聖闘士星矢
夢の二十九巻

「第十三話、第三勢力」




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 美しい少女の姿を採って獲物を食らう怪物はギリシア神話に何体もいる。
 それがいかなる者であるのか、蛮たちは、そして先ほどまで那智と戦っていた狼星座ルーパスのテリオスを始めとする星闘士スタインたちは、はっきりと現実に見せつけられていた。
 まるで少女の容貌を持ったその人物は、いささか不釣り合いに感じる男の声で、

「揃っているな、丁度いい。
 全員、ここで始末する」

 明確な殺意を持って、そう、言った。

「な、なんだよ、それは!!
 今こいつらとは休戦状態なんだぜ!」
「……やはりそうか。これで最後の疑問も解消した。死ね」

 相手を星闘士の一人だと思って言った大地の言葉は、どうしようもない返答を招いただけに終わった。

「おい、アルレツオさんよ。
 あいつは星闘士じゃねえのかい?」
「いや、違う。少なくとも見たことがない。
 それに……、星闘士であの強さならば、はっきりと小宇宙が青くなっているはずだ」
「天災だな、こいつぁ」

 蛮としては当たって欲しくなかった自分の感覚が正確だったことを認識させられて嘆息した。
 何がなんだかよく分からないが、自分らを殺そうと言うこの男は青輝星闘士シアンスタイン級……つまりは黄金聖闘士ゴールドセイント級と見ていいらしい。
 聖衣クロスに類する物を纏っていないとはいえ、先ほどまで戦っていた那智とテリオス以外はこちらも聖衣、星衣クエーサーを纏っていないのだ。
 戦意がないことをお互いに示すための配慮で、第三勢力に襲撃されることなど全く想定していなかったのだ。
 聖衣を呼び寄せ、装着するのにどう早く見積もっても十数秒。
 しかしその間はほぼ無防備な体勢を敵の前にさらけ出すことになる。
 正面から戦う場合には装着中の相手に攻撃しないのが暗黙のルールではあるが、多対一でしかも明確な殺意を示しているとあっては向こうも待ってはくれないだろう。
 同クラスの敵を相手としている場合ならばよけてよけられないことはないだろうが、光速近いであろう敵を相手には無理だ。
 下手をすると……、いや、よほど上手くやらないと、

 ここで、全滅する。

「覚悟しろ」

 蛮の心理を読んだかのように、その男は手にした笛を口元へ動かしつつ言った。

「デザートフォックス!!」

 それを遮るかのように大地の声が響いた。
 直後と言うよりもそれと同時に、やや後方で四輪車形態をとっていたランドクロスから、四匹の狐が現れてその男へ飛びかかった。

「よし、ライオネット!」

 男がとまどう隙に蛮は聖衣を呼び寄せ、二人の星闘士アルレツオとピアードも星衣を呼び寄せる。

「ハッ……!」

 男は吹きかけた笛を持ち替え、鋭く右手で振るった。
 耳を貫くような音と共に、狐は吹き飛ばされ……なかった。
 一瞬ゆらめいたその姿が、即座に再構築されてなお男に迫る。

「幻影か……!」

 そうではなかった。
 四匹の狐が噛みついた瞬間、男の衣が大きくはためく。

「……これは……」
「新生ランドクロスの一機能、どんなもんだい!」

 その間に蛮達三人が、続いてすぐに大地も装着を終えた。
 相手は衣を纏っていない。
 これで実力差はかなり埋まるはずだった。

 だが軽口を叩きながらも、大地は内心唇を噛む思いだった。
 それはただの幻影ではなく、聖闘士や冥闘士スペクターとも戦えるように造られたプラズマ攻撃なのだ。
 邪武達を相手にしたトレーニングでもかなりの効果があることを確かめている。

 しかしあの男は、聖衣も星衣も纏っていないというのに、その攻撃を突風程度にしか感じていないらしい。
 小宇宙だけでそこまでの防御力を実現するのは生半可なレベルではない。
 それだけでも強さのほどが知れようというものだ。

「なんだか妙なことになってきたな」

 隣にいた鯨座カイトスのピアードは男から視線を逸らさないようにしつつ、蛮に話しかけた。

「星闘士は今、いくつの組織を相手にしているんだい?」
「今のところ聖闘士だけ……、と思ってたんだがなあ」

 ピアードは頭を掻こうとしたが、構えを解く危険性を考えて、やめた。

「共同戦線、だな」
「ああ」

 大犬座メジャーカニスのアルレツオの言葉に、蛮と大地はうなづくしかなかった。

「ケイナインスウィング!!」

 二人が頷いたのを確認すると、アルレツオは身体のひねりを加えた身体ごとの右ストレートで笛の男へ向けて突っ込んだ。
 最下級の赤輝星闘士クリムゾンスタインとはいえ、決して遅くはない。
 そのすぐ後を追いかけるようにして蛮も駆け出した。
 急造コンビにしてはそれなりの連携だった。

 しかし笛の男はアルレツオのストレートが命中する寸前に身体を揺らめかせた。
 姿が何重にもぶれて見え、その周囲には妖精のような群れが浮かび上がる。
 いつの間にか流れ始めた旋律と共に、空間全体が妖しい気配に染まり始める。
 その中で、アルレツオの拳は素通りした。

「何だ、これは……!?」

 全身に妖精たちがまとわりついたかと思うと、とたんにアルレツオの身体は重くなった。
 まるで星衣がいきなり鉛にでも変わったかのように急激に。

 一撃も食らうことなくアルレツオが膝をついたときに、蛮も敵の恐ろしさを察した。
 その蛮にも妖精たちが群がり始める。

「ライオネットブラストォッ!!」

 まとわりつくなと言わんばかりに、全身から小宇宙を爆風のようにして全方向へ放つ。
 アルレツオの取り巻きも含めて、妖精たちが一時退散する。
 ダメージを狙ったのではなく、相手を確実に補足する狙いだった。
 後衛にはさらに大地たちがいることを踏まえての突撃である。

