嘆きの都
追憶其の六
第六章 途絶えよ、滅びの階段 二



第六章 途絶えよ、滅びの階段 一


 山崎真之介が小田原へ向かったとの報告が入ったのはこの三日後だった。

「……いよいよ、だな」

 今日は藤枝あやめが休みなので、誰もいない状態の祭壇の前に立ち、優弥は一人つぶやいた。
 いや、話しかけていた。

「……、長く待たせたな、親父。もうすぐ終わるよ」
「優弥か」

 そうしていると、祭壇の間に入ってきた人物に、背中から声をかけられた。
 相模だ。

「何だ、てめえもか」
「万感があるのは同じらしいな」
「ああ……」

 半世紀ぶりに、やっとまっとうな葬儀がしてやれる。
 その思いは、いつも喧嘩している二人だが、同じだった。



 一方で渚はあずさと打ち合わせをしていた。

「そういうわけで黒鳳さんの指示通り、明日には決行します。藤枝あやめの体調はどうなっています?」
「うん、大丈夫だと思うよ。今日は朝から私と一緒に洗濯やっていたし」

 一応、見張り兼なのだがどちらが本題かここまで馴染んでしまうと定かでない。



 また、紗蓮とあずみの二人は外陣、八鬼門封魔陣を回っていた。

「ここは、これでよしね」

 黄泉鈴の反響に耳を澄ませて、紗蓮は立ち上がる。

「ねえ紗蓮、今更なんだけど一つ教えて欲しいことがあるんだけど」
「これのこと?」

 あんまり激しく鳴らさないようにそっと黄泉鈴を示してみせる。

「それもあるし、これもあるし、ともかく八鬼門の意義ね」

 あずみの手には、提灯とも燭台ともランプとも言い難い形状の物体があり、その上部に全く熱のない光がともっている。
 黄泉灯と呼ばれる祭器だ。
 未だ宮城に残されたままの黄泉鏡と合わせて、黄泉の三法具と呼ばれる。

「渚の説明を聞いていたでしょう、あずみ」

 普段はあまり信じられないが、こう言うときに渚が帝大で講師などやっていても正体がばれなかったことを納得できる。

「四神陣は解ったけど、渚は頭良すぎだよ。何となく質問もしづらかったし」
「白状するとね、私、後でこっそり渚に聞きにいったのよ。五回くらい解説してもらって、ようやく解ったわ」
「あ、紗蓮ずるい」

 口先をとがらせて、白ーい目であずみが睨んでくるので、

「わかったわ、私の解った範囲で解説して上げる」
「全部じゃないの?」
「機構部分まで全部理解できていたのは、指路器を製造した木喰だけよ」
「あ、……ごめん」

 紗蓮が気に病んでいることを口にさせてしまったことに気づいてあずみはうつむいた。

「……大丈夫、彼に助けられた命だもの。捨てられなくなったわ」

 そっと、目線だけをこっそり上げて盗み見た紗蓮の顔は、静かな決意をたたえていた。
 それを見て、あずみは心にふっと浮かんだ疑問があったが……悩んだ末、口にするのは止めた。

「話がそれたわね。黄泉の宝具の話。
 出来たのは少なくとも平安遷都以前。あるいはもっと昔かも知れないわ。
 その属性は名の通り黄泉、もしくは死者」
「うん、そのあたりは解るわ。氏綱なんて呼び出して固定しておくのにも使ったって聞いたし」

 呼び出したのは黒鳳だが、それを封じ込めて安定化させたのは渚だ。
 このときに黄泉灯を使っている。
 もちろん、使って壊れるような使い方はしていないが。

「この黄泉の力は朝廷とはとにかく相性が悪いのは納得できるわよね。
 三百年ほど前に天海僧正はこの力に目を付けたのよ。
 江戸幕府も、政権を執り征夷大将軍になったとはいえ、朝廷に対する恐怖はあったのね。
 その力に対抗すべく黄泉の三法具を使って、武蔵のような脅威となる存在と共に、八鬼門封魔陣をしかけ、朝廷からの霊力伝播を防ぐ防波堤としたのよ」
「どこをどうやったのか解らないけど、蚊取り線香で蚊を追い払うようなものね」

