内乱の一夜が明けた。
フリー記者の長曽我部崇は、一旦宮城に向かったものの入るのは不可能と断念して、潜り込めそうな現場……真田診療所を訪れていた。
「……一体、何があったんだ……」
ここで戦闘があったという話を聞いてきたのだからそれなりの現場を覚悟してきたのであるが、色々な意味でその現場は彼の想像を超えていた。
焼けこげた大量の植物に高熱であぶられたのか変質している地面、更に海軍の部隊が野戦砲の撤去作業をしていた。
地図では周囲に家屋があるのだが、既に原形をとどめていない。
「よいしょ」
と、立入禁止の柵を乗り越えて、診療所の建物に近づいていった。
その周囲で検証しているのは軍ではなくて警察であった。
面子にこだわる軍にしては珍しいが、それ以上に人手が足りないのであろう。
事実、長曽我部はここに来るまでに帝都のそこかしこで忙しく働いている軍人の姿を見ていた。
昨夜戦闘が起こったのは最低でも六ヶ所。
しかも、内乱が完全に鎮圧されたわけではないらしい。
「オイオイ困るよ、長曽我部の旦那」
建物に近づいたところで、顔見知りの塚本巡査長に掴まってしまった。
まあ、身体を隠す場所が無いくらい綺麗さっぱりしているので無理もない。
むしろ、知り合いに見つかった分良しとしよう。
「つれないこと言わないで下さいよ、こちらも仕事なんですし」
「まあ、一応立入禁止とは言ってるけど、見たって壊れた建物しかないぜ。
現場慣れしたウチの上司も首ひねっているよ。
どこをどうやったらこんな無茶な光景が出来るのかね」
現場検証と言うより、単に後始末をやらされているだけのような気がして、塚本はため息をついた。
「じゃあ、原因はさっぱり分からないと?」
しょうがないので、せめて写真機を一回パチリとやって……塚本はもう止める気も失せていた……一応現場を収めておく。
「内乱の原因も何なのかよく解らねえしな。こんな診療所でなんで大戦闘が起こるんだよ」
確かに、まるで話が見えない。
諦めて帰ろうとした長曽我部を、塚本は思い出したことがあって、はたと手をついて呼び止めた。
「そういえば、海軍の連中が妙なことを言っていたな。次は小田原だとか何とか」
「はあ?」
東海道を西に向かおうとでも言うのだろうか。
「ただ、これだけははっきり言えるぜ。まだ、終わっていないってな」
塚本のこの言葉は、不幸にも動かしようのない事実だった。
* * * * * *
最後まで抵抗したのは帝都日報社を占拠した、朱宮中将の腹心秋月少佐の部隊であった。
しかし宮城内の戦いが終わり、同志の伊勢大佐が戦死。
さらに朱宮中将落命が確実な情報であると解ると、秋月少佐は部下に投降を命じた後自刃して果てた。
制圧部隊の指揮を執っていた山口海軍大将はただちに、制圧部隊の副将格であった北村海軍少将とともに次の協議に入った。
北村少将が内乱を企画した内の一人粕谷陸軍少将と懇意であり、この制圧も山口が来なければ内乱の一環であったことも承知の上で、である。
海軍内には軍法会議を開くべしとの声も上がっているが、山口はそんなことをやっている暇など無いと判断した。
海軍まで内乱に陥ることを何としても避けるために、北村をあえて追求することなく軍内に縛りつけるという方法を採ったのだ。
米田同様、山口もただの酔っ払いではない。
その後、運良く陸軍省を離れていた陸軍将官らも集めて、浅葱海軍軍令部長は非常事態の続行を提案。
病院に放り込まれながらも、どこをどう工作したのか一馬の陰謀で休ませてももらえずに陸軍参謀総長代行をやる羽目になった京極陸軍中将も手術後の身でこれをやむなく了承。
このとき、京極は一馬のさらなる恐ろしさを感じ取ったようであるが……。
加藤総理は、内閣総理大臣名で正午前正式にこれを発表した。
陸海軍がいさかいを一時停止してまで迅速に動いたのは、粕谷少将が未だに逃亡していると言うことと、山口が最警戒している小田原近辺が完全に音信不通になっていると言うことがあった。
小田原の中央警察が、魔物に襲われているとの連絡をよこしている最中に断線したのが最後だった。
この内乱が起こるまで、降魔戦争は終局に向かっているという希望的観測があった。
しかし、彼らは現実を突きつけられたのだ。
降魔戦争は終わってなどいないと言うことを。
その恐怖を少しでもぬぐい去るために、彼らが出来ることはせめて迅速に動くことだった。
* * * * * *
「生きているのが信じられませんな」
陸軍病院ではなく、真田診療所に最も近かった市民病院である。
真之介、琴音、斧彦、真田の四名は、大量の怪我人と一緒にここに入院していた。
一馬がこの病室に来るまで、さながら内部は野戦病院の様子を見せていた。
六時間に及ぶ手術を終え、真之介は一応、通常の病室にいる。
状態を尋ねた一馬に真之介担当の須永医師が答えたのがこの台詞であった。
「そんなに悪いのですか」
「良いのか悪いのか解らんよ。致命傷になるほどの傷が六ヶ所もあって、血液量は通常の半分程度まで下がっていたが……」