「そこだ!!」

 蛮の放った爆風波の回折を瞬時に計算した大地が、割り出した場所へ青いレーザー光を繰り出した。
 聖闘士級の相手であっても、いや、目の良い聖闘士や星闘士ならばなおのこと、目に入れば一撃で失明させる一閃である。
 しかも擬似的ながら一種の光速拳だ。
 男は笛を唇から離して目の前に掲げ、はっきりと防御姿勢をとらざるを得なくなった。
 その間に場所を教えられたピアードが肉薄していた。

「くらえ、ホエールゲイザー!!」

 アンダースローの体勢から大きく振り上げられた掌が伴う小宇宙が、潮を噴き上げる鯨のごとくその男を捉えて宙に舞い上げた。
 だが、

スタ……ッ

「何ぃ……」

 空中で一回転したのみで、身体はおろか服にすら僅かの傷も付かぬまま、男は平然と着地した。

「今のが鯨のつもりだったか?
 この程度で海を語られては困るな」
「言ってくれるじゃねえか。
 ならお前には言う資格があるとでも言うのかよ」

 ピアードの守護星座である鯨座は、対抗すべき聖闘士が既に死亡している。
 不戦勝で守護星座を得たようなもので、自分が担う星座には複雑な思いがある。
 その鯨座の聖闘士を倒した男こそ、他ならぬ伝説のペガサス星矢だけになおさらに。

 しかし男の答は悠然としたものだった。

「あるとも。
 私はかつて海皇ポセイドン様より七つの海の一つを託された者だ」
「何だと!」
「貴様は一体……!」

 蛮やピアードが色めき立つ中、

「shit……やはり……」

 それを聞いたテリオスが舌打ちするのを、近くにいた那智だけが聞き取った。
 その言葉の意味をテリオスに問おうとするより先に、男が誇りに満ちた声で名乗りをあげた。

「七つの海を守護する海闘士マリーナ七将軍が一人、
 南大西洋サウスアトランティックを守護する海魔女セイレーンのソレント」

 あまりに堂々たるその態度に、全員しばし攻撃することを忘れて立ちすくんだ。

海将軍ジェネラル……」

 アルレツオが噛みしめるように呟いた。
 その名は、黄金聖闘士や冥界三巨頭と並び称される。
 神話を辿れば、聖闘士よりも更に古くから神々より人間に授けられた栄光の座であった。
 この最終聖戦の時代にあって海底神殿が崩壊してもなお、響き渡る称号だった。

「ただの護衛にしては手際が良すぎると思ったぜ。
 まさか海将軍の一人だったとはな」

 ピアードはまだ包帯を巻いている昨日の傷に一瞬だけ目をやって再び構え直す。
 しかし、状況を把握しているのは星闘士たちだけだった。

「ちょ、ちょっと待ってくれ!話が全然わかんねえよ!」

 海魔女のソレントとは、アスガルド最強の神闘士ゴッドウォーリアーであるアルファ星ドウベのジークフリートを倒した男の名前であるとしっかり覚えていた大地だが、思わず悲鳴めいた叫びをあげた。

「確かポセイドンはエリシオンで星矢たちに加勢してくれたんじゃなかったのかい。
 それが何で今さら俺たち聖闘士を攻撃して来るんだ」

 蛮は「聖闘士」をやや強調するように尋ねた。
 ソレントが何かを間違えているのではないかと思ったのだが、

「聖衣を見れば君らが聖闘士ということくらいはわかる。
 尋ねたいのはこちらの方だ。
 何故聖闘士が、ジュリアン様を害そうとする輩と共に行動している」
『何ィッ!?』

 那智、蛮、大地は異口同音に叫んだ。

「ポセイドン様のご厚意に、仇を以て応えられるとは思わなかったぞ、アテナの聖闘士……!!」
「テリオス!ソレントの言っていることは本当か!」

 那智の声は尋ねているのではなく、事実上確認しているに等しかった。
 テリオスは不本意な仕事と言っていた。
 星闘士である彼らがポセイドンの肉体であるジュリアンに近づくからには、……テリオスの真意はどうあれ……ポセイドンに敵対する意図があってのことと考えざるを得ない。

「……おまえの考えているとおりさ。
 どうやらお前らを変に巻き込んじまったらしい」

 何とか立ち上がりながら応えるテリオスの歯切れは悪かったが、一転して大声をあげた。

「海魔女のソレント!
 生き残っている海将軍は貴様一人だけだったはずだな!」
「何を聞くかと思えば……。
 真の海龍シードラゴンが消息不明の今、生き残っている海将軍はこのソレントのみだが、それでもお前達くらい……」
「ジュリアン・ソロの周囲をがら空きにしてきたのか!!」
「……まさか……、どういうつもりだ!?
 お前は刺客ではないのか!?」

 テリオスの予想外の言葉の意味を、ソレントはほぼ正確に把握したが、同時にそれは混乱に拍車をかける事実でもあった。
 テリオスは、もう一つの手勢があるとソレントに教えているのだ。

「急いで戻れ!ジュリアン・ソロが怪我するだけでは済まなくなるぞ!」
「テリオス様、何を!?」

 これにはピアードが顔色を変えた。
 アルレツオとピアードの二人がテリオスの監視役というのは冗談ではなく本当なのかも知れないと那智は思った。
 ジュリアン・ソロへの対処法を巡って、星闘士内部にも意見の相違があるのだろうか。
 怪我するだけでは済まない……それはすなわちジュリアン・ソロを抹殺するつもりの星闘士がいる。

