戦慄の扉は開き
追憶其の五
第四章 夜の幕を引く手


第三章 逢魔が時に会うものは

 言い終わるより先だったか。
 地を蹴って、水地の正面に飛び込んだ。
 飛び込んだ勢いのまま、抜刀の加速を加えて水平に薙ぎつける。
 水地は姿勢を低くして、刀を水平よりやや傾けて光刀無形を受け流しつつ、上向きに力を加えた。
 振るう軌跡がそのまま上への力に変わり、真之介の身体が宙を泳いだ。
 刀は振りきったままの状態。
 隙だらけとはこのことだ。

「もらった・・・!」

 水地は、下段から対空気味に切り上げる。
 避けられるはずがなかった。

「空烈ッ!」

 真之介の左手が印を結ぶと同時に、その口から気合いに近い言葉が放たれた。
 水地と真之介の間の空間から、パアンッッという乾いた音とともに衝撃波が発生する。
 彼我の位置が大きく揺らいだ。
 目標をとらえきれなかった剣はむなしく空を切る。

「ハッ!」

 やや浮き上がった水地の延髄を、疾風のように振るわれた真之介の右足が直撃した。

「ぐっっ・・・・!」

 この蹴り一発で水地の身体は大きく吹き飛び、受け身もとれずに肩から床に落ち、しばらく滑ってからようやく止まった。
 止まったその隙を真之介は逃さない。

「力の精霊、我が手に集え!」

 両手に発生した光の塊を、頭の上であわせてから水地に向かって投げつけた。
 ねらい違わず、水地を直撃したその光は、弾けるように消えて、先ほどの水地の妖気でできあがった瓦礫を吸い寄せた。
 無論、その中心にいる水地を飲み込んで、だ。
 間を離してた真之介は悠々と着地する。
 と。
 右足の先が水で濡れていた。
 ちょうど水地を蹴飛ばしたところだ。

「何だ・・・・?」
「これは・・・想像以上だな。あいつに飲みこませるのがつくづく惜しくなってきたよ・・・」

 瓦礫の集合体が大きく揺れて、その間からゆらりと水地が立ち上がった。
 その周囲に、細い水流が幾筋も舞っている。

「今のは密教系の呪術かね。大したものだが・・・、あまり上品な戦い方とは言えんね」
「上品な剣術など、一馬に任せているさ。それに、今のが刀ならおまえの首は飛んでいたぞ」
「それなら最初から命中させんよ」

 どうも、あまり効いていないようである。
 水地の受け答えはしっかりしていた。

「水の防御膜か」

 どうやら水地は、水を自在に操れるらしい。

「私が誰だか教えておこう。隅田川を守ってきた水神だよ」
『!!』

 それは本来闇の属するはずのない者だ。
 帝都を、いや、江戸を守護すべき者が、帝都壊滅を望んでいる。
 その事実だけで、皮肉であった。

「解ったかね。あの薄汚れた街は、私や同胞たちが守ってきた町ではないのだ」

 宙に浮かんでいた水の塊がいくつか爆ぜた。
 水地の怒りだろうか。

「そこに転がっているような者らの手によってな」

 ぱちんと水地が指を鳴らすと、その場にいた研究者の一人が粉々に吹っ飛んだ。
 石炭や、蒸気、煉瓦での開発のことを言っているのだろう。
 しかし、そのときになって初めて真之介は、研究者たちが未だにこの場に留まっていることに気づいた。
 それまで、泣き叫びもしなければ、動きもしないので気づかなかったのだ。

「ちっ、あやめ!そいつらを避難させろ。これ以上あの訳の解らん奴の餌を増やすと危険だ」
「無理だな」

 驚くほど近くで声が聞こえたと思ったら、水地が襲いかかってきていた。

「君たちならばいざ知らず、並の人間が私の妖力下で逃げることはおろか、舌一枚動かすことすら出来るものか!」

 振るわれた剣は、しゃべりながらのせいかやや鈍い。
 悠にかわせるはずだった。

ぐんっ

「!」

 かわせると思った剣が大きく伸びて、真之介の頬を浅く切り裂いた。

「その剣も、実体は高圧の水か!」
「正解だよ!」

 光刀無形で受け止めようとした剣が、刀をすり抜けて迫ってきた。
 常温のままで固体と液体を使い分けられるらしい。
 かわせないと判断すると、真之介は命中寸前の剣に向けて魔術を放った。

