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カール・ダールハウス『古典的・ロマン的音楽美学』

感情美学と音楽形式学

 音楽作品の形式分析は人気がない。分析が出くわす抵抗は、分析を取り巻く比喩にあらわれている。《幻想交響曲》をめぐる文章でシュ−マンは書いている。「私は彼の第一楽章を分析したが、ベルリオ−ズは美しい殺人者の頭部を解剖することにほとんど抵抗がなかっただろう−彼は医学を勉強していたのだから。しかし読者には、解剖が何かの役にたっただろうか?」シュ−マンは、解剖家が殺人者も同然だと思っているかのようである。解剖は、作品を分節して殺すことを前提する。

 音楽分析を医学の分析にたとえるのは紋切型である。新音楽雑誌におけるシュ−マンの後継者フランツ・ブレンデルは、形式を音楽作品と「骨と筋肉の構造」と言った。そしてこの比喩は過小評価を表明している。「精神」が「本来的」であり、「形式」は「二次的」である。フィリップ・シュピッタと並ぶ一九世紀の最も重要な音楽史家であるアウグスト・ウィルヘルム・アンブロスの判断もよく似ている。彼は、音楽形式学を「一種の比較解剖学」と呼ぶ。彼にしてみると、形式学は役立たずではないが、劣っている。「私は多くの偉大な作品について、冷酷な解剖によってではなく、温かい愛をもって語ることをお許しいただきたい」。「楽曲の肉体は魂を欲しているのである」。形式学に数百頁を費やしたアドルフ・ベルンハルト・マルクスでさえ、形式学を書き表わしえない「音芸術の美学」の基礎にすぎないとみなしていた。音楽の名に値する音楽は、「内的な世界」の表現である。それは「心の状態の連なりと予感を告白し、特定された存在の意識を、心が向かい帰属するかぎりにおいて告白する」。

 一九世紀の音楽形式学は、ソナタ楽章、変奏曲、ロンドといった類型を記述しており、それ自体で独立した学科と考えられる。だが、音楽を「感情言語」とみなす美学を補完していることを認めてようやく、形式学が正当に扱える。形式学はいつも図式的だと批判されるが、図式主義は美学における感情移入と一体であり、一方は他方の裏面である。なるほど内容と形式を区別することは、両者を分離することではない。内容と形式が一体であることを誰も否定できない。だが、既にのべたように、肉体と魂というモデルにしたがうと、肉体が低く評価されてしまう。形式は内容のただのヴェ−ルであり、形式学は解剖や観相学のようなものとみなされた。まるで芸術宗教の神学であるかのように、魂が美学に委ねられた。「そして音楽では、厳格な理性よりも、深い内的な魂が支配しており、音楽は、対立しがちな両極をひとつにする」(ヘ−ゲル)。

 だが、音楽形式は、ブレンデルの言うように二次的であるかぎり、因習的でかまわない。形式と精神を区別して、鳴り響く事実と感情内容や象徴内容(作品の芸術性格を備えたもの)を区別するのは、聴くことのできるものが外的記号であるという経験であり、伝承された規則や図式に反対するのでなく、それをどうでもいいと考えることである。題材や「詩的理念」のような内容が強調されたのは、歴史の現実から目を逸らすことであったのかもしれない。現実には、音楽形式が深刻に変化していたからである。ウェ−バ−やショパンなどのロマン主義者のソナタは、形式のうえで、ベ−ト−ヴェンよりも因習的である。アウグスト・ハルムが認識したように、ソナタはベ−ト−ヴェンによって、いわば自らの形式を意識した。だが、意識化とは、形式が問題となり、いつも別の解決を挑発するということである。感情美学が形式上の図式主義に対応するとすれば、反対に、形式へ集中することが、変化への駆動力になる。

 音楽形式学は修辞学から生まれた。ジ−クフリ−ト・デ−ンは興味深い音楽理論家で、一八四〇年になっても「修辞学あるいは音楽形式学」などと言っている。ただし、二つの術語を同じように使うのは、音楽修辞学の本来のより豊かな概念を矮小化して、変更することである。矮小化は美学を作曲学から分離することにもとづいている。一八世紀半ばまでの音楽修辞学では−言語修辞学が手本であり−、形式の理論が、聴き手の感情と情念を動かす芸術ないし技術の教えと結びつけていた。形式学とアフェクト論は相互に乗り入れていた。

