戦慄の扉は開き
追憶其の五
第五章 真夜中を振るわせて


第四章 夜の幕を引く手

「これならどうだあっっっ!!」

 真之介の右手が、いびつな立体をいくつも描く。
 召還魔術だった。
 音もなく、降魔の足下に真白な長方形の結界が出現する。
 結界内に無数の呪符が現れたかと思うと巨大降魔にとりつき、次の瞬間上空へ吹き飛ばした。
 白い結界の上端を突き抜けた瞬間、その周囲が赤く染まる。

 これでもう何発目になるだろう。
 確かに、通じてはいる。
 普通に剣を振るったのでは、周囲の高い妖力密度のために阻まれてしまい、切ることすら出来なかったが、霊力を込めた必殺技や真之介の魔術、あやめの法術なら損傷を与えることは可能だった。
 だが、それは、この降魔の大きさを考えれば、ちょっとした怪我程度の物でしかないらしい。

 降魔は、吹き飛ばされたものの、その大きな体が天井にぶつかるより早く体勢を立て直し、口から爆発性の酸を吐いた。
 爆風が顔に直接吹き付けられるが、ここでひるんではならない。

「彩光紫閃、凄覇天臨!」

 光刀無形から紫のまばゆい光が放たれ、それを真之介は最上段からまっすぐ垂直に振り下ろした。
 並大抵の物なら一刀両断できる一撃が、こいつにはどれほど効いているものか。
 あやめはすかさず真之介の援護をする。
 鞘に収めた神剣白羽鳥を、気合いとともに真横に抜き放った。

「深仙速翔、飛燕流空!」

 剣撃が、真之介の身体をすり抜けて、降魔だけを横真一文字に切り裂いた。
 その先端だけが、一羽の燕のように。
 これで降魔の身体に、十文字の巨大な傷が入った。
 真之介は即座に追い打ちをかける。

「The groly of the Lord ! Worthy is the Lamb !」

 呪文というよりは、賛美歌の歌詞のように真之介は唱えた。
 唄うと言った方が正確かも知れない。

「Grand Cross !」

 真之介の描いた十字から、降魔に刻まれた十文字へ向けて、真っ白な光が突き刺さる。
 その光は、降魔全体を飲み込んで、それを焼き尽くさんとする。

「ギェエエエエエエッッッ!」

 たまらず、降魔が悲鳴を上げた。
 効いてはいるのだ。
 しかし、人間だって、柱の角に頭をぶつけても叫びくらい上げたりもする。
 この程度のことをいくら続けても倒せはしない。
 そう叫ぶかのように、魔術が終わった直後に降魔は大きく翼を振るった。

 間違えてはいけない。
 あの大きさの物が、この大きさの翼で飛べるわけがない。
 これは、純然たる武器でしかないのだ。
 その先端は、鋭利な刃物・・・ではなく、鋸のようになっていた。
 傷つけた生物に、苦悶を増やすためだろうか。

 魔術を放った直後の真之介はかわしきれなかった。
 十何個目かの傷が入るが、これはまだ浅いという方だ。
 翼の直撃を食らっただけでもほぼ確実に致命傷となるくらいの質量差があるのだ。

 それにしても、戦闘用の強化服ならば、まだ少しはましな物を。
 強化繊維さえ組み込んでいない普通の軍服では防御力はないに等しい。
 ぼろぼろになっている右膝から先のズボンを破いて包帯代わりにした。
 あやめも、動きにくいスカートの先を半分破いて同じようにしている。
 こんな状況でなければ見とれることも出来たろうが、真之介がかろうじて考えたのは、スカートの非実用性だけだった。

 とにかく、出血はどうにかしなければならない。
 致命傷でなくとも、失血が大きければそれだけですぐに戦えなくなる。
 二人そろってかろうじて戦いを維持している今、どちらかが倒れた次の瞬間、もう一人も倒されているだろう。
 今も、二撃目を加えようとした降魔を、あやめがかろうじて牽制している。

