嘆きの都
追憶其の六
第六章 途絶えよ、滅びの階段 四



第六章 途絶えよ、滅びの階段 三



 一週間が静かに過ぎた。
 とはいっても、一馬も米田も真之介も陸海軍の手の空いている者は総出で敵本拠地の入口を捜していたのだが、何も見つからなかったし何も起こらなかった。
 そう、降魔一匹とて現れなかったのだ。
 それが、なおさら不気味であった。

 そんなある朝のことである。
 東の空が白み始めたのでようやく仮眠をとるために机の下で丸くなった真之介は、三十分ほどで蒸気電話に叩き起こされた。
 知っている者のほとんどいない、対降魔部隊の居室への直通電話である。
 大体は隊内の呼び出しなのだが、
 のろのろと起きあがり、受話器を探す。
 頭がぼーっとして、ほとんど働いていない。

「……、山崎だ」
「おう!朝っぱらから済まねえな、ドクター!」

 不機嫌そのものの声で応じた真之介だが、受話器の向こう側から聞こえてきたばかでかい声にさすがに目が覚めた。

「横塚教授……、何事だ、こんな夜から……」

 帝大素粒子物理学をやっている変人教授で、真之介の学士、修士、博士論文を受け付けた人物でもある。
 前に話したのは三月に高音と会うために仲介を頼んだときだからずいぶん久しぶりだ。

「あー、おまえさん、怪奇現象は得意分野だったよな」
「はあ?」

 せめて魔術とか魔法学と言ってくれと思うが、あの横塚がこんなことを言ってくるというのが信じられなかったので、さすがに興味がわいた。

「何か起こったのか?」

 あやめを救うための手がかりかも知れないと、いささか楽観的に考えると一気に眠気がすっ飛んだ。

「ああ、大学に入れなくなった」
「はあ?」


*    *     *     *     *     *


 理学部を中心にした棟群の前に、どやどやと学生やら教授やらがひしめいている。
 知った顔では、京極の監視を誰かに任せてきたのか情報部の大河原少佐が来ていた。
 独特の色眼鏡のせいでよく目立つ。

「おお山崎君、来てくれたか」
「一体何が起こっているんだ……?」
「ああ、それなんだが……」

 大河原が言いかけたところで、先の方から鬨の声が上がった。

『せーのっ!!』

 ズガアンッ!!

 学生が十人ばかし、丸太を抱えて突撃していった。
 何もないように見えるところに丸太が突き進んでいった、と思った次の瞬間、強大な霊力の渦がそれを押し返した。
「・・・!これは」
「おお、来てくれたか、ドクター」

 難しい顔で横塚教授が腕組みしていた。
 そういえばさっきの電話でも、いつもの「ガハハハハ!」というバカ笑いが無かった。
 それに慣れている分、逆に今の状況の深刻さがよく解った。
 おそらく、何人かの学生が死んでいることが解ったのではないかと想像はついたが。

「情報を総合するとな、異変そのものは三日くらい前から見られたらしい」

 構内で酒盛りをしていた……というのも問題だろうが……学生の酔いがいつもの十倍くらい早かったとか、夏の残りの花火を使ったら暴発したとか、最初は珍しいこともあるものだな、という程度に高をくくっていたのだ。

「はっきりとこれが異常と感じたのは、昨夜の九時か十時頃だったな。
 構内の一角にあった木々がなぎ倒されてた」

 守衛は最初竜巻かと思っていたようだが、そもそもそんなものが起こるような所ではない。
 そのあと、薙ぎ払われたところを中心にして帝大の一角約二割ほどの敷地が、不可視の壁により侵入不可能になったのだ。

「うちの研究室はかろうじて壁の外だったが、壁の内側にいた学生や教員とは全く連絡が取れない。
 泊まり込みでやっていた奴が他の研究室には何人もいたらしいが……」

 横塚からバカ笑いが消えたのは、これらの事態が解ったためらしい。

「それで俺を呼んだというわけか」
「ああ、霊感の強い学生の何人かが、壁の向こうからとんでもない力を感じるって言ったんでな。俺はよく解らんが、おまえならばと思った」

 なるほど、近づいてみてみるとそれは嫌と言うほど実感できた。
 しかし、何か妙だ。
 かなりの霊力が集中しているというのに、それが外まで漏れてこない。
 単なる霊力の飽和現象ではなさそうだ。
 流れをせき止めて蓄えているような……
 たくわえている……?

