聖闘士星矢
夢の二十九巻

「第十二話、アテナの策謀」




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「オールパーツ、パーフェクト!」
「All parts, perfect!!」

 狼星座ウルフの聖衣を纏った青銅聖闘士ブロンズセイント那智と、
 狼星座ループスの星衣を纏った白輝星闘士スノースタインテリオスが、
 同時に大地に降り立った。

 装着開始こそ那智より後だったはずのテリオスだが、相手より遅れて着地することの危険性を解っているのだろう。
 完了は後れをとらなかった。
 着地と共にたぎる小宇宙がオーラとなって燃え立ち、二人の争う守護星座である狼の形を為した。

「そいつと、本気でやれんのか……那智」

 少し離れた場所から、何故かテリオスの部下達と肩を並べつつ見守ることになった蛮は、那智の横顔を遠くに見てうめくようにつぶやいた。
 友であり互いに命の恩人でもあるという男に向けられた那智の目は、狼のように細く引き締められ、鋭い眼光を放っている。

 銀河戦争ギャラクシアンウォーズでは一輝の幻魔拳に敗れたものの、こと肉体的な一対一の格闘となれば那智はかなり強い。
 だが、蛮にはわかった。
 その那智が、気圧されている。
 年齢差もあるだろうし、相手のことをよく知っていることが今は裏目に出ているはずだ。

 狼という動物は、実は同族同士で争うことが少ないと言われている。
 群のボスを決めるにしても、なわばりを争うにしても、自分と相手の強さを正確に判断して、戦わずして決着がつくことが多いのだという。
 すなわち、格の違い。

 蛮が想像した通り、那智は先ほどから嫌と言うほどそれを感じていた。
 そして、その事実をテリオスに見抜かれていることすらも。
 構える那智に対して、テリオスはほぼ自然体。
 記憶にあるテリオスは、常に那智よりも強く、高かった。
 勝てるという自信はない。

 しかし、今の自分はアテナの聖闘士セイントだ。
 そして、目の前にいるのは守護星座を争う星闘士スタインの一人。
 負けるわけにはいかない。
 あのテリオスが、どんな理由で星闘士になったのだとしても……

ザッ

 テリオスが、ゆるやかに一歩踏み出した。
 動き出す瞬間というものは隙を生じやすいものだが、元より自然体だ。
 易々と突き込めるような隙などなかった。
 さらに一歩、もう一歩と草原を踏みしめて、テリオスは間を詰める。

 威圧感が高まる。
 もしかしたら、逃げろと言っているのかもしれない。

 だが、昔から、素直に聞くオレじゃなかったろう、テリオス……!

 友に呼びかけたのは心の中のみ。

「行くぞ!」

 声に出したのは、火蓋を切る一声だった。
 声と同時に地面を蹴り、先手をとる。

「ハンティングクロー・ウェイストランド!!」

 拳だけではなく那智の全身が一陣の風となってテリオスに迫る。
 よける気配は無い。
 その左手が開き、右足が軽く浮いて、

「Highland Kingdom……!」

 ガキイィンッッ!!

「!!」
「受け止めやがった!?」

 大地が思わず叫んだ。
 両足を地につけて那智の突進を食い止めたのならまだしもだ。
 テリオスは、左掌で那智の右拳を受け止め、浮かせた右膝を那智の胸部に突き入れて、支えているのは左足一本。
 それで、揺るぎもしなかった。
 こらえたというよりもそれはむしろ、

