嘆きの都
追憶其の六
第三章 告げよ、静寂の終わり 二



第三章 告げよ、静寂の終わり 一



 本会議で採決が終了し、ようやく公表された審議案の内容を受け取った春日方術士団長は、朱宮にものの見事にやられたことを悟った。
 そして対応を決める間も与えずに、朱宮本人が三人の元老と五人の公爵を引き連れてその日の夜、宮城を訪れた。
 取り次ぎの手続きを正式に踏んだ訪問であったが、宮城側にしてみればほとんど強襲されたと思うほどの朱宮の迅速さであった。

 春日は、自ら入り口まで出向いて迎えた。
 ……いや、迎えうったという方が正しいかも知れない。
 近づいてくる朱宮中将の姿に王者の威厳を覚えているという事実を、春日は頭の中で必死に否定しようとしていた。
 思わず跪きそうになる自分を何とか抑えつつ、その正面に立ちはだかる。

「朱宮中将……、貴君の考えていたのはこういうことだったのか・・・っ!」
「貴族院の五分の三、枢密院の全会の賛成を以て要請いたします、春日殿。禁忌の間の封を解き、魔神器以下主要祭器を提出して下さい」

 可決内容を伝えた文と内容は同じである。
 しかし、こうして相対して話すとその威圧感は脅威的なものであった。
 枢密院の元老すら彼に従っているのは、もちろん打算もあるだろうがそれだけではあるまい。
 政界を、彼はほぼ完全に掌握したようだ。

 その威圧感だけで吹き飛ばされそうになりながらも、春日は必死に踏みとどまった。
 並の人間はおろか、かなりの使い手であっても彼の意に逆らうことは困難だろう。
 春日は言い返すのに全身全霊を振り絞らねばならなかった。

「……ことがこと故、方術士団だけでは返答致しかねる。侍従長らとも協議の後お答えしよう」
「禁忌の間の管理はあなた方方術士団です、問題はありません」

 朱宮は宮城の内部事情にも通じている。
 小手先のごまかしは通じなかった。

「……帝のご容体の回復もできれば待っていただきたい」

 不敬ではあるが、この切り札を放たざるを得なかった。
 朱宮の軍人ぶりは有名である。
 軍を統括する帝の御名を出せば……

「解りました。帝の一刻も早いご回復をお祈り申し上げます」

 一礼した後、鮮やかに身を翻して引き連れた元老らと頷きあってから、朱宮はひとまず引き下がった。
 彼らの姿が門の向こうに見えなくなったところで、春日は全身から滝のように汗を流しつつその場に倒れ込んだ。

「だ、団長!」

 朱宮の前に、一歩も動けなかった団員らがようやく動けるようになり、春日に駆け寄る。

「……大丈夫だ……。朱宮中将は私に攻撃をしかけたわけではない……」

 実際に戦えばほぼ互角くらいではないかと思うのだが、朱宮の真の恐ろしさは戦おうとする気にすらさせないことかも知れない。
 それに対抗しようとして、春日はこうなったのだ。

「それよりも、至急米田中将と一馬に連絡を取るのだ……」


*     *     *     *     *     *


 朱宮中将動く。

 この報はその日の内に帝都の関係者の間を駆けめぐった。
 情報規制された内側では、各所が均衡が破れた事による次の動向を探ろうと躍起になっていた。
 それは、対立陣営ならばなおさらのことである。
 朱宮と同様に降魔を操って、しかし朱宮と違う手段を考えていた粕谷陸軍少将にしてみれば、心中穏やかでいられるはずもなかった。

「これは一体どういうことだ・・・!」
「そういう手段で来ましたか」

 粕谷に呼び出された術者二人、高音と風塵は報告書を読んでなるほどと頷く。
 一応、技術顧問の扱いである。

「こちらには朱宮中将の意図が解らん。解説してもらえるかな」

 最近は当たり前のように粕谷と会談を繰り返している北村海軍少将も渋い顔で尋ねる。

「……、北条氏綱が降魔を作り出したことは前にお話ししましたが、覚えていらっしゃいますね」

 高音は口調は丁寧なのだが、授業するかのような顔で黒板の前に立ち、チョークを手に取った。
 「北条氏綱」から矢印を引いて「陰陽師」、その少し下に「降魔実験」と書く。

「幻の大地大和を沈めたというあれだな。あんな話、忘れたくとも忘れられん」
「氏綱は陰陽師たちを集めて実験を行いましたが、非常に大人数の陰陽師を常時維持して置くというのは難しく、降魔を操るには不安定過ぎます。
 いくつか制御装置を作り、実験を円滑に進めたと考える方が自然でしょう」

