コクリコが姿を消して三日になる。
「ったく、どこに行きやがったあのクソガキは!」
作戦司令室の椅子にどう、と座り込みながらロベリアは、当たり散らすように叫んだ。
それが、真面目に捜索をして疲れていることを隠すための仕草であることは、そろそろ周囲にバレてきている。
「落ち着けロベリア。貴様らしくもない。
焦っては見つかるものも見つからぬだろう」
「ちっ……」
グリシーヌに諭されたことが気に入らなかったというよりも、訳の分かった顔をされたことが気に入らなかった。
そしてそれ以上に、いっこうに見つからないクソガキ、に腹が立っていた。
まだ年若い少女ということで、何らかの事件に巻き込まれた可能性が無いわけでもなかったが、既に巴里華撃団の面々はその可能性をほとんど除外していた。
誘拐されたというのなら、ニャンニャン軍団が揃って姿を消すはずがない。
コクリコは、意図的に姿を消したのだ。
その考えはほぼ確信に変わっている。
かくてロベリアは、どこに行きやがった、と毒づくことになったわけである。
表には出さないものの、市場の面々に聞き込んだり、レナードから裏のルートに手を回したりして、ロベリアはかなり疲れ果てていた。
現時点で分かっているのは、最後に姿を見たのがエリカであるということ。
そして、
「ん?エリカか、花火か?」
誰かが街中にある広告塔から作戦司令室への直行ルートを使って来た音がしたので振り返ると、花火が戻ってきていた。
こちらも、らしくなく息を切らしている。
「よお、どうだった」
「はい、やっと話して下さいました。
ロベリアさんの想像通りです。
コクリコが姿を消す二日前に、ノートルダム卿がシルク・ド・ユーロを訪れてコクリコと会っていたそうです」
ロベリアが脅すように迫っても、客の秘密を他人に明かすことをよしとしないベルナールはなかなか口を割らなかった。
そこで、ロベリアとは対極的な、本来なら口を割らせるなどという作業とは無縁の花火を送るように考えたのはグリシーヌである。
信義に篤い人間には、誠意に満ちた花火に対してなら、偽るどころか沈黙すら難しいということを、グリシーヌは自らの経験でもって知っていたのだ。
「さて、グラン・マ」
先ほどから黙って地図を眺めていたグラン・マに、ロベリアは刺すような声を突きつけた。
「そろそろ、教えて貰おうか。
あのクソガキをけしかけた……あるいは、何か吹き込んだノートルダムってのは、何者なのか」
「そうだな、私も聞きたいぞグラン・マ。
彼は貴族ながら医者をやっている変わり者だと聞いているが、あのような男がただの医者であるはずがない。
おそらくは賢人機関のエージェントなのではないか」
睨み付けるようなグリシーヌとロベリアの視線を受け止めて、グラン・マはふうとため息をついた。
「それを聞いてどうしようって言うんだい」
「コクリコが彼と会話していたというのなら、彼の隠れ家や根拠地を突き止めるのは定石であろう。
医者という話は聞いていても、どこぞで開業しているかという話は聞いたことが無い」
「それもあるが……あいつの名前を聞いたときから、アタシはどうもどっかで聞いた名だという気がするんだよ。
ノートルダムが何者なのかわかれば、あのクソガキがどこに引きこもってるか、見当が付くかもしれない」
二人とも、グラン・マがノートルダム卿の正体を知っていることを前提に話している。
そして、グラン・マはそれを否定できない立場であった。
もとより、賢人機関の直下にありながら、少女たちのためならば賢人機関と激突したことも一度や二度ではない。
グラン・マ自身も確信を抱いている以上、これ以上黙っていることも出来なかった。
「ミッシェル・ド・ノートルダム……まあ、ラテン語読みした方がわかりやすいかも知れないね」
「何?」
「第十三代目、ミカエル・ノストラダムス。それがあの男の、真の名だよ」
グラン・マが、まるで無形の力に圧迫されるように無意識ながら声を潜めてつぶやいたその名前には、どこか魔法じみた響きがあった。
「ノストラ……ダムス」
その音が持つ見えないさざ波が一同の間を吹き抜ける。
ロベリアはそれをしばし頭の中でかみ砕いて、
「……思い出した!十六世紀にペストに対抗した魔術的な薬学医者の名前が確か、ミカエル・ノストラダムス……フランス語読みすればミッシェル・ノートルダムだ!」
「まさか……それは、王の死を預言したという、大預言者ノストラダムスのことか、グラン・マ」
「どっちも当たりだよ。そのノストラダムスだ」
ノストラダムスとは、記録によれば1503年から1566年にかけて生きた謎の多い人物で、薬学や衛生学に通じた医者として、当時欧州全土で猛威を振るっていたペストに対抗する一方、膨大な数の四行詩からなる預言書を記したことでも知られている。
その預言書は暗号じみた書き方をされているため、解釈は分かれているものの、一説によれば時の王の死を預言したばかりではなく、彼の生存時はまだ新大陸として知られ始めたばかりのアメリカで、南北戦争が起こることすら預言しているとも言われている。
というようなことを、メルがかいつまんで説明した。
「ただ、十三代目ってのは解せないね。
確かノストラダムスの妻子はまとめてペストで死んでいるはずだ。
それも、ノストラダムスがペストを予防するために国中をかけずり回っている最中にな」
「よく知ってるじゃないか、ロベリア」
「フン、アタシが知っていたらおかしいのかい」
実は放浪生活の間に身につけた知識ではなく、もっと古くから持っている知識である。
ロベリアは元々、魔導士に近い生まれなのだ。
「そう、子孫じゃないんだよ。
十三代目というのは、本人から数えて直系になる十三代目の弟子という意味なんだが、それが厄介なのさ。