「勝負ありだ」

 テリオスの部下、大犬座メジャーカニスのアルレツオが一切の迷い無く告げた。

『!!』

 大気が一閃。
 遠距離から見ていた四人にはそうとしか見えなかった。
 直後、聖衣の破片が舞うとともに那智の身体は草原を削り大地に転がっていた。

「那智……!!」
「な……、なんだよ、今のは……」
「狼のテリトリーに入り込んだ者は狩られるが定め。
 不用意に入り込めばああなるってことさ」

 鯨座カイトスのピアードが大地の自問に横から冷徹な解説を入れてきた。

「なわばり、ということか」

 蛮は、テリオスが周囲に張り巡らせている小宇宙を肌で感じて唸った。

「その通り……と言いたいところだが、実んところオレ達もあの人がここまで張りつめてんのは初めて見る」

 ピアードは、自分の声が心なしか震えているのを否定できなかった。
 確かに白輝星闘士だけあって、その純白の小宇宙は赤輝星闘士とは比べ物にならないほど強大だ。
 だが、それよりさらに上の青輝星闘士シアンスタインとも顔をつきあわせている以上、それだけで恐れはしない。
 ピアードが感じているのは、その小宇宙からにじみ出る苛烈なまでのテリオスの意志かもしれない。

「昨日の恩がある。
 テリオス様がウルフに止めを刺す前に奴を連れて引き上げろ。
 いや、すでに危ういやも……」

 アルレツオは倒れた那智の生死を気にして視線を向けたところで言葉を途切れさせた。
 那智が、立ち上がっていた。

 左脇の聖衣にはかみ砕かれたようなヒビが入り、そのすぐ下の聖衣に覆われていない部分からは鮮血が服を染めて滴り落ちていた。
 それでも、足をふらつかせることなく、まっすぐにテリオスに向かって構え直した。

 対するテリオスは、感情を押し殺した眼差しを那智に向けつつ、なお自然体のままだった。

「そう……だったな」

 テリオスに向かって呼びかけたのか、それとも独り言だったのか解らないが、無意識に声が漏れた。
 那智の記憶にあるテリオスの信条は、星闘士になっても変わっていない。
 ジャーナリストとして、自分から先手を取って暴力に訴えてはならないと、よく言っていたものだ。
 もっとも、舌先三寸で相手にけんかを売らせるのも上手かったが。
 行動を共にした時間は長くはなかったが、多くのことを学んだ。

「フッ……」

 そこまで思い出して、那智は微かに笑った。
 聖闘士としての技は、聖闘士を昔に引退した師匠に教わったが、男としての目標はこのテリオスだった。
 この四年間、こんな男になりたいと心のどこかで思い続けてきたのではなかったか。
 その目標が今、目の前にいる。
 そう思い直せば、壮絶な威圧感すらも、征服しようとする山を前にしているかのようで、いっそ心地よかった。

 白輝星闘士の小宇宙の輝きで冠雪したかのような、真白き峻嶺の頂上に、狼がいた。

「オオオオオオオオオオッッ!!」

 雑念を捨て、小宇宙を高めることに集中する。
 その頂上へ。
 かつては遙かに見上げていた頂上へと。

 カッと目を見開いた。
 彼我の距離は五メートル足らず。
 聖闘士にも星闘士にも、無いも同然の距離。
 だが、那智はそこからあえて踏み込んだ。
 テリオスの作り上げたテリトリー、いや、王国の中へと。

 これが本当の、今のオレだ、テリオス……!

「ハウリングスレイヤー!!」

 那智の拳が一瞬の間に幾百と閃いて大気を裂き、湧き起こる風の刃が小宇宙と共に狼の牙となってテリオスに襲いかかった。
 山羊座カプリコーンのシュラの聖剣エクスカリバーには及ばぬものの、鉄塊を微塵切りにするほどの威力がある。
 それを前に、やはりテリオスはよけなかった。

「Highland Kingdom!!」

 両手の爪が、殺到する狼の牙を次々と打ち砕いていく。
 元より型の決まっていない技だ。
 静かに集中させた小宇宙を、相手が技を放った直後の虚脱状態に叩き込む。
 相手の技は受け止めるか、受け流すか、それとも打ち砕くか。
 どちらにしても、同じだった。
 白輝星闘士の星衣は白銀聖衣シルバークロスに匹敵する防御力があるが、集中すれば短時間のみ黄金聖衣に近いほどの防御力まで高めることもできる。

 牙を打ち砕き、爪が那智を捉えて吹き飛ばす、その瞬間!

