嘆きの都
追憶其の六
第二章 唱えよ、夢見る世界 三
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がさごそ。
「ふむ、このあたりだと思うのだが……」
制服のポケットから古地図を取り出して、あたりを見渡してみた。
一つだけはっきりしたことがある。
「困ったな」
この林の中で、現在地がわからなくなったということだ。
対降魔部隊が任務停止……すなわち降魔と戦闘するな、と言われていても、魔を狩る者真宮寺家の者としてやはりじっとしてはいられなかっ
た。
そんなわけで一馬は交渉ごとを米田に任せて、自分は帝都の霊的防御についての調査に汗を流す毎日を送っている。
内陣、六破星降魔陣とそれより内側の陣については帝都の中でも中心部に近いので、ここまでそう悩むこともなかったのだが、外陣、八鬼門封魔陣の調査は思ったより骨が折れた。
広げているのも、四百年くらい前の地図である。
少しは役に立つかと期待したのだが、やはり当てにならなかった。
この王子はまだ二つ目だというのに。
やはり、自分の霊力で探査した方が早そうだ。
古地図をポケットにしまい、感覚を研ぎ澄まさせる。
おや?
霊力の流れと共に、近くに大きな気配が二つある。
うち一つが、急速にこちらに近づいてきている。
なかなか気配を消すのがうまいが、一馬の感覚を誤魔化せるほどではない。
それにどうやら、足音は殺していないようだ。
ガサツに近づいてきているという印象を受ける。
お世辞にも好意的な反応ではなさそうだった。
「困ったな」
任務停止中なので、降魔と戦うための武器である霊剣荒鷹は所持していない。
あれを持ち歩くだけで降魔と戦うと見なされるのはいささか心外だが、まあ確かに事実でもある。
今の微妙な勢力平衡では、それを口実に米田が責められる可能性があるのでおとなしく従うように真之介にも伝えてある。
彼は甚だ不満そうではあったが。
そう言うわけで、自分も持ち歩くわけには行かないのだった。
武器というと、懐の懐剣ぐらいしかない。
「まあ、なんとかなるか」
近づいてくる気配の方なら、この条件でも何とかなるだろう。
気配だけを見る限りもう一人の方が厄介そうなので、そいつが来る前に倒してしまって退散するべきかも知れない。
まっすぐ行けば、場所はともかく林から抜け出ることは出来るだろう。
未開発な部分が多く残っていても、まだ帝都圏内だ。
そろそろ考える時間は終わりのようだ。
ドタドタガサガサと、派手な音を立てて林を抜けてくる。
気配を消している意味が全くない。
こっそりとため息を付いたあたりで、ついに接敵した。
「うおりゃああああっっっ!!!」
日に焼けた肌の、大柄な男だった。
かなりの巨漢だが、その身体は無駄の無い筋肉で構成されている。
その動きをガサツというか豪快というかは、人によって意見が分かれるところだろう。
振り上げた武器は重さ数十キロはあろうかという鋼鉄製の六角棒。
以上を確認するだけの余裕が一馬にはあった。
フッ………
六角棒とそれが叩き折った木々の枝を避けるのに五メートルほど必要だったが、これくらいはどうと言うことはない。
ズウンッ!
