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カール・ダールハウス『古典的・ロマン的音楽美学』

一九世紀美学における「個性的」というカテゴリ−

 一九世紀美学の基礎概念について、明確で輪郭がしっかりしていることを期待するのは、哲学経験が不足していることの兆候かもしれない。そしてとらえがたいものを定義で囲い込んで閉じこめようとすると、たとえそれが上手くいっても、美的カテゴリ−(歴史的現実ではその周囲に渾然として豊かな思考とイメ−ジが取り巻いている)が体系のなかで見栄えのしなってしまうことで当のカテゴリ−から手痛い反撃を被るであろう。「個性的」のようなカテゴリ−は、その意味を見落としたり削ぎ落としたりしたくなければ、用語法の規定と固定にすぐに取り掛かるのではなく、それが様々な歴史的文脈で果たしていた機能を記述するという迂回路を通ることでようやく、理解への扉を開く。

 「個性的 charakteristisch という概念は、これまでどの美学でも十分に位置づけられていない」。エドゥアルト・フォン・ハルトマンは一八八六年にこのように書いたが、だれも勉強不足を非難することなどできない。個性的なものの研究は、崇高や醜についての反省と同じように包括的だが−美についてはいうまでもない−美学では避けられてきたし、シュレ−ゲル、ジャン・パウル、ア−ノルト・ル−ゲといった疑いようのない古典的著者たちしても同様である。個性的なものについては、散漫に概念分析の野心なく語られ、あたかもこの語の意味するものなど自明であるかのようである。

一 クリスティアン・ゴットフリ−ト・ケルナ−は、『音楽における個性描写について』(一七九五)で個性、エ−トスをアフェクト、パトスの対立物と考えた。アフェクトが「情念の嵐」として心へ踏み込み、強力だが一過的なのに対して、個性は堅固で持続的だとみなされる。個性的な美と空疎で紋切型の美を区別するのは内面の表現の有無であり、内面の表現は−フンボルトがやはり一七九五年に述べたように−「一過的なアフェクト像から持続する個性像へ、つまり一面的に鋳造されるのではなく、全面を調和的に鋳造した個性像へ高められ」ねばならない。バロック美学的なアフェクトは「自我と異質」で、いわば外からやってくる暴力だが、個性は、古典主義的で反バロック的な美学の理解によると、内側から作用する。

 だが一九世紀前半の人気ジャンルであった「性格曲 Charakterstuck」では、−音画は別だが−アフェクト描写こそが、曲のタイトルの語る「個性的」なものであった。ムツィオ・クレメンテイの《ディドンの帰還》(一八二一)は「性格ソナタ」の典型であり、ロホリッツによって、交替するアフェクトの(性格の、ではない)表現と書かれた。そしてベ−ト−ヴェンの作品八一(一八〇九/一〇)は同じような「性格ソナタ」であり、そこでは状況と感情が音楽で描かれる。

二 偶然の美的存在権をめぐる論争では、「個性的」という概念の機能が分裂していた。特徴的 spezifisch なもの(=種の典型)と個別的 individuell なもの(=一回的な個 )は、用語法上どちらも個性的と呼ぶことができる。そして多くの美学者たちが個別としての個性的なものを論じたのは、偶然的な個 das Zuffallige を弁護するためであった。ゲ−テの『収集家とその友人たち』(一七九八/九九)で、「私」は、芸術家が偶然な個物を表現するのではなく、「もっと多くの個性、いろいろな変化、いろいろな種といろいろな類」を求めるべきだと主張する。「こうして最後には、もはや被造物ではなく、被造物の概念が彼の頭に浮かび、彼は、その概念を自分の芸術で表現したいと思うようになるでしょう」。そして個性的なものの信奉者である「客」は、「そういう芸術作品は、確かに個性的になるでしょう」と答えている(以上「第六の手紙」より)。ヘ−ゲルにとって(彼は古典主義に傾斜したが、ドグマで歴史感覚を鈍らせることはなかった)、芸術作品が「個性的」でなければならないという要請は「事象」に属さない偶然的な個の排除を意味した。「しかし個性的なものの規定に従って、そのように規定できる内容を現前させ、本質的に表出するものだけが、芸術作品とともに現れなければならない。」(T, 29.)しかし他方で彼は、「ロマン的」(=ギリシャ以後の)芸術−フリ−ドリヒ・シュレ−ゲルは、それをおしなべて「個性的」だと把握したような−における「内面」の刻印、すなわち「内容」の刻印を、特徴的なものにおけるだけでなく個別的で偶然的な個にも認めた。「ロマン的芸術はその内面を偶然的な外的形象にも編み込み、美しくない奇妙なものにも十分な空間を与える。」(T, 507.)個性的というカテゴリ−を提示する場合の意味 ニュアンスの違いは、偶然的な個の弁護において特殊的と個別的のどちらを強調するかということ、つまりこの概念が古典主義とロマン主義、どちらの文脈で現われるかということに依存する。

