嘆きの都
追憶其の六
第五章 狂えよ、はかなき絆 七



第五章 狂えよ、はかなき絆 六


 傾きかけた戦況が戻ってきた。
 小田原戦線は、始まってからずっと降魔側の優位に進んでいたのだ。
 耐えきれずに徐々にだが戦線は後退し、降魔の数は増える一方だった。
 その状況が変わりつつある。
 一般兵に、対魔戦闘用の武器が届き始めたのだ。
 シルスウス結晶で表面処理された軍刀である。

「味なことを考えてくれるぜ、山崎の野郎……」

 宮城戦での傷も完治せぬまま戦い続けてきた米田は、このおかげでようやく休息らしい休息をとることが出来た。
 今は一馬と一緒に、方術士団から派遣されてきた治療師の治療を受けているところである。

「転んでもただでは起きないですね」

 中型降魔はさすがに無理だが、小型降魔ならばこの装備を持った兵が四人いればかろうじて仕留めることが出来るようになっていた。
 強化した網で動きを捉え、複数で取り囲んでようやくではあったが、降魔を倒せると言う事実は、明らかに軍全体の士気を上げていた。


 それは、城内で降魔の指揮を執っている黒鳳にもよく解った。

「大したものだな」

 黒鳳に差し入れを持ってきた相模は、窓から城下を見下ろしつつつぶやいた。

「水地がある種期待していたというのが、方向こそ違え少し私にも納得できるようになった」

 水地が、あと十年あれば山崎真之介を使っていただろう、と言っていたのを黒鳳は思い出した。
 水地が真之介に倒される三日前に、最後に酌み交わした酒の席でだ。
 もちろん、水地が倒されたのは偶然ではないだろう。
 儀式直後で疲労していたのは間違いないはずであるし、そして黒鳳も同様だが明らかに彼らの力は衰えていた。
 長く生きてきた、かつての時代から大きく変貌したこの国にあって。

「しかし、もう一ヶ月以上もった。昨夜各陣の設置は終わったぞ。そろそろここも撤収して構わんと思うが」
「いや、少し待つように渚に言ってくれ。最終準備は山崎真之介がこちらに来てからだ」
「何?」

 黒鳳の言いだしたことが相模には意外だった。
 この小田原は、軍と政府それに方術士団の目を帝都から離しておくのが目的なのである。
 その役割はほぼ果たしたと言って良い。

「奴らをここで迎え撃つつもりか」
「渚やお前たちの手を煩わせたくはない。それに山崎真之介を向こうに残していると、万に一つでも察知される危険性がある。本音を言えば、京極と春日の息子も帝都にいて欲しくはないのだがな」
「そのあたりは向こうもやってくれる」

 相模は妖狐お得意の変化の術を使って、真之介や京極のいる病院などに侵入を試みたのだが、しっかり方術士団が結界を張って防御していた。
 本気になれば無理矢理消し飛ばせることは十分に可能だったが、それでは暗殺にならない。
 今は帝都で騒ぎを起こしたくないのだ。

「しかし、あの連中をまとめて相手にするのはいかなおまえでも難しいぞ」

 対降魔部隊は、帝都内では中型降魔と互角と言うことになっている。
 だが、周囲を気にせず完全に全力を振るえるとなると話は別だ。
 紗蓮の見た京極対一馬の戦いともなると、大型降魔でさえ一人で倒しかねない。
 おそらく、一人一人が自分たちとほぼ互角かそれ以上だろうと相模は考えている。
 それをまとめて三人がかり。
 いかな黒鳳でも無茶と言うより無理だ。

