嘆きの都
追憶其の六
第四章 燃えよ、我らが帝都 八



第四章 燃えよ、我らが帝都 七



『オオオオオオオオッ!!』

 悪ガキ六人衆の五人は一斉に宝物庫に向かって駆けだした。
 次は無いという気迫。
 打ち破ることに全てを賭けて彼らは突撃した。

「止めろォっ!何が何でも守りきれぇっ!」
「返してもらう!俺たちの仲間の結晶!」



「決着か……」

 春日は特に意図したわけではないが声が出た。
 優弥がだらだらと引き延ばすつもりが無いのは春日にとって好都合だった。
 人間にとっての五十年は長い。
 長期戦に持ち込まれ、体力の削り合いになれば、七十過ぎた春日に勝ち目はないのだ。

「てめえは、正面から実力で叩きのめす。卑怯な手でやり返したところで、親父たちは喜ばねえ」

 春日の考えを読んだかのように、優弥は言い放った。
 爽快といえば爽快である。
 だが、理想論だ。
 春日は、手段を問うつもりはない。
 七十年の人生で得たものを守るのに、なりふり構うつもりもない。

「私は宮城を守る。この帝都を守る……。
 五十年で世界に追いついた、夢の都、東京だ・・・!」

 幕末の京都に生まれ、ひしひしと感じる欧米列強の恐怖をはね除けんとして、この日本を、その首都たる新都東京を守り続けてきた。
 さもなくば、いみじくもかつて粕谷が言った通り、この日本が列強に飲み込まれていたのだ。
 あの清すらも奴らに屈し、国は散々に乱れた。
 だが日本は、東京は屈しなかった・・・!
 帝都の守護者としての、それが誇りだった。

「黙れよテメエ。どうやって築いた都だ……。
 どれだけの血と涙で作られた都だ!!」

 優弥の声が宮城の夜を震わせる。
 彼の司る大地の力よりも、更に雄弁に。

「東京に限ったことではない。どの都でも繁栄の裏には必ず犠牲者がある。
 だが、同時に多くの人々に幸せを与えてきたぞ」
「侵略者の戯言だ!テメエら千五百年前から何一つ変わっちゃいねえ!」
「それでも、闇に、魔に染まらずに来たのだ。今までも、そしてこれからもだ・・・!」
「屍の上でふんぞり返って喋るんじゃねえ!」

ゴオッ!!

 優弥の気が怒りと共に膨れ上がる。
 荒れ狂うようなその姿は、龍・・・

「これが最後だ……春日玲介・・・!」
「よかろう!」

キィイイイイイィィィンッ!

 春日が複雑に踊らせる両手の間に太陽よりもまぶしい光球が紡がれる。

「滅せよ!天辰優弥!」

 光球と龍が激突し大地が激震するのと、五人が宝物殿に突入したのはほぼ同時だった。



 交錯と共に二つの血しぶきが上がった。
 米田の剣は朱宮の脇腹を、
 朱宮の剣は米田の左肩を切り裂いていた。
 立つべき大地が盛大に激震したことで、絶対とも言える攻防を繰り広げてきた二人もついにお互いの剣をかわせなくなった。

 傷は朱宮の方が深い。
 二人に差があったとすれば、朱宮がここにくるまでに正門で一戦してきたことぐらいだろうか。
 だが、両方ともこれで倒れるような身体ではない。
 微かに笑いあってから、即座に次の攻防が始まった。

 完全な動きを見せていた先ほどまでとは違って、どちらもお互いの剣をかわしきれない。
 手足の先など、相手に近い箇所に次々と傷が刻まれていく。
 食らう傷の数はやはり朱宮の方が多い。
 このままでは削り倒されると判断した。

