嘆きの都
追憶其の六
第二章 唱えよ、夢見る世界 二


第二章 唱えよ、夢見る世界 一



「では、お邪魔いたします」

 降魔を以て抑止力とする事を構想している朱宮陸軍中将は、自ら貴族院議員らの邸宅を訪問して、政治決着に持ち込んだときの工作に余念がなかった。
 朱宮はかつて公爵家の長男だったが、その立場を捨てて、明冶十二年に創設されたばかりの剣術師団抜刀隊に入隊して以後軍人として生きてきた。
 それでも、大佐になったあたりから再び社交界の注目を受け、かつての立場を掘り返されることになった。
 未婚と言うことで、娘のような年齢の令嬢との縁談が入ることもあったが、彼は全て断ってきた。
 既に家を継いだ弟とは和解して、家に戻るつもりはない。
 それでも、彼は陸軍の中でエリート扱いされざるを得なかった。
 米田に言わせると、「おめえ、品が良すぎるんだよ」ということらしい。

 陸軍から貴族院に働きかけるときには、彼が行くのが暗黙の了解となっていた。
 その意味で、彼の立場は中将という肩書きを越えている。
 煩わしくはあったが、今はその人脈が役に立った。
 宮城に対して影響力の強い米田に対抗して、公侯爵家への訪問をまずは一巡した。
 これ以後、舞踏会などに出席して関係を強化して行かねばならないだろう。

 そして、平行して彼が打った手が新興財閥系華族……子男爵家への働きかけであった。
 直に金を動かせる分、彼らの影響力は侮れない。
 神崎グループには侯爵家を回る前に一手打ったが、神崎忠義はさすがに一筋縄ではいかなかった。
 おそらく、米田とつながろうとしているはず。
 朱宮は固執せずに別の財閥を回ることにした。
 ここは、明冶後期に大きく延びた鹿沼財閥を率いる鹿沼子爵の邸宅だ。

 基本的に、戦争という物は金があれば儲かるものなのである。
 戦争そのものを止めようとする朱宮の考え方を受け入れそうな家はそう多くない。
 例えば、今当主が病気で臥せていて思うように動けないところ、というわけだ。
 鹿沼子爵はこの一年あまり社交界にも出ず、長くはないと言われている。
 まあそうなったらそうなったで、今度は会って話が出来るかが問題になってくるのだが。

 意外にも、すぐに応接室に通された。
 しかし待っていたのは子爵ではなく、十五六の青年だった。
 少年とは呼べそうにない。
 若いが、服装といい姿勢といい、場慣れしている。

「ようこそいらっしゃいました、中将閣下。私は長男の草十と申します」

 ああ、と名前を聞いて思い出した。

「父は体調が優れませぬ故、代わりに私がお話をお聞きいたします。どうか、ご容赦下さい」

 頭を下げるその動きも優雅なものだ。
 なるほど、社交界で何度か姿を見たことがある。
 代理で彼が動いているから、鹿沼子爵が臥せていることが社交界で話されるし、また鹿沼家を忘れられることもないのだろう。
 彼を既に後継者として位置づけ、家の格を上げようとしているのであれば、子爵の策は成功していると言える。

「このようなときの訪問、誠に申し訳ございません」

 朱宮は各家を回るときに、一介の軍人以上の態度は決してとらないことにしている。
 朱宮公爵兄として向こうがへりくだっても、尊大になることはなかった。

「どうかお気になさらずに。聞けば国家の一大事とか」

 厳密な内容こそ明らかになっていないようだが、社交界の耳は呆れるほど速い。
 草十も、さすがに情報を聞きつけているようだ。
 自分が上級貴族の家々を回っていることが噂にならぬはずはないと思っていたが、こうして実感すると、煩わしいを通り越して感嘆してしまう。

「いかにもそうです……。いや、世界の、と申し上げた方がよろしいでしょう」

 華族の中には、そのような重要なことに関わると言うだけで大喜びするものもいる。
 華族と言っても名前と議席だけで実権が無い者もかなりいるのだ。
 彼らの自尊心をくすぐることで、朱宮はかなりの成果を上げていた。
 離れてみるから解るのだが、それは滑稽だった。
 さて、この青年はどう出るか。

「世界の……とはただごとではありませんね」

 一瞬、眉をぴくりとさせたものの、外見上はただ素直に驚いて見せただけだ。
 それ以上の感情は見せない。
 この年で社交界にもまれているのは伊達ではないようだ。
 もっとも、あまりこういうことに熟達しすぎると、直に心の内を表すことが出来なくなってくるのだが……。

