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カール・ダールハウス『古典的・ロマン的音楽美学』

アドルフ・ベルンハルト・マルクスにおける「ソナタ形式」の美学的前提

 正当なことに、チャ−ルズ・ロ−ゼンはソナタ形式が複数形でしか存在しないと主張したが、「定冠詞つきの」ソナタ形式といった現象を理論の対象にして、無数の特殊から一般性の輪郭を発見できると信じるとき、その基礎になる解釈モデルは、ほとんどいつも、暗黙の美学的前提を含むものである。そしてこうした前提なしには、解釈モデルを十分理解できないのだが、多くの場合、解釈モデルの美学的前提を再構成するのが難しく、著者が一見何気なく、理論とは無関係に使ったかのような比喩を、第一印象以上に真面目に受けとめてようやく、前提が再構成できるという有様である。

 アドルフ・ベルンハルト・マルクスの音楽形式学は、含蓄あるものと俗悪なものをごっちゃにしてスロ−ガンにまとめてしまっているので、杜撰な印象を与える。ソナタ形式の主要主題が「男性的」で、副次主題が「女性的」だという考えは、百年後になってみると公言するのがはばかられるほど馬鹿馬鹿しいのだが、教養人の嘲笑を誘うのは、人口に膾炙していることと表裏一体の事態なのかもしれない。

 思い込みを清算済みとして排除すべきだという内面の声に抵抗しながら、この比喩から理論上の事実内包と真理内包、および美学的前提を発見しようと試みるときには、とりあえず否定的に議論を進めて、マルクスのソナタ形式の理論が回避したり、欠落させている基準から出発するのが理にかなっている。

 マルクスによると、音楽形式の一般原理、すなわち、「静−動−静」という「原法則」が、提示・展開・再現という三部分構成に表明されている。展開部は「運動の部分」とみなされており、そこでの転調は、提示部での調のコントラストからの帰結のようなものではなく、第一部分の「静」へのまったくの対比である。副次主題の属調は、転調プロセスを発動する対立命題ではなく、「隣接する調」であり、その差異は、上位レヴェルでの近親関係へ解消される。

 調の対比が関連や補完という従属的なモメントだとみなすのは驚くべきことだが、こうした傾向の基礎になるものが、副次主題の解釈にあらわれる。「一般に、我々は副次楽節について次のことを知っている。第一に、それは主要楽節と内的に同調しており、外面的には、転調と同じ拍子を所有して(それぞれには例外もある)ひとつの全体をつくり、結果的にある種の統一と一体性を保証する。だがその場合、第二に、断固として別のものであり、内容、すなわち転調と形式によって対立をあらわにする。主要楽節と副次楽節は、互いに対立して対峙するが、両者を包む全体において、一層高次の統一にまとまる。このような一対の楽節において、第三に、主要楽節は始まりであり、なによりも新鮮な力を明確せねばならず、力強く、明確で絶対的な形象、支配的で規定的なものである。反対に副次楽節は、最初の力強い断定のあとで、それに追随するもの、対比に役立つもの、先行者に条件づけられ、規定されるものであり、その本質は、必然的に柔軟で、明確な形象というより、流動的であり、先行するいわば男性的なものに比べて、いわば女性的である。まさにこのような意味で、二つの楽節は互いに別々であり、ようやく二つが一緒になって、一層高次の完全なものになる。ただしこの意味におけるソナタ形式は、第四に、両者が平等であることによって基礎づけられている。」