「Lightning Bolt!」
「むっっ!?」

 真之介の手が光るか、と思われたとき、水地は剣の形状を即座に変化させた。
 そのために、放たれた電撃は、接地するように変形した水を流れていき、水地に当たらない。

「水は電流を通す、か。濡れているだけなら確かに有効だろうが、私は、操れる、のだよ。さらに言うなら、純粋な水が絶縁することぐらい知っていよう」
「かわせたからこの場はよしとするさ」

 水地の説明の間に、真之介はやや距離をとっていた。

「なるほどね」

 これはやられたとばかりに水地は苦笑する。

「こうなったら、少し派手にやらせてもらう・・・」

 真之介は、右に刀を流しただけの自然体のまま霊力を集中させる。
 彼の戦い方には構えがない。
 いかようにも変化する、型にとらわれない戦い。
 呪術、魔術、霊力、刀、拳、蹴撃等々。
 ある意味では、彼の持つ刀の銘にふさわしいとも言えるだろう。

「もう、必殺技を見せるのかね」
「あまり遅くなりすぎると、あやめが夕食を作るのが大変だ」

 真之介の夕食の定義は午後十一時まで入る。

「無用な心配というやつだね」

 残酷な笑みを浮かべながら、水地は正眼に構えた。
 さすがにただならぬ迫力がある。

 二人がにらみ合っている間に、あやめは運べるだけの人間を出来るだけ二人から離していた。
 あやめも女性としてはかなり鍛えられている。
 引きずってなら男一人くらい運ぶことは可能だった。

「・・・まあよい。どうせ全員飲み込ませるのだからね。」

 と、水地がつぶやいた瞬間、真之介は動いていた。

「彩光紅炎・・・・!」

 真之介の手にある光刀無形が、紅い光をほとばしらせる。
 しかし、水地もその叫びから刹那と遅れることなく動いた。
 正眼に構えた剣が振り下ろさせると同時に、膨大な量の水が真之介を飲みこまんと、いや、消し飛ばさんとして放たれた。

「清轟洪河ァッ!!」

 この空洞を覆い尽くさんばかりの水を前に、紅い光刀無形を手にして駆けていた真之介の身体が、ふわりと、陽炎とともに浮かび上がった。

「朱凰滅焼ォッ!!!」

 次の瞬間、光刀無形から真紅の炎が爆発的に沸き上がり、それを先端にして真之介の身体が炎の矢、いや、炎の鳥のようになり、荒れ狂う猛河と激突した。

 轟音が先だったか、衝撃波が先だったか。
 主に水蒸気爆発によるのだろうそれらが、あやめたちの横を吹き抜けていった。
 水蒸気は空気より軽い。まして高温だ。
 この広間に至る長い洞穴を巨大な笛のように振るわせながら駆け抜けていった音が、後になってから幾重にも響き渡る。
 もしかすると、地上の帝都まで振るわせたかもしれない。

 と、あやめは冷静に観察している余裕があった。
 あやめとその周辺にいた研究者たちは、激突の寸前に突如発生した結界で守られていたから。
 誰が作ったものかは、もはや確かめるまでもなかった。
 そして、あやめの目には真之介の纏う炎がしっかりと見えていた。
 今の爆発などでやられているはずがない。

 その確信は正しかった。
 炎が光刀無形の中に収束していき、周囲を水蒸気と湯気に覆われながら真之介の姿が見えた。
 いくらか服がほつれて見えたが、しっかりと両足で着地するのを見て、あやめは安心した。
 もっとも、着水するといった方が正しかったが。
 水の量が多かったためか、床に溜まっている水はそれほど高温ではなかった。
 温泉とするにはちょうどいいくらいかもしれない。

 さすがに、真之介の息は荒い。
 水地のいた方向に注意を払いつつ、呼吸を整える。

 壮絶な眺めだった。
 連鎖した爆発によって、床も天井も複雑に抉られており、天井で結露した水が雨のように降り注いで床に刻まれた渓谷に流れ込み、幾重にも渦を巻き、滝を成し、湖となった。
 ただ、ゆっくりとだが水が引いているような気がするので、さらに地下へと染み込んでいるのだろう。
 地下水と呼ぶには、あまりに深すぎる気もするが。
 それよりも、

