒れ込んだ。
 しかし、言うべきことは言った。
 あとは古川が生きてたどり着いてくれれば、どこに何が建っているかも伝わるはずだ。

 死ぬなよ……古川上等兵……。

 不敵な笑いを浮かべたまま、土居陸軍曹長は三十七年と三ヶ月の人生を終えた。





「閣下!大変でございますっ!!」

 陸軍大臣代行を務める京極慶吾陸軍中将の執務室に天笠士郎中尉が転がり込んできた。
 日付は既に十一月四日になっている深夜だが、このところの膨大な仕事量のためにまだ京極は寝てなどいないことを天笠は承知していた。

「大変ではわからん。正確に報告せよ天笠中尉!」

 先の戦いで京極は、情報収集を得意としていた腹心の部下風塵を失っていた。
 もう一人の腹心金剛はあの性格で、まるっきりそういった任務は出来ないときているし、新たに抱え込んだ木喰も本業は技術開発であった。
 かくて情報収集は、あまり得意ではない式神術とこの天笠に頼らざるを得ない。
 十年に一人の逸材と呼ばれる才気はあるのだが、この前に帝大へ内偵に行かせたときには盛大に追い返されて失敗するなど、ムラが大きい。
 若いと言うことだろう。

「ハッ!本日○○○七、芝公園より入電。
 千体の降魔、怪しげな模様、高い塔との言葉を残し、連絡が途絶えました!」
「!!」

 さすがの京極もこれには表情を変えた。
 畑中陸軍参謀総長代行に連絡をとる時間が惜しい。
 とっさに命令が口をついて出た。

「帝都全域に緊急警報!米田中将以下対降魔部隊と方術士団に出動要請!目標芝公園!
 照明装置を一番近いところから大量に運び込ませろ!
 それから、対魔装兵団は……」

 そこで京極は考え込まざるを得なかった。
 明後朝に向けて準備している装兵団はまだ準備が完了していないはず。
 今即座に招集をかけても、降魔たちの相手になるかどうかはわからない。

「装兵団は第一種出動態勢へ緊急準備後待機!
 空中砲台は二機とも出動させろ!」
『ハッ!』

 控えていた連絡兵たちが命令を復唱しつつ次々と部屋を飛び出ていく。
 やむを得ん。
 あまりにも時期が悪すぎる。
 京極は最悪の場合、術法を駆使して装兵団を殺人兵器化させることも考えていた。
 日露では奉天において、最近では中国青島の占拠にあたって、彼が軍神の名を冠せられることになった作戦の裏の姿である。
 霊を取り憑かせて兵を極度の興奮状態にさせ、恐怖を消して遂行される作戦は確かに降魔を相手にしても大きな効果があるだろう。
 ただし、戦術的には、だ。

 戦略的には愚策になる可能性が高い。
 それが京極を迷わせ、第一種出動態勢ながらも待機という命令を出させていた。
 本来怨念が元で発生した降魔に対してそんな戦い方を展開すれば、さらに降魔を大量発生させる餌ともなりかねない。
 出来るならこれは最終手段にしたかった。
 それに、実行すれば今度こそ自分の裏の姿を方術士団に嗅ぎつけられるだろう。
 その長考は、次なる報告の声によって中断させられた。

「芝公園から脱出した兵より報告です!
 降魔は群を成して、自らが高い塔を形成している模様で、その高さは浅草十三階を凌ぐほどかと……」
「!!いかん!横浜工場に連絡しろ!
 大至急で対魔装備を最も頑丈な倉庫に移せと!」
「は?よ、横浜ですか……?」

 連絡兵は思わず聞き返していた。
 京極の言っていることはまるで筋が通らなかったからだ。
 芝に降魔が集中しているというのに、何故離れた横浜なのだ?

「復唱はどうした!」

 京極は大声で叱責した。
 焦っていることを否定しきれないが、これ以上この京極慶吾が奴らに出し抜かれてたまるものか!