「横塚教授……。水地研とは親しかったと聞いているが、水地研は飲み込まれているのか?」
「いや、ぎりぎりであちらも助かったらしいが……
 そういえば最近解ったのだが、水地はどうやらずいぶん前に死んでしまっていたらしいぞ。
 ……未だに信じられんが……。
 今はあの高音くんもおらんし、あの研究室も今は院生が一人で切り盛りしているようになってしまった」

 あまり聞きたくなかった台詞である。
 だが、これでほぼ確信した。
 ここにはおそらく、いやほぼ確実に高音達が関わっている。
 ここから、あやめの所に行く方法があるに違いない・・・!


*    *     *     *     *     *


「ぬおりゃああああっっ!!」

 どごおおおんっ!!

 羅刹の怪力でぶん投げられた兵士が宙を舞い、派手な音を立てて壁に激突する。
 即死だろう。

「兄者、片づいたぞ」
「これで現時点の侵入者は全員だな」

 笛を吹いて呼び寄せた羽虫共から情報を集め、刹那はほっと一息ついた。

「兄者、今一体何が起こっているのだ?
 今まではどう偶然が重なっても、侵入者は一ヶ月に二人がいいところだったというのに」

 外見から羅刹はあまり考えることが得意でないように思われがちなのだが、これで羅刹はかなり頭は良い。
 でなくば僅か数年で召喚術を修得することなど出来なかっただろう。
 ただ、刹那がそれよりもずっと頭がよいので、こと頭脳労働は兄に任せていた。

「儀式が最終段階に来ていると渚は言っていた。
 この空間に留めておけなくなった霊力が地上空間に入り込もうとしているのだろう」
「では穴が空いていると言うことか?兄者」

 それはただごとではないと、元から白い羅刹の顔が更に少し白くなる。

「慌てるな羅刹。吹き出し口が開くことくらいは渚の計算のうちだ」

 渚の名を出したときに、刹那の表情はふっと柔らかくなった。
 自分と同じ人間でありながら、遙かに自分を越える者への憧れか、畏怖か、それとも……。

「吹き出し口が開く地点には、あらかじめ相模らがその周辺に防御壁を張っている。
 今侵入してきたのは、発動した瞬間にその壁の内側にいてなお生き残れたごく少数の者等に過ぎん。
 案ずることはないのだ。このために準備を重ねてきたのだからな」
「……もうすぐ、なのだな、兄者」
「ああ。あの忌々しい帝都が崩壊し、人間のみの占有から解き放たれるのだ」

 二人の瞳にはかつて味わった辛酸と、思い描いた夢が映っていた。



 刹那の見解はそう間違っていなかった。
 現に、

「彩光黄輝、光明線衝!」
『おおおおっっ!?』

 周囲を取り囲んだ観衆達から驚きの声が上がったものの、真之介の必殺技はものの見事に弾かれた。
 大体このところ寝不足なのである。
 昨夜は完徹に近い。

「く……」
「おい、しっかりしろ、ドクター」

 よろめいて膝がかくんと崩れた真之介に横塚が慌てて駆け寄る。

「だ……大丈夫だ……。これくらいどうと言うことは……ない」
「たわけ、どこがだ」

 横塚も研究者たる者、二夜連続徹夜くらいはやったことがあるが、それでも今の真之介の状況は見過ごせるものではなかった。

「このままではここに穴を開けるどころか、立ったまま死にかねんぞ」

 言いつつ、横塚はどこか違和感を覚えていた。
 まさにその通りな真之介の状況なのだが、その代わりに真之介のぎらついた瞳の向こうから何かが迫るような……、形に言い表せない不安を覚えたのだ。
 もっとも、当の真之介本人はそんなことに全く気づいていなかったが。

