嘆きの都
追憶其の六
第五章 狂えよ、はかなき絆 八



第五章 狂えよ、はかなき絆 七


 攻撃が始まった。
 真之介が片づけてからまだ半日と経っていない。
 この短時間で新たに現れた降魔の数はそれほど多くはない。
 中型降魔は数体いるのみだが、先頭を突っ走る真之介が真っ正面からまず一体を一撃で倒す。
 そのまま米田と一馬にも出番を与えずに、次々と叩き伏せた。
 一般兵が露払いの役割を果たせなくなっている。
 その無敵ぶりに味方の士気が上がる中、米田と一馬はどこか表情が晴れなかった。

「真之介君、城内には行ったら大規模魔術は使用不可だぞ!」
「言われずとも……!」

 城門を防衛していた一軍がものの数分で真之介一人によってその数を半減させられる。
 そのまま三人が城内に突入するのを上から確認しつつ、黒鳳は帝都に向けて合図を送った。

「さて、そろそろだぞ、氏綱」

 渚がかけた法術を二段階ほど緩めつつ、黒鳳は待った。
 しばしあって、微弱ながら大地を振るわせる揺れが伝わってくる。
 さすがに遠くてはっきりと視認は出来なかったが、黒鳳は直感で長年の願いが達成されたことを確信していた。



 一階と二階を制圧するまで十数分。
 城を破壊するような技こそ使わなかったものの、真之介は吹き荒れるとでも言おうか。
 鬼神のごとき強さだった。

「無理をしすぎるな、真之介君」
「二ヶ月待ったことに比べれば、これくらい無理でも何でもない……」
「本番はこれからなのだ。力を温存させねばならないんだぞ」
「わかってる」

 どうも、あまり解っていないのが明白なのだが。
 そこでふと、真之介が立ち止まった。

「……地震?」

 言われるのとほぼ同時くらいだろうか、米田と一馬もそれに気づいた。
 ここの揺れは微弱である。
 しかし、地震の揺れは震源地からの距離によって減少するもの。
 震源はどこだろう。

「真之介?おまえは地震工学はやっていなかったか?」
「あいにくやっていない。基礎くらいはやっているつもりだったが、震源はわからん」
「そうか……」

 不安は残るのだがやむを得まい。
 この地震が何かを示していたとしても、敵の本陣まで突入して引き返すわけにもいかないのだから。

 更に階段を上がり、三階へ突入する。
 さらに多くの降魔がいると思ったのだが、予想に反して何もなかった。
 ただ、緊張感は高まっている。
 間違いなく。
 この感覚は少しあの時に似ている。
 大空洞の底で、水地が姿を現す寸前……。
 その緊張感を跳ね除けつつ、四階へ駆け上がった。

「あやめは、どこだ」

 誰何の疑問より先に、四階で待っていた人物に対して真之介が言った言葉はこれであった。
 自分の倍近い身長と側頭部に翼を持っている人物であろうが、お構い無しに。

「ここにはいない」

 迎え撃つための台詞をあれこれと考えていた黒鳳だが、これは予想していなかった。

「何だと?」

 顔色を変えたのは米田と一馬だ。
 これほどの降魔を駆使するからにはここでかなりの儀式が行われており、それはつまりここが敵の本拠地になっているからだと思っていたのだ。
 しかしここではない、ということはすなわち、こことは別に本拠地が存在しておりそちらをこの二ヶ月間放置しておいたということになる。
 それが戦略的にどれほど大きな失策であるか、米田には嫌というほど分かる。
 しかも、見渡してみてもここにはあの天辰とか言う術者もいない。
 降魔の大量発生があったとは言え、まんまとしてやられたわけだ。
 だが放っておくわけにいかなかったのも事実である。

「どちらにせよ、今から逃げ帰るとは言わさぬぞ」

 黒鳳の身体からゆらりと気が立ち上る。
 外見から察するに、こいつが粕谷の配下を降魔に変えた術者だろう。
 油断は出来ない。

「もちろん、帰るのはあやめの居場所を吐いてもらってからだ」

 真之介はすでに臨戦態勢だ。

「あやめくんは無事だろうな」
「……無事というのは難しいが、生命と貞操とそれから顔に関しては現在のところ問題がないはずだ」

 真之介が怒りで荒れ狂う性格だと読んで、黒鳳は一馬のよこしてきた質問に律義に答えた。

「現在のところ、か」

 舌打ちしつつ、苦々しい声で答えていた真之介だが、

「水地が気に入ったという君の力、とくと見せてもらうぞ。山崎真之介・・・!」

 黒鳳のこの言葉を聞いて顔色が変わった。

「黙れぇっ!!」

 必殺技ではなく激昂気味に突進しつつ、光刀無形を抜き放った。

「相手は、私だけではない」

 そう言った黒鳳の背後から闇が広がる。

「なっ・・・!!」

 黒鳳の眼前まで迫りながら、突如沸き上がった黒い炎に真之介は阻まれた。
 直撃は避けたが、軍服の裾が焼け落ちた。

「何だ……これは・・・?」

 黒い炎が揺らぐ。
 その奥にあるものがゆっくりとその姿を現した。

『粕谷!?』

……ではないかもしれない。
 叫んだ後で三人はそう思った。
 顔つきは間違いなく陸軍少将粕谷満その人だ。
 だが、少なくとも正常な様子でないことは人目で見て取れた。
 数十センチの中空に立ったままの姿勢で浮かび、虚ろな瞳で周囲に霊の集合体を従えていれば、嫌でも。