 「降魔実験」と「陰陽師」の間に「祭器」と書き、「氏綱」からまた線を引く。

「その祭器が、宮城に現存していたということか」
「このあたりは、元公爵家の出でいらっしゃる朱宮中将が上手だったということですね」

 高音の口調は、いっそ朱宮を誉めているようにすら聞こえた。

「……それを用いれば……」
「あくまで朱宮中将側の能力次第ですが、降魔実験を追試して降魔を支配下に置くことも不可能ではないでしょう」

 聞きたくなかった答えである。
 粕谷は歯ぎしりした。
 朱宮中将だからこそ出来た手だ。
 自分にはあんな真似は出来なかった。

 自分に出来たことは、家族も顧みずに打ち込んできたこの軍人としての道に頼ることだけだった。
 自分の生きてきた道が正しかったという意識はない。
 むしろ、後悔することの方が多かった。
 晩婚だが結婚し、娘がいたこともある。

 だが、結婚してすぐ満州に出向きそのまま日露戦争に突入。
 戦後処理を終え、帰ってきたときには妻は娘と共に蒸発していた。
 責めるつもりはない。
 家にいたのは結婚直後のわずか三日。
 軍の機密を守るため、手紙すら満足に出せなかった。
 ただ、子供の名前だけはつけた。
 手紙に、男なら満隆、女ならこずえとだけ書いて送った。
 後で噂に聞いたが、女だったらしい。

 ひどい男だ。
 ふさわしい末路かも知れない。
 己の家族すら守れないような男が、世界を守れるなどと思ったのか。
 情けなさが高じて、いっそ笑ってしまいそうだ。
 声を上げて笑いそうになって、そこで何かが彼を止めた。
 沸き上がってくる想いがある。

 まだ………だ。

 まだ、この帝都か、この日本のどこかに妻と娘は生きているかも知れないのだ。
 また私は見捨てるところだった。

「祭器に対抗する手段はあるか」

 瞳に炎を宿し立ち上がった粕谷に、沈みかけていた一同が注目する。
 我らの将はまだ、あきらめてはいない・・・!

「あれらの祭器は本来氏綱が用いるために作られたもの。氏綱の魂さえこちらにあれば十分に対抗は可能です」

 高音は特に感動も見せずに、用意していたかのようにすらすらと答えた。

「よし、おそらく春日殿のことだ。素直に朱宮中将に祭器は差し出すまい。大混乱が起こるだろう。対降魔部隊にも必ず隙が生じるはず。
 そのとき、我らは藤と王を手中にするのだ。そのときまで、諸君らの魂を私に預けてくれ!」
『ハッ!』


*     *     *     *     *     *


 一方、対降魔部隊の面々は、第二執務室と化した感のある真田診療所の待合室で顔を揃えていた。 家主である真田診療所長と、宮城からの連絡を持ってきた情報部の大河原少佐、すっかり護衛官が身に付いてきた琴音と斧彦も同席している。

「というわけでまあ、あの野郎がやってくれたわ」

 米田は、集まった面々に大まかな状況を説明してから、ため息と共に言った。
 先を行かれたことを悔しがりつつも、どこか親友である朱宮に対する感嘆の念も否定できなかった。

「よほど内情に詳しくなければ出来ませんね、これは」

 朱宮が宮城に提出した請求の一覧の中に魔神器の名を見つけて、一馬はつとめて動揺しないように気をつけていた。
 米田には見抜かれているだろうが、若い二人にはあまり気を使わせたくない。
 この宝物が過去、破邪の血統の命を幾度も奪ってきたこと。

「疑問なんですけど……今の軍の勢力均衡の中で、どうして朱宮中将の採った決議が有効になってしまうんですか」

 かなりの実務能力を見せるあやめであるが、今回は状況が面倒すぎる。
 これでも最近しっかり勉強しているのだが。

「そこがあいつのすげえところでな……」

 やれやれとつぶやきながら椅子にどう、と腰掛ける。

「この請求文には、軍事的な発動のことは何一つ書かれていない。つまりこの文は、貴族院と枢密院が純粋に政治的に祭器の提出を求めただけの文書と言うことになるのさ」
「朱宮中将が両軍協議会で一度でも祭器のことを口にしていればそれを指摘することも出来たんだけどね」