「デッドハウリング!!」
「!!」

 零距離で那智の必殺技が炸裂した。
 恐るべき反射神経でテリオスは身体をのけぞらせて拳をかわしたものの、大気を激しく引き裂く爪のごとき小宇宙の斬撃まではかわしきれなかった。
 那智を吹き飛ばすと同時にテリオス自身も胸部に受けた衝撃で後方へ弾かれる。
 大地を削りつつもなんとか膝をつかずに済んだが、その星衣の胸部にははっきりと斜め一直線に傷が走っていた。

「青銅聖闘士でありながら、なんという……」
「その考えは止めた方がいい、ピアード」

 絶句したピアードの言葉を聞きとがめたか、戦いを始めてから初めてテリオスは言葉らしいことを言った。
 星衣につけられた傷を感嘆するような表情でなぞる。

「思うにな、青銅、白銀、黄金ゴールドってのは知恵と戦争の女神であるアテナの策謀だな。
 光速にたどり着く者が12名きっかりまでと決まっているわけじゃない。
 他にも強い奴は多くいたはずだ。
 黄金聖闘士ゴールドセイントは少数精鋭で、青銅聖闘士は弱く大量にいる……そう思わせておいて、その青銅の中に実力者がいれば、戦況はとてつもなく有利になる。
 相手が自分より弱いと思いこんで戦いに勝てるわけがねえ」

 今までの沈黙の分を取り返すかのように、テリオスは淡々と喋る。
 だが、その内容は尋常ならざる響きを持っていた。
 言葉をとがめられたピアードだけではなく、蛮や大地すらもその言葉に聞き入った。
 そのジャーナリストとしての観察眼ゆえに、テリオスは恐ろしい事実に思い至っている。

「しかし、それは仮定では……」
「現にかつて星闘士の先祖たちをうち倒したオリオン座のジャガーは白銀聖闘士シルバーセイントだったそうだ。
 そしてこの最終聖戦においての戦歴もまた、聖闘士を階級で括る愚かさを示している。
 長い戦いの果てに当の聖闘士までもが、まとう聖衣の階級という神話にこだわるようになっちまったのは副作用だろうが、それさえも敵を欺くにはなんとやらだ。
 一番恐ろしいのは黄金聖闘士じゃない」

 そこでテリオスは視線をピアードから戻した。

「黄金を超える可能性を持った青銅聖闘士こそが、一番恐るべき相手なんだよ」

 テリオスは、自分の言う恐るべき相手が再び立ち上がるのを確認して、今度ははっきりと構えをとった。
 なわばりから追い払うのではなく、対等のところまで来た者を打ち破るための構えだった。

「……やっと、同じ高さまで来たぜ……」

 那智は、ここからが本当の勝負だと自分に言い聞かせた。
 ここまでテリオスは、自分を殺さないように最後の一線で止めていたところがあったはずだ。
 戦いが始まる前に、テリオスは確かに自分が勝てばここから去れと言った。
 だが、それでは無理だと悟ってくれたようだ。
 同じ全力でも、ここからは意味が全く違う。
 何か、否定しようもなく胸に突き刺さるものがあった。

 何の前触れもなく、テリオスが動いた。

「Smash Step!!」

 鋭い爪を伴った振り足が、那智の足を砕くべく襲いかかる。
 相手を確実に仕留めるときの狼の習性だ。
 地味だが、決まれば一撃で勝敗を決めかねない攻撃。
 だが、同じ狼として那智はテリオスが動いたと察した瞬間にそれを予期していた。
 ギリギリで宙に飛び上がり、これをかわした。
 無論、そのままでは二撃目の的になる。

