帝都怪盗浪漫銀仮面 第八話「真実」 |
やけに、暑い。
というか、熱いぞ。
塚本は、自分の周囲の熱気で目が覚めた。
目が、覚めた・・・・・?
まず、意識がぼんやりと戻ってくる。
視界がまだ三分くらいしか効かないが、どうやらさっきまでいた宮城の一角のようだ。
俺は・・・・生きているのか・・・?
銀仮面の必殺とも言うべき一撃を食らって、自分は死んだのではなかったのか。
思い出しても、疑問と共に怒りがこみ上げてきそうになったが、この状況はどういうことだ。
奴は、俺を殺していない・・・?
身体を何とか動かしてみる。
動かなかったら多分霊魂だけになっているんだろう。
動作の一つ一つが重かったが、指先がかろうじて動いた。
一かき。
砂利をすこし掴んだようだ。
二かき。
くしゃっ
何かをつかんだ。
分厚い封筒のようだ。
もう、何かわかった。
ここ一ヶ月はそうでもなかったが、眠りの攻撃に耐性がつくまでは、眠らされたすぐ横に銀仮面の告発状がしっかりと置かれていたのだ。
最近は眠らされなくなったので、銀仮面が去り際に告発状を投げてよこしてくることがほとんどだったのだが。
わざわざ死んだ人間の枕元にそんなものを転がして置くだろうか。
ということは・・・つまり、何だ。
あいつは、自分を殺していない・・・。
とどめを刺すつもりもなかった、ということになる。
しかし、あいつは言った。
ーーー君とこうして話すのもこれが最後になりそうだーーー
ーーー君が私を捕まえることは、永遠に、ないーーー
あいつは、はぐらかすような言い方をすることはあっても、虚言を吐いたことは一度もなかった。
だからこそ、塚本はその言葉を銀仮面の意志と信じて疑わなかった。
はぐらかすような言い方・・・。
その裏にはいつも何かしらの真実があった。
真実・・・・・・・・だと・・・・・・!
最後・・・。
永遠・・・。
その瞬間、塚本は恐怖に襲われた。
殺される、と思ったときに感じた恐怖など比較にならないほどの。
「じょう・・・だんじゃ・・・ねえ・・・!」
鉛のように重く感じられる身体を叱りつけて、塚本は這ってでも身体を動かす。
銀仮面が向かったであろう、花組の乙女達が待つ場所へ。
「言ったはずだ・・・俺は、貴様を捕まえるまでは死なねえ・・・。だから貴様も・・・俺に捕まえられるまで死んじゃあ、ならねえんだ・・・・・!!」
自分でも無茶苦茶だと薄々感じながら、血を吐くような想いとともに叫んだ。
「待っていろ・・・行くんじゃ、ねえ・・・銀仮面・・・!」
その道のりは、今の塚本には絶望的なまでに遠く感じられた。
* * * * * * * *
やあみなさん。楽屋まで押し掛けてきて迷惑じゃありませんでしたか?
しかし、心のたけを現そうとするといつのまにか・・・
すみれさん、僕は決して、あきらめませんよ・・・
「・・・・・・・・・鹿沼・・・・・・子爵・・・・・・・・」
すみれは、その男の名を口にしたものの、聞こえた自分の言葉が信じられなかった。
先ほどまで自分たちを取り巻いていた炎が宙に消えていくときに、たまたま幻聴でも起こしただけのような気さえした。
しかし、自分に言われてみて、納得もした。
ひびやしわをとり、眉や髪の生え際を黒く染めれば、その笑顔は間違いなくその男の顔だった。
「鹿沼・・・?」
炎が消えたので、ようやく五人が近づくことが出来るようになった。
すみれのつぶやきを聞き留めたカンナが少し首をひねって考え込んで、
「思い出したぜ!愛はダイヤの公演の時、すみれに会いにわざわざ楽屋まで押し掛けてきたご苦労な子爵じゃねえか!」
「・・・あの、ダイヤのおじちゃん・・・?」
愛はダイヤの公演になぞらえるように、かつてすみれに極上のダイヤを贈ろうとしてそれを突っ返され、楽屋まで来た子爵がいた。
そのときに、実は花組の面々とも面識がある。
「フフ・・・おじちゃんはひどいですね、アイリス嬢。これでも、あなた方の大神少尉と二つしか違いませんよ」