六角棒が地面に激突して、一馬は微かに身体が浮き上がるのを感じた。
成る程、力は見かけ以上らしい。
しかし、
「くそおっ!何で解った!」
「不意打ちのつもりだったのかね……」
皮肉るのではなく、一馬は冷や汗を一筋垂らしながら真顔で尋ねてしまった。
「気配は完全に消していたはずだぞ!」
「いや、足音で絶対に解ると思うんだけど……」
男の顔にやっと理解の色が浮かんだ。
「しまったあ!てめえ、やりやがるな」
「違うと思うんだけど……」
男の反応は不快ではないのだが、少々ついていけない、というかついていきたくないものを感じてしまう。
「ええい、こうなっちまえば同じだ、この六角棒の錆にしてやるぜ!」
「普通その言葉は刃物に使うと思うんだけどなあ……」
ブウンっとすくめた顔の五センチ先を六角棒がかすめていった。
風圧が強烈で、かわしたものの吹き飛ばされそうになる。
ついでに、あたりの木々の枝だけでなく幹までがへし折られていく。
こんな林の中で長武器を使うのは非常識な話だが、この男の動きはその非常識をうち破るくらい更に非常識だ。
六角棒のわずか三閃で、林の中に広場が出来てしまった。
「うーん、自然に優しくないなあ」
盆栽を趣味とする一馬としては、少々許しがたいものを覚えてしまう。
「ええい、ちょこまかと!男なら正々堂々と勝負しろ!」
最初に不意打ちをしかけようとしたじゃないか、と突っ込む気ももはや失せた。
「まずはその棒をどうにかしようか」
懐剣を取り出して霊力を込める。
「てめえ、なめてんのか?そんなちゃちな剣で俺の攻撃を受け止められるとでも・・・」
「受け止めるんじゃないよ」
口調は穏やかだが、一馬の表情が鋭利さを増した。
「その六角棒を破壊する」
「はあ……?」
ふざけんなバカヤロウ、と顔に書いてあった。
「ふざけんなバカヤロウ!」
やっぱり。
「出来るもんならやってみやがれ!」
「では」
霊力で本体が見えなくなるくらい、懐剣に力を込めて男の六角棒を見極める。
そこだ。
ビイィンッ!
一瞬、何かを弾いたような音がした。
振り下ろされた六角棒が刃渡り40センチもない懐剣に止められたのだ。
しかし、それもわずか一瞬のこと。
次の瞬間、ガラスが割れるかのように、鋼鉄製の棒が砕け散った。
もっとも、一馬の手にしていた懐剣も刃の半ばでへし折られた。
右手がやや痺れている。
やはりこの男の腕力はただごとではなかった。
しかし、信じられないという顔をしているのは男の方だった。
「何者だてめえ。ただ者じゃねえな」
「帝国陸軍大佐の真宮寺一馬というんだが、君は?」
「俺は金剛。……確かに陸軍の服だが、大体軍人がこんなところで何をしている」
「外陣の調査に来たんだよ。君も同じじゃないのかね」
確かに、一般人が入るような場所ではない。
「俺は違う。あのお方の護衛についてきただけだ」
単純な分、あまり口を固くできない性分らしい。
やはりもう一人の方が厄介そうだ。
「しかし、そうと解れば全力でおまえを叩きつぶすだけだ。陸軍の人間に、こんなところにいることを知られちゃならねえ。ま、俺たちとこんなところで出会ってしまった不運を恨むんだな」
ここまでの形勢の割に大した自信だ。
どうやら奥の手があるらしい。
「いくぜ、今度こそ覚悟しな・・・!」
しこでも踏むように踏ん張って、金剛とやらが気を周囲に放ってきた。
「!!」
周囲の大気が重みを持ったように感じる。
一馬の全身を取り巻いた気流がその動きを封じこめんとしてくる。
「これで終わりにしてやるぜぇ!」
「やむをえん」
空間を揺るがすような金剛の気に、一馬の顔からのんびりした気配が消えた。
「五行相克・・・!鬼神豪天殺ぅぅぅっっっっ!!!」
「破邪剣征、無刀静陣・・・・!」
不可視の稲妻のごとく轟いた金剛の一撃に対し、一馬は一切の構えをなくして柳の木のようにたたずんでいた。
二つの技が激突する・・・!
