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カール・ダールハウス『古典的・ロマン的音楽美学』

「純粋で絶対的な音芸術」

 日常の語用法に表明されているような支配的な美的見解によると、声楽のテクストは音楽の一部である。ところが反対に、標題音楽の文学上の下敷きや、機能音楽が果たす目的は、「音楽外の」モメントであって、音楽と結びついているが、音楽の実体には属さない。「本来の」音芸術は、「自律的」という術語によって機能音楽と境界づけられ、「絶対的」という術語によって標題音楽と境界づけられる。あるいはより正確に言うと、標題音楽では音楽と標題が美的に一体であり、機能音楽では音楽と機能が実践において全体を作っているにもかかわらず、標題音楽と機能音楽は、それを語る言語において、「音楽の」部分と「音楽外の」部分から成り立っている。そして声楽は、標題音楽におけるほどではないにしても、やはり分裂しており、一方で声楽全体が「音楽」とみなされ、他方で声楽が「テクストと音楽」の組み合せともみなされることもある。

 声楽にしても器楽にしても、機能的であることもあれば、自律的であることもある。そして標題音楽は自律芸術に属しており、「外側」へ依存しているのだが、「音楽外の」目的を果たさない。(自律音楽と機能音楽を対比するだけでなく、自律美学と異種混合美学をも対比させると、事態は一層ややこしくなる。二重の用語法を駆使すると、標題音楽は異種混合美学による自律芸術だ、という逆説的な文が生まれる。)

 人文科学には日常言語の精神を信頼する伝統があるが、上で素描したような音楽概念の構造は、一見何でもないようなのに、正確に分析しようとすると奇妙に錯綜する。

 第一に、一九世紀初頭には声楽と器楽の間の優劣をめぐる論争、どちらを「本来の」音楽とみなすべきか、という論争があった。そしてこの議論は、古びて忘れられたかのようだが、決着が着いたり、調停されたわけではない。実証的な精神が規範的なモメントを学問から追い出したことは、問題を消去したが、解決していない。

 第二に、声楽におけるテクストを「音楽の」構成要素あるいは「内的な」構成要素と考え、反対に標題音楽におけるテクストを「音楽外の」構成要素あるいは「外的な」構成要素と考えるのは、あたりまえではない。エドゥアルト・ハンスリックは、この問題を非常に過激に扱って、声楽に標題音楽と別の地位を与えることを拒絶した。

 第三に、自律音楽と絶対音楽の間には親和性があるわけで、概念上の区別によってこのことを見落としてはいけない。両者が親和することは、受容史上の帰結を生み出したかぎりにおいて、音楽史のうえでリアルである。自律美学が支配的になると、標題音楽のテクストだけでなく、声楽のテクストも背後に押しやられる傾向にある。

 第四に、「機能音楽」という概念が学問のうえで利用できるのかどうか疑わしく、この概念の論理的な地位は分裂して混乱している。しかも、いくつかの文化においては抽象化された音楽概念が存在せず、音楽と機能が分かちがたい全体を作っているのに、民族学にはそれを的確に名指す言葉がない。

 第五に、二〇年代に生まれた用語法である、「場の音楽」と「応用された音楽」という区別の含意がどのような波及効果をもつのか、いまだにほとんど認識されていない。二つのカテゴリ−は、記述的であるかに装っているが、潜在的に規範的である。

 音楽美学の日常言語では、声楽全体も、テクストから区別された声楽の一部分も、どちらも「音楽」と呼ばれている。そして分裂した二重の語用法は、しっかり根付いているので、厳密に考えると奇妙なことなのに、そのことに気付かないほどである。

 ただし、声楽の部分モメントである「音楽」を、やはり「音楽」と呼ばれている全体から抽出できるからといって、抽出された部分モメントを表象して独立させたのが器楽であるとはいえない。声楽から切り離された部分モメントとしての「音楽」は、むしろ抽象的な音の組み立てであり、楽器で上演された音楽と同じではない。