「ああ、そう言えばまだお茶も出しておりませんでしたね」

 朱宮に座ってもらうように席を勧め、自身は鈴を鳴らしてメイドを呼ぶ。

「お茶と茶菓子を用意しなさい。中将閣下は茶道への造詣も深いお方だから恥ずかしくないように」

 指示することに慣れた物言いだった。
 良くも悪くも華族らしい。
 草十より二つほど年上らしいメイドは、素直に、はい、と返事して部屋から出た。
 メイドが出て行ってから、草十は朱宮に頭を下げる。
 浅くもなく、深くもなく。

「若輩者故、心配りが足りませんでした。ご容赦下さい」

 朱宮は口の中で笑った。
 若さをこのように武器に使うとはな。
 並の相手ならごまかせたのだろうが、あいにく朱宮はこういったことに関しても百戦錬磨なのだ。
 最初に茶を出さなかったのはわざとだ。
 こちらの態度を見て、どこまでの応対をするか決めたのだ。
 そして、その理由を自分の若さに持ってくる。

 社交界の長老たちは、青年貴族らをひよっこと見ている。
 若いと言って小馬鹿にされることが多いのだ。
 しかしそれは大した汚点にはならない。
 逆に相手に、自分の方が優れている、と思わせて持ち上げ、話を楽に進めることが出来るという寸法だった。

 ここは話に乗っておこう。

「ご心配なく。日常飲む茶まであれこれとは言いませぬ」

 本当は、かなりこだわるのだが。
 部屋を出て大して経たぬ内に、メイドがお茶を持ってきた。
 やはりあらかじめ準備をしていたのだ。

 匂い、色とも悪くない。

 朱宮は意識せずに思った。
 メイドが扉の向こうに見えなくなってから、朱宮は茶を口にした。

「いかかがですかな」
「ふむ、なかなか良いですね」
「光栄にございます」

 朱宮が世辞抜きに言った言葉に、草十は軽く笑った。

「さて、世界の一大事とは……、欧州大戦が拡大する兆候でも見えたのでしょうか」

 ロシアのロマノフ家が崩壊寸前で、欧州戦線が大きく変動しそうになっているのは確かにその通りだが、そのことではない。

「いえ、問題なのはその後です。欧州各国がこの戦争で疲弊したため、戦後の世界構図は激変するでしょう。二度目の、今度は欧州だけではなく、世界全土が巻き込まれる大戦の可能性がある……。
 このことはおわかり頂けますね」

 話を聞いて草十が、意外そうな表情を一瞬だけ見せたのを確認して、区切りの際に一言付け加えた。
 予想していなかったことでもこう言われると、もちろん解っていたとも、というようにうなずかざるを得ない。
 ここは草十も、見事に朱宮の術中にかかった。

「そうなれば、戦争の恩恵で儲けるどころではなく、世界人類そのものが全滅しかねないでしょう」

 頭にさらりと、儲けようとする意識をそぎ取る言葉を挟んでおいて、

「それは何が何でも避けねばなりません。しかし残念ながら、世界再編をにらんで動こうとする気配が、軍内に現れました。
 それでこのようにお願いに上がったというわけです」
「……なるほど、戦争は金がなければ出来ませんね」
「ご明察の通りです。鹿沼殿には、軍の他の派閥から要請があっても動かないで頂きたい」

 あえてみなまで言わずに相手を持ち上げておいてから用件を伝える。
 草十が、心得た、とばかりに微かに笑みを漏らすのを朱宮は確かに見てとった。

「しかし閣下、この日本の動きを止めるのはいいとして、他国まで説得して回るおつもりですか。それは不可能でしょう」

 戦争というものは、片方に起こす気がなくても、もう片方が起こせるものだ。

「お話が早い。実はそのことについてもう一つお願いしたいことがあるのです」
「もう一つ……と」
「対外交渉において、切り札となるものがこの日本にはあります。しかし残念ながら、政治交渉の場でその使用が一時停止しているというのが現状なのです。いずれ、この切り札をお見せするときには……」