銀仮面は・・・鹿沼は自分の顔に手をやって、素顔であることを確認してから、少しあきらめたような顔で笑った。
鹿沼草十。
帝国子爵にして貴族院議員。
鹿沼財閥の御曹司。
いや、それらに元、と言う接頭語をつけざるを得ないだろう。
「・・・どうして・・・あなたが・・・。
今年の四月に、子爵位と屋敷を遠縁の親戚に売り渡して行方不明になったと聞いていましたけど・・・」
鹿沼は、それを聞いて驚いたように一度目を見開いてから、その目を細めて微笑んだ。
「御存じでいてくれたんですね、すみれさん」
その声は、心底嬉しそうだった。
「それは・・・あんなにしょっちゅう贈り物を贈ってきた無礼者がいなくなれば、少しは気にかけもしますわ・・・」
茫然となって取り乱しかけた自分の口調を慌てて引き締める。
それは、本音ではない。
隠しきれなかった感情の方こそが、すみれが人に見せることを嫌う、しかし間違いなくすみれの本質である優しさなのだ。
「・・・あんな、形だけのものにも、少しは意味があったのですね」
鹿沼は額に手を当てて、自嘲気味につぶやいた。
かつて鹿沼がすみれに送った品物は、種々の宝石から美術品まで極めて多岐にわたる。
その数は、すみれに言い寄ってきた数ある青年貴族の中でも一人飛び抜けていた。
中でも忘れられないものに、愛はダイヤの公演中に贈られてきたあの極上のダイヤがあったが・・・。
しかしそれらは今年の三月を最後にぱったりとなくなっていた。
そして四月ごろ、鹿沼子爵が出奔したという話が、社交界で噂に上ったのだ。
気にかかったすみれは、地方巡業で帝都を離れているときも帝都日報を欠かさず読み、帝都に戻ってきたときには自分の足で調べもした。
だが、その消息はまったく分からなかったのだ。
それが、
「何故、こんなことになっていたんですの・・・?」
わからない、と言う風に、すみれは二三度首を横に振る。
「お話しできません・・・と言っても、今度は許してもらえそうにないですね」
「当たり前ですわ」
「どこから・・・話しましょうかね・・・」
覚悟を決めたかのように、鹿沼は顔を上げた。
「全ては、あの日から始まりました」
「あの日・・・?」
「ええ、今年の三月・・・東京湾に出現した幻の大地に帝国華撃団が突入した、あの日です・・・」
そう言うと、鹿沼はその場に思い思いに立ちつくしている乙女達を見渡した。
こんな乙女達が・・・、あの降魔あふれる魔都に突撃したというのだから・・・。
「ミカサの発進、霊子砲の発射・・・まあ、それらの事実を知ったのはだいぶん後になってからでしたが、それに続いた虹色の歌を、帝都の人々と同じく、私も聞きました」
あの日、帝都全てが輝いて見えた。
大和の上空から白い光に指揮されて奏でられた虹色の声なき声に合わせるように、帝都全てが歌っていた。
「その中に・・・私はあなたの声を聞いたような気がしたのです」
最初は、そんな馬鹿なと思った。
すみれがあんなところにいるなど、信じられなかったのだ。
だが、虹の一つ、紫色の歌の向こうに、すみれを見たような気がしたのだ。
「帝都の騒乱が一段落してから、それが気になった私は帝国華撃団のことを調べ始めました」
「機密事項ですのよ・・・、そう簡単に・・・」
「ええ、花小路伯爵には散々手こずらされましたよ。
貴族院議員の職権を十回くらい濫用しましたかね」
鹿沼は苦笑しようとしたがうまくいかなかった。
「そして、ようやく突き止めました。帝国歌劇団こそが、帝国華撃団の真の姿だと」
声に出してしまえば正しいが、鹿沼の意図した言い方は実は正確ではない。
本来は、帝撃構想こそが帝劇の先にあったのだ。
それを否定したかったのは鹿沼の私的感情である。
「それを知って、自分が情けなくなりましたね」
すみれは、神崎家の娘たる財力、権力を捨てて、自分の力で生き、そしてこの帝都を守っている。
