小田原戦が終わった翌日の夕刻。
小田原の後始末は北村海軍少将に任せて、対降魔部隊の三人は帝都に帰ってきた。
理由は大きく二つある。
一つは、粕谷が死んだと聞いて北村が後始末は自分でやると強硬に主張したたからだ。
彼と粕谷が協力関係にあったのはもはや周知の事実であり、彼の心情を考えればそうさせてやってもいいかと思わされたのだ。
今は陸海軍の兵が合同して復旧復興作業と撤収作業を行っている。
二人の目指した陸海軍の合わさった軍の姿は、あるいは、ささやかながら実現されたというのかも知れない。
皮肉だった。
もう一つは帝都の状況だ。
帝都の霊力濃度が上昇している。
春日光介方術士団長代理から入った連絡は、様々な推測を呼び起こした。
詳しくはまだ聞いていないが、どうも変化は黒鳳戦の直前に起こった地震かららしい。
単に地震だけの人的物的損害はそれほど大したことがなかった分、かえって不気味だったのだ。
まだ何か起こるのだろう。
その考えはもはや確信に近い。
そしてそれは、高音渚、天辰といった残りの術者達と関係がないはずはないのだ。
その先にあやめがいる。
帝都への早期帰還を最も強硬に主張したのは真之介である。
あからさまに言うと、周りをほっといてでも帰ると言ったのだが。
それに米田も一馬も同調せざるを得なかった。
この小田原そのものが自分たちをおびき出す物だったと言うことはほぼ確信しているので、反対するつもりはなかった。
気にかかったのは真之介のことだ。
普段通りに見える。
あやめを取り戻すことに躍起になっているということを省いてしまえばいつも通りの彼なのだろうと思う。
だが……、
疑惑ではなく、不安だった。
「お待ちしておりました」
明らかに昨夜は徹夜だったなと解る顔で、春日光介は対降魔部隊を迎えた。
ここは宮城内の、かつて江戸城二ノ丸だったところである。
「私たちが把握している限りの帝都の現状についてお話しいたします」
代行補佐の宮本が帝都の霊的地図を広げる。
ここ半年で、これを見るのも何度目になるだろう。
いささかうんざりした気持ちにならなくもない真之介であるが、現時点で必要な情報である。
まじめに聞くことにした。
「帝都には霊的防御の中枢となる陣が三つあります」
「三つ?二つではないのか?」
真之介は自分の知識とのズレがあったのでかえって興味をそそられた。
「おそらく君の言っているのは、内陣六破星降魔陣と外陣八鬼門封魔陣のことだろう。が、その内側にもう一つ陣があるのだ。最近の物なので正式な名称は付けられていないが、我々は最内陣とか四神陣とかと呼んでいる」
「……初耳だな」
裏御三家の一人である一馬すらこんな感想である。
真之介もこれは全く知らなかった。
「外部に漏れないようにしていたはずです。ですが、この陣が昨日破られました。先の戦いで宮城から奪われた祭器によるものと考えられます」
「つまりは、知られていたってえことだな」
「面目ありません」
米田としても、あまりに秘密にされていい気はしなかった。
ある程度必要なことであったとは思うのだが、仮にも対降魔部隊の隊長として帝都の霊的な話くらい教えてくれていてもよさそうなものを。
「最内陣はまた別の意味がありましたから。
まず一つは、江戸に遷都するに当たって、四神の守りを唐代の長安より引き継がれてきた形式に変換すること」
そう言えばなるほど平城京も平安京も、南に朱雀門を抱えて四角形をしている。
江戸とはまた違った設計思想で作られた都なのだ。
どちらも元となる力は同じなのだろうが。
維新の折の舞台裏であっただろうというのは想像がついた。
「もう一つは五行の中に組み込んで、この地の地震を押さえ込むことでした」
京都に比べると、東京は明らかに地震が多い。
そもそも富士山系に近いのだから当たり前といえばそうなのだが、しかし、米田は幼少からずっとこまめに地震を感じていたように思う。
さして押さえ込まれていないのではないだろうか。
「微少な揺れまで全て止めていては地脈が滞りすぎてかえって危険です。最内陣が央となって止めていてたのは、ある一定以上の地震でした」
「……言いたいことはよーくわかった」
米田は額に手を当てた。
これが意味するところは尋常ではない。
「そうです、我々が次に警戒しなければならないのは、帝都を壊滅させるだけの大地震です」
聞いた三人の脳裏に、崩壊していく帝都の街並みが幻のように浮かんだ。
「可能なのか……?そんな真似が」
「俺が宮城で会った、朱宮に協力していた術者は局地地震を起こすことが出来たぞ」
「それもありますが、それ以上に警戒していることがあります」
そういって光介は一同を地図に注目させた。
「藤枝あやめ嬢は未だに囚われの身となっているはずですが、その理由は……間違いなく巨大降魔でしょう」
「それが陣とどう関係するんだ?」