 そんな失敗を犯すような朱宮中将ではない。

「朱宮中将が偉いのは解ったが、これからこちらはどういう手を取ればいい。向こうの手が読めんか」

 米田と一馬に及ばないのが解って少し憮然としている真之介がせっついた。

「言ってくれるな、山崎。確かに読めんことはない……。だがな、あいつが同様に俺の考えを読んでくるということも断っておくぞ」
「構わん。いずれにせよこのままではこちらも何をしていいのか解らん」

 如何に天才と言われる真之介でもやはりこのあたりは経験がものをいう領域だ。
 まして相手は、歴戦の名将朱宮景太郎なのである。

「まずこの後の情勢だがな……。貴族院を押さえられているから苦しいが、春日殿は何とか宮城会議で反対を決議するように努力するだろう。我々は直接間接に春日殿を援護する。
 反対決議を引き出せたとして、あいつが次に打つ手はな……」

 米田はそこで一拍置いた。

「自分が摂政になることだ」
『なっ・・・・・・・・・!!??』

 摂政とは、帝が年齢やその他の理由で政務に支障をきたされると判断されたときに置かれる役職である。
 古くは聖徳太子が推古天皇の摂政であり、平安時代には藤原氏が政権を握るために帝の外戚となってこの立場を手に入れた。

「そんな馬鹿な!不可能だ!」
「……可能なんだよ、それが」

 叫んだ真之介に、まあ落ち着けと示して、米田は大きくため息をつく。

「前に話さなかったか?あいつが公爵家の長子だってこたあ。おまけに今のあいつは貴族院と枢密院を押さえている。可決に支障はない」
「そして、摂政になってしまえば御前会議を完全に掌握できる、ということですね」

 合点がいった一馬の付け加えに米田は渋い顔で頷く。

「あいつのことだ。もう枢密院には議案を出しているかも知れん」
「……帝国憲法の宮城条項を理由に司法対決に持ち込めんか?」

 悩みながら真之介が口にした提案に、苦かった米田の顔がニヤリと変わった。
 確かに帝国憲法の第十七条に、皇室典範の定る所に依る、との記述がある。
 成文化されているのだ。

「同感だな。やるじゃねえか山崎。俺もそいつを考えている」
「でも……、朱宮中将は司法関係も強いんじゃないですか」
「確かに。情報部で手に負えなくなった裁判は朱宮中将、というのが慣例であるしな」

 独立部隊である対降魔部隊にある米田と同じくらい、軍の指揮系統順列からはずれた存在なのだ。
 情報部に所属している大河原は、実際に朱宮に頼みに行った経験がある。

「時間が稼げればいいんだよ。半年……いや、三ヶ月もあればいい」

 その米田の言葉に、皆疑問の表情を浮かべた。
 まるで筋が通らなかったからだ。
 言った米田が、「いい」と言いつつも苦悶に似た表情を浮かべていることもある。

「解っているのか米田。この調子で三ヶ月も待っていたら帝都全域での降魔の数が……」

 真之介は言いかけた言葉をそこで止めた。
 米田が何とも言えない目でこちらを見ている。

「そういう……ことですか……」

 言葉の続けられなくなった真之介の肩をポンと叩いて、肩代わりするように一馬が答えた。

「ああ」

 現在、帝都にはびこる降魔の数は徐々にだが確実に増加傾向にある。
 もちろん、見かけるのはまだ小型降魔止まりだが。
 既に降魔による犠牲者は何人か出ている。
 騒ぎになっていないのは報道管制がかかっているのだ。
 しかし、これ以上増えればもはや隠しようが無くなる。
 世論が降魔討つべしと声高に叫べば、このデモクラシーの時代に無視は出来ないはずだ。

 そのときは同時に米田は自分の名前も利用するつもりだった。
 日露戦争に於いて退却戦を見事に成功させ、数多くの兵士たちの命を救った人命守護の名将米田一基の名で、帝都を守るための戦いと声高に言える。
 功名心などほとんど無い米田だが、いざとなれば自分の名を十二分に活用することくらいいくらでも目をつぶれる。
 その前に、出さざるを得ない犠牲者の方こそ、米田は容認しがたいのだが。
 それでも、戦場では小を殺してでも大を生かすのが大前提なのである。
………あのときと同じように。

「それ以外の選択は、無いのですか」

 中心となる輪から一歩引いて聞いていた真田所長が少し間をとってから遠慮がちに尋ねた。
 この診療所にも、ここ二ヶ月ほどの間に五件ほど、魔物に襲われたらしい患者がかつぎ込まれている。
 これ以上の事態の悪化は医者として容認しがたい。
 琴音や斧彦も遠慮した質問に、あえて真田は踏み込んだ。