それに対して自分はどうだろう。
自分の存在が、限りなく無駄に思えた。
「少しでもあなたに近づきたくて、家の財産を帝都の再建につぎ込んだり、帝都復興特別法案を議会にかけたりしましたが・・・」
貴族院議員にして子爵。
その立場と財産を以て、それまでやっていたのは、社交界で名を得ることか。
金に飽かせて贅沢三昧をすることか。
自分の意のままに行動するために権力を握ろうとすることか。
振り返れば、あまりにも情けなかった。
だから、すみれに贈り物をするのも止めた。
自分にその資格も権利もないと思ったから。
「でも、結局無力感はなくなるどころか、日増しに強くなっていきました」
「・・・まさか、それで・・・?」
「ええ」
すみれの顔が、少し青ざめた。
ここまでの動揺をすみれが見せるのは珍しい。
自分のあずかり知らぬところで鹿沼が自分のために悩み、身を落としていったとは・・・。
毒舌を以て知られるすみれの性格だが、その本当は、誰よりも優しいのだ。
「又従弟に売り渡して、家を捨てました。
お金は・・・まあ、手元には残しませんでしたよ。
自分一人で、金も立場も捨てて何かがしたかった・・・。
あなたのように・・・」
実は、売り渡して得た金は、匿名で帝劇の再建資金に寄付したのだ。
でなくば、帝都中を復興せねばならなくて、道路、鉄道網などを優先せねばならないときに劇場の復興など出来なかっただろうから。
だがそれは口にはしない。
すみれに対して、そんなことを言いたくない。
「そんな、無茶な・・・」
すみれは言葉を続けるのが難しくなってきた。
自分が家を出たときには行く場所があった。
あやめと、そして帝劇が自分を迎えてくれた。
それらのものが何一つなかったら、自分は今頃どうなっていたか・・・。
「世間知らず、でしたね。
復興さなかの帝都には仕事がある・・・という目算はあったんですよ。
でもね、社交界のぬるま湯にいた男がしっかと生きていけるほど甘くはなかったんです」
そこで鹿沼は口元に手を当てて笑った。
どこか乾いた・・・悲しい笑いだった。
「わかりますか、すみれさん・・・。
貴族院議員だ、子爵だと言って、日本の頂点近くにいると錯覚していた男は、それらの肩書きがなくなったら、自分一人では七日も生きていけないような人間だったんですよ・・・!」
嘲笑だった。
鹿沼は自分自身を嘲笑っていた。
過去の自分だけでなく、こんなことを話している今の自分をも。
だがすみれも後悔していた。
鹿沼にこんなことを話させてしまったこと。
鹿沼をこんな目にあわせてしまったこと。
責任はないのかも知れない。
だが、原因は間違いなく自分なのだ。
ひとしきり笑い終わって、鹿沼はシルクハットのつばを少し上げた。
「すみれさん。蒼き刹那、白銀の羅刹、という名を覚えていらっしゃいますか?」
突然、関係のなさそうなことを言われてすみれは思い出すのに少し時間がかかった。
「確か、黒之巣会死天王のうちの二人の名前・・・」
昨年の半ば、深川と浅草で戦った妖術士だ。
花組が最初に倒した、意志を持った敵である。
「私は、彼らの同胞に命を救われたんです。帝都の最下層・・帝都の繁栄から取り残され、闇の中で生きることを強いられた人々に・・・」
子爵時代にも、そう言う人々がいることは知っていた。
帝都の反逆分子、危険集団としての認識ではあったが。
「彼らは、自分たちの生活を脅かすもの、自分たちを支配しようとするものには勇敢に戦うんです。でも、同じ世界まで落ちてきた者には、こんな私にさえも優しかった・・・」
あのとき、死にかけていた自分の目の前に出された、水のような粥の温かさは決して忘れることはないだろう。
「ですけど、黒之巣会の所行が許されるわけではありませんわ」
「わかって下さい、と言っても難しいでしょうね。彼らがどれほど苦しみ、あえぎ、絶望のような憧れで帝都の繁栄を見上げてきたか、私も中に入るまでは考えもしなかったのですから・・・」