 マルクスが名指す基準は、一八四五年の段階で自明のものではなかった。

 一、提示部における「調の隣接する近親関係」を強調するのは、すでに述べたように異例であり、展開部を提示部の帰結と説明することを妨げるので、マルクスは、「静−動−静」という一般的な図式へ依拠していたように思われる。だが、主題法を同じように解釈できたのだが、彼は一〇〇年後にア−ノルト・シュミットが「対照の導出」の概念でとらえたことを先取りすることができたともいえる(この概念が分析に役立つということは、ベ−ト−ヴェンの言う「二つの原理」がシュミットの考える事実を指していたかどうか、あるいはこの言葉がベ−ト−ヴェンに由来するのか、アントン・シントラ−の捏造なのか、ということとは別の問題である)。「主要楽節と副次楽節は、全体を支配する気分、隣接する調の近親関係、拍子の同一性によるだけでなく、動機の共通によっても互いに類縁関係にある。こうした対立においては、一方で対立が与えられ、他方で否定されねばならないのである。」(対立する近親関係あるいは近親関係にある対立の原型は、マルクスにおいても、シュミットにおけるのと同じように、ベ−ト−ヴェンのヘ短調ソナタ作品二の二の提示部である。)

 二、「統一と一体性」は、他方で「硬直」したままではなく、対比−「力強い」旋律と「歌謡的」な旋律の対比、開いた「ザッツ」と閉じた「ペリオ−デ」の対立−によって活性化し、詳しく特定される。

 三、美学的な比喩は、とりあえず主題のヒエラルキ−をイメ−ジさせる。

 四、だが、このイメ−ジとは反対に、マルクスは主題が平等だと主張している。これはそれまで理論家や美学者が主張したことのない考えであり、後世に対しても、比喩そのものほど普及しなかった。「主要楽節と副次楽節」あるいは「主要主題と副次主題」という馴染みの術語は、平等感覚にもとづくマルクスの一種の修正案と対立し、一九世紀の愛国主義的先入観の影響を受けたイメ−ジとも対立したからである。

 主題の関係をめぐる理念は、第一に「男性的」と「女性的」という比喩で表現され、第二に平等を前提し、第三に補完的な対照(止揚ではない)にさらされ、第四に共通だが反対の方向へ発展した実体に根ざしている。こうした理念を思想史的に位置づけようとすると、ウィルヘルム・フォン・フンボルトが一七九五年にシラ−の雑誌『ホ−エン』に掲載した論文、『男性的形式と女性的形式をめぐって』に突き当たるのだが、博覧強記のマルクスがこの論文を知っていたということはありそうなことである。マルクスのイメ−ジを音楽文化の日常語のなかでひどく傷つけてしまっている一見些末な比喩が、形式理論の基礎になる隠れた美学的前提のキ−ワ−ドなのである。

 フンボルトの出発点になった考えは正反対のものが内的に補いあうという理念であり、この考えによると、現実に分離されているものが想像力において「融合」する。「二つの形態の特徴は相互に関連する。一方における力の表現は、他方における弱さの表現によって和らげられ、女性的な繊細は、男性的な頑固によって鍛えられる。眼は一方に不足を感じてもう一方に転じ、それぞれは、もう一方によってのみ補われる。」「しかし、完成した最高の美は、ただの否定ではなく、非常に厳密な平等を求める[……]。平等は、両性の特徴が思想で融合したときにのみ獲得されるのであって、純粋な男性性と純粋な女性性の最高に密接な絆によってのみ、人間性が形成されるのである。」

 フンボルトの理論に特有なものは、些末さへ踏みこんでしまったものを含めてマルクスに反復されているので、これが直接の影響によるものだと思えるのだが、ここで特徴的なのは、共通の実体がそれぞれ一面的に発展したというイメ−ジ、そしてそこから導きだされる要求、つまり、美学的な直観が、現実で阻害されている平等を再生せねばならないという要求である。「このようにして、両性のそれぞれは、人間性のあらゆる特性を示す。ただし、それぞれの一面的な方向においてであって、それゆえに、どうしても一方が他方を導かねばならない。まさに一方の面が優位になることによって、他方を支配しようとする欲求が生まれるのだが、現実においてではなくとも、少なくとも想像力において、阻害されない平等が作り出されるべきであろう。」「だが、このような道程では、いつも一面に偏りがちになって、他方が欠けてしまうので、どちらも美的感情を満足させない。美的感情は、その本性にしたがって完全を求めるのであって、理想においてのみ安定する。だから一方から他方へ移り、一方の特性を他方のそれで止揚することで、両者を全体へ結びつけて、少なくとも束の間、理想を確保するのである。」