 声楽と器楽という二分法は、術語を字義どおりに受け取ると、テクストと結びついているかどうかという対比ではなく、むしろ、「自然な音具」によって生み出されたか、「人工的な音具」によって生み出されたかという違いを基礎にしている。中世には、この対比が「musica naturalis」と「musica artificialis」と呼ばれていた。実際には声で上演 される音楽がほとんどいつもテクストつきの音楽と一致するが、両者が論理的に同一だとはいえない。

 抽象的な音の組み立てが古い音楽理論で「ハルモニア」と呼ばれていたわけだが、これは、声で作り出されるものと楽器で作り出されるものという鳴り響く現象における違いの彼岸にある。そして絶対的な(機能や標題のない)器楽とこのような「ハルモニア」を同一視することは、厳密な論理のうえでは認められない。形式主義美学は論理的に厳密ではない。器楽にテクストがないからといって、エドゥアルト・ハンスリックが言うように器楽が「純粋で絶対的な音芸術」だということにはならない。一方のテクストの有無と、他方の声による上演か楽器による上演かということは、上で述べたように論理的に別のことであって、この違いは、事実上テクストのある音楽が声楽と重なり、テクストのない音楽が器楽と重なるにしても、消失しない(標題音楽にも「テクストがある」という問題を除外したとしても)。

 器楽は「純粋で絶対的な音芸術だ」というハンスリックの命題は、若干ペダンティックに分析してみると、一方でテクストのない音楽が「本来の」音楽であるということを意味しており、他方で器楽が抽象的な音の組み立てだということ、つまり器楽が厳密には声で生み出されるか楽器で生み出されるかという二者択一の彼岸にあって、声楽より「一層純粋」だと主張している。そして前者は画期的な要求だが、後者は概念を混乱させる。

 この要求は論争を誘発しようとしている。ル−トヴィヒ・ティ−ク、E・T・A・ホフマン、アルトゥ−ル・ショ−ペンハウア−、エドゥアルト・ハンスリックなどの主張によると、器楽が「本来の」音芸術であり、そこに音楽の本質が読み取れるわけだが、これは数百年間自明とされた確信へのアンチテ−ゼと理解されねばならない。言語(ロゴス)がハルモニアやリュトモスとともに音楽を構成するメルクマ−ルだということは、古代から一八世紀まで疑われることのない考え方であった。なるほど器楽が一七、一八世紀に形式のうえで次第に声楽から解放されて、自立した存在になりつつあったことは否定できない。しかし器楽に固有の美的意義が与えられることはなかった。器楽は、むしろ言語を欠いているために、声楽の不完全様態とみなされた。

 一九世紀には、むしろ重点が逆転する。器楽をモデルにすることによって、声楽は、端的に言うと、テクストという「音楽外の」おまけがついた器楽だと見下された。ハンスリックが器楽を「純粋で絶対的な音芸術」と呼んだとき、彼は次のことを見落とした。「人工的な音具」で上演されたからといって、抽象的な音の組み立てを「純粋に」提示したことにはならない。かつて声楽がそうであったように、器楽は一九世紀に美学の覇権を強奪した。

 エドゥアルト・ハンスリックが一八五四年に期を画した形式主義音楽美学は、表面的には「悪しき感情美学」への反論だが、基盤においては音楽概念の領域設定をめぐる要求である。曰く、標題のない器楽すなわち「純粋で絶対的な音芸術」の美学が、音楽一般の美学とみなされるべきである。声楽や標題音楽にも「純粋な」器楽とは違った美的特性があるわけで、ハンスリックもこのことを否定しない。しかし彼は、そこから音楽一般の美学をめぐる議論を導くことを拒んだ。