 それに、これはそも生きているのだろうか。
 生きているならば助け出さねばならない。
 彼の配下であった坂崎少佐に死の間際に頼まれたことでもある。
 そして、この事態の本質を知っているかもしれない証人でもあるのだ。

「確かに粕谷少将だ。生きているよ」

 米田の疑問に答えるように、黒鳳は告げる。
 全力で戦えないようにするためだった。

 さあ、どうする?

 その問いかけは飲み込んで、黒鳳は粕谷に……いや、氏綱に指示を出した。
 ゴウッという音と共に氏綱の左右に炎が集中して渦巻いて行き、それがやがて実体を持つものとなった。

「ゲッ・・・!?」

 中型降魔……なのだが、やや大きい。
 しかも媒体とする生命体無しでいきなり出現した。

「一馬……、こんなことが可能なのか?幻影じゃねぇか?」
「魔来器とよばれる積層陣には、怨念を集中させてそれだけで降魔を作り出すことが出来ると聞いたことがありますが……今の粕谷少将はその能力を与えられているようですね」

 解説しつつ、一馬としてはやるせない思いがある。
 確かにこの能力は、降魔の軍団を作ろうとしていた粕谷が望んでいたものかもしれない。
 しかしもはや魂まで失い果てたような、こんな姿になることはないだろう・・・!!

「……」

 真之介も、数ヶ月前に生身の粕谷に叩きのめされたことがあるのでかなり寝覚めが悪い。
 倒したいと思っていた相手がこんな様では、怒りのぶつけようがないではないか。
 ギリッとその歯が鳴った。

「力の精霊、我が手に集え・・・っ!」

 粕谷の両腕をへし折った魔術だ。

「行くぞ!」

 魔術を放つと同時に、床を蹴った。

「彩光緑貫、雷神疾走!!」

 浮き上がったままの粕谷には、真之介の詠唱の間に突っ込んで来たあの時の速さはまったく無い。
 それがさらに苛立たしかった。
 結局こういうぶつけ方しか出来ない怒りを込めた一撃。
 だがその攻撃は、止められた。

「・・・!?」

 粕谷の眼前に壁のようなものが現れていた。
 最初に放ったエネルギー弾、叩き込んだ一撃、どちらも止められて真之介の動きが止まったところを左右から中型降魔が襲いかかってくる。

「山崎!」
「真之介君!」

 そこへ二人が止めに入った。
 降魔の振りかざした爪は二人の刀に止められる。
 そのまま雪崩れのように戦闘開始となった。

 しかし、この中型降魔はかなり手強かった。
 この二ヶ月で中型降魔なら何十体と倒している二人だから、圧倒されるというほどではないが、足止めとしては十分な力を持っていた。
 その間に粕谷の周囲には更に二体の降魔が発生しようとしている。

「無限増殖かよっ!?」
「そちらだけを見ていていいのか」

 毒づいた米田の声に、冷ややかに告げる黒鳳の声が重なった。
 いつの間にか、衣の背を裂いて翼が生えている。
 側頭部に生えているものと同様に漆黒だが、翼長は四メートルほどもある大きなものだ。
 その翼が、はばたいた。
 強烈な風が広間を荒れ狂い、その渦が突風として黒鳳の腕から繰り出された。

「黒翼烈風衝!」

 もはやそれは風とは呼べない。
 強烈な圧力を持った大気の一撃だった。
 当然ながら不可視の一撃である。
 防ぎきれずに真之介は、壁まで吹っ飛ばされた。

『!!』

 わずかに一瞬、そちらに注意が行ってしまった米田と一馬の隙を突くかのように黒い炎が湧き上がる。
 さほど高温の炎というわけではない。
 だがそれにもかかわらず二人の全身を苛むような感覚があった。
 鼓膜の裏で叫びがこだまするような感覚だ。

 出せ……

「・・・!?」

 無数の声が重なるような中で、それだけはやけにはっきりと聞こえた。

「なんだかわかんねえが、これ以上構っていられるか!」

 炎を振り払うようにして、米田は神刀滅却を降魔に叩き込む。
 狙い違わず頭部……降魔の実体だ。
 人間に取り付いたものでなくとも、このことは同じらしい。
 いっそ人間が取り付いていないことを考えれば、少し気が楽と言えなくも無いが……。

 とりついて、いる・・・?