 ヨハン・マテゾンの著作『完全なる楽長』は同時に完全なる作曲家をも意味しており、ひとつのエポックの終わりである一七三九年に出版された。これは、書法の練習、形式学、美学を分離しない閉じた作曲理論としては最後のものである。これは修辞学であり同時に詩学であり、語りであると同時に作品であるような音楽を制作することを教えており、音楽を芸術に仕立てあげて行為から技芸を区別するものが、すべて含まれていた。基礎になるのは、音楽シンタクスの規則、すなわち、マテゾンの術語によると「鳴り響く語り」をコンマ、セミコロン、ペリオ−デに分節することである。音楽作品の部分の配列を、マテゾンは法廷弁論の古典的な図式で基礎づけた。「我々の音楽の配置を普通の弁論の修辞的な組み立てと区別するのは、対象だけである。音楽にも、弁論者が示すのと同じように六つの部分がある。導入(exordium)、報告(narratio)、提案(propositio)、補強(confirmatio)、反論(confutatio)、終結(proratio)である。」(S.23)なるほど、 マルチェルロのアリアを修辞学のモデルで分析するなどというマテゾンの試みは乱暴である(S.237-239)。アリアで何度も戻ってくる主題(リトルネロ)は、語彙を交替させなく ても、主題の音楽的な機能に基礎づけられて導入、報告、提案、終結とみなされるべきである。だが、決定的なのは実験が失敗したことではなく、その出発点となる前提である。「鳴り響く語り」として説明するのだがら、マテゾンは音楽形式を沈殿した内容と把握している。配置を形式と理解することは、同時に内容を自覚したということであって、こうした内容が、部分の配列を意味のある「鳴り響く語り」にする。導入、報告、提案、補強という順序は内容に基礎づけられるからこそ、形式として逆行できない。

 形式に内容が打ち込まれていると考えられたので、音楽の目標はアフェクトを提示して動かすことだ、というイメ−ジへの移行がスム−ズにできた。情念を動かさない音楽は、マテゾンによると死んだ騒音である。ただし音楽修辞学は、効果を重視するとはいえ、音楽の感情性格を対象化して把握することを前提する。「表現」や「気分」を話題にすることは、一八世紀前半の音楽について書く場合、誤解を招く。「表現」という言葉を使うと、主体が作品の背後にいて、音楽という「感情の言語」で自分のことを語っていると思えてしまうし、「気分」という語は、感情複合体に聴き手が溺れて、自分の状態へ閉じこもることをイメ−ジさせる。ところが音楽の感情性格は、クルト・フ−バ−が示したように、そもそも対象として把握される。真面目、暗い、憂欝などの印象は、音形象に属性として登録されている。旋律動機は、憂欝を表現したり、憂欝な気分へ陥れるのではなく、それ自身が憂欝となる。そのあとでようやく、対象としての感情印象が状態として経験されたり、記号として解読される。聴き手は自分の気分として感じるとき、感情性格を人格の表現だとイメ−ジするかもしれないが、このようなことは二次的である。

 音楽修辞学と音楽詩学は、マテゾンではまだ作曲の閉じた理論であったが、五〇年後のハンインリヒ・クリストフ・コッホの『作曲入門試論』では切り刻まれる。コッホによると、形式は「衣装」であり、作曲の「機械的」な部分であって、「ポエジ−的」な内包ではない。だが「機械的」と「ポエジ−的」を分離することで、「ポイエシス」は、マテゾンにおいて保たれていたような本来の意味から疎外される。ポイエシスは、作品の制作をめざすのではなく、制作の魂をめざし、機械的な部分がこれをヴェ−ルのように包む。「楽曲の精神」である「内的な性格」に対して、「外的な特性」は、「機械的な規則」に従属して、二次的でほとんどどうてもよく、馬鹿にすべきモメントとなる。

 コッホが作曲の魂として讃えたのは、対象として把握された感情性格ではなく、作曲家や演奏家の自発的な「心の絞りだし」である表現運動である。美的主体−詩における「抒情的な自我」−が音楽から語りかけて感情移入することについて、まだ対位法へ逃げ込もうとしていたキリンベルガ−のような理論家ですらためらわなかった。音は、現実の魂の出来事や状態の「自然な記号」と把握された。

