嘆きの都
追憶其の六
第三章 告げよ、静寂の終わり 一



第二章 唱えよ、夢見る世界 四




 しばらく、膠着状態が続いていたのだ。

 朱宮中将が政界を、粕谷少将が軍を、米田中将が財界を中心にして支持を集め、もはや陸軍参謀本部など有名無実化した状態で、三竦みが完成していた。

「まさかそういう手があるとは思わなんだよ」

 財界人を集めての会合の後で神崎忠義は、敬服した、と言う顔で米田の御銚子に自ら酒を注いだ。

「戦争がここまで金と絡むと俺としてもあまりいい気分じゃねえがな」

 既存の兵器とは異なる兵器を、陸海軍が採用しようとしている動きがある、と言ったのだ。
 それはつまり、これまでの兵器しか作っていないところはこれ以上軍との取引が出来なくなると言う恐怖を喚起したのである。
 推測では済まないのだ。
 現に、各国の軍事産業部門は人型蒸気を始めとして世代交代が進んでおり、ついて来れない会社がいくつもつぶれそうになっている。
 軍需景気を支える欧州大戦が終わった後に、財界の再編が起こることは必至と見られていた。
 そこへ軍独自の新兵器など作られてはかなわない。

 こんな論法で米田はかなりの財界人を味方につけた。
 粕谷が軍需を背景に支持を集めようとしているが、向こうは未だに新兵器の内容を明らかに出来ないので出遅れている。

 そして、各陣営が、中立の立場にいる者を出来るだけ引き込み、あるいは引き抜こうとする動きがしばらく続いた。
 そんな中でごく一部の人間だけが、街に現れる小型降魔の数が徐々に増えていることを肌で感じていた。

*     *     *     *     *     *


「見事だ」

 初めてそれを見せつけられた北村少将はうめくように言った。
 海軍の極秘演習場の内部で小型降魔が二十体、整然と並んでいる。
 倒れている、というか散らばっている降魔の残骸は十一体。
 その傍らでは、人型蒸気が十体、可動部を破壊されて転がっていた。
 機関部を破壊されたわけではないので、修理費はまあ何とかなるだろう。
 意図的なのだから。

「現段階でここまでとは……」

 人型蒸気の操縦者は、粕谷、北村の配下の中でもかなり優秀な者たちを揃えたのだが、今は全員医務室である。

「隊列を組み、攻撃目標を指定できる。これを中型降魔に拡張できれば、完全に実用に持って行けよう」

 北村の感想に、傍で見ていた粕谷も満足そうに頷いた。

「結構だ高音殿。檻に戻してくれたまえ」

 と、演習場の向こうで精神集中していた術者に声をかけた。
 下士官たちがガラガラと鋼鉄製の檻を運んできて、薄気味悪そうに降魔を見つめるが、術者はさして構わずに降魔を檻の中に誘導して、精神集中を解いた。
 とたんに降魔たちはギャアギャアとわめきだし、担当兵が放り込んだ肉にがっつく。
 これは何度見ても慣れそうにない。
 粕谷はすぐに降魔たちを下がらせた。

「風塵、大した術者を見つけてきたものだな」

 粕谷が声をかけたのは、昔から軍が内部に作っていた方術に関する代理人である風塵と言う男だ。
 粕谷が、降魔を使うことを考えて術者がいないかと探していたとき、風塵がこの高音という術者を探して紹介してきた。
 どう見ても二十歳ぐらいにしか見えない外見を最初は侮っていたが、今やその腕に疑問はない。
「満足してもらっては困りますな。王と藤を手に入れなければこれ以上の拡張は高音といえども不可能なのですから」
「藤についてはあとは機を待つのみだ。今は手出しがしにくいと言うだけのこと」

 藤とは、藤に連なる者……ここではあやめのことを指す符丁である。
 精鋭を以て藤枝あやめの入院する真田診療所を強襲するしかないだろうが、今動けばことを完遂させる前に制圧される可能性が高い。

「では、王についてはどのようになっておりますか」
「既に目星はつけてありますよ」

 風塵の問いに答えたのはやってきた高音だった。
 細面の美形だが、不思議な迫力がある。

「本当かね。そうそういる者ではないと聞いていたが」

 王とは、降魔たちを統合して命令を下せる霊的存在……、戦国の世において降魔実験を行った北条氏綱のことを指す。
 ひいては、その魂を収めるだけの器と言うことになる。
 これを手にすれば、ほぼ恒久的に降魔を支配できるはずだった。
 氏綱の失敗の愚を犯さなければよいだけなのだから。