初代のノストラダムスは、自分の幸せというものを全て失った。
並の人間なら、絶望して自殺するか、悪に走るかってところなんだが、彼は違ったのさ」
「その、どちらでも無い……?」
「わからないかい、グリシーヌ。アンタなら理解できるんじゃないかとも思ったけどね」
「私が、か?」
言われてグリシーヌは考え込んだ。
医者だと自称しつつも、ノートルダム卿は貴族だった。
それも、グリシーヌが反感を覚える貴族ではない。
どこか暗い影を纏いつつも、共感できるものがあった。
それは、
「人々のために、戦うことか」
それ以外には考えられない。
グリシーヌにわかるというのならば。
グラン・マは頷き、それから、首を振りなおした。
「いや、それがさらに極端だった。
家族全てを失い、絶望しきった男にとっては、もう、世界の人々全てを幸せにするくらいしか、生きる甲斐が持てなかったのさ」
「は?」
一堂そろって、それがどういう意味なのか計りかねた。
「それってご立派で大層なことじゃないのかい」
「それが出来れば、ね。
でも、現実にはそんなことは不可能だろう」
グラン・マはどこか自嘲するように言った。
もしかしたら、グラン・マはかつて、それができると信じていたのかもしれないと、グリシーヌだけが思い至ったが、それを口にすることはなかった。
「結局彼に出来たことは、とにかく一人でも多く自分のように絶望する人を少なくしたかったのさ。
だけど絶望していた彼は、そのために手段を選ばなかった。
より多くの人々を幸せにするためになら、預言書に王の死を記しさえした。
賢人機関と結びついた上でね」
それはつまり、預言を確実に的中させる方法とは何かということだ。
すなわち、自ら実行すればよい。
自らの手でなくても、実行させるように取りはからえばよい。
賢人機関と結びつけば、それは不可能ではない。
話を聞いているロベリアたちにとっては、賢人機関の目的すら、彼によって左右されたのではないかという疑念すら覚えさせられた。
「それでも救えなかった、自分と同じく絶望しきった者を、代々のノストラダムスは弟子としてきた。
その中でも、もはや人々を幸せにすることしか生きる意味の無くなった者が、次代のノストラダムスを名乗っていった。
今代のあの男もまた例外ではなく、多くの人々を幸せにするためになら、ありとあらゆる手段を厭わない。
救世主を求めて日本まで出向いたことすらあると聞くね」
「それでもわからぬ。
ノートルダム卿がそのような男だとしたら、彼がコクリコを攫う理由は、何だ……?」
「あのガキが不幸ってことは否定しないがね。
しかし、その話が本当なら、あのガキ一人にこだわるとは思えない。
弟子にするにしたっていくらなんでもガキすぎる」
「そうですね……。
コクリコさんの年齢でしたら、生きる意味が無くなったということは……」
無い、と言いかけて、花火はそこで躊躇った。
花火自身、わずか数年前に、生きる意味を全て無くしたと思ったことがあった。
そして、今のコクリコがそのときの状況に似ていないと言えるだろうか。
絶対の別れではないにしても、永久に近い別れを経験した者ならば。
「どうした、花火。何か気になることでもあるのか?」
「いえ、わからなくなったのです。
ノートルダム卿が、コクリコを救うつもりなのか……それとも……」
そのとき、作戦司令室の空気を切り裂くように、警報の音が鳴り響いた。
続いてシーの絶叫が響く。
「オーナー!
テルトル広場に……テルトル広場に……!」
「どうしたシー!報告は正確にしな!」
息を呑み、吐くようにぜえぜえと呼吸を整えてから叫びなおしたシーの言葉は、
「きょ、巨大なニャンニャンが出現しています!!」
「はあ!?」
「何馬鹿なこと言ってるんだい、シー!」
「馬鹿じゃありませんよぉ!今映し出します!」
映写機が作動し、グラン・マの席の後ろのスクリーンに、テルトル広場の光景が映し出された。
いや、広場を映し出したというよりも、その中心にいるものがまず全てを圧する存在感を持って映し出されていた。
「な……」
「こ……こいつは……」
それは、確かにニャンニャンだった。
つぶらな瞳といい、ヒゲの無い顔といい、少なくともニャンニャン軍団に共通した、猫とも思えない猫じみた外観は共通している。
体長は十メートルをゆうに超えるだろう。
テルトル広場に面したどの建物よりも高い。
こんなものが出現したからには、当然テルトル広場周辺は大混乱……して、いなかった。
「連中、気付いて無いのか」
「どうやら、そうらしいね」
その巨体を、ほとんどの人々は何も気にすることなくすり抜けている。
ごく一部の人間が、上空に出現した巨大な猫の顔を凝視してから目を擦ったり、隣にいる人間に尋ねたりしている。
どうやら霊的な存在らしく、ある程度以上の霊力が無い人間には見えないらしい。
「しかし、あんな霊体と重なってはどんな影響が出るかわからぬぞ」
「でも、グリシーヌ。悪影響があるというよりも、かえって元気になっているように見えます」
そう、花火の言う通り、まったく影響を及ぼしていないというわけでは無いようだ。
霊体のニャンニャンと重なっている人間は、普段はしかめ面をしているような画家や詩人に至るまで、ほとんど例外なく、ほわわ〜んと幸せそうな笑顔をしているのである。
しかもその例外は、元気な笑顔で働き回っているか、ニャンニャンに気付いてざわめいているかだ。
どちらかというと、有益な存在に見える。
見ている間にも、その巨大なニャンニャンは広場を建物と重なりながらてくてく歩き回り、くるりんと回ったしっぽを振っては、そのしっぽが通り抜けた人の顔がまたほわわ〜んとなっている。