「ハッ!ただちに神崎重工横浜工場へ連絡いたします!」





 二分三十秒後、神崎重工横浜工場に出向中の門脇海軍少将の下に京極からの連絡が入った。
 これを聞いて、最終組み立て中あるいは出荷前準備中の現場技術者たちから一斉に不満の声が上がる。

「さっきは芝に降魔が集合していたって言うのに、何でここを守ることになるんだ?」
「京極中将が乱心したって噂は本当じゃないのか?」
「ここで中断したら随分作業のやり直しになるんだぜ」
「門脇のおやっさん!こんな命令に従うんですか!?」
「従う……!」

 静かに、しかし工場中に響き渡る声で門脇が言い放つと、さすがに皆しんと静まり返った。

「俺たちは芸術品を作っているんじゃあない。
 人が使う物を作っているんだ。
 あの京極が言うからにはおそらく何かあるんだろう。
 技術屋の誇りに賭けて、俺たちはこれを守り、完成させることに常に全力を注ぐ。
 一旦動かして作業が中断しようが、俺たちなら明日までに取り返せるだろ」

 技術屋の誇りを微塵も揺るがせないその言葉に皆が頷いたのを確認してから、そこで門脇はニヤリと表情を変えた。

「……それに、何もなかったらそれはそれでいいではないか。
 遅れたのはアンタのせいだと、あの偉そうな軍神に堂々と文句が言えるぞ」

 日清日露の戦場をまさしく裏から支えたおやっさんの言葉に、最後は皆笑いながら頷いていた。

「そーら、ぼやぼやしてんじゃねえぞ!
 ハリ乙入れる箱を持ってこい!あいつが一番頑丈だ。
 急げよ!」

 ハリ乙……播磨乙型とは破壊作業用の大規模爆弾である。
 信管等全てにおいて安全に取り扱えるように作ってあるが、外部から大衝撃や炎が来たらどうしようもないので、保管には極めて頑丈な箱が使われる。
 大空洞に持ち込むための対魔カノン砲は分解持ち運びを前提に作られているので、さほど大きくないこの箱にも収納可能だった。
 それから最終出荷前の剣と仕込み服類も退避させる。
 力作業を若い連中にまかせておいた門脇はふっと気にかかって、シルスウス鋼の生産ラインへと向かった。

「どうしたんすか、おやっさん」
「おい金子、ライン全体に四号布で覆い掛けといてくれ。
 森田、永田、おめえらは第三部の中枢を切り離すから手伝え」
「ちょっとおやっさん!オレは専門外ですよ!」

 金子、森田、永田の三人は門脇が目をかけている若手で、今は忠義から極秘に何かの研究を任されているらしいが、こちらの直前追い込みの人手不足で駆り出されてきていた。
 ライン機械とは畑が違うので、森田が悲鳴を上げたのも無理はない。

「人型蒸気もシル鋼使ってんだから専門内だ専門内。
 いーから手伝え、どうにも嫌な予感がしやがる」





 芝では米田や京極、門脇らの予感を肯定する事態が起ころうとしていた。
 ただし、予想をさらに上回る形で。

 ギエエエエエエエエエエエッッッッ!!
 オオオオオオオオオオーーーーーーーーッッッ!!!

「くそっ!撃ち落とすぞ、方術士団!」

 方術士団のうち、常に臨戦態勢の五百名を引き連れて芝に急行した春日方術士団長は、塔にたどり着く前に降魔の迎撃軍団に足止めされた。
 明らかに、秩序だった動きだった。
 個々は本能の赴くままに叫び暴れているだけのようにも見えるが、全体は呆れるほど戦略的だ。
 突入作戦の前々夜という日にちのおかげで陸軍の動きは腹立たしいくらい鈍い。

「何を企んでいる、降魔ども……!」

 ほのかな月明かりに照らされた降魔の塔は、間近で戦闘が繰り広げられているというのに動く気配がない。
 いや、動いてはいないがその妖力は内部で高まっている。
 禍々しさを持った光とも呼べないようなものが塔を構築する降魔たちの隙間から漏れ出ている。