「……無いわけではありませんが、どちらかというと向こうの動向次第になります」

 大家さんである真田には、米田も少々遠慮気味に答える。

「いつになるか解りませんが、朱宮の奴がこれに気づいたら司法対決を途中でうち切って実力行使に出るでしょう。そうなるとどちらに転んでも短期決戦になります」
「実力行使とは……禁忌の間の武力制圧……?」
「……そうです」

 どちらにしても犠牲者は避けられないと言うことか……。
 これは戦争なのだ。
 今が一時的に休戦に思えているだけで、降魔戦争は続いているのだ。

「そうなったときには、俺があいつを止める。他の誰にも出来はしねえ、やらせはしねえ」

 反論は許さねえぞという米田の目だった。
 戦略家の目でも名将の目でもない。
 一人の武人の目だ。

「……俺たちはずっと休業か」

 いい加減、腕が鈍ってきているのではないかと感じている真之介が、米田の剣幕に正面から逆らえないで、やや明後日の方向を見つめながらつぶやく。
 米田はその表情に苦笑して、やや表情を和らげる。

「気を抜くなよ。怖いのは粕谷と北村がそこを狙ってくる可能性だ。おめえはあやめくんを必ず守り通せ」
「……了解」

 今度は別の方向を眺めつつぶっきらぼうに答える真之介である。
 あやめがこっそり笑ったのに気づいていたのやら。

「ただ、ここまで言っておいて何だが、これだけは忘れんな。朱宮景太郎という男は、どんな定規を持ってきたって計りきれん男だと言うことをな」


*     *     *     *     *     *


「米田、おまえが見せてくれたのだったな……。先に殴り、相手に反撃を許さずに勝つという無茶な喧嘩の仕方は……」

 もう四十年ほど前になる昔に想いを馳せつつ、朱宮は一人つぶやいた。
 抜刀隊の入隊試験で延々やり合った翌日、華族育ちの自分を下町に引っ張ってくれたときだ。
 様々な物を見せ、色々な物を体験させてくれた。
 絡んできたチンピラ相手に米田がやった喧嘩の仕方は、いっそ見事ですらあった。
 今の戦略家としての米田からはおそらく誰も想像できないだろうが、かなり無茶な喧嘩の仕方も出来る男だ。

 おめえ、品が良すぎるからなめられんようにな。

 おかげでずいぶん鍛えられた。
 米田は自分の思考を読んでくるだろうが、そこに自分自身の考えを上乗せすることが果たして出来るかな……。

コンコン

 遠慮がちに扉がなった。

「秋月か」
「失礼致します」

 陸軍内に十人ほどいる腹心中の腹心だ。
 朱宮が政界工作に時間をとられながらも今まで準備が進められたのはこの男の手腕に寄るところが大きい。

「どうなった」
「書類上の手続きは全て突破しました。準備にあと十日とかからないでしょう」

 朱宮の試算より五日ほど早い。
 有能だった。

「どうやって突破した?」
「それについて少々報告を」

 秋月は鞄に書類を束にして持って来ていた。

「ふむ」

 粕谷、北村の陣営の動きが活発だった。
 しょっちゅう演習をしている。
 なるほど、書類上はこれに紛れ込ませたのだ。
 しかし、粕谷のこの演習回数は無視できない。
 一つは、今すぐにでも軍を動かせる状態にあること。
 もう一つは、既に降魔の使用を可能にしている可能性。
 秋月の報告はそれらについて詳細だった。

「真田診療所周辺には、常に見張りが待機しているようです。
 それから閣下の想像通り、昨日粕谷少将は偽名で付近の家屋を十数件ほど借りています」

 どうやら粕谷は本当に藤枝少尉を奪取するつもりらしい。
 天辰が言っていた方法の目処をつけたのだろうか。

「このことは米田に知らせてやろう」

 朱宮は悪戯をするかのような顔で、粕谷に関する報告書をつまんだ。

「しっかりと対策を打っていただかないといけませんね」

 秋月は同じ笑顔で答えるが、その笑いのまましばらく表情を止めた。
 二人ともそのままで、手を複雑に動かし始めた。
 盗聴を防ぐために、手話を使っているのだ。
 念を入れて、いくつか暗号化までしてある。