 剣の交錯から距離を離す。
 朱宮は、全身の集中力を一点に集める。
 これが最後の一撃になる。
 米田も構えた。
 この状況なら霊力を使うことも出来たかも知れないが、その方法は既に米田の思考から欠如していた。
 もはやお互いしか見えていない。
 構えたままで、お互いいい顔で笑っていた。
 どれくらい静止していただろうか。
 月光が微かに翳ったのを合図に、
 二人は最後の一撃を繰り出した。



 全身を太陽の光球によって焼かれ、切り裂かれたものの、優弥の繰り出した龍の姿をとった拳が春日の胸部を貫いていた。

「俺の・・・、勝ちだ・・・」

 噛みしめるように優弥はつぶやく。
 とった。
 五十年の念願を、ついに。
 そう思った瞬間、春日の目がカッと開かれた。

「なっ・・・っ!?」

 即死しているはずだ。どう考えても!
 しかし、ごふりと血の塊を吐き出しながら春日は執念で動いていた。

「せめて・・・おまえだけは帰さぬ・・・」

 背筋どころか、全身が凍るほどの恐怖が満ちた優弥の顔を掴む。

「絶命・・・の・・・秘術・・・」

 そこで、春日はこと切れた。
 その直後、優弥に強烈極まる呪法がかかった。

「これはっ・・・!!」

 忘れようはずもない。
 この呪法だ。彼の父が封ぜられたのは。
 あのときは数十人からの術者がとりまいていた。
 春日は己の絶命を儀式媒体として、一瞬で大規模呪法をしかけてきたのだ。

「負け・・・ねえ・・・っっ!!てめえにだけは・・・、絶対に!!」

 優弥は叫んだ。
 封ぜられようとする地脈をも取り込んで。
 五十年前に倒れた先人たちの嘆きを、五十年前ただ逃げることしかできなかった自分の悔しさを、繰り返さないために。

「オオオオオオオッッ!!」

 龍が、猛る。
 呪法を、鎖でも引きちぎるように打ち破っていく。

ズガシャアンッ!!

 ガラスが砕けるのよりやや低い、何とも言えない音を立てて呪法は砕け散った。
 さすがに全身が重い。
 光球の威力に加えて、この呪法を破るのでかなりの力を使った。

「団長の仇!覚悟ぉっ!」

 その隙を、残された方術士達は見逃さない。
 呪法を吹き飛ばす際に優弥が一緒に吹っ飛ばした春日の遺体を回収に行った一人を除く全員が、一斉に優弥に攻撃をしかけた。
 常ならば軽くはじき飛ばせる攻撃も、今の優弥にはかなりこたえる。
 とにかく、手近にいる奴から直接拳で叩きのめしていくという無茶な方法を採った。
 霊力はまだ残しておかねばならないのだ。



 衝撃に、意識が吹き飛んだかと思った。
 悪ガキ六人衆の副長たる五樹はなんとか立ち上がった。
 宝物庫の扉は何とかなったのだ。
 しかし、禁忌の間の入り口に掛けられていた防御結界はさすがに超強力だった。
 同時に突入した六人衆の五人のうち、打ち破ってなお立っていられたのは五樹一人。
 かろうじて生きていたのは耀次。
 巳継、四方木、波路眼の三人は力尽き息絶えていた。
 五樹も身体の何ヶ所かに深手を負っている。
 しかし、ついにここまでたどり着いたのだ。

「い、五樹・・・、はやく探し出せ・・・」

 耀次の声で五樹は、感傷に浸っている暇はないことを思い出した。
 禁忌の間に収められている宝物は多い。
 全部を持ち帰るのは不可能だった。
 必要なのは、外陣八鬼門封魔陣に関わる黄泉の宝具三種。
 内陣六破星降魔陣に関わり最古とも言われる三魔神器。
 最内陣に関わる、最も新しい四神の守像。
 しかし、ようやくたどり着いた禁忌の間の内部は、

