嘆きの都
追憶其の六
第七章 祈れよ、永久なる乙女 三



第七章 祈れよ、永久なる乙女 二


 帝都地上では、あらかじめ現出していた光の柱を中心にして霊力がその周辺に波及。
 個々の柱が単独で動作していたために破壊力はいささか抑えられた格好となったが、それでも無制限に炸裂した場合に想定される被害に比して、のことだ。

「きょ……京極様!ご無事ですかい!」

 京極の身を案じて金剛が駆け込んできた。
 儀式中なので部屋には入るなと言われていたのだが、非常時となったらそんなことは頭から綺麗さっぱり消えてしまうのが金剛という男である。
 だが、今回はそれが幸いした。
 京極は渚との術の応酬で気絶させられて部屋の中央で倒れていたからだ。

 頑丈に作ってあるこの京極邸ですら、立て続く振動と衝撃に家具が倒れ、梁が裂けるなどの被害が出ている。
 屋内は危険であると、めずらしく知的に判断した金剛は、えっさほいさと京極を担いで外に出た。
 周辺ではそこかしこで生け垣や塀が倒れている。
 この本郷でこの有様だ。
 下町はもっと被害が出ているはず。

「何やってんだ、あのナントカ大佐はよ……」

 未だに一馬の名前を覚えていない金剛である。


*     *     *     *     *     *


ドオオオオッッ!

「くっ……!」

 それ以前よりたて続く変動に危機を感じた同僚の春日光介に命じられて、巨大降魔の様子を見に大空洞の底まで来た宮本貢次方術士団副長代行は、たどり着いたところでこの光景に出くわした。 封印の補助として三交代で詰めていた団員が計三十人。
 この振動と共に放たれた波動で吹き飛ばされていた。

「まだだ!起きあがれる者は封印の再構築に参加せよ!」

 真言を早口で唱えつつ、巨大降魔が封印されている岩戸に向かって霊力を注ぎ込む。
 その岩戸も、先ほどからの振動で半ば崩壊しかけていた。
 有るはずの封印を支えようとして、宮本はそこで異常に気づいた。
 藤枝あやめが掛けた大元の封印が消滅している。

「……」

 宮本は自分の顔から血の気が引いていくのを嫌と言うほど実感させられた。


*     *     *     *     *     *


 祭壇のある建物はさすがに頑丈だったが、地下都市江戸そのものが霊力の衝に作られた亜空間である。
 空間そのものが、微かにほころび始めていた。
 身体を引きずるようにして祭壇へ向かう優弥にも、それは実感できた。
 彼の命を支えている大地の力が、いささか遠くに感じられる。
 この空間の大地が、大地としての特性を失いつつあるのだ。

「渚ちゃん……、今、行くからな……」

 激痛をこらえつつつぶやいたその言葉が、真之介のつぶやきに似ていたことなど、優弥は知るはずもなかった。


*     *     *     *     *     *


ぽて。

 とでも表現したくなるような微かな音と共に、あやめは真之介の受け止める腕の中に収まった。
 ただし、その両拳を真之介の胸に打ち付けつつ。

「……ばかぁ……」

 いささか涙目になりながら、真之介に向かってかけたくはない罵声を浴びせる。

「……約束したじゃない……、二人で……、帝都を守って、また……あの街を歩こうって……、
 帝都が無くなっちゃったら……約束、守れないじゃない……
 何で……何で……」

 とんとんと力無く拳を重ねるあやめの声を、真之介はしばらく黙って聞いていたが、

「い……ったぁ……」

 ちょっと痛そうな音と共にあやめの頭に拳骨を落とした。

「それはこっちの台詞だ!あやめ!」

 すねたような、怒ったような、そんな表情で怒鳴られてあやめは目をぱちくりさせた。

「約束を忘れるか。
 言ったはずだぞ。一緒に、だ。
 おまえがいなかったら、約束も何も無いだろうが!」
「あ……」

 涙が、止まった。

「街なんか後から作り直せばいいだろうが!
 おまえは、俺に……ずっと一人であの街を歩けって言うのか!」

 身勝手だ。
 もの凄く身勝手だ。
 しかしその身勝手さが、自分に向けてくれる限りない愛情が、あやめにはどうしようもなく嬉しかった。

 巫女としての使命。
 帝都を守るという任務。
 そのためになら、自分は死んでも仕方ないと思ってしまっていた。
 否定しつつも、自分の根元に植え付けられていた藤に連なるものの呪縛故か。

 帝都全てと、自分一人。
 天秤に掛けるまでもない答えのはずなのだ。
 しかし真之介は、その掛ける天秤もろとも事象を蹴っ飛ばしてくれた。
 自分がここにいてもいいと、生きていてもいいと、理屈も理由も繋がらないけれども、真っ直ぐに肯定してくれた……。