”京極の動きはどうなっている?”
”軍の一部は配備を終えています。また外陣とおぼしき場所での、異様な大男と同行している目撃報告がさらにもう一件”
”参謀本部執務室近辺では何か”
”警備が厳重で何も解りません”

 朱宮はしばし考え込んだ。
 こちらの手勢の中に、やり手の陰陽師らしい京極に対抗しうる人材は残念ながら無い。
 ただ押さえるだけならいいが、朱宮は、京極がなんらかの術者であると推測をつけていた。
 事実、それを裏付けるような動きを察知したからここまで用心しているのだ。
 こうなると、数百人からの軍勢を送り込んでもやられる可能性があるし、そこまで数が割けない。

……何もこちらで押さえなくともよいか……

 ふと考えついたのは対降魔部隊の真宮寺一馬大佐だった。
 魔を狩る者の血統、真宮寺家についてはこの二ヶ月で調べ上げた。
 京極についてこちらが持っている情報を送れば、おそらく彼は動かざるを得まい。
 ただ、問題がある。
 これだけ様々に手を打つと、米田にこちらの動きを悟られる可能性が高くなる。
 しかし、真宮寺を京極に当て、粕谷に対して山崎とすれば、宮城に来るのは米田一人。
 一騎当千の対降魔部隊を完全に分散させる利点もある。
 連絡の通知をこちらの決行直前に行えば、向こうに対抗策を打つ暇も与えずに行けるだろう。

 そして、米田を相手にして、負けるつもりはない。

”それについては私が手を打つ。予定通り決行だ”

*     *     *     *     *     *


 一足先にこの場に来て、高音渚は不思議と落ち着いた気分で待っていた。
 探知系術法に対する結界は三重に敷いてある。
 静かな闇が漂うこの祭壇……元は師が造ったというこの場所が、渚は好きだった。

「瞳を助ける者よ……」

 そうつぶやいて、右手に小さな光の塊を出現させる。

「えいっ」

 特に力を込めた風もなく、左やや後方に向かって、光をぽーんと放り投げた。

「よっ、当ったりー」

 片手でその光球を掴んで、地面にはねつけて遊びながら、天辰優弥はいつもよりちょっときめた格好で姿を現した。
 正装ではないが、それに準ずる格好だ。
 しかし、笑顔たっぷりである。

「優弥さん、お久しぶり」
「後ろからがばーっと驚かしてやるつもりだったのになあ」
「ふぉふぉふぉ、最近は渚ちゃんの方が一枚上手じゃのう」

 さらにもう一人、年老いた声が響いた。

「ちぇー、言ってくれるよ」
「だから、ちゃんは止めて下さい、おじいちゃん」

 ふわふわとした物が二台。
 うち一台に乗って木喰は姿を現した。
 もう一台には、なにやら呪術的な物品が満載されてある。

「しかしのう。なーんでいつも水地は『先生』で、儂は単に『お爺ちゃん』なんじゃあ。ぶつぶつ……」
「先生は先生。おじいちゃんはおじいちゃんですから」

 いまいち不満らしい木喰だったが、渚の笑顔にそれ以上文句を続けられなくなってしまった。

「ひがむなよじっちゃん。渚ちゃんにとって先生は特別なんだから」
「本来、おまえにじっちゃん呼ばわりされるいわれはないんじゃぞ」
「何言ってんだよ。俺がガキの頃からそんな顔していたくせに」

 優弥のこの言葉に横で渚がくすくす笑ったので、また木喰は納得してしまった。
 本当はそこまで歳ではないと言いたかったのだが。

「ほれ、追加注文も含めて何とか出来上がっておるぞ」

 言われて優弥は、輸送機から物品を降ろし始めた。
 全体に無数の穴が空いた巨大な槍……いや、柱だろうか。
 それが二十本ほど。
 一本一本がずしりと重いが、優弥は軽々と運んでいた。

「お、続きが来たか」

 青白い炎を先導にして、女性が三人、男が一人。
 うち男一人と女二人は外見的特徴がよく似ている。
 言い換えれば、人間離れしているとも言うが。
 頭から狐の耳を生やし、それぞれが複数の尾を持っている。
 長兄の相模が五本、姉妹であるあずみとあずさがそれぞれ四本と三本。
 三人とも妖狐と呼ばれる古い妖怪の一族だ。