 音楽美学が看板倒れにならないためには、声楽と器楽の両方を包摂するのが当然ではないのか、このように批判することもできるだろう。しかしこのような健全な人間悟性による批判と比べても、やはりハンスリックの方に分がある。なぜなら、音楽一般というのは声楽と器楽をめぐる上位概念であって、実体的でなく形式的な概念だからである。音楽一般をめぐる具体的なイメ−ジは、声楽と器楽のどちらか一方から抽出することしかできない。音楽の作用を記述しようとする者は、テクストの影響を含めるかどうかについて決断しなければならない。名指すことのできる感情を提示することが音楽一般の本質に属すると考えるとき、その人は−意識的であるにしてもそうでないにしても−声楽と標題音楽について語っている。反対にハンスリックのようにアフェクトの特定性を拒絶するとき、その人は「純粋な」器楽から出発している。声楽の理論を基礎にすると、「悪しき感情美学」を批判することができない。

 器楽ができないことについては、音楽がそれをできると言ってはならない。器楽だけが純粋で絶対的な音芸術だからである。[……]「音芸術」という概念は、テクストの言葉に作曲された曲においては純粋に示せない。声楽作品では、音の作用を言葉、行為、装飾の作用から厳密に切り離すことができないので、多様な諸芸術の決算報告を厳密に独立させることもできない。さらに我々は、特定のタイトルや物語のついた楽曲について、それらが音楽の「内容」だという考えを拒否せねばならない。詩芸術と合体すると音楽の力を増強でいるが、そのことで音楽の限界が広くなったわけではない。

 ハンスリックがどのような言葉を選択したかということが既に示唆的である。テクストを話題にしてそれが音楽に属するという言うのは音楽美学の日常的な言い方だが、「詩芸術」を「音芸術」の一部として話題にするのは、議論の前から乱暴な言葉使いであるに決まっている。さらに、ハンスリックのレトリックを考えるうえでは、議論が循環論法に陥っていることを見落とすべきではないだろう。ハンスリックは、器楽だけが「特殊音楽的」だということを前提している。より一般的に言うと、事象がそれ固有に所有している特性だけがその本質であるということが、彼の前提である。そしてその結果、声楽と標題音楽がもつそれ以外の作用は「音楽そのもの」の作用ではないと主張される。

 ところが反対に、テクストを含めた声楽全体を音楽一般に数えるとすれば、器楽から声楽を区別することになるアフェクトの特定性が、「本来の意味での」音楽の本質特徴となり、ハンスリックの美学が崩壊する。特殊なものは、この場合には本質でなくなる。

 言語が「音楽外の」モメントだという命題は、標題音楽でも一般に受け入れられているが、声楽では受け入れられない。標題は美的に疑わしく、音楽の「外側」にあるとみなされており、リヒァルト・シュトラウスが否定したことだが、標題自身には(形式としての)堅固な基礎づけがない。しかし、声楽にはテクストなしの「音芸術」として存立することが期待されていない。換言すると、標題音楽は「外側に」依存していると批判されるが、「外側に」依存することが、声楽の場合には自明であり、考えるまでもないことだとみなされている。

 声楽のテクストと標題音楽のテクストを区別するのは不当ではない。テクストが声楽では「美的対象」の一部だが、標題音楽ではそうではないからである。テクストが美的に現前するためには、標題音楽の場合、テクストが一緒に読まれなければならず、いずれにしても、テクストが音響として知覚されていない。しかし、この事実は決定的なことではないかもしれない。テクストを一緒に読むことは、一八、一九世紀には声楽においても普通のことだったからである。

 要約しよう。一方で、ハンスリックがテクストのある音楽を、声楽も標題音楽も一括して、アフェクトの特定性という同じ視点から扱ったことは先に述べたように弁護できる。そして他方で、レトリック上の技巧に惑わされなければ、ハンスリックの美学は記述的な手続きではなく、次のことを要求している。すなわち彼の美学は、テクストを「音楽外の」モメントと見なすことを求め、「音楽外の」モメントに特有な作用を「音楽そのもの」の作用に数えないことを求めている。

