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カール・ダールハウス『古典的・ロマン的音楽美学』

歴史的経験と美的経験

 「歴史主義」すなわちコンサ−トとオペラのレパ−トリ−における過去の作品の偏重は、社会史的現象であると同時に美的現象である。音楽制度の分析によって説明されるべき外的事実は内的事実、すなわち作品のコンテクストが破壊されているという意識の刻印と対応している。

 「歴史主義」という名称は、恣意的ではないが疑わしい。一方で、音楽実践を支配する根強い伝統主義と18世紀以来の歴史意識の成立のあいだに接点があるのは間違いない。過去についての学問である歴史学と実践における過去の固定ないし復古である歴史主義は、互いに浸透しあっている。そして関連があるという事実は、それが誤解を含んでいることが示されたとしても解消されないだろう。

 しかし他方で、音楽作品を孤立させてコンテクストから抽出するのは「非歴史的」である。芸術作品が自己完結した即自的な世界であり、その美的本質が歴史的な成立条件から解放されているというのは、ロマン主義的芸術哲学の考えであり、歴史学ではない。歴史学は、発生や作品のコンテクストをどうでもいいと説明してしまうと、無意味だと判断されざるを得ないだろう。

 学問としての歴史学と音楽実践における歴史主義を区別する第二のメルクマ−ルは、我々を過去から隔てる内的な距離としての外的距離の経験である。内的な距離が事実の集積と年表的な配列を越えると、音楽理論は解釈学的な学科になる。伝承されたテクストから過去のエポックの意識を解明しようとする試みは、規則に支配された方法としての解釈学である。そしてこうした解釈学は、とらわれのない聴取というものが存在して、あらゆる音楽を、時間的地理的に隔たったものでも迂回することなく解明できるのだとすると、不必要なのかもしれない。だが無前提というのは虚構である。直接的な理解は、まさにとらわれた理解であり、異質なものは過去のものを塗り換えたり切り刻む習慣の刻印を帯びている。つまりそれは誤解である。一義的には理解できないものについての蓋然性を考慮し、己れの直接的な反応を疑ってはじめて、歴史的理解が可能になる。過去は、まず異質なものと感じられ、次に前提の再構成という迂回路を経て、間接的に把握される。

 歴史学と歴史主義の違いは、次のような思弁的だが理不尽ではない思考実験によって、さらに端的に示されるだろう。歴史主義を「自然」、「理性」、「趣味」といった[18世紀的な]概念に支えられた理論に基礎付けてみるのである。18世紀のイドラは歴史主義が成立した19世紀にはいささか風化していた。しかし、それを利用すると、傑作のカノンや音楽言語の不変性を弁護するのに便利だし、歴史という概念との対立を位置づけるのにも便利である。ある事実やテクストが「歴史的」に理解されねばならないということは、18世紀の解釈学においては、それが不自然で理性に反し、趣味を欠いているということであった。だから歴史的な事情を知らないかぎり理解できないのだというわけである。つまり「歴史的に条件づけられている」というのは、言い訳の根拠であった。

 理性と自然の見地から、芸術理論に「美」という概念が現われた。そして形而上学として、美学は歴史に抵抗するものである。プラトニズム的な美学の支配的な考えは芸術作品が美という理念に関与して歴史から逃れるというイメ−ジであり、歴史的解釈学とはなじまない。歴史主義と音楽実践が密接に結びつくにつれて、歴史主義は「流行」と対立し(歴史主義にとって現在は「流行」に思えたのである)、歴史主義が「時間を越えた美」を演じるようになる。

 このように歴史主義が美の形而上学の相関物なのだとすると、一方の歴史的解釈学はヘ−ゲルを受け継ぎ、美の歴史哲学と結びついて、美的経験と歴史的経験をひとつにしてしまった。歴史的コンテクストは、外的で偶然的な成立条件として結果のなかに解消され、美的にどうでもよくなるのではなく、内包に干渉している。作品の時代における現在は本質モメント、「実体的な現在」である。