 感情美学と形式学が分裂するのを避けることができたのは、音楽作品の「基質」という概念が登録されていたからである。基質は、コッホも引用したズルツァ−の『美しい諸芸術の一般理論』によると、「作品の本質的な部分を提示する。[……]それは音楽作品の魂であり、作品の内的な性格と作品が行使する作用のすべてを確保する」。作曲技術上の概念へ転用するために、コッホは付け加えている。「楽曲の基質というとき、我々は和声の主要傾向だけでなく、楽曲の互いに結びついた主要な楽想のことをも考えねばならない。主要な楽想は、一緒になって、作曲家に完全な全体を提示するのである」。ジャン・ジャック・ルソ−は、一七六八年に『音楽事典』で、「構成」を「題材の創意と配列、あらゆる部分の配置、すべてを一般的に制御すること」と定義している。それゆえ、コッホにおける「基質」は媒介概念であり、音楽詩学ないし作曲学が、一方の無制限な感情美学(ハンスリックが「病的」と呼んだような)と、他方の俗物的な芸術の手仕事に分解することを防いでいる。ただの「感情の言語」である音楽はディレッタント的であり、芸のない心の絞りだしだが、単なる形式は俗物的であり、機械的な作り物である。これに対して、基質は精神で直観される構造だと考えられ、作曲の内側でも外側でもなく、音楽の主要思想の総称であり、二着のモメントを結合する。

 しかし、コッホの念頭にあった調停は失敗する。コッホは基質を内容と形式の媒介と把握せず、「作品の魂」とみなして、「衣装」としての形式と対置する。「外的特性」や「機械的」という概念は、反復、変奏、継続、加工によって基質の主題や動機から導きだされるものすべてを含み、フ−ゴ・リ−マンが「音楽の論理」と言ったものに相当する。だが、コッホは楽想の発展を基質に含めず、ただの「機械的」なものと見下したために、ハイドンヤモ−ツァルトなどの作曲家の音楽思考を見誤り、内容と形式を芯と皮のイメ−ジと考える素朴な美学へ陥っている。

 「次に楽曲の形式を論じよう。ある場合には、形式は偶然の産物であり、もともと楽曲の内的な形式にほとんどあるいはまったく影響しない。そして別の場合には、我々の楽曲の形式に多くを望む理由がない。だからこそ、多くの音楽家は、アリアをほとんどいつも同じ形式で作ってきたのである。」コッホの感情美学は形式学における図式主義と対応する。外側の衣装はどうでもいいので、因習的でもよかったし、そうであるべきでさえあった。図式の硬直した客観性は、音楽という感情言語の流動する主観性と補完的に結びつく。「機械的な特性」と「内的な性格」は、二極へ分化する方式によってであるにしても、ひとつになる。内容への感情移入は形式の合理性と対応し、心の絞りだしは、リヒァルト・ワ−グナ−が「四角四面」と呼んだような八小節ペリオ−デと対応する。

 アドルフ・ベルンハルト・マルクスが一八三七年から一八四七年にかけて出版した四巻の『作曲学』において、「音楽学」という表現が意味したのは、美学、すなわち音芸術の哲学である。そしてマルクスはベルリン大学の音楽教授、音楽学科長であり、彼がヘ−ゲル主義的な哲学する音楽理論家だったことは、一八三〇年代にあっては、ほとんど当然のことであった。彼は音楽形式を音楽史における理性の出現と把握した。形式学の序論によると、「あらゆる形式とは、芸術的に創造する作品の理性、すなわち芸術作品の総体を生み出すすべてのやり方の総称である。」マルクスが「芸術的に創造する作品の理性」と呼ぶのは、芸術家の主観的な理性というより、芸術史の客観的な理性であり、作曲は道具としてこれに従属する。マルクスが別の箇所で書いているのによると、「古典的な作者において、芸術は彼の最高の生のモメントであり、一般的な芸術理念の受肉、個別化に他ならない」。