「深仙急翔、鷲翼風旋!」

 顔面を狙った攻撃に、降魔は小うるさそうに反撃をした。
 巨大な翼が大きく羽ばたきしたかと思うと、壮絶な突風が広間を吹き荒れる。

「ああっ!」
「あやめっ!」

 吹っ飛ばされてきたあやめをかろうじて受け止めたつもりだったが、その勢いと、同時におそってきた風圧のために真之介まで吹き飛ばされた。

「空烈!連衝!」

 自分の背後で、衝撃波を幾度も発生させて、段階的に速度を緩めていく。
 それでも、何十メートルも先の壁まで叩きつけられることになった。
 ここは自分の身体を緩衝剤代わりにして、あやめをもう一度しっかりと受け止める。

「真之介・・・っ」
「だ・・・大丈夫だ。おまえ一人くらい、軽いからな・・・」

 珍しく軽口が出たのは、あやめの目の下あたりに、すっと紅い筋が入っているのを見たからだった。

 あの降魔は絶対に許さん。
 今は出来なくとも、いつか必ず殺す。

 その怒りを、あやめに見せないための軽口だった。
 そう・・・、今は、出来ない。

 今の自分たちでは、水地の言ったとおり、こいつは倒せない。
 幸い、大きく吹っ飛ばされたために、あやめと話をする間が出来た。

「方針変更だ。この場でやつを倒すのは不可能に近い。どうにかして封じることを考えるぞ」
「封じるって・・・、水地の話ではここ周辺は地脈からエネルギーが流れ込んできているのよ。封印を施せたとしても、やがては力を取り戻されて破られてしまうわ」
「とにかく、米田と一馬の二人を呼びつけて、こちらが体勢を立て直す時間が一ヶ月ばかり稼げればいい。何か術法は知らないか?」

 真之介の知っている魔術は、直接の攻撃防御と、付与、操作といった無人兵器開発用の物が中心である。
 封印というのは専門外だった。
 その点あやめは藤枝家の巫女として、防御系の術は多く心得ていた。

「あるわ。でも今のあいつの強さじゃあ、仕掛けてもかわされるか、完全にかかる前に破られる可能性が高いわよ・・・」
「そうか・・・」

 真之介は、しばらく降魔の方を見て考えていたが、やがて、

「わかった。それについては俺が何とかする」

 と言って、あやめの目を見ずに降魔の方へ向き直る。

「俺がやつの生命力を削れるだけ削る。そうしたらその術法を使え。いいな」
「よくない」

 あやめはきっぱりと言い返した。
 真之介はここでがっくり来ても良さそうな物だが、何の反応も示さなかった。


「禁呪を使う気でしょ」

 真之介は無言だった。
 答えられるはずがない。
 しかし、その態度はかえって雄弁になってしまった。

「やらせないわ。本当に闇の救世主か何かになっちゃうかも知れないのよ・・・!」
「ここで二人とも倒れるよりマシだ」

 真之介は、自嘲するかのように、それだけを口にした。
 しかし、あやめもそんなことで引くわけには行かない。

「そんなことをする前に、私が止めるわ」

 魔術、呪術の中でも、特に禁忌とされるものが、禁呪文、あるいは禁呪法と呼ばれる。
 反魂の術など、現世の理を覆しかねない術がこれに分類され、使えば、正統な生命からの逸脱、すなわち西洋で言うところの堕落、あるいは堕天を意味する。
 力の源となる存在に、魂を乗っ取られるか、捕らわれるか。
 人間でいられなくなる可能性も高い。