 多くの作品は成立の数十年あとになってようやく適切に受容されている(適切というのは慣れという意味ではなく、作品の新しさがまだそのようなものとして把握されているような理解という意味である)。こうした遅れにもかかわらず、一般に成立時は「実体的な現在」とみなされる。もちろん視線を反転させることが認識の役にたたないわけでもないだろう。作品の成立からではなく受容から出発する年表によって作品と時代の内的な同調を示すことも考えられる。

 しかし、「実体的な現在」が二重に規定できたとしても、芸術作品が「歴史的」だという原理は揺るがない。歴史哲学としての美学と解釈学としての歴史はこの原理を共有している。

 だが、解釈学的な要求を掲げる歴史学とならんで、古物商的で謙虚な歴史学も、日陰の存在ではあるが重要である。こうした歴史学は、作品の成立を示し、しかもその美的価値についてほとんど何も語らずに満足している。本質について語ることを、こうした歴史学は美学に委ねている。美学は歴史学から分離され、やはり美の形而上学を強化できるわけである。美へ高まることは、古物商的な努力の方法上の禁欲に刻印された諦念のいわば陰画である。美学と歴史学が無媒介に併存することは、欠陥と感じられていない。プラトニズム的美学にとって、学科の峻別は芸術作品と日常世界の明確な亀裂の反映であり帰結なのだから。

 ドクマ的美学への親和性において、古物商的歴史学は歴史学と出会い、過去への敬意を確かのものとする。解釈学的歴史学の前提のものでは歴史主義が誤解に思える。歴史意識を否定しているからである。しかし古物商的歴史学は、過去への偏愛と美の形而上学による芸術の基礎付けを歴史主義と共有している。

 アウグスト・ヴィルヘルム・アンブロ−スと並ぶ19世紀の重要な音楽史家であるフィリップ・シュピッタは、1892年に出版された『音楽のために』に収録した論文「芸術学と芸術」において、古物商的歴史学、および美学と芸術判断の峻別を明確に表明する。「芸術学と芸術の仕事の歩みは決して交差しない。互いに他を傷つけることを警戒して、ふたつの領域のあいだには分岐線が明確に引かれている」(S.13)。両学科の相互干渉、歴史哲学としての美学と解釈学としての歴史学の交錯は、シュピッタを苛立たせる。「歴史的な視点は、美的判断だけが権利をもつときに、提示されて判断の尺度として役立つべきなのである」(S.6)。

 美学という芸術判断の対象をシュピッタは「存在」と規定し、歴史学の対象を「生成」と規定する。「芸術と学問は、存在と生成のように対峙する。芸術家による芸術への判断は、既に完結した確固たる現象によってのみ決定的に条件づけられる」(S.4)。これに 対して学識ある者は、「部分にとらわれて全体を見ないし、条件づけられたものにとらわれて条件づけられないものを見ない。彼は芸術作品とその創造者、芸術家の人格に対抗しようとして、それらが何なのか、どのように生成したのか知ろうとしない」(S.5)。

 美的「存在」は歴史的「生成」の対立概念であり、シュピッタにおいて、独特の二重化を被っている。それは美の理念であると同時に(シュライエルマッハ−の言い回しを借りれば)個性という「生のモメント」である。一方で、「絶対的」判断を語るとき、シュピッタはあきらかに「美」という商標を考えている。それは、対象に付着する特性ではなく、理念を表示していると言えそうである。あるものが美であるという判断は、無償の饒舌でないとすれば、対象が美についての表象を伝えていることを含むからである。一方、我々がある騒音をうるさいと主張しても、同時に騒音がさわがしさについて語っているというのは例外的な事態である。