 この三年で彼は、あやめがいないと健康管理も出来ない体質になっていたのだから。
 そんなわけで不摂生もたまるわけである。

 それでも、このままやってもぶち破れそうにないということは把握できた。
 そんなわけで頭をフル回転させる。

「教授、横塚研の実験室からこの壁に一番近いところまで何メートルある?」
「あん?十メートルあるかないか、というとこだが」

 間違いなく意図的だ。
 この数字は。

「実験室に置いてあった、何とか動かせそうな粒子射出器は生きているか?」
「ああ、この間の地震の後でも動いたが……って、おまえまさか?」

 ここで言う粒子射出器とは、素粒子物理学をやっている横塚研が真之介の協力で作りあげた実験器具で、荷電粒子に電場と磁場を掛けて高速で発射する機械である。
 光速に近いエネルギーを持った粒子の挙動から、徐々に微粒子の世界の科学が明らかになりつつある。
 霊力の根元となる粒子があるのではないかという疑問から、横塚は真之介に研究室に戻って欲しいのだが、それは余談である。

「請求書は……陸軍大臣代行にでも送ってくれ。
 臨界運転させて粒子を最高速で壁にぶち当ててみる。
 多分俺が必殺技を最大で放つよりも集中する分高いエネルギー密度が得られるだろう。
 ついでだから生きている測定器を総動員して、取れるだけのデータをとってくれ」

 横塚はしばらく絶句していたが、元来無茶な実験は好きな男である。

「あー……、もう止めん!
 おーい、手の空いている学生、全員手伝え!
 まずは射出機を動かすぞ!」

 諦めたように開き直って、そうと決めてしまえば横塚は実験の準備と言うことできびきびと動き出した。
 事態の深刻さは解っているはずだが、魂がうずくのかすっごく楽しそうである。

「これで何とかならなければ、おそらく打つ手はもう無いな……」
「よし、ならば寝ているんだ、真之介君」
「・・・なっ・・・?」

 聞き慣れた声を聞いて後ろを振り返ろうとしたところで、真之介はいともあっさりと昏倒させられてしまった。
 多少乱暴だが、こうでもしないとこの男は休みそうにない。
 それに、この程度の不意打ちを食らってしまうようでは実際の疲労も相当のはずだ。
 柄打ちを加えたのはもちろん一馬であり、くずおれた真之介の身体を支えたのは米田である。
 大河原が連絡して呼んだのだ。

 学生らに指示を出していた横塚もさすがに気づいて近づいてきた。
 大河原は私服姿だし、真之介は学内でも少々知られた外部研究者であるのでまだ許容できたが、さすがに陸軍制服が二人も来ると止めずにはいられない。
 大学の治外法権を守らねば学問の発展はないと信じるが故である。
 とはいえ今の状況はこちらとしても洒落になっていないし、どうやら……

「誰だあんた達は?察するところ、ドクターの上官のようだが」
「すまねえ、挨拶が遅れた。俺は陸軍中将米田一基。こっちが部下の真宮寺一馬大佐で、山崎真之介中尉の直接の上官をやっている」
「理学部の横塚太助だ。あんまり軍の関係者に大学に入って欲しくはない」

 一瞬、剣呑な空気が流れるが、

「……と言いたいところだが、ドクターの上官ならまあ仕方あるまい……。
 それに、ことここに至ってはどうやらそちらの助けも借りねばどうしようもなさそうだ」

 ほっとする米田と一馬である。
 真之介から断片的にしか聞いていなかったのだが、どうやら話の通じる教授だ。
 まあそうでもなければ若い真之介の論文なぞを、年齢を無視して通しはしないだろうなと納得もする。