 真之介が、人間でなくなるかも知れない。
 真之介が、真之介でなくなるかも知れない。

 その恐怖は、死の恐怖を上回った。
 そしてもう一つ、あやめはまだあきらめていない。

「約束したでしょ・・・。帝都を守って、もう一度・・・」

 それ以上は、恥ずかしくて口に出せなかった。
 そのときは、婚約者として、未来の生活のためにあの街を歩きたい。
 自分一人が生き残ったところで何になろう。

 二人そろって帰るんだから。
 あきらめない・・・。
 あきらめて欲しくない・・・。

 真之介は答えない。
 しかし、一人で動きもしない。
 彼は、迷っていた。

「真之介・・・!」

 叫びとともに、真之介の肩をつかんで無理矢理こちらを向かせようとする。
 そのとき、

キィィィィイイインンッ

「な・・・・!?」
「何・・・これ・・・」

 音にならない音が走る。
 二人の身体の奥底から、何かが沸き上がってくるような感覚・・・。
 お互いと、お互いの間に、限りない充実感が満ちる。

「あやめ!」
「うん!」

 いける・・・、これならば・・・!
 私たち、二人なら・・・!

 剣を収め、舞踏会の会場ででもあるように、手と手を取り合う。
 確信できる感覚・・・、間違いない・・・!

 そこが、世界の全てであるかのように思える。
 集まる力とともに、我知らず叫んでいた。

「集え!俺たちの希望!」
「来たれ!私たちの未来!」

 つないだ手と手を離すことなく、舞い踊りながら、
 思いを声に、
 思いを形にする。

「出会えたこの帝都を守るため・・・」
「契りしあの約束を守るため・・・」

 一つ一つの声、一つ一つの動きが、互いの存在を確かめ、より強くしていく。
 互いの瞳に、同じ光景を夢見て。

「我らの力よ、一つとなりて・・・!」
「立ちはだかるものを、薙ぎ払え・・・!」

 互いが互いを抱き寄せ、真之介の左手とあやめの右手が、一緒になって繰り出された。
 そして、声を一つにして、高らかに唄った。

『神精麗晶、光羽翔舞!!!』

 全てを照らし出さんとする、輝かしき光。
 まぶしくて、色さえ解らないその光が、確かに降魔を捕らえた。
 膨大な光の奔流が、降魔を押し流す。
 無論、押し流されるだけでは済むはずがない。
 これまで、二人の幾度もの攻撃に耐え抜いてきた強靱な外骨格がボロボロと崩れていき、白い灰と化していく。
 このまま行けば、完全にこいつを消滅させることも可能かも知れない。

 しかし、先に限界が来た。
 二人の手から放たれる光が、徐々に弱くなっていき、そして、消えた。
 それと同時に、あやめの身体が大きくのけぞった。
 支えてやったその身体は、真之介の目には今にも折れそうにすら見えた。

「あやめ・・・!」
「ま・・・まだ・・・・!」

 降魔はまだ五体を保っている。
 このまま完全に倒しておきたいところだが、魔力、霊力ともに大きく消耗している今の状況では、倒せそうにない。
 降魔はまだ、自分で動くことが出来るようだ。

 しかし、与えた損傷は、これまでの累計と比べても遙かに大きい。
 確実に、力を弱めている。
 今なら封印することも可能だろう。
 たとえ一時のことであっても、この戦いを無為に続けるよりは遙かにましだった。

「真之介・・・、霊力を・・、貸して・・・」

 今ので大きく力を使った分、あやめも霊力の残りが少ないのだろう。
 つないだ手から、あやめに霊力を手渡すようにして送り込む。
 教えられたことも、試したこともないのに、何故だが自然と出来た。

「天魔徴伏、不浄封印!」

 あやめの声とともに、降魔を多重陣が取り巻いた。
 その陣がゆっくりと動き、降魔を元いた場所に強制的に収めていく。
 すなわち、水地が使っていた場所を再利用するつもりなのだ。

 あやめは次々と祝詞のような言葉を紡いでいく。
 神社などで聞けるものとは、どこかしら違って聞こえたが。
 それとともに、多重陣に幾重にも文字が浮かんで、光を強めていく。