「三十二式、闇払いの一矢!」

 春日は霊力で形作った弓で長大な霊力の矢を放つ。
 かなりの霊力を消耗する必殺技だが、生半可な技では通用しないと判断した。
 中型降魔までなら貫通して薙ぎ払える矢が、小型降魔や木々を払い唸りを上げて塔に突き刺さる。
 丁度そこを担当していて直撃した大型降魔は跡形もなく消滅し、周辺の中型降魔四体をも巻き込んで倒すというかなりの戦果を上げたが、それでも塔の内側ははっきりと見えない。
 そうして崩した場所にはすぐに別の降魔が群がって穴を塞いでしまった。

「確かに……これは千体を超えている……」

 一気に霊力を消耗して目眩を覚えたが、ここで倒れるわけにはいかない。

「公園のことは無視して大規模攻撃を中心に展開せよ!」

 帝都内の戦闘で足かせになるのは、周辺の住宅を極力巻き込んではならないという原則である。
 公園も公共物だが、人家よりは軽視してしまおう。
 たちまち戦場が、閃く霊力や術法で明るくなる。
 解禁なった方術士団はやや優勢に戦いを進めるがとにかく数が多い。
 しかもこれはまだ本隊ではないのだ。
 だがそこで、群がる降魔たちを桜色の閃光が払う。

「破邪剣征、桜花放神!!」
「来てくれたか!」

 けたたましい自転車の停止音とともに、対降魔部隊の三人、米田、一馬、あやめが駆けつけた。
 彼ら……特に真宮寺一馬は市街地から離れれば複数の大型降魔とも同時に戦える実力の持ち主だ。
 次いで、夜空を振るわせる轟音とともに空中砲台の一機が到着する。
 どうやら砲は改良型になったらしく、大型降魔にもかなりの傷を負わせた。

「畏怖するな!今の我々なら倒せないことはない!」

 さらに公園の反対側から、サーチライト隊を伴って根岸陸軍中将率いる装兵団の一部が突入する。
 既に先行して装備の配布を受け始めていたいくつかの隊は士気高く、待機命令に反発して出陣をかって出たので、京極も戦えるならばよいと許可したのだ。
 装備が向上した彼らは、小型降魔ならば十分に戦える戦闘力を有していた。
 おかげで対降魔部隊と方術士団は中型以上の降魔に注意を向けることができる。
 これで形勢逆転かと思われたその時、

……ゾクッ!

 奮戦していた兵たちの足が、一馬や米田の足すらも一瞬、凍り付いたように止まった。
 遥か地下の深淵から、凄まじいまでの妖力を感じたのだ。

 オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオーーーーーーーーーーーーーッッッッッ!!

 降魔たちが空に向かって一斉に吼えた。

「何だ!?」

 地響きにも似た唸りが地下深くから近づいてきて、さらに一際強く高く、降魔たちが天へ向かって吼える。
 それと同時に膨大な霊力……妖力が大地から塔を伝い、夜空を貫く!
 三十日以上に渡って完全に止まっていた大気が激しく揺さぶられ、塔の高みへ向いて集まり、放たれた妖力を追いかけて駆け上がっていく。

『うわああああああああっっっ!!』

 塔周辺は砂嵐が巻き起こり、この事態にも全く平然としている降魔たちが戦線を回復させた。
 だが米田たちとしてはそれ以上に、起こった現象の方が気になった。
 奴らは一体、何をやったのだ……!?





「うわあっ!!」
「ぐあっ!」

 収納作業まっただ中の神崎重工横浜工場では耳や頭を抑えて倒れ込む者が続出した。
 中には耳から血を流している者もいる。
 門脇少将は自身も耳鳴りを感じてはっと天井を見上げ、トタン屋根が奇妙に凹んでいるのを見つけた。
 そして、

 キイイィィィィィィィィイインンッッ!

 砲弾が大気を切り裂くときにも似た音が近づいてくるような……
 風が……、降ってくる……!?