スパーンッ

 姉の方のあずみが取り出したハリセンで優弥をはたいた。

「誰が続きよ。渚じゃなくてあんたに召集されるだけでも心外だってのに」
「カリカリするなよあずみ。それでなくとも嫁の貰い手がなくなるぞ」
「優弥、アンタ姉さんに向かって言うに事欠いてなんてコト!」
「ウチの妹に素敵な言葉をありがとう」

 相模が優弥の襟首をひっつかむのに対して、優弥もニヤニヤ顔で相模の首元を掴んだ。

「はいはい、そこまでになさい」

 呆れたように、優雅な着物をまとったもう一人の女性、紗蓮が止めに入った。
 一人前の女性なのだが、声は幼女のように高い。
 それにしても、慣れた仕草である。
 どうやらいつものことらしい。

「いつもながら、仲のいいことだな」

 紗蓮を助けるように、背の高い影が実体化した。
 優弥が小さく見えるほどの長身で、髪の毛から纏っている衣、靴の先まで全身黒だ。
 耳の代わりに、側頭部から烏のそれを思わせる翼が生えている。

「黒鳳、私と優弥を親友呼ばわりするのは止めろと何度言えば解る」
「事実を伴うようになってからもう一度提言することだ」

 黒鳳は、相模につれなく言い返してから優弥に向き直る。

「全員揃ったところでそろそろ説明してよ、優弥」

 妖狐の妹あずさが、黒鳳が言いかけた言葉を奪い取って、優弥の服の端を引っ張ってせっつく。
 黒鳳はあずさの頭をポンポンと叩いて苦笑した。
 これも慣れているらしい。
 優弥は改めて一同を見渡してから口を開いた。

「俺が協力している中将サンが、思っていたより早く動き出した。
 数日中には宮城に攻め込むことになる」
「朱宮中将だったな。予想ではあと二ヶ月かかるんじゃなかったのか」
「そこがあの人のスゲえところ。米田中将に打たれる手を全て打ち破るには、これが最上と言うことらしい」

 優弥の口調は心底朱宮を誉めているものだった。

「というわけで、多分雪崩式に状況が動くので、こちらも作戦の変更が必要になった」

 優弥はそこで渚に視線でバトンタッチする。
 渚は頷いてあとを続けた。

「決行前後の状況ですが、おそらく米田中将は朱宮中将を単独でも止めに行くでしょう。
 粕谷……は混乱に乗じて藤枝あやめを奪取しに動きます。
 厄介なのは、これを機に動こうとしている京極慶吾です。
 朱宮中将が真宮寺一馬をぶつけようとしていますけど、京極が相手な上に風塵と金剛の二人も守っているところですから事態は読めません」

 講義で慣れていることもあって、渚はすらすらと説明を述べ、一同に確認する。

「概ねそんなところであろう。確かにこの機を逃すわけには行かぬ」
「ちょっと待て、あと二ヶ月のつもりで動いていたんだぞ。私と妹たちの三人に他の者たちまで手伝ってもらって全力で動いても、準備が終わるまで最低でもあと一ヶ月……いや、三週間は欲しい」

 今日木喰が持ってきた柱に視線を向けつつ、相模が黒鳳の言葉に異議を唱えた。
 直接渚に向かって反論はしない。
 妹二人もうんうんと頷く。
 ここにいる面々以外にも人手はないわけではない。
 ただ、ここでの生活維持もあれば、この町の防衛にも人手は欠かせないのだ。

「方策はあります。黒鳳さんに無理をお願いすることになりますけど……」
「渚の頼みなら是非もない。言いなさい」

 黒鳳は、渚を安心させるために迷い無く答える。
 そして、それだけの自信を裏付けるだけの実力をこの男は持っているのだ。

「では、小田原城を使います。時間稼ぎのためにも降魔の配置準備を平行してお願いします」
「待ちなさい、渚。山崎真之介を媒体にする目処はついたの?」

 慌てて止めた紗蓮の言葉に、渚は珍しく答えに淀んだ。

「……あいつは、使いません」

 少しすねたように、渚はぽつりと言った。
 何のことか思い至った優弥が、顔色を変えた。

「渚ちゃん、ちょっと待った!それじゃあ……」
「いいんです!!」

 うつむいたまま、渚は優弥ばかりでなく周りの全員が驚くほどの大声で叫んだ。
 声が少しうわずっている。
 しばらく呼吸を落ち着けてから、もう一度、

「いいんです……」
「渚ちゃん……」

 あずさが気遣うように声をかけて、渚は少しだけ顔を上げた。

「……作戦の内容を発表します」


第四章 燃えよ、我らが帝都 一



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