そのとき、すみれと鹿沼の立場は決定的に違っていた。
たとえ鹿沼がその人々を「私たち」と呼んでいなくても、二人の間には明らかな溝があった。
「だからといって、帝都の人々のささやかな幸せを踏みにじるなんて・・・」
「彼らは幸せどころか、その日生きて行くことが出来るかどうかという状況なんです。彼らにとって幸せとか言うのは、その日生きていけることを政府と帝都に約束された者だけが言える戯言なのですよ」
そのとき、すみれは気づいた。
何故鹿沼が自分と対立する立場で話しながら、その人々を「彼ら」と呼ぶのか。
嘆きの糾弾を、すみれに向けて放たぬため。
反論すれば向けてしまう弓を自分に向けることによって、すみれを攻めないようにしているのだ。
あなたは・・・
自分でも、その言葉に何を続けようとしたのかわからぬうちに、鹿沼の声が思考を遮った。
「もちろん、彼らの全てが黒之巣会のように破壊活動に走るわけではありません。彼らの多くは耐えることも知っている善良な人々です。ただ、彼らには黒之巣会のような組織を待望する気持ちは常にあるんです・・・。帝都が、このままでいる限り・・・」
決して饒舌とは言えないその言葉に、すみれは反論できなかった。
かつて自分と同じ場所にいた鹿沼が言うからこそ、その意味を思い知らされるのだ。
「話がそれましたね。続けましょうか」
すみれは、頷くしかなかった。
「命を救われたものの、私には後悔がありました。それまでの私は、彼らの苦しみの上で贅沢を極め、国政に関わる責務を果たしていなかったのですから。
彼らの恩に報いたかったのです。罪滅ぼしをしたかったのです。
でも、私は二度と子爵に戻るつもりはありませんでした」
それで、やっとわかった。
巻菱邸で残されていた告発状。
刑事事件になるような罪ではなく、巻菱子爵は告発もされなかった。
それでも鹿沼は残した。
過去の自分を巻菱子爵に重ねていたのだ。
帝都の下層にいる人々を省みず、優雅を極めていた者に・・・。
銀仮面の集めていた金品も、下層の人々に配られたのだと推測がついた。
・・・そう、まだ聞いていない。
銀仮面の力は、いったい・・・
「私に残されたものは、この身体と命だけでした」
「それを、売り渡したと言うんですの・・・」
すみれは、自分の声が震えていることに、言ってから気がついた。
それを聞き留めて、鹿沼はすっと目を細めて笑った。
年老いた顔であっても、そこにはまだ気品を感じさせるのが、ある種、皮肉であった。
「黒之巣会に次ぐ急進派の組織が、丁度実験相手を募集していましてね。それに志願したんですよ」
「実験、やて?」
それまで黙って聞いていた・・・どうとも口を挟めぬ雰囲気だったからなのだが・・・五人のうち紅蘭がつぶやくように言った言葉を鹿沼は聞きとがめた。
「真似はおすすめできませんよ、紅蘭嬢。外科的な方法で上級降魔を作ろうという実験ですから」
『・・・!!!』
全員の顔が驚きに満ちる。
巨大な獣と言ってもいい外骨格を持った下級降魔と違って、上級降魔は人間大ながら壮絶な妖力を持ち妖術を行使する更に恐るべき存在である。
しかし、皆が驚いたのはそれだけではない。
それは、銀仮面に初めて会ったときに連想せずにいられなかったこと。
銀仮面の話を初めて聞いたときに、思い出さずにいられなかったこと。
黒い翼の上級降魔。
忘れ得ぬ記憶を呼び起こされ、乙女達の表情は一様に沈んだ。
鹿沼はもう、そのことを知っている。
木喰が、優秀な実験報告だと絶賛していたからだ。
思い出して、やはり奴だけは滅ぼしておくべきだったかとも思う。
だが、それももはやかなわない。
「その組織はそれ以前に既に、霊的集結体を人間に憑かせて超人的な力を得ることには成功しているという実績がありまして、実験に成功して生き残ることが出来れば、こんな私にも力が入るだろう、という狙いもありました。