そこで呆れながらカルテを見る。
「手術後の経過は順調。とりあえず死にそうにはないな」
「はあ……」
一馬もこれには舌を巻いた。
「帝国軍人ってのは優秀だな。もっともいつ意識を取り戻すかは解らんし、全治に半年くらいは見ておいてくれよ」
それだけ言うと須永はあくびをかみ殺しつつ病室を出ていった。
何でも、深夜寝ようとしたところを呼び出され、一睡もできないまま何十人と処置した後だったらしい。
ともかく、真之介に話を聞くのは無理らしい。
しょうがないので、その場に居合わせたはずの斧彦と琴音に話を聞きに行くことにした。
なお、防御結界に霊力を使い尽くした真田光診療所長の意識はまだ戻っていないらしい。
「私たちを吹っ飛ばしたのは、髪が腰まである美形だったわ。でもね……どうもアタシ好みじゃなかったのよねー」
斧彦らしいといえばらしい分析が返ってきた。
「おそらく藤枝少尉を奪ったのは粕谷少将じゃなくてそいつだと思います」
こちらは右腕をつり下げられている琴音。
吹っ飛ばされたときに折れたらしい。
「そういえば、粕谷少将が山口大将の包囲網を突破したときは一人と言っていたな」
両手を使えない状態で、包囲網を鬼神のごとき強さで突破したという報告を受けていた。
「……その人物に見覚えはないか?」
「いえ、初めて見た顔でしたわ。あれだけの美形なら見忘れるはずはありません。ねえ斧彦」
「ええ。あ、でも……」
思い出したように斧彦がはたと手を打った。
「何だ。何か思いだしたのか」
「ええ、私が気を失う寸前に粕谷少将が”たかね”って言っていたように思うんです。多分そいつの名前じゃないかしら」
「ふむ、そいつは手がかりだな。また何か思い出したら頼む」
意識の無いままの真田診療所長を見舞ってから、一馬は宮城へ向かった。
比較的軽傷で骨折もしていない一馬には、色々と仕事が回ってきているのだ。
京極を縛りつけるために名目上陸軍大臣代行につけるなど、裏工作ばっかりで彼自身もほとんど眠っていないのだが、眠る気はしなかった。
目がさえていたと言うこともあるし、今意識を失えば無数の死者たちに引いて行かれそうな気がしたのだ。
* * * * * *
帝都各地の大きな神社、仏閣は揃って遺体安置所と化していた。
行方不明者も多いが、それでも確保できる死者だけでも五百名を越えているのだ。
実数がどれくらいかは一応の調査が進んでいたが、いつ終わるかは誰にも解らなかった。
そして、そんな大きな行事とは無縁そうなこぢんまりとした寺の一つに、米田の姿があった。
全身至るところに包帯が巻かれてありさながら脱院患者の様子だが、本人の姿勢はしっかりしている。
これでも昼前まで軍議に出席していたのだ。
線香の何とも言えない匂いがたちこめた本堂で、静かに経を読む声が響く。
目の前に座っている和尚の声を聞きながら、米田はほとんど瞬きもせずに彼とその向こうにある木製の物体を見つめていた。
チーンッ
経が終わり、澄んだ音が黄泉まで届けと言うかのように境内に木霊する。
「……この歳まで生きて、お主らのどちらかでも見送ることになろうとはな……」
今年九十三になるとは思えない声は、しかしその年齢よりも更に老いて聞こえた。
声と言うよりも、それはため息がようやく音を持ったという方が適切かも知れない。
米田を子供の頃から見つめてきたその目が振り返る。
怒りもない。
咎めもない。
ただ、哀しみだけをたたえた視線。
だからこそ、米田にはこたえた。
しばらく、その視線を米田は黙って受け止める。
悪ガキだった頃は何度と無く世話になり殴られたものだ。
殴られなくなったのはいつ頃からだろう。
……朱宮と会って、米田が変わった頃からだ。
「また、夜になったら来るわ」
和尚が視線を外すのを待ってから、米田は立ち上がった。
「誰にも知らせずに、よいのか」
「公爵には、後で俺から連絡するよ」
木製の物体……棺に収められているのは朱宮の遺体に他ならない。
昨夜宮城での戦いの趨勢がはっきりしたところで、米田は密かに朱宮の遺体を抱えて宮城を脱出し、この寺に駆け込んだのだ。
放っておけば、反逆者……大逆罪者の死体として相応の扱いを受ける。
軍の士気を上げるためにはしばしば用いられる手段とはいえ、友としてそれは断じて許せないことだった。
だからこそ、誰にも知らせないのだ。
心情としては多くの人を集めたいところだが、それもできない。
密葬にするしかなかった。
どちらにせよ、夏が近い。
遺体は速やかに処置しなければならなかった。
生物の身体は、死ねば朽ちていく。
たとえ、昨日まで生きていたとしてもだ。
「通夜には、酒持ってくるわ」
「景太郎は嫌いじゃったろうに」
そこで米田は笑おうとした。
唇の端を上げようとして……出来なかった。
「最後だからな。こいつと酌み交わす、二度目で最後の……」
そして、今の米田に立ち止まっている時間は多くは許されないのだから。