嘆きの都
追憶其の六
第七章 祈れよ、永久なる乙女 四



第七章 祈れよ、永久なる乙女 三


 優弥が抵抗すらしなかったので、当の攻撃した三人の方が驚いた。
 自然体だったことと、半ば化身していたための鱗の防御力のおかげでか、優弥はそれでもかろうじて生きていた。

「天辰……」
「なーんか、聞きたいことが盛大にありそうだな」

 まだ喋れる。
 頑丈な身体に生んでくれた両親に感謝していいのか、この場合は複雑な気分だった。
 近づいてきた米田の顔には、あまり勝ったという実感は無いらしい。
 一馬は、先ほど優弥のあけた穴の跡を調べていたが、もう力が尽きてしまっているのだから亜空間の扉の痕跡すら見あたらないはずだ。
 扉無しでは、その向こうに地底深くまであけた穴までもたどり着けない。
 これで、追撃路も絶てた。
 よしと、しよう。

「ああ。尋ねたいことは山ほどある」

 米田が尋問役というのは、せめてもの情けだろう。
 朱宮のことで複雑な思いはあるにせよ、それならばこそ認めてもいる男だ。

「まず……その、なんだ……。その姿は一体なんだ。真の姿ってわけかい」

 まあ、いささか驚きもするだろう。

「……似たようなもんだな。俺はおふくろが人間なんでな、完全な地龍の姿にはなれねえんだ」
「母親が、人間?」

 そこで米田は解せなかった。
 先の戦いで彼が帝都へ向けた憎しみ、悲しみ。
 それらとの間に一致しないものを憶えたのだ。

「別に、俺は人間というものが嫌いなんじゃない。
 帝都を滅ぼそうとしたから、結果的には大多数の人間と対立することになってしまったが……」
 米田の言いたいことを察してすらすらと答えたので、米田はまたいささか驚いたようだ。
 不思議と、この男には共感できるところがある。
 ある意味では仇であったはずのものが。

「あずさの奴がおまえに感じていた思いだって嘘じゃあない。
 そいつだけは解っておいてくれや、藤枝のお嬢」

 真之介に支えられると言うか、お互い支え合いながらやってきたあやめに不意に声をかけると、肩を小さくして、びくっと震えてうつむいた。
 解っていてくれたらしい。

 よかったと、言うのかな……。
 お嬢の方も、同じように思っていたってさ、あずさ……。

 紗蓮はうまく手配してくれているだろうか。
 あずみと一緒に……。

 あやめがつらそうな思いをしているらしいことを察して、米田は疑問に思いつつも話を変えることにした。

「あの番人の二人も人間だといっていたな」

 対降魔部隊以外はここにたどり着いていないところを見ると、刹那と羅刹は優弥たちの期待通りにあとの連中を片づけてくれたらしい。
 すまない……、こちらは約束を守れそうにない。
 今はもう、一刻も早くここを脱出しておまえらだけでも生き延びてくれと願った。
 既に兆候が見えてきているが、この亜空間で作られた町の空間全体がまもなく崩壊するだろうから。

「あの二人だけじゃない。今は違うが紗蓮も元は人間だったし、それに……」

 ふっと、想いを馳せる。

「渚ちゃんも、普通の人間だよ」
『何!?』

 優弥の予想以上に四人は驚いていた。

「あのべらぼうな強さで……、自然神とかじゃねえのか」
「おまえら、そこの男のことを棚に上げてるだろう」

 いきなり引き合いに出された真之介は憮然となる。
 しかし実際に渚は真之介よりも更に強かったように思う。
 渚が冷静さを保ったままだったら、例え三人が万全であってすら勝てたかどうか。

「信じられるか……?あの子はまだ十三だ」
『な……………っ!?』

 絶句。
 無理もない。
 当の優弥も、別の意味で信じたくはない話だ。

「二十六は絶対に嘘だと思っていたが……」

 帝大で渚と面会したときに受付で「二十六の若い講師さんですよ」と言われてから直に会って、どう見ても十九か二十だと思っていたが。
 いくら何でもそんな馬鹿な。

「人間で、十三で、あれか……?」

 そう言われても、やはり自分のことを棚に上げている真之介である。
 しかし、自分が十三の頃はいくらなんでももっと無力だった。
 大した力もなかった。
 それが故に、今があるのだが。
 それと、やはり外見がどう考えても信じられない。