まあ、実のところは、参加しただけで前払いで報酬が手に入ったので、それで少しでも恩返しが出来る、というのが主な狙いでしたけどね」
少し場を明るくしようとしたのだが、どうもうまくいかなかった。
「・・・」
「おっしゃりたいことは大体わかりますよ、すみれさん」
憂い顔で自分を見つめるすみれの美しさに、鹿沼は一瞬見とれてから、その喜びを押し殺しつつ言った。
「魔の力を以て人を造り替えるのは、生命の尊厳を貶める滅びへの階段だと、まあ、そんなところでしょう?」
「・・・・・・・・ええ」
少し不満そうに答えるすみれに、鹿沼は真面目な顔で問いかける。
「でもね、すみれさん。力無くて無為無力に生きて滅びを待つのと、力の質はともかく、力を得て何かを為せるのと、どちらが幸せだと思います・・・」
「私は、私が私でなくなるようなことをやるくらいなら、即座に滅びることを選びますわ」
「・・・さすがですね、すみれさん」
鹿沼にはまぶしかった。
今確かに、すみれの霊力が、存在そのものが、光り輝いて見えた。
かつて自分は、夜会ですみれの何を見ていたのだろう。
立ち振る舞いか、
着飾ったドレスか、
貴くあり続ける言葉か、
それとも、もっと下卑に、ドレスの胸元か。
そんなものは、何も見ていなかったに等しいのだ。
でも、それらを越えた何かを、どこかに感じ続けていたのは確かだった。
魅せられた、と言ってもいい。
その理由が、今ならよくわかる。
この輝きは、すみれの生命の強さ、そして、本当の優しさそのものなのだ・・・。
それが、今の自分には限りなくまぶしかった。
「実験志願者は三十余名いましたが・・・、私が生き残れたのは奇跡でしたね」
この言葉の意味するところを察して、皆顔をしかめる。
鹿沼一人だけが笑っていた。
奇跡ではない。
激痛などと言う言葉で表せるような生やさしいものではない手術。
その後に続く、魂が魔に捕らわれるかのような、絶望的な失墜感の間ずっと彼が思い浮かべ、支えとしてきたのは、たった一人の、今、目の前にいる人の面影だったのだから。
「声も、そのときに変わりましたの?」
鹿沼の発しているかすれた声は、かつて夜会で、帝劇で聞いたそれとはまったく違うものだ。
今の今までわからなかった理由の一つである。
「そうですね・・・。体質も変わりましたし、恥ずかしながら身体を造り替えるとき絶叫し続けていましたから」
絶叫で声が変わるほどの苦痛など、すみれは考えたくもなかった。
「あとは、大体御存知の通りです。
力を得た私は、怪盗銀仮面と名乗り活動を始めました。
帝劇と帝撃のことを調べたときに、まったく関係のない上流階級の人間達の醜聞も多く見つけていましたし、元々私も同じ穴のムジナです。
告発状を書くぐらい造作もありませんでした。彼らに、自らの罪を思い知らせ、そして同時に、高いところにある金を低いところに流し込むつもりで・・・。
本当は、もう、あなたにもお会いするつもりもなかったんです。会わせる顔もありませんでしたし・・・。
あの夜、まさか、あんな形であなたにお会いするまでは・・・」
あの夜・・・実は半年以上ぶりの再会だったのだが、銀仮面としては初めてすみれにあった瞬間、それらの浅はかな考えなど、粉々にうち砕かれてしまった。
「そして、半年ぶりに帝劇のことを調べてみたら、あのモギリの青年・・・大神少尉は海軍に戻ったとわかりまして・・・。
彼のいない間にあなたの心を奪えたら、などと大それたことを考えたのが敗因ですね」
さすがにすみれも含めてみんな唖然となった。
「紳士、失格ですか?」
鹿沼は、悪戯をした子供のように笑った。
この言葉は、かつて鹿沼がすみれに言われた言葉をあえて聞き返しているのだ。
「・・・当たり前、ですわ・・・。堂々と正面から少尉に挑んで負けておしまいになればいいのですわよ」
鹿沼の告白と言ってもよい言葉に、かつてはうろたえることもなかっただろう。
無視し、無下にするだけでよかっただろう。