三 個性的なものは、美学の党派争いとは無関係に、輪郭がしっかりした明確な刻印として、空疎な流動とは対比して把握された。(カ−ル・ザイデルは「個性的」というカテゴリ−に依拠しながら一八二九年にE・T・A・ホフマンのベ−ト−ヴェン解釈を批判して、ホフマンの解釈が音楽における規定的なものをポエジ−的で無規定的なものへ解体したとみなした。)しかし個性的なものの本質規定は、一八後半と一九世紀の美学ではさまざまであり、しかも正反対なこともある。一方で、古典主義的に内発的な精神的形成および刻印と規定されることもあるし、他方で、リアリズム的に外的所与の描写の明確さと規定されることもある。フリ−ドリヒ・シュレ−ゲルは、『アテネウム断片』(一七九八)で「精神的個性描写」と「感覚的模倣」を対比した。つまり、個性的なものの原理は、彼が軽侮する模倣美学の対立審級と理解された。そしてヴィルヘルム・フォン・フンボルトは一七九五年に、「外的形態」へ尽きる形式美と「内的個性」に基礎づけられた表出性を対比した。「表現が支配的なときには心が衝動を支配し、衝動が勝手気侭にふるまうことを妨げる。それゆえこうした形象は、単に美的にそれだけで説明されるものではなく、関心を外的形態から内的個性へ導くのである。」個性的なものは精神的なものとみなされている。これとは反対にフリ−ドリヒ・テオド−ル・フィッシャ−では、−シュレ−ゲルの用語法とまったく対照的に−「個性的様式」は「理想的様式」と対立する「描写的、絵画的様式」である。「ここでは音楽が可能性の限界を踏み越える。音楽が描写し、客体化する。それは叙事、ドラマ、管弦楽で自然と個性を描写する個性描写音楽である。」シュレ−ゲルでは「個性的なもの」という概念が模倣原理に論争を挑んでいるのだが、フィッシャ−では、模倣原理を弁護するものに転化している。

 個性的なものという概念が病んでいる内的矛盾と無規定性は、それを体系的にとらえるのではなく歴史的にとらえようとするとき、美的対立の帰結であることがわかる。注目すべきなのは、敵対者が武器とする基礎概念が廃棄されるのではなく、読み換えられたことである。

一 一八〇〇年以後数十年の美学の基礎となったゲ−テ、フンボルト、アウグスト・ヴィルヘルム・シュレ−ゲルでは、個性的なものが美の前提となる部分モメントとみなされている。アウグスト・ヴィルヘルム・シュレ−ゲルは、フリ−ドリヒ・シュレ−ゲルの『アテネウム断章』へ寄稿した文章で「個性を欠いた美など考えられない」と断言した。個性的なものへの傾斜は美の理念の危機と感じられたが、古典主義美学による線引きは論争的というより融和主義的であり、個性的なものを排斥するのではなく、個性的なものが美の部分モメントにならねばならないという要求を掲げた。フンボルトは、美が美的規範であり、空疎で無意味になるきらいのある優美と、極端な場合には醜へ転化してしまう個性的なものとの中間、調停と理解した。そしてゲ−テの『収集家と彼の客』の「私」は、−「個性主義者」である「客」とは反対に−古典主義美学のカテゴリ−(芸術実践の現実とはもはや乖離してしまったような)を、とりなすようにまとめている。「個性的なものが根底にあって、そのうえに簡潔と威厳が憩う。芸術の最高の目標は美であり、それが最後に与えるのは優美の感情だ。」

