本書目次へ →翻訳目次へ  トップページへ

カール・ダールハウス『古典的・ロマン的音楽美学』

ヘ−ゲルとその時代の音楽

 ヘ−ゲルを見下して、彼が手の届く身近で起きた重要な事件を知らなかったと考えるほど間違ったことはありません。彼がヘルダ−リンのような名前を指名しなかったこと、こう言ってよければ指名するのを避けたことは、彼がその名を冠されるべき事象を無視したことを意味しない。彼が沈黙した(もしくはそのように見える)事件や作品は、彼の思考を規定する動機にとって、彼が言及した事件や彼が引用した文書ほと特徴的でも示唆的でもなかったのです。

 ヘ−ゲルがベ−ト−ヴェンについて沈黙したことは、注釈者によって言及されていますが、解釈されていません。しかしこれは−誇張ではなく−雄弁な沈黙であり、解読を必要とします。ウィ−ンの音楽史家ラファエル・キ−ゼヴェッタ−は王政復古期前半を定式化しようとして「ベ−ト−ヴェンとロッシ−ニの時代」を語りましたが、ヘ−ゲルはこの二分法(それは多分に、音楽とは何か、という問題をめぐる二つの考えの対立です)に決着をつけ、明らかに親ロッシ−ニ、反ベ−ト−ヴェン派でした。ベルリンで気勢を上げる美的純粋主義者は内面の空疎を非難してロッシ−ニに反旗を翻したのですが、ヘ−ゲルは、音楽上の親派への否定に知的弁舌を揮わざるを得ず、断固としてロッシ−ニを擁護しました。「敵はロッシ−ニの音楽が空疎に耳をくすぐると叫ぶ。だがその旋律を仔細に経験すると、この音楽は反対に優れて感情豊かで、霊感に富み、心と感情に分け入ってくる。厳格なドイツの音楽理解が特別に好むような種類の性格描写を認めてはいないにしても。」当時ヨ−ロッパを席巻していた「ロッシ−ニ・ブ−ム」からヘ−ゲルも自由ではありませんでした(彼はウィ−ン滞在中にロッシ−ニのオペラを堪能しています)。そして皮肉なことに、『精神現象学』から派生したその美学には、「厳格なドイツの音楽理解」への批判が認められます。

 これに対してベ−ト−ヴェンについては、既に述べたように全く語られず、注目すべき沈黙が分裂した感情−ベ−ト−ヴェンが切り開いた器楽の方向への拭いがたい不信感と、疑いなく第一級である音楽現象への意義申し立てを躊躇することの間の苛立たしくも分裂した感情−から生まれたようです。この仮説は、心理学は破廉恥だ、というゴットフリ−ト・ベンの格言を想起させますが、文献的に基礎づけられる真実です。ヘ−ゲルの器楽理論はホフマンのベ−ト−ヴェン擁護論への秘められた返答だと考えられるからです。ヘ−ゲルがホフマンの論文を知らなかったとは考えにくい。しかも、内的な距離を感じていたとはいえ、二人は同じベルリンに生きていたのです。

 『美学』で純粋器楽についてのヘ−ゲルの考えをまとめたパッセ−ジは、鳴り響く音を概念理解という目的のための単なる手段として利用する言語と、音を記号として利用するのではなく音に自律した存在と意味を求める音楽の違いから出発します。「音の文学的使用と音楽的使用の違いを考えると、音楽は音を言語音へおとしめるのではなく、音そのものをその要素とするので、音はそれが音である範囲内で目的として扱われる。そのことで音の王国は、空疎な名称とならないために、音の自由な生成を形成法とする。そこでは芸術的音形象としての固有の形式がその本質的な目的になる。とりわけ近年では、音楽がそれだけで既に明瞭であるような形態へ逃げ込み、それ固有の要素へ引きこもっている。だがそのために音楽は完全な内面への力を失うようになり、音楽が提供できる楽しみは芸術の一面だけに−つまり作曲の純粋な音楽面とその出来栄えへの関心だけに−向けられている。それは通だけの問題であり、人間一般の芸術関心にはほとんど触れない。」

 反ロマン主義者ヘ−ゲルは、この文章で秘かにホフマンのベ−ト−ヴェン論を想定しているように思われます。ホフマンとヘ−ゲルは、同じ音楽史上の重要事件を描写しているからです。そしてこの現象は、当時の意識ではまずベ−ト−ヴェンの作品に代表されていました。ところが二人は、反対の党派に属しています。