「……やってくれる」

 五樹は唇を噛んだ。
 所狭しと宝物収納箱が並んでいる。
 中にはどうでもよさそうな宝物がゴロゴロしていた。
 本来禁忌の間に収められているのはそのうちの一割にも満たないはずである。
 要するに、ひっくり返った部屋の中から物を探すのは大変なのである。
 木を隠すなら森。
 雑と言えばこれほど雑な守り方もないが、確かに有効な方法であった。
 悩んでいる時間はない。
 いくら何でも本物はまともな箱の中に入っているだろうと決めつけて探すしかなかった。
 まず、大切に収められた箱の中に四神の守像の一つを見つけた。
 ところが次をとかき分けていく宝物の中に、あやうく黄泉の宝具の一つ、黄泉の灯を放り投げてしまいそうになった。
 本気で隠している。
 これは想像以上に向こうが上手だ。
 しかし、のんきに探している時間は与えられなかった。
 近衛軍陸戦隊が迫ってきていたのだ。
 霊力は乏しいが、直接戦闘に長けている。
 本来帝の警護に回っていたはずの者たちが、朱宮軍がバラバラに動いているので各個撃破するために宮城中に散っていたのだが、そのうちのいくつかがこちらに来たのだ。

「五樹・・・!とれた分だけでもなんとか優弥に・・・」

 膝をついたまま、耀次の炎が放たれ陸戦隊を牽制する。
 だが、圧倒的に分が悪い。
 こちらはほとんど妖力なり霊力なりを使い果たしているのだ。

「行け!五樹!」

 禁忌の間の防御結界を突破する際に脚から突っ込んだ耀次の両足は既に歩けるものではなかった。

「わかった・・・!」

 丁度、四神の守像の四つ目を見つけたところだった。
 それと、黄泉の灯と鈴。
 残る三魔神器と黄泉鏡は諦めざるを得なかった。
 このまま探していても全滅するだけだ。
 幼なじみ三人の遺体と、生きている一人を残していくことを感情が拒絶しようとする。
 それを理性で無理矢理叩きのめして五樹は駆けだした。
 耀次は残る力・・・命全てを振り絞って、五樹を追撃しようとする陸戦隊へ最後の炎を放った。 倒しきれない。
 それでも、残ったのは半死半生の者が数えるほどだ。

「あとは・・・頼んだぞ・・・」

 同胞を倒され、怒りに燃えた陸戦隊の一人が、力尽きた耀次にとどめを刺した。
 五樹はそれに振り向くことも許されずに、六つの宝具を抱えて両手がふさがった状態で駆ける。
 陸戦隊も、追いすがる力は残っていない。
 飛んできた投げ槍を背中に何本か受けたようだが、ついに振り切った。

「優弥!」

 宝物庫からやや離れた場所で、方術士達を何とか叩きのめした優弥の姿を見つけて五樹は叫んだ。
 春日玲介の姿がいないところを見ると、倒したのか・・・?

「五樹!」

 安心してその場に倒れ込んだ五樹に優弥はすぐさま駆け寄る。
 五樹の背中には投げ槍が二本深々と刺さっており、他に肩から刀傷もあった。

「全部とはいかなかったが、なんとか四神だけは取り返した・・・」
「……」

 後の四人がいないことを、優弥は尋ねられなかった。
 尋ねずとも、わかりきったことだ……。

「よし、とにかくこの中に入れよう」

 と、優弥が懐から取り出したのは携帯袋。

「ずいぶんと、用意がいいな」
「渚ちゃんが、念のため持って行けってな」
「さすが」

 優弥以外に渡さなかったのは、要らないで済むことを願っていたのだろう。
 五人もいれば、宝物の十個くらい持って帰るのにさほど問題は無かったはずなのだから。
 袋は先ほどの戦いで所々ほつれていたが、六つの宝物は全て入った。