 それはいくら何でもあんまりな言い方だと思うが、紗蓮は思わず笑ってしまった。

「でも、今は都がこの東京になってしまってるわ。効かなくなっちゃったわけ?」
「……破られかけたところで黄泉の宝具を返したのよ」
「あ、黒船」
「そういうこと」

 対朝廷の防御は、海の外から来た脅威に対しては無力に等しかった。

「勝海舟卿は武蔵の復活を何が何でも止めようとしたのよ。八鬼門の張り直しと黄泉の宝具の返還の交換条件。江戸を帝都に変動させたのはこの八鬼門の変化と、……」
「……わかる。それは言わなくていいから……」

 紗蓮が言わずにいてくれたことに感謝しつつ、あずみはポツリと言った。

「ともかく渚がやろうとしていることは、四神陣を解放すると共に八鬼門を解かないままで都市改変になる程度の黄泉の力を帝都に呼び込むこと」
「そんなことをやったら、帝都を江戸に戻す前に死人であふれてしまわない?」
「幸か不幸か、五樹達が取り戻してくれた黄泉の宝具は二つ。一つが宮城にある限りそれはないわ……というのが渚の計算よ」

 何だか自分の意見のような言い方になってしまったことに気づいて、紗蓮は苦笑しながら断りを入れた。

「ということは、木喰が造っていたあれはそのもので霊陣を造るんじゃなくて、流れを変える物だったんだ」

 木喰製作の指路器。
 あずみは兄や妹と一緒にこれの設置に携わってきたのだが、ようやく納得できた。

「多分ね。他にも渚はミカサで乱れた霊脈を修復するとか言っていたけど、こちらはよく解らなかったわ」
「十分よ紗蓮。俄然やる気が出てきたわ」

 ぐっと拳を握りしめて、それからあずみは心の中でつぶやいた。

 待ってて、父さん……。


*     *     *     *     *     *


 京極慶吾中将の顔色は良くなかった。
 元々あまり体調が良くない……というか怪我が完治していないところに過労と寝不足がかさんでいるのである。
 基本的には、小田原戦のための事務処理が多い。
 もちろん、彼のところに送られてくるのは最終的に承認を求めて来るものだが、それでも多い。
 だが、この数日彼の顔色が良くないのはそれとは別の理由が大きかった。

……おかしい。

 病院にいても感じられる。
 帝都を巡る地脈の流れが変なのだ。
 彼の知る限り、この病院周辺には大した流れは来ていないはずなのだが、この所間近にそれを感じる。
 今日は特にそれが著しい。

 高音め、何かしているのか・・・?小田原だけで十分と思っていたが、あの小僧……。

「大河原少佐」

 夜の闇に沈んだ部屋から、扉の外へ声をかける。

「はっ、失礼します」

 低めの声が響いて、大河原一美陸軍少佐が入ってきた。
 名目上は夜間の情報部との連絡係となっている彼だが、実際は米田と一馬から頼まれた京極の監視役だった。
 米田と親交のある人間の例に漏れず、この男もあまり階級に遠慮がない。
 とはいえそのあたりはまだあの太田上等兵に比べればマシなのだが、頑固なために別の意味で始末に困る人間である。
 監視される人間にしっかりそう思わせるというのは、監視役としては適任と言うことなのかも知れないが。

「何かありましたか、閣下」

 一応丁寧な態度の中にも、油断無くこちらを監視している空気がはっきりとしている。
 苦々しく思いつつも、ここはそれについて言うのも面倒だった。

「下にいる天笠に命じて、縮尺の同じ帝都の新地図と古地図を持って来させろ。早急にだ」

 首をひねりつつも、最後の一言にただならぬ物を感じて大河原は従うことにした。
 階級を無視したこの思考は、京極の考えるように確かに米田の影響が見られる。
 監視をしばし清流院少尉に任せて……彼はお肌が荒れちゃうとか何とか言っていたがこれを黙殺して……階下にある控え室に四六時中詰めている健気な天笠中尉に仕事を持っていくと、寝ぼけ眼から飛び起きて京極からの命令と大喜びして仕事に行った。
 あの単純さが羨ましいと共に、どこか危険を抱かぬでぬでもない。

 天笠中尉は僅か一時間ほどで地図を持ってきた。
 睡眠時間が削られることに舌打ちしつつも、京極は感知できる気脈の流れを地図上で確かめていく。
 やはり妙だ。

 思えば風塵を失ったのはやはり大きな痛手だった。
 こう言ったときの調査はさすがに金剛に任せるわけには行かない。
 いかんせん騒がしくて目立ちすぎる。
 密かに実家の配下と連絡を取りたいところだが、監視役が優秀なためそれも難しい。

 どうする・・・?

