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カール・ダールハウス『古典的・ロマン的音楽美学』

「それ自身で孤立した世界」

 音楽の「ポエジ−的」の理念は、その美学的カテゴリ−が本質的にジャン・パウルに由来するロベルト・シュ−マンにおいて音楽と文学の類似というイメ−ジに結びついている。この類似は標題的なものに固定されないが、標題音楽と美的基本モデルを共有する。言語と音楽は協力して「文学的」実体をつかもうとする。「文学的」実体はどれかひとつの芸術に一義的に帰属するわけではなく、諸芸術を強調的な意味での「芸術」(諸芸術の上位概念ではなく、質として理解された芸術)にするものである。(シュ−マンの音楽の「ポエジ−的」の理念を尺度とすると、テクストが音楽を通じて「絵解き」ないし「注釈」されるという通俗イメ−ジも、アルトゥ−ル・ショ−ペンハウア−による正反対の命題も一面的であり、弁証法的な関係を単純な基礎づけ関係へ歪めている。)

 このように、美的弁証法による音楽と文学の密接な関係−そこでは様々なアクセントが可能であり、音楽の「本来の文学的」本質も、文学の「本来の音楽的」本質も取り込まれている−は特徴的にロマン的だが、驚くべきことに、ロマン的音楽美学の最初期の証言であるル−トヴィヒ・ティ−クの一七九九年の『芸術をめぐる幻想』では、音楽の「ポエジ−的」の概念が文学との類似ではなく、反対にそれとの線引きを指している。ティ−クが言う「ポエジ−的」音楽は、半世紀後にリヒァルト・ワ−グナ−とエドゥアルト・ハンスリックが考えたような「絶対」音楽に他ならない。「こうした交響曲は艶やかで多彩なドラマ、渾然として美しいドラマを示すことができる。それは未だかつて詩人が提示できなかったようなドラマである。音楽は謎めいた言語で謎を示し、蓋然性のいかなる法則にも依存せず、物語や性格を完結させる必要がなく、純粋なポエジ−の世界にとどまる。」(「渾然 veworren」の語は、バロック詩学におけるように芸術手段であり、美的欠陥 ではない。)

 「物語」や「性格」のない「ドラマ」というパラドクスは芸術作品の言い換えである。それは「独自の世界」(すなわち「ドラマ」)を構成するが、「物語」を語って一片の現実を提示ないし模倣するのではなく、輪郭のしっかりした概念で規定できる「性格」を鋳造するのでもない。定式風にまとめると、器楽(「純粋なポエジ−的」芸術としての)は「詩人がいまだかつて提示できなかったような」本来の文学である。

 音楽は絵画や文学と違って、模倣(自然模倣であれ、文学的ミメ−シスのミメ−シスであれ)ではなく、「それ自身で孤立した世界」である。だが「音楽」とは(ティ−クが異例な主張として提示したことが自明になっているのは驚くべきことだが)第一義的に器楽である。「純粋な声楽は器楽の伴奏なく自らの力で動き、その特有の要素で息づくべきである。同じように器楽も独自の道を歩み、ポエジ−の支えを気にせず、それ自身で詩作し、それ自身でポエジ−的に注釈すべきである。」(ここでは、ホフマンの論文『新旧の教会音楽』の基礎になるパレストリ−ナとベ−ト−ヴェンという対比の基本モデルが予見されている。)

 音楽がポエジ−と分かれて「それ自身で詩作する」という命題は、一八世紀を特徴づける傾向をパラドクス的に先鋭化しているように思われる。一八世紀の傾向でも、器楽は美的に独立させられるが、その自律の基礎は、それが独自の言語(「概念の言語」に対する「感情の言語」)と理解されたことによる。「音言語 Tonsprache ないし響きの語りKlangrede」と言葉の言語のアナロジ−は、外的な依存なしに正当化できる。

 ところがティ−クは、フリ−ドリヒ・シュレ−ゲルのように、「感情の表現」は「音楽にとってレヴェルが低い」とみなした。それゆえ器楽の独立は、マテゾンに代表される啓蒙の美学とは別に基礎づけられねばならない。そして彼の器楽理論は、啓蒙とは反対に「不可思議」の美学でもある。「個別的なソナタ、つまり芸術的なトリオやカルテットは、いわばこの芸術を完成するための練習である。作曲家はこの永遠の領域で自らの力量、自らの深遠深慮を示す。ここで彼は最高のポエジ−的言語を語り、最も不可思議なものを我々に示し、あらゆる深さを暴くことができる。」「不可思議」の概念は器楽のロマン的形而上学を、一八世紀詩学のヨハン・ヤコブ・ボトナ−とヨハン・ヤコブ・ブライティンガ−に代表される伝統へ帰属させてしまう。そこから、文学との分離が「文学的」要請(単なる「独立」の要請ではなく)と定式化された理由が理解できるようになる。