「ハウリングムーン!!」

 瞬時に空中で縦三回転。
 真円を描いた両踵が狼の後ろ足となってテリオスの両肩を強打する。

「ガァッ……!!」

 星衣のショルダーパーツにはっきりとヒビが入った。
 しかし、それでもテリオスは倒れない。
 両肩をそのまま踏み台にして離脱をはかろうとした那智の右足を捕らえた。
 肩から引きずり降ろし、目の高さに那智の胸部が来たところで、

「Wanderers Termination!!」

 牙を剥いた狼の右拳が咆吼とともに炸裂した。
 炸裂した小宇宙の余波すらも音より速く蛮たちのいる場所まで伝わる一撃だった。
 半瞬遅れて、聖衣の砕け散る高く激しい音が草原に響き渡った。
 土煙が巻き起こり、雑草に覆われているはずの地表を削る凄まじい音がそれに続く。

「これで……白輝星闘士ってのかよ……」
「確かにそうだが、あの人は今もっとも青輝星闘士に近いと目されている一人だ。
 さすがにあれほどの星闘士は白輝にもそうはいない」

 ピアードが大地の問いに対して、慰めとも威圧とも受け取り難い妙な回答をしてきた。

「よくやったというべきだろう」
「まだだ」

 アルレツオの言葉を蛮が力強く遮った。
 その視線は土煙の中心を向いている。
 もともとそれほど乾燥した土地ではないため、土煙はさほどの時を置かずに晴れてきた。

「何いっ!?」

 アルレツオとピアードは目を見張った。
 周囲の雑草が全て吹き飛び、流星が地表をえぐったようなまっただ中に、那智は倒れることなく立っていた。

「バカな!テリオス様の奥義が直撃して倒れもせんとは……」
「……いや、直撃じゃ……ない?」

 那智の聖衣の胸部は凄まじい衝撃を受けた傷痕が刻み込まれ、中央の一点は穴が空いてその下の服まで裂け、生身の胸に痣が残っている。
 しかし那智は、胸の前方へと両手を突きだしていた。
 その両手を取り巻く付近だけが、陽炎のように揺らめいて見える。
 いや、陽炎にしては揺らめきが細かく激しすぎる。
 その正体を、テリオスは一目で見破った。

「大気の障壁……。
 そんな技まで隠し持っていたか……いや、違うか」
「ああ、とっさにやるだけやってみたんだよ」

 テリオスと那智は戦いが始まってから初めて会話らしい言葉を交わした。

「大気の障壁というと、確か……」

 二人の会話を聴いた蛮が記憶にひっかかりを覚えて大地に尋ねる。
 星矢たちの戦いの内容は、グラード財団が星矢たちから報告を受け、その解析結果は一部鋼鉄聖闘士の訓練でも活用されている。
 本来青銅聖闘士をサポートする役割を担っていた鋼鉄聖闘士スチールセイントは、過去の戦いの記録もしっかりと憶えていた。

「星矢が戦った白銀聖闘士蜥蜴座リザドのミスティや、海将軍海馬シーホースのバイアンが使ったって技だ」

 確かに那智はデッドハウリングを始めとして、大気を切り裂く技を得意としている。
 しかし、大気を切り裂くのと大気の障壁を作るのは原理こそ近いがそう簡単に応用出来るものではない。
 おそらく、細かな大気の刃を一瞬の間に幾重にも重ねることで実現したのだろう。
 追い込まれた那智の高まった小宇宙があって初めて実現できた技だといえる。

「フッ」

 テリオスはそのあたりを口に出さずに推察すると、どこか楽しそうに笑い、右拳を軽く払った。
 那智の起こした大気の障壁が刃の集合体だということは、当然そこへ直撃を加えた右拳も無事ではなかった。
 先端にあった星衣の爪がボロボロになり、アームパーツの本体にも幾筋も亀裂が走っていた。
 それでも砕けなかったのは、装着者の小宇宙に応じてどこまでも硬度と強度が増していく星衣だからこそだ。
 テリオスの小宇宙は、なお那智の上を行っている。
 しかし、その差が極めて小さくなっていることもテリオスは自覚していた。
 客観的に自分を見つめられるようでなければ、ジャーナリストなど務まらない。

