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カール・ダールハウス『古典的・ロマン的音楽美学』

ハンスリックと音楽の形式概念

 「鳴り響き運動させられた形式こそが、音楽の唯一の内容であり対象である」、エドゥアルト・ハンスリックの著作『音楽美について』を有名にしているこの逆説的な文は論争の火種である。そしてこの文に込められた否定的な意味、つまり「悪しき感情美学」に対する批判は音楽美学者の間で半世紀にわたって論争を巻きおこした。ところがハンスリックの形式概念は、まるでそれが自明であるかのように受け入れられてしまった。

 ハンスリックの定式における「音楽」という言い回しには省略がある。彼が言いたいのは「音楽美」である。そして「鳴り響き運動させられた形式」をめぐる文は、ダニエル・シュ−バルトの感情美学への反対命題と理解できる。シュ−バルトは、ハンスリックのように問い掛けている。「音楽美とは何か?」−しかし彼の答えはハンスリックと正反対である。曰く、音楽美は表現であり、表現は「心の絞りだし」である。

 シュ−バルトが音楽美学における疾風怒涛を代表するとすれば、ハンスリックの美学は古典の命題、つまり美はそれ自身完全であるという命題に依拠している。ハンスリックによると、音楽作品は「我々の感情に拘束されず、感性に特有の形象である。学問的な考察は、その成立と作用をめぐる心理学的詮索から解放されて、これをその内的な特性において把握せねばならない。」ハンスリックは、音楽が心の絞りだしや鳴り響く象徴として成立し、作用することを否定しない。しかし音楽美という音楽の美的モメントは、「鳴り響き運動させられた形式」である。

 この命題はこのように哲学的な意味で言われたのだが、ハンスリックが批判されるときには(ヘルマン・ロッツェ、アウグスト・ヴィルヘルム・アンブロス、フ−ゴ・リ−マン)、心理学的な文として扱われ、拒絶され、矮小化された。そしてハンスリック自身も時代精神に脅かされており、自らの音楽美学上の確信を撤回することはなかったが、その前提を否定した。この著作の後の版では美学と心理学を分離する文が削除され、「形而上学」の語が「自然科学」に入れ替わっている。

 しかしハンスリックは形而上学の否定から新たな結論を導かなかったし、それは不可能でもあった。「鳴り響き運動させられた形式」をめぐる文には、後の版でも、音形式を「音楽の理念」とする規定が先行しているし、この文がなければ、例の命題を理解できない。ハンスリックによると、「理念」という言い回しは「現実において純粋かつ欠損なくアクチュアルな概念」を指す。理念を「概念と客観性の統一」と定義するヘ−ゲルの論理に依存しているのは明白である。

 次の文は「音楽の理念」という概念のパラフレ−ズに他ならない。「音から形成された形式は、[……]内側から形態化する精神である。」ハンスリックにとって、形式は精神の表現であるのみならず、精神そのものである。彼の美学において、「形式」は「理念」に似ており、本質と現象を媒介する概念である。そして「鳴り響き運動させられた形式」が音楽の「内容」だという文は、感情美学を挑発する逆説以上のものである。ハンスリックは理念と把握された形式を話題にしているといってもいい。形式は、音素材において現象して現実化した内容である。

 ハンスリック批判者たちは彼の形式概念を理解できなかった。フ−ゴ・リ−マンは「純粋に形式的なもの」を音楽理論風に「音高と音持続の無数の関連」の総称と規定して、ハンスリックを批判した。曰く、ハンスリックは「肝心なことを見落としている。つまり旋律の運動は、何をおいても自由に流れる感情であらねばならず」、「芸術家の感覚の自発的な絞りだしである」。リ−マンによる「純粋に形式的なもの」の定義は一般的であり、ハンスリックの美学的な形式概念に対して音楽理論のうえで相関するように思える。

 しかし厳密に分析すると、美学上の対立が音楽理論上の対立を含んでいる。リ−マンは「純粋に形式的なもの」のもとで音や音グル−プの和声機能とリズム機能を考えており、それはトニカとドミナント、重い拍と軽い拍、上拍と終止によって規定される。彼は旋律のペリオ−デの「純粋に形式的なもの」を「楽節の内容」、すなわち「主題的なもの」と区別しており、後者は理論の一般概念で把握できないとしている。具体的形態、旋律的な個物としての主題は、何よりも感情の表現、「感覚の自発的な絞りだし」である。非理性的な「鳴り響く感情」が、法則にもとづいて形態化された理性的なものと対置される。リ−マンは、「純粋に形式的なもの」である和声とリズムの機能が法則にもとづき、法則が事の自然、人間の本性に基礎づけられることを確信している。