 「純粋な音楽面」をヘ−ゲルは切り詰めの帰結、すなわち音楽の不完全な在り方とみなしたわけですが、これはホフマンが熱狂的に喧伝した自律器楽に他なりません。自律器楽は、「別の芸術のあらゆるヴェ−ル、混入を排して、この芸術にのみ認められるべき特有の本質を純粋に語る」。ヘ−ゲルが「それだけで既に明瞭であるような形態への逃げ込み」と嘆いたことを、ホフマンは音楽の解放、「名状しがたいもの」の暗号への変貌と讃えます。音楽は「規定性」の欠如ゆえに、一八世紀には言葉の言語の下位にあるとみなされたのですが、いまや同じ理由から(前提ではなく結論を逆転して)言葉の言語の上位に高められています。「音楽は人間に未知の王国の扉を開く。この世界は人間を取り巻く外的感覚世界と何も共有せず、人間はそこで概念に規定できるあらゆる感情を脱ぎ捨てて、語り得ないものへ身を捧げる。」音楽の「無概念性」が啓蒙期には、空疎な騒音だという疑惑にさらされたのですが、ホフマンはそれを「予感」と読み換え、そこに、空虚であれ、一片の形而上学を認めました。そして「人間一般の芸術関心」の喪失というヘ−ゲルの診断は、二〇世紀に聴衆が事情通と無関心層に分裂することで明白になったわけですが、ホフマンしてみれば、不可避の代償でした。音楽はこうした代償を支払うことで「その特有の本質を純粋に語」らねばならない。ハイドンは、モ−ツァルトやましてベ−ト−ヴェンよりもはるかに「大多数に近寄りやすく」、ベ−ト−ヴェンの音楽は、ホフマンの考えでは、ただ「内的構造に深く分け入る」ことによってのみ明らかなのです。

 ヘ−ゲルが危険だと考えた傾向、音楽が「その独自の要素」へ引きこもり、「概念で規定できる感情」を放置し、「愛好家」の感情ではなく「通」の判断に委ねられることは、ホフマンが時代の兆候とみなしたのとすべて同じものです。しかしこの時代を、ホフマンはヘ−ゲルとは反対に適切だと感じました。ヘ−ゲルが批判する器楽の形而上学がロマン的音楽美学であったことは、あるいは驚きかもしれません。解放と疎外、自律と実体の喪失、ようやく二〇世紀の新音楽において顕著になったと言えそうなことが、既にロマン主義の時代に歴史哲学を基礎とする音楽美学において中心問題になっていたのですから。

 しかし、ヘ−ゲルの自律器楽の弁証法が属する哲学的コンテクストは、−注釈者の注目を集めてはいませんが−明らかに他でもなく芸術の終焉(正確には芸術の実体の喪失)という例の命題です。

 この命題が何を意味し、何を意味しないのか、復習するのは野暮というものでしょう。宗教的実体の喪失は人為的ヴィルトゥオ−ゾ性の排除を意味せず、まさにそれと表裏一体だという含意を思い起せば十分です。「我々は芸術を、真理が存在する最高の方法だとはもはや考えない。[……]芸術がさらに上昇して完成することを希望することもできようが、その形式は、精神の最高の欲求を満たすことを止める。」

 ヘ−ゲルが「芸術の終焉」と呼んだ歴史的事象を美学者や芸術史家は普通、機能性から自律への移行、芸術をそれ自体への、つまり独立した存在と意味への「解放」として描写します。そしてヘ−ゲルが芸術の実体の喪失を語る文章は、他方で芸術が「絶えず上昇し、完成する」可能性を排除していませんから、分裂的で弁証法的な定式が意味するは、芸術の自律が(形式的)人工性の進歩であり、こうした進歩が(宗教的)内包の損失を代償として支払わねばならないということです。ヘ−ゲルが古代の「芸術宗教」−神像における神の生ける現在−に実現されたと考えた実体と芸術形式の統一が解体しているというわけです。また次のように言っても、端的な誇張ではあれ、ヘ−ゲルと矛盾はしないでしょう。つまり芸術の終焉という命題は、宗教としての芸術の終焉が芸術としての芸術の始まりだということを意味します。ヘ−ゲルの思考では、形而上的な意義と美的・技術的な芸術性格(近代の前提下で芸術を芸術にするもの)が対立しています。