 補完的な対比という理念は、共通の起源から「一面的な方向」への形成を促すわけで、想像力だけが、現実には分断されている内的な統一を復元できるわけだが、ソナタ楽章の提示部をこのようなモデルで解釈するのは、自明かつわかりやすいものではない。提示部は、マルクスにおいて−フンボルトにおける、美的直観に「束の間、保証された理想」のように−自己完結した全体であり、「動」を発動する対立ではなく、「動」の前の「静」である。そしてこのような考えは、それと関連した「対照の導出」という原理の発見と同じくらい驚くべきことである。そしてマルクスの形式理論がぐらついている分だけ、それがフンボルトの論文と内的に結びついており、偶然ではなく、論文を読んで刺激されたのではないかと思えてくる。フンボルトは理論はあまりにも特殊であり、マルクスがそれを転用したのは、「虚空に浮かぶ」思想と言うには問題が多すぎる。

 マルクスがソナタ形式をとりあえず主題の対立に基礎づけて、調の対立に基礎づけなかったことは、二〇世紀の理論家や歴史家、アウグスト・ハルム、レナ−ド・ラ−トナ−、ジェンズ・ペ−タ・ラ−ゼンなどの和声を前景化する人々から、音楽理論を一〇〇年間停滞させた基本的な間違いと批判されている。マルクスの形式学は硬直したドグマの原型であり、歴史的に基礎づけられた反論を誘発したのである。だが、それが批判によって歴史的なものになってしまったあとになると、もはや体系を批判するのではなく、ドキュメントとして考察すること、つまり、その出発点となった前提を時代の特徴として認識することのほうが、適切なのではないだろうか。

 マルクスが一八世紀のソナタ形式を正当に扱えなかったのは間違いない。ハイドンの変ホ長調ソナタ(Hob]Y/49)の第一楽章では副次楽節冒頭で主要楽節が再現するが、このような手法は、和声法を優先してはじめて理解できる。副次主題は、新しかろうとそうでなかろうと、属調の登場という機能を果たして、和声上の事件を起こせばそれでよかったのである。マルクスは、反対に調の差異を二次的なモメント、主題の対立をただ強調するだけのモメントとみなしており、ハイドンのソナタで術語上の混乱を起こし、属調で区画された「副次楽節の領域」を話題にしている。先に境界を踏み越えて、「次にようやく副次楽節が続く」。(彼が副次楽節と呼ぶのは、主要楽節から逸脱した、冒頭楽節からの継続のことである。)論理の停滞については、注釈する必要もないだろう。

 マルクスは和声法に対して主題法を優先して、そこに一般的で歴史を越えた原理を認識しており、このような主題法の優先は、形式学の顕在的な対象であった古典派ソナタに関して留保が必要だが、しかし他方で、主題法の優先はロマン派ソナタの特徴である。マルクスでは、ショパン、メンデルスゾ−ン、シュ−マンが一度も話題にならないが、おそがく無意識的に、これらが理論の歴史的実体になっていたのだろう。つまり、マルクスの形式モデルについて、ベ−ト−ヴェンのソナタ楽章の分析において欠陥があることを嘆くかわりに、次のような発展の傍証とみることができるだろう。発展の経過のなかで、ソナタ形式の重点は和声法から主題法へ徐々に移行して(和声は次第に複雑になって、形式機能としての明晰さを失った)、最後に二〇世紀の新音楽で、無調のソナタ形式という逆説を可能にするに至ったのである。

 このように、理論の明示的な対象と潜在的な考察モデルの間に違いがあるのだが、他方で、一般哲学と学問一般(音楽特有の、ではなく)の前提や含意の影響も軽視してはならない。著者が使用できたのは、時代の一般教養が準備した定式化のメニュ−であって、そのことは、著者がたどりついた洞察の事実内包や真理内包にとって、楽譜の観察と同じくらい重要である。理論が一見すると演繹であるかのように事実から「導きだされる」場合であっても、事実の選択、強調、解釈は、時代の言語が含み、思考の地平を限定するカテゴリ−に相当程度に依存している。