 降魔は必死にあがらおうとするが、二人の合わさった霊力の方が上だった。
 このまま行けば間違いない・・・そう思ったときだった。

「地にありし神々、常世のつなぎ手・・・、!」

 言葉を紡いでいたあやめに、突如異変が起こった。
 何度か身体をのけぞらせた後、口に手を当ててひどくせき込む。
 その指の間から、赤い物が漏れた。
 見ると、軍服のいたるところが鮮やかな赤に染まりつつある。

 無理もない。
 先ほど膨大な霊力を消費した上に、さらに霊力を消耗する法術を、休み無しに使っているのだ。
 とうに限界は超えている。
 ここまでがまず長期戦だった。
 真之介はこれまでに霊力と魔力を併用しながら戦って来れたのに対し、あやめは主戦力に注ぎ込むのが霊力しかなかったことも理由に挙げられるだろう。

 だが、ここで気を抜いたらおしまいだ。
 あやめは吐いた血を拭い、すぐに言葉を紡ぎ直し、真之介はあやめを通じてあらん限りの霊力を降魔に叩きつけようとする。

「封ぜよ力、閉ざせよ空域!」

 封印の術が完成した。
 完全に降魔の動きが止まり、一度崩れた岩盤が再び一枚岩と化していく。
 その岩壁の奥に、ようやく降魔の姿が見えなくなった。

「やっ・・・・・・た・・・・・・」

 ぐらりと、あやめの身体が傾いた。
 顔には全く血の気がない。
 その代わりに、幾筋も額や頭から血が流れていた。

「あやめ!」

 抱きとめて呼びかけるが、応える気配がない。
 見ると、露出している手や足の肌のいたるところから、皮膚が裂けて出血していた。
 すぐに思い至って、服を脱がせてみると、服の下の傷もひどかった。
 あやめは戦いながら自分の傷をある程度治していたが、それらが開いたこともあるだろう。
 だが、身体の組織が使った霊力に耐えきれなかったのかも知れない。

 考察は後だった。
 放っておけば、このまま失血死しかねない。

 死なせはせん・・・・・!

 霊力を操る者として、心霊治療の基本くらいは学んでいる。
 とにかく、傷をふさいで出血を止めることから動いた。
 残り少ない自分の霊力を振り絞って、まず心臓近くで危険な傷から、次々と治していく。
 慣れないことなので、さすがにかなり疲労するが、自分のことはほとんど考えていなかった。
 本当は、魔術を使った方が効率がいいのだろうが、あやめの属性と反発する可能性があるので使えなかった。
 このあたり、あやめに関わることだけはまだ冷静だった。

 一度一通りの傷をふさいだ後、もう一度今度は傷跡を残さないように完全に治す。
 このあたりは意地だったかも知れない。
 ほとんど考えるより先に、行動していたような気もする。

 傷を治しおわった後、服を着せて、その上から自分の上着も掛けてやる。
 体温が低下している。
 問題なのは、失った血と霊力だ。
 輸血の術など真之介は心得ていないし、霊力は・・・、自分の霊力を注ぎ込むことは可能だったが、それを思いとどまらせる思いがあった。

 清浄の巫女。

 身体の組織に働きかけて、傷を治すのとは訳が違う。
 霊力そのものを渡すとなると、反発が大きくなる可能性が高い。
 そして、先ほどの全身の怪我も、もしかしたら自分が送り込んだ霊力が通り抜けていったせいかもしれない、という恐怖が頭から離れなかった。

 やむをえん・・・!

 一刻も早く地上へ戻って、病院で正式な治療をした方が確実だと真之介は判断した。
 二剣二刀だけを手にして・・・バスケットは置いて行くしかなかった・・・あやめを背負った。
 残っている魔力は、あやめの周囲の大気を暖めるのに費やした。
 瞬間移動を心得ておけばとつくづく後悔しながら、真之介は地上への道のりを急いだ。



第六章 夜の奥底で永久に眠れ


初出、SEGAサクラ大戦BBS平成十年十二月六日



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