「ドクターの指示通り、壁は俺たちが大学の誇りに賭けてでも突破する。
 だが、こいつの裏は帝都全体に関わるとんでもない事件なんだろう?」

 あえて詳しく聞きはしない、という口調で確認だけを求めてくる。
 さすがにそれまで隠しては信頼も何もないので米田は素直に頷いた。

「建物にさえ入らなければ、突破後に突っ込ませる部隊でも何でも構内に入れてくれ。
 学長には俺が責任をとるから、事態の収拾は帝国軍人に任せよう」

 大雑把なのか細やかなのかよく解らないが、ともかくその申し出は有り難かった。
 あの真之介が気に入った人物だけのことはある。
 学生らにも人望があるのだろう、軍人を入れることにやや不満の声はあったものの、横塚が頼むとその声も収まった。

 申し出通り実験は彼らに任せて、……ついでに真之介を大河原に頼んで救護室へ運んで行ってもらい……、米田と一馬はこちらへ向けてくるように言っておいた霊力戦闘部隊と方術士団の到着を待って、部隊わけと打ち合わせを始めた。
 帝都のいくつかの地点でこういった現象は起きているようだが、こうなってはここの一点突破に賭けるしかないということになった。


*    *     *     *     *     *


「ふむ……」

 お得意の映像球を使って帝大上空の様子を観察していた相模は、手短に渚に報告を入れた。
 場所は例によってあやめが繋がれている祭壇の間である。
 この数日休養を無理矢理とらされていた渚はずいぶんと顔色がいい。
 もっとも、精神的にはどこか疲れた様子が見えるが。

 身体的にも精神的にも疲れが見えているのはあやめだった。
 儀式に延々つき合わされて、戻って眠るだけの力も惜しくてこの祭壇でごろ寝している。
 それでもお風呂には誇りに賭けてなんとか入っているが。

 しかし、昨晩からはここに拘束されっぱなしだった。
 自分の身体と自分の間近に膨大な力が蓄えられているのを感じる。
 この帝都を破壊しきってしまえるほどのとてつもない力が。
 顔を伏せたまま表情を悟られないようにして微かに身体を動かしてみる。

 まだ、いける。
 疲れているとはいえ、まだ自分の霊力と体力は残っている。
 言われたとおり食事をきっちりととっていたのが功を奏したようだ。
 幸か不幸か、本当に生贄にされるほど彼らがせっぱ詰まった状態にもならなかったことでもあるが。
 どうもこの様子だとこのまま行きそうである。
 しかし、それは同時にあやめたちにとっての敗北を意味するのだ。
 それを阻止するために、今はまだ力を蓄えておくことにする。

「今やっと米田と真宮寺が到着か。これからなんとか手だてを考えたとしても……まあ間に合いそうかな」

 外周部を警備している刹那と羅刹以外の主だった者たちが揃っている。
 渚、優弥、紗蓮、相模、あずみ、あずさ。
 もっとも、渚は祭壇に向かって儀式の真っ最中だが。

「帝大の結界は最後に渚ちゃんが仕上げたんだから、そう簡単に破れはせんだろうよ」

 先ほど見ていた真之介の無駄な努力を思い出して、少し誇らしさもあったか柔らかい表情で相模は相槌を打った。

「そう言うわけで、藤枝あやめを殺す必要はなくなったぞ、あずさ」
「……よかったあ……」

 当のあやめとしてはうれしさ半分、悔しさ半分である。

「あやめぇ、終わったら祝賀会でご馳走してあげるから、もうちょっと我慢してね」
「……何て答えたらいいの?こういう場合……」

 口を開く気もあまり起きなかったのだが、呆れ半分で素直な感想が漏れた。
 一同に苦笑気味の笑いがおこる。
 いつもあやめへは表情を堅くしている渚までがくすりと笑ったのがあやめには意外だった。