 那智には深手を負わせたものの、それはすなわち手負いの獣でもある。
 アテナの聖闘士の数々の逆転劇は敗北寸前の極限から生まれてきたのだということを、彼らの前に敗北を喫した青輝星闘士牡牛座タウラスのグランドから聞かされていた。
 だが、自分もこのままやすやすと那智に初めての白星をくれてやるつもりはない。
 とまで考えたとき、テリオスは思わず笑いたくなった。
 自分は、この宿命の対決に何を考えているのかと。
 だがここまで追いつかれそうになって、決めたはずの心も鈍ってくる。
 あのころと比べずにはいられない。

「このオレに、勝てるかな」

 傍から聞いている四人にしてみれば、何を今更と思う状況でテリオスが言った。
 だが、那智にとってその言葉は全く違う意味を持って聞こえた。
 その声は、その言い方は、四年前にこの大陸の西岸で、幾度と無く聞いたもの。
 忘れようはずもない、喧嘩をするときの常套句だった。

「今度こそ、叩きのめしてやる」

 こちらの声は少し変わった。
 あのときテリオスに一度もかなわなかったガキンチョは、ずいぶんと背が伸びて声変わりもした。
 今なら大それていると思う背伸びをした言い方だけが、あのころと変わらない。

 向かい合う二人の小宇宙が高まっていき、オーラの外圏が接するようになったが、反発は起こらなかった。
 むしろ、お互いに相乗作用を起こすようにさらに強く高まっていく。
 最後の技を繰り出すタイミングは、完全に同時。

カッッ!!

「Natural Regulation!!」
「ハウリングスプラッシュ!!」

 テリオスは、蹴った地面の後方が瞬時にクレーターとなるほどの壮絶な勢いで、全身狼と化して突っ込んだ。
 対する那智は、先ほど開眼したばかりの大気の障壁を、両手同時に放ったデッドハウリングと一緒くたにするという荒技で前方全てを吹き飛ばさんばかりの波動に変化させた。
 マッハ二桁になる二つが激突の瞬間、衝突の一点で静止し、

「Strike End!!」

 マスクを吹き飛ばされながらも空中でドリルの様に回転したテリオスが、大気を激震させて迫った咆吼の壁を突き破る。

「くっっっ!!」

 星衣の爪こそ粉々になったが、開かれた指が牙のように那智の喉笛へと一直線に迫る。
 いかに修復なったといえど青銅聖衣ではこれを防ぐことは出来ない。
 決まれば、確実に那智は死ぬ。
 もはや、光速の動きでもない限り……

 一瞬、二人の瞳が交錯する。
 互いの瞳に、四年前の自分が映って見えた。

「Nat……」
「もう一発だあぁぁっっ!!」

 その叫びの前に何が起こったのか、その場の誰にも見えなかった。
 見えたのは、左肩のパーツを砕かれ鮮血を吹き出して倒れかけながらも右足を振り抜いた那智。
 そして、先ほどまであったはずの雲が一つ残らず消し飛んだ蒼空高く吹き飛ばされたテリオスの姿だった。

『那智!!』
『テリオス様!!』

ドシャ……
ドガシャアンッ!!

 那智は座り込むように倒れただけだが、テリオスは上空百メートル以上の高さから落下したため微かに地が揺れた。
 一秒、二秒、三秒待って、こらえきれずにピアードとアルレツオがテリオスの落下地点に駆け寄った。
 この不良上司はどうやらあれでも部下には慕われているらしい。
 感じられる小宇宙は著しく小さくなっているが、どうやらかろうじて生きているようだ。
 比べると那智の小宇宙は比較的強く残っている。
 これで決着がついたと観て、大地と蛮も那智に駆け寄る。
 ランドクロスの本体があるので、救急医療道具はそれなりに揃っていた。
 大地は色々取り出してから、悩んだ末に、