「……全部、先生のためさ」

 ちょっと悔しい。というかうらやましい。

「水地の魔術によるものか」
「大はずれだぜ、馬鹿野郎」

 真之介の的はずれな推理を思いっ切りこき下ろす。
 まあまず最初はそう考えるだろうとも思ったが。
 一応、先生というのが水地のことだと言うことだけ合っている。

「先生が隅田川の水神という話は知っているか」

 そういえば大空洞の底でそんなことを聞いたような気がしないでもない。

「渚ちゃんは十三年前、まだ赤子の頃にそこで先生に拾われたんだ。
 停留して破棄される寸前の船の上に置かれていたらしいが」
「捨て子……?」
「初めて渚ちゃんを抱き上げてやった頃から既に少なからぬ霊力を示していたからな。
 母親が捨てた理由の一つがそれだろう」

 例こそ少ないが、裏御三家などと全く関係のない両親からでも隔世遺伝などのせいか、霊力の高い子供が突然産まれることがある。
 しかし、大体にして超常の力として忌み嫌われるのが普通のようだ。
 渚の力は念動力など、かなりはっきりと見えるものもあったからなおさらだろう。

「十三……、もしかして……」

 米田は、頭の中で引っかかった情報を必死に巡らせる。
 何かが、何かが解りそうだ。
 そう……あれと……年齢は一致する。
 容姿も、そう考えてみるとどことなく似ていたようにも思わなく無い。
 もっとも、奥方に会ったことは一度か二度しかないから、ここはほとんど当て推量だが。
 そして、優弥は今「母親が」と言った。
 小田原での状況も考えるなら……それらから考えられる結論は……

「もしかして、あの渚って子は……、母親と共に行方不明になっている、粕谷の娘じゃあないのか?」
「!!」

 今度ばかりは優弥が驚かされた。
 事実にではない。
 それを言い当てられたことにだ。

「何?粕谷って結婚していたのか?」

 そう言ったことにはどうも疎いらしい真之介はさておいて、

「……よく、わかったな」

 知られて困ることでもないはずだが、何だか渚の情報を流してしまうのが惜しくもあった。
 ……いや、まて。
 そこで、考え直す。
 語るべきかも知れない。

「確か本名は、粕谷こずえ、だったか?」
「その名前で呼ぶな。あの子は高音渚だ。
 ……いや、厳密に言うなら水地渚だが……まあ、それはいいか」
「育ての、娘と言うことか」

 娘を持っている身分でどこか感じるところがあったのか一馬がつぶやく。
 それならおそらく渚という名前も彼……水神たる水地がつけたのではないだろうか。
 海と陸との美しく寄せる境の光景……か。

 帝都が汚れていくことを嫌っていたと言うからには、その名前には変わらぬ美しさを願ったのではないだろうか。
 直には会ったことのない水地の想いが、不思議と理解できた。

「しかし……、よくわかったな」
「粕谷の最期の言葉だ。……すまぬ、こずえ……ってな。結局、伝えられないままになっちまったか」
「……そうか」

 家庭を顧みなかった父、とも言えるかも知れない。
 妻とのつきあいは長かったらしいが、結婚したのは遅く、しかも任務熱心な彼はあまり家庭に戻っていなかったようだ……というのが相模の調査報告だった。
 渚が生まれたときには丁度彼は満州の大地だった。
 それで産まれてきた子供が超常の力を持っていたから……母親の行動はあるいは仕方のないことだったのかも知れない。
 そんな簡単な言葉で片づけたくはなかったが。

 後に粕谷に自ら接触して支援しようと言う姿を見せ、最後には自ら手を下した渚。
 ……優弥は振り返って思う。
 渚はもしかしたら、父親に愛して欲しかったのかも知れない。
 役に立って、誉めて欲しかったのかも知れない。心のどこかで……。
 でなくば、この騒乱の初期にあんなにも熱心に粕谷に協力していただろうか。
 後々のための布石だけとしては、どうしても解せなかった。