 ヘ−ゲルの『美学』において音楽美は古典主義的な考え方にしたがって、個性描写を含むが、個性描写へ解消してはならないとみなされており、こうした音楽美の総概念とみなされるのが旋律的なものである。「真の音楽美とは、この面からみるとこういうことである。そこではたしかに単なる旋律的なものから個性豊かなものへ一歩進んでいるが、こうした特殊化においても、旋律的なものが支えとなるひとつの心として保たれるのである。」(T, 161.)ちなみにヘ−ゲルは、古典主義的本能からロッシ−ニを評価し(U, 316) 、ウェ−バ−を批判した(U, 317)。

二 フンボルトとゲ−テは個性的なものの台頭を現代の傾向と認めたが、(理論において)それを単なる「一面的なもの」とみなし、個性美という普遍的な規範へ止揚した。反対にフリ−ドリヒ・シュレ−ゲルの『ギリシァ文学研究』(一七九七)では、個性的なものの優位が近世の特徴、すなわち美的体系へ「統合」するのではなく、歴史哲学的に把握されるべき事態とみなされている。「さらに、個性的なもの、個別的なもの、関心を集めるもの[ここでは個性的なものが、特徴的なものではなく個別的なものと同一視されている]を重視するのが、近代[=古代以後の近世]の多くの文学、とりわけ近代後期の文学である。」「音楽においても、個別的客体の個性描写がこの芸術の本性に反して有力になった。」シュレ−ゲルは一七九七年にはまだ半ば古典主義的で、ゲ−テとほとんど同じように個性的なものの台頭に反対であった。だが決定的なのは、個性的なものを美の非自立的部分モメント−一面的(ヘ−ゲル流に言えば「抽象的」)にならないためには理想へと止揚されるべきモメント−と把握しなかったことである。彼は、個性的なものの自立をひとつの時代の美的原理と考えた。それを不幸な移行期とみなす者がいるかもしれないが、個性的なものの自立が推進されねばならない。ただし、規範美学のすべてが歴史哲学へ解消されたわけではない。シュレ−ゲルの考察が到達した段階と対比すると、フリ−ドリヒ・テオド−ル・フィッシャ−の議論は規範美学へ逆行した。彼は一方で個性的なものの自立を美的な欲求として弁護し、他方で個性的なものの一面性を美の普遍性と対比した。「美しい様式は、[……]なるほどそれだけであらゆる要求を満足するわけではない。高い理想、個性的なもの、優美などを単なる要素としてではなく、自立した独自の刻印として受け入れることが期待されるからである。しかし美しい様式は、普遍性においてあらゆる音楽様式の頂点である。」体系という天上界は、歴史的事実の上に、いまだに覆いかぶさっていた。