「それがゼス……とか言うやつなのか?」

 昨日アルレツオとピアードの二人を送り返すとき、ゼスのジジイがどうとか言っていたように思う。
 白輝星闘士スノースタインであるテリオスの上司。
 それはすなわち、

「青輝星闘士……か」
「獅子座レオのゼスティルム。
 青輝星闘士のナンバー2だ」
『……!!』
獅子座レオ……」

 蛮は一人うめくようにつぶやいたが、その声は直後の叫びにかき消された。

「もう……、もうおやめ下さいテリオス様!
 これ以上喋るなら、この場で貴方を始末しなければならなくなります!!」

 アルレツオが悲鳴のように懇願する。
 今の傷ついたテリオスに対してならば不可能ではない話だった。

「……やむを得ん。テリオスとか言ったな。
 礼は言わぬが預けて置くぞ!」

 ソレントはしばしの逡巡の後、不確定なものの直接ジュリアンに関わる危険の方を優先しその場から姿を消した。

「やれやれ……」

 ひとまずの脅威は去ったことになるが、それで終わりとするわけにはいかない状況だった。
 誰が言い出すとはなしに聖闘士同士、星闘士同士で集まる。

「どうする?ここでどう動くかで今後の敵味方が変わってくるぜ」

 大地は答を決めかねていた。
 ポセイドンは一時味方についたとはいえ、アテナの聖闘士にとっては宿敵とも言える相手。
 一方、今目の前にいる面々とは休戦しているが、星闘士は現在守護星座を巡って抗争中の敵。
 さすがに考え込んだ。

「テリオス……、何故ポセイドンを傷つける必要がある?
 何の目的で……」

 テリオスに尋ねようとした那智はそこで言葉を詰まらせた。
 テリオスが首を横に振り、その後ろではアルレツオが苦渋に満ちた表情でテリオスの首筋に小宇宙をたぎらせた手刀を添えていた。
 これ以上喋るなという意味に他ならない。

 そのとき、テリオスの唇が動いた。
 正面を向いていたので、それに気付いたのは那智だけだった。

 M……TH……OGI……Al……GEN

 読唇術など正式には習っていない。
 四年前に人質に取られたときの対処法としてテリオスから冗談半分に教えられただけなので、わかった音は断片的でしかなかったが、それらは頭に刻み込む。
 反芻している時間はなかった。
 先ほどから遠い音がしていたが、今は強烈な小宇宙の激突が波動となって押し寄せてくる。
 既に戦いは始まっているのだ。

 蛮がソレントの去った方向を見据えたまま、静かだが動かし難い声で口を開いた。

「俺は、獅子と戦う」

 子獅子座は、黄道十二星座の一つ獅子座に従う星々を集めて創られたと言われている。
 獅子座のアイオリア亡き今、獅子座の星闘士には自分が対抗しなければならない。
 相手が、青輝星闘士であろうとも。

 聖闘士としての悲壮な覚悟が、那智と大地にも伝わってくる。

「答は、決まったな」

 元より星闘士とは戦闘状態だったのだから妥当な選択かも知れない、と大地は思うことにした。
 那智は今一度テリオスたちの方を向いた。

「おまえが勝てば我々は邪魔をせぬという約束だった。
 止めはせん」

 不本意だが、という顔でアルレツオがテリオスに代わって答えた。

「一つだけ忠告しておいてやる。
 せめてゼスティルム様と戦う前に死なんようにしておけ」

 言われて那智は、自分がまだ手当も半ばの状態だったことを思い出した。
 たて続く状況の変化に気力で対応していたつもりだったが、確かにこのままで青輝星闘士と戦うのは無謀極まりない……というよりは戦闘にならないだろう。

「大地。お前は那智の手当をしてから来てくれ。
 俺は先に行っている!!」





「……間一髪、だったようだな」

 ジュリアンの滞在しているホテルの一室……といっても海商王が泊まるにしては粗末なものだ……にとって返したソレントは、ジュリアンの眼前で侵入者と向き合うことになった。
 中年から初老といったところか。
 ゆったりとした長衣を纏い、明らかに西洋人然とした面立ちは、この国ではかなり違和感がある。
 もっともそれはソレントやジュリアンにしても同じだから、ジュリアンを訪問してくることには逆に違和感がないと言えなくもない。

「ソレント。どうしたのですか、血相を変えて」

 ジュリアンは不思議と特に驚いた風もなく焦った様子もない。
 よく見れば侵入者はジュリアンに向かい合って椅子に座っていた。
 ただ、雰囲気がいつもと違う。

 いつぞやの日食のときほどではないが、ポセイドン様の小宇宙を感じるのはどういうことだ……?

「ああ、こちらの方は占星術師のゼスティルム殿です。
 ヨーロッパの実業界では有名な方ですよ」
「なるほど、占星術師……ですか」

 何をしに来た、とソレントは尋ねなかった。
 ジュリアンの目には留まらないはずの準光速で笛を振るい、ゼスティルムに攻撃を仕掛けた。
 不意をつき、並の人間はおろかかなりの聖闘士であってもかわせないであろうその攻撃を、
 ゼスティルムは瞬時にして立ち上がり、衝撃波が頬をかすっただけでやりすごした。
 もはや疑う余地は無い。

「どうやら、既に自己紹介は済んでいるようだな」

 ゼスティルムがため息とともに呟く。
 この一発でゼスティルムの纏っていた長衣が破れ、その下から聖闘士たちと一緒にいた者たちと同じ、黒光りする鎧が姿を覗かせていた。
 すかさずジュリアンとの間に割り込み、ジュリアンを背にかばう。

「ジュリアン様……、私はあなた様をたばかっておりました。
 ですが、必ずやあなたのことはお護りいたします」
「……あとはまかせたぞ、ソレント……」
『……!』

 向かい合うソレントとゼスティルムの顔に、同時に驚きの表情が浮かんだ。
 その声はジュリアンのものであってそうではない。
 海底神殿での威厳そのままの声があたりを圧した後、ジュリアンはふっと意識を失った。
 ソレントは振り返らず、横笛の表面に映った歪んだ像でそれを確認する。
 ゼスティルムに背中を見せる危険性を十二分に承知していたからだ。
 ひとまずジュリアンに自分の戦う姿を見せずに済んだことに安堵しつつ、ポセイドンから直に命ぜられたことと、そのためにジュリアンが気を失ったことに魂を奮い立たせる。

 私が戻ってくるまでの間、ポセイドン様はジュリアン様を刺客から守るために無理に降臨されたのだ。
 必ずや、お護りいたします。
 海底神殿で果たせなかった分まで……!