 よろこんじゃ、だめ……
 よろこんじゃだめなのに……
 今帝都では、どれくらいたくさんの人が災害に遭っているかも解らないのに……
 だけど……だけど……

 真之介の胸にすがりついたまま、先ほどとは違う色合いの滂沱たる涙であやめの頬は濡れた。

「……何と言っていいものかな」

 特殊部隊任務背任。
 もたらした被害を考えれば、軍法会議で銃殺確定。
 状況次第では、裁判無しで処刑もあり得る。
 そのまま申告すれば。

 咎めなければならないのに、どうとも咎める気になれなかった。
 真之介は、そんな米田の心境を知ってか知らずか、自分の胸で泣きじゃくっているあやめの髪をそっと撫でてやっている。

「……怒るに、怒れませんね」

 どうやら一馬も同じ心境らしい。
 言い訳を考えていくという線で決まった。
 帝都壊滅となるところを、被害甚大ながらも復興可能な状態で辛くも守りきった、とでもするか。
 詭弁であろう。
 しかし、あの二人を守りたかった。

 幸せな二人。
 再会できた二人。
 自分はもう会えない。
 会いたくても、どれほど会いたくても、もう、会えない。
 この二人の手によって。

ぐっ……

 たおやかな渚の手に再び力が込められる。

 まだだ……。まだ負けた訳じゃない。
 この場の全員を殺してもう一度、今度は私一人ででも、みんなの分まで……
 帝都を、消し飛ばしてみせる……!
 まずは。

「精霊集約、精華翔舞!」

 完全に虚を突いた攻撃となった。
 真之介はとっさに自分の身体であやめをかばい……
 それがまた、気に障った。

「まだやるか!!」
「あなた達全員の霊力をかき集めれば、まだ帝都は破壊できる!
 私が死ぬまで、この戦いは終わらない!」

 全身から絶望で力が抜けていこうとするのを自分の叫びで繋ぎ止めようとする。
 立て続けに波動を放ち攻撃を繰り出すことで、自分の意識をつなぎ止める。

 まだ終わっていない……。
 みんなと交わした約束は、終わっていない……!

「ならば、正真正銘終わりにしてやる!」

 抱きかかえていたあやめを瓦礫と化した祭壇跡の影に横たえさせてから、真之介は再び渚に向き直った。
 だから、気づかなかった。
 真之介の容赦ないその言葉に、あやめが微かに震えていたことに。
 あずさがどうなったか確信を得たことに。
 それを口に出しては言えなかったことに。

 なりふり構わぬ渚の攻撃は苛烈を極めた。
 が、ここまでに疲れ果てていて、傷も重なった身体でそれが長く持つわけがない。

 振るう攻撃に、思ったほどの力が入らなくなっていく。

「先生……」

 目の前にいるこいつを殺すだけの力が、自分にはあるはずのなのに……。

「先生っ……」

 先生を奪ったこの男を、殺さなきゃいけないのに……!

「せん……せえ……っ!」

 渚は、自分が泣いていることに気づいていなかった。
 さらに波動を放つために加速しようとして、

かくんっ

 糸が切れたように、精神集中が途絶えた。
 膝から力が抜け、その場にくずおれる。

「あ……」
「これで最期だ!彩光黄輝、光明線衝!!」

 振るわれる光刀無形。

 死ぬ……

 死神の鎌が振るわれたようにすら見えた。
 やけにゆっくり、はっきりと。

 すごく痛いんだろうか、
 それとも、痛みも感じずに死んじゃうんだろうか。
 どちらにしろ、私は約束を果たせなかった。

……みんな、……ごめんね……

 切り裂くような音ではなく何かを叩きつけるような音が、自分の身体からやや離れたところで聞こえた。
 痛みは、無い。

「貴様は!!」

 山崎真之介の驚いた様な声が聞こえて、恐る恐る顔を上げる。
 全身に輝く鱗を纏った人影が、自分と真之介の間に立ちはだかっていた。
 光刀無形がぶつかって、鱗がいくつか飛び散っている。
 その人は、自分を守ってくれたのだ。

「……おにい……ちゃ……ん……」

 振り返ってニッと笑ったその顔は、確かに彼女のおにいちゃんに他ならなかった。
 顔の半分までが鱗に覆われているが、その面影は変わらない。

「貴様、その姿は……!?」

 倒したと思っていた優弥が生きていたことよりも、半人半龍とも言うべき姿の方に真之介は驚いた。

「解説は、後だ」

 にべもなく真之介に言い返すと、付近の重力を一気に増加させた。

「何ィッ!?」

 宮城戦で使ったものの先の戦いでは使わなかったために、真之介は優弥のこの能力を知らなかった。
 仲間と一緒に戦うときにはその仲間にまで影響が出てしまうので使えなかったのだ。
 しかし、こうやって自分のすぐ傍くらいを影響から外すくらいのことは出来る。
 今の、死にかけの状態であっても、なんとか。
 無理矢理大地にはいつくばらせた真之介を一回蹴り飛ばして距離を取った。