 水地は、どこへ行った・・・

 探そうにもこれでは元の位置も何もあったものではない。
 しかも、激突の瞬間に跳ね飛ばしてやったはずだから、どこへすっ飛んだものかも解らない。
 しかし、死んではいないという確信があった。
 身体がまだ緊張を解いていない。
 
 どこだ・・・どこにいる・・・・・・。

 視線をさまよわせているうち、ふと気づいた。
 息が、苦しい。
 いくら大量の水蒸気が発生したと言っても、水蒸気は軽い。
 それに、先ほどの炎の余波でも、この中の酸素を使い切るほどではなかったはずだ。
 第一、何故こんなにも経ってから息が苦しくなる。
 あやめは、大丈夫だろうかと確認すると、向こうは大丈夫のようだ。
 
 そうすると・・・これはまさか・・・!?

「派手な技だけが威力があると思うのは大間違いだよ」

 水の底から響くように、水地の声がした。

「この場で、せめて君だけでも殺しておかねばな・・・!」

 肺の中に、異物が溜まってくる感触・・・。
 まさか・・・今、吸い込まされているのは・・・。

 必死に吸い込もうとしていた呼吸を、自ら止める。

「もう、遅い」

 止めても、鼻から無理矢理気体が入ってくる。

 これは・・・水蒸気・・・!

 吐き出そうとするが、うまくいかない。
 元々、完全に呼吸が落ち着く前だった。
 しかも、声が上げられぬのでほとんどの魔術が使えない。

 まずい・・・意識が・・・・

 真之介の身体がぐらりと泳いだのを見たあやめは即座に結界を切り裂いて、真之介の下へ走った。
 もはや周囲が見えていないのか、あやめが近づいても真之介は苦しそうにあえぐだけだ。

 状況の推測はついていた。
 倒れ込んだ真之介の身体を支えつつ、霊力を込めた右手の平で、真之介の胸部の一点をしたたかに打った。

「・・・、ガ・・ハッッ!」

 叫びとともに、真之介は体内に溜まっていた水を吐き出した。
 次の水蒸気が入ってくる前に、即座に対応して、魔術でこれを解除した。

 こんどこそ、呼吸を落ち着けようとすると、あやめがそっとハンカチで口元を拭いてくれた。

「もう少し、優雅な方法はなかったのか?」
「あるにはあるけど、時間がないと思ったから」
「そうだな」

 そう言って、ふっと微笑む。
 ありがとう、の言葉の代わりであった。
 このあたり、素直になれないのではなく、照れくさいのだろう。

「そう言えば、水地は?」
「もはや戦う力など残っていないさ。そうだろう?」

 真之介の呼びかけに応えるかのように、新しくできた湖の水面がさっと波立ち、そこから一対の角を持つ大蛇の頭が現れた。

「水地・・・ミズチ・・・蛟・・・か。なるほどな」

 これが水神たる彼の本来の姿だったわけだ。
 しかし、角は半ばで折れ、鱗もあちこちがはがれ落ちて、凄惨な様子だった。

「せめて俺だけでも、ということは、もう力は使えまい」
「まったく、惜しいよ・・・」

 人間の姿の時と同じ声で水地は喋った。

「あと十年・・・、いや、五年あれば、君を魔の王に据えてこの帝都をたやすく崩壊させることも出来たろう・・・」
「真之介は人間よ」
「それが、つくづく残念だ」

 凛と言い返したあやめの言葉にも今度はひるまず、水地は深々とつぶやいた。

「君の力を見誤っていた。解っていたらこんな物に頼らずに、君をどうにかしていただろう。膨大な、魔力と霊力・・・。我らの仲間、いや、救世主として申し分ない・・・。まあ・・・いずれ君が解ってくれることを信じたいが・・・、我らの仲間は、君が変革する時間を待っている時間は、ない」
「おまえに残された時間もな」
「そのようだ」

 水地はあっさりと肯定した。

「出来れば、無敵にしてから解放したかったのだが、こうなっては賭けるしかないな」
『!!』

 真之介もあやめも、即座に剣を抜いて、一直線に水地に迫った。

「私が死んでも、呪縛は解ける」

 その言葉で、二人の剣がぴたりと止まった。

「そう・・・。どちらにしても遅いのだがね」

 水地の背後の壁が大きく崩れた。
 先ほどの衝撃で壊れていたのか、水地が何かをしたのかは解らなかったが。
 その奥から、ゆっくりと姿を現した物がある。

「ドラゴン・・・?」

 ふと、そんなつぶやきが口から漏れた。
 そう、それはひょっとしたら、ドラゴンと呼ばれる物ににていたかも知れない。
 鱗にも、外骨格にも見える皮膚。
 巨大な鈎爪をその先端につけた筋骨隆々たる四肢。
 背中から伸びた、皮膜型の翼。
 大きく開いた口に並ぶ、鋭利な牙。
 凶暴な意志を秘めた、光る目。
 西洋の神話や伝承で悪役を務めるドラゴンとは、おおよそこんなものかも知れない。

