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last updated 12 April 2000

初出・ 09 October 1999

 診察で一番大事なこと

 

基本は、動かないように「しっかりと」押さえること。

七月初旬、家出を決行した臣人。その後、約一ヶ月の逃亡生活を送っていました。

その間、わが家には見事に帰ってきませんでした。でも、3〜4日に一回は必ず姿を見ることができました。時には、私が帰ってくるまで、道路でジェスパやトシゾウたちと一緒に寝転がったりもしていました。ところが、私の姿を見かけるや、ツーン、としてたったった‥と走り去っていく。(なんやねん!)。

捕まえるのは、なかなかムズカシイ。で、方策(というほどでもないけど)を幾つか試みました。

1 ちょっと散歩に出かける振りをして呼び寄せようとした。

2 近所の車のボンネットで寝ているのを見かけたので、ゆっくり近づいていって捕まえようとした。

3 また別の近所の車のボンネットで寝ているのを見かけたので、近づいてマタタビの粉を嗅がせて捕まえようとした。

結果はそれぞれ、

1 うちの猫たちは、缶ゴミ捨ての時や回覧板を回したりする時には、必ず3猫揃って後を附いてきます。そこで、缶をがちゃがちゃ言わせて、ゴミを捨てに行く振りを思いっきりして、散歩を誘ってみました。しかし、臣人は出てこず。近所の人には、あれ?今日は違うのに、てな怪しい顔をされた。失敗。

2 ゆっくり、音を立てないように‥と思って、靴を脱いだ。そうすると、その音で目を覚ましてしまい、思いっきり警戒される。失敗。それでもめげずに、近づいていき、話しかけ、油断した(と思った)瞬間に掴もうとした。が、腕がもう一歩届かず。さらに失敗。

3 家に戻ってマタタビ粉を取って戻ってきたら、車の下に移動。匂いを嗅がせようとしても届かないので粉を飛ばす。イヤーな顔をされ、逃げられた。失敗。

うちの先生によると「それは当然の失敗」。「ほっておくのが一番」。

今まで10年も暮らして居るのだから、自分の家がどこか、誰がご飯をくれ、誰が一番心配してくれるか、くらいはちゃんと分かってます、本当にお腹が減って、本当にしんどくなったら帰ってきますよ、とのこと。

そこで、見かけたら話しかけるダケにする、たまには「おみちゃーん」などと、名前を呼んでみたりする、ご近所の人の通報(笑)があっても、見に行くダケにする、ということにしました。

家出から1カ月も過ぎようかという時には、こちらにも心境の変化が起こっていました。猫のご飯を食べないで過ごせる期間も、話しには聞いていたけど凄いなぁ〜などと感心の域に達していたのです(一応、心配もしていましたけど)。

そんなある日、夕御飯を食べようと台所に行くと、台所の窓に臣人の姿が‥。

急いで窓を開け、臣人をひっつかみ、病院に急行〜!

診断は栄養失調‥ではなくて、口内炎ですから、まず口を開けての診断、です。診察の際には、「患畜の保定、これが一番重要です」云々、というのを何かで読んだことがあります。今回も一応、しっかり押さえていた、つもり、でした、、、しかーし。口を先生に無理矢理開けられた臣人の全身を使っての「しゃーーー」という叫び声と動作に私自身がかなり驚いてしまいました。つい、手をゆるめてしまったのです。先生、ゴメンナサイ。臣人の唾、思いっきりかかってましたねー。

今まで、彼女は、押さえる必要は全然、ない、患者です。もちろん、叫んだこともありません。どちらかというと、診察台のうえでは、(もうかえろーよー)と身体を小さくして、なんとか私の陰に隠れようとする「気の小さい」模範的患者だったのです。ところが、今回はかなり口内炎が酷くなっていたため、開けられた時にはかなり本当に痛かったため、つい(?)叫んでしまったようです。

これ以来、彼女の診察の時には、口は開けないことになりました。先生曰く「痛いのは分かり切っているので止めておきましょう」。

しかし、心構えって大事ですね、、、以後気をつけます、皆さんも気をつけて下さい(^-^)V

その後、彼女は秋から冬にかけて、2カ月の軟禁生活を送り、体重をようやく回復させました(600瓦の回復)。寒くなるまえに、しっかりと体重と脂肪を増やす計画を(勝手に)建て、軟禁生活の猫の必需品=ツメ研ぎ、での筋トレを行って貰いました。ま、それしか他にすることがナイっていうのもありますが。冬には、軟禁生活から解放され、2000年4月現在は、他の猫をおいかけ回すほどにゲンキになっています。

 
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