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■diary > 過去の日記

2002年6月24日(月)

「ごくせん」というドラマがありますが、あの全編オーケストラで通している音楽のことが、ずっと気になっておりまして、

で、先ほど、たまたま「ショムニ」再放送(放映は関西地方だけでしょうか、伊藤俊人さんのご冥福をお祈りします……)を見ていたら、「ああ、これと音楽の作りが同じだ」とようやく気づいた次第。

作曲は、どちらも大島ミチルという人なのですね。

「お水の花道」もこの人。そういえば、「ごくせん」の何回目の放送だったか忘れましたが、「お水の花道」の音楽の引用があったような気がします(しかも、前後との「つなぎ」まで付いたオリジナル・アレンジで^^;;;)。

あと、「極道の妻たち」(高島礼子の分)の音楽も担当しているとか。

辻褄が合いすぎているという感じもしますが、そういうことだったんですね。


2002年6月23日(日)

ニューヨーク・フィルの京都公演を聴いてきました。クルト・マズアの指揮でブルックナーの交響曲第3番。

ブルックナーの「辛気くさい」音楽は、どうにもなじめないのですが、ここまであっけらかんと演奏されると、これはこれで、当てが外れた気がして不満。

難しいものです。

ところで、

ニューヨーク・フィルと言えば、昨年のテロの直後に、犠牲者追悼の「ドイツ・レクイエム」を上演したという報道がありました。その時に指揮をしたのも、常任指揮者のマズア。

この人はドイツ生まれで、ニューヨークに呼ばれる前は長い間ライプチヒにいて、ここでドイツ再統一を経験。旧東ドイツ末期には市民デモを支援したとか、ドイツ再統一直後にお祝いの「第九」公演を指揮したことが、当時、伝えられていました。

事件の現場に居合わせる人なんですね。


2002年6月19日(水)

指揮者の山本直純さん死去

私にとっては、この人が司会していた音楽番組「オーケストラがやって来た」が印象深いです。武満徹や小澤征爾を巻き込みながらも、オーケストラで「遊ぶ」、気取らない、というスタンスが一貫していたように記憶しています。

テレビマン・ユニオン(ここの社長さんも確か昨年亡くなったんですよね)の映像も、楽器がピカピカ光って独特でした。

追悼と言うには脳天気すぎますが、こういうものを作ってみました。

strauss-beat.zip

「オーケストラがやって来た」のオープニングで演奏されていた曲(シュトラウス「常動曲」)のMIDIデータです。

今年のお正月過ぎに作りました。そのあたりの経緯は、過去ログからこちらをあわせてご覧下さい。


2002年6月12日(水)

(文字通りの日記。音楽もパームも出てきません。)

昨日、書店でふと目に止まり、とりあえず2冊ほどエッセイ集を買ってみました。

もちろんこれまでにも、似顔絵版画とともに、この人のコラムを読んだことはあったわけですが、なんとなく、まとめて読んでみたくなったもので。

帰宅後、一気に読了。

もっともっと読みたくなって、今日もまた、もう1冊購入して、これも、一息で読み終えました。

「どうしてもっと早く読んでおかなかったのだろう。
 これからは、探してでも、この人の書いたものは読もう。
 リアルタイムに読んでこそのモノだし……」

というのが、読んだ感想。

そして先ほど、食卓で夕刊を開いたら、

ナンシー関さん急死

作り話のように出来過ぎた偶然……。

 黙祷

2002年6月5日(水)

ccc用のアイコンを作ってみました。

 [palm - musicのアイコン画像]

よかったら使ってみてください。このdiaryページを切り出すことができるはずです。


2002年6月3日(月)

縁あって、SPレコードの復刻版CD集をいただきました。

日本の洋楽1923〜1944
――杉浦雅太郎SPレコードコレクションより――

曲目・演奏者一覧はリンク先でご確認いただけると思いますが、名前だけしか知らなかった演奏家の音などがあって興味深いものでした。

なかでも、私が気になったのは、

1940年の「皇紀二千六百年」の記念作品が、5ヶ国(米・英・独・仏・伊・ハンガリー)に発注されて、シュトラウスなどが祝典音楽を書いた、というのは、割合よく知られた話ですが、こうしてレコードが作られていたのですね。

先日、ブリテンのことを調べていた時から、この行事のことは、機会があれば調べてみたいと思っていました。

ブリテンのところにも祝典音楽の依頼が来たのですが、彼が作ったのは「鎮魂交響曲」。で、「縁起が悪い」ということで、お蔵入りになりました。(そりゃそうです。)

この時、ブリテンはアメリカに滞在中で、在米大使館が交渉窓口だったらしいのですが、ブリテン側は、「事前打ち合わせでOKが出たからそのまま仕上げたのに」と言っているようです。しかも、演奏はされなかったけれど報酬は支払われたとか。

何か複雑な「外交」が展開されているように見えます。^^;;)

それに、ブリテンのことだけでなく、「皇紀二千六百年」というのは、良くも悪くも、日本の洋楽の歴史にも大きな影を落としているみたいなので、どういうことがあったのか、きちんと知っておきたい気がするんですよね。

どこまでできるか、わかりませんけれど。

P.S.
 ccc、おもしろそう。


2002年6月2日(日)

PUGO定例会は盛況でした。二次会にも30人以上が残って、にぎやかに過ごさせていただきました。(残念でした……。そういえば、kajikajiさんも来てたゾウ。)

会場最寄りのJR京橋駅というのは、ストリート・ミュージシャンの集まるスポットなのだそうです。そういわれると、深夜、その辺をたむろしていたお兄ちゃんたちも、どこか、とんがっていた(←死語?)ような……。

グラフィックデザイナーさんが作った作品Mandal-Artを試してみるには、良いロケーションだった……かもしれませんね。(いいのか、こんなまとめで(笑)。)

ところで、

1日の朝、テレビ大阪(関西ローカル、テレビ東京系)で、

人「友はバイオリン」

という、ヴァイオリン奏者の諏訪内晶子さんを紹介する番組が放映されていました。

偶然、気づいて、しばらく観ていたら、師匠の江藤俊哉氏がインタビューで登場。

……とても老け込んでおられたので、びっくりしてしまいました。

20年くらい前に、この人が講師をやっていたヴァイオリンのレッスン番組(NHK)は、(かなり好き勝手な)おしゃべりが面白くて、よく観ていました。

最近、若い女性ヴァイオリニストがたくさん活躍していますけれど、

「年齢に似合わない、渋い歌い方するなあ」

と思ってプロフィールを見ると、たいてい、江藤氏のお弟子さんだったりします。かなり感化力のある先生だったのかもしれないですね。

でも、あのご様子だと、さすがにもう、現役ではないのかも。ふと感慨にふけってしまいました。

(……と、諏訪内さんの番組の話、こんな切り口でよかったですか、某○太郎さん?)


2002年6月1日(土)

ショック!

どんなに夜遅くなっても、その日(夜)のうちに書く本物の「日記」。凄いなあと思っていました。

そうですか……。

お疲れさまでした、ということになるんですね……。



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by 白石 (Tomoo Shiraishi: tsiraisi@osk3.3web.ne.jp)