 京極は一晩考え込んだ。
 その一晩が、遅れとなった。


*     *     *     *     *     *


 翌朝、朝食を終えて日課通りに祭壇へ向かうあやめである。
 もうずいぶん長い間真之介の顔を見ていない。
 真之介の声を聞いていない。
 休みにここでの仕事を手伝うようになったのも、寂しさを紛らすためだ。
 一度脱走しようとしたところで罠にはめられてから、脱走は諦めている。
 だからなおのこと会いたさがつのる。

 でも今日は丁度体調が上向いてきたところで少し気分がいい。
 だがやっぱり疲れるのだ、これは。

 などと考えつつも、もはや足が覚えている祭壇の間につくと、

「何これ」

 わっと人数が集まっていた。
 知った顔から知らない顔まで。

「何かやるの?高音渚」

 渚が自分のことを全名通して呼ぶので、こちらもそう言い返すことにしている。
 渚の格好もいつもと違っているので、何かあるのは間違いないだろう。


挿し絵−高音渚−塵都氏画


「ええ」

 珍しくまともに返事が返ってきた。

「でも大丈夫です。まだ殺しませんから安心して下さい」
「それって、ひょっとして死ぬほど痛いよ、ってこと?」
「違うよ、今日はあやめは通路になってもらうだけだから」

 こちらは祭壇で準備らしきことを終えたあずさである。

「それに、いい物を見せてやろう」

 珍しく相模がついっと出てきた。

「遠景だがな」

 上空から戦場を移した映像球が、相模の声と共に現れる。
 観衆が多いのでちょっとした映画館の雰囲気だ。
 完全色つきというのがまずすごいが。
 蛇足ながら、この時代の映画はこの映像球同様無声映画であるが色が付いていることはまず無い。
 その戦場とは無論、小田原近辺に他ならない。
 その中に……。

「真之介・・・!」
「え、うそ、どこ?」

 と、あずさが聞き返したのも無理もない。
 人間の視力では普通なら判断しようのない大きさで映っているし、映像には数百人からの陸軍制服が映っているのだ。

「画面中央やや左、七人が集まっている所の上から二番目だが……、良く視認できたな」
「わかるわよ、あいつなら」

 相模に向かって誇らしげにあやめが胸を張るので、あずさはにんまり笑ってその脇腹に肘打ちを何度も叩き込む。

「このー、やるなぁあやめっ」
「あずささん、最終準備を」
「あ、ごめんっ」

 渚の声に不機嫌が入ったのであずさは慌てて動く。
 あやめはいつもとは違う、銀色の鎖をはめられながら映像球から目を離さない。
 そんな城、あっさり攻め落としちゃえ、と心の中で真之介を応援しつつ、

「まさか、私を使って真之介を攻撃する気?」

 はっと思いついた疑問に、背筋が冷たくなった。
 そんなことの助けになるくらいなら、この場で舌を噛んで死んでやるぞと思う。

「いいえ、単に儀式を発動させる最適な時刻を待っているだけです」



 京極は悩んだあげく、方術士団に連絡を取ることにした。
 同じ違和感を感じていた、方術士団長代行の春日光介は知らせを受けてすぐに調査にかかった。
 彼の亡き父玲介ならば調べるまでもなく気づいただろう。
 最内陣と外陣。
 張ったのも、張り合わせたのも、彼はその場にいたのだから。
 だが光介は、父からそのときのことを聞かされていても、それが意味ある経験とまではならなかった。
 故に、遅れをとった。



 戦場が動いた。
 陸軍の制服たる緑の波が城へと寄せる。
 その先端に吹き荒れる嵐があった。

 いけー!真之介!

 周囲の雰囲気が怖いので叫びはしないが、その声に押されるかのように真之介が無敵な戦いぶりで降魔を蹴散らしていく。

「力の使い方がうまいのか下手なのかわからんな」
「同感だ」

 とは、優弥と相模。

「長時間はもたんだろう、が、強いことは間違いない」
「藤枝あやめ、そろそろ始めます」

 真之介達が城に近づいてきたので、渚は椅子から立ち上がった。
 あとは、黒鳳からの合図を待つのみ。
 対降魔部隊の三人が城内に突入する。
 その直後、城門がぴたりと閉ざされた。
 これである程度外界から隔絶される。
 対降魔部隊はすぐにはこちらの動きを察知できなくなる。
 そして、黒鳳からの合図が来た。