「とはいえ、まだ破られる可能性を否定するべきではないわ。山崎真之介が目を覚ましたら警戒態勢に戻らないと」

 唯一対降魔部隊と一戦交えている紗蓮は、新調した傘を取り出しつつ告げるともつぶやくともつかない口調で語った。
 それでみんなの表情がすっと引き締まる。

「なに、破られたとしても俺らが食い止めるまでさ」
「そのときは頼みます、優弥さん」

 振り返った渚の笑顔に、しかし優弥は何故か不満そうである。

「どうした、便秘か優弥」
「相模てめえ、真顔で聞いてくるな!」

 今度は一同、失笑する。

「そんなんじゃなくてよ、渚ちゃんにそう呼ばれるとやっぱり何だか調子が狂うんだよ」
「何、馬鹿言ってんだか」

 あずみはやれやれとため息をつく。

「……昔みたいに、ってことですか?」

 ちょっと戸惑ったような顔で渚は、一時儀式を中断して話の中に加わった。
 耐えているあやめは少し楽になる。
 ちょっとした小休止程度のものでしかないが。

「うん、やっぱりああ呼ばれる方が元気が出るな」
「子供扱いしないで下さいって、言いましたよね」
「ああ呼んでくれたら、絶対に渚ちゃんのことを守ってやるって約束する。俺は渚ちゃんのおにいちゃんだからな」

 ちょっと見下ろすような優弥の視線は、相模が妹たちを見つめる時のそれに似ている。
 それに気づいているのかいないのか、相模は唇の端を笑いの形につり上げているが優弥は気にしないことにする。

「……わかりました」

 渚はすっと優弥の手を取った。
 細いのでそれなりに背のあるように思える渚だが、優弥と比較するとやっぱりずいぶん小さい。
 見上げるように、どこか幼いようにも思える表情で、

「がんばって、ゆーおにいちゃん」

 その言葉は、各者各様の想いを呼び起こさせる。
 あれからまだほんの僅かしか経っていないことに、哀しみを覚える紗蓮。
 妹のことを考え複雑ながらも、聞けてほっとしている相模。
 優弥の顔を見ないようにしてそっぽ向いているあずみ。
 なんだかうれしくてにこにこしているあずさ。

 あやめは、この数ヶ月の疑問が氷解していく感触を得ていた。
 この渚は、やっぱり……

 そして当の優弥はというと、

「よっしゃあ!元気出てきたあ!」

 と全身で語る。
 渚のさらさらした髪を痛めないようにそっと撫でて、

「約束だ。絶対に守ってやるからな」
「ばっか単純……」

 ぼそりとあずみが付け加えた言葉を聞いたのは相模だけだった。
 渚は、優弥が応えるように優しい笑顔を見せてくれたことに安心して、いつものきりっとした表情に戻る。
 よほど注意して観察しない限り、ほとんど別人にしか見えないくらい雰囲気が変わる。

「では、侵入される可能性も考えて、今のうちにこの区域に残っているみんなには一時避難してもらいましょう。
 四つの通路の内の三つを使い、避難完了後はいつもより念入りに閉鎖して置いて下さい。
 少々無茶な閉め方をしても、後で私が開けますから」

 似ている。
 あやめはふとそう思った。
 ”彼”がそんなことをしているのを見たわけではない。
 だが、それであってさえ今の渚の雰囲気はどこか似ている。
 渚にとっては育ての親であったともいう、あの水神水地新十郎に。


*    *     *     *     *     *


 しかし事態は渚の推測よりもやや早く動いた。

「この粒子射出器はドクターの修士論文を元にした第一号機を原型にしている。
 一度壊れてしまったのだが、改装時にかなり小型にすることに成功してまあこの通り二十人くらい人手があれば動かせるものになった。
 原理は主に電磁力だが……、荷電粒子に関する集中講義をここで開こうか?」
「いや、作動してくれたら問題ない。
 俺も一馬も、そう言ったことは真之介に任せっきりだからな」
「賢明だな。合わん人間にはとことん合わんのが物理学だからな、無理強いはせんよ」