3 「新旧論争」は、模倣できる古代音楽がなかったにもかかわらず、音楽美学にも影を落とした。いまだ古典主義的な論調を保っていた一七九七年のフリ−ドリヒ・シュレ−ゲルは『ギリシァ文学研究』で、個性的なものが音楽でも目立つことを「この芸術の本性に反する」とみなした。一方ヨゼフ・バイヤ−は五〇年後の一八五六年に、個性的なものの支配を、逆により高い発展段階への到達とみなした。バイヤ−は折衷的な美学者であり、芸術史の時代区分を古代様式、古典様式、近代様式と同定して、芸術史を崇高、美、個性的なものという美学体系の基礎概念と結びつけたが、他方で、美は同時に包括的な上位カテゴリ−、美学的なものの総概念だと考えた。しかし決定的なのは、個性的様式が、バイヤ−において、シュレ−ゲルとは違って非自立的モメントの不当な自立ではなく、精神的なものへの高まりの表現とみなされていることである。「……」ヘ−ゲルへの依存は明らかだし、ヘ−ゲルと違って議論が平板なのも明らかだが、そのことは、バイヤ−の美学ドキュメントとしての意義を損なうものではない。バイヤ−の考える古代の崇高様式、古典の美の様式、近代の個性的なものの様式は、それぞれの典型的刻印を建築、彫刻、絵画にみいだしており、それは、ヘ−ゲルにおける象徴的芸術形式、古典的芸術形式、ロマン的芸術形式と何の違いもない。しかし、ヘ−ゲルの命題では、「精神的なもの」の優位へと移行することが、芸術の内発的な疎外(感覚的モメントの削ぎ落とし)を意味しており、最後に「芸術の終焉」(宗教と哲学への止揚)へ至る。しかしバイヤ−は、ヘ−ゲルの命題を越えて、−ヘ−ゲルが古典主義者であり、過去を志向しているのとは反対に−近代を弁護し、個性的様式を芸術内部でのより高い段階として賛美できた。

4 伝承された歴史哲学の図式は、混成的な形而上学ではないかという不信感をあおり、新カント主義の時代には捨てられるか、さもなければ、類型論へ変形されて「救済」された。ヨハネス・フォルケルトは「党派美学」の名に値する美学の代表格だが、美と個性的なものを異なる時代の美的特徴ではなく、並立する美的カテゴリ−ないし美的原理と解釈した。一方フォルケルトは、歴史哲学だけでなく、規範美学も退ける。彼は、個性的なものをゲ−テやフンボルトと違って、唯一の支配者である美の部分モメントではなく、対立する選択肢、対立類型と規定した。美学的なものの本質は、フォルケルトによると現象の「有機的統一」にある。しかし、統一は、苦もなく達成されることもあるし、抵抗を克服しなければならないこともある。そして苦のない統一を「美」と呼び、困難な統一を「個性的」と呼ぶ。彼は、美と個性的なものの対立の意義の基礎を初めて発見したと確信した。だが、苦もない統一と困難な統一という区別が基本的かどうかということとは無関係に、「個性的」という語の用法が伝統的用語法を抜け出している。彼は概念本来の意味を発見したのではなく、概念の解釈を変更している。

 「個性的なもの」というカテゴリ−にあらわれた意味のニュアンスは、しばしば反論や弁護という機能に依存する。音楽美学者が、「個性的なもの」という内的に矛盾する概念に含まれる規定メルクマ−ルから精神的なモメント−フンボルとが「内的個性」と呼んだもの−を取り出すか、音画的リアリズムを取り出すか、それは、美学構想の歴史哲学的前提と結びついていた。フリ−ドリヒ・シュレ−ゲルは一七九七年の『ギリシァ文学研究』で、音楽における「個別的対象の個性描写」を彼が批判する模倣原理なのではないかと考えた。しかし彼は『アテネウム断章』において「精神的個性描写」を「最も感覚的な模倣」と対比し、「純粋器楽」を−明らかにヴァッケンロ−ダ−とティ−クの熱狂の影響下で−鳴り響く哲学と位置づけ、「感情の言語」という「いわゆる自然で平板な視点」と区別した。シュレ−ゲルの音楽美学が変わったわけではない。彼はいつも音楽における精神的なものを賛美し、模倣原理を古びたものとして嫌悪する。だが、「個性的」という概念は意味と機能を変えた。シュレ−ゲルが、個性的で関心を引くものの支配する近代芸術を、一七九七年には堕落と感じ、一七九八年には未来のロマン的時代の先駆けと感じたからである。「個性的」というカテゴリ−が、一七九七年には否定的モメントである音画的リアリズム、一七九八年には肯定的モメントである精神性を際立たせる。