「外陣から、霊力が流れ込んでいるんだ。日本橋に向けて」
日本橋。
その遥か地下に、あの巨大降魔はいるのだ。
現在巨大降魔のいる大空洞底には、常時十数名の方術士が監視に当たっている。
「最内陣が破られる直前に、巨大降魔から膨大な力が発せられたという報告も入っています。封印を握っているあやめ嬢を通して、何らかの儀式が行われていると見るべきでしょう」
「それで、あやめのいる場所はどこなんだ?」
立て続けに、真之介の言動には遠慮がない。
今は少しでも情報が欲しいのだ。
「特定は出来ないのだが、少なくとも地上ではない。だが確実に帝都内だ」
「つまり、地下と言うことか」
「……、そうと結論を出せない。少なくとも、明確に感知できる場所ではないのだ」
「……わからん、どういうことだ」
真之介がこういうセリフを吐くのは珍しい。
「今は帝都内をくまなく捜索するしかない。あなた方対降魔部隊に思いつくところはありませんか」
そう振られても、専門家である方術士団に解らない内容ではどうしようもない。
せめて科学的な話ならば、真之介に何とかなったのかも知れないが。
「……巨大降魔を今のうちに倒しておくというのは出来ないのか?」
あやめ一辺倒になっている真之介をたしなめるわけではなかったが、米田はこの間にエネルギーを蓄えている当の巨大降魔を倒せないかと考えたのだ。
元々巨大降魔を叩きのめすのに障害となっていた陸軍の降魔を巡る争いは、もはや何の意味もなくなってしまっている。
「あやめを後回しにするのか?」
「アレさえどうにか出きれば、あやめくんの負担は無くなるぞ」
詰め寄ってきた真之介に少々微笑ましいものを感じながらも、説得を試みる。
が、反論は別の所から上がった。
「……止めた方が、いいです」
そうつぶやいた光介の額から冷や汗が流れていた。
さっきまでの説明が不真面目に思えるくらい悲愴な顔つきだった。
「どういうことだ?」
自分では良い案だと思ったのだが、そう言われては米田としても気になる。
「あの巨大降魔を倒すには、一時的にしろ今掛けている封印を解かねばなりません。
……ですが、一度解いてしまうと、我々にはあれを止められる自信は無い……」
「俺たち三人が力を合わせてもか?昨年末には真之介とあやめくんの二人でかろうじてどうにかなったのだろう」
「……今はもう、そんな簡単に倒せるような奴ではなくなっているんです……」
その声には、明確な恐怖が宿っていた。
「今のままで何とかするしかない……。
あれが解放されたら、おそらく私たち方術士団が総掛かりでももう止められない……。
だから、あれを操ろうとする敵の本拠を何が何でも探し当てて、術者を倒すしかないんです・・・!」
うす寒い物を感じつつ解散した後真之介は徹夜で調査に当たったが、そう簡単に解るものではなかった。
「おまえの見解はどうなのだ」
翌朝一馬が向かったのは、退院間近に入院延長が決まった京極のところだった。
過労から来る思いっ切り悪性の胃潰瘍らしい。
病室に積まれた書類の山を見て、一馬は納得した。
自分でしかけたことながら、少々気の毒に思わないこともない。
実は、裏があるのだが。
「ろくに調査も出来ん入院患者に聞きに来るな」
答えつつ、京極は書類に目を通しハンコを押していく。
病院側に幾度も仕事を辞めるように言われても、実のところは京極の方がその指示を拒否しているのだった。
少々……いや、かなり疲れるのだが、これだけの仕事をやっているとドサクサに紛れて色々と工作もできる。
元々、真之介が水無月少将を殺したことを闇に葬ったこともあるくらい、裏工作は得意なのだ。
今回は急いてことをし損じた京極が入院の中で出した結論は焦らないことだった。
五年十年先を見据えて、表向きは野望を諦めた真面目な陸軍中将として、裏では次に動くときまでの準備を整えることにしたのだ。
同時に、自分が陸軍省での大量殺人に関わったことに繋がる情報なども抹消が進みつつある。
現在生き残っている最大の証人はこの一馬だったりする。
だが一馬を暗殺する気は、今のところ無い。
対降魔部隊に何とかしてもらわねば困るからだ。
高音が京極を出し抜いたのは、詰まるところ京極のやるべきことと対立することをやるからに他ならないのである。
そしてもう一つ、京極は未だに一馬を部下にすることを諦めていなかったりするのだが。
「考えられることは、連中が亜空間にこもっていることだな」
小田原で使用した武器についての神崎重工からの請求書に頭を痛めながら、それでも一応推測を立ててみる。
「貴様が使ったあれか」
外部から隔絶された別世界だ。
中の様子は必要とされる魔法陣というか陰陽陣のところまで行かなければ、中をほとんど感知できそうにないということはこの間の戦いの後で調べておいた。