 音楽経験と哲学的動機の関係を再構成するのがこの研究の目標だとはじめに申しましたが、それが今や明らかになったのではないでしょうか。ヘ−ゲルは、ロッシ−ニに引きつけられ、ベ−ト−ヴェンを嫌悪していました。そしてベ−ト−ヴェンへの沈黙は、自律器楽をめぐるヘ−ゲルの理論をホフマンのベ−ト−ヴェン擁護への秘かな反論と解読することで説明できます。しかしそれは、概念で規定できる感情内容から逃げ出し、純粋な形式ないし構造として言語の彼岸にある言語の上位地平に形而上的オアシスを求める絶対音楽をヘ−ゲルが迷路だとみなし、「人間一般の芸術関心」にそぐわないとみなしたということに他なりません。ヘ−ゲルがベ−ト−ヴェンの偉大さ(それは一八二〇年代にはほとんど議論の余地がありませんでした)を見落としたわけではありません。しかし彼は、それを−奇妙なことに二〇世紀の保守派によるシェ−ベルク批判と酷似したやりかたで−牢獄へ向かう偉大さと診断したのです。

 音楽が「それ自体」へ達するまさにその歩みによって実体を損なうという弁証法は、ヘ−ゲルの美学あるい芸術についての歴史哲学において、芸術の終焉という命題を部分領域に転用したその特殊ヴァ−ジョンでした。またこの命題には、宗教的実体の消失の裏面として、人工性の増大が確定ないし予見されていました。少なくともこの命題は、この解釈を排除するものではありません。

 ヘ−ゲルとは反対に、エドゥアルト・ハンスリックは一八五四年に音楽の形式そのものが「精神」だと定式化しました。この一節は、ベ−ト−ヴェンの器楽で達成された音楽史上の事件を最も輝かしく定式化しています。そしれこれは、まさにヘ−ゲルが否定し、その体系の前提下で否定せねばならなかったことでした。ヘ−ゲルはおそらく音楽史の推移、およびベ−ト−ヴェンの交響曲に表明されたことを理解していたでしょう。しかし彼は、怯えていたのです。

 このようにヘ−ゲルは概念で規定できる内容ないしアフェクト表現から逃げ出した絶対音楽を迷路とみなしたわけですが、彼は一八二〇年代に出会った反対の極限をも認識していました。それは音楽を舞台やテクストの特徴づけという目的に苛烈に従わせ、音楽の本質を脅かすという極限です。彼は、こうした誤用にあからさまな反論を試みました。ヘ−ゲルが罵倒した対象は、驚くべきことにウェ−バ−の《魔弾の射手》でした。ベルリンでのこのオペラの初演(一八二一年六月)は大勝利を収め、このオペラは数年でドイツのほとんどすべての舞台へ快進撃を続けました。ヘ−ゲルの厳しい批判がスポンティ−ニへの加担とウェ−バ−信奉者への反対に規定されているとは考えにくい。ベルリンのスポンティ−ニ派が宮廷周辺のみならず市民サ−クルにおいても決して一方的であったり弱小だとはいえない存在であったにしても。(フランス、イタリアに加担する宮廷オペラと市民的なナショナル・オペラという対比でこの論争を理解することはできません。)ヘ−ゲルの判決は単なる党派宣言ではなく、ウェ−バ−へのフランツ・グリルパルツァ−の憤慨を想起させます。グリルパルツァ−は、性格描写のために旋律が切り裂かれ、全体の関連つまり長いスパンの旋律の結びつきが瞬間のエフェクトで破砕されている、とウェ−バ−を非難しました。(しかもワ−グナ−までもが、ドイツのロマン的オペラの後継者を自認し、ウェ−バ−をその手本と熱烈に持ち上げながら、一八五一年には『オペラとドラマ』で「奇妙なモザイク旋律」と言っています。)