 ブライティンガ−は一七四〇年に『批判的文学芸術』で詩学の伝統を哲学理念と結びつけた。彼は、バロックの「不可思議」の美学がライプニッツの「可能的世界」に形而上的に基礎づけられると考えた。不可思議を、神が創造し得たが創造しなかったあり得べき世界の模倣だと解釈することによって。「だが、現実の事物の世界の現在の制度がすべて不可欠というわけではないのだから、創造主は別の意図において、存在をまったく別の自然から創造し、別の秩序にまとめ、別の法則に従わせたかもしれない。文学は現実における創造と自然の模倣であるのみならず、可能的なそれの模倣でもあるのだから、一種の創造である文学の蓋然性は、現在に導入された法則と自然経過への一致に基礎づけられるか、さもなければ、別の意図において我々の概念が行使し得たかもしれない自然の力に基礎づけられねばならない。」ブライティンガ−は、模倣という古代の原理と創造という近代の原理のあやうい均衡を保つ。神の思召しに予め形成されている世界の提示として、文学は模倣だが、文学の世界が可能的だが現実的ではないものとしてはじめて実現されねばならならないというかぎりでは、文学が同時に創造である。

 ブライティンガ−は、「絵は詩のように」の要請をあからさまに放棄することなく、文学を絵画から際立たせようと努力する。絵画は第一に現実の模倣だが、文学は一方で可能的なものの模倣であり、他方で−現実化としての−創造である。「よくできた詩はどれも、別のあり得べき世界の歴史のようにみえる。そしてこの点では、詩人にも創造者Poietou の名を授けたい。彼はその芸術によって見えないものに見える肉体を与えるだけでなく、感覚に与えられていないものをいわば創造する、つまりそれを可能性の段階から現実の段階へ移行させ、それに現実の仮象と名称を与えるからである。

 文学だけが「〜しつつあるもの」(condere)を生み出し、絵画は「所与」(narrare)を単に模倣する、このことを既に一五六一年にユリウス・カエサル・スカリジェ−ルが主張している。「諸芸術の論争」において、詩人は「alter deus」であり、その作品は「altera natura」である。

 芸術作品が「創造」であるというイメ−ジは、近代の日常語では堪え難く通俗的な考えだが、古代の−芸術を職人芸の横に並べる−「ポイエシス」概念のキリスト教的読み換えによって成立した。しかも、自然所与ではなく、自然所与の完全として説明できない対象の(プラトン的)イデアの起源はどこか、という問題は、あと少しで−まさに機械的技術 artes mechanicae の領域において−非パトス的な意味での「創造」を語るという解決にたどりつく。すなわち制作は、模倣や既にあるイデアの実現ではなく、イデアとその実現をオリジナルに、それ自身から生みだす。(模倣原理を芸術的「創造」の理念の名のもとに放棄するという徹底した定式にブライティンガ−が躊躇したのは、神学的な理由によるとともに、古代へ帰依していたからでもある。創造が同時に可能的世界の模倣 だという考えは、「オリジナルな天才」の理念、古代ミメ−シス原理の継承、キリスト教、この三つを媒介しており、スカリジェ−ルが詩人を「alter deus」と語ったようなルネサンスの高飛車な身振りを前にして怖気づいていた。)

 文学を絵画と区別して絵画より上位に置くことは(ブライティンガ−にとってもスカリジェ−ルにとっても、音楽は美学理論の地平外にあった)、厳密にいうと根拠薄弱である。絵画も文学も、同じように現実を模倣できるし、可能的世界を実現できる。だが、「不可思議」ないし「可能的世界」を強調することは、詩学としては一面的かもしれないが、音楽美学にとって−音楽として第一に器楽を考えるかぎりにおいて−示唆的である。(声楽から器楽への「パラダイム交替」という美学理論の観察モデルは、理念史におけるロマン的音楽美学の決定的な一歩であった。そして基本的前提において、ハンスリックはロマン主義の末裔である。)器楽は−そしてそれだけが−「それ自身で孤立した世界」である。だが、「別の可能的世界」の生成という理念は、スカリジェ−ルとブライティンガ−によって−ティ−クは多読者だったので、『批判的文学芸術』を知っていたと考えていいだろう−、「ポエジ−的」なもの=「制作」=一種の「創造」、というイメ−ジ(古代思想とキリスト教思想を重ねたイメ−ジ)と結びつけられている。そしてここからティ−クのパラドクスが生まれた。まさに文学から音楽を独立させたことが、音楽的文学−音楽によって構成された「純粋にポエジ−的な世界」−を語るように要請したのである。


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