「封印されているのならば、仮の肉体を抹殺することもたやすいと思っていたが……
 ポセイドンも存外にしぶといものだな」
「どこの神の手の者か知らんが、ジュリアン様もポセイドン様も死なせはしない……!」

 この至近距離では笛を吹こうとする一瞬にやられる可能性がある。
 ソレントはかわされることを承知で、笛による打撃で先手を取った。
 この部屋から追い立てて、ジュリアンに危害が及ばぬようにするのが第一の目的だった。

 窓際に追い込むまでにかすった衝撃波でゼスティルムの長衣を吹き飛ばして、その下の黒光りする鎧の全貌をあばいたものの、とりあえずここまでその鎧にかすり傷一つつけることは出来なかった。
 しかもこの形状は確か、獅子座の黄金聖衣のそれではないか。
 黄金聖衣ほどかどうかはともかく、かなりの防御力があることは確かだ。

キィンッ!!

 追い込んだところでマスクをしていない顔面を狙った笛の一閃を、ゼスティルムは寸前で受け止めた。

「ソレント……。
 確か南大西洋の海将軍だったか」
「貴様……何故それを知っている?」

 海将軍の陣容を知っているのは海闘士を除けば、直接戦った青銅聖闘士たちくらいだろう。
 彼らがこの男たち……確かスタインとか言っていた……と結託したのだろうかと思い、ソレントは至近距離で尋ねてみた。

「海界崩壊の折に救助した数人の海闘士から話を聞いたまでのこと」
「何!」
「待遇は案ずるな。食客として遇している。
 だがこうなっては、そなたについては倒す他はなさそうだな」
「!?」

 ソレントは自分の手にしている笛が急激に熱くなってきたことに気付いて、慌てて笛をゼスティルムの手からもぎ取った。

「蒸発させるつもりだったのだが……、その笛もオリハルコン製だな。
 道理で無造作に扱うと思ったぞ」
「お前は一体……」

 返事の代わりに尋ね返したが、ソレントは相手の使う技の素性が大体読めた。
 おそらくは、アイザックと逆の能力。
 小宇宙によって原子の動きを止めるのが凍気だと言っていたから、理論上その逆もまた可能だろう。
 確かアスガルドの神闘士の一人がその使い手だったと聞くが、稀な能力であることは確かだ。
 ソレントもまだ相対したことはない。

「少しは、想像がついているのだろう?」

 ソレントの疑問に答えるかのように、ゼスティルムを中心にして大気が熱を帯びて膨れ上がる。

 いかん……!ここで炸裂させてはジュリアン様が……!

「ゴーストシップ・ララバイ!!」

 ソレントも笛だけで海将軍になったわけではない。
 イオのビッグトルネードにはやや劣るが、小宇宙による渦潮を発生させて、高温の大気ごとゼスティルムを窓から吹っ飛ばした。
 その後を追って自分も窓から飛び出す。

 まださらに伏兵がいるとは思えなかった。
 先ほどの三人が陽動で、今のゼスティルムがおそらく本命だろう。
 意識を失ったジュリアンをしばしそのままにしておくことは心が痛んだが、ジュリアンの間近でゼスティルムとやり合う方がはるかに危険だった。

「!?」

 着地して前方を見据えたソレントは一瞬我が目を疑った。
 吹っ飛ばしたはずのゼスティルムだが、ホテルから百メートル強離れたところに、無傷で、何事もなかったかのように立っていた。
 さらに手招きしてソレントを誘うので、いぶかしみながらもソレントは追うしか無かった。

「お前、今のはわざと……」

 それなりに広い草原まで来て追いつき、元々戦う場所を移動するつもりだったことを悟った。

「私としてもジュリアン・ソロを火葬にするわけにはいかぬのでな。
 これくらい離れれば文句は無かろう」

 それはつまり、全力で行くという意思表示に他ならない。
 その言葉を補填するかのように、強烈に蒼く輝く小宇宙がまさしく炎のごとく燃え上がる。
 しかしそれが通常の炎など問題にならないほどの高温であることは推測がついた。
 聖闘士や海闘士の平均から比べれば老年と言ってもよいほどの外見で侮るわけにはいかなかった。

「どうやらテリオスも全て喋ったわけではなさそうだな。
 改めて名乗らせていただこう。
 私は天の星座を守護せし星の戦士、星闘士の最高位たる青輝星闘士が一人、
 獅子座レオのゼスティルムだ」
「七つの海を護りし海闘士七将軍の一人、
 南大西洋を守護する海魔女セイレーンのソレント」

 一日に二度も名乗るというのも妙な気分だったが、海闘士の誇りに賭けて敵に遅れをとるつもりはない。
 相手がほぼこちらのことを知っているのを承知の上で、名乗りを上げた。

「やはりそうだったか。相手にとって不足は無い。
 鱗衣が無いとは言え容赦などと非礼はせんぞ!」

 今度の先手はゼスティルムだった。
 瞬時に光速拳が展開される。
 動きに一切の老いなど感じさせない。
 紙一重でよけるわけにはいかなかった。
 アイザックと手合わせしたときに、凍気の拳は周囲の大気温度を変化させるため通常の衝撃波を伴う拳よりも攻撃範囲が広くなるということを教えられていた。
 こちらも小宇宙をたぎらせているとはいえ、纏っているのが単なる布では、鱗衣と比べるのもはばかられる程度の防御力しかない。
 アンドロメダのネビュラストームに砕かれた海魔女の鱗衣は、今は南大西洋の底で傷を癒している最中だ。
 無い物ねだりをしても仕方がないとはいえ、やや大きい動作で避けてもなお肌に突き刺さる小宇宙は、もはや熱気というよりも灼気というべきか……!

