紐育の悲しき三角関係
第二節
轟華絢爛第一巻反逆小説


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 大帝国劇場。
 太正十一年より運営が始まった日本最大級の西洋型劇場である。
 観客収容人員は七百人以上。
 立ち見を入れると千人を超える。
 また、銀座の一等地に構えていること、劇場内にスタアたちが住んで生活していると言うことからも、何かと話題に事欠かない劇場である。

 ここで演ずるは帝国歌劇団花組。
 演劇技術こそ未だ稚拙さが見られるものの、当代一と称される美女美少女たちが揃い、時の小説家鈴野十浪をして

「舞台と客席の間に距離が感じられなかった」

 と言わしめるその親しみやすさもあって、帝都周辺では絶大な人気を誇る一方で、遠く北海道や台湾にまでファンがいる。
 なので、花組メンバーの誰かを捜そうという人間がいても、全く苦労などするはずがないのである。
 そしてまた、多くの観客に混じって内部を偵察することも容易なはずであった。
……東洋人ならば。

 マリア・タチバナやイリス・シャトーブリアンのように、欧州から来たと思わせるスタアがいるせいもあって、西洋人が来ることも稀ではない帝劇だが、それも他の劇場と比較しての話である。
 明らかに西洋系とは分かる彼が入ればそれなりに目立ってしまうことは避けられない。
 いいか悪いかはともかく、日本という国そのものが持つ障壁である。
 それが、彼の侵入を妨げていた。

「チッ……」

 舌打ちと共にバレンチーノフは煙草を灰皿に押しつけた。
 雪原の隠密行動は経験豊かでも、建物に忍び込むのはニューヨーク時代もあまり得意ではなかった。
 味方になりすますことこそ、彼の最も得意とする方法なのである。
 それが、使えない。

「出来れば頼りたくはなかったが、そうするか」

 いささかロシア訛りがあるものの、ずいぶんと慣れてきた日本語で独り言を言えたことにだけは、彼は少しだけ満足した。






 月が変わり、大帝国劇場の演目は「愛はダイヤ」に変わった。
 明冶文学名作の一つに間違いなく挙げられるであろう、尾崎紅葉の未完の長編「金色夜叉」を基本にして、太正風……いや、花組流に脚色してわかりやすく、ある意味では俗っぽくもなっている。
 それが、主演の二人のアドリブによるものではないと言える人間は、帝劇に批判的であろうが無かろうが、おそらくいないだろう。
 主演、神崎すみれ、桐島カンナ。
 どちらを先に並べるかはファンにとって大きな問題であるが、普段は五十音順ということで表記されている。
 一方で六月公演「シンデレラ」にて王子役を果たしたマリアは脇役に回り、ファンからのプレゼントの量も一時期に比べたら少しは落ち着いてきた。
 それでようやくマリアは、夜になってプレゼントの一つ一つに目を通す余裕が出来ていた。
 ……いや。
 その余裕はどちらかと言えば、マリアの心の方から来るものだったかも知れない。
 かつての隊長、ユーリーを失ってしまったあのときの悪夢。
 だが偶然か必然か、その心の隙を突いてきた蒼き刹那をうち倒したことで、彼女はあれから悪夢を見ていない。
 新たに隊長と呼ぶことの出来る人物のくれた限りない安らぎと共に。

 ロケットを見つめるときも、以前ほど苦しくない。
 ゆっくりと、思い出すことが出来る。
 ロシア時代のことも、
 ニューヨーク時代のことも。
 ニューヨークの思い出は二人の男の顔をしている。
 その思い出の終わりにあやめが現れて、今のマリアへと繋がる。
 やっと手に入れたように思う、自分の居場所。
 生きる場所。

 自分がまばゆいスポットを浴びて舞台に立つなどと聞いたら、あの男たちは何と笑うだろうか。
 ニューヨーク時代、彼女の外見に目を付けて酒場で雇おうとした者もいたが、それに対してマリアは銃弾よりも冷たい目で返答したくらいなのだ。
 ……おそらく、三者三様の笑い方をしてくれるのだろう。

 そこでマリアの意識は大帝国劇場二階の自分の部屋に戻ってきた。
 微笑みながらロケットをしまい、プレゼントたちに目を通す。
 少なくなったとは言ってもやっぱりかなりの量がある。
 直接来るものだけではなく、郵送されてくるファンレターや花束もあるのだ。
 帝都……、千葉……、驚いたことに沖縄からもあった。
 敵討ちに帰省したカンナが帝劇の宣伝をしてきたとも思えないので、よほど熱心なファンなのだろう。
 うれしくて……、また微笑んでいた。
 そう、こうして笑えることも忘れていたのだ。

 その実感を噛みしめつつ、次はプレゼントを一つ一つ開けていく。
 時々、あまりに高価な物が入っていて扱いに困ってしまう。
 そんなことを想いながら動いていた手が、
 止まった。

 あるプレゼントの箱についていたメッセージカードがロシア語で書かれていたからだ。
 ロシア語だと認識してから読む。
 言い換えれば、日本語にそれだけ慣れてきたということなのだが、それを気にしている余裕はなかった。

『遅れてしまったが、二十歳の誕生日おめでとう、マリア』

 ファンが気を利かせてロシア語で書いた文章ではない。
 それにこの筆跡、どこかで見たような気がする。
 ユーリーの筆跡ならそれと即座に分かっただろうが、さすがに誰の物かは思い出せなかった。