 マルクスの形式学は、簡単なものから段階的に差異を生みださせる発生理論である。つまりそれは、ゲ−テの形態学を想起させる。基本カテゴリ−の直接的な転用を話題にすることはできないが、この理論は、一九世紀の概念図式の射程内にあったはずである。「人が芸術の豊かで深い概念を獲得するのは、諸形態の群れを一挙に見通して、総括するときである。全体を見通すと、創造的な理性が芸術世界のあらゆる可能性を使い尽くそうとしており、まるで自然が、自然形態の群れにおいて、存在の可能性を使い尽くそうとしているのを見るかのようである。行動的な思考は、ごく簡単な動機から自由に流れる歩みを生み出すが、この歩みが楽節にまとまり、楽節と対比がペリオ−デにまとまり、ペリオ−デが二部分リ−トや三部分リ−トを開始する。そしてロンド形式とソナタ形式の基本特徴が[……]出揃う。この最も発展した最終形式は、最も簡単な形態(三部分リ−ト)が最高度に発展したものであり、あらゆる音楽の原法則−静・動・静−に帰着する。いたるところに、上昇する理性法則が旋回しているのである。」

 リ−ト形式が、マルクスの区別する五つのロンド形式を経て、発生プロセスをとりあえず閉じるソナタ形式へ至るという発展は、一方で、部分のただの並列 Koordination から部分の従属・被従属 Subordination への移行であり、他方で、進化した統合と結びつい た差異化プロセスである。同じものや類似したものを並べるかわりに、部分が機能的に階級化されて、そのことで相互に明確に関係づけられる。次第に豊かに機能的な弁別が形成されることで、同時に、部分間の関連も次第に密になる。ソナタ形式をロンド形式と区別する機能的な差異は、堅固な形式上の統合と相関する。

 高度な有機体を低級な有機体から区別する機能的な差異化を、必然的に部分の従属・被従属と結びつけるのは、問題のない考えとはいえないが、この考えは、一八〇七年にゲ−テの『有機的自然の形成と変形をめぐって』で定式化されている。「より不完全な被造物ほど、部分が互いに同じ、もしくはよく似ており、部分が全体により等しい。より完全な被造物ほど、部分が相互に似ない。前者では、全体が部分とある程度同じで、後者では、全体が部分に似ていない。部分が互いに似ていると、部分は互いに従属・被従属しない。部分の従属・被従属は、完全な被造物を示している。」

 ただし、「従属・被従属」の概念で相互に乗り入れている二つのイメ−ジが、分離されるべきかもしれない。ある部分を他の部分より優先するのと、全体の目的を設定して、そのものにあらゆる部分を従わせるのは、別のことである。目的に従わせるには、機能を差異化するだけで十分であり、機能の差異化は、原理的に、平等とヒエラルキ−の両方を許容する。

 マルクスは、部分の「羅列」、「相互の絡み合わせ」、部分の「内的な絡み合わせ」(その典型が「対照の導出」)を区別して、あとで発生した形式のための基準を立てる。「最も発展した最終」形式がソナタ形式である。そしてロンド形式からソナタ形式への移行こそが、ただの分類形式学ではない、発生論としての形式学を実現する要となる枠組みなのだが、これは、和声法より主題法を優先することを前提してようやく理解できる。機能の差異化と部分の密接な統合が、第二ロンド形式を、基本輪郭が同じ(ABA)第一ロンド形式より高めるのだが、マルクスによると、これは中間部分の動機が自立性した結果である。中間部分は、従属的なままだが、間つなぎから副次主題へ発展している。そして、おくれて発生したロンド形式からソナタ形式が生まれるのは、リトルネロとク−プレのただの交替が、相互関係によって発動するようになったからである。そこでは、含蓄のある対立は、部分間の内側から作用する密接な動機関連のいわば外面である。