 ここで朱宮は声を小さくした。
 どうか内密に、という意味である。
 切り札の正体を隠しながら、相手に誠意を見せる方法だった。

「ええ、解りました、必ずや朱宮中将にご賛同申し上げましょう」
「ありがとうございます……。全ては世界のために……」

 そう言って立ち上がり、手を差し出した。
 草十も立ち上がり、朱宮の手を取った。
 契約書を交わすことがほとんどない社交界では、約束を守らせるには信頼しかないのだ。
 半ば儀式的な言葉を粕谷のように言って見せたのは、そうしてまで信頼を強化したいからであった。

「有意義な時間でした。子爵にもどうぞよろしく……」
「はい、ご安心下さい。もはや私の言葉は父の言葉と同じと思っていただいて結構です」
「……それは頼もしい。これで鹿沼家は安泰ですね」

 世辞半分、本気半分だった。
 いざというときこれだけの言葉が吐けるのはやはり場慣れしている。
 大したものだ、と思う反面、少し気にかかった。

 何か衝撃を受けたとき、自分の世界観を支えきれなく恐れがあるのだ。
 特殊すぎるこの世界以外の経験が薄いゆえに。
 そう……かつての自分のように。
 自分の場合は、京都で起こった内乱に対し、公爵家があまりに無力と感じたことがきっかけだった。
 今の自分に後悔はしていないが、出来るならこの青年がそんな衝撃を受けずに済むようにと朱宮は思った。



 子爵家を出た朱宮はどうするか思案した。
 そろそろ太陽が西に傾いてきているが、まだ夕方と言うほどでもない。
 丁度いい。
 パーティーに出席する前に顔を出しておこう。
 運転手に新宿に向かうように伝えると、車の中で部下の秋月少佐と多方面の進行について打ち合わせる。
 話を聞くと、状況はあまり芳しくなかった。
 粕谷少将の動きが予想以上に速い。
 軍内の活動はこちらより上だろう。

「粕谷がどうやって降魔を制するのかはまだわからんか」
「はい、内部に陰陽師を雇い入れている様子が見あたらないので、電話などを探っているのですが今のところ……」
「ふむ」

 粕谷は放神記書伝について知っている節はなかった。
 かなり強力な外部協力者を持っていなければ、降魔を使っての対外侵略など考えも付かないはずだ。
 まさかこちらと同じ手段を狙っているとも考えにくい。
 朱宮が必要とするものは宮城内にこそあり、そのために皇家に近い公爵家などに根回ししているのだから。

 撒いたか……。

 鹿沼邸を出てすぐからずっと後ろに着けていた車が、鏡に映らなくなった。
 遠回りをしているので、新宿に行くと知られることはあるまい。
 念のため、運転手は更に遠回りをしてから新宿の裏通りの近くに止めた。
 これ以上は、車が入っただけで目立ちすぎる。
 朱宮は外套と帽子をかぶり、車から降りた。

「お供いたします」
「よせ、かえって目立ってしまう」

 車を出ようとした秋月少佐を手で制した。
 運転手にも同じ旨を目で指示する。

「しかし、危険でございます」
「案ずるな。この朱宮、米田以外の男に遅れはとらん」

 その揺るぎない自信を裏付けるだけの実力を朱宮が持っていることを知っているので、秋月は止められなかった。
 陸軍の制服をすっぽり覆う、隠密行動用の外套の一つを着ていても、やはりその身にまとった雰囲気までは消しようがない。
 裏通りの乞食兼情報屋がめざとく注目するが、あえて一切構わず朱宮は進んだ。
 いかに公爵家育ちと言っても、米田と知り合ってからの青年時代、彼に引っ張られて帝都の裏も散々つき合わされた。
 もはやこの程度でひるみはしない。
 刀を抜かずとも、喧嘩だけで二十人を叩きのめしたこともある。

 ボロボロに朽ちた宿のような建物の前で、朱宮はようやく足を止めた。
 その直前か、ほぼ同時か、朱宮の周囲にあった瓦礫や岩が、彼を取り囲むようにして浮き上がった。

「暇を持て余している男だ」

 つぶやくと朱宮は、鞘ごとの剣で向かってきた瓦礫を全てはたき落とした。
 その隙に、影が走りかかって朱宮に襲いかかった。
 外套の襟を掴み、加速度をつけて……そう、確かに加速させて投げつけようとする。
 朱宮は一瞬で体勢を入れ替えると、手にした剣で相手の足を勢いよく払った。