「全員伏せろォッッ!!」

 門脇の叫びから一秒と経たずに轟音が鳴り響き、天井がずたずたに裂け散った。
 さらにそこから舞い降りてきた荒れ狂う竜を思わせる猛烈、激烈、壮絶、それらの単語で表現できる範疇を遙かに超えた風が、工場の建物を文字通りバラバラにしていく。
 鬼にでもへし折られたかのような無惨な姿の鉄骨が平然と宙を舞い、踊る凶器が拡大再生産されながら、複数の製造ラインを見る見るうちに鉄屑に変えていく。
 想像を凌駕する風の攻撃は、分離退避させた中枢部にも迫ろうとした。
 先ほど門脇が分離させたこの部分は、シルスウス鋼の特徴である固溶結晶化を制御するための装置で、山崎真之介と共同開発した特別品だ。
 これが破壊されては建て直しの見通しが立たなくなる。

「させるかっ!」
「あ、おやっさん!!」

 森田が止める間もなく、門脇は凶器の嵐の中へ突っ込んだ。
 いざというときには別の工場に移すことも考えていた装置なので、簡単ながら自走装置をとりつけてある。
 四五発の攻撃を食らい、どうやら左の鎖骨あたりが折れたらしいが、門脇は執念で装置に取り付いて駆動スイッチを入れた。
 動き始めた瞬間、天井を形成していたトタン板の大きな破片が装置に向かって飛んできたのが門脇の視界に入った。
 考える間もなく、身体が勝手に動いてその破片を受け止めていた。
 肋骨をへし折り、一部臓器に突き刺さったのが解るがあえて無視した。

「おやっさん!!」
「森田あっ!装置を火薬地下へ運び込め!とんでもねえ嵐が来るぞ!」

 火薬用の地下室ならこの工場が洪水にあってもなんとかなるはず……!
 血反吐を吐きながらも、門脇は天を見上げて叫んだ。
 先ほどまで吹き下ろしていた風が天へ戻りつつあるのが嫌にはっきりと感じられた。
 このバカ高い湿度の大気が一気に上空へと上ったら……海軍の将校たるもの、気象の基本くらい踏まえている。

「総員退避!!」

 技術畑の海軍将校として、生涯言わずに済むと思っていた言葉を叫ぶしかなかった。
 この工場は彼にとっての艦にも等しい。
 そして、さきほどからやけに鋭敏になっている感覚が、自分の死は間近であると暗に物語ってくれていた。
 その視力が、夜の高みに出現した積乱雲の姿をはっきりと捉える。

「おやっさん!今行きます!」

 自走してきた装置を金子に託した森田が、未だ凶器たちの居残りが踊る中へ飛び込んで来ようとしている声で、門脇はやっと自分が床の血だまりの中に倒れていることを知った。

「命令だ!総員退避しろ!!」
「馬鹿言わないで下さいおやっさん!」
「帝国陸海軍装備の未来を、頼んだぞ、おめえら!!」
『おやっさぁんんっっ!!!』

 門脇の最期の叫びに、技術者たちの絶叫と、光り輝く天の咆吼が重なった。



「こんな……こんな、ことが……っ!」

 急を聞いて私邸から駆けつけた神崎重工社長神崎重樹の目の前には、先に聞かされた報告から考え得る想像を遙かに絶する光景が広がっていた。
 降り注ぐ稲妻の数が余りに多いため、目の残像で常に天空と光によって結ばれているようだった。
 敷地の中は瀑布の如く降り注ぐ雨で、全くと言っていいほど状態が確認できない。
 しかも嵐の中は風力計など粉々に吹き飛ばしているであろう風が吹いているようで、その瀑布は斜めよりも横を向いて落下しているようにすら見えた。
 嵐の中……?そう、嵐の中だ。
 日本という大地が生まれてこの方一度たりともなかったであろうこのとてつもない嵐は、ほぼ工場を中心とする一帯だけをねらい打ちにしていた。
 1キロも離れた人家に影響しているのは、秒速二十メートル弱の風だけだ。
 間近で見ている重樹のスーツも、水滴の流れ矢が時折染みを作る程度だ。

「全て、魔術か……」

 この一ヶ月の完全に風の止まった帝都は、この攻撃のための準備だったのだ。
 湿度と霊力を蓄えた温かい空気をため込み、上空から妖力波か何かの形で風を送り込んで局地的な上昇気流を発生させて……
 あとは、こういうことだ……!