「無害だけど…………わけがわからないね」
「かといって放っておくわけにはいかないね。
シー、あのニャンニャンに呼びかけて帰るように伝えてきな」
「えーーーーーーーっ。
ほとんどの人がきづいていないんですよぉ。
そんなのに話しかけたら私が怪しい人になっちゃうじゃないですかぁ」
グラン・マの命令に対して露骨に嫌がっているシーの言い分はあながち的はずれでもない。
霊力のある人間にとっては巨大猫に話しかける怪しい人に見えるわけだし、
霊力のない人間にとっては空中に向かって話しかけるこれまた怪しい人に見えるわけだし。
「つべこべ言ってるんじゃないよ。
シャノワールの近くにあんなぶち猫がでんと居座ってたら商売に関わるんだからね」
「はーい、わかりましたぁ……」
しばらく映像を眺めていると、広場に到着したシーが
『おーい、ニャンニャーン!帰ってきなさーい!』
と、まるで見あたらない猫を探しているかのように叫び回るのが見えた。
これなら確かにそれほど怪しい人には見えない。
そもそも周辺にいる人たちは、皆善良かつ幸せそのものの笑顔でいるので、馬鹿にする者も迷惑がる者もいないのである。
しかし、当のニャンニャンは名前を呼ばれているというのに返事も何もなく、ごろごろと転がりながら人々を笑顔にしまくっているだけであった。
『あー、こらー!人の話をききなさーい!』
その態度にいらだったのか、シーが直接ニャンニャンの顔に向かって叫ぶ。
するとようやくニャンニャンはシーの方を向いて、人の胴体ほどの太さのある前足をシーの頭に載せて、撫で撫でしはじめた。
『ちょっとぉ、何をするんですかぁ!』
シーが抗議の声を上げると、ニャンニャンはちょっと首を傾げて、
「……なっ!?」
「か……かわ……」
「なんだ、あれは……!」
足下から、大きさは二十センチほどだろうか、何十匹ものぷちニャンニャンを出現させた。
どうやって出現させたのか、誰にもわからなかった。
巨大なニャンニャンから分離したようにも、湧き出たようにも、突如として実体化したようにも見えた。 その何十匹ものぷちニャンニャンが、一斉にシーに飛びかかった。
『きゃああああああっっ!』
「シー!」
絹を裂くような悲鳴が上がり、地面に倒れ込んだシーの全身にぷちニャンニャンたちがわきゃわきゃと群がる。
『止めてぇぇ!もう駄目ぇぇぇっ!』
群がったぷちニャンニャンたちは、シーの手やら顔やらを、ちびっこい舌でぺろぺろと舐めていた。
猫科の動物に一般的な舌のざらざらが無い、猫にしては非常識なほどすべらかな舌だった。
『ああ……もう、こんなに可愛かったら、もうどうだっていいですぅ……』
「……何をやっているんだい、あの子は」
先ほど思わずシーの名を叫び、さらには叫びと共に思わず立ち上がってしまったことをかなり後悔しつつ、グラン・マは呆れ果てた。
ため息をついて、椅子に座り込み、そこで、はたと気付いた。
「まさか……」
メルに指示を出すことも忘れて、自ら操作盤に駆け寄ってシーの周辺の映像を拡大表示する。
さらに広場に備えてあるマイクからの音量を最大にした。
マイクからは、
「あぁぁ、可愛いですぅ……もう好きにしてくださいぃ……」
という腑抜けまくったシーの声と、にゃーにゃーというぷちニャンニャンたちの声とが聞こえてきた。
「……メル、あの一番大きいニャンニャンの霊力を測定しておくれ」
「ウイ、オーナー」
メルが制御板から操ったのは、かつて花火の霊力を感知したジャン班長製作の霊力測定装置を、帝国華撃団の李紅蘭監修の下で作り直したものである。
ちなみに、一度爆発している。
「れ……霊力は……」
結果を見て、メルは目を丸くして絶句した。
「怪人たちの霊力に匹敵、いや、超えているんだろう?」
「なっ!?」
グラン・マの言葉にロベリアたちは思わず声を上げ、それを聞いたメルがこくこくと機械仕掛けの人形のように頷いたので、ロベリアたちも二の句が継げなかった。
怪人たちの強さは、戦いから一年近く過ぎた今でもなお記憶に鮮明に残っている。
あれらを上回るような存在が、よりにもよって、あんな幸せ怪獣とは。
とりあえず、色々な意味で認めたくない事実である。
「やっぱり……、あれは巨大ニャンニャンだったかい」
「…………グラン・マ。
それは、その、大変言いにくいが、あまりにもそのまま過ぎる命名ではないか?」
「そうじゃないよ。
帝都東京でムッシュ米田が戦った降魔戦争において立ちはだかった、体長10メートル余の降魔のことをね、巨大降魔って呼ぶんだよ」
その言葉は、戦慄じみていた。
巴里華撃団の面々は、降魔戦争という名前に対しては、どこかで聞いたことがある、という程度の認識しかない。
だが、降魔という存在のことは伝え聞いてよく知っている。
帝国華撃団を三度に渡って苦しめた、帝都東京固有にして、おそらくは当代世界最悪の魔物のことだ。
グラン・マの言葉はすなわち、あの巨大なニャンニャンは、その巨大降魔に匹敵すると言っていることになる。
「降魔というのはね、元々は聖魔城という城で行われた降魔実験の副産物だ。
その実験の中心に据えられたものの名を霊子櫓、又は霊子砲と言ってね、周囲の霊力を集めて砲として放つことができる代物さ。
嘘か真か知らないが、十二の火時計が全て灯る状態で放てば都市を丸ごと灰燼に帰すことができると聞いたね」
「グラン・マ、今は帝都の話ではなくあの巨大なニャンニャンの話を聞きたいのだが」
話が見えてこないグリシーヌがいらだたしく急かすのに対して、グラン・マは苦味のある声で答えた。
「それが関係あるんだよ。
コクリコの光武に搭載されているマジカルホーンは、その霊子砲なんだからね」
一瞬、間があって。
「ちょっと待てグラン・マ!