「……年寄りのわがままと思ってくれんか」

 冗談めかして黒鳳は口元で笑った。
 数百年生きているとはいえ、彼はそれほど老いてはいない。
 その笑っていない瞳の先には、中空に浮く粕谷……氏綱があった。

「私があの子にしてやれる、せめてもの償いだ……」

 しばし、沈黙した。
 相模も、それを言われては説得のしようがない。
 思いっ切り大きなため息をついてから、言ってやった。

「そう言う言葉が出てくるとは、確かに老けたな」
「では……」
「一つだけ約束しろ」

 安堵しかけた黒鳳の言葉を遮るように、一言挟み込んだ。

「何だ」
「敗れても構わんが、絶対に死ぬと言うことを考えるな」

 言われた黒鳳は少しびっくりして、それから少し哀しげに目を細める。

「渚ちゃんや、私の妹たちが悲しむ」
「……そうか」

 黒鳳は、本当に自分が年を取ったと思った。
 残された者のことを考えないのは、年を取ったと言うことなのだろう。
 唇の奥で、微かに自嘲の笑みをこぼして、

「約束しよう」



 相模の帰った後で、黒鳳は再び氏綱に向き合っていた。

「そろそろ、手加減無しで行くか」

 戦力も強者たちの注目も集めておくために、戦線を一息に拡大しないように発生を押さえ込んでいたが、

「対降魔部隊……私に滅ぼせると思うか?新十郎……」

 そのつぶやきを聞いていたのは、粕谷だけだったのか。


*     *     *     *     *     *


「一体何があったの?」
「答える義務を認めません」

 おやつどきの休憩の時にあやめは渚に尋ねてみたが、素っ気ない返事が返ってきただけだった。 真之介と違うのは、対応が極めて事務的だと言うことだ。
 無愛想なのとは少し違う。
 食事の時、仲間同士で会話しているときはそう言う気配はあまりないのだが。
 他の相模とか紗蓮とかと比べても、あやめへの対応は一番冷ややかだった。
 最初の頃こそ疑問だったが、仲良くなったあずさがこっそりと教えてくれた。
 渚が、水地に育てられたことを。
 水地を先生と呼ぶとき、渚だけはそこに込めた想いが違うような気がしていたが、なるほどと思った。

 しかし、今の疑問はそれではない。
 儀式時にあやめが拘束されている祭壇の様子が、変化しているのだ。
 四方に掲げられた四神の像が、あやめの生贄中でなくとも強烈な力を有して輝いている。
 おそらく、地脈のどこかで何か変化が起こっているのだと推測はつくが。

「元に戻ろうとしているんだよ。後は自分で考えな、藤枝のお嬢」

 渚にお茶と茶菓子を持ってきたついでにあやめにもくれた優弥が、意味深な答えを残した。


*     *     *     *     *     *


 変わったのはそこだけではない。
 小田原戦線も二週間で状況がまた変わった。

「いくら何でも、多すぎるぜ・・・っ!!」

 このところ、一日平均十体以上の中型降魔を倒している米田は、この日九体目の中型降魔の頭部に神刀滅却を叩きつけつつ、誰に向けたとも知れない愚痴を吐いた。
 いかに対魔装備が全兵の五分の一にまで行き渡ったと言っても、やはり中型降魔ともなると荷が重すぎる。
 小型降魔はシルスウス鋼刀を手にした一般兵に任せて、米田と一馬は中型降魔を倒すことに専念していた。
 元が人間だと言うことは、もはや考えていられない。
 町の大半が破壊されてしまい、一馬が必殺技を放つのに不自由がなくなったのがせめてもの好材料だが。

「破邪剣征、桜花放神!!」

 うまく立ち回って、四体の中型降魔を通りの一直線上に捉えて必殺技を放つ。
 この技は敵意のない味方を巻き込む危険性はないが、通常の物体には十分に作用する。
 帝都内では十二分に使えない技でもあるのだ。
 しかし今周囲にあるのは街ではなく、もはや瓦礫であった。
 やるせない想いと共にそれらの瓦礫を吹き飛ばしつつ、中型降魔四体は一撃で消滅する。
 必殺技を駆使すればここまでのことは出来る。
 しかし、それは同時に霊力を大きく消耗するし、大きな隙を作ることにもなる。

「大佐!」

 まさにその隙を突いて中型降魔二体が迫る。
 だが一馬も、目算無しに隙を作ったわけではない。

「彩光黄輝、光明線衝!!」

 高速で駆け抜けた一撃が、その二体を瞬時に真っ二つにした。
 ほっとすると同時に、ため息をつく一馬。

「完治したのだろうな、真之介君」
「あらかたな」

 不機嫌そうな顔は変わっていない。
 光刀無形を抜いたままの真之介がそこに立っていた。

「それより一馬、今の無様な隙の見せ方は何だ。四六時中剣を振るっているくせに衰えたのか」
「君の気を感じたので、まあ補佐してくれるだろうと思ったんだよ」
「……チッ」

 悪態をつきながらも真之介が、自分たちをかけがえのない仲間としてこだわってくれていることには疑う余地がない一馬である。

「で、あやめがまだ無事かどうかは確認出来ていないのか」

 やはり真之介にとってはそれが最優先らしい。
 ここで微笑むと怒るだろうというのは解っているので口の中だけで笑うことにして置いたが、

「ここまで城に近づいて帰ってきた者はいない。
 強いていうなら最初の杉野中尉だけだが、彼もあやめくんがどうなったのかについては確認できなかったようだ。
 そして、我々が何度か突撃を試みたが城の近くは降魔の数が多すぎる」