「始めます!」

 渚の良く通る声に、皆の視線が一斉に祭壇に、あやめに集中する。
 相模は即座に映像球を帝都上空からの光景に切り替えた。
 一瞬、あやめは大地が揺れ動いたかと思った。
 だが、厳密に言えばそれは違う。
 跳ね上がったのは、地脈。
 そして、あやめと霊力が繋がったままの巨大降魔の、確かな鼓動だった。



「!!」
「!!」

 異変に真っ先に気づいたのは京極。
 次いで春日光介。
 三度目の鼓動で、帝都に霊力ある者のほとんどが、

「何だというの……、これは……」
「ああ、真ちゃん助けてぇ。斧彦こわいわぁ」
「真之介君が帝都を離れるのを待っていたのか……」

 四度目には、ほとんど全ての者が気づいた。
 宮城を中心に、四方と央に巨大な光の柱が出現していた。



「ああああああああっっっっ!!!」

 吸い取られているのではない。
 あやめは吹き飛びそうになる意識を、銀髪の面影を思い出すことで何とかつなぎ止めて、今起こっていることを把握しようとした。

 近い感覚は前にもあった。
 真之介と二人で水地の作った巨大降魔を封印したとき。
 自分の霊力だけでは足りなくて、真之介に助けてもらったとき。
 苦しかったけど、自分の中を真之介の霊力が吹き抜けていく感触はどこか心地よかった。
 今起こっている現象も、似たようなものかも知れない。

 だが今あやめの身体の中を通り抜けていくこの叫びたくなる強大な感触は……、
 憶えがある。
 あの、巨大降魔から感じた力そのものではないか・・・?

 そうではないと叫んでいるものが一方である。
 あの巨大降魔といえども、ここまで強大な力は持っていなかった・・・!
 そこで、二つのことに気づいた。
 一つは、思い出したこと。
 この二ヶ月、この祭壇でほぼ一日中拘束されて、霊力を吸い取られ続けていたこと。
 巨大降魔と自分は霊的に繋がっていると言ったのは、あずさだったか・・・?
 あれに、注ぎ込まれていたのだ。

 そんなはずはない。
 我ながら嫌な確信だが、あやめは自分の清浄の巫女としての特性には自信がある。
 自分の霊力を延々叩き込めば、大型降魔であっても倒せると思う。
 それは、都の浄化を計るために藤原家から分離し、裏御三家の一つの傍系と結びついて生まれた藤に連なるもの藤枝家の巫女として、今は望んでもいない力だった。
 その私の霊力を受けて、何故強大化しているの・・・!?
 その答えは、出てこなかった。

 もう一つは、外からも力が流れ込んでいると言うこと。
 これの出所はあやめには解らなかったが、実はこれこそが八鬼門の巡りから木喰の造った指路器によって帝都内部に流れ込んできている別の地脈の流れだった。
 この二つの力があやめの華奢な身体を駅か港のようにして流れ込んでいく先は・・・、
 考えるまでもなく、目が開いていればすぐにでも解る。
 この祭壇に掲げられた四神の像だ。
 ここの集中する膨大な力が、地上に現出しているのだ。



「こういうことか・・・!高音!」

 病院で抵抗しようとした京極ではあったが、未だに健康体にはほど遠いし、即席の制御陣で対抗しきれる程度の術ではなかった。

「……忘れはせんぞ、この屈辱……」

 そして、この陣の使い方もだ。
 最内陣は跡形もなく吹き飛ばすつもりのようだが、八鬼門は状況から察するに残りそうだ。

 いつか、これを活用し返してくれる。

 そう心に誓いながら、今は宮城を中心に起こった変動を眺めるしかなかった。




「渚ちゃん、続いて第二段階に移行」
「はいっ」

 映像球で帝都の様子を観察し続けていた相模が、発動から五分ほどで指示を出した。
 渚が立て続けに唱える呪文と共に、光の柱を一辺の中心にすえた正方形が帝都に出現する。
 いや、それは正確な言い方ではない。
 本来、目に見えぬように設定されていたものが、耐えきれずに姿を見せたのだ。

 ガカアッ!