 ブレンデルにおける「個性的」というカテゴリ−の役割も、フリ−ドリヒ・シュレ−ゲルにおけるのと同じように分裂している。ベルリオ−ズとリストに関するブレンデルの発言でおいて、この概念の指す内容は、そこで下される美的判断と判断を基礎づける歴史哲学的図式によって、変化ないしズレを生じる。一八五一年の『音楽の歴史』におけるベルリオ−ズ批判で、ブレンデルは「個性的」というカテゴリ−の音画的、リアリズム的モメントを強調する。そして彼がベルリオ−ズを判断する視点は、厳格に古典主義的である。個性美というゲ−テやフンボルトが述べた規範に沿って、ベルリオ−ズの「リアリズム」は一面的で、ベ−ト−ヴェン交響曲の美的普遍性からの逸脱とみなされる。「またベルリオ−ズの描写は主としてリアリズム的である。ちょうどフランスの文学や絵画におけるように。[……]創作の重点は個性的な側面を描写することにある。一方、最高の位置を占める最も普遍的な芸術家の本性では、あらゆる芸術の二つの主要素である描写的要素と主に形式的で感覚的な美の要素が結びつく。一方にのみ優れ、一方にのみ一面的に帰依するとき、二つの要素は分離する。それがベルリオ−ズである。そこでは鋭い描線とリアリスティックな装飾が、どうやらあちこちで美を犠牲にしているようである。」

 このように一八五一年のブレンデルにとって、「個性的」という概念は(一面的に)音画や音楽のリアリズムと結びつく、どちらかというと否定的なカテゴリ−だったのだが、一八五九年の『交響曲作家としてのフランツ・リスト』という綱領的な文章では、判断の傾向、歴史哲学の構想、言葉の内容すべてが「個性的」である。リストの交響詩は一八五〇年代の「新音楽」だったわけだが、新ドイツ派のイデオロ−グであるブレンデルにとって、交響詩は、もはや美的一面性でも古典美の理念の堕落でもない個性的なものの原理を実現していた。ここでの個性的なものは、近代性(近代性は、精神的なものを自立させる点でそれまでの音楽史の目的、完成であった)の最高の刻印である。リストを擁護するブレンデルは、芸術における精神的なものを賛美し、「個性的」という概念の、ベルリオ−ズ批判(彼は《幻想交響曲》の音楽のリアリズムに違和感を覚えた)におけるのとは別のモメントを強調する。「ここから明らかなのは、これまでの芸術創作が自然法則の実証的充足から成り立っていたように、これからの芸術創作がその否定、感覚性の地点の否定から成り立つということである。これこそマルクスが言う個性的なものの原理である。[……]そうすれば、単なる技術的、和声的分析によって作曲が弁護されるするのではなく、じかに理念を通じて作曲が弁護されるようになるであろう。[……]耳が裁判官になる場合と、原理としての個性的なものが裁判官になる場合では、法律が変わるのである。」ブレンデルはヘ−ゲル主義者を自認した。だがヘ−ゲルが芸術の本質を疎外する抽象と警告したときに、ブレンデルは、小躍りして音楽における精神の解放を語った。

 アドルフ・ベルンハルト・マルクスは、リストが絶賛し、一八五九年のブレンデルの拠り所となった『一九世紀音楽とその課題』(一八五五)で、音楽における個性的なものの理論を草案した。それは、この概念の二極分化に、矛盾を特徴とする概念史の関連をみている。一方で、マルクスは進歩を信じ、音楽の歴史における「幼稚で感覚的」な外化形式から「抽象的に理解される」音芸術を経て、「心的」でついには「精神的」な表現へ至る発展を主張した。現代の音楽の個性描写への傾斜は「精神的」モメントであり、そのことで音楽は、単なる「わかりやすさ」や「心の言語」という一面的な規定を越えて高まった。他方でマルクスは、現代を代表する個性的な音楽は絵画的な色彩へ依存していると考えた。すなわち楽器法の芸術が作曲家に「ロ−カル・ト−ン」を教えた。「ウェ−バ−やマイヤ−ベア、ワグナ−のロ−カル・ト−ンは、楽器の生命力あふれる世界に依存する。ロ−カル・ト−ンは、しばしば劇的なイメ−ジに、このモメントにふさわしい特殊な色彩を与えているのではないだろうか?」