 そして多分、途中で自分のその想いに気づいてしまったのではないだろうか。
 だけど、渚にはそれを認めることは出来なかったろう。
 渚にとっての最愛の人は、育ててくれた父であり師でもあった、水地以外考えられなかったから。
 自分で、水地への想い以上となることが許せなかったのか。
 水地への想いを自分で裏切らないために、わざわざ自分で手を下すという選択をしたのではないだろうか。
 粕谷に氏綱を取り憑かせた後の憔悴ぶりは、明らかに無理をしていたことが解る。

「だけど……やっぱり渚ちゃんにとっては先生が一番だったんだ。
 先生の役に立ちたい一心で、小さい頃から死にものぐるいで勉強して、
 先生に釣り合う大人の女性になりたい一心で、自分の身体を無理矢理成長させたんだ……」

 四人とも、その壮絶な話に息を呑んだ。
 今が十三なら、おそらくはその当時十になるかならないかというところだろう。
 どれほど好きになれたら、どれほどの想いがあったなら、わずか十歳の少女がそこまで強くなれるのだろう。

「渚ちゃんの時空剥離と空間振動は食らってみたか?」
「嫌と言うほどな」
「あんな使い方は、渚ちゃんにとっては二の次三の次の使い方でしかない。
 自分の時間を早めたいという願いをかなえた、渚ちゃんの想いそのものが、あの超絶能力の正体さ。
 強かっただろ?
 一途に恋する乙女は、地上で一番強いってことかもな」

 理屈も法則も関係のない強さ。
 ひたすらに思い続けて得た強さ。
 なるほど、全員……真之介ですらもその理由が解るような気がした。

「そして、先生の傍にいるために男のフリをして大学に潜り込んで、
 先生が死んでからは、先生の代わりになろうとしてずっと……ずっと……」

 相模が死んだと解ったときにすらこらえられた涙が、今はもうこらえきれなかった。
 不憫だ。
 お兄ちゃんと呼んで慕ってくれた笑顔が、好物のジュースを飲んでいるときの幸せそうな顔が、
 それらの素顔すら普段は必死に押し込めるようにして生きてきた渚は、幸せだったんだろうか。
 あの子の想いのためなら、何でもしてやろうと思っていたのは自分だけではあるまい。
 宮城戦で散った五樹達も、程度の差はあれ同じ様な想いを抱いていたはずだ。
 悲願と、今の想いと、どちらを優先していたのか、今となっては自分でも解らない。

「その子を、どこに逃がしたのだ……」

 おそらく答えるはずはないだろうと思いつつかけた米田の問いだったが、意外な答えが返ってきた。

「逃がしたんじゃ、ないさ」

 忸怩たる想いがある。

「あの子に、逃げろなんて言っても聞くわけがない。
 昔からそう言う子だった……」
「ならば……ならば……!」

 どうやら、真之介は気づいたようだ。

「そうさ、第三十四側道の底。おまえが、先生を殺した所さ」

 真之介の動揺に、ほんの少しだけざまーみろという想いを抱きつつ。

「あの巨大降魔の中には、先生がいる……。
 そう思うんだが、違うか?山崎真之介」
「馬鹿な……
 確かに、水地は巨大降魔に飲み込まれた。
 しかし、生きているはずはない!」

 言いつつも、あのときは目を背けていた。
 渚と口論したときには詭弁のように用いたが、死んだと確認したわけではない。
 しかし、どう考えても生きているとは思えなかった。

「生きている……はずがない……」
「死んでいるだろうさ」

 真之介を助けるわけではないだろうが、優弥は自嘲気味につぶやいた。

「生きていたら、きっと俺たちを、渚ちゃんを助けてくれるはずだから……」

 それは疑わない。
 だから先生はもう死んでいる。

「だがあの巨大降魔の中に、先生の魂か、意志か、力か、ほんの一部にしても有るはずだ……。
 そんな気が、する……。
 そしてそれだけあれば、渚ちゃんにとってはそこに行く理由として十分すぎるはずなんだ」
「あの子を、巨大降魔に飲み込ませるつもりか……」