「よし行くぞ五樹。これだけあれば確かに何とかなる。脱出だ」
「ああ……」

 引いた優弥の手に、急に重みが加わった。

「……五樹」

 引いてみた。一度。もう一度。
 応えはない。
 既に、鼓動は止まっていた。

「………五樹……」

 噛みしめた唇から一筋、赤い物がこぼれ落ちる。
 喉から口まで出かかった絶叫を、顔面全てで防ぎきった。

「…………………!」

 先へ進んだ。
 正門、半蔵門、桜田門ではまだ戦いが続いている可能性がある。
 出来るだけ手薄なところを狙って脱出しなければならない。
 だがその前に、優弥にはまだもう一つ仕事が残されていた。



 剣を持つ手に衝撃。
 それから、切り裂く音。
 その間隔が、やけに長く感じられる。
 そして血の滴る音。
 最後に、朱宮が倒れる音が響いた。
 一方の米田の傷はやや浅い。
 振り抜いた剣が刹那よりも短い一瞬だけ早かった。
 大きな、大きすぎる一瞬の差だった。

「朱宮ァッ!」

 急所は外してある、ということはない。
 そんな余裕が出せるのは、ある程度実力差があるときだ。
 勝敗を分けたのは僅かの差。
 それが故に、決着の一撃は致命傷となった。

「おまえの、勝ちだ。米田」

 肩から胸へ走った傷は肺にまで届いているのか、朱宮の声と共に空気の漏れるような音が微かに聞こえる。
 月光の下でさえ鮮やかな赤がその胸を染めつつ。

「喋るな、呼吸を落ち着かせろ。傷が更に開く」

 手当が無駄だというのはどちらもわかっている。
 もはや止血がどうのと言う状態ではない。

「手当はいい……、それよりも、おまえと、こうして話すのも、久しぶりだ……」
「久しぶりか。そうなるな……」

 状況からかけ離れてあまりに穏やかな朱宮の言葉に、米田は現実からやや離れたように答えた。

 最後にやり合ってからしばらく間があった。
 お互い忙しい身分だった。
 思えば、会議場で激突したのは半年、いや、一年ぶりくらいの会話だったような気もする。
 十年、二十年ぶりの気がするのはさすがに気のせいだろうが。

「米田……、私は降魔に、取り憑かれていたのかな……?」
「違うな。おめえは何から何まで、俺の知っている朱宮景太郎だよ」
「そうか。それならば、問題ない……」

 もし、取り憑かれているとすれば……、それはこの帝都全てかも知れない。
 そんな考えが米田の頭をよぎった。
 花の都東京が戦火に包まれるなど、誰が予想したか。
 自分も朱宮も自分の最善と思う方法を目指した。
 しかもその理由は皮肉すぎることに、世界平和と帝都守護。
 魔に取り憑かれていたのでは、断じてない。

「しかし……結果的にはこの様か、俺たちは……」
「おまえに、そう悲観されては、安心して、死んで行けぬぞ……」

 息絶え絶えだというのに、あっさりとも言える口調で朱宮は言い返してきた。

「勝ったのは、おまえなのだからな。この戦いを、終わらせるのも、再発せぬように、守るのも、全て、おまえの仕事だ……」
「わかって、いる。任務放棄はせん」
「そんなことを、してみろ。枕元に、化けて出てやろうでは、ないか……」
「冗談に聞こえねえ」
「もちろん、本気だとも……」

 全身をさいなむ痛み、徐々に迫る死。
 にも関わらず、朱宮は晴れやかに笑った。

「世界の方は、いささか不本意だが、賢人機関に任せよう……」

 自身の描いた世界平和像。
 その実現が出来なくなったことにだけは、朱宮は残念だ、という表情を見せたが、
 それでも米田なら、自分の仲間も、帝都も、この日本も託せる。
 自分の描いた姿と違おうとも、託した未来に不安は無かった。
 四十年の人生を磨き合ってきたこの男に対し、不安は無かった。