だから木喰と紗蓮の二人が一馬と京極をまとめて滅ぼそうとしたときも、陣のすぐ近くで亜空間破壊呪法を使わざるを得なかったのだろう。
そうでなければ、二人ともあえなく死んでいたところだろうが。
「探索はかなり厄介だぞ。その入り口はおそらくかなり巧妙に隠されているはずだ」
* * * * * *
「今のところ知られてはいないようだな」
渚を無理矢理に寝かしつけて、優弥と相模はかなりの速さで必要な霊力を貯めつつあった。
外陣から流れ込んでくる分、彼ら二人の分。
特に優弥は持っている力が大地の力そのものなので、かなり無茶をしてでも力を注ぎ込んでいた。
一方で儀式の手続き的な準備は相模が行っている。
彼ら二人は不眠とは言わぬまでも、かなり働きずくめである。
今は八時間ぶりの休憩中で、宙に相模お得意の映像球が浮かんでいる。
しかし当のあやめの方は、それを見る気力もほとんど残っていなかった。
長時間の儀式に当然の如くつき合わされていることもあるのだが、今までとは状況がずいぶん変わっている。
これまでは、あやめは霊力を吸い取られるか巨大降魔への通り道かであったのだが、今は蓄えられた霊力の保持に関わらされているようだった。
そんなわけで、休憩中もあまり長時間は鎖を外してもらえない。
自分のすぐ間近に、強大に過ぎる力を感じる。
おそらく最終的にはこの力があやめを通じて巨大降魔に送り込まれるのだろう。
二人の交わす会話を聞いて、あやめはそれらの推測を立てていた。
おそらく、この間とは比べ物にならない。
帝都を壊滅させられるだけの、膨大な力が。
「あやめー、一応言われたとおり作って来たよ」
あずみとあずさの姉妹が二人してやってきた。
あずみは二人の分の夕食というか夜食を、あずさはあやめに教えられて薬湯を作って来た。
あやめとしてはまともに食事をとる力も余り残っていないのだが、かといって水分、塩分、栄養分はしっかりととらないといけない。
いざというときの体力を残しておかなければならないのだ。
入院中に真田に教えられたそれらの摂取法を覚えていて、それをあずみに作ってもらっていたのだ。
幸いというべきか、滅多に手に入らない特殊な食材もここには多くあった。
欲を言えば、入院中に真之介があやめの霊力に合わせるようにして作ってくれた薬が欲しかったのだが、真田診療所に置いたままである。
「ねー、あやめ。味見してみたけど……これ、とんでもない味だよ。いいの?」
あずさに心底心配している顔でそう言われると、さすがにうっと引かないでもない。
砂糖と塩を始めとして四十種類くらいの物を入れてもらった湯は、何とも形容しがたい色に濁っている。
しかし、教えてくれた真田を信じて飲むことにした。
鎖につながれたままなので、あずさに飲ませてもらう。
くいっ
「!!!!!!!!!!!!」
舌だけではなく、顔面が吹っ飛びそうな味があやめを襲った。
吐き出したい衝動をこらえて、とにかく嚥下する。
喉を通り過ぎると、ふっと楽になった。
「……ねえ、大丈夫?あやめ……」
「……うん、すこーし、楽になった、かな……」
「結構だ。体力は残しておいてくれ」
妹ににこやかに話しているあやめに、いささか感情を殺したような声で相模は告げた。
「状況次第では、本当に生贄になってもらうことになる」
「兄……様……?」
一瞬で蒼白になった顔で、あずさは信じられないというように尋ねた。
「巫女一人の命でことが片づくところまで行けば、そうする可能性があるということだ。
当然死にかけではさして効果は望めんし、残った体力次第では実行しても生き残れるかも知れん。
……おまえに体力をつけておいてもらうのは、お互いのためということだ」
「……ご忠告、心に留めておくわ」
相模が本気で言っているのを理解して、毒づくようにあやめは言い返した。
「兄様……本気なの……?」
あずさは責めるように相模の裾を引っ張る。
この町にいる中では、あずさは一番あやめと仲がいい。
兄である相模も、それはある程度解ってはいる。
「最悪の場合の話だ。それに生贄と言っても、生き血を抜き取るとか心臓を引きずり出すとかいう真似ではないからな」
「……一応、慰めのつもりなの、それ」
「そのつもりだが」
生真面目に答える相模が考えていたのは、二つまで手中にある黄泉の宝具とこの祭壇の最大出力のことだった。
ここまで一緒にいると多少なりとも情が移るが、それでもここまでに犠牲となった者たちと、これから犠牲となりかねない者等のためになら、あやめ一人を殺す覚悟くらいとうに出来ている。
「そう言う事態を避けるためにも、協力的な対応を頼むぜ、藤枝のお嬢」
優弥の言葉に、もはや反論する気力も失せたあやめだが、心中では密かに決心を固めていた。
どちらにしても、自分の存在は彼らにとって鍵らしい。
真之介との約束……帝都を守ることが出来るなら、自分一人くらいが犠牲になってもいいと。