 一馬の口調に苦い物が入る。
 そこまでに払われた犠牲の大きさを思い出したのだ。

「おーい、山崎!」

 多分、伝令が連絡したのだろう。
 米田が自転車で走ってきた。
 自転車とて馬鹿にすることなかれ。
 小回りが利く上そこそこの速度が出るので、何十台かが持ち込まれている。
 蒸気自動車は襲われたときに爆発したことがあって以来敬遠されがちだ。

「おまえ、完治するまで動くんじゃねえって琴音に伝えておいた伝言聞いてなかったのか」
「聞いた。だからここまで我慢してきたんだろうが」
「おい」
「見ろ、完治している」

 軍服の腕をまくり、襟元を大きめに開ける。
 確かに外見上の傷はない。

「なるほど、真田先生に感謝せねばなるまいな」



「行ってしまったか」
「行ってしまったわね」

 主のいなくなった病室で、真田は琴音とつぶやき合って大きくため息をついた。
 医者としては極めて不本意だ。
 戦場に行かせ傷つかせるために傷を治す、というのは結局納得することは出来なかった。
 しかし、真田は自分の気を重くしているのがそれだけではないことに少し前から気づいていた。

「あやめくんといい、斧彦君といい、君といい……、そんなに彼は魅力的なのかね」

 彼が一ヶ月半寝込んでいた寝台に腰掛けつつ、あまり尋ねているとは言えない口調で真田は言った。

「あら、そんな疑問に今更答える必要があるかしら」

 そう笑ってから、琴音の眉がふっと翳った。

「でも、中尉とあやめちゃんの間には入れそうもないわ」

 それは、自分と正反対の趣味の持ち主であったはずの男装の麗人に、同情しているようでもあった。

「彼が適度に傷ついて、また戻ってきて欲しいと願うのは……不謹慎かな」
「不謹慎よ」

 そう言い残して、琴音は病室を出た。
 彼は彼で、米田から命ぜられた任務があるのだ。

「暑いな……」

 ぎらついた八月の太陽が、しかし何故か真田には冷たく感じられた。




 そんな会話が同じ頃されていたとは知らない真之介である。
 真田に対して感謝していることは確かだが。

「大体状況は解った。要は城まで突破口を開けばいいんだな」

 八百屋に行って大根を買ってくればいいんだな、とでも言うような口調で真之介は確認する。

「コラ山崎、何にも解ってねえだろ。城門に近づくまでにはおそらく五十体以上の降魔を相手にする羽目になるんだぞ」
「老体二人は翌朝まで休んでろ。それまでには俺が城の周辺を一掃しておく」

 言い方は辛辣だが、真之介の指摘もそう間違っていない。
 米田と一馬はここ十日ほどはほとんど戦い通しだったのだ。
 休養を取らなければいつ倒れてもおかしくない。
 本拠に乗り込もうというときに、三人の内二人がそんな状態では困るのだ。
 少なくとも、一夜まともに休めば全快とは行かずとも五割くらいの力は出せるだろう。
 自惚れているようで、真之介はしっかり身の程をわきまえていた。
 しばらく病室にいて、病人ばかり診てきたからでもないだろうが。
 その判断が、あやめが対降魔部隊に入隊してくる前の無鉄砲さとは大きく変わっている。
 あやめを取り返そうということに逆上しそうになるのを押さえ込んで、全力で頭を巡らせているのだ。

「真之介君」

 一馬の声は、尋ねているのではなく確認するときのそれであった。

「信頼して、いいんだね」
「おい……一馬……」

 米田は呆れかけたが、真之介の表情に気づいて言葉を途中で途切れさせた。
 この二月近く、病院の寝台であやめを助けに生きたい気持ちを抑え続けて、内心苦しんでいたのだろう。
 目の前にいる二人ではなく、その瞳は小田原城へ真っ直ぐに向かい、視線で城を落とせるものならばとっくにそうしていそうな雰囲気だ。

「これ以上、俺が休んでいられるか・・・!」

 若菜に惚れた直後の自分もこんな風だったのかなと、一馬はふっと懐かしく思う。
 米田も、真之介の吐くような言葉にもう近いとは言えなくなった過去を、ふと思い出した。

「わかった。おめえに任せよう。だがこれ以上人質を増やすような真似をするんじゃねえぞ」
「無論だ」




 ドオオンッッ!!