 横塚は講義一直線の教授とはずいぶん違うという印象を、さっきから繰り返し見せつけられっぱなしの二人である。
 突入部隊の編成は終わって、あとは実験待ちの状態だ。

「その代わり実験もあんたらの仕事も成功に終わったら、ま、派手に一杯といわずにつき合ってもらうぜ」
「乗った。いいねえ」

 殺伐とした雰囲気の中で、ようやく落ち着ける言葉を聞いて、米田は即答していた。

「ガハハハハ!話の分かる中将サンだ。約束だぜ」

 ようやくいつものバカ笑いを取り戻せた横塚は、工具フル装備で射出器に戻っていった。
 理学部の教授には、あまり見えそうもない。

「……科学ってえのはすげえもんだよなあ」
「まだ突破できると決まったわけではありませんよ」

 そう言いつつ一馬も、大まかな話を聞いてこれなら何とかなってくれるのではないかと期待していた。
 一応先ほど二人がかりで壁を突破できないか試してみたが、全力に近い一撃を叩き込んでもこれはびくともしなかった。
 それだけに、もう横塚に期待するしかない。

「この戦いが一段落したら、真之介の奴に優秀な実験助手でもつけてやりたくなったぜ」
「文明の力は、魔術に勝てますか?」
「そう信じたいぜ」

 話していると大河原が戻ってきた。

「山崎君の方は難しいです。救護室担当の医者が額に青筋浮かべながら、こんな病人即刻入院させろと言っております」
「やれやれ」

 多分、医者の見立てが正しい。
 あやめがいなくなってからこの方、生活態度が無茶苦茶もいいところになっていたのは二人も知っているのだが、言っても聞かない。

「山崎の奴、尻に引かれるだろうな」

 横でそのつぶやきを聞いた一馬は思わず吹き出したが、しかしあまり笑ってはいなかった。
 若菜と出会う前の自分を彷彿とさせる、
 ならばこそ、彼の無茶を見過ごせないのだが。

「予定時刻まで後二時間か……」

 それが一刻の猶予もないことは、二人には……そしてこの場に集っている霊力の多少なりともある者たちにはよく解った。
 この地点も、それから夜の帝都の空向こうにいくつか見ることの出来る朧な光の柱も、既に恐ろしいほどの霊力を蓄え込んでいるのをひしひしと感じるのだ。
 今にも、それが発動するかも知れない。
 横塚教授にも、それとなく状況を伝えておいた。

「急いでくれ……教授……」

 米田は内心焦りつつ、突入軍の総大将として焦った姿をそう晒すわけにもいかない。
 その焦りを奥歯で噛みしめ、突入部隊の集う場所で待った。
 待った。


*    *     *     *     *     *


「まずいな……」

 ようやく退院できて本郷の自宅に戻っていた京極慶吾陸軍中将であるが、縁側からも見える光景に歯ぎしりしていた。
 このままでは高音に完全勝利を許してしまう。
 出し抜かれた方としては極めて寝覚めが悪い。
 ある程度、京極の狙っていた帝都の変革に近いことは起こるかも知れない。
 だが今向こうにそれを起こされてはこちらは何も出来はしない。
 次にこちらの準備が整うまで、帝都には存在しておいてもらわねば困るのだ。