「……でかいもの背負わせてくれるぜ」

 朱宮の言うとおりだ。
 この人生に、仕事が増えた。

「ん?誰か来たようだな」

 こちらに向かって近づいてくる気配を感じ、米田は剣を拾い上げた。
 近衛陸戦隊の隊員が遠巻きにしていたようだが、それとは違う……。
 近づいてきたのは、

「天辰か」

 優弥の気配を感じ、朱宮はつぶやいた。

「中将サン……」

 やってきた優弥は、目の前の光景が信じられなくて途中で足が止まった。

「アンタが、負けたのか……」
「見ての、通りだ……」
「信じられねぇ」

 朱宮と米田はほぼ互角。
 優弥も渚もそう見ていた。
 だがそれでも、朱宮が敗れるとは想像していなかった。
 かろうじてのところで勝っていると思っていた。
 米田を倒し疲れ切っているであろうところで最後の交渉をする、そんなつもりで優弥はここにやって来たのだ。

「なら、なんで倒れたまんまなんだ。早く治療しねえと……」
「無駄だ」

 己を殴りつけるような口調とでも言えば適切かも知れない言い方で米田は言った。
 実際のところ、切った米田自身が一番、嫌と言うほど感じていたのだろう。

「熟達した心霊術者でも助けられん」
「俺の仲間なら、もしかしたら助けられるかも知れない」

 一縷の望みをかけて、優弥は言った。
 頭にあったのは渚の能力。
 渚なら、あるいは可能かも知れない。

「だけど、その前にアンタに聞きたいことがある」
「私はな……」

 優弥が尋ねるより先に朱宮は答え始めた。
 米田ほど長くはないが、十年もつき合っていれば聞かなくても薄々わかる。

「先人たちの所行を肯定するつもりはない。
 お前たちを排斥するつもりもない。
 しかし、今この帝都を破壊することは容認出来ん。
 お前たちに先住権があったのは間違いなくとも、今帝都に生きている人々がいるのは紛れもない事実なのだ。
 もうこの街から、今ある蒸気の煙と煉瓦の街並みを消すことなど出来ない。
 私も、米田と共に江戸から変わり行くこの街に生き、守ってきたのだ。
 お前たちと共にこの帝都に生きることが出来るなら・・・」

 苦しい息であろうに、朱宮のその言葉は朗々と響いた。
 優弥は、耐えるように拳を握りしめる。

「無理だ……。
 もう、俺たちの仲間はこの帝都で生きていくことは出来ない。
 先生すらもこの汚れた帝都に力を衰えさせられた……」
「この帝都を、ゆっくりと作り変えていく時間も、無いのだな……」
「もう、待てないんだ。あと一年もこの状態が続けば、俺たちは大半の仲間を失うだろう。
 この帝都から自然の力が失われて行くんだ。これが、最後の機会なんだ・・・!」
「私は、全てを救えるなどとは、思わない……。
 それでも、救える限り救いたいと思い、世界を目指した……。
 それでも、私は人間だ。人間の世界で生き、人間の世界で、失われ行くものを、守ろうとした……。
 今、私が帝都を捨てると、言うことは、米田と共に、生きてきた、人としての私を、否定する、ことだ……」

 十年。
 この男を見てきたからこそ、その言葉にこめられた意味が深く優弥にのしかかった。
 父を亡くしてから、優弥がこんな男になりたいと思った、二人目の男。
 だが、ならばこそ、優弥は諦めきれなかった。

「俺は、あんたに死んでもらいたくない……。
 あんたなら人間と俺たちの間に立てる……。
 この帝都を滅ぼしても、あんたなら違う世界を作れる……」

 不器用な言葉だが、それらはみな優弥の心の奥底から出た言葉だった。

「あんたなら、人間を裁して俺たちと共存させることが出来るって信じてるんだ・・・!!」

 優弥は、過去のこととして言いたくなかった。
 わかっている……。
 朱宮の意志はもう覆せない。
 自分が語るくらいでその意志を覆せるなら、ここまでこの男に憧れることはなかっただろう・・・!