 あやめの周囲にある四神の像に無数のヒビが走る。
 それに呼応して帝都に出現した光の柱に、ぼうっと人影のような物が重なった。
 映像球を眺めていた者たちの間から、おお……という喜びと哀しみの混ざり合ったようなどよめきが起こる。

「あ……」

 泣きそうな顔で兄の相模にすがりついたのは末妹のあずさだ。
 ぐしぐしと彼の服の袖で涙を拭っている。
 その瞳が見つめているのは南の光に現れた人影だ。

「……お父さん……」

 同じように泣きたいあずみだったが、兄は妹に取られてしまったのでいささか不本意ながら……本当だろうか……手近にいる優弥をひっつかまえた。
 いつもなら、放せこのバカ女とか言うところだったろうが、今は違った。
 よく似た表情で、あずみの無茶に従っていた。
 更に長々と五分かそこらの間早口で呪文を唱え続けてきた渚が詠唱を終えた。

「行きます!」

 ガッ!!カッ!!ガアッ!!ガシャアッ!!

 東西南北、四神の像が立て続けて粉々に砕け散り、帝都に現れていた光の柱が光の洪水となって形を失っていく。
 いや、帝都全体に拡散していった。
 そしてそれと共に、その四点の中点から別にもう一本、強大な霊力の流れが大地から上空へ吹き上がった。

「長い間苦しませたな、親父……。安らかに、眠ってくれよ……」

 ぼそりと優弥がつぶやいた声に耐えきれなくなって、あずさは声を上げて泣いた。

 長い地震が起こっている。
 だがそれは大地からの流れが絶たれると共に、静かに収束していった。
 鳴動が全て収まったとき、

「はあ……っ」
「あ……」

 あやめとそれに続いて渚も、その場に倒れた。
 その時点で既に祭壇にあった力の大半は収まっている。
 第一の儀式は成功した。
 しかし、渚が倒れたこの事態はあまり手放しでは喜べないが。
 紗蓮が駆け寄って抱き起こすと、渚は意識は保っていた。

「……紗蓮さん、第二の儀式へは……」
「やめなさい、渚。今は無理矢理にでも休ませるわよ」
「……はい」

 叱られた子供のように頷いて、渚はふっと全身の力を抜いた。
 一方あやめには、涙を拭ったあずさが真っ先に駆け寄った。

「あやめ、あやめぇ、大丈夫ぅ・・・?」

 意識がないので心配したのだが、二三度揺さぶるとうっすらと目を開けた。

「ん……、あんまり……大丈夫じゃ……ない……」

 霊力を消耗したのとは違うが、ひどく疲れていた。
 自分とはまったく違う力に触れたせいだろうか。
 あずさはよいしょとあやめを背負って、宿泊部屋へ運んでいく。

 また、残る面々は二つに別れた。
 五十年遅れた葬式準備の仕上げにかかる者。
 渚の代わりに次の儀式の準備を始める者。
 黒鳳がいない今、渚に次ぐ立場にいる優弥と相模は忙しいながらも両方を受け持った。


*     *     *     *     *     *


「黒鳳は、生きているのだな」

 小田原の戦いが決着して黒鳳の安否が気遣われていたところへ、彼の配下の烏が一羽ふわりと飛んできた。
 ただし魔力のほとんど失ったために少なくとも数年は休眠状態になるらしい。

「そして……、粕谷少将は死亡か……。どうする?渚ちゃんに伝えるか?」

 相模の質問に、その場にいた何人か……優弥に刹那、その他数人は顔を見合わせて考え込んだ。

「小田原が終わったと言えば、頭の良い渚のことだ。すぐに気づくだろうな」

 確かに刹那の言うとおりだ。
 それ以上、指摘するべきではない。
 渚を苦しませるだけだ。

「仕方がない。今は渚ちゃんの負担を少しでも軽くすることを考えよう。優弥、手伝え」
「儀式自体も出来るのか?」
「多少ならな」
「いいだろう。帝都崩壊に直接携われるのなら、少しばかりおまえに従ってやる」
「ぬかせ」

 喧嘩腰になった二人だが、刹那は苦笑いをしただけで止める気もしなかった。
 この二人が息を合わせるととことんすごいのは先刻承知だ。
 そして、急ぐべきなのだ。
 ここまで隠し通したが、早ければ明日にでも対降魔部隊は帝都に戻ってくるだろう。
 そして最内陣を解き放った代わりにこの隠里も見つけられ易くなっているはずだ。

「でが俺は警備に戻る。頼んだぞ、二人とも」
「対降魔部隊の侵入がありうるようになったらすぐにそちらに連絡する。気をつけてな」




第六章 途絶えよ、滅びの階段 三


初出、SEGAサクラ大戦BBS平成十一年九月四日



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