だが、今目の前にいる彼から告げられては、受け入れることは出来なくても、いささかも揺るがずに聞き流すことは出来なかった。
だから、言い返した言葉にもいつもの調子がない。
「そうですね・・・。お気をつけなさい、すみれさん。
やがて、彼がこの帝都に戻ってこなくてはならないときが来ますから」
お気をつけなさい。
それはつまり大神に注意すると言うことではなく、黒之巣会のような組織が再び動き出すと言うこと。
ただ、黒鬼会の名は伏せておいた。
それが、自分に力を与えてくれた組織への最後の礼儀のつもりであった。
それでも、すみれは聡明だ。
自分を改造した組織のことと察してくれるだろう。
そして、今日の自分の暴挙を見せつけられては、政財界も対魔戦闘の必要性を感じて霊子甲冑の再配備に賛同せざるを得ないだろう。
一方で、黒鬼会の降魔兵器技術は実用化まであと半年はかかると言うところまで後退させておいた。
木喰が魔操機兵への方向転換を図っているが、あの調子ではまだ時が稼げる。
何とか、間に合うだろう。
帝撃も、大神一郎も。
だが、自分には間に合わないな。
「ただ、私自身が、彼の到着を待てなかったのですよ」
聞き流せば、ただのせっかちとしかとられない言葉だが、さすがにすみれはその言葉の真意に気づいた。
崩れた右腕、折れたという翼、信じられぬほど老いた顔。
それらは、全て、
「あなたの力は・・・、自分の命を削って・・・!」
「ええ、だから、与えられた力ですけど、他人の力ではありません。この炎の力は、間違いなく私自身の力なんですよ」
崩れ落ちた右腕を見つめながら、鹿沼は少しだけ誇らしそうに語った。
すみれは、銀仮面を手にしたまま、泣きそうになる自分を抑えねばならなかった。
人前で涙を見せるのは自分ではない。
自分は、神崎すみれなのだから・・・。
「そんな顔をなさらないで下さい、すみれさん」
鹿沼の声は、涙の堰を破りたくなるくらい優しかった。
「新たな自分として、新しい自分の顔にした銀の仮面・・・。
その仮面を付けてからが、私の本当の人生でした・・・」
真っ直ぐに、ただ曇りのない瞳ですみれのことを見つめてきた。
「わずか半年であっても、私は確かに帝都に生きていた・・・。
こうして、やっとあなたと心から話してもらうことが出来た・・・・・・!」
すみれの後ろで聞いていたさくらやアイリスは涙をこらえることが出来なかった。
この人は、どれほどの思いですみれのことを見続けていたのだろう。
本当に、愛する人に自分を見て欲しいと言う想い・・・。
それは、男でも女でも同じなのかも知れない。
だから、わかる気がしたのだ。
そこに、空白が生じた。
倒れていた鹿沼はすみれの手から銀仮面をとり、身を翻した。
『!!』
「円陣六仙、焼壁!」
仮面を手にしたままの左手で炎を放ち、花組・・・すみれと自分との間に燃えさかる壁を作った。
崩れそうになる手を、巻き付けた塚本のロープが支えてくれた。
「何を!?」
「きっと・・・私はあなたの手にかかって死にたくて、ここまで来たんだと思います・・・。
でも、こうなってしまっては、あなたは私を殺せないでしょうから」
あなたは、優しいから・・・。
本当のあなたは、誰よりも優しいから・・・。
だからこそ、私は・・・。
結局、帝都の人々を救うよりも、自分はすみれのために生きることを選んでしまったというのだろう。
すみれの得になることでもないのに・・・。
だが、残念ではなかった。
浅ましいと思いつつ、すみれの手で仮面を暴かれたことに安堵している自分がいた。
石垣の縁、堀を見下ろすところまで歩いて振り返った。
「すみれさん。あなたの部屋の窓辺に、私からの最後の贈り物があります。
宝石のような金に頼った物ではなくて、初めて私が自分自身で作り上げたものです。
よろしければ、受け取って下さい。喜んでいただけたら、幸いです」
最後、の・・・・?