 いつの間にか米田は「あの子」という言い方が移っていた。
 粕谷の子供、という意識が働いたせいもあるが、今思い返せば戦っていた自分を嫌悪したくなるようないたいけな少女なのだから。

「先生の傍にいたい……先生と一つになりたい……それが……渚ちゃんの一番の願いだったんだ……。
 だから、俺はその願いを叶えてやりたい。
 ずっと俺たちのために苦しませてきた渚ちゃんに、幸せになって欲しい……。
 狂っていると、思うか?」
「……解らん」

 真之介は真面目に答えた。

「巨大降魔が、蘇るということか」

 一馬がなんとか感情を排して、必要事項に思い至る。
 事実上、それは巨大降魔に対して生贄として働くことになるだろう。
 そうなれば、巨大降魔の封印は今度こそ完全に解ける。

「もう、解けてるんじゃないかな。
 どうなんだ、藤枝のお嬢?」

 言われてあやめは慌てて自分の感覚を確かめる。
 霊力をほとんど消耗しきっていたので、そもそもそれに気づかなかったのだ。
 だがあのとき、真之介に開放してもらったときからあの倦怠感は無くなっていた。
 きっと……。

「解けてる……少なくとも私がかけた封印は」

 三人の顔から血の気が引いた。

「まだ解放されきってはいないようだが、ま、そういうことさ。
 あとは、精々頑張りな。
 先生と渚ちゃんの巨大降魔だ。そう簡単に倒せると思うなよ」

 その言葉は本気だった。

「最後に聞きたい。なぜあの子のことを俺たちに話したんだ?」

 優弥は考え込んだ。
 自分でもよく解らない。
 繰り返し自分に問いかけてみて、

「……誰かに、憶えておいて欲しかったのかな……」

 ふっとそんな言葉が口をついて出た。

「俺たちはみんな渚ちゃんが好きだったけど、あんなつらい生き方をして欲しくはなかった……。
 あんなことを、繰り返して欲しくなかった……」

 自分自身にそう言われて、そのまま次の言葉が出る。

 ……そうか、俺は要するに、あの子に幸せになって欲しかったんだ……。

「……もう行け。じきにこの町は空間ごと消滅する」

 結局最後まで、米田だけは憎むことが出来なかった。
 語るつもりもなかったことまで、つい忠告してしまった。
 山崎真之介まで生き残らせるのは癪だが、おそらくこいつは長く持つまい。
 生命ではなく、精神の方が。

 ……このお嬢は、そのときに泣くんだろうな……。

 それは気分が悪くなるが、仕方ない。

「おまえは?」
「……もう助からんさ。町の崩壊までも持たんだろう」

 あずみには悪いが、もう帰れそうもない。
 ここまで持った自分に感心したいくらいだ。

「……、いるか?」

 神刀滅却を鞘ごと抜いて米田が示した。
 表情は苦渋に満ちている。
 さすがは、中将サンの無二の親友だけのことはある。

「ああ、頼めるか。
 このまま死ぬと三分の一くらいそいつに殺されたようで気分が悪い」

 そいつと言うときに視線を真之介に向けた優弥だったが、真之介自身をさしていたのかその奥の氏綱をさしていたのかは、やはり自分でも解らなかった。

 米田は三人を無理矢理先に行かせると神刀滅却を抜いた。

「向こうで中将サンと待っているが、アンタにだけは早く来ないでもらいたいぜ」
「……心得た」

 すっと、刀を振り上げる。

「あばよ、米田一基」
「さらばだ、天辰優弥」

 静かに、最後の幕が下りた。


*     *     *     *     *     *


 これでその他の方は倒しきったか、というところで大きな鳴動がした。
 先ほどの激震と同じくらい大きい。
 だが今度は、もっとはっきりと目に見える形で異変が来た。
 上空が、文字通りの意味で裂けたのだ。
 そこから空間が徐々に崩壊していく。