「…………………………、お別れだ。中将サン…………」

 こうなると、自分でも解っていたのかも知れない。
 このために、優弥は霊力を残しておいたのだ。

「あんたの親友と共に……」

 二人のいる場所を中心にして、大地が鳴る。揺らぐ。地割れが走る。
 優弥は最後に残った霊力を掲げ、大地に叩きつけようとした。
 これで、全てが終わる。
 永く見てきた、夢が……

「させぬぞ、天辰・・・!」

 半身を起こした朱宮の一喝が空を裂いた。
 死を間近にしたとは思えぬほどの、いや、おそらくだからこそなのだろう。
 あの威厳とは別の、壮絶なまでの威圧感が優弥の全身を金縛りにした。

「米田は、私に勝った。その勝者を、殺そうとするのは、この私が、断じて許さん・・・!」
「・・・・・・!!」

 優弥は恐怖と感動の嵐に襲われていた。
 朱宮の命の最期の炎。
 これほどまでとは・・・!

「おまえと朱宮の関係は知らんが、俺は死ねなくなったのだ!」

 米田が神刀滅却を手に近づいてくるも、優弥は反応しきれなかった。
 ここで、殺されてもいいかも知れない……。
 迫り来る刀身を、どこか他人事のように思って見つめていた。

「何やってんのよ、アンタは!」

 高い声が響いたかと思うと、優弥の眼前まで来ていた米田を青白い炎が襲った。
 さすがに米田は紙一重でかわしたが。

「何ぼーっとつっ立ってんのよ!」
「あずみか」

 妖狐三兄妹の真ん中になる姉のあずみが、狐火をふるってそこに立っていた。
 確か、渚の指示で帝都各所の封印に柱を打ち込んでいる作業中のはずだったが……。

「おまえの仕事の方はどうした」
「アンタが失敗しないか心配で見に来てやったのに、ずいぶんね。
 それより、五樹たちはどうしたのよ」
「あとだ」

 それは、後で話す、という意味だったのだが、あずみは後から来るという意味だと思った。
 向き直り、そこで、あずみも動けなくなった。

「な……、何なのよ、これ……」

 優弥は答えなかった。
 しばし、朱宮の威力に対抗しようとしていたが、

「……わかった。ここは、俺の、負けだ………」
「……」

 朱宮はその言葉で集中を解き、どうと倒れた。
 米田が即座に駆け寄る。
 優弥も駆け寄ろうとして……、途中で、足を止めた。

「米田……、世話になったな」
「心配すんな。葬式と墓まで世話してやるからよ」
「大逆罪の、罪人だぞ」

 大逆罪。
 すなわち、帝とその親族に対する反逆罪のことである。
 通常の罪とは格が違う。

「知ったことか。俺がやると言ったらやる」

 この男がこう言ったときに、約束を破ったことは一度もない。
 四十年の数々の思い出が脳裏をよぎり、朱宮はうっすらと微笑んだ。

「私の、仲間の、ことも……頼む……………」

 立ちつくしていた優弥は、直立不動で敬礼を取った。
 形式は、見よう見まねだが陸軍様式。
 あずみは、今まで見たことがないほど真剣な優弥の顔を見て、何も言えずにそれに倣う。
 優弥は、うつむく米田の背を見つめていたが、やがて無言であずみの手を引っ張った。
 あずみは文句の声を上げようとしたが、やめた。
 怖いくらいの優弥の顔に従って、静かにその場から去った。

 だが米田には、それらの何も見えていなかった。
 かすかに微笑んでいるように見える顔に雫がこぼれ落ちたかと思うと、視界全てが歪む。
 それを見て、納得しようとしない感情を押しのけて、ようやく頭が理解しようとする。
 幾千の死を見送り、とうに枯れ果てたと思っていた米田自身の涙に他ならないことを。

 朱宮景太郎。
 享年、五十六歳であった。



第五章 狂えよ、はかなき絆 一


初出、SEGAサクラ大戦BBS平成十一年八月六日



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