 ハンスリックの議論を支えるのは「音楽外のもの」という概念だが、これは不安定で、分裂したカテゴリ−である。この概念が名指しているのは、音楽と密接に結びついている(あるいかかつて密接に結びついていた)のに、「音楽そのもの」に属しているとは主張できないような事象である。より正確に言うと、古代のリュトモス(舞踏の運動)やロゴス(言語)のようにかつて音楽を構成するメルクマ−ルであったものが、依然として音楽と結びついているのに、「本来の」音楽から閉め出されている。(それが音楽概念の周縁に押しやられたと言ってもいいだろう。いずれにしても、「音楽外のもの」が音楽でないものすべてを指していると考えるのは滑稽である。ある意味では、「音楽外のもの」も音楽に属している。)

 舞踏のような機能や言語のような部分モメント、これらを「外に閉め出す」狭い音楽概念は、「音芸術」という言い回しによって的確に定式化されており、この言い回しは、狭い音楽概念に明確なイメ−ジを与え、この概念を流布させるのに役立っている。(「人工音楽」という術語が「音芸術」と置き換えられるべきかもしれないが、この術語は知識人の間にさえ浸透していない。)「音芸術」という語は古めかしいかもしれないが、この語を中心に据えたハンスリック美学の痕跡は、現在でも消えていない。「場の音楽」(ハインリヒ・ベッセラ−)しか実践しないような聴き手であっても、自分たちの音楽概念を定義しようとすると、どうしても「音芸術」を何らかの形で言い換えた理論を作ってしまうのである。

 音楽史は作曲の歴史でなく、受容の歴史をも含んでいる、数十年来、このことは学問の領域で飽きるほど繰り返し主張されてきたが、そこから学問が実践的な帰結を導くことはあまりなかった。だからこそ敢えて思い起してもらいたいのだが、一八〇〇年前後には、テクストのない音楽であっても、まるでテクストがあるかのように受容されていたわけで、「純粋で絶対的な音芸術」に向かう作曲技術の発展は、受容の領域において若干割り引いて考えなければならない。そして一方で二〇世紀には、これと反対のことが普通になっており、声楽や標題音楽のテクストが無視されて、テクストがある音楽も、テクストのない音楽に変身している。

 声楽や標題音楽を聴くときに絶対音楽を手本にする傾向は、さしあたり逆説的だと思えるかもしれないが、次のような仮説を想定すると、上手く説明できるかもしれない。すなわち自律音楽と絶対音楽の間には親和性があって、自律原理が有力になると(自律原理は標題音楽や一部の声楽も包摂する)、絶対音楽が美的・知覚心理学的な規範になり、絶対音楽の価値観がテクストのある音楽にも干渉する。

 親和性は、単純な相互関係だと誤解してはいけない。先に述べたように声楽のいくつかのジャンルも美的に自律しているし、反対に器楽の大部分は機能的である。確固たる対応関係を話題にしているのではなく、歴史的に基礎づけられた内的な近さを指摘しているにすぎない。ただし、そこから生じた受容美学上の波及効果はかなり大きい。

 器楽と美的自律が親和して、反対に声楽と機能性が親和するということは、「大きな形式」についてそれぞれの時代の美学が何を想定していたのか調べてみるとよくわかる。つまり、長いスパンを関係づける手法は、受容美学の方向を端的に示している。

 一六世紀まで、そして本質的には一七世紀になっても、音楽の大きな形式は一方で声楽によって刻印され、他方で機能で基礎づけられていた。大きな次元での関連を支え、作品が宗教的なのか世俗的なのかを規定したのは、なによりもテクストであった。反対に、一八、一九世紀の大きな形式のモデルはソナタ楽章であり、大きな形式は本質的に器楽的であって、「音楽外の」機能からひどくかけはなれていた。