「あ……兄者ぁっ!!」
「……崩壊する」

 いや、

「この町が……消滅する」

 この現象が、亜空間が破壊されるときに起こる現象であることを刹那は木喰から教えられていた。

「……?どこへ行く、羅刹!」
「決まっているだろう、兄者!一刻も早く渚たちを助けて脱出を……」
「よせっ、羅刹!」

 その前に立ちはだかった刹那の握りしめた拳から幾筋も血がしたたり落ちる。
 信じたくはない……信じたくはないのだ、彼も。
 だが、あれだけこの空域に満ちていた霊力が無くなって、今は感覚が鮮明になっている。
 それなのに、一番強大なはずの渚の気配すらも感じないのだ。
 いま中心に向かえば、崩壊に巻き込まれて脱出できなくなる可能性が高い。
 それは、羅刹にも解っていた。

「兄者ぁ……っ」

 涙を隠そうともせず、悲しみに打ち震える羅刹の拳が大地を叩く。
 その大地の実感すらも、徐々に希薄になっているようにすら思える。
 帝都から追われた自分たちを、仲間として、家族として迎えてくれたこの町が……。

「頼む……っ、行かせてくれ……」
「……駄目だ……」
「兄者ぁっ!」
「目を開け!羅刹!」

 うつむいてその場に倒れ込みそうになった羅刹を叱りとばした。

「まだ……まだ終わりではないのだ。
 水地師の作られた巨大降魔がある。
 各地に避難した同胞たちもいる。
 そして、俺たちはまだ死んではおらん!!」

 自分でも必死で自分を支えようとしているのだ。

「顔を上げろ!目を開け!
 俺たちはこの光景を忘れてはならん!」
「お……、おう……っ!!」

 あふれる涙を拭い、羅刹はしっかと立ち上がった。

「必ずだ……!必ずや帝都も同じ目に遭わせてくれよう!」
「そうだ、羅刹よ!」

 崩壊音が近づいてきて、もはや普通の声はこの距離でも届きにくい。
 これ以上ここに止まっていることは出来なかった。
 まだ通じていることを信じて、一番近い別の町への通路へ急ぐ。
 幸い、まだ通じていた。
 扉の前に立ち、ギリギリまでその光景を見つめる。
 古くは江戸の初期から立っていた町並みが、彼らが十数年を過ごした地が、崩壊の渦の中に飲み込まれていく。
 最後に、二人は消えゆく町に向かって叫ぶ。

『俺たちは……!決して忘れんぞ!!』

 万感を込めて、別れを込めて。
 それは、誓いだった。


*     *     *     *     *     *


 対降魔部隊と刹那羅刹兄弟がほぼ同刻に江戸から脱出した頃。

ふわり……

 半ばちぎれた服の端を翻しつつ、渚は緩やかに着地した。
 重力加速度をほとんど感じなかったのは、彼女の兄の最期の配慮ゆえだろう。

「おにいちゃん……ここは……」

 ぼうっとしている頭でも、少し考えたらすぐに結論が出た。
 地龍が通った跡……、すなわち優弥の父が封じられた地脈の一環とも言える洞窟。
 うっすらと、岩肌自体が霊力か妖力かを含んで光っている。
 ここは、大江戸大空洞第三十四側道に間違いない。
 さすれば。

 奥の方で、十数人の方術士団員が壁に向かっていた。
 だが、渚の視線は彼らを飛び越えてその先へ向かっていた。
 微かに感じる。
 確かに感じる。
 懐かしい……
 彼女にとって限りなく懐かしい気配がそこにあった。

「何!?」

 驚いたのは、封印の最後の砦とも言うべきこの岩戸を必死に押さえていた方術士団副長代理の宮本だ。
 ボロボロの服を纏った美少女などが来るには余りに場違いな場所である。
 そもそも大空洞の中には、陸軍管理部の許可がなければ入れないようになっている。
 今大空洞の中にいるのは、ミカサの整備士と陸軍の管理官、そして方術士だけのはずだ。
 侵入することすら容易ではないはず。
 それを、この最深部まで来ているとは。
 思わずはっとするほどの外見で判断できるような相手ではなさそうだ。