「神崎重工横浜工場より入電。空から降ってきた風により言語に絶する嵐が極めて局地的に出現し、横浜工場の敷地のみが完全に壊滅状態……」

 大河原少佐は茫然とその報告を聞いた。
 ここ一年の間に、数多くの異常事態を報告してきた情報部士官たちは、言語を絶する、とか、極めて、とかいった数字を伴わないいい加減な表現にももう慣れてしまってきていた。
 測定などと言うことが無駄に終わる事態が存在することを、彼らは疲れたように実感させられていた。

「芝突入隊より入電、第二波!!」
『何!?』

 それほどの威力を持った攻撃が、一発では終わらないということは……。
 無風状態が続いていたのは帝都中心だけではなく、神奈川、千葉、埼玉、山梨の一部まで入る。
 降魔たちはこれらの地域をどこでも、瞬時にして壊滅できるのだ。
 第二波の目標地点はすぐに判明した。

「砲兵工廠より入電!直後に途絶えました!」

 的確だ。
 神田川にかかる水道橋近くにある砲兵工廠にはもちろん兵器倉庫も併設されている。
 小田原で使われたシルスウス鋼コーティング武器の多くがここに格納されていることを知るのは陸軍内でもごく一部のはず。
 それを、ものの見事に砕いてくれた。

 こちらの対魔戦力がシルスウス鋼を中心とする武器に依存していることを承知した上で、その根幹部分をまず破壊している。
 駐屯地を攻めるよりも、手っ取り早いということだ。
 極論を言えば、予定されている突入部隊の人数はそれほど膨大ではないので、少々の人的被害があったとしても何とかなると考えている者もいた。
 だが降魔に通用する武器が無くては、一般兵は全く戦力に数えられないのだ。

「第三波発射を確認!」

 次は……どこだ……?
 帝都全域に緊急警報は出したものの、それ以上何も打つ手が無く事態が判明するのを絶望的な思いで待つしかなかった。
 避難や防御の命令を出したとしてもどうなるというのだ。
 次の一撃がどこに炸裂するかも解らないというのに。

 第三波は隅田川沿岸に並ぶ工場一帯を薙ぎ払った。
 第四波は荒川上流、埼玉深谷の工場群。
 第五波は品川を直撃した。
 第六波は東京駅から宮城まで丸ノ内に連なる近代建築群を襲った。

 これらには、何の意図があるのだろう。
 まるで、工業化する帝都東京を否定するようにも見える攻撃が続いた。





 芝公園では激戦が続いていた。
 第七波が東京湾沿岸工業地帯を襲った際に生じた火柱がここからもはっきりと見えたので、既に降魔たちが何をしているのかは判明していた。
 おそらく、工業地帯や近代建築などの、地脈をかき乱した場所を集中的に破壊しているのだろう。

 ゴオウッ!!

 また来た。
 これで九波めだ。
 だが今度の攻撃はやや威力が弱いか……?
 そう思った次の瞬間、すぐ間近で発生した爆発音が鼓膜を揺さぶった。
 数秒後、腹に響く落下音。
 塔への攻撃を続けていた空中砲台の一機が撃墜されたのだ。
 恐るべき命中精度である。
 しかも塔付近で嵐を発生させないように威力を抑えてあった。
 それでも、一撃である。
 先に帝都各地への攻撃をやった後で払い落とすそのやり方は、まるで目障りな蠅を叩きつぶすかのようだった。

「くそっ……、好き放題やってくれやがって!」

 米田たちは何とか迎撃部隊を片づけて塔のすぐ傍まで近づいてきていた。
 降魔の数は多いが無限ではない。
 今は塔の上部を構成していた中型降魔が持ち場を離れて降りてきている。
 それに応じて塔が放つ攻撃も僅かながら弱くなっているように思う。
 しかし攻める側としても、もはや限界が近かった。