 「基礎になるもの」という概念の変遷を調べると、歴史的な変化がよくわかる。ジョセフォ・ツァルリ−ノの場合には(一五五八年)、定旋律とテクストがどちらも「ソジェット(soggetto=主題)」の役割を果たしている。しかもテクストは、一方で定旋律と同じように全体の形式の土台となり、他方で作品が果たすべき機能を表示している。(定旋律がなく、模倣でまとまった複数のグル−プが並立するような楽曲では、テクストが全体の形式をまとめる唯一の土台であることが多かった。調の刻印は希薄だったし、はじめ・なか・おわりを「形式における時間」として性格づけるための手段は十分発達していなかった。長いスパンを音楽で結びつける技術は、不可能ではなかったが、形式を構成するのに不可欠だとは思われていなかった。そうした技術が欠けていることは、「形式の崩壊」を意味しない。)

 一六世紀の「ソジェット」は、音楽の「基礎になるもの」だという意味で、一八世紀の主題 Thema と対比できる(主題は、はじめのころには「主語 Subjekt」とも呼ばれてい た)。そして「主題」という術語は、どうしても器楽を連想させる(一八、一九世紀には、「旋律」という語が「主題」と対立するカテゴリ−であった)。ただし主題の役割は、作品の土台として音の組み立てを支えることではなく、話題を提供して、仕上げさせることである。別の言い方をすると、一八世紀以後の大きな形式は、基盤に支えられた構造ではなく、はじめに提示された「基質」(ハインリヒ・クリストフ・コッホ)から発展するプロセスである。

 一方で声楽、組み立ての土台、建築的な構造、機能性が歴史的に相関し、他方で器楽、主題弁論、プロセス性、美的自律が歴史的に相関して、それぞれ、音楽思考−音楽「における」思考−の基礎を規定している。このことを意識すれば、時代ごとの受容方法の交替が、大きな形式の基礎になる原理に依存していても驚かないだろう。

 声楽も、標題音楽のように美的に自律することができる。しかし、自律音楽の作曲史における実体は「純粋で絶対的な音芸術」であり、その本質は、大きな形式を弁論のように主題から発展させることである。

 ただし、ある時代の大きな形式が支配的な受容方法を支配しているという前提は、知覚心理学的な現実というより、むしろ支配的な美的要請である。そしてその要請が満たされなかったとしても、そのことは容認される。「形式の聴取」は通常あまり発達しないものなのだから、時代の美的白昼夢を心理学的な現実と混同してはいけない。ソナタ楽章を大きな形式と把握するべきであってただのポプリと考えてはならないという要求は、音楽聴取の現実がどうであったかというのとは水準の違う問題である。

 機能のない音楽を知らなかったり、それが周縁現象でしかないような文化を記述するときには、思考を言語で「粉飾」してしまわないために、そもそも音楽という概念自体を広くとって、鳴り響く事実以外にその目的をも含めるようにしなければならないだろう。そしてそのように拡張された音楽概念は、歴史的・文献的な正当性のない虚構ではないはずである。計測された時間や舞踏の運動は、本来のギリシア語の概念におけるリュトモスから切り離せない。そしてリュトモスの二重の意味は、まだ二重だと感じられていなかったわけで、音楽概念を構成する規定メルクマ−ルのひとつであり、その場合の音楽概念は機能的モメントを含意していた。

 しかも、音楽が「機能を果たす」という言い方は、自律美学の狭い音楽概念を知らない文化の場合には、厳密に考えると不正確であり、歪んでいる。音楽と機能はむしろ一緒になっており、それを言い表わすには、ヨ−ロッパの言語にはいまだ存在しないような上位概念を必要とする。「舞踏」を話題にするとき、普通、人は音楽と運動の全体(古代にリュトモスと呼ばれたような)ではなく、「舞踏のための音楽」によって基礎づけられた運動だけを考える。