 マルクスによると、「内容と形式はひとつである」。彼は、メニュ−として利用できるような固定した図式を教えることを軽蔑した。作品の形式は、「その内容から説明されるべきである」。そして内容と形式の統一を、彼は「内的な理性」と把握する。マルクスによると、冷静かつ俗物的に経験的な所与だけを記述して分析するだけでは不十分である。彼は、経験のなかから現実の真理をめざす。「その真理における形式概念」と彼がヘ−ゲルの言語で言っているものは、「逸脱」において「基本形式」が実現し、特殊において一般が、「具体的真理」において「一般的真理」が実現するということを理解してようやくわかるようになる。

 マルクスは形式を記述し、形成するエネルギ−の表現だと把握するのだが、ここで言う形式は、基本的には、バランス原理に依拠している。バランスは、はじめのものが中間部分のコントラストや展開による混乱のあとに戻ってくることで達成される。マルクスの出発点となるモデルはABAという類型であり、彼はこれを「リ−ト形式」と呼び、単純で自然だと特徴づける。音楽形式は疑似空間のモメントを含んでおり、一九世紀には、ほとんど紋切型のように建築と類比された。経過をふりかえると、部分が並立しているように思える。しかし、とくにソナタの展開部では、建築的傾向と対立する動的傾向が作用する。しかもこれは、ドラマ的とも感じられていた。ソナタ形式における決定的な瞬間、すなわち対立する傾向が端的に衝突する瞬間は、アウグスト・ハルムが言うように、再現への転換であり、再現の入り口である。一方で、はじめのものが戻るので、形式のシンメトリ−が生まれる。他方で、再現は展開の結果であり、展開がめざす目的だと思える。冒頭では主題がただ設定されるだけだが、最後には事件となる。建築的モメントと動的モメントは、ソナタ形式において、生き生きとした相互作用で交差しており、マルクスはこれを、これまでに達成された最高の芸術形式と讃える。

 ゲ−テは『新しい哲学の影響』という論文で次のように書いている。「物理的な研究を通じて私が確信するに至ったのは、どんな対象を考察する場合であっても、現象のすべての条件を正確に調べて、現象を可能なかぎり完全にすることが、最も重要な責務だということである。互いに並列されたり、互いに侵食しあっていたとしても、研究者の目には、一種の有機体をつくり、その内的な生命が表明されねばならないからである。」マルクスが、直接的であれ間接的であれ、ゲ−テの形態論的思考の影響を受けていたのは間違いない。彼の形式学を支えたのは、音楽形式が発生的であり、ただの分類で把握されてはならないという原理だからである。音楽形式は、輪郭が明白な類型を鋳造する生成プロセスだが、堅固で硬直した生成物をいつも乗り越えようとする。他方で、マルクスは歴史の「内的な理性」に熱狂しており、発展が恣意的な繁殖ではないと考える。むしろ彼にしてみれば、形式は、どんなに外的な違いが大きくても、たったひとつの基本形式や基本規則から派生するのであり、基本形式ないし基本規則が、そうした派生をひとつにまとめている。形式学について、彼はヘ−ゲルに依拠したパトスで書いている。曰く、形式学は「死んだモデルの集合ではなく[……]、あらゆる形式が、深く生き生きとした基本思想に従属している。この基本思想は、いま存在しているすべてのやり方を支えており、これから生まれるであろうやり方をも支えるのであって、ここではそれを示唆するにとどめるが、形式学全体を完成させれば、このことが明白になるはずである。」マルクスによると、リ−ト形式から様々なロンドを経てソナタ形式に至る楽曲類型は発展の順序であって、部分を緩く組み立てた並列から、緻密にまとめられた組織へ至っている。ソナタ形式の章の序論によると、「もはや個々のもの(個々の楽節)は別個にみられるべきでなく、個が全体へと内的にまとまっており、その内的なまとまりの全体が主要事である」(マルクスが「楽節」というのは、ソナタ形式の個々の部分やペリオ−デのことである)。

 ただしマルクスは、彼の念頭にあったものを完全に鋳造してはいない。一方で、彼にとっては、個々の作品の特殊な形式をまとめるのは、特殊性を抽象することである。「個々の芸術作品の山のなかで一致をみるような基本特徴の総称が、芸術形式である」。だから形式学が記述する楽章類型は、抽象的な類概念であって、一群の音楽作品の別々のメルクマ−ルを抜き出して、まとめる手続きの結果である。しかし他方で、マルクスは一般的なものを類概念ではなく規則とみなし、形式の視点からみた発展順序の分肢と考える。「各形式は、それ自体では一面的である」と、彼は明確に定式化する。形式は別のもので補われる必要がある。−芸術という、独立して自己完結し、美的に対立する対象の総体においてはその必要がないが、学問あるいは哲学は、所与を概念でつかみ、経験に潜んで散乱する体系を浮かび上がらせねばならない。マルクスは、形式を「基本形態の羅列」と呼ぶが、そこに彼は、「絶えざる理性」の作品をみる。音楽形式は、エドゥアルト・ハンスリック流に言うと「内側から形態化する精神」であり、連続的である。