「さすがだな。
 他の七将軍が神聖闘士ゴッドセイントに倒されていなかったらと思うと戦慄を禁じ得ぬ」

 服のそこかしこが焼け落ちたものの、ソレントはなんとかゼスティルムの第一波をかわしきった。
 しかし、鱗衣の無いこの状態ではいつまでも防ぎきれるものではないことはよくわかった。
 おそらく、鱗衣があって五分。
 シアンスタインとか言ったが、おそらく黄金聖闘士あたりに相当する階級なのだろう。
 ならば、追い込まれる前に片を付けるのみ。
 幸い、かわしきった直後で少々間が離れていたが、それだけでは隙を狙われると判断し、

「では、今度は海将軍の力を見せてやろう」

 あえて敵に攻撃と悟らせ、受け手に回らせた。

「聴くがいい……、セイレーンの歌声を!」

 ソレントが笛を構えて口にした瞬間、ゼスティルムは再び周囲の大気を爆発的に加熱した。

「残念だが相性が悪かったようだな、セイレーン。
 こうして音を伝える大気ごと叩き返せば、旋律など届かぬ」
「フッ……。
 ジークフリートといい、アンドロメダといい、よくよくこのセイレーンを見くびってくれるものだ……!」

 他の海闘士でも、ソレントの旋律の真の恐ろしさまで知っている者はおそらくいない。
 同じ海闘士のふりをしていた海龍……いや、双子座のカノンを疑っていたため、ソレントはこの力を本当に倒すべき相手にしか悟らせないようにしていた。

「嬲るのは性に合わぬ。
 この一撃で決着をつけてくれよう!」

 ゼスティルムによる空気の遮断は成功しているのだろう。
 ソレントのつぶやきが届かなかったらしいゼスティルムはとどめの一撃を放とうと小宇宙を高める。

「私の笛の音はそんな甘いものではない。
 デッドエンドシンフォニー……!!」
「……何ッ!?」

 今しも拳を放とうとしたゼスティルムの鼓膜を、美しい旋律が貫いた。
 一瞬気が遠くなりかけたが、さすがにそこは踏みとどまる。
 しかし気がつけば全身を無数の妖精たちに取り囲まれていた。
 美しさの中に残虐さを含む微笑を浮かべた妖精たちは、ゼスティルムの星衣にとりつきそれを破壊しようとする。

「おのれ……、この青輝星闘士ゼスティルムの星衣を、そう簡単に砕けると思うな!!」

 星闘士ナンバー2の誇りに賭けて、この星衣を砕かれるわけにはいかない。
 蒼き小宇宙が星衣を輝かせ、妖精たちの牙と爪をはじき返していく。

……砕けぬか……!

 黄金と化したアンドロメダの鎖をも粉々にした旋律である。
 相手の鎧の予想を上回る頑強さにソレントは驚かされた。
 しかし、本来鎧を砕けずともこうなってしまえば関係ない。
 ゼスティルムも、旋律そのものが全身を侵していく真の威力に気付いて耳を塞いだが、その顔に驚愕の表情が浮かんだ。

「この笛の音は、大気を弾こうが耳を塞ごうが関係ない。
 お前の頭脳に直接響き渡るのだ!!」
「ぬうううっっ!!」

 もはや大気の遮断もままならず、聞こえたソレントの言葉がはったりではないことはゼスティルムにも疑う余地は無かった。
 まさに脳に直接響き渡るとしか言いようがない。
 しかもその美しい旋律は、気を緩めれば瞬時にその甘美さに溺れかねないほどのものなのだ。

「だが……喋りすぎだ。
 耳を塞いでも意味がないのならば、攻撃するまでのこと!
 アークプロミネンス!!」

 伸びる、と確認する間もなく一瞬で長大な炎の弧が出現してソレントまで届いた。
 軌跡上の地面が蒸発して、凄まじい爆発音が響き渡る。
 しかしその中でさえ、旋律は途切れなかった。

 視覚を狂わせているのか……?
 いや、おそらく五感全てを……。

 確実に捉えたはずの一撃が事実上素通りした原因を、ゼスティルムは瞬時に見抜いた。

「ならば、全てを吹き飛ばすまでだ」

 この男、まだこれほどの小宇宙を……!?

 ゼスティルムの意図を察するのが一瞬遅れた。

「シャイニング・フレア!!」

 かわしようがないまでに巨大で超高熱の風があたりを一気に薙ぎ払った。
 その様はまさにフレア……太陽風と呼ぶにふさわしい。
 いかにデッドエンドシンフォニーで視覚を狂わせていても、この攻撃範囲では問答無用であった。

「ぐあっ……!!」

 演奏を中断させられたばかりか、激しく吹き飛ばされて地面に転がされたソレントは全身の激痛にうめいた。
 さらにはこらえようとした両腕の外側は火傷が焼きついている。
 なんとか指は動くようだが、全身に受けたダメージが大きすぎる。
 デッドエンドシンフォニーでゼスティルムの小宇宙を衰えさせていなければ、今の一撃でソレントの命は無かっただろう。

「……身体がまるで思うように動かぬ。
 まさか鱗衣も無しにここまで苦戦させられるとはな」

 デッドエンドシンフォニーで歪んだ感覚を元に戻そうとしてゼスティルムは軽く頭を振るが、その程度ではなかなか治りそうになかった。

「……仕方がない。先にとどめをくれてやろう」
「くっ……」

 ソレントは全身を叱咤して何とか立ち上がろうとする。
 地を舐めたままとどめを待つなど、海闘士の誇りが許さなかった。
 いや、笛を手になお戦うつもりだったのだが、立ち上がるだけで精一杯だった。

「さらば……最後の海将軍よ。
 アークプロミネンス!!」
「待てえいっ!」
『!?』

 炎を遮るように野太い声が立ちはだかり、

「どおりゃああああっっ!!」

 現れた人影が跳ね上げた両腕によってプロミネンスがはじき飛ばされるのを見てゼスティルムは驚愕した。

「貴様は……!」

 思わず叫んだのは相手を知らなかったからではない。
 その者が纏っている聖衣は、いささか形状が変わっているものの銀河戦争の広報物に記載されたものであると覚えがあったのだ。
 すなわち、青銅聖闘士。
 しかもあの神聖闘士たちではない。
 それが、自分の必殺技を受け止めたというのか……?