「十八式、封滅の光剣!!」

 一振りで砦を薙ぎ払うと言われる、春日方術士団長の霊力の剣が塔に叩きつけられるも、塔の土台を為していた大型降魔を一体、付近の中型降魔を二体滅ぼすのがやっとだった。
 既に米田も一馬も、五十体か百体か、何体倒したのか解らなくなってきている。
 あやめにしても三十体以上の降魔を倒している。
 これでなお刃こぼれしない二剣二刀でなければ、皆既に倒されていただろう。
 シルスウス鋼刀を持った対魔装兵隊も、その数を半分以下にまで減らしている。

「この俺を、戦略で出し抜こうとはやってくれるぜ……巨大降魔はよ……」

 一馬と背中合わせになりつつ、米田はぼやいた。
 相手の準備が整う前に攻め込むのは戦略の常道である。
 常道とはすなわち有効であることが多いと言うことだ。
 巨大降魔に儀式をやるほどの知性があることは考えていたが、まさかここまで厳密に攻め時を心得ている相手とは思わなかった。

「考えてみれば、当然か……」
「あの子の魂が宿っているでしょうね」
「ああ……」

 陸軍全てを出し抜いて見せた少女のことを思えば、これくらいは予想して然るべきだった。
 既にこちらの進撃は止まり、降魔に囲まれつつある。
 徐々に狭まる包囲網の先端で、一人、また一人と血しぶきを上げて倒れていく。

 身動きがとれなくなりつつある中、あやめの身体がぐらりと傾いた。
 既に攻防戦が始まって二時間が経っている。
 体調が全快とはほど遠い十七歳の少女がここまで戦い続けてきただけでも賞賛に値されるだろうが、降魔にそれらに感動する思考は存在しない。
 状況が悪すぎた。
 一体の中型降魔があやめに躍りかかってその華奢な身体を地面に貼り付けた。

「かはっ……!」

 一瞬意識が飛びそうになったあやめの眼前で、中型降魔が大きく口を開く。
 対処が間に合わない。
 既に包囲網は完成しつつあり、横から回り込むことも不可能だ。
 米田は、とっさに叫んでいた。

「あやめくん!山崎を呼べ!」

 でたらめな話である。
 真之介は現在陸軍研究棟内にいて、かつ封印されている状態である。
 来れるはずがない。
 だが非常識にかけては帝都……いや日本随一であろう真之介ならばできると思った。
 若い恋人たちの魂に賭けてみたかったのかも知れない。
 自分の時とは違う結末になって欲しいと。

 あやめは一瞬迷った。
 真之介は不当に封印されているのではなく、れっきとした必要性があって封印されているのだ。
 あれを解除してしまえば真之介が真之介で無くなってしまうかもしれないから、彼が押さえ込んでいる恐るべき魂が目覚めてしまうかも知れないから、封印されているのだ。
 だけど自分が死んだら、きっと真之介は真之介で無くなってくれてしまうだろう。
 その確信が嬉しかったのか、悲しかったのか。

――泣かされそうになったら、俺を呼べ。いつ、どこにいても……――

 あやめは、ほんの少しだけ、自分に自惚れることにした。
 自分が傍にいる限り、真之介は真之介のままでいさせてみせる。
 だから。

「真之介、助けてっっ!!」

 まったくひねりも色気も無い叫びだったが、真之介が相手となれば下手に修飾語をつけるよりも、

「おおおおおおっっっ!!」

 鞘ごとの光刀無形が、あやめにのしかかっていた不届き極まる中型降魔の顔面を捉えて、遥か遠くまで吹っ飛ばしてしまった。
 一瞬、何が起こったのか理解するのに思考の上書きを要したが、要するにだ。

「……来てしまいましたね」
「わはははは。こーりゃ笑うしかねえわ」

 瞬時にしてその場に姿を現した真之介は、しかし無傷というわけではなかった。
 つい五秒ほど前に封印を破った痕であろう、肉の焦げる匂いを伴った煙が、額、手の甲、胸と背、さらには足からも立ち上る状態であった。
 しかしそれでも、光刀無形を鞘に収めたままにすることで降魔を切り裂かずに、降魔の体液があやめに降りかかるのを避けているあたりは、暴走した氏綱の魂ではなく、れっきとした真之介のままだった。