 抽象的な考察法と発生的な考察法は、マルクスにおいて並立している。抽象化は形式の特性を貧しくして、形式が図式へ痩せ細る。反対に、発生理論は形式を連続する順序の一部へ結びつけて、ある形式を別の形式から生み出すわけで、そこでは形式が次第に豊かな規定メルクマ−ルを生成させる。「絶えざる理性」の作用をマルクスは確信しており、「絶えざる理性」は細分化されたものへ進歩する。進歩のなかで、単純な基本形式は消失するのでなく、保存される。

 しかし、マルクスは−教育的な理由からなのだろうが−しばしば抽象化手続きへ逃げ込んでおり、伝統的な形式学の図式主義を、その裏面である空疎な感情美学と結びつけてしまう。「絵画的で文学的な分析」(ジェロ−ム・ド・モムニィ)はマルクスと無縁ではない。肉体と魂という図式、つまり形式が音楽の外側で、感覚が音楽の内側だというイメ−ジから、彼は離れようとはしなかった。

 一九世紀前半には、つまりマルクスが形式学で観察モデルとして基礎にしたベ−ト−ヴェンの作品では、類型としての形式という一般的なものが、楽章の主題というその都度の特殊なものと生き生きと相互作用する。主題法は限界の内側で形式という法則にしたがって花開き、形式は、主題法で満たされ、内側から正当化された。しかし世紀半ばには、建築的なモメントと動的なモメントの間の均衡が破れる。主題・動機発展が楽章全体に広がって形式の輪郭が意味を失ったり、わからなくなるか、さもなければ、形式が硬直して、傷つけずに保存しようとすると、死んだ図式になる。

 リストにおいても、そのライヴァルであるブラ−ムスにおいても、音楽の経過は建築的というより動的であり、主題と動機の発展に規定されている。そして形式学は、懐古的でなく、歴史的な関心に支えられていたときには、個々の作品の分析に置き換えられた。主題法とその仕上げはその都度特殊で反復できず、分類的な思考の介入を拒むからである。しかし、一九〇〇年前後の最も重要な音楽理論家であるフ−ゴ・リ−マンは、形式学が解体したり、ただの発見学と扱われることに反対した。彼は伝統を救おうとして、音楽形式のあらゆる認識の基礎になるべき基本的な区別、すなわち主題と非主題の区別を説明した。だが、「非主題」という術語は疑わしい。否定的な概念には雑多なものがまとめられ、非本質的なものが本質的なものと同居している。リ−マンによると、導入、推移、付加がこのカテゴリ−に含まれ、展開と加工、すなわち主題と動機の「発展的変奏」も同様である。主題から導かれたものは、主題そのものではないという理由によって。

 この術語は一見無害なようだが、保守的な傾向の表現であり、それを擁護しようとしている。作曲実践では建築的なモメントが背後に押しやられていたが(ブルックナ−は例外)、リ−マンはこれを理論的に第1義的なものとして固定し、音楽形式の動的な傾向を二次的なものと見下そうとした。だからこそ、彼は主題と非主題の区別、すなわち疑似空間的に把握された形式で目立つ部分と目立たない部分の区別を強調したのであり、一方の補充、補完、装飾の部分と、他方の主題・動機発展の違いを抑圧した。もはやそちらのほうが、音楽経過を決定するモメントであったにもかかわらず。「非主題」という表現は、リ−マンはそれを意識しなかったかもしれないが、半世紀にわたる音楽形式の歴史を否認している。