どうしてそんな物がコクリコの光武に搭載されているのだ!」
「そいつは……正気の沙汰じゃないね」
思わず叫んだグリシーヌも、戦慄を覚えて揶揄するしかなかったロベリアも、絶句して声も出ない花火も、それがいかにとんでもない話かということはよく分かった。
「もちろんそのまま持ってきた訳じゃないよ。
聖魔城にあった霊子砲は人間の負の情念を集めるものだったから問題を起こしたんだ。
だったら、人間の正の情念を集めるものにすればいい、というのが仕掛け人の考えだったのさ。
マジカルホーンはその試作器だった。
その試験中に巴里華撃団に入ったコクリコが、思いの外あのマジカルホーンを上手く操って十分な戦力になったから、そのまま運用させたんだよ。
ニャンニャンたちを実体化させてね」
その言葉が意味するところはつまり、
「あのエセ猫どもは、降魔だっていうのか!」
「正確に言えば、降魔とは善悪の属性が逆転した存在ということになるんだよ。
だけど、あたしもそのことを忘れかけていた。
今、あのニャンニャンたちを見るまでね」
スクリーンには、さらに数が増えたぷちニャンニャンたちがにゃーにゃー鳴きながらそこら中を闊歩している姿が映し出されていた。
どうやらぷちニャンニャンたちは一般人にも姿が見えるらしく、そのプティでキュートな風貌で愛くるしさを振りまき、そこら中を幸せ気分に染めている。
だが、司令室にいる面々がよく知っているニャンニャンたちと違って、ぷちニャンニャンたちは人語を話している様子はない。
ただ普通の子猫のようににゃーにゃー鳴いているだけだ。
壮絶に可愛いが。
「降魔は大きく分けると上級降魔と下級降魔に分類される。
下級降魔はサイズもまちまちで、人語を話さず、その行動パターンは獣じみている。
上級降魔は人間とほぼ同じ大きさで、人語を話し、天候すら左右するほどの絶大な妖力を持っている。
さっき言った巨大降魔というのは下級降魔だが、例外的な巨大さを持った獣だったそうだよ」
「それでか。
あの巨大なニャンニャンを、巨大ニャンニャンと言ったのは」
ようやく納得がいったとロベリアは唸った。
確かにテルトル広場に出現したニャンニャンは人語を話さず、その行動パターンはまだ猫のそれに近い。
それは巨大なニャンニャンも、ぷちニャンニャンたちも同じだ。
彼らはまとめて下級ニャンニャンと呼んで差し支えないだろう。
「ではグラン・マは、私たちが普段接していたニャンニャンたちは、上級ニャンニャンであるとお考えなのですね」
「ああ。
あのニャンニャン軍団は四十一名全員がフランス語と日本語を理解し、会話できていた。
大きさも本来の猫とほぼ同じだ。
そう考えて差し支えないだろうね」
「なるほど、そこまではわかった。
我々は次に何をどうするかを考えねばならん。
少なくとも、コクリコの失踪とあの巨大ニャンニャンの出現が無関係ということはあるまい。
この状況を作り出すには何らかの儀式が必要だろう。
その儀式をやっているところを突き止めなければならぬ」
「そうね、グリシーヌの言う通り、私たちはコクリコを捜し出さなければいけないのでした。
でも、あのニャンニャンたちには話が通じないのでしたらどうすれば……」
「それに、これで終わりとも思えないね」
ごろごろと転がりながらも、巨大ニャンニャンは最初に出現した場所からほとんど動いていない。
「巨大ニャンニャンの出現を仕掛けたのは間違いなくノートルダムだろう。
奴が多くの人間を幸せにするなんてたわけた思考で動いていて、その発露がコレだとしたら、この程度で終わるとは思えないね」
そう言うとロベリアは立ち上がった。
「どこへ行く?ロベリア」
「ここで考え込んでいても進展しないからね。
あの巨大ニャンニャンの面を直に拝んで来るんだよ」
しかし、ロベリアがテルトル広場に向かっても、事態は進展しなかった。
白昼のために堂々と出来たわけではなかったが、ロベリアが繰り出した炎の一切は巨大ニャンニャンに全く通じなかったし、相変わらず会話も通じなかったのだ。
あまつさえ、そのキュートでつぶらな眼を向けられて、あやうく戦意喪失しそうになり、その危険性を悟ったロベリアは一度撤退するしかなかった。
幸せ気分でへたれているシーを引きずって。
「どういうことだ?お前が逃げ帰ってくるとは」
「うるせえな。
あの平和でお気楽な面を見ていると、それだけで幸せな気分になってくるんだよ。
アイツに対する敵意も何も消し飛ばされそうになる。
シーがこの状態になったのは、ぷちニャンニャンが可愛かったからだけじゃない」
この状態、と言って示したシーの表情は、ぷちニャンニャンたちから離れた今に至るもなお至福のそれだった。
「ロベリアさん、あの巨大ニャンニャンが敵と決まったわけでは無いと思いますが……」
「あの野郎が仕掛けた代物が友好的だとは思わないね」
「ああ……いいじゃないですかぁ、生きてるってことは幸せじゃないですかぁ」
「シーさん?」
花火はシーの言葉に引っかかりを覚えて思わず聞き返していた。
今の言葉を、どこかで聞いた気がする。
それを考え込もうとしたとき、
「なんだ!こいつは……!」
「妖力……ではない、霊圧か……!」
周囲の霊力密度が一気に濃くなり、一瞬遅れて再び警報が鳴った。
「オーナー!