 「個性的」という概念、つまり音楽における「規定的」という概念は、マルクスの考えでは無規定性を病んでいた。そして「精神的」モメントと「色彩的」モメントの対立を調停するために、マルクスは、一方で「個性的」なものが音楽における「内容的」なものだと総括した。それは、単なる形式的、構造的なものと対立する。そして他方で彼は、ヴァッケンロ−ダ−、ティ−ク、E・T・A・ホフマンと同じように、管弦楽の楽器を精神の声へロマン化した。「音芸術家の想像力はまったく別の存在を夢想する。とらえがたく形のない存在、自然の声、宗教の響き、これが管弦楽の声である。[……]音の戯れが意味、すなわち精神に規定された内容を獲得するときには、音で語るのが誰かということも重要になる。人間の声は[……]固有の個性を告げる。個性的なものを目指すのであれば、ヴァイオリンとフル−ト、ホルンとトランペットにはそれぞれ別に組織された存在が認められるべきであり、そこから必要に応じた選択がなされるべきである。」マルクスは、音楽の個性描写における「精神的」モメントと「色彩的」モメントを−リストが標題音楽で世界文学と「ロ−カル・ト−ン」の喜びを強奪したように−混ぜ合わせた。これは、美学が「規定性」と「無規定性」ないし「形式」と「内容」の対立という抽象的なアンチテ−ゼから構成されたからである。「精神的」モメントも「色彩的」モメントも、一方で「規定性」によって単なる感覚刺激や気分という「無規定性」から区別され、他方で、「内容的」メルクマ−ルとして、音楽の「形式」と対置される。音楽形式は、純粋な「形式」として、「空疎」だという疑惑にさらされていた。

 このように内容(エ−トス、「詩的理念」あるいは音楽の色彩が喚起する主題)の描写こそが個性的な様式を(形式美の様式から対比して)規定するメルクマ−ルだったのだが、個性的様式の作曲技法的規定メルクマ−ルは「旋律の切り裂き」と否定的に定式化された。旋律の切り裂きは、ヘ−ゲルにとっても、数十年後のワグナ−にとっても、音楽における(一面的に)個性的なものの重大な欠陥と感じられた。

 ヘ−ゲルはウェ−バ−の《魔弾の射手》における音楽的、劇的コントラストの「強引さ」に苛立ち、音楽における個性的なものを、従属的モメントへとどまるべき瞬間の効果と規定し、旋律的なものを、個性がそこへ止揚される「とりまとめる統一」と規定した。「さらに重要なのは、いかにして一方の個性的なものと他方の旋律的なものが登場すべきか、ということである。主たる要求は、両者の関係において次のようであることだと私には思われる。すなわち旋律的なものがとりまとめる統一として常に勝利し、個々の散発的で個性的な傾向が勝利すべきではない。」個性的なものの自立は、一面的−ヘ−ゲルの言葉では「抽象」−とみなされ、そこから、音楽の硬直、その本質の疎外が導かれる。「個性的な規定性という抽象にかまけると、音楽は鋭さ、硬さ、非旋律、非音楽へ堕落する道、自らを非調和へ誤用する道を進むことがほとんど避けられないのである。」ヘ−ゲルのウェ−バ−批判は、ロッシ−ニ擁護と結びついた、一種の古典主義的なロマン主義批判である。もしもヘ−ゲルが音楽の新ロマン主義を知っていたら、彼は怒り心頭に達していたことだろう。