 豊かな差異化と密な統合の相互作用というマルクス的な発展の基準は、はじめに述べた理論家の論争、主題法が和声法の機能なのか(一八世紀に前提されたように)、それとも和声法が主題法の機能なのか(マルクスにおけるように)という論争に抵触しないと思えるかもしれない。差異化と統合の間の相互作用は、どちらの前提下でも成り立つ。しかしこうした疑念には見落としがある。三部分リ−トからソナタ提示部までの七つの発展段階は、調的な視点ではなく、主題の差異化と統合の度合いによってのみ弁別される。マルクスでは、調の視点が等さと異なり(主調と属調)に限定されている。主題法が主導しなければ、形態学を再構成できないのである。

 マルクスの形式学の基礎になる発生論的な枠組みには、学問理論としてみると難点がある。マルクスが「理性の法則」へ帰着させた発展の歩みは、経験論者の最終審級であるはずの現実の歴史の歩みと一致しないし、その必要も認められていない。マルクスの形式学には思弁の疑いがある。第四ロンド形式と第五ロンド形式は、発生論のうえでソナタ形式に先行しているが、歴史的には、(三番目の)ロンド形式(HS−SS1−HS−SS2−HS)とソナタ形式を二次的に媒介した結果である。HS−SS1−HS−SS2−HS−SS1、HS−SS1−SS2−HS−SS1という形式の基本輪郭において、主要楽節(HS)と副次楽節(SS)1は、はじめそれぞれ主調と属調にあるが、最後にどちらも主調にある。これは、副次楽節1が最後のリトルネロのあとで戻ってくるときに、ロンド形式をソナタ形式の影響下で変形したのであって、前者が後者の歴史的前提なのではない。(マルクスが分析する例はベ−ト−ヴェンのソナタである。)

 マルクスが音楽形式の体系に発見したと信じたのは、歴史に作用する「理性の法則」であって、まだ近代の歴史主義が形成途上であった一九世紀前半の概念によると、発展を「創造的な理性」が実現しており、発展は年表に隷属しない。先に発生したものが、年表のうえではあとになることもよくある。そして歴史は、「理性の法則」が最終審級で勝利するにしても、「理性の現実」(ヘ−ゲル)の圏外にあり、偶然的な些事の堆積の圏外にある。偶然的な些事は、「時間に即して」本来的にあるべきはずのものが実現するのを、妨害したり、道半ばで停滞させることがある。このように、外的な年表ではなく、内在的な「合理性」こそが、マルクスの形式学の発生論的演繹を正しく測定する基準である。もしも、ようやく後世になって通用しはじめた(歴史主義的な)前提をもちだして、その真理性を糾弾しようとするのでなく(歴史主義の前提を基礎にすると、体系の演繹が歴史の経過と一致しなければならない)、マルクスの形式学を一九世紀前半の前提で評価しようとするのであれば。

 第四ロンド形式(HS−SS1−HS−SS2−HS−SS1)から第五ロンド形式(HS−SS1−SS2−HS−SS1)への移行は、主要楽節が真ん中で戻ってくるのをやめて、主要楽節と副次楽節を一層密接に統合した結果と解釈できるので、説得力がある。「副次楽節をそれ[主要楽節]とひとつにすることに重点があるので、主要楽節と副次楽節は、より密接な全体とみなされねばならない。これは、次に主要楽節を演奏するよりも重要なのである。」