シャンゼリゼ通りに第二の巨大ニャンニャンが出現しました!」
「なんだって!?」
地図に映し出されたポイントは、第一の巨大ニャンニャンが発生したテルトル広場から西南西の方角に当たる。
「ああ……まあ、あんなに可愛ければ放っておいてもいいかねえ……」
「グラン・マ!あなたが影響を受けていてどうするのだ!」
「!!!
面目無いね……影響力が強まっているのかい。
まさかこのまま、巴里中に巨大ニャンニャンを配置したとしたら……」
「はいですニャン。巴里中が幸せ気分に染まってしまいますニャン」
いきなり聞こえてきたこの特徴的な喋り方は、まぎれもなくニャンニャン軍団の一員のそれだった。
「誰だい?」
「じゃーん!エリカ参上ですー!
ニャンニャンさんたちを連れてきましたー!」
いつも通りに、……いや、いつもより三倍増しくらいに幸せそうな顔のエリカと、
「確かお前は、ニャン太。それにニャンイチローか」
四十一体ものニャンニャン軍団の面々の顔と名前を全部覚えているわけではないが、ニャンニャン隊長の他に数匹の幹部の名前はさすがに覚えている。
一匹は、ニャンニャン隊長の補佐役……というよりも尻ぬぐい役のニャン太副隊長。
もう一匹は、新参ながら最近次期隊長にと言われていたニャンイチロー。
それだけだった。
「ご無沙汰しておりますニャン、皆様」
「……挨拶はいい、それより事情を説明してもらおうか。
巴里中が幸せ気分になると言ったな、ニャン太。
それに隊長のニャンニャンはどうしたのだ」
律儀に一礼するニャンイチローの態度は、その場にいる面々に、どうしても一人の男を連想させてしまう。
それに耐えきれずに、グリシーヌは話をせかした。
「ニャンニャン隊長は、今、ノートルダム寺院の中で、コクリコの傍についていますニャン」
「何!?そんなはずがあるか。
ノートルダム寺院の中は、カルマールがいた場所も含めて、儀式の出来そうなところは全て探したぞ」
意外な言葉を聞いて、ロベリアは思わず自分が影でこっそり努力していたことを喋ってしまった。
言った後でしまったと思ったがもう遅い。
案の定、しっかり耳にしたグラン・マとグリシーヌは意味ありげに、少し笑った目でロベリアを見る。
「ちっ……それに、このややこしい時期にどうしてお前らがそんなことを知ってここに来ている」
「それは、皆さんにコクリコを助けて欲しくてここまで来たんですニャン。
コクリコは今、ニャンニャン隊長と、ミッシェルという人と一緒に、ノートルダム寺院の中の隠し部屋を、巨大な霊的質量で拡張した空間の中にいますニャン」
とぼけた顔ながら、ニャンニャン隊長の補佐なぞをやっている関係もあり、ニャン太はかなり学問に精通している。
今の言葉は、霊子物理学の高等分野で、霊的質量が空間を歪ませるという理論に基づいている。
いわゆる、オベロンの妖精境やアルカディアと言った、この世界ではない場所を形成している力の正体とも言われている現象だ。
だが、その現象を起こすのにどれほどの霊力が必要とされるか。
外に出ている巨大ニャンニャンの霊力だけでも、霊力の高い巴里華撃団の面々に影響を及ぼしているのだ。
中枢部にある霊力はそれを上回ると見て間違いない。
「まあいい、とにかくあのガキはそこに囚われているんだな」
「いえ、違いますニャン。
コクリコは自分の意志でミッシェルという人に協力してますニャン」
「何?」
それは、ノートルダム卿に攫われたとばかり思っていた一同にとって、意外に過ぎる言葉だった。
ただ一人平然としているのは、ニャン太とニャンイチローを連れてきたエリカである。
「そうなんですよね。
言われてみれば私がコクリコに最後に会ったときに、コクリコは神様になるとか言ってました」
「コクリコは、みんなを幸せにするために、その霊力を振り絞っていますニャン。
十二の巨大ニャンニャンが揃えば巴里は幸せに包まれるとミッシェルさんは言っていました。
でも、それほどの霊力を駆使して、コクリコの身体はともかく、精神が保つわけが無いですニャン。
コクリコもニャン太たちも、そのことは分かっていますニャン。
でも、コクリコはニャン太の説得にも、ニャンイチローの説得にも応じてくれませんでしたニャン。
もういいんだ、って」
「コクリコ……そんなにも、大神さんのことを」
何と説明されなくても全員がそれとわかった。
コクリコがこのところ元気が無かったのも、自らの命を捨てるようなミッシェルの計画に荷担したことも、その理由は一つしか考えられない。
両親を失った少女が、家族になってくれると信じ、全ての愛情を求めてすがった男と結ばれることがないと知った故の嘆きだった。
「馬鹿な子だよ……本当に……」
ニャンイチローは、その大神を思わせる顔を伏せて、深々と頭を下げた。
彼の心境としては切腹してしまいたいくらいであるに違いない。
それでも、彼はここに来たのだ。
それはやはり、彼の霊力の起源である者がここにいたら、きっとそうしたであろうことを実行しているのだろう。