「今日はこれで気が済んだか」
「よっと、どうやら本物だな」

 地面に激突する前に、影はくるりと中で一回転して着地する。
 二十そこそこの外見をしているが、実年齢は解らない。
 十年ほど前、幻の大地大和を調べているときに初めて会ってから、この男の外見は変化しなかった。
 あえて言うならば、はだけた着物の下の筋肉がより強固になっていることか。
 天辰優弥と言う名前が、いささか不釣り合いである。
 直に術を使うところを見たことがなければ、凄腕の方術士と言っても誰も信じまい。

「で、中将サン。わざわざ出向いてきて何の用だい。前にも言ったが、アレが無きゃあいくら俺でも大型以上の降魔の制御は出来ねえぜ」

 この男が見せてくれた方法は、下級から中級までの降魔にある程度の指示を与えることが出来る。
 といっても、「飛べ」とか「あれを壊せ」とかいった原始的なものだが。
 その術を増幅させるための神器が存在すると突き止めて、朱宮はこの度動き出したのだ。

「聞きたいのだが、降魔を操る方法は他にあるか」
「はあ?他って言っても、これが多分一番確実だぜ」

 やれやれ、と大げさに肩をすくめてみせる。
 どうも遠慮というものが欠如しているような仕草だが、これはわざとのようだと言うことを朱宮は最近知った。
 自分はざっくばらんを装うことで、相手に、自分の方がまともだと思わせているのだ。
 その瞳の奥に、知性の光が見え隠れしていていた。

「粕谷少将は知っているな。あいつはどうも私と違う方法でやるつもりらしい。何をやるつもりか推測がつかん」
「成る程ね。まあ、あと打てる手が二つ三つ無い訳じゃない。と言っても、アンタ好みの方法じゃない」

 互いの腹の内の読み合いをするくらいのつきあいはある。
 しかし、お互いに相手に何か隠したままであることも事実だった。

「知らなくては対策が打てん。聞かせろ」
「一つは、封印を施した藤に連なる者を制御の媒体及び増幅に使うこと」
「……生贄という訳か」
「そうとも言うな」

 苦々しい顔の朱宮とは対照的に、優弥はあっけらかんとしている。

「もうひとつは、北条氏綱を復活させることだな」
「何?」

 北条氏綱とは、戦国の世を治めようとして降魔実験を行い、結果として大和を海中に沈めて降魔という存在を作り出した張本人と言われている。
 会議の場で朱宮が、降魔はかつて人が遣いしもの、といったのはこのためだが、しかし……

「可能なのか、そういったことが」
「理論上は出来るぜ。もっとも、魂を乗り移らせる肉体と精神が俺様並に強くねえといけねえがな」
「……不可能と言いたいんだな」
「よっ、わかってるう」

 頭痛がしてきた。

「参考になった。こちらの状況は掴んでいるだろうから説明の必要はないな」
「あらら、ばれてました?ま、結構順調だな」
「ではまたな。慌ただしくて済まぬが、私はこれからパーティーに出向かねばならん」
「そのへんはアンタにおまかせ。そんじゃな」

 やや嫌そうな顔を見せた朱宮に少々同情しつつも、優弥としてはこの辺はやってもらうしかない。
 朱宮が完全に立ち去ってから、優弥は笑った。
 それまでのおどけた笑い方とはまったく違う、どこか憧れのような微笑みだった。
 朱宮の姿が見えなくなってから、彼はボロボロの宿の中に入った。
 およそ何もない。
 ここで生活しているわけではないのだ。

 手早く空中に呪紋を描いて術法を作動させると、空中に裂け目が現れた。
 そこへ飛び込んで、暗闇の中を降りていく。
 たどり着いたところは、上とは全く違う整った街並みだった。
 ただし、いささか時代が古い。

「朱宮は帰ったか?」

 近くの建物の奥から年老いた声が聞こえる。
 呼ばれた天辰はほいほいと中に入る。
 術法による祭具がいくつも並ぶ、どこか工場を思わせるような内部だった。
 産業革命後のそれとは、まったく趣の異なる工場ではあるが。

「おう。渚ちゃんの方も順調らしいぜ。でも、アンタの準備は順調なのか、木喰のじっちゃん」
「莫迦にするでないわ、若造。あと一ヶ月もあれば完成するわい。おまえはもっと修行しておれ」
「下手すりゃあ、中将サンの方が先になっちまうぜ。たのんだよ」

 中にいたのは百年くらい生きていそうな老人だった。

第二章 唱えよ、夢見る世界 三



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