 他方で、古典的なソナタロンドは、HS−SS−HS−Df−HS−SSという図式を基礎にしているので、マルクスが発生論のうえでソナタ形式の直前の段階と考えてもよさそうなのだが、彼はこの形式を、なぜか「混合形式」と特徴づけた。これは体系の視点であり、歴史の視点ではない。マルクスの出発点になった発展の基準は、すでに述べたように、主要楽節と副次楽節の「内的」に絡み合わせることであった。ところがソナタロンドで主要楽節が副次楽節のあとに戻ってくるのは、マルクスにしてみると、部分をただ交替させている証拠であり、これは、はじめのものを再現することで表面的にしめくくる必要があっただけで、それ自身にもとづく補完性として作用しない。他方で、ソナタ形式の展開部が第五ロンド形式の副次楽節2から区別されるのは、もちろん、提示部を「内的に絡み合わせている」からである。つまり、ソナタロンドが自己矛盾しているのは、一方で部分の密接な結合をめざしつつ(副次楽節2ではなく、展開部を形づくることによって)、他方でこの傾向に反しているからである(主要楽節が提示部と展開部の間で戻ってくるのは、機能をもたないわけではないが、主要楽節と副次楽節の統合が不十分であることの証拠に他ならない)。

 マルクスの形式学は、外側から批判するのでなく、内在的な基準にしたがって、ゲ−テの形態学と王政復古時代のヘ−ゲル主義を歴史理論の基礎にして見なおすと、十分自己完結している。

 アドルフ・ベルンハルト・マルクスは、ヘ−ゲルの死後のヘ−ゲル主義者であり、歴史哲学上の確信を同時代人たちと共有して、同じような分裂にとらわれていた。一方で彼は進歩の必然を信じて、他方で音楽の未来を、芸術の終焉というヘ−ゲルの言葉の影響下で思い描いた。

 「芸術における進歩の必然は、簡単に考えただけでも確認できる。従来の立場に帰属するものにとどまったり、それを忠実に繰り返すのは不可能である。それが我々の立場とまだそれほど遠くないものであったとしても。」このようにマルクスは、音楽の表現形式が歴史的で、反復できないはかないものであることを確信しているのだが、他方で彼は、音楽史の歩みを規定する「理性の法則」を想定する。それは、音楽と言語の目的論的な弁証法であり、言語の精神に音楽が同化することで弁証法が結論にたどりつき、それを越えた進歩は、もはや不可能だと想定されている。「言葉は精神を特定する表現であり、音楽は外面的なやりかたでそれと結びつくのでなく、極めて親密にそれと融合せねばならなかった。そして反対に、音楽は言語に特定された内容を強化せねばならなかった。[……]最後に音楽は、それ自身で精神の内容をつかみ、表明しようとしせねばならなかった。それ以上のものはありえない。いたるところに限界が見えている。」

 進歩のパトスとエピゴ−ネンとしての諦めが解きほぐしがたく絡み合う。そして、「歴史における理性」は、古典的な諸形式の閉じた体系に自らを表明すると同時に、硬直しないために体系を抜け出すわけで、このジレンマは、マルクスの形式学に細部まで刻印されており、理論の精神は、切れ目や裂目を隠してしまう綱領的な説明における以上に、細部にこそ一層明白である。

 音楽の諸形式は、対照的に補完しあう体系としても、離散的に出現する発生プロセスの発展の諸段階としても、歴史における理性の表明である。「あらゆる形式の総体とは、芸術創作の理性が、その作品、すなわち芸術作品のすべてを生み出すための、あらゆる方法の総体である。」マルクスが言う「芸術創作の理性」は、芸術家の主観的な理性である以上に、芸術史の客観的な理性であり、作曲家を道具として利用する。そして古典作品において、「芸術はその最高の生のモメント」に到達する。それは、「一般的な芸術理念の個別的な受肉」である。古典では、諸形式の発生が体系を完成する。理性の作品として、歴史は無目的ではなく、「悪しき無限」(ヘ−ゲル)のプロセスではない。歴史は諸形式のカノンへの発展であり、諸形式のカノンは、「あらゆる形式」を包摂する。