「不肖このニャンイチローたちでは、コクリコを翻意させることは叶いませんでしたニャン。
どうか、巴里華撃団の皆様のお力によって、コクリコを説得して頂きたく存じ上げる次第ですニャン」
ニャン太とニャンイチローの二匹は、きっちりと膝を折り、その場で一同に対して土下座した。
改めて、猫ではない。
「是非も無い。
このグリシーヌ、友を助けるのに何の迷いがあろう」
「コクリコさんは私の友達です。どうか土下座などなさらないで下さい」
「はいはーい!よくわからないですけどエリカも行きまーす!」
「かたじけないですニャン……!」
そこまで揃ったところで、一同の目は返答しないロベリアに向けられる。
「どうした、真っ先にノートルダム寺院を調べたというお前が、まさか今さら臆したわけでもあるまい」
グリシーヌは、ロベリアが動かないときにどう挑発すればいいか、最近随分と慣れてきた。
ロベリアとしてはそれがまた腹立たしい。
しかし今回は、答えない理由が別にあった。
「いや、あるね。
おいニャン太、こっちへ来い」
「……ニャニャニャニャんですかニャン。ニャン太を脅迫しても何も出てこないですニャーンッ!」
「いいからこっちへ来るんだよ」
「ひぃぃぃぃ、猫さらいニャーン!」
「ええいうるさい!」
有無を言わさずロベリアはニャン太を格納庫まで引きずっていき、コクリコの光武F2の前でようやくニャン太を解放した。
「まったく、猫使いの荒いヒトニャン」
「戯れ言はいい。お前、肝心なことを伏せてるだろう」
ロベリアの視線は、先ほど引きずってきた手の力など及び付かないほど、言い逃れを許さない迫力があった。
ニャン太はほうとため息をついた。
それがいくばくかの安心を伴ったものであると、した方も見た方も気付いた。
「確かに、ニャン太はあの場で伏せておいたことがありますニャン。
何からお答えしたらいいですかニャン」
「フン、じゃあ聞くけどね。
どうして隊員のお前等がこうしているのに、肝心のニャンニャン隊長は呑気にコクリコの傍なんぞに居て、ここまで来ないんだ」
これが罠でない保証は無い。
ましてノートルダム卿がコクリコの心を掌握しているのならば、ニャン太とニャンイチローの二匹だけがこうして来たこと自体疑ってかからなければならなかった。
だが、ニャン太の答えは違っていた。
「それは無理ですニャン。
ニャンニャン隊長は、コクリコの本心そのものですからニャン」
「…………なん……だと……?」
ロベリアは、ノートルダム卿がニャンニャン隊長を掌握することによって、他のニャンニャン軍団の隊員たちをまとめて掌握しているのではないかと考えていた。
それゆえにニャン太たちを斥候ではないかと疑ったのだ。
だが、その答えが意味することは別の意味で深刻だった。
「あのニャンニャンが、……あいつが、コクリコの本心だと?
ちょっと待て、ニャン太。
あのかわいげの無いガキがあんな風に遊びほうけたかったっていうのか?」
ニャンニャン隊長といえば、自堕落の権化というか、ふてぶてしいというかあつかましいというか、まあ、色々と素行に問題のある隊長である。
そのニャンニャン隊長と、真面目で品行方正で、ロベリアに言わせれば可愛くないコクリコとは正反対に思える。
「一からお話しますニャン。
そう、まだまだガキ……子供なんですニャン、コクリコは。
でも小さい頃から教会に預けられて、親戚中をたらい回しにされて、サーカスではひどい仕打ちを受けて、コクリコはずっと、そうしたくても、出来なかったんですニャン。
わがままを言ったら、生きてはいけなかったから……それでも、遊びたくなかったはずがないですニャン」
「それが、どうニャンニャン隊長と繋がるんだ」
「それはニャンニャン隊長の起源に関係がありますニャン。
ニャンニャン隊長だけは、ニャン太たちとは根本的に違う誕生の仕方をしていますニャン。
ニャン太たちは、コクリコがマジカルホーンを手に入れてから実体化した存在ですけど、ニャンニャン軍団の中で二匹だけ、ニャンニャン隊長とニャンイチローにはモデルがいますニャン」
「ニャンイチローのモデルは……隊長だな」
「はい、そうですニャン。
そして、コクリコがベトナムにいたころ、コクリコの傍には、コクリコのお父さんが残していった、コクリコより一つ年上の猫がいました」
「なるほど、そいつが真の、おまえら全ての原典であるニャンニャンってわけかい」
即座に察したロベリアに対していくばくかの敬意を払った礼を兼ねつつ、ニャン太ははっきりと頷いてから話を続けた。
「真のニャンニャンは六歳になるまでコクリコと一緒に居ましたが、コクリコが居た孤児院が閉鎖になったときにコクリコと引き離されましたニャン。
それから、あのドニクール団長に見いだされるまで、コクリコは親戚中をたらい回しにされていましたニャン。
どこに行っても、コクリコは誰よりも一生懸命働いたというのに、いつだっていじめられて、いつだって一人でしたニャン。
その生活の中で、コクリコは引き離された真のニャンニャンに会いたがっていましたニャン。