「ぐおっ!」

 自分の体重が何十倍にもなったような感覚というのは再現できる実験装置なぞ無かったし、そも考えもしなかった。
 真之介にとっても、こんな異常な体験は初めてである。

 一方の優弥も、この重力を維持するだけでも全身が悲鳴を上げている。
 よく生きていられると自分でも感心した。
 その間にやるべきことは……

「おにいちゃん……、おにいちゃん……!」

 あずみさんに悪いとは思いつつも、渚は優弥にすがりついていた。
 悲しいのか嬉しいのか解らないけど、ともかく涙が出てしまう。

「渚ちゃん、よーく頑張ってくれたな」

 よいしょと渚の身体を抱き上げてやる。
 疲れきった腕にすら、軽い。
 こんなにも、軽い。
 やっぱり、こんなことをさせるんじゃ無かった……。

 だが、それも今更だ。
 逃げろなんて言っても、この子は決して聞かないだろう。
 昔からそうだった。
 強情というか、妥協しないと言うか。
 こうと決めたら引かないのが渚だった。
 筋の入り方が正しいことが多いので、なおさら説得に困る。
 水地の傍にいたいと、無理矢理成長して男のフリをして大学に潜り込んだときも、
 ……あれほど、止めたのだが。

 あれから、まだ四年。
 物心ついてから、十一年とちょっと。
 最初にこうやって抱き上げて笑った……あのときから十三年。
 たった、十三年。
 それなのに。

 ごめんな……、もう……俺にはこんなことしかしてやれない……。

 ここにたどり着くまでの間、最悪まで考えていた。
 よく刹那たちが水地に言われていた言葉を、優弥も横で聞いていたから。
 ともかく、最悪だけは免れた。
 次悪が今の状況だ。
 この状況なら何をするべきかも、一応考えていた。

 思い返せば、妙なことがいくつもあった。
 いくら渚がすごいと言っても、巨大降魔に関する儀式に対して渚の順応性は良すぎだった。
 優弥が相模と二人がかりでやるよりもなお効率が良かった。
 そして、本来魔であるはずの巨大降魔に藤枝あやめから霊力を送り込む際に、必要と想定されていた霊力の変換がいらなかったこと。

 もしかしたら、だ。
 馬鹿げた想像ではある。
 だがもし外れていたとしても、それはそれで先生の死んだところに行かせてやることが出来る。
 もし当たっていたら、自分には不本意だが、それは渚にとっては一番幸せなことになるんだろう。

「渚ちゃん……」

 力を込めたら折れてしまいそうな細い腕をそうっと包み込むように抱きしめてやる。

 こんな細い身体に、俺たちは全ての希望を背負わせていたんだ……。

「おにいちゃん……?」

 妹を嫁に出すときの気持ちとはこんな物なのだろうかと思う。
 相模が妹たちに、呆れるくらいかまって世話を焼いていたのも、今ならその気持ちが良く解った。

「……行って来なよ、先生のところに」
「え……?」

 先生、という言葉を聞いて渚の表情がびっくりしつつもふっと明るくなる。
 それを確認すると、優弥は右手だけを渚から離して力を込めた。
 この亜空間から出る次元の扉を開くことすらもはや難しかったが、それにもう一段付け加えなければならない。
 遙かな地底まで続く通路を。

「……開けぇっっっ!!」

 優弥の右手が向いた床に、黒い渦が出現した。
 次元の扉と、そしてその向こうに深い深い穴も見える。
 どうにかこうにか成功してくれたようだ。
 この亜空間の耐久力ももはや限界に来ていたのが今だけは幸いしてくれたようだ。

「逃げる気か!」

 僅かだが弱まった重力に対抗して、米田と一馬が床を這ってでも追いすがろうとする。
 小田原ではすんでの所で黒鳳を逃がしている。
 これ以上繰り返してなるものか。
 その向こうでは、重力に逆らいながらも真之介が光刀無形を振るい上げようとしている。

 優弥には元より、既に半死半生の二人をすら倒す力は残っていない。
 今はもう、迎撃することすら出来そうになかった。
 妹との今生の別れくらいゆっくりさせろと思ったが、
 ……仕方あるまい。

「元気でな、渚ちゃん」

 いささか場違いのような言葉だが、そうなってくれと願う万感が優弥にこんな言葉を言わせた。
 すっと、茫然となっている渚の身体を渦の中へと押しやった。

「……おにい……ちゃ……、……」

 言い終わるまでは、聞き取れなかった。

「……終わった、な」

 吐血と共に、支えていた重力増大も途切れた。
 解き放たれた米田と一馬の剣が、そして遠距離から放たれた真之介の電撃が優弥に迫る。

 よける力も残ってねえっつーの。

 どこか他人事のように思いながら、優弥は吹っ飛んだ。



第七章 祈れよ、永久なる乙女 四


初出、SEGAサクラ大戦BBS平成十一年九月二十四日



楽屋に戻る。
もう一つの第十話目次に戻る。
帝劇入り口に戻る。
夢織時代への扉に戻る。