「青銅聖闘士、子獅子座ライオネットの蛮!
 獅子座レオの青輝星闘士よ!
 黄金聖闘士獅子座レオのアイオリアに代わって、この俺が相手をする!」
「…………身の程知らずが」

 誇りをいたく傷つけられたゼスティルムは、眉間の皺を深くして静かに言い放った。

「何故私を助けた、ライオネット……。
 お前たちはこの者たちと結託しているのではないのか?」

 先ほど助言に回ったテリオスといい、このライオネットといい、状況が把握しきれないソレントはとまどうように尋ねた。

「アテナの聖闘士を誤解されたままじゃ困るんでな。
 ポセイドンから星矢たちが受けた借りも返さにゃならん。
 そして、本来こいつらとは、守護星座を賭けた戦いの真っ最中なんでな」
「休戦とか言っていたように思うが?」
「俺たちの仲間の一人が、向こうさんの一人と旧友だっただけのこった」
「旧友……か。
 そういえばアイザックもそんなことを言っていたな……」

 今は亡き最年少の同志のことを思い出して、ソレントは一応その場を納得することにした。
 どうやらアテナの聖闘士はまだ信じるに足ると観ていいらしい。

「解った……、詳しい説明は後でしてもらうが、ひとまずお前たちを信じよう。
 今お前の五感を解放する」

 まだ辛うじて指が動くことを確認して笛を吹こうとする。

「道理で全身が上手く動かねえと思ったら、やっぱりそうか。
 解放するんじゃなくて、どうせなら極限まで縛り付けてくれ」
「何!?」
「……でなきゃ、あいつには勝てそうにねえ」
「馬鹿な、あのゼスティルムも今デッドエンドシンフォニーの影響下にあるとはいえ……、
 !!……まさか?」

 そういえばアスガルドでも、海界でも、あの青銅聖闘士たちは極限状態に追い込まれてから無限に小宇宙を高めていなかったか?
 そして、この男も青銅聖闘士。

「わかった。アンドロメダやペガサスらと同じように期待させてもらおう」
「……言ってくれるぜ」

 蛮はさすがに苦笑したが、まさにソレントの言うとおりだ。
 自分はかつてあの神聖闘士たちと黄金聖衣を争った……いや、あいつらと血を分けた兄弟なのだ。
 そして、それを解っているからこそソレントに頼んだのだ。

「聖闘士と海闘士の密談は終わったか?
 おそらく無駄になろうがな」

 ゼスティルムはしばし手を出さずに五感の回復を待っていたが、やはり思うように回復してくれなかった。
 しかし冷静に見つめてみれば、ライオネットが自分の必殺技を弾いたのは奇跡ではないだろうかと思う程度の小宇宙しか感じられない。
 恐れるに足りぬと判断して、倒すことにした。

「無駄になるかどうか、試してみなければ解らないと思うぜ」

 そう言いつつも、この実力差では無理もないだろうとは思う。
 ソレントの旋律で自分と同様に力を出しきれていないようだが、それでも青輝星闘士だけのことはある。
 しかもその小宇宙ははっきりと蒼い。
 おそらく檄と市と翔が三人がかりで撃退したという牡牛座の星闘士を上回るのだろう。
 だからこそ、無茶を承知でソレントに頼んだのだ。

 星矢たちに出来たこと。
 檄と市に出来たこと。
 ならば、自分にも出来るはずだ。
 必ず……!

「デッドエンドシンフォニー……!」

 その決意に合わせるように、座り込んだままのソレントが笛を吹き始めた。
 しかし今度はその音色がまるで響かないのでゼスティルムはわずかに首を傾げた。
 その音色は、蛮の脳にだけ響いていたのだ。
 視界が薄らぎ、風の音が遠くなり、ただ旋律と小宇宙だけが認識されるようになる。
 そしてその向こうにあるはずのものへと、小宇宙を燃えたぎらせた。

「はあああああああっっっっっ!!」

 味覚も衰えてきているが、吼えるのは味覚とは無関係だ。
 咆吼とともに全身に燃えさかる小宇宙は、普段とは比べ物にならないほど研ぎ澄まされてきている。

「こやつ……!」
「ライオネットボンバー!!」

 一瞬で間を詰め、全身これ弾丸と化して突っ込んだ。
 視覚が薄らいでいる代わりに、ゼスティルムの小宇宙ははっきりと認識できるようになってきていた。
 光速の動きを持つはずの青輝星闘士といえど、ソレントの笛にやられているのならそこまでの速さは無い。
 そして相手が蛮の速さを青銅聖闘士のそれと見ていれば、この速さには対応しきれないはず。
 その読みは当たった。
 かわそうとするゼスティルムの体勢がかすかに揺らいだところへ、爆発的な小宇宙が炸裂する。
 しかし、

「ぬうぅぅぅっっ!!」

 直撃を食らったとはいえ、それで倒れるような青輝星闘士では無かった。
 蛮の突進の威力を殺しきれずに踏みとどまる足が地表を削るが、蛮の身体を受け止めきった。

「青銅聖闘士ごときが、調子に乗るな!!」

 ゼスティルムは左手で蛮の身体を軽々と宙に投げ上げ、右拳から光を放った。

 ……これは、星矢の流星拳と同じ……!?