 旋律が断片へ破壊されているという批判をヘ−ゲルはウェ−バ−に向けたわけだが、このような批判は、思わぬところで繰り返されている。それは、ワ−グナ−の『オペラとドラマ』の一節、ウェ−バ−の音楽を歴史発展のモメントとして規定し、楽劇の必然性を導こうとする議論においてである。ワ−グナ−は、歴史哲学的な構想を裏付けるために、古典主義的なウェ−バ−批判の発想を利用する。

 ワ−グナ−の用語法は、美学体系ではなく時代の要請に規定されている。「個性的」という概念はマイヤ−ベア擁護のスロ−ガンだったのだが、ワ−グナ−は、これをマイヤ−ベア批判に利用する。彼は、個性的音楽が−ヘ−ゲルと同じ論法だがおそらくヘ−ゲルとは関係ないだろう−旋律を切り裂いていると非難する。「我々が挙げ句の果てに目にしたのは、この作曲家[=マイヤ−ベア]に、器楽が必死の思いで向かった方向[=ベルリオ−ズの]から、突飛なモザイク旋律が与えられ、その勝手放題な組み合せによって −その気になれば−いつでも風変わりで特別にみえるための手段が彼に提供されたということであった。この手法があったからこそ、彼は、ひたすら音素材的に目立つことを狙ったきわめて不思議な管弦楽の用法を通じて、きわめて特殊な個性描写を鋳造することができると信じていたのである。」(訳書、一三九頁。)

 ワ−グナ−は、マイヤ−ベア批判に転じたときには「個性的」という言葉に引用符をつけて、本来マイヤ−ベア擁護の機能を果たしていたはずの言葉を批判のために逆利用した。そしてワ−グナ−はウェ−バ−について、ほとんど同じ調子で論じている。「個性的」という言葉を、彼は今度は引用符なしにウェ−バ−の音楽にあてはめ、ウェ−バ−の《オイリュアンテ》を「モザイク旋律」と非難した。これらの言葉をマイヤ−ベア批判における同じ言葉とはっきり区別するのは難しい。しかしワ−グナ−の意図はそこにあったはずである。彼はウェ−バ−を敬愛し、マイヤ−ベアを嫌悪していたのだから。唯一の差異は倫理的なものである。ウェ−バの場合には過ちだが、マイヤ−ベアの場合には「原因なき作用」つまり「詐欺」が語られる。だが実際には−倫理的な検閲を示唆する引用符を無視すれば−違いがない。ワ−グナ−は、ウェ−バ−にもマイヤ−ベアにも音楽の個性的なものを探り当てた。ワ−グナ−の考えでは、個性的なものが内的な支えを欠き、ドラマに基礎づけられることなく、音楽自身によってもたらされている。こうした音楽は、一方で劇的に「動機づけられる」ことのない「絶対旋律」とみなされ、他方で、ロッシ−ニの「絶対旋律」と違って、自己満足を感じることなく個性的なものとその仮象を求めており、そこで屈託なく「絶対旋律」が開花するのではなく、音楽が断片へ砕け散る。そこには人目をひく作用があるが、(ヘ−ゲルによれば)旋律の本質であるはずの内的関連が欠けている。

 ワ−クナ−の美学的で歴史哲学な概念構想は総合をめざしており、彼自身が楽劇でその総合を成し遂げた。そして歴史は勝者の立場から顧みて前史とみなされる。ワ−グナ−は単なる形式美(ロッシ−ニの「絶対旋律」)と自立して個性的なもの(ウェ−バ−とマイヤ−ベアの「切り裂かれた旋律」)を対置して、「無限」旋律、すなわちドラマに基礎づけられ、「絶対的」でも「切り裂かれ」てもいない内的関連のある旋律という独自の構想を、対立する一面性の調停および止揚として顕揚する。ワ−グナ−はウェ−バ−とマイヤ−ベアの音楽を動機なき個性描写と感じたわけで、彼の念頭にあり、自ら実現しようとした理念は、動機づけられた個性描写、どの瞬間にも表出的で雄弁であり、決まり文句や空疎な埋め草のない旋律であった。


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