お母さんもお父さんもフランスに行ってしまい、コクリコがすがれるものは、ベトナムにはそれしか無かったんですからニャン。
その思いが、コクリコの心の中に、もう一匹のニャンニャンを作り出しましたニャン。
誰にも屈することなく、自分の思い通りに振る舞うことができて、自由奔放で、そして、自分を守ってくれる存在を……」
「それが実体化したのが、あのニャンニャン隊長だってのか……」
「ニャン太たちニャンニャン軍団は、コクリコの霊力が無ければ実体化できないんですニャン。
言ってしまえばコクリコに全てを握られているんですニャン。
にも関わらず、コクリコは他の動物と違って、ニャンニャン隊長をしつけることができませんニャン。
それは、コクリコが誰よりも、ニャンニャン隊長のことを知っていたからなんですニャン。
ニャンニャン軍団全員はコクリコの使い魔に近いですから、ニャン太たちの感情はコクリコにも伝わりますニャン。
傍若無人に振る舞って、食べたいだけ食べて、寝たいだけ寝て、
ニャンニャン隊長はコクリコを困らせていたんじゃないんですニャン。
コクリコがしたいと思っていたことを、自分を通してさせてあげてたんですニャン」
「気にいらないね……」
心底、気に入らなかった。
あんなガキが、泣きわめくこともなく、やりたいことの全てを押さえ込まれて、あんな猫一匹に自分の思い全てを託していたなどと。
「だが、言いたいことはわかったよ。
今あのガキはもう人生を終えたがっている。
だから、ニャンニャン隊長はその思いを受けて、それを実行するノートルダムの野郎の助けをしているんだな」
「そうですニャン」
そうか、と言いかけて、ロベリアはまだ引っかかりがあることに気付いた。
「待て……じゃあ、お前等は何なんだ。
降魔の逆転だけじゃない。
お前は、お前等は、全員……」
「そうですニャン。
ニャン太たちニャンニャン軍団とは、全員がコクリコの心そのものに他ならないですニャン。
そしてニャン太は、ニャンニャン隊長の対極に位置しますニャン。
わがままにしていただけじゃみんなに嫌われてしまう。
嫌われたくない、いい子でいたいという、自分をつなぎ止めるために望んだ良心そのものが、ニャン太の根源なんですニャン」
「そうか、それでお前はニャンニャン隊長の意向に逆らって、動けるんだな」
同時に、ニャン太が副隊長をやっている理由もそこにあるのだろう。
普段ニャンニャン隊長が暴走しているのをニャン太が留めているのは、すなわち、コクリコの心の中の葛藤に他ならない。
そして、通常ならばニャン太が押しとどめている力はニャンニャン隊長と拮抗しているのだ。
だが今は、ニャン太とニャンニャン隊長との力関係は明らかにニャンニャン隊長に傾いている。
それは、コクリコが自分の感情に流されているということだろうか。
そうなると、流された他の感情である他のニャンニャン軍団の隊員たちも、ニャンニャン隊長に付き従っているということになる。
「しかし、コクリコの良心だって言うなら、お前だって以前から存在したんじゃないのか」
「ニャン太たちの根源たる感情がコクリコの心の中にあっただけですニャン。
どうしてニャンニャン隊長以外のニャンニャン軍団が全て日本語の名前が付けられているのだと思いますニャン?」
「なるほど、そういえば霊子砲がどうのと言っていたね。
お前等がその形をとったのは、あのガキが隊長と会ってからというわけか」
「そうですニャン。
ニャン太たちの名前を付けるときに、コクリコはイチローに相談したんですニャン。
もちろんそれも全て、コクリコがひたすらにイチローに感謝していたからなんですニャン。
あの境遇から引き上げて、華撃団に入れてくれたイチローを、コクリコは自分に全てをくれた人だと思ってましたニャン。
だから、自分の感情から生まれたニャン太たちに、全て日本語の名前を付けたんですニャン」
ロベリアはようやく合点がいった。
あの何か根本的に間違えたような隊員の名前は、隊長の名付け感覚の影響を受けていたわけだ。
「しかしお前な、言ってみればコクリコの使い魔のくせに、マスターのことを随分べらべら喋ってるじゃないか」
「……言ったですニャン、ニャン太はコクリコの良心だって。
これは、コクリコの懺悔なんですニャン」
「ちっ、懺悔ならエリカ相手にしろよ」
「それは違いますニャン。
ロベリアじゃないといけなくて、ロベリア以外には話せないですニャン」
「なんだそりゃ」
「だって、コクリコがいつも、誰よりも反発して、憧れているのは、いつも容赦なく罵倒して、叱ってくれる、ロベリアなんですからニャン」
「って、そういう台詞を真顔で言うんじゃねええ!」
余りに率直な物言いをされて、頬がかすかに赤くなったのをごまかすために、ロベリアは怒った振りをして右手に炎を燃え上がらせた。
その甲斐あって、その直後に格納庫に入ってきたグリシーヌに表情がばれることは無かった。
だが、事態は深刻になっていた。
「何をもたもたしている、ロベリア!