 他方、シュピッタは芸術作品を個性すなわち「生のモメント」の表現だと考える。「芸術家は観照者が作品を芸術家の目で眺めることを求めている」(S.10)。「音楽芸術家は、その作品が世に現われた瞬間から考えてもらいたいと思っている」(S.388)。つまり 作品のその時代における現在がその実体に属しているというイメ−ジは、シュピッタにとって親しいものである。だが彼は、歴史学を解釈学とみなし、解釈学を歴史学とみなすことに躊躇する。歴史は「生成」の提示である。歴史学は「芸術家の力がいかに前方まで達しているか」を判断すべきであり、「歴史考察において問題になる」問いは「このことだけ」である(S.88)。歴史学を支えるカテゴリ−は、シュピッタの構想においては「歴史作用」という政治史に由来する概念である。人格と作品の個性を理解することは、シュライエルマッハ−とデュルタイの解釈学的歴史学において原理に高められている。しかしシュピッタは、ベルリンでデュルタイの同僚であったにもかかわらず、それを美的考察、とりわけ同時代の判断に委ねている。「偉大な芸術家の同時代人は、他でもなくその作品の個性を理解している」(S.388)。芸術が表現する個性は「存在」という概念のもとに、 つまり美学の領域にあり、美学は歴史学に干渉されてはならない。

 美的経験には美への関与と個性の理解が交錯しているが、シュピッタにとって、美的経験は作品についての価値評価を含まない。なるほど芸術家は「その作品が世に現われた瞬間から考えてもらいたいと思っている」。しかし「性急な価値評価は卑しい」。作曲家のランクについての判断は「後世に委ねられている。後世は、芸術家の力がいかに前方まで達しているかを判断できる。そしてこのことだけが、歴史考察において問題になる」(S.388)

 後世を召喚することは、シュピッタにおいて空疎なトポスではない。成立時が作品の実体に属しているというイメ−ジは、後世には色褪せた姿が伝承されているというイメ−ジと結びついており、このことは、経験と判断が乖離していることを意味している。適切な理解は同時代人の問題である。しかし価値評価は歴史家に任される。内的な関係が消失していることが、確実な判断の条件だと思われている。

 他方でシュピッタにとって、直接的な経験、つまり「瞬間から」把握することは、作品の美的現在の唯一の形式ではない。「現在でも、時間的に相当な隔たりがあるにもかかわらず説得力をもって作用する古い作品というものがいくつか存在する。こうした作品にもとづいて、真の美があらゆる時代に同一でありつづけるという主張が成り立つ。しかしさらに適切に言うと、こうした作品において、創造的な人格性とその完全な時代についての豊かな芸術内容が強力に現われているのであって、こうした力は観照者や聴き手を否応なく過去へ引き戻す。ただし聴き手は異質さをすぐに信頼する。時代的な偶然が芸術的必然だと思えるようになるのである」(S.11f)。

 異質さを信頼するというシュピッタの弁証法的定式は、ロマン主義的歴史主義の基礎となる美的経験をパラフレ−ズしている。ロマン主義的歴史主義は、時間を越えて通用すると考えられた伝承に無反省にしがみつく素朴な伝統主義から、内的な断絶性によって区別される。美を過去に振り返って求めることは両義的である。以前の時代から現在まで辿りついた作品は、それ自体で存立しているのではなく、同時にその時代、つまり過ギ去リシ時をともなっている。まさに素朴な歴史主義が時間を越えた美を囲いこんでいるとすると、感傷的な歴史主義は過去および過去の異質になった部分を回想の形で享受する。ロマン主義的歴史主義は近さとしての遠さの経験であり、信頼できるものとしての異質さの経験である。

 受動的歴史主義は能動的歴史主義、つまり古い様式や技術を模倣する作曲と親しいと同時に対立する。ヴィルトゥオ−ソは過去の書法を模倣して身につけ、あたかも自らの言葉であるかのように異質な語り口で話す。そして耽美主義者は遥かに遠いものにも「感情移入」する。こうしたヴィルトゥオ−ソと耽美主義者は互いによく似ている。しかし他方で、ロマン主義的な歴史家は、過去の音楽を過去のものとして歴史的な距離の意識をもって聴き、その生産的な反復を−復古であるにしても復興であるにしても−疑わねばならない。なぜなら彼が享受するのは過去の異質さであり反復不可能性なのだから。感傷的な憧れは戻ってこないものに愛着を示すのである。


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