「……大した……ものだ……」

 自分のかけた封印がこうも完璧に破られたのを見て、春日は誰にも聞こえぬ程度の声でつぶやいた。
 これで予定が全部狂った格好になる。
 これではいつ氏綱が表に出てきてもおかしくない。
 そして、今の疲弊した自分たちではこの場で再封印を施すだけの余力はない。
 同時に、今この場では眼前にそびえる降魔の塔を倒すことを優先しなければならない。
 ギリッと、春日の歯が鳴った。

 不本意ではあるが、この場は山崎真之介に賭けるしかないということか……!

「あやめ……、怪我は……」

 していないはずがないと解っているので、真之介はすぐにあやめに駆け寄った。

「真之介……。ほんとに……本当に来ちゃうんだから……」

 かろうじて上体を起こしたものの、何だか力の抜けてしまったあやめは、笑っているのか泣いているのか自分でもよく解らない顔で真之介を迎えた。
 ただ、どうしようもなく嬉しかったことだけは、自分で確信していた。
 駆けつけた真之介はあやめをそっと抱きしめる……なんてことが出来る性格ではないので、ともかくあやめの状態を見て確かめる。

 可憐な顔や髪の至るところに土埃がつき、傷んだ髪の先はかなり枝毛になってしまっている。
 それだけでも降魔たちを滅するのに十分な理由だが、さらにあちこちに打撲傷や切り傷まである。
 袖が切り裂かれていた左腕には、先ほど倒されたときに踏みつけられた痕がついていた。
 感情をはっきりと顔に出すことは少ない真之介が、さらに何の感情も見えないくらいに無表情になっていくので、あやめには真之介の怒り具合の凄まじさがよく解った。
 かがみ込んできた真之介がその表情のまま立ち上がろうとする前に、あやめはとっさに真之介の手をしっかりと握りしめた。

「あやめ……?」

 まるで皆無に近づいていたところに、ちゃんと戸惑ったような表情が戻ってきたのであやめは心中ほっとする。

「真之介、二人でしよう」

 手と手を取った間にお互いを実感しつつ、それとともに呼び合うような衝動で高まりゆく自分と相手の霊力を確かめる。

「……そうか。あれだな?」
「ええ」

 悪夢の始まりではあった。
 去年の年末に巨大降魔と初めての戦いを繰り広げたときだ。
 だがあのとき、戦いの最中に二人で起こした奇蹟のようなあの感覚。

「いける……!」

 あやめは真之介に引っ張られるように、引き上げられるように立ち上がった。

「これは……!?」

 二人の世界を邪魔させないようにとにやけながらも、降魔たちの接近を必死で食い止めていた米田たちも、思わず目を見張った。
 真之介とあやめの二人分の霊力を加算したよりも遙かに強大な霊力があたりを満たしていく。
 やがてそれは霊力だけではなく確かな光として目に見える形になっていく。

「行くぞあやめ!」
「ええ!!」

 手を取り合った二人は、最も強く霊力が集中しているその取り合った手を先にして、空いた手に光刀無形と神剣白羽鳥を握って降魔の塔へ向かって駆けだした。

「集え!俺たちの希望!」
「来たれ!私たちの未来!」

 気づいた降魔たちはそれを阻止せんとして立ちはだかるが、まばゆいばかりの光に照らされて否応なく花道を造らされる。

「出会えたこの帝都を守るため・・・」
「契りしあの約束を守るため・・・」

 苦もなく二人は塔の真ん前にたどり着き、そこにこの世ならざる世界を作り上げる。

「我らの力よ、一つとなりて・・・!」
「立ちはだかるものを、薙ぎ払え・・・!」

 二人の声が、霊力が、唱和した。

「神精麗晶、光羽翔舞!!」

 自分の魂が相手の魂と引き合い、重なり合い、果てしなく上り詰めていくような心地よい感覚が二人を繋いだ。
 結び合わされた指の間から、地上に現出した太陽のように無限とも思えるほどの光が放たれる。

 直撃!