「銀仮面は、消えない・・・。たとえこの身体が滅びようとも、この帝都から、銀仮面が消えてはならないのです・・・。かつての私のような愚か者たちの心胆を、いつまでも脅かしていなければならないんです・・・」
それで、すみれは鹿沼が何をしようとしているのか察した。
長刀を手に、炎の壁を引き裂こうとする。
引き裂いてどうしようというのか、自分でもわからないままに。
「くっ・・・!」
鹿沼の渾身の力が込められているのか、壁は生半可な攻撃では破れそうにない。
こうなったら・・・
「すみれ、私にまかせて」
すみれが炎の壁に突っ込もうとするのを見て、さすがにマリアが止めた。
手出し口出しは無用かも知れないと思ったが、
マリアには、見えるのに手の届かない場所で大切なものを失った記憶があった。
「スネグーラチカ!」
マリアの凍気で炎が一瞬ほどけるのに間髪入れず、すみれは炎を突っ切った。
少々着物の裾が焦げたりしたが、そんなことはどうでもいい。
今は・・・。
「鹿沼子爵・・・!!!」
声を限りに叫んで、走り出そうとしたすみれの足が、
「・・・・」
鹿沼がゆっくりと首を横に振るのを見て、止まった。
左の手にしていた銀の仮面が、
すっ・・・
再び、彼の顔となった。
「銀・・・・仮面・・・・」
一呼吸するほどの間をかけて、銀仮面は頷いた。
口元にそえられていた左手が、音もなく崩れていき、
あらわになった銀の口元が、
笑っていた。
顔に刻まれた紫の斜め十字が、濡れた瞳に残像を残しつつ傾いていく。
「アイリス!」
カンナが、アイリスに念動力を使うように叫んだが、アイリスは出来なかった。
銀の仮面にとざされて見えないはずの、鹿沼の瞳を見たような気がして、アイリスはその瞳を止めることが出来なかった。
紫を伴って、銀がゆっくりと堀へと落ちていく。
すみれは、届かないとわかっていても、手を伸ばさずにはいられなかった。
「銀仮面・・・・・・・・・・!!!!!」
堀の水面に触れた瞬間、今夜三度目の、そして、最後の火柱が高く、貴く、天を焦がした。
塚本は、宮城を揺るがす振動を全身に感じた。
足腰が立たないままで、かろうじて動く手の力を振り絞って這い進んでいたとき、
彼は、その火柱を見上げることになった。
その火柱は、今までのそれとはどこか違って見えた。
火柱に少し遅れて、天から紫の薔薇の花びらが降り注いできた。
その花びらに混じって、塚本の目の前にふわりと落ちてきたものがある。
「・・・・・・何で、・・・だ・・・」
震える手で、それに手を伸ばす。
幻であってくれと願う気持ちを、触覚が裏切った。
「何で・・・、これがここにあるんだよ・・・・!」
この半年、マントを脱いでいたことはあっても、あいつがこれを手放したことは一度もなかった。
「貴様がいないのに・・・!どうしてこんなところにあるんだよ!!」
銀仮面がかぶり、また、中から様々な物をとりだして塚本を翻弄し続けてきたシルクハット。
その裏に書かれた魔法陣は、もはや何も応答しない。
「嘘だろう・・・」
ひきよせたシルクハットに、
「帰ったらまた・・・俺の机に予告状が届いているんだ・・・」
雫が一粒、
「俺はまたかり出されて・・・」
雫が二粒、
「告発状だけ受け取って、すごすご帰って来るんだよ・・・」
ゆっくりとしみが広がって、
「またその処理に忙殺されて・・・」
自分が認めたくないことを、
「それなのに貴様はまた予告状を送ってきやがって・・・」
自分が認めてしまっていることを、
「そして俺はまた、かり出されて・・・」
残酷なまでに、
「・・・俺が貴様を捕まえることは、永遠にないんだよ・・・!!」
見せつけてくれた。
「あん・・・の・・・大・・・馬鹿・・・やろおぉっっっっっっっ!!!!!」
声を限りに、叫んだ。
この地上ではない世界まで届いて、もう一度、予告状を送ってこいと・・・。
「あ・・・・・・・・・・・・」
すみれは、何かを言おうとして、言葉がどこにも見あたらなかった。
薔薇の花びらが幾重にも舞い落ちる中、
火柱がゆっくりと細まっていき、最後に少し、名残惜しそうに尾を引いて、
消えた。
ゆら・・・
「すみれ!」
「すみれ!」
倒れようとした自分を、誰かが支えてくれたらしいが、それすらもはっきりしなかった。
ただ、
頬をつたっている涙の感触だけは、
いくら否定しようとも、消えることはなかった。
楽屋に戻る。