第三の巨大ニャンニャンが出現したぞ!」
「ちょっと待て!早くなってんじゃねえか!」
司令室のスクリーンにはほぼ巴里全域を覆う地図が映し出されていた。
中心にはノートルダム寺院。
そのほぼ真北、シャノワールの近くとなるテルトル広場に光点が一つ。
そこから西南西、シャンゼリゼ通りにも光点が一つ。
さらにそこから南南西、ブローニュの森近くにも光点が一つ。
いずれも、ノートルダム寺院からほぼ等距離だ。
「こいつは……円を描いているのか」
「まず間違いなさそうだよ。
ほぼ正確に正十二角形の頂点の位置関係にある。
かつて聖魔城には、霊子砲のエネルギー充填を告げる巨大な火時計があって、十二の火が全て揃ったときに霊子砲が放たれたという。
おそらくノートルダム卿は、巴里を巨大なニャンニャン時計に見立てているはずだ。
十二の巨大ニャンニャンが全て揃ったとき……」
「揃ったら、どうなるのだ……」
グラン・マを急かしたグリシーヌは、畏怖と失笑とが合わさった名状しがたい衝動に襲われていた。
それは危機的な予感がしているというのに、あまりにも平和じみた想像図だったのだ。
それなのに、
「わからないね」
グラン・マの答えはこれだった。
がっくりしなかったのはエリカくらいである。
「困りましたね、グラン・マにも分からないんですか」
「こんな時に冗談は止めてください、グラン・マ」
「分からないんだよ、本当に。
ノートルダム卿の行動原理を考えると、霊子砲の発射じゃないことは確かなんだ。
ただ、巨大ニャンニャンが出現した周辺の状況からある程度推察することはできる。
巨大ニャンニャンに接触した人は、ほとんどが例外なく幸せを感じまくった状態になっている。
おそらく、十二の巨大ニャンニャンが揃ったら、巴里中の人間を幸せ気分にするくらいはわけないだろう。
さらに加えて、シーのように、ニャンニャンたちを説得しようとしたり、強制的に従わせようとしたら、ニャンニャンたちに対する対抗意識が根こそぎ砕かれている。
……あれだけ可愛いんだから、どうだっていいじゃん、って気になっちまうんだよ」
「では、巴里中の人間を幸せな気分にすることそのものが、ノートルダム卿の狙いなのではないでしょうか」
「それはあたしも考えたんだけどね、でもニャンニャンたちによって幸せ気分になったところで、本当に幸せになっているわけじゃない。
それが妙なんだよ」
「ああ、んなことはどうだっていいよ。
本人を問い詰めれば済むことだろ」
そう言い放って椅子を蹴ったロベリアの意図は明確だった。
そのロベリアの態度に好意的な笑みを向けつつグリシーヌが立ち上がり、
でしゃばらぬように、わずかに半拍遅れて花火が立ち上がり、
そしておそらく、理解しているのではなく感覚のままにエリカが立ち上がった。
「メル、巨大ニャンニャンが12体揃うまでの予想時間はわかるか」
「はい、グリシーヌ様。
3体目の出現時刻による補正を加えますと、12体揃う予想時間は明日の午前六時。
誤差プラスマイナス1時間以内の確率は9割以上です」
「それから、あと数時間でこちらからの補佐は出来なくなると思っておきな。
既に整備班の大半が巨大ニャンニャンの影響に染まっている。
遠からず、あたしたちも巨大ニャンニャンに逆らうことが出来なくなるはずだ」
「十分だ。
12体揃う前にあのガキとジジイをどついて殴ってお仕置きした上でここまで引きずってくるだけだからな。
エセ猫ども、案内しな!」
「了解ですニャン!」
「心得ましたニャン!」
整備班のほとんどが全滅している中でも常時出撃を可能にしていたジャン班長の整備方針が生きて、四人の光武F2は乗り込んですぐに出撃可能になった。
エクレールフォルトの出発準備は、辛うじて反抗精神を残していたジャン班長自らが超人的な動きでもって一人で行った。
「真っ先に陥落させるつもりだったが、やはり一筋縄ではいかぬか、巴里華撃団」
寺院の外に並んだ四体の光武F2の姿を、空中に映し出した映像で確認して、ノートルダム卿はわずかにひととき祈りを中断した。
元々ブードゥー教のマクンバを防ぐことを目的に開発された人型蒸気をベースにした霊子甲冑に搭乗していては、巨大ニャンニャンによる幸せ気分も通用しない。
「ニャンニャン軍団の諸君、頼みがある」
「呼んだかニャン」
ニャンニャン隊長以下、上級ニャンニャンたる39名のニャンニャン軍団が声に応えて姿を現した。
「巴里華撃団の面々がコクリコを連れ戻しにやってきた。
彼女たちに来られてはコクリコの決心が鈍る可能性がある。
私の祈りが終わるまで、途中の回廊で彼女たちを足止めしておいてくれ」
「わかったニャン、みんな、グリシーヌたちと遊んでくるニャン!」
ニャンニャン隊長の号令以下、にゃーんというかけ声とともに、わらわらと出かけていった。
ニャンニャン隊長を一人残して。
「そなたは離れぬのだな」
「ニャンニャンはコクリコの傍にいるニャン」
「結構。グリシーヌ嬢らだけではなく、そなたの同胞が来るやも知れぬしな」
「そのときは、手出しは無用ニャン。
ニャンイチローとは、ニャンニャン自身が決着を付けるニャン」
「頼む。
私も急がねばならぬ。
この祈りが終わり、巨大ニャンニャンが十二の時を刻む。
そのとき、巴里は光に満ち、人は大地に帰る……」
初出 平成十七年一月三日 SEGAサクラ大戦BBS
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