 ハンスリックとの対立は徹底している。自然に基礎づけられて数学的に定式化できる協和のレヴェルを、ハンスリックはリ−マンと違って音楽のただの材料と考え、形式とみなさない。「数学は、精神的な処理の要素となる材料を制御し、潜在的に最も単純な比率と戯れているが、楽想はそれなしでも光を発する。」和声が形式になるのは、ハンスリックによると自然所与の彼岸においてであり、形式としての和声は法則ではなく、「人間精神の産物」である。それは「音楽を身につけた一般的で理性ある精神によって案出されるのであって、必然性から無意識に案出されるのではない。」

 リ−マンは、和声が音機能の体系として「純粋に形式的」であり、自然法則に制御されていると把握したのだが、ハンスリックは和声に材料的モメントと形式的モメントを区別する。自然法則に支配されるのは材料としての和声である。形式としての和声は、歴史的に作用する精神である。精神が形式であり、形式が精神だというのは、音楽理論のうえで、自然法則の領域を要素的なものへ限定することである。ハンスリックは、材料的なものを音楽の「言語精神」と対置する。彼は、ヤコブ・グリムに依拠しながら、音体系の形成と個別的な楽想の鋳造に「言語精神」の作用を認識する。音楽は「言語」であり、作曲は「精神能力のある素材における精神の仕事」である。

 ただし、「音楽形式」という概念を音楽の「言語精神」で基礎づけるという考えは美学を歴史学へ解体する。ハンスリックはその先へ進むことを躊躇した。しかも彼は、「渾然とした芸術史の立場から、いつのまにか純粋に美学的な立場へすり替わっている」としてヘ−ゲルを批判した。ハンスリックが「悪しき感情美学」を批判するとき、それを支えるのは「純粋に美学的なもの」である。感情美学の決定的なモメントが次のように批判される。すなわち「音楽の感情への作用は必然でもなく、恒常的でもなく、排他的でもない」のであって、「それが美的原理として基礎づけられるためには証明が必要である」。しかし他方で、ハンスリックは形式において実現する形式、すなわち音楽美もまた死にゆく存在であることを認めている。「音楽ほど数多くの形式を浪費する芸術はない。[……]時代の日常的な状況から天高く浮き上がっている無数の作品について、それらもかつては美しかったのだと主張しても不当ではないだろう。」矛盾は隠しようがない。音楽の言語精神の美学は、どうしても歴史学へ変貌する。だが歴史家なのであれば、ハンスリックはダニエル・シュ−バルトの美学についても、それが過ぎ去ったエポックの美学を代表しているかぎりにおいて、自分自身のエポックのそれと並列して評価せねばならなかったのではないだろうか。

 逆に言えば、ハンスリックの美学も歴史的に理解されねばならない。音楽美学のテクストを「方向」によって分類して、ハンスリックをカント、ヘルバルト、ネ−ゲリとともに「形式主義者」に数えるという方法はあまり役に立たない。ハンスリックの形式概念は、歴史的に把握されないかぎり不透明である。それは、一七九〇年代以来、用語を入れ替えながら音楽美学を支配していた問いへの回答である。

 ハンスリックの美学において「音言語」の概念は形式概念と密接に結びついているが、「音言語」の概念は「鳴り響く感情」と「鳴り響く数学」の対立を止揚する媒介概念とされている。この概念は、既に一七八八年のヨハン・ニコラウス・フォルケルでも同じような役割を果たしていた。ただし、フォルケルはまだ「音言語」と「形式」を関係づけていない。「音言語」の概念は、むしろ、一八世紀の音楽美学者を二分した旋律と和声の優劣をめぐる論争を調停するものであった。

 和声概念は、対位法と数学のイメ−ジを包摂した。対位法は音程の組み立てであり、音程は数比の現象形式だとみなされていたからである。和声概念と対立したのは、音が感覚の響き、「情念の自然な記号」だというイメ−ジであった。デュボス師の一七一九年の『批判的反省』以来、このイメ−ジは音楽美学の紋切型であった。旋律音程の二つのモメントの区別、つまり音進行と和声的音関係の区別が一八世紀に対立命題として乖離していたことは、事の自然に基礎づけられるというより、美学と歴史哲学の基本動機や論争に基礎づけられていた。つまりこの対立の基礎は、古代音楽と近代音楽、感覚と理性、天才と規則、声楽と器楽などをめぐる論争であった。

 フォルケルがこの問題を解決すべく下したのは、感覚表現と和声の間に密接な関係があるという大岡裁き的な裁定であった。音は感覚の響きであり、提示された音の音楽的関連は提示された感覚の内的関連と対応する。フォルケルのモデルは言語である。思考言語の文法が対象のメルクマ−ルと関係するように、音楽の文法は感情の部分モメント間の関係と対応する。