「……対降魔部隊の山崎真之介少佐ですよ」

 言われて北村も粕谷も風塵も、なるほど、という顔になる。

「藤を手に入れてしまえば、王はあとから着いて来るという寸法。心配には及びません」


     *     *     *     *     *


 彼らは、自分たちが自由に動ける機を待っていた。
 こんな状態がしばらく続いて五月になり、朱宮が枢密院に何かをしかけたという噂が流れた。



「枢密院だと?」

 天笠中尉が持ち込んできた情報は京極にも意図の読めぬものであった。
 降魔の扱いに関する決定権はどこにも無いというのが現状だ。
 それは政府の中枢を掌握する元老であっても例外で無いというのが、今回の事態のややこしさを端的に示している。
 仮に貴族院で朱宮の方針が支持されたとしても、その方針に軍が従わねばならないと言うことはない。
 帝国憲法に定められた統帥権の独立故である。
 朱宮ほどの男がそれをふまえていないはずがない。
 京極は、風塵を通じて粕谷陣営の情報はほぼ入手しているが、朱宮の方はまるで読めなかった。
 朱宮が手を組んでいるのもかなりの術者らしく、一度京極自ら危険を覚悟で調べに乗り込んだのだが解らなかったのだ。

 枢密院を構成する政界の実力者たちにしてみれば、事態の進行を軍に握られている現状を何とかしようとするだろう。
 枢密院の構成員の数の割に、どこからも詳細情報が漏れないというのはそのためだ。
 軍の中で、確かに朱宮は最も政界に近い人間だ。
 朱宮が軍を掌握すれば、話は通りやすくなるとの見通しはそう間違っていない。
 しかし仮にそうなったとしても、現在政界にいる者たちが朱宮という男をどこまで御し得るかについては、京極すら疑問符をつける。
 良くも悪くも、朱宮はかなりの理想主義者だ。
 そして、恐るべき実力者でもあるのだ。

「それから、貴族院の上級華族が何人も動いているようです。おそらくは加藤総理に貴族院の秘密会を開くよう要請しているのではないかと存じますが……」
「……いい読みだ、天笠」

 朗報ではないが、天笠はなかなか役に立つ。
 政界の監視にこいつを当てたのは正解だったようだ。

「総理官邸の情報はどうやった」
「メイドを二名です」
「よかろう。新たな情報が入り次第伝えろ」
「はっ」

 一礼して部屋を出ていく天笠にはほとんど視線を向けることなく、京極は思考を巡らせていた。

*     *     *     *     *     *


 その朱宮の切り札が明らかになったのは、六月も半ばを過ぎた頃であった。
 徹底した秘密主義で、貴族院本会議で採決が行われる日まで京極すらもその内容を読めなかった。
 朱宮はその本会議の前に花小路伯爵に呼ばれて、貴族院小会議室の一つに向かっていた。
 既に枢密院で案の骨子は出来上がっている。
 枢密院を完全に掌握したわけではないが、それでも過半数を引き込んである。
 貴族院の工作もかなりできていた。
 最大の問題は、花小路伯爵とその裏にある賢人機関だ。
 国家、民族、宗教を越えて、世界の裏に存在する謎の組織。
 だがその謎のヴェールでさえ、朱宮は既にある程度見抜いている。
 向こうから呼んできたのはそれなりの手段を講じてきたと言うことだろう。
 朱宮は直接それに踏み込むつもりであった。
 いずれ話を進めていけば、嫌でも激突することになるのだ。

「失礼する」

 扉を開けると、会議室の奥で花小路伯爵が一人座っていた。
 しかし朱宮は手早く視線を巡らせて気配を探る。
 十……二三人といったところか。
 さすがに花小路は事態をよく把握している。
 こちらの法案を入手していても何ら不思議ではない。
 そして、自分の劣勢もしっかりとわきまえているようだ。