 考えに没頭しつつ、半ば無意識に手を伸ばそうとしたそのときだ。
 一辺十センチほどの正方形をしたその箱の上部がいきなり開いた。
 鳴り響く破裂音!……を聞くよりわずかに遅れて、マリアは机を盾にしていた。
 この大きさなら、仮に箱中が爆弾であったとしても部屋ごと吹き飛ばすほどの威力はないはずと判断してのことだったが、
 ニューヨーク時代に比べて自分の能力が低下していることを認めざるを得なかった。
 禁酒法下のアメリカでは、このようなことなど何度と無く体験したというのに。

 と、考える時間があった。

「?」

 鳴り響いた破裂音が高くて軽い。
 見れば箱の周辺には黒と赤のテープが飛び散り、白い紙吹雪が部屋中に散らばっていた。
 色使いの趣味がよいとは言えないが、ともかくクラッカーか何かが仕込まれていたらしい。

「マリア!入るぞ!」

 音を聞いたのだろう、いささか雑なノックとほぼ同時に、返事をする間もなくカンナが飛び込んできた。
 その後どやどやと花組全員が……大神は一人遠慮して部屋の外のままだが……が駆け込んできた。

「マリア、怪我はないか!?」
「ええ、ごめんなさい。ファンの方が送ってきたクラッカーが暴発しただけだから。
 怪我はないわ」

 爆発を暴発と言い換えて、ひとまず皆を安心させることにする。

「はー、びっくりしたで。何でマリアはんの部屋から爆発音がするんかと思うたわ」

 少し離れた別の部屋からはしょっちゅうだということを、誰もあえて口にはしなかった。

「それにしても趣味の悪い配色ですこと。こういうものはもう少し配色豊かなものではなくて?」

 すみれの言うとおり、赤と黒のクラッカーなぞ聞いたこともない。

「……それはファンの方に聞いてみないと分からないわね」

 苦笑したマリアに、それはそうだと頷いてひとまずみんなは自分の部屋に帰っていった。
 一人、例外を残して。

「掃除だけはしておこうよ、マリア」

 箒と塵取りを装備した大神である。
 先ほどまで話していたはずだが、いつ取りに行ったのだろうか。
 この雑用能力の高さにも、マリアは舌を巻かざるを得ない。
 隊長として認めるより先に、大神のこの能力は認めていたマリアである。

「ふふふ、隊長。夜半に理由を付けて女性の部屋に入ろうとしているなんて、誉められた行動ではありませんよ」
「あ……」

 言われてやっと気づいたらしい大神はぽりぽりと頭を掻いた。
 刹那と戦ったときの、いや、戦場全般での鋭利な一面が到底信じられそうにないその表情に、マリアは安心できるものを感じていた。

「箒と塵取りはお借りします。
 隊長も早く休んで、昼の疲れを癒して下さいね」
「あ、ああ」

 体よく追い出されたような気もするが、大神はおとなしく自分の部屋に戻ることにした。
 その扉の閉まる音を確認してから、マリアはさっと表情を入れ替えた。
 銃を構えても意味がないことは明らかなので、手が落ち着かないながらも警戒しつつ速やかに、問題の箱に近づいた。

 中にあったのは、指輪でも入れるような小箱……の蓋が開いて、その中に高価な品物であるかのようにしまわれた、円筒状の小さな物体。
 銃弾だった。
 しかも知っている型だ。
 エンフィールド……マリア愛用の銃で使用するのと同じ型である。

 どういうこと……!?
 暗殺の依頼だとでも言うの……?

 先ほどはマリアが開けようとしたときにこれが爆発した。
 時限式にしてはあまりにもタイミングが良すぎる。
 どうやったのか分からないが、こちらの動きを察知した上で遠隔操作で爆発させた可能性がある。
 そこまでのことが出来る者が、わざわざ自分に暗殺を依頼するとは思えない。
 それに、ニューヨーク時代のマリアは確かにその実力を怖れられてはいたが、それらは全て護衛としてであり、殺し屋として活動したことはない。
 だとすると、この銃弾の意図は……。

 いぶかしんで、そっと銃弾を手に取る。
 もちろん、手袋越しではあるが。
 手にとって分かったことがある。
 この銃弾は、一度使われた物だった。
 どこか汚れているし、発射したときに弾に刻まれる旋状痕もついている。

 この旋状痕は……、私の……!!

 マリアのエンフィールド改は、マリア自身の手による改造が何度も施されていて、旋状痕すら独特である。
 この痕は、最後に手を入れる前……ニューヨーク時代のものだ!

 かつてマリアが撃った銃弾を送り返したと言うことは、その意図は自ずから明らかだろう。
 それに気づいた瞬間、小箱の蓋に書かれてある文字が輝いて、マリアの網膜に、脳裏に飛び込んだ。
 その瞬間、頭の中で何かが書き換えられたような感触が……
 同時にめまいを覚えてしまい倒れ込みそうになったが、倒れる前にその文字を読み終えてしまい、沸き上がる怒りがそのことを頭から吹っ飛ばしてしまった。
 その怒りが戦士としてのマリアに倒れることを許さず、勢いの全てを文字の書かれた小箱に載せて床にたたきつけつつ、踏みとどまった。

 『バレンチーノフより、愛を込めて』

 ロシア語の文字がそう語っていた。

「バレンチーノフ……ッ!!」

 隣りに聞こえない程度ながら、マリアは自分でも信じられないほど鋭い声を上げていた。
 かつてはロシアで、ユーリーや同志たちを罠にかけて殺し、ニューヨークにおいてもボードヴィルと自分を罠にかけて殺そうとしたあの男!

 私がこの手で「右腕を撃ち抜いて」やったのに、まだ向かって来るというのか……!



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初出、SEGAサクラ大戦BBS 平成十一年十二月二十九日



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