 大砲の音とも違う、稲妻の音とも違う。
 夜を引き裂く光の後、五秒ほどして遠くからそんな音が聞こえてきた。
 その光と音との間隔が、さっきより一秒近く離れて聞こえる。

 蛇足だが、空気中で光は約三十万キロメートル……ほぼ無限大に対して、音は秒速三百四十メートルほどである。
 要するに、先ほどから三百メートルほど遠ざかっている。
 米田と一馬が休み治療士達からせめてもの治療を受けている陣から見ると、すなわちそれだけ城に近づいているのだ。
 魔術と必殺剣の両方を駆使しているのだろうが、おそらく現場では蹴散らす、と言う言葉が適当な状況になっているのだろう。

「……強い……」

 更に沸き上がった紅蓮の炎を遠目に眺めつつ、しかし一馬の口調は感嘆しているのではなかった。
 微かに、掌が冷たい。
 怖れに近いものを覚えているのだ。
 彼の力に。
 考えてみると、全力で戦う真之介と一緒に戦うのは半年以上久しかった。
 真田診療所の庭で、剣術とも喧嘩とも言えない稽古をかなり真剣にやってはいたが、それは霊力も魔力も使わない純粋な剣技と体術の手合わせだった。
 本気で猛る真之介の強さは、一馬にとっても驚嘆すべき物だった。

 まず考える。
 あれを、止めることが出来るだろうかと。
 まだ、可能だろう。
 今彼が見せている強さは、降魔を薙ぎ払うのには適している。
 ほとんど周囲全てが敵となるくらい奥まで入り込んで、必殺技と魔術を隙を補うように連発しているのだろう。
 それは降魔が相手だからこそ有効なのであって、直に戦えば一馬はまだその嵐をかいくぐって真之介に一撃を食らわせて倒すことは可能だと思う。
 だが、その荒削りさを磨いてしまえばどうなるのか。
 真之介は魔術を駆使している。
 実際、その恩恵を受けて自分たちが助けられたことも数え切れないほどある。
 だが、振るわれる力の抑制の無さ、強大さに懸念を抱いてしまう。

 力だ。
 紛うことなく。
 剣ならば米田も一馬も、真之介に剣の道を諭すこともできるだろう。
 だがあの力が、魔に堕ちてしまったら。
 もともと、魔の側面が強いから魔術と日本語訳されるのだ。
 一馬を真に恐れさせているのはその部分であった。

 自分たちが……あやめくんがいる限り、真之介は守るということから大きく外れることはないと信じたいが……、

……いる、限り……

 日付が変わるのを待たずして、派手な音は止んだ。



「……大したものだな」

 用意していた軍勢がほとんど全滅させられていく様を、黒鳳は悔しいを通り越して呆れながら眺めていた。

「新十郎、おまえは正しいよ。あの力を私たちの味方に出来ればと、私でも思う」

 だが、それを待ってはいられない。
 半年以上前、水地が別れ際に言った言葉でもある。
 その水地の為そうとしたことを、弟子の渚が十二分に引き継いでくれている。
 だが……、
 いや、もはや言っても始まるまい。

 配下の烏を一羽呼び寄せて、渚への伝言を伝える。
 真之介の気がほとんど衰えないのに攻撃が止んだが、今のところ城門を開いて入ってくる気配はない。
 来るなら翌朝だろう。
 ならばそれに合わせてやることがある。
 どうせここはおとりなのだ。

「もうすぐだぞ、みんな……」

 その声は階下にいる降魔たちに向けて言ったのではない。
 帝都へ向けて言った言葉。
 だがそれは、現代の帝都へ向けたものでもなかった。



 朝だ。
 一夜にして逆転した形勢に、陸海軍とも驚きを隠せない。
 味方の攻撃とは言え、ほとんど人智を越えた光景を見せつけられたのだから。
 しかし一気に片を付けるのだとの空気が広がり、士気は高まっている。
 対降魔部隊が城へ突入するのを一般兵達は小型降魔を薙ぎ払って露払いし、その後は各個掃討に入ることになっていた。
 複雑な心境なのは、恩赦で軍に復帰した粕谷の配下である。
 粕谷が生きているはずはないので仇をとってもらいたいと思うのだが、二ヶ月前に真田診療所にて他ならぬ真之介によってかなりの数の同志の命が失われているのだから。
 彼らは、真之介を避けるようにして少数がこっそり米田に会いに来て、その願いを託した。

「複雑、だよなあ……」

 準備万端整えつつ、ようやく全快時の五割弱くらいまでは回復した身体で米田は一人こぼした。



第五章 狂えよ、はかなき絆 八


初出、SEGAサクラ大戦BBS平成十一年八月二十七日



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