 芸術は進歩に向けていわば審判を受けているし、硬直は堕落なのだが、音楽がエピゴ−ネンに陥らないような未来のチャンスがあるとすれば、それはもはや、新しい形式を生み出すことではない。「二つの面から、進歩が考察されてきた。第一は、作曲の形式における進歩である。だがこれが可能で、有意味だろうか? 形式の正しい概念−内容の理性にかなった形成−を確信する者には周知のことだが、我々の芸術の基本形式が、言語のそれのように、もはや変更の余地なく確定しているし、一連の膨大な複合形式が、すでに色々と応用されてきた。新たな変化や複合は、誰にでも認められるし、内容と対応していれば、いつでもそれが成功するだろうし、正当とみなされる。しかし内容と対応していなければ、新たな変化や複合は無意味だし、間違いである。結局、進歩は形式のなかにはないのである。」(「基本形式」と「複合形式」を区別すると、リストの「二重機能形式」のような原理も、「複合」に数えられる。それは「誰にでも認められる」が、「基本形式」の貯えを拡張しない。)

 閉じた体系と開いた歴史の間の対立、古典主義と進歩のパトスの間の対立は、形式学のなかで、ソナタ形式の解釈とファンタジアをめぐる美的・歴史哲学的判断の間の矛盾として表明される。一方で、ソナタ形式は形態化の「最も発展した最終形式」であり、「音楽の原法則」である形式上のア−チ類型「静−動−静」から生まれる。そして、ソナタとロンドやソナタとフ−ガの「混合形式」によって「形式学は、(その本質的な内容に関する)結論」にたどりつく。他方でマルクスは、解放への熱狂に浮かされて、ファンタジアを、自由が具体化された現象形式として讃える。その典型は、ベ−ト−ヴェンの作品二七とモ−ツァルトのファンタジアKV四七五、そしてバッハの《半音階的幻想曲》である。「かくして我々は、これまでに確定してきた諸形式−楽節と歩み、リ−トとフ−ガ、ロンドとソナタ、そしてその他に、まだ名指していな対立も可能だろう−を自由に取り上げて、再び自由の手に委ねる段階にたどりついた。より大きな全体、あるいは目的と束縛のない移り気が、我々の前にあるかのようである。」「ここでようやく、それまでに規定されたあらゆる形式を解消して、どんな法則をも認めない我々の精神の自由そのものが与えられる。ここでようやく、形式学全体が目的にたどりつき、我々は、形式学を通じて形式学から自由になったのである。」

 マルクスは矛盾に陥って、一方でソナタ、他方でファンタジアを形式発展の目標と言っているわけだが、弁証法に逃げ場を求めるかぎりにおいて、この矛盾は次のように解きほぐせる。形式の理念を実現する発生プロセスの最後は、自らを止揚することなのである。ファンタジアは、ソナタのような「最も発展した最終形式」ではなく、諸形式のカノンの彼岸にある形式の逆説である。

 先に発生したものを「止揚」するのが破壊でないことは、ヘ−ゲル主義に刻印された精神の文脈においては、言うまでもないことだろう。マルクスは、音楽の進歩を素朴に弁護する者のように形式の破壊を要求しないし、進歩に素朴に反対する者のように形式の破壊を嘆かない。彼が求める自由は、むしろ理性に基礎づけられた実体的な自由であって、諸形式の体系(それまでの歴史という作品)を、様々な文脈で利用できるメニュ−として保存し、確保している。具体的な自由の理念は、抽象的で「無教養な」自由と違って伝統に同化しており、そこでは、諸形式を生み出す客観的な精神と、自分の意志で諸形式の間を動く主観的な精神がひとつである。

 マルクスは音楽形式学に二つの対立する目標を設定しており、ひとつは、体系を完成する結論であり、もうひとつは、開いた道を示している。つまり彼は、発展の最後に古典的な諸形式のカノンにたどりつく「理性の法則」と、ヤコブ・ブルクハルトが「扇動者」と言うであろう別の「精神」を対置する。これは、ヘ−ゲルが躍動的と呼ぶような種類の矛盾だが、注目すべきなのは、まさにマルクスが陥ったような困難こそが、思想史的な状況の兆候的な表現だということである。形式学は、思想史的な状況から生み出され、その痕跡を帯びている。


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