「よく来てくれた、中将」

 簡単な間食が用意されているテーブルの向こうで、花小路はあまりにこやかとは言えない顔で朱宮を出迎えた。
 心中嘆息しつつ、朱宮はゆっくりと扉を閉める。
 完全に閉めれば会議室の性質上、中の音は外部に漏れない。
 解った上での行動だった。

「こうして伯爵に呼んで頂くのは初めてですね」
「私はどうも社交界が苦手なものでね。許してくれたまえ」

 政界屈指の実力者と評される花小路伯爵だが、夜会などに出席することは滅多にない。
 その謎めいたところが、国会での強力な発言と相まって、彼の神秘性とも言える部分を形成している。
 実際には、一年の三分の一くらいは世界中を飛び回っているやり手だと言うことを朱宮は承知している。

「セイロンの……フォションの紅茶ですか。これはなかなか」
「香りだけで紅茶も解るのかね、君は」

 やや驚いて花小路が確かめる。

「なかなかによい趣味ですね」

 間接的に肯定らしい答えを返しておいて、カップを手に取った。
 毒の可能性もある場面だが、花小路の性格からしてこれはやるまい。
 特にためらいもなく傾ける。

「砂糖もミルクも入れないのかね」
「茶道に慣れすぎた悪癖でしてね。紅茶であっても何も入れない方が好きなのですよ」

 味に問題があればすぐに解ると言うことでもある。
 チン、と朱宮がカップを置き、花小路もそれに続いた。
 一瞬静寂が通り過ぎる。
 挨拶はここまでだ。

「ところで今日の本会議だが、なかなか急な日程だね。私は危うく出張で来られなくなるところだったよ」
「そうなのですか。告知から召集まで四日もあったと聞いておりますが」
「いやいや、普段なら予兆のようなものがあるのだが、それが全く無かったのだよ。まるで、今日あると言うことすら知らせたくないかのようだ」
「ご冗談を。陸軍にいる私でさえ小耳に挟んでこうして来ているというのに」

 実際の所、枢密院に提案して召集させたのは朱宮だが、そのことは口にしない。
 今更言わなくても解っていることだ。

「いや、私はね。どうもこの度の裏で何かが暗躍しているように思えてしまうのだよ」
「そのようですね。確か賢人機関とか言いましたか」
「っ!!」

 花小路が牽制をしかけてきたのに対して、朱宮はクッキーをつまみながら世間話のような口調でいきなり切り込んだ。
 見事に花小路の顔色が変わる。
 周囲を取り巻く気配も、わずかだがさざ波を立てた。
 それを一切気にしないと言わんばかりの顔でクッキーをかじる。
 さすがに最高級品だ。
 米田なら、口にあわん、と言うだろうなと何気なく思った。

「賢人機関と言いますのは、大宗教の長や各国の名門中の名門が集まった超国家組織でして、世界平和を謳っている団体ですよ」

 その紋章が花小路の指に光っているのを横目で確認しながら、朱宮は二枚目のクッキーをつまんだ。

「まるで、実践していないとでも言いたげだね」

 唾を一旦飲み込んでから、花小路は朱宮の言葉尻を捉える。

「実践してはいるようですよ。くすぶっていて危なかったバルカンに火をつけて、これを機に民族問題を一掃しようとか」
「!!」
「耐久力が限界に来ていたロマノフ家を切り捨てて、マルクス主義の実験を支援するとか」

 花小路伯爵の顔から血の気が引いた。
 一九一四年にサラエボでオーストリアの皇太子が暗殺されたのをきっかけに欧州では今も大戦が続いていたし、ついこの前とも言うべき三月にはロシアでニコライ二世が退位して臨時共和政府が出来る一方で、労働者らの指導者レーニンが社会主義を掲げて活動していた。
 それらに、賢人機関のメンバーが多少なりとも関わっていないはずはない。
 二の句が継げず、手の先が細かく震えている。
 朱宮を睨み付けているのではなく自分の手元を睨み付けて、信じられないという顔をしていた。

「気づかなかったのか、花小路伯爵。
 賢人機関といえども盤石ではないことくらい承知しているだろう。
 さすがの貴方も、身内と思ったものへの注意は甘くなっていたようだな」