「牧島!二階堂!その娘を追い払え!」

 岩戸に向いていた人員を削るのはややキツイが、この少女から言いしれぬ不安を感じた宮本は即座に命令を下した。

「ハッ!」
「お嬢ちゃん、ここからすぐに立ち去……」

 憧れに逸る心が、力尽きた精神力を再び立ち上がらせていた。
 いつも通りとは行かないが、それでも十分な威力を持った波動がいともあっさりと二人を吹き飛ばす。

「先生……」

 渚は、二人のことを見もしていない。
 単に何か視界に入ってきたから吹き飛ばしただけだ。
 その瞳はまっすぐに岩戸の方を向いている。

「先生……、今出してさしあげますから……」

 疲れなどどこかに吹き飛んでしまったかのように、精霊達があっさりと集結する。
 絶大な霊力だ。
 対降魔部隊の四人を遙かに凌ぐほどの。
 それに気づいた宮本は一時的に岩戸から手を離すことにした。

「許せとは言わん!覚悟せよ!」

 全力を込めた封印の法術を渚に向かって叩きつける。
 巨大降魔の封印が解かれれば、もはや帝都の崩壊は避けられなくなる。
 藤枝あやめを媒体に完全封印をかけるつもりだったもくろみは既に破られている。
 しかし、彼女に匹敵する……いや、それ以上の力を感じるこの少女を媒介にすれば、それだけで巨大降魔の封印を再構築することも不可能ではない。
 まして、どうやら巨大降魔の封印を解こうとしている叛乱分子の一味に間違いないらしい。
 ならば一石二鳥のこと!

 まだ若い少女を犠牲にすることに引け目がないと言ったら嘘になるが、帝都のためにならばやむを得ん!

 宮本は帝都を第一に考えるあまり、一つ致命的な失念をしていた。
 それだけの実力者が、疲れ切った自分一人でどうにかなるはずはないことを。

「精霊集約、精華翔舞」
「ぐああああああああああっっっっ!!」

 宮本ごと、宮本がしかけた法術ごと、取り巻いていた方術士団ごと、渚の一撃は岩戸を粉々に破壊していた。

ずん……

 その岩戸の向こうから、ゆったりと姿を現したものがある。
 西洋のドラゴンを思わせる巨大な体躯の、降魔。
 屈強の戦士であろうとも恐怖を感じずにいるのは困難であろうその姿を眺めつつ、渚はうっすらと微笑んでさえいた。

「先生……」

 降魔の顔を見つめてではない。
 降魔の身体の中心、そこに微かに感じる懐かしい気配へ向けて、渚はすっと手を伸ばす。

 感じる。
 確かに感じる。
 先生がいる……。
 先生が、ここにいる……!

 巨大降魔は凶暴な破壊の意志を秘めた目でゆったりと周囲を見渡したが、渚と目があったところでその凶暴さがすっと消えた。
 内から、何かの衝動に突き動かされるように。
 暴虐を振るうはずの禍々しい爪を立てることなく、すっと渚をすくい上げた。
 そのまま、ゆっくりと自分の胸に渚を抱き留めていく。

「せんせぇ……」

 巨大降魔の胸の部分から白い粘膜が溢れ出る。
 まるで、彼女がついぞ着ることの無かった純白の婚礼衣装のように、優しく彼女を包み込んでいく。

「せんせぇっ……!」

 その衣装を抱き留めるようにして、ためらい無く前へ進む。
 ゆっくりとその体躯の中にとりこまれつつ、渚の表情は歓喜に満ちあふれていた。

 その姿が、徐々に見えなくなっていく。
 最後に、未だ美しさを失わない漆黒の髪までもその中に沈んでいく。

 巨大降魔は叫びを上げた。
 地の底から帝都にまで響くかのような、果てしない声で。

 失われた仲間の死を嘆くかのように、
 想いを遂げた少女を祝福するかのように、
 そして、
 帝都の破滅を予告するかのように。






 太正六年九月。
 降魔戦争は、未だ終わらない。



追章 去れよ、悲劇の巡り


初出、SEGAサクラ大戦BBS平成十一年九月二十四日



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