 「機能音楽」は、このような場合に必要とされる上位概念ではない。支配的な思考形式を反映した日常言語では、「機能音楽」という術語は音楽と機能をあわせた全体を意味していない。この術語は、むしろ音楽が機能に従属していることを指し、要求している。鳴り響く現象はそれ以外のところにある目的のための手段とみなされている。つまり音楽と機能の関係は、手段−目的という図式のとらわれているかぎり、「内的」モメントと「外的」の関係として把握されてしまう。なるほど重点は「外的」モメントにある。しかし、我々にとって実現するのが難しい決定的な一歩は、「音楽内の」現象と「音楽外の」機能という二分法を止揚することである。二分法は、ようやく一八世紀になってから美的現実となったにすぎないというのに、これを乗り越えるのは難しい。

 音楽と機能をあわせた全体を一語で言い表わすのが難しいのは、「機能音楽」という言い回しが、それを否定するはずの自律美学によって鋳造されたからである。ただし、ヨ−ロッパ以外では普通である事態に対応する言語を見いだすように、少なくとも努力してみなければならない。

 音楽と機能の一体性を術語で把握できたとすると、全体のなかでの重点の交替を誤解なく話題にすることができるだろう。しかし、「機能音楽」という言い回しで機能に従属した音楽を考えているかぎり、共同体の音楽という類型を記述して正当に扱うことなどほとんど不可能である。こうした音楽の特徴は、鳴り響く現象が前景にあるのに、音楽と機能をあわせた全体が損なわれていないことにある。

 「純粋で絶対的な音芸術」を目指す自律美学の前提下では、機能のほかに、テクストも「音楽外」とみなされる。ただし、日常言語の証言に依拠すると、機能はテクストに比べて、狭い音楽概念から一層遠い。「リュトモス」の含意は、一九世紀には、「ロゴス」の含意以上に忘れられていた。それゆえ、「舞踏音楽」というカテゴリ−と「声楽」というカテゴリ−は論理構造が違う。「舞踏音楽」は、舞踏に規定された音楽だが、舞踏の運動は、古代のリュトモスのように音楽概念に包摂されてはいない。これに対して、「声楽」はテクストに「応用された」音楽ではない。言語は、「本来の」音楽ではないにしても、やはり「美的対象」である。

 「機能音楽」という概念は、美的自律原理の否定として成立したわけで、その来歴を、いわば自らのうちに背負っている。この概念は、それが名指すべき領域の大地(音楽と機能が一緒になった全体)に直接置かれると、とたんに不適切になる。教会音楽と舞踏音楽に「機能音楽」という同じカテゴリ−をあてはめることは、機能的なものが否定的に用いられているときにのみ可能である。ところが、機能をその具体的な刻印において(およそ何らかの機能を果たしているという抽象的な事実としてではなく)強調するときには、音楽ジャンル間の差異が前景に浮上する。機能性をそれ自身の内側から理解しようとするときには、機能性を話題にできない。そしてこの領域がまだひとつの全体を形成していると考えたとしても、この領域の内部における差異が存在しており、教会音楽と舞踏音楽の間を橋渡しするのは難しい。「機能音楽」という術語は、外側の視線からみた特徴づけである。これは、自律美学が支配的であった時代に自律美学と対立したカテゴリ−である。

 エドゥアルト・ハンスリックは、「純粋で絶対的な音楽」を話題にしたときにウィ−ン古典派器楽とそこから生まれた伝統のことを考えていた。彼が考える「本来の」音楽は、長い発展の結末である。彼の考えでは、発展は「完成の時」、歴史プロセスから生成した完成の瞬間に到達していた。

 「純粋な」音芸術は、古典主義の言語において、「応用された」音芸術と対置される。そして「応用された」音芸術という概念は、機能音楽全体を包摂している。ただし、「応用されたもの」は論理的に二次的である。それ自身で現象するものは、それを利用することよりも論理的に先行する。