 次の降魔に向おうとしたところで、何かが頭の中に引っかかった。
 取り付いている……。
 粕谷の状況はまさにそれではないのか・・・?

「これは……降魔・・・?」
「進化した降魔……というやつか?」
「正式には上級降魔と言う」

 ようやく叩き付けられた壁から身体を引き剥がした真之介が言った言葉に、黒鳳は誉めるように正解を付け加えた。

「おそらく新十郎……水地が解説したのだと思うが、違うか?」
「ああ、巨大降魔のところで丁寧に解説してくれた」
「あれとは少し違うがな。人型で実体化した降魔は上級降魔という。
 一つは下級降魔が進化したもの。もう一つは、元から強力な魂を強力な人間に植え付けるもの」
「てえことはそいつは……、粕谷にとり憑いているのは、北条氏綱だな……」
「御名答だ」

 米田は、粕谷と行動を共にしていた北村海軍少将を問い詰めて、何をやろうとしていたのかを断片的にだが聞き出していた。
 器としてねらっていた真之介を省いて直接降魔実験を行ったかと考えていたのだが、こういうことだったとは。
 降魔実験の張本人……換言すれば降魔の王と言えなくもない。
 この二ヶ月、小田原周辺に限って大量の降魔が出現したのはこういうことだったのか・・・!

「だが、わかっただけでは何にもならぬぞ。対降魔部隊」
「いや、少なくともやることははっきりした」

 口の中を少し切ったのか、たまった血を吐き出して真之介が立ち上がった。

「助けられないとわかったら、倒すだけだ。
 診療所で、粕谷には殺すと予告しておいたからな……」

 付け加えたのは、どこか自分を納得させようとしたのかもしれない。

「自由に技の振るえる、安定した大空洞の底ならばともかく、ここではそうたやすく倒されんぞ」

 水地同様、自分が衰えていることは自覚している黒鳳である。

……あいつは、それでも出向いた……

 そのわけは知っている。
 しかし、納得は最後まで出来なかった。
 今でもだ。
 あの子の泣き疲れた姿を見せられては……。
 自分まで死ぬわけには行かない。
 相模との約束でもある。
 だから黒鳳は、風を基本とする自分に少々制限がかかるのを覚悟の上で、それ以上に大技の振るいにくい屋内での戦闘を選んだのだ。
 あとは氏綱の使い方次第。
 そういう勝算があった。

「あやめがいないなら、この城ごとすっ飛ばす」
「何・・・!?」

 さすがに米田も一馬も黒鳳も自分の耳を疑って聞き返した。

「一馬、そうすればおまえも十二分に戦えるだろう」
「あ、ああ」

 半ば呆然としたまま、思わず真之介の問いに一馬はうなづいてしまった。

「よし、それで決まりでいいな米田。とっとと脱出しろ」
「お、おい、こら、山崎。ちょっと待て……」
「いいから急げ!来たれ、振夜の来訪者よ!」

 真之介の背にも、こちらは魔術で作った力場が正体だが、翼が浮かぶ。

「米田さん、ここは真之介君にまかせましょう」
「一馬まで……、えーい!山崎!成功させろ!」

 幸い、作戦上城内に入り込んでいるのはこの三人だけだ。
 小田原城とは言っても、何らかの魔術で再築した物は文化財にはならないだろう。
 米田も腹を括った。
 しかし……如何に真之介が大規模攻撃に強いとは言え、城一つを破壊することが出来るものだろうか……。
 階段を駆け降りながら、米田は一度だけ振り返った。

「さ…………させるか・・・!!」

 さしもの黒鳳も、我を取り戻すのに時間がかかった。
 氏綱に命令を出すが、それでは間に合わない。
 はばたいて、遠距離から風を叩き込もうとしたが、

「遅いっ!!」

 前に粕谷が自分に向けていった言葉だと、少なくとも記憶の表では気づいていなかった。

「彩光白臨、無限煌帝!!」

 一馬と米田が脱出しただろうと思った瞬間、真之介は両手持ちにした光あふれる光刀無形を大上段から振り下ろした。
 思っただけでのタイミングというのも無茶苦茶な話だが、良いようにとればそれだけ信頼しているということかもしれない。
 事実、二人はそれとほぼ同時に門の外に出ていたから良かったのだが。

「ハアアアアアアアアアアァァァァァッッッッッ!!!!」
「く・・・、こん・・・な・・・っ!!」

 黒鳳は結局防御に回ることしか出来なかった。
 小田原城を引き裂く一閃と共に、窓から、次いで引き裂かれた壁の隙間から、白光が溢れ出ていた。




第五章 狂えよ、はかなき絆 九


初出、SEGAサクラ大戦BBS平成十一年八月二十七日



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