 音楽形式が建築的であり、部分を見通して配置することだと把握したとき、リ−マンは一〇〇年前のコッホと同じように、それを感情美学と対応させており、彼は感情美学のドグマを大げさな言葉で語っている。曰く、「絶対的な音楽」は「心から自由に流れだす」のであって、「芸術家の感覚の自発的な絞りだし」に他ならない。しかし、芸術としての音楽を話題にするかぎり、感情美学は内的矛盾を病んでいるし、リ−マンもそのことに気付いている。「音楽の本質を考察しようとすると、形式主義に堕落して、音高と音持続の多彩な関連を追い掛けてしまい、大事なことを見落とす危険がある程度つきまとうことを否定できない。旋律の運動とは、なによりも心から自由に流れだすものなのである。ただし他方で、和声とメトルムによって条件づけられた音楽の形式を忘れるわけにはいかないし、これこそが芸術を芸術にするのである。」つまりリ−マンによると、大事なことではなく、副次的なことによって芸術が芸術になる。芸術になることは、芸術にとって二次的である。感情美学が陥るジレンマをこれほど先鋭に定式化することはできまい。リ−マンのようなレヴェルの理論家がこれほど端的な逆説にとらわれるのは驚きだが、逆説の基盤は主観的な言い違いというより、客観的な困難に求められるべきであろう。重要人物の誤りは重要な誤りである。そこに示されているのは、リ−マンが固定しようとしたような形式学と感情美学の補完的な関係を、もはや救済できないということである。

 アウグスト・ハルムの著作『二つの音楽文化について』は、今日不当にもほとんど忘れられているが、第一次大戦以前の新傾向のひとつであり、二〇年代に多大な影響を及ぼした。この著作はパウル・ベッカ−のベ−ト−ヴェン解釈に反論して、感情美学の廃墟を一掃した。「ポエジ−的な理念」は内容美学の中核であり、体系においてもジャ−ナリズムにおいても不可欠だが、これが軽侮され、拒絶されている。ポエジ−的な理念は「それ自身を弁護できたとしても、根拠がない。それは理解に役立たない」。ハルムが話題にするのは感覚ではなく、音楽という鳴り響く「力の戯れ」において作用するエネルギ−である。ルドルフ・シェルケは、ハルムの美学をエルンスト・クルトやハインリヒ・シェンカ−と同じ「路線」にまとめて、「エネルゲティカ−」と呼んだ。ア−ノルト・シェリングは、生の哲学への疑いと物理的な比喩への疑いをないまぜにして、「音楽の天才学」を話題にしていた。

 音楽の「機械的なもの」は、一八世紀半ば以来過小評価され、「内的な性格」の反対、音楽の「ポエジ−」を浮き立たせる枠組みとして扱われてきたが、再び美学上の尊敬を集めるようになった。ベ−ト−ヴェンの作品三一のなかのニ短調ソナタの冒頭楽章について、ハルムは書いた。「ベ−ト−ヴェンはここで我々に、多くの場合におけるように、主題ではなく、動機を与えている。これは行為、あるいは行為されたものの生成、あるいは機械的な事件の基盤であり、素材である。それは、動的な状態の記号、証言であり、力の象徴である」。ただし、醒めた技術言語を挑発する快楽は、大部分が反論ゆえのことである。だからハルムの言うことを、すべて字義どおりに受け取る必要はない。しかも彼は、「機械的」と「有機的」という対立しているのが普通な概念を、しばしば同義語として使っている。こうした言葉が錨のようにつなぎとめられた上位概念は、動的なものである。ただし動的な事件を秩序つけるとき、形式はそれを流し込む足場や図式ではなく、エネルギ−を制御する法則である。ハルムの定義によると、「音楽形式は音芸術の生の法則である。」そして形式分析は、シュ−マンのように抵抗感を覚えさせるものではなく、唯一の適切な手続きである。「私は、音楽、技術、芸術がここでも一掃おもしろいことを示そうとした。それこそが本質的で本来的だからである[……]。」伝統との対立は徹底している。軽侮されてきた「機械的」な部分が称賛され、称賛されてきた「ポエジ−的」な部分が軽侮される。

 語の侮蔑的な意味におけるディレッタントの欠陥を胎む感情美学とともに、それと対応する形式学の図式主義も死を宣告された。エネルゲティ−クは、輪郭がはっきりした形式を教えるのではなく、個性的な形象を分析するためのヒントの総称である。リ−マンは形式学が個々の作品の解釈へ解消されることを避けようとしたが、ハルムはこれを貫徹させたのである。


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