 つまり、「純粋な」音芸術と「応用された」音芸術を話題にするとき、人は論理的な秩序が時間的・歴史的な秩序を斜めに横切ることを要求する。「純粋で絶対的な音芸術」という遅れて生まれた類型が本質的で「本来的」だとみなされており、先行するものは、まるで前形態のように扱われ、本質がまだ隠され、未発達であるとみなされている。

 正反対の視点が二〇年代に学問の領域で試みられたのは偶然ではない。この時期には、実用音楽の美的意義が高められようとしていたからである。ハインリヒ・ベッセラ−が「場の音楽」と「演奏会音楽」(のちには「提示音楽」)の区別を話題にしたとき、彼は、「純粋な」音芸術と「応用された」音芸術をめぐる上下関係を、一九世紀におけるのとは逆転させた。規範的なモメントは、顕在的には強調されなかったが、明白である。場の音楽と演奏会音楽を区別することは、マルティン・ハイデッガ−による「手持ちの道具」と「手前のもの」という対比を念頭に置いているのだが、その支えになるイメ−ジは次のようなものである。すなわち、かつて音楽概念は音楽と機能を切り離せない統一として包摂していたのだが、あとになってから両者が別々に抽出されて、音楽は、エドムント・フッサ−ルの意味での「生活世界」から切り離された。そしてかつての音楽概念には、「始原のもの」として、歴史的にも存在論的にも優先権が与えられている。

 一九世紀に特徴的なハンスリックの古典主義は、ベッセラ−において「始原思想」と対置される。そこでは二〇世紀の「反啓蒙主義」と反古典主義が表明されている。「場の音楽」が歴史的に先行する類型なのだから、事象の「本質形式」を来歴と同一視するような時代の考えによると、「純粋で絶対的な音芸術」ではなく、機能音楽のほうが「本来の」音楽である。

 「場の音楽」という概念に潜む「始原思想」と、「純粋で絶対的な音芸術」が根ざす古典主義は、「価値中立性」を求める学問的良心にしてみれば、どちらも疑わしい。言語の本質がその由来に求められるという考えにしても、本質があとの発展段階になってようやく浮上するという反対の考えにしても、どちらも経験的に基礎づけられない。そして本質規定をめぐる論争にわずらわされない中立的な術語が希求される。実証主義的な基準によると、事象の本質がその起源にあるのか、「完成の時」にあるのかということは、単なる見せかけの問題である。あるいはより正確に言うと、「手前のもの」が「手持ちのもの」から抽象されて二次的だという一方の見方と、手前の「もの」が論理的に優先し、それを「道具」として使うことが所与のものの応用であるという他方の見方は、どっちもどっちであって、規範に影響されることなく定式化できそうに思える。しかし実際には、存在論的モメントと論理的モメントのどちらか一方を優先するように決断することを回避できない。

 「始原思想」はユ−トピア的モメントを含んでいる。「手持ちの道具」から「手前のもの」を抽象しないでおくことを望んでいるからである。しかし、一旦距離を置いて客体化されてしまうと、「手前のもの」は、どうしても論理的な一番目と意識される。そして同じように、鳴り響く現象が−それを何かに使うことや、それが果たす目的なしに−それ自身で美的に存在できるという発見は、そうした構造が一旦露呈されると、もはや拭い去ることができないのではないだろうか。実用音楽を実践している聴き手であっても、その音楽を定義しようとすると、「純粋で絶対的な音芸術」の意味での音楽概念を語ってしまう。ハンスリックの美学が発見した基本構造は、古典主義という歴史的な条件下でようやく認知できるようになったわけだが、そのような歴史的限定は、現実における音楽概念の浸透ぶりを何ら変えるものではない。「あとから生まれた者」にとって、「音楽」が鳴り響く現象としてそれ自身で存立しているという考えを撤回することは、果たして可能なのだろうか。


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