 朱宮はヴェールを捨て去りついに真っ正面に言葉を放った。

「……何故君が、そんなことまで知っている……」
「日本をまとめ上げたら、その次に立ちふさがる最大の難敵だからだ。
 情報収集は戦略の基本と言うことだよ」

 その言葉は暗に、賢人機関内部に人を送り込んでいると言うことを意味していた。

「……そこまで言うならやむを得ん。
 賢人機関の一員として、君の暴走は何が何でも止めねばならぬ。
 魔を以て世界を押さえることが出来るなど、思い上がりだぞ、朱宮中将・・・!」

 その言葉と共に、息を潜めていた者たちが部屋の影からざっと姿を現した。

「それで、どうするつもりなのだ。伯爵」

 そろそろぬるくなってきた紅茶を飲み干して、朱宮は悠然と尋ねた。
 国会内なので、さすがの彼も刀は持っていない。
 拳銃もかなり規制されている。
 そして朱宮は今、特に何も武器を持っていない。
 一方で現れた男たちは皆何かしらの武器を持っているか、あるいは拳法らしい構えを取っている。
 それが十二人。

「君には本日の本会議の間、会議場には入らずにこの部屋でくつろいでおいてもらおう」

 策自体は悪くない。
 朱宮が本会議に姿を見せず、代わりに実力者花小路伯爵が呼びかければ、ぎりぎりで法案を否決できなくはないだろう。

「見直したよ、伯爵。
 清廉潔白で知られる貴方でも綺麗事で片づかないときにはこのような行動がとれるのだな。
 いずれ賢人機関と激突するときには、その決断力、実行力共に是非協力していただこう」

 そう言って、周囲を気にした様子もなく立ち上がり、扉へ向かう。
 その前に六人。左右に三人ずつが立ちはだかる。

「朱宮中将、これで引いてもらえないか。君とも古いつきあいだ。これ以上手荒な真似はしたくない」
「賢人機関直属の親衛隊員と言ったところか……」

 軽く周りを見渡して、朱宮はまったく動じていない。

「……あなた方は、余りにも多くのことを隠しすぎたのだ」

ザッ!

 朱宮を取り囲んでいた隊員たちが一斉に数歩後ろに引いた。
 朱宮は立ったまま、指一本動かしたわけでもないのに。
 だがさすがに花小路伯爵は朱宮が何をしたのかわかった。
 普段は表に出していない威厳を解放したのだ。

 ある程度は予想していたが、まさか、これほどとは・・・!
 直に視線を合わせているわけでもないのに、花小路は全身に冷たい汗が走るのを否定できないでいた。

「……やむを得ん。中将を取り押さえよ!」

 花小路の指示に遅れること三瞬。
 かろうじて隊員たちは動いた。
 だが、最精鋭であるはずの彼らが、まったく思うように動けていなかった。
 完全に萎縮している。
 世界三大宗教の長とすら直に見えたことのある彼らがだ!
 そして、そんな動きで取り押さえられる朱宮でない。
 最後の一人が意識を失うまで一分と要しなかった。

「…………………見事な、ものだ…………」

 しかけた花小路も、これにはもう感嘆するしかなかった。
 大きく息を吐きつつ、倒れるように椅子に座り込む。
 朱宮は扉の前まで障害はなくなったが、はたと身を翻してテーブルの所までもどってきた。

「何かね」

 もはや花小路は朱宮の決定を受けるしかない。

「お時間が出来るので、伯爵にもこれを読んで置いて頂こう」

 そう言って朱宮は懐から一通の封筒を取り出した。
 なかなかに分量がある。

「ドイツが今行っているヴァックストゥームという計画の報告書です。貴方の性格ならこれを読めばドイツの賢人機関員を除名する事にやぶさかではなくなるでしょう」
「……」

 そこまで調査は進んでいると言うことらしい。
 花小路は黙ってそれを受け取るしかなかった。
 しかし、興味がないわけではい。
 朱宮の言動から、どんな計画なのかの想像がある程度ついた。
 満足したわけではないだろうが、朱宮は一度頷くと今度こそ扉を開けた。
 あらかじめ呼んでおいた警備員らがしっかり待機している。

「会談中に賊が入った。伯爵にお怪我はないが、ややお疲れだ。残念ながら今日の本会議は欠席されるので休憩室で休んでいただくよう手配してくれ」
「はっ!」

 部屋の中を確認して、警備員は敬礼した。

「では伯爵、どうかお大事に」

 朱宮の完勝であった。


第三章 告げよ、静寂の終わり 二



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