「シューティングスター・レオニズ!!」
「ライオネットブラスト!!」

 無数の拳が叩きつけられた蛮は激しく吹き飛ばされる。
 とっさに全身から小宇宙を放ったものの、やはり全てを相殺しきれるものではなかった。
 しかし修復なった子獅子座の聖衣は防御面積が以前とは比べ物にならないほど拡大しており、強度も確実に高まっていてその攻撃をよく受け止めてくれていた。

「こやつ……本当に青銅聖闘士か……!」
「青銅白銀黄金の区分はアテナの策謀。
 敵が真に恐れるべきは……」

 戦闘不能になるほどのダメージは免れた。
 距離がやや離れたところで着地して、先ほどテリオスが言った言葉をうまく回らない舌で噛みしめ直す。

「黄金を超える可能性を持った、青銅聖闘士……!」
「!!」

 ゼスティルムは目の前にいる聖闘士を、青銅の区分で判断することの危険性に気付き始めた。
 平時ならばともかく、デッドエンドシンフォニーで衰えている今ならば、気を抜くことは許されない。
 そういえば牡牛座のグランドが撃退された相手も確か、青銅聖闘士ではなかったか……?

「燃えろ、俺の小宇宙よ……!
 星矢たちの、黄金聖闘士の位まで、今こそ高まれ……!!」
「子獅子が吼えるか……。
 ならば、千尋の谷のなお底に叩き込んでくれよう!」

 ゼスティルムの小宇宙が獅子となって燃え立ち、蛮の小宇宙もまた獅子の姿を浮かび上がらせた。
 レグルスやデネボラを筆頭に黄道に輝く獅子座と、四等星以下の星から構成された子獅子座ではその格の差は歴然としているはずであったが、蛮は何か自分とは違う力が後押ししてくれているような気がした。
 
「この一撃で、その聖衣ごと吹き飛ばしてくれよう……!
 シャイニング・フレアー!!」
「ライオネットボンバー!!」

 周囲全てを薙ぎ払う超高熱の太陽風の中へ、蛮は真っ正面から突っ込んだ。
 全身が燃え尽きるのでは無いかと思うほどの高熱なのだろうが、しかし、触覚の衰えている今はそれらはさほど感じなかった。
 ただ、聖衣に覆われていない生身の皮膚の毛が蒸発し、髪の毛の先端が焼けこげているという実感はあった。
 それに鋭角的になっている聖衣の一部が削り取られているのも。

 もっとだ……もっと、もっと、もっと!熱くなれ……!俺の小宇宙よ……!
 燃えて……燃えて……爆発しろ……!!

「これはっ!?」

 太陽風を突き抜けて来る蛮の小宇宙が突撃から変化する。
 先の爆発とも違う、これは……

「ビッグバン……!馬鹿な……!!」

 ゼスティルムの眼前でまさに小宇宙が爆発したかと思わせる光が膨れ上がり、巨大な奔流となってゼスティルムを吹き飛ばした。

「うおおおおおおおっっっ!!」

 しかし、太陽風に突っ込んだ蛮もただで済むはずがなかった。
 新生聖衣にすらひびが入るほどの圧力を受けて、ゼスティルムを吹き飛ばすのとほぼ同時に正反対の方向へ吹き飛ばされた。

「がはああっっ!!」
「いかんっ!」

 頭から地面に落下しかけた蛮を、ソレントは気力を振り絞って受け止めに走った。
 向こうとしては借りを返したつもりだろうが、ポセイドン様の貸しとは別に自分でも借りは返さねばと思う。
 危ういところで受け止めた蛮は、聖衣といわず身体といわず凄まじい高熱を発していた。
 それがゼスティルムの攻撃と、蛮自身の小宇宙とどちらによるものなのかはソレントにもわからなかった。
 おそらく両方によるものだろう。

「……さすがは、青銅聖闘士だな」

 感嘆のため息とともに最大級の賛辞を送ったが、考えてみれば聴覚をほとんど閉ざしていたので聞こえるはずもなかった。
 ゼスティルムを倒したのなら五感を取り戻させるかと思い、ゼスティルムの飛ばされた方向を見て、ソレントは絶句した。

「……!!」

 ゼスティルムが立ち上がっていた。
 埃まみれとなり、マスクをしていない頭部からは流血が見られたが、そのまとう鎧……確かクエーサーと言っていた……には、傷一つついていない。

「デッドエンドシンフォニーを聴き、さらにあの一撃を食らって、まだ……」
「……なるほどな。
 黄金聖闘士も、神闘士も、海将軍も、冥界三巨頭すらも……この慢心に敗れたということか……。
 危ういところだった……」

 しっかりした、とまではいかないが、それでもそれなりに確かな足取りでゼスティルムは蛮とソレントに近づいた。
 決して若くはない身体のはずだが、その体力と耐久力は恐るべきものだ。

「非礼を詫びよう、子獅子座の蛮。
 獅子座のアイオリアの代わりとして、お前の命をもらう」
「殺させんぞ。
 状況はよく解らぬが、ジュリアン様を害そうとする者の好きにはさせん」
「出来はせぬ……と言いたいところだが、邪魔者が来たようだな」

 ゼスティルムが振り返った先には、焼けた地面を疾走してくる四輪駆動車の姿があった。
 ふらついて怪しい運転だが、確実にこちらに向かってくる上に、乗っている二人の人間のうち一人からは確かに小宇宙を感じる。

「聖闘士か。だが、あれでは絶好の的だな。
 アークプロミネンス!!」

 炎が直撃した自動車から、その寸前に人影が離脱する。
 包帯を巻いた満身創痍の身体ながら、確かに聖衣を纏い、小宇宙を感じさせた。

「足止めする気も無いのか、テリオスめ」

 子獅子座と同じく変形しているものの、銀河戦争の参加聖闘士の一人が似た形状の聖衣を纏っていた。
 確かこれは、狼星座。
 おそらく先ほどテリオスと戦っていたのはこいつだろう。
 極めて扱いづらい部下のことを思い出して思わず毒づいてしまった。
 だが、テリオスも一応白輝星闘士だ。
 戦ってただで済むわけがない。