 塔に到達した光は、視認できる間もかからずに降魔の塔を駆け上がる。
 いや、どれほど優れた動態視力の持ち主であろうとも、そのまぶしさのために確認することは出来なかっただろう。
 その光の中で、降魔の塔が砂の塔のように崩れていく。
 倒れていくのではない。
 形作っている降魔たちが次々と消滅し、塔の姿を維持できなくなっているのだ。

 その無限の光を放っている当の本人たちにも見えていたわけではない。
 そも戦っているという実感がなかった。
 お互いに相手に包まれて満たされているだけで、それが全てだった。

 果てしなく高まって、何かの限界を超えたと思った瞬間、光は満足しきったように収束して、二人はその場に倒れ込んだ。
 その時もしっかり真之介は先に倒れ込んで、あやめの緩衝材となる。
 重いとは思わなかったが、その存在感を改めて確かめることが出来た。
 二人とも全身汗だくだったが、いっそすがすがしかった。
 気持ちの問題もあったし、先ほどまでと比べて気温がずいぶんと落ちていることもある。
 本来の十一月の気温に戻ったと言えるのかも知れない。

「……倒した、か」
「ええ……」

 真之介が塔の様子を確認するために首を横に向けてしまったのがあやめには少し残念だった。
 もう少しだけそのままで、他のことは考えずにいたかったのだけど……これが真之介なのだから仕方ないと思い直して、視線を同じ方に向けて頷いた。
 眼前にあったはずの降魔の塔は完全に姿を消し、地脈に直結させるためであろう陣の模様が、さっきまで塔が存在していた場所をかろうじて示していた。

 ただ、降魔たちは全滅したわけではなかった。
 周辺で塔を守るために残っていた降魔たちは直撃を免れて生き残っていた。
 一部始終を半ば茫然と見つめていた米田や春日たちだったが、そこで我に返った。
 起こった現象は信じられない内容だが、それを考察するのは後だ。

「ああくそ!若いってのはいいよなあ!」

 米田は苦笑いしながら八つ当たり気味に神刀滅却を手近の中型降魔に叩きつけた。
 生き残ったとは言え先の一撃を食らって無傷ではなかったのだろう、牽制のつもりの一撃であっさりと倒れる。

「ん?」

 妙だ、と思った。
 それだけではない。
 今この降魔は避けようともしなかった……?

「これは……」

 春日も残った霊力を振り絞って切り裂いた降魔が、何も反応しなかったことに訝った。
 生き残った降魔たちは立ったまま動かないで……と思った瞬間、

ギエエエエエッッッ!!

 一斉に叫び声を上げ、牙をむいた。
 何かの呪縛から解き放たれたように、本能をむき出しにするその動きは先ほどまでとは明らかに違っている。
 攻撃というよりも直接的な破壊しか考えないような、戦術も戦略も無視したその動きは、それこそが降魔本来の動きだとも言える。

「統制が切れた、という感じですね」

 攻撃を食らえば怖いが、こうなった方はまだ戦いやすいと一馬は思う。
 攻撃する動きそのものもやや単純化した降魔たちを、残された力を振り絞って全滅させていく。
 真之介もあやめをかばうために立ち上がり、春日の疑惑の視線を無視して戦った。
 何故か、降魔は自分にはあっさり倒されているようにも思えた。

「でえええいっっ!」

 米田が最後の一体を切り伏せたころ、ゆるやかに雨が降り始めた。
 関東平野全体が、局地嵐の直撃を受けたところを起点に雲に覆われ、一月ぶりに濡れた。

 この一夜の死者行方不明者は軍属民間人合わせて六千余名。
 建造物は高層建築を中心に帝都十三箇所が壊滅状態。
 いくつかの工業地帯は文字通り瓦礫の山と化していた。
 だが、これで終わりではない。
 これからなのだ。



第四章 止まらない時間



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もう一つの第十話目次に戻る。
帝劇入り口に戻る。
夢織時代への扉に戻る。