「どっちか来い!一応の用具は揃ってる!」

 とアルレツオとピアードに呼びかけた。
 星闘士は星座を競い倒すべき敵だと認識しているが、しかし、大地は星闘士の目的をまだ知らない。
 先ほどまで隣にいて会話をしていた相手を敵と認識し直すには、理由が足りなかったのだ。
 相手に子狐座の星闘士がいたらその行動は変わっていたかも知れないが、大地はその場の感情を優先することにした。
 二人は顔を見合わせてから、アルレツオが立ち上がった。

「恩に着る」

 手短だが実感のこもった礼を言って包帯と傷薬、骨折対処用の支え棒等を受け取り、テリオスの下に戻った。
 その間にピアードはテリオスの真央点を突き、一応の血止めをしている。
 蛮も那智に対して一旦真央点を突き、手早く傷の手当を進める。

「テリオス……は……?」
「死んじゃいねえよ。安心しな」

 蛮は奇妙な感覚を覚えつつも何故かそう答えていた。
 那智の左肩の傷は深かったが、明らかに急所を外している。
 おそらくは、テリオスも……。

 守護星座を争う宿命となる二人の対決だったが、その最後の交錯において二人の小宇宙は狼のオーラとならなかった。
 つまりは、そういうことなのだろう。
 そのことで那智を責める気にはなれなかった。
 たとえ聖闘士として失格の行為であっても。

「お、おい那智、無茶するな……」

 肩の傷を消毒し、細胞賦活剤を塗り終わったところで、那智は無理矢理立ち上がった。
 これは言っても聞かないと判断し、蛮も大地も止めるのを諦めた。
 よろめきながらも歩いていく先は当然決まっている。

「テリオス……、生きているか」
「…………、勝手に、殺すな……」

 しばし待って返ってきた応答に安堵する自分を、那智はどうにも否定出来なかった。
 星衣が全身ボロボロになり全身に裂傷を負っているが、テリオスも内臓や頭部に関わる傷は無い。

「ギリギリで、外しやがったな。こいつ……」

 那智が最後に繰り出した技はテリオスすらも見切れなかった。
 だが、一撃で雲を一つ残らず消し飛ばしたその威力は、テリオスを直撃せずに空に飛んだことがわかる。

「昨日負ったその腕の怪我がなかったら、オレだけが倒れていたはず」
「shit, 余計なところに気づくな。
 お前が手当したのでチャラだよ、そんなもの」

 昨日テリオスが負った腕の傷は途中で開いたらしく、星衣の裂け目から覗く包帯が黒く変色していた。

「約束だ。それだけ強ければあそこに行っても死なんだろう。
 何か出来るとも思えんが……行くがいい」

 言われてようやく那智は、完璧に忘れていた賭けの内容を思い出した。
 この近くにあるという遺跡に調査に来たことすらも、戦っている最中は完全に忘れていたのだ。

 そこで那智は、ふとあることに思い至った。
 昨日は何気なく思っていたが、そもそもテリオスが群衆に将棋倒しになったくらいであんな怪我をするだろうか。
 テリオスと、アルレツオとピアードも含めて三人同時に……。
 何者かに攻撃されない限り。
 それも、テリオスがよけきれない相手。

 このエチオピアに、もう一人誰かがいる。

「揃っているな。丁度いい」
『!!』

 那智の思考を読みとったわけでもないだろうが、まさにその時聞き慣れない声がした。
 どこから聞こえて来るのかわからない、妖精のささやきのような不思議な声。
 次いで、澄み切った笛の音が響き渡る。

「何だ……、これは……!」
「全員、ここで始末する」

 今度は方向がわかった。
 六人が視線を向けたそこには、少女と見紛わんばかりの容姿にヨーロッパの学院生を思わせる制服を纏った青年が、横笛を手に立っていた。


第十三話へ続く


夢の二十九巻目次に戻る。
ギリシア聖域、聖闘士星矢の扉に戻る。
夢織時代の扉に戻る。