 だが、それが這い出してきて、十数メートルに及ぶであろうその身体を、ようやく直立させた瞬間、あやめも真之介も、それが何であるかを悟った。

『降魔・・・・!!』

 おそらく、間近で見たら信じられなかっただろう。
 今までに倒してきた降魔は、猫か犬ぐらいの大きさで、大きな物でもせいぜい人間より少し大きいくらいだった。
 しかし、今現れたそれは、そんな物を遙かに凌駕している。

「このままでも、君たちだけなら十分だろう・・・。あとは、こいつが自ら食らった分でも進化してくれることを願うしかない・・・」

 そこで、水地は少し間を取った。
 蛇の顔でわかりにくかったが、どうやら少し考えていたらしい。

「いや、もし万が一こいつが倒されたとしても・・・」

 そこで水地は、穏やかな目で真之介を見た。
 人間の姿なら、男色家の視線にすら見えたかも知れない。
 しかし、本来の姿ではその視線の意味を探ることが出来なかった。

「さらばだ、闇の救世主、山崎真之介君」

 そう言うと水地は、その身体を跳ね上がらせ、巨大降魔の口の中に飛び込んだ。
 耳を覆いたくなるような音が何度か聞こえ、そのあと、別の方向から悲鳴というか、絶叫が上がった。
 生き残っていた研究者たちである。
 今まで水地の妖力で叫び一つ上げられなかったが、水地が死んだことで解けて、直後に恐怖におそわれたのだ。
 ほとんど人外の叫びを上げながら、全員が逃走していく。
 まだ、判断能力がかろうじて残っていたらしい者が、少し遅れて明かりを持ってそれに続いていった。
 明かりが無くなっても、この広間は相変わらず物を見ることが出来た。
 気がつけば、その場に残ったのは真之介、あやめ、そして巨大な降魔のみ。

「あやめ、おまえは一度地上に戻れ」

 光刀無形を抜きながら、表情を押し殺しつつ真之介は努めて淡々と言った。
 表情がないのではない。
 顔も濡れているために解らないが、顔には汗がにじんでいる。

「何言ってるの」
「米田と一馬の二人を呼び戻した方がいいかも知れんが、今退散していった連中が、事態を正確に報告できるとは思えん。おまえがやってこい」
「あなたはどうするの」
「足止めをしておかねば、こいつが地上まで行ってしまいかねん」

 極力感情を感じさせまいとしている声が、あやめに対してはかえって雄弁となってしまうことに、真之介は気づいていたのか気づいていなかったのか。
 あやめはあきれながら、神剣白羽鳥を構えた。
 真之介の顔に、今度ははっきりと苦みが現れる。

「上官反逆罪」
「銃殺でも何でも、する気があるならやってみなさいよ」

 完全に真之介の負けである。
 そう、わかりっていたことだ。
 あれを相手に、一人で戦えるわけがない。
 真之介はそこまでうぬぼれているつもりはない。
 だが、二人で戦っても、対降魔部隊が四人そろっても勝てるかどうかは解らない。
 ならば、あやめを避難させることを第一にしたかったのだが、やはりこれもわかりきったことだ。
 あやめを丸め込むのは無理なことくらい。

 あやめを戦わせることへの不安、不満は山ほどある。
 しかし、あやめが自分の隣にいてくれることに、真之介は否定しようのない幸せを感じてしまった。
 こうなっては無駄だと、自分でも解った。

「倒せれば最善だが・・・」

 ゆっくりと、獲物の品定めをするように近づいてきた降魔の醜悪な姿に剣を向ける。
 あまりに違いすぎる大きさ。
 対人間の大きさであるこの二振りの刀でどこまでこいつと戦えるものか。
 楽な戦いにはなりそうもない。

「いくぞ、あやめ」
「うん」

 その予感は、はずれなかった。


第五章 真夜中を振るわせて


初出、SEGAサクラ大戦BBS平成十年十二月六日



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