 ヘ−ゲルのウェ−バ−批判が根ざすべき哲学的コンテクストは、一七九〇年代にワイマ−ルの古典派サ−クルやイェ−ナのロマン主義者サ−クルで交わされた、芸術における性格描写についての対立です。ゲ−テの『収集家とその客』(一七九八/九九)における対話、フンボルトの論文『男性的形式と女性的形式について』(一七九五)、そしてフリ−ドリヒ・シュレ−ゲルの『ギリシァ文学研究について』(一七九七)を思い出してください。細部の議論は省略して、ヘ−ゲルに至る理念史的解説は次のことから出発していいでしょう。つまり意見対立はなによりも、性格描写が非独立的で従属的な美の部分モメントとしてのみ許されるのか、それとも芸術が発展法則に支配され、美から性格的なものへ、つまり性格的なものの非独立性から独立性へ進歩すべきなのか、という問題から発火しました。ですからおそらく、一方を古典的で規範的、他方をロマン的で歴史哲学的と呼んだとしても、包括的な理念史的定式を見下すことにはならないはずです。

 《魔弾の射手》批判は、ヘ−ゲルがゲ−テやフンボルトと共有していた古典主義的感情の兆候であり表現です。性格的なものを独立させるのは、一面的(ヘ−ゲルの言い方では「抽象的」)とみなされ、それゆえ、音楽が硬直し、その本来の本質から疎外されるという結果を招く。「さらに重要なのは、いかにして一方の性格的なものと他方の旋律的なものが登場すべきか、ということである。主たる要求は、両者の関係において次のようであることだと私には思われる。すなわち旋律的なものがとりまとめる統一として常に勝利し、個々の散発的で性格的な傾向が勝利すべきではない。たとえば昨今の劇音楽は、しばしば暴力的なコントラストにおけるエフェクトを求め、対立する情念が巧妙に格闘すべく、音楽の同じひとつの歩みのなかに対立する情念を押し込める。[……]こうしたコントラストは切り裂かれ、我々をまとまりなく一方の側からもう一方の側へ突き飛ばすものであり、先鋭な性格描写が直接的な対立に結びつくので、美の調和に反する。旋律における内面そのものの教授や回帰など語り得ない。およそ旋律と性格的なものをひとつにすることには、特定の描写という側面が音楽美の繊細に引かれた境界をたやすく踏み越えてしまう危険がつきまとう。[……]音楽が性格的な規定という抽象にかまけると、音楽は鋭さ、硬さ、非旋律、非音楽へ堕落する道、自らを非調和へ誤用する道を歩むことがほとんど避けられないのである。」『美学』第一巻をみると、「今日の劇音楽」において旋律の「まとまった統一」を破壊して「コントラストに切り裂く」のが、ウェ−バ−の《魔弾の射手》だとわかります。そこでは嫌悪の対象が名指されているからです。「しかし笑いや泣きは抽象的に分散しかねず、こうした抽象を間違って芸術の動機に利用したのが、ウェ−バ−の《魔弾の射手》の笑いの合唱である。およそ笑いは突然噴き出すものであって、不作法になり、理想を失わざるを得ない。」「不作法に噴き出す」嘲りの合唱をヘ−ゲルが音楽構造的に把握できなかったこと−技術的にいうと、これはメトリ−ク的に不規則な四度上の五六の和音の引き伸ばし(8: 1というまことに苛立たしいデフォルメ)です−、

サしてそのために彼が嘲りの合唱を粗野で音楽構造から抜け落ちたリアリズムだと考えたのは、彼が音楽のアマチュアだったからというほかありません。しかしヘ−ゲルが《魔弾の射手》に結実した一八二〇年代のロマン的近代音楽を否定的に経験したことは、ホフマンを介した絶対音楽解釈の場合と同じように、ヘ−ゲルの音楽美学の基礎となる哲学的動機と密接にからみあっています。これはそれにまつわる年代考証や文献学の問題に解消できるものではありません。

 ヘ−ゲルの美学体系が同時に芸術の歴史哲学であり、逆に芸術の歴史哲学が同時に美学体系なのは哲学史の常識ですが、体系と歴史哲学がいつも裂け目なく同調しているという調和的なフレ−ズに要約されるべきではないでしょう。音楽美学者としてのヘ−ゲルは −《魔弾の射手》を批判し、それを性格的なものというカテゴリ−への原理的疑念で基礎づけたことにあらわれているように−第一義的に古典主義者であり、歴史哲学者ではありませんでした。彼は、性格的なものが独立的で美に従属しない刻印へ発展していることを近代の美的目印とみることもできたはずです。一八〇〇年前後にフリ−ドリヒ・シュレ−ゲルが、警句的にではあれ、端的で啓発的な定式を素描していたのですから。そしてヘ−ゲル的弁証法を哲学的な武器として利用した世紀半ばの音楽美学、つまりアドルフ・ベルンハルト・マルクスやフランツ・ブレンデルのようなジャ−ナリストの論文では、「音楽の進歩派」(マイヤ−ベアにおける音楽・舞台的な誇張、フランツ・リストの標題音楽、ロマン的オペラの音楽的ロ−カル・ト−ン、ベルリオ−ズによる音色の独立的パラメ−タとしての解放といった努力)が、ヘ−ゲルではまだ抑圧されていた性格的なものというカテゴリ−を参照して美的に弁護され、説明されています。