「その身体では死にに来たも同然だぞ、狼星座の聖闘士よ。
 蛮の寿命を僅かに長らえたに過ぎぬ」
「く……っ!」

 那智としてもなんとか戦いたかったが、テリオスと戦った後応急処置だけでは今立っているだけでもつらい。
 ソレント、蛮と続けざまに戦い、傷ついているはずのゼスティルムだが、それでもなお強大な小宇宙を湛えていた。
 蛮の様子はと視線を向けると、もはや何の小宇宙も感じられなくなってしまっている。

「……」
「それでもなお戦いに来た執念は誉めてやろう。
 望み通り、そなたから死ぬがよい」
「そうはいくかーーーーーーーっ!!」
「!!」

 青い光が正真正銘の光速でゼスティルムを包んだ。
 攻撃力こそ無いが光量が強いため、その方向を直視できない。
 しかし、さきほど炎に包んだと思っていたはずの自動車からであることは察しがついた。
 小宇宙も感じられない以上、純粋に科学的な攻撃手段だろう。
 星闘士としては屈辱的な攻撃だ。

「このゼスティルムを、見くびるな!!」

 光の中から抜け出様に今度こそ焼き尽くしてくれるとばかりに炎を放ったが、炎を放つ寸前かほぼ同時に自動車の前が白く染まった。
 そこに炎が激突した瞬間、大音響とともに爆風が響き渡る。
 ランドクロスが搭載していた液体窒素を噴霧して防御としたのが、熱量が激しくて一瞬で気化してしまい爆風となった、ということがわかったのは那智と……そして、

「ゼスティルム!!!」

 立ち上がった蛮が爆風が吹き付ける中、大声でゼスティルムの名を呼んだ。
 その声に抗いがたい迫力を感じたゼスティルムは振り返って、愕然となった。
 先ほどまでまったく小宇宙を感じさせず、死んでいるのではないかと思っていた男が、とてつもない小宇宙を掲げた両腕にみなぎらせていた。

「蛮……お前は……!」

 ソレントに向けて放ったアークプロミネンスを蛮がはじき飛ばせた理由がやっとわかった。
 この男は、小宇宙を蓄えてある一瞬にそれを集中集約させて放つことが出来るのだ……!

「この子獅子座の蛮最大の拳……!
 フィニッシュバスタアァァァッッッッ!!」
「ぐあああああああああっっっっ!!」

 放たれた衝撃波を受け止めようとしたゼスティルムだったが、その威力に抗しきれずに結果として直撃を食らうことになった。

「ガハアッ!!」

 地面に叩きつけられたゼスティルムは血を吐いた。
 星衣の両手にかすかなヒビが入っており、受けた衝撃は星衣を通して彼の身体に突き刺さっていた。
 そして、精神的な衝撃もだ。

 まさか、青輝星闘士たる自分の星衣にヒビを入れるとは……!!

「まさか……ここまでの力を秘めていようとは……」

 ダメージが大きい。
 なんとか立ち上がったものの、果たしてこれ以上戦えるものかどうか、自信は無かった。
 まして、手負いの相手とはいえ海将軍を含む四対一。

「勝てぬ……か」

 屈辱的ではあったが、ここは冷静にならねばならなかった。
 イルピトアに全てを託すのは危険すぎる。
 自分はまだ、死ぬわけにはいかないのだ。

『ピアード、アルレツオ……、応答せよ。
 死んだわけではあるまい……』

 テレパシーを使い、二人に呼びかける。
 倒されたような小宇宙の激突は感じていないので、まだ死んではいないはずだ。
 二人にはテレパシー能力は無いが、ゼスティルムは自分の能力だけで会話が出来る。
 ややあって、アルレツオが応答してきた。

『テリオス様はピアードが連れ帰りました。
 ご命令の物は、髪の毛を一束頂戴いたしましたのでご安心下さい』
『血はどうした』
『肉体に直接危害を加えるのは危険にすぎます……』

「……」

 アルレツオの言葉に言い訳めいたものを感じたが、ひとまずサンプルさえ確保したのならばイルピトアも文句は言うまいと思うことにした。
 封印を解けずに撤退するのは口惜しいが、これはまだ急がない。

「……子獅子座蛮よ、この場はお前とお前たちの勝ちだ。
 しかし、次はこうはいかぬ。
 次にまみえる時にはお互い五体満足で、天の獅子を争えることを期待する。
 その時まで、生き長らえよ」

 誰も、待て、とは言わなかった。
 既に追いかけて戦うだけの力が無い今、撃退出来るのならばそれで納得するしかない。
 蛮とゼスティルムの視線が最後にもう一度だけ激突した後、
 ゼスティルムの身体はテレポーテイションしてその場から消えた。

 ソレントはとっさに、ジュリアンの下へ飛んだのではないかと小宇宙を探ってみたが、少なくともこの周囲からは離脱したのが確認できたので、ほっと一安心して肩の力を抜いた。

「勝った……のかな……」

 力を使い果たした蛮はその場にぶっ倒れた。
 アークプロミネンスを辛うじて火傷を負ったまでで凌いだ大地が、ランドクロスの自動車部を手押しして運んでくる。
 どうやら炎でランドクロスの走行機能が破壊されたらしい。
 それでも医療セットが壊されなかったのは幸いだろう。
 大地は蛮と、一瞬悩んだがソレントにも手当を始める。

「さて……話してもらおうか。今この地上に何が起こっているのかをな」

 笛を一吹きして三人の五感を解放してから、ソレントは海将軍の目でそう言った。





第十四話へ続く


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