 フォルケルが「形式」として理解するのは、もっぱら「外的形式」、つまりタクトの均等さ、および旋律フレ−ズの対称性である。そして彼が「外的形式」と対置する「内的な意味」ないし「内的な音感情」は、和声的に制御された感覚表現である。

 フォルケルの「音言語」の理論には自発性と活動性が欠けている。フォルケルは、「音言語」を「芸術の諸表現」の貯え、単純な感覚から複合的な感覚までの広がりに対応して単純なものから複合的なものまである記号の貯えである。これに対してハンスリックは、言語の本質が音楽においても活動性にあることを強調する。言語の本質は、「精神能力のある素材における精神の仕事」であり、「音楽を身につけた一般精神」の「理性」の作用である。言語は様式化によってようやく言語と把握されるのであって、ただの文法ではない。もっともハンスリックは「精神の仕事」をフンボルトにならって「形式」と把握しているのだが。

 形式は自発性であり、自発性が形式である、このような考えは『判断力批判』に負っている。ただし、カントの形式概念は解決というより挑発を意味する。音楽は、カントによると「感覚の戯れ」である。「感覚」の概念において感覚的な質と感情が相互流入する。決定的なのは受け身か自発的かという相違、素材による呪縛か形式の鋳造かという違いである。カントは音楽美を「多数の感覚の戯れにおける形式」と規定しており、「形式」の語のもとで彼は音関連の「数学的形式」を考えていた。それゆえ音楽美学的な事実内容について、カントとフォルケルは同じ基盤のうえに立っている。音は感覚の響きであり、旋律と和声は「これらの感覚をまとめる形式」である。そして音楽作品の内的統一、すなわち「関連をつくる全体という美的理念」は、「曲のアフェクトを支配する特定の主題」に依存しない。ところがやっかいなことに、カントは一方で音楽美を「数学的形式」と規定し、他方で「数学的形式」を消失するモメント、感情作用に従属するモメントと規定した。だから音楽は「文化というより娯楽」である。

 シラ−も音楽に呪縛力があって、それが音楽の第一の特性だとみなしていた。「しかし美の王国ではあらゆる力が、盲目であるかぎり使用されるべきであり、だとすれば、音楽は形式によってのみ美的になる」。しかしカント的な不信感は払拭されなかった。人間の美的教育をめぐる書簡によると、「精神豊かな音楽も、その質料ゆえにいまだに感覚と親和しており、真の美的自由を甘受していない」。それゆえ形式原理をシラ−は要求として定式化する。「音楽は、その最高に完成されるとき、形態となり、古代の静かな力で我々に作用せねばならない。」

 シラ−が、彼の考えるような音楽形式の美的リアリティを疑ったのは、一八世紀の音楽作品のことを考えると違和感があるかもしれない。しかし音楽の美学と理論を考えると、逆説という見かけが払拭される。カントは「数学的形式」を止揚されるモメントと定式化した。そして音楽作品の「外的形式」は、それを対象とした作曲学においても、「偶然的なもの」と見下された。ハインリヒ・クリストク・コッホは一七八七年に、ペリオ−デへの分節、転調の歩み、カデンツの配置、部分の秩序だけでなく、旋律楽想も「外的形式」に数えた。形式は「偶然的」であり、「本質的」なのは「基質」だけである。基質が「内的な性格と全体が行使すべき作用に関するすべてを確定する」。「基質」は加工や結合部品のない旋律楽想を含み、楽想の関連は、形式ではなく、感覚内容の調律と把握される。全体の統一はアフェクトの統一に基礎づけられる。そして「外的形式」は、「偶然的」なので図式的であっていいし、そうあるべきである。感情美学と音楽形式学の図式主義が相関している。形式学の基礎を築いたアドルフ・ベルンハルト・マルクスになっても、「心の状態の順序」に音楽作品の「最高の完成」が見いだされていた。

 つまり、シラ−の形式概念は音楽美学と音楽理論にほとんど反響しなかった。「数学的」であれ「外的」であれ、形式は、「古代の静かな力で作用すべきである」ような形式概念になろうとはしなかった。形式は内的統一であり、あらゆる細部に生きて作用する。しかし一八世紀の音楽美学と音楽理論は内的統一をアフェクトないし感情と規定した。そしてアフェクトは受け身の概念であり、自発的ではなかった。