 これに対して、ヘ−ゲルは(二月革命以前のヘ−ゲル主義者もそうなのですが)、音楽における性格的なものが美の非独立的部分モメントとしてのみ美的に許される、つまり換言すると、瞬間のエフェクトが旋律の統一と連続性へ止揚されねばならない、という命題を堅持しました。大まかに言うと、ヘ−ゲルは、後世の追随者と違って美学の規範的で古典主義的なモメント、つまり非歴史哲学的なモメントにしたがって判定しています。そして美学は、体系と歴史叙述をパラドクス的に交差させつつ、しかも両者をひとつのものとして構成しようと試みたのです。

 体系と歴史の同一性は単なる仮象であり内側から脅かされており、そうした内的動揺は、近代が性格的なものへ傾斜するといった具体的事実を古典主義か歴史主義へ一方的に決めづけた結果である−残念ながらこのような平板な命題は短絡的です。ヘ−ゲルが絶対音楽に苛立って、音楽は独立した芸術として完成することで精神的実体の喪失を背負うという弁証法的定式に出会ったように、性格的なものについての解釈も吟味されており、示唆的です。そしてそれを引用の形でまとめることはできませんが、それらしく再構成することは可能です。

 音楽における性格的なものは、マルクスやブレンデルのような擁護者によって、(既に述べたようにヘ−ゲルの概念を使って)音楽における精神の鋳造への進歩、マルクスが「感覚性の繋留点」と呼んだものの克服として称賛されています。ところがヘ−ゲルは、のちの追随者が進歩と感じた歴史的事件を逆に堕落の歴史と解釈しました。「ロマン的芸術は[……]偶然的な外的形態とともにその内面で浮遊し、明らかに美ならざるものにも十全な遊戯空間を与える。」しかし、古典主義的で規範的な美学を歴史哲学とひとつにすることが前提になって古典以後のペリオ−デを没落のエポックとみなさねばならなくなっている、と単純に説明するのは、ヘ−ゲルの意図の弁護として不十分です。それは間違ってはいませんが、ゆがんでいます。性格的なものについてのヘ−ゲルの弁証法の要点は次のことにあるからです。精神を芸術空間へ高めること、つまり芸術から哲学への優先権の移行が実体の喪失にもかかわらず追求されます。こうしてもたらされた状況は、一方で芸術から精神が退却する没落ですが、他方でこれと平行して、精神を第一義的に哲学が鋳造することでもあります。芸術が精神的実体を失っているとすると、他方でそれは、なによりも哲学によって代表されるような時代精神を予見しています。そしてヘ−ゲルを越えつつ彼の思考の方向に沿ったこのような二重の規定性にこそ、音楽における性格的なものの本質があると主張できるのではないでしょうか。性格的なものは一九世紀の始めから半ばまでの音楽の発展を規定し、その発展は−ヘ−ゲルの要請にふさわしく−自分の時代を概念でとらえており、哲学のカテゴリ−で解釈されるべきものです。世紀半ばのヘ−ゲル主義者が音楽美学として叫んだことは、ヘ−ゲルの精神における思考として正当であると同時に不当です。不当なのは、精神的実体と芸術的形態の統一(ヘ−ゲルが唯一古代の神像にのみ見たような)を音楽における性格的なものや近代の美的傾向にもあてはめているからです。それにもかかわらず正当なのは、ヘ−ゲルにとっても音楽における性格的なもの(ヘ−ゲルが嫌悪した)と精神的なもの(芸術から哲学へ引っ越しした)の間に一種

フ内的親近性があったからです。二月革命以前の流行語である「時代精神」という概念は、この内的親近性を言い表わしています。古典主義的規範で判断すると歪んだ精神かもしれませんが、性格的なものに哲学優先時代の芸術として鋳造されているのは、ひとつの精神なのです。


本書目次へ →翻訳目次へ  トップページへ
tsiraisi@osk3.3web.ne.jp