「!」
「!!」
その寸前に、二人の間を一陣の風が吹き抜けた。
いや、風ではなく、嵐のような攻撃だった。
「そこまでにしておけ、金剛」
ゆらりと、何もない空間から現れたように見えたのは目の錯覚か。
裾の長い黒いコートを着ているのでいつもと印象が違うのだが、よく見れば知っている顔だった。
「妙なところでお会いしましたね、京極中将閣下」
最近では戦神という呼び方をされることが多くなった、現在最年少の陸軍中将だ。
確か自分と同い年だったと記憶している。
彼の指揮した戦闘では、兵たちは極めて高い士気で任務を確実にやり遂げるともっぱらの評判だった。
しかし、今回の一件に関してはどうも昼行灯を決め込んでいるように見えたのだが……。
「しかし京極様・・・!」
「金剛、何も無駄な激突で人材を消耗させることはあるまい」
その言い方はどちらに向けて言っているのかよく解らなかったが、ともあれ、もう一つあった強力な気の持ち主はこの男らしい。
今は、会議場や軍内で感じたのと同じ程度の緩やかな気しか感じない。
「部下が失礼したな、真宮寺大佐。粕谷少将あたりの配下がうろちょろしているのではないかと思ったのだが、済まなかった」
軽く略式の礼をとる。
誠意はあまり感じられないが、元々威厳のある男なので様になっている。
それにしても言ってくれる。
粕谷や朱宮の部下なら片づけても支障はないと言うことか。
「時に、大佐は外陣の調査のためこんな所まで来たのかな」
「いかにもその通りです、閣下」
「ならば既に調べ終わっている。この王子の点は今のところ特に弱体化した様子はない」
ほう、と一馬は思った。
ここに来た理由で白を切るかと思ったのだが、京極はあっさり認めた。
確かに、何をしているかと聞かれてごまかしようのない場所であるが。
「閣下に術の心得があったとは意外ですな」
「この度の一件、私も無関心ではいられなくてな」
嘘ではないが、話題をすり替えている。
一馬はそれに気づいたが、今それを追求しても逃げられそうだと判断してやめておいた。
「さて、大佐も早々に退散したまえ。金剛が痛めてしまったこの林の賠償を請求されたくないので、我々はこれで失礼するよ」
この男が冗談らしきことを言うとは意外だった。
「行くぞ、金剛」
「あ、はい」
優雅にコートの裾を翻す京極の後を、金剛がドタドタと追いかけていった。
が、金剛は途中で足を止めて振り返った。
「おい、ナントカ大佐とか言ったな。てめえは今度機会があったら必ずぶちのめしてやるぜ!」
「はいはい」
どうも名前は覚えてもらえなかったらしい。
まあこの場合は好都合だが。
へし折られた懐剣を拾い上げて、今日はもう帰ることにした。
今度からもうちょっとましな武器を持ち歩こう。
その費用を京極に請求できないかと、冗談交じりに一馬は思った。
「何故止めたんですか、京極様。あいつは何とか言う中将の仲間な訳でしょう」
どうやら米田のことを言っているらしい。
「真宮寺を下手に怪我させれば、米田に動く口実を与えるようなものだ。そのように流動的な事態を招くのは避けねばならん」
「殺してしまうって手もありますぜ。俺が京極様と動いているのを知られちまったんですし」
一応敬語のつもりらしい。
しかし、それではもっと事態がややこしくなる。
自分に結果が読めぬ混乱は益にならないと京極は考えた。
第一、
「金剛、おまえは真宮寺と全力でぶつかって勝てるつもりか」
「……」
止めてしまったので見られなかったが、真宮寺の実力は底が知れない。
そのために、京極は失うことを少し惜しく思い、金剛を止めたのだが、実際は金剛を助けたのではないかとも思う。
金剛は少し頭をかいて考え込んだ。
「そうですね……。少なくとも楽しめることは間違いないと思いますぜ」
明らかに論点がずれている。
京極は密かに嘆息をついて、それ以上この話題を続けることをあきらめた。
「京極様」
ふと、金剛のものではない声が耳元で響いた。
声の主はどこにも見あたらない。
しかし京極は慌てた風もなく、平然と答えた。
「風塵、何か動いたか」
「はい、北村海軍少将が、粕谷少将に二度目の会見を申し込んで、今度は百人規模の親睦会を陸海軍で行うそうです」
前回の会談から一週間だ。
なかなか早いと言うべきだろう。
「よし、しばらく二人の方は放っておいて構わん。高音の方には、そろそろ姿を消した方がいいと伝えろ」
「心得ました。では」
声はそこでとぎれた。
「今のは風塵の奴ですかい」
「朗報だ。なかなか順調らしい」
それ以上の説明が面倒になって、京極は再びすたすたと歩き始めた。
後を追う金剛は、一馬といつか真剣勝負したいとうずうずしていたので、京極が呆れていたことに気づかなかった。
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