 シェリングは、リズムこそが音楽の本質、すなわち「音楽における音楽」だという命題で、シラ−が定式化した問題を解決しようとした。「リズム」のもとでシェリングが理解したのは、フォルケルが音楽理論のうえでそう考えたのと同じもの、つまり均等なタクト、タクトグル−プ、ペリオ−デである。ただし、美学的解釈は正反対の極へ向かう。リズムはフォルケルにとってただの「外的形式」だったのだが、シェリングでは、「内的形式」とみなされる。そして反対に、フォルケルが音楽の「内的な意味」とみなした感覚表現が、シェリングによると「材料的」であり、「ただの自然な感涙」と見下される。リズムは「多様における統一を想像すること」であり、音楽の「彫塑的」モメントである。そして音楽が本質的にリズムであるかぎりにおいて、シェリングは音楽を「造形的」で「彫塑的」な芸術に数える。

 ハンスリックも作曲を「彫塑的」で「造形する」活動と規定する。しかし彼を支えたのは、シェリングの『芸術の哲学』(出版は一八五九年)ではなかった。彼は「音楽における彫塑的なもの」の概念を、ヘ−ゲルの『美学』とハンス・ゲオルク・ネ−ゲリの『音楽講義』(一八二六年)に反発しながら発展させた。これらの多種多様な理論はさしあたりほとんど比較不可能に思えるが、それぞれの理論は、ひとつの問題をめぐってまとまった文脈に納まる。それは、音楽の呪縛作用への抵抗体を、カントが見抜いた「数学的形式」へ逆戻りすることなく規定することである。

 ネ−ゲリは、音芸術が「内容」をもつのでなく「単なる形式、音と音の連鎖を制御して全体へまとめること」であると書くとき、ハンスリックの命題を予見したように思われる。だが、「形式」の概念ではなく、「戯れ」の概念がネ−ゲリの中心カテゴリ−であり、アフェクト概念の対立物である。音芸術は「アフェクトを逃れようとする」。シラ−への依存は明白であろう。ネ−ゲリの美学においても、「戯れ」は「中庸の状態」であり、受苦と活動、受け身と自発性の中間の「自由な調律」である。他方で、シラ−が「調停」の意味で使用した「調律」の語が、ネ−ゲリでは、シラ−の戯れ概念とヴァッケンロ−ダ−が記述する「音芸術の不可思議」を相互に浸透させるような意義を獲得する。魂は「このような形式の戯れに支えられて、感情の無限の領域で潮のように満ち引きし、上下に運動する」。彫塑的な形式の堅固な輪郭ではなく、「いかなる所与の芸術規則や芸術形式」にも束縛されない「想像」を、ネ−ゲリは「至高の自由という理想」と呼んでいる。

 ヘ−ゲルも盲目のアフェクトを信頼しない。他方でヘ−ゲルにとって、音の「要素的な力」から距離を保つこと、つまり「内面へ介入することから内面を受けとめることへの移行、内面のそれ自身における自由な揺れへの移行」は、美的状態の十分な規定ではない。ネ−ゲリにおける感情の上下運動は「抽象的」と判定される。音楽が「抽象的な内面性」の芸術だというのは、音楽が「文化というより娯楽だ」というカントの批判のヘ−ゲル流のヴァリアントである。音楽が「本来の芸術にふさわしいもの」へ高まるのは内容によって、すなわち「感覚の開示されない深み」が「内容の実体の内的な深み」と媒介されることによってである。

 「内面それ自身を受けとめること」、つまり感情の上下運動が抽象的でたよりないというヘ−ゲルの前提をハンスリックも受け入れた。しかし、ハンスリックは音楽の客観性というヘ−ゲルのイメ−ジに反論した。ヘ−ゲルによると、音楽の「感覚的存在」は「造形芸術におけるように空間に持続する外的存在へ高まることなく、それ自身で存在する客観性を見せることもなく、反対に時間的に消滅するリアルな存在である」。ところがハンスリックは空間形態と時間形態の間に原理的が違いがあることを否定する。音楽も彫塑的な造形芸術である。そして彫塑的な形態として、「鳴り響き運動する形式」はヘ−ゲルの言う内容に相当する役割を果たす。「抽象的な内面性」には「それ自身で存在する客観性」が対置される。「鳴り響き運動する形式こそが音楽の唯一の内容であり対象である」という命題はヘ−ゲルへの反論であり、音楽の客観性が形式に基礎づけられているということである。

 シェリングと違って、ハンスリックはリズムならぬ主題を音楽の「彫塑的」モメント、すなわち「多様における統一の創造」と規定する。音形象における「すべて」は、「主題の続きであり作用なのであって、主題がそれを条件づけて形成し、支配している」。ハンスリックの主題概念には、一七九〇年代以後の音楽美学で音の「要素的な力」の対立審級となっていた規定−客観性、内的な統一、自発性−が集結させられている。


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