「おい、変人二人」
「しっつれいねー、慶ちゃん」

 階級を完全に無視した返事が生け垣の向こうから返ってくる。
 未だに京極の監視役をしている琴音と斧彦が外にいるのである。

「今から私は術法に入るが、止めるなどと余計なことを考えるなよ。帝都崩壊を少しでも遅らせてやろうというのだから」
「出来るのですか?」

 冷静に尋ね返してきたのは琴音だ。
 京極の真意かどうか計りかねているのだが。

「一矢でも報いてやらねばこちらの腹が収まらぬわ」

 言ってから、それが本音かも知れないと気づいた。

「その間に何とかして見せろ、真宮寺……」


*    *     *     *     *     *


「準備完了、三百秒後に実験に入る。目標点付近の学生は速やかに待避せよ!」

 今か今かと待っていた米田たちの下に、予定より一時間近く早くその報は届いた。

「どうにか間に合いそうですかね?」
「わからん。破ったところで、霊力の吹き出しているところが敵さんの本拠まで通れるものでなきゃ、こっちはお手上げなんだからよ」

 言いつつも、米田はある程度通れるだろうと確信していた。
 一馬が京極との戦いで体験した亜空間とやらの感触から推定するに。
 また、通れないのであればわざわざ目立つ壁など作らないだろうとの推測もあった。

「真之介君はどうします?」
「たったあれだけの一撃だってのにまだ目を覚まさんのだろう。今連れていったら死ぬぞ、いくら山崎の奴であっても。置いていく」
「恨まれますよ」
「おう、どーせ俺は過保護だよ」

 朱宮を失った今、これ以上近くにいる者を死なせたくないとの意識もあったかもしれない。

「とにもかくにも、俺たちが全力で破れなかったんだ。科学の力を信じるしかねえ」
「発射百秒前!観測学生は対衝撃対閃光防御!」
「これで何とかしてくれるなら俺は科学の信奉者になってやるぜ。
 真之介の研究予算を倍にしてやろうじゃねえか」

 そうなることを祈りつつ、配布された色眼鏡を掛ける。
 大河原はいつも通りだが。
 誰が口にしたわけでもないが、固唾を呑んで見守っている一同は皆、この一撃に帝都の命運がかかっているであろうことを悟っていた。

 制御装置を操作している横塚も、表面上は平静を装いながら心中では緊張しきっていた。
 手の平ににじむ冷たい汗が回転板の握りを滑らせようとし、額に浮かぶ汗は目に入って視界を遮ろうとする。

 俺はドクターのように戦う力なんか持っていない……。
 先ほどの会話で、ドクターが帝都……いや、日本でも指折りの戦士であることは容易に推察できた。

「発射、十秒前……!」

 だが、研究者としてその助けになることは出来る。
 西洋科学を信じた俺の、結論だ!

「二、一、発射!!」

 まず光。世界で最も速いもの。
 次いで霊力、全身の毛が総毛立つような静電気力。
 衝撃波、それからもう一度今度は洪水のような霊力波。
 そして、天地をつんざくような轟音。

 それらを別々に感じ取れたのはほんの数人だろう。
 続く閃光の向こうで不可視の壁が崩壊し、蓄えられていた霊力があふれてきている。

「成功だ!」

 思わず、米田は歓声を上げた。
 横塚は測定器の数値を一瞬で見て取って、手近に置いてあった算盤を手にする。
 これでも珠算全国大会五位の実績がある。
 神業的な速さで指が盤の上を滑る。
 頭脳と連携して対数関数まで速度を落とすことなく片づけていくのがまずすごいが。

「突入許可まであと百三十秒!」

 実験直後は大気分子が原子までバラバラにされているため、不用意に近づくのは極めて危険なのである。
 測定器でこの状態を観測しているのだが、この実験データはあまり役に立ちそうにないだろうと横塚は思った。 
 霊力のない彼にも、数字という形で霊力の存在を十分に感じ取れた。

「二十…………十…………、制圧部隊!作戦開始!」

 陸軍中将に命令するなんてのはこれが最初で最後だろうと思いつつ、横塚は叫んだ。

「了解!これより突入する!」

 先頭を走る米田と一馬の前に、渦巻く空間の裂け目が現れていた。



第六章 途絶えよ、滅びの階段 五


初